財務省文書書き換え問題は日本の民主主義、政府行政国家への信頼を根本から揺るがす大事件である。
文章の書き換えが誰によって、誰の指示で、何のために、どんな方法で行われたのかということが完全に明らかにされる必要がある。
しかし、「現在調査中である」ということで満足な説明を受けることができない我々にとって、明らかになるのを待つ以外に考える問題があるはずである。
もし、国会に改ざんされたものではなく、改ざんされる前の文書があの時点で提出されていた場合どうなったのか、つまり安部首相、安倍昭恵夫人をはじめ政治家や権力者による圧力や影響、この取引が政治や行政として健全なものであったのかという問題である。
おそらく今回の改ざん前の文章、特に安倍昭恵夫人に関する記述にぴったりと来る諺は「虎の威を借る狐」ではないだろうか。
まさに文章からは森友学園または籠池氏という「狐」が、安倍昭恵夫人、延いては安部首相といった「虎」の威を借り、理財局(威を示される側の事を以下鹿と呼ぶことにします)に対して(おそらく不自然な)交渉、取引を行なったように見える。
ここで、私たちは虎の威を借る狐の虎は罰することができるのかという問いに立つ。
虎の姿勢で分解し整理して考える。
今回であれば、安倍昭恵夫人などがそういったことをしているといった証拠は出てきていないし、存在してないだろう。
もし出てきたのであれば贈賄によって行政を私的に操作したことになり最悪であるが、さすがにないだろう。
次に、虎が威を借りられていることに気づいていない場合である。(2)
これは単純に罰することはおそらく難しい。
今回安部首相をはじめ、閣僚、関係者はこの線で決着をつけたいだろう。
しかし、今回の件はこれを装った次の場合がふさわしいのではないだろうか。
虎と狐が同一の目的を共有し、(暗黙のうちに)虎が威を貸すことに同意している場合。(3)
物理的、金銭的なメリットのやりとりはないが、精神的、思想的、またはその他のメリットを共有している場合である。
ここで、2との重大な違いが発生している。威が借りられていることを認識しているかどうかである。
この認識をどう証明するのか、また思想的なメリットなど具体性のないメリットを立証することができるのかという問題などがある。
おそらく後者の方は名誉校長に就任していることなどからも十分に指摘することができると思うのだが、前者を立証することは難しいだろう。
また、今回でいう理財局、鹿(威を示される側)が威を察する場合もある(4)
完全に適した例ではないかもしれないが、芸能人に対してコーヒーショップでお店側が勝手にサービスをする、といった感じかもしれない。
(暗黙のうちにでも)忖度させているのか、勝手に忖度されたのかの境界は曖昧であり、2や3の状態とも組み合わさって起こりうる問題である。
最後に、全く虎の威を狐が借りなかった場合も考えられるが今回に関しては適さなさそうなので省略する。
個人としてはこのいずれであってもいいので真実が、納得できる形で詳らかにされることを望むのみである。
蛇足だが、
水戸黄門が紋所をチラチラと見せながら、自分の持っている物を「いいものを持っておるな」ともの欲しそうに話しかけられたとして、
水戸黄門(もっと言えば紋所)に対して「差し上げます」以外をだれが言うだろうか。