はてなキーワード: 聖人とは
諸聖人の祝日ともいう。キリスト教においてすべての聖人を崇敬する祝日。この祝日においては,個々の聖人の崇敬よりも天国のすべての聖人の集いと地上における教会とが一つの神の教会に属するとの信仰の表明が重要である。東方教会では4世紀以来聖霊降臨祭後の最初の日曜日にすべての殉教者を祭る習慣があったが,西方教会ではボニファチウス4世が 609年5月 13日にローマのパンテオンをキリスト教の聖堂にかえて以来,この日を全殉教者の祝日とした。すべての死者を祝う習慣はアイルランドから入ったが,837年グレゴリウス4世はこの習慣を認め,11月1日を万聖節と定めた。現在この日に万聖節を祝うのは,カトリック教会とイギリス国教会である。
俺たちが祝っては失礼に当たるってね
レイヤーに限らずどんな種族の人でも遅刻はするのに、ネット上では『レイヤーは遅刻する』のフレーズがレイヤー以外にまで出回っている。
なぜこんなことが言われてしまうのかしばらく考えてなんとなく仮説が立ったけれど、こんなことをレイヤーをたくさんフォローしているTwitter垢に書くと自分の居場所を失いかねないので増田に書かせていただく。
【保険】
この文章の趣旨は「遅刻するレイヤー(他人)を許せ」でも「遅刻する私を許せ」でもなく、
「もしもレイヤーというだけで遅刻魔のレッテルを張ろうとする人がいるなら、それは『犯罪者が毎日パンを食べていたのでパンを滅ぼせ』に近い暴論だから少し考え直してほしい」である。
どう考えても遅刻する人は悪い。
またこの文章を書いている人はレイヤーのあわせとかの問題の当事者ではなくTLに流れてくる各種意見から想像したものを文章にまとめている。
誤解などがあればコメント等で指摘してもらえると助かる。
【保険ここまで】
本題に入る。
・相手を選べない
・ギリギリまで粘れる
・すぐに拡散される
ひとつずつ順に述べていく。
被害の大きさの基準にもよるけれど「相手がいなくても何とかなるかどうか」を今回は用いようと思う。
同時入場の必要がないアトラクションやイベント(あとから来い)
ウィンドウショッピングとか街中歩くやつ(理論上一人でできる)
同時入場するイベント(イベント前後でチケット詐欺と同じくらい問題になるやつ)
レイヤーの大型あわせは1人でも遅れると残りのメンバーが身動きを取れないという点で「同時入場するイベント」に近いのではないだろうか(同時入場じゃないけれど)
全体集合の写真を撮れない。進行に支障が出れば、撮りたかったものを撮り切れない可能性もある。落ち着かないから撮影に集中できない。
(※最初にも書いたが私自身は大型あわせに参加したことが一切ないのでこれはTLに流れてきた愚痴から推測したものである)
学校などのコミュニティで知り合って仲良くなった子と休日に出かけるパターンの場合、普段から時間にルーズかどうかを登校や移動教室のギリギリ具合からある程度推測ができるため自分に被害が来ない位置から観察することが可能である。休み時間のだらけ方である程度時間に対する考え方がわかる(気がする)
それに対してネット上で知り合った人の場合、時間に対する考え方はなかなか判断しづらい。
もちろんFF内の人で頻繁に「寝坊した」とか「遅刻確定だしのんびり行こう」とか呟いている人はもちろん危険だが何も呟かない爆弾もそこそこの頻度で混入している。どうにもならない。
加えて、あわせだと初対面の人や素性がわからない人も混ざってくるのでいよいよわからない(それが原因かはわからないがFF内の人とか一度ご一緒したことある人とかを限定して募集しているものも多く見かける)
どれだけ自衛してもヤバい爆弾遅刻魔を完全に排除することはなかなか厳しい。
これに関してはレイヤーのあわせに限らずオフ会でもなんでも救いようがない遅刻犯は一定数いる。
同人作家の「新刊落としました」ツイートを見たことがある人も多いだろう。
限界のその先にいっていない限り落としたツイートは遅くとも3日前には出るので宝の地図の最終稿を作る段階には間に合う。即売会前々日入りの超地方勢でもない限り、そのツイートを見てからスペースの回り方を考え直したりその他いろいろ柔軟な対応をしたりできるはずだ。
哀しくなるからやめてほしいけれど。
レイヤーの場合、前日夜に「まだ布」とツイートしても翌朝に衣装になっている魔法使いがいる(まじでなんなのあれ)あの魔法は間に合っているから許されている。
レイヤーの遅刻の原因ランキング上位の『衣装終わっていない』『寝坊』
はいずれも自分の力量を見誤り、残り時間が足りなくなって起こることである。
中には早めに衣装終わらない申告をしている例もあるけれど、助けられるくらい早くいっていない限り当日朝の悲鳴と何ら変わりない。
(例:前日前々日くらいに「○○の衣装届かないんですけれど貸してくれる人いませんか」ってツイートしているやつ、いつどこで受け渡してもらうつもりなのだろうか)
ギリギリまで粘ることが許されるのはもし万が一間に合わなかったとしても何とかなる(他者への被害が小さい)ときだけである。
一瞬本題からずれて、世の中の人の遅刻に対する姿勢をざっくり分けてみる。
そして
だから組み合わせると4種類、『遅刻するけれど許せない人』はいないだろうから(いたら流石にヤバい)実質3種類に分類される。
きちんとしている人、偉い、
でも、このタイプの人と『遅刻する人』が約束をすると大事故につながる
ではここで、『遅刻をしないし許せないレイヤー』が『遅刻するレイヤー』の存在するあわせに参加して怒りの限度を超えた場合どうなるか。
女オタクの伝家の宝刀『お気持ち【拡散希望】ツイート』が誕生する。
これ毎回不思議なのだが【拡散希望】ツイートはなぜか関係ない界隈にまで届く。あわせの写真は届かないのに。
いずれあわせをするかもしれないレイヤーならまだしも、一生関わることのない人のせいで怒り狂っている一生関わることのない人の『お気持ち』を見せられても……そうですか……どうでもよ……という気持ちにしかならないのに。
しかも文章が「同じあわせに参加したレイヤーが酷い遅刻をした!!怒っている!!」というものだから、細かい情報をすっ飛ばして拡散ツイートを眺めた人に残る情報が『レイヤーは遅刻する』なのではないだろうか。これがレイヤー全体の印象に繋がってしまう。
平然と遅刻する人もヤバいけれど、怒り狂ってお気持ちツイートするやつも正直ヤバい。
界隈全体の印象を悪くしないために静かに注意喚起流している人や怒りを鎮めて頑張って乗り切った人からしたら良い迷惑だ。
そろそろ結論に入るけれど、
ということをなんとなく理解して、
大きすぎる括りで『レイヤー』をまとめるのはちょっと待ってほしい。
素晴らしい行為があった、としたら、その行為は素晴らしいものだ。憎むべき行為があった、としたら、その行為は憎むべきものだ。どんな聖人であっても悪事を為したら裁かれなくてはならないし、どんな悪人であっても善行は善行として褒められるべきだ。
そもそも悪人とか善人てなんなんだ? 誰かを安易に天使にしたり、悪魔にしたりするのはやめた方がいい。人は状況次第で天使にも悪魔にもなるものだから。
街中で包丁振り回して何十人もの人間を傷つけたやつがいたとする。もちろん、どんな傷ついた人生がその背後にあったところでその罪は許されるべきではない。罪は罪だ。だが、「誰かを包丁を振り回して何十人もの人間を傷つけるまで追い込んだ」行為が、行為それ自体は合法の範疇にあったとしても、あなたはそんな風にそいつを追い込んだ人間を許すべきだと考えるのか。最終的に犯行に及んだその人を「こいつは悪だ魔!」と罵って終われば満足か? 満足なんだろうな。でも、それで終わらせて本当にいいのか。そんなのはただの自己満足じゃないのか。
そんなの、自分のちっぽけな正義感を満足させているだけで、極論すれば、テレビでワイドショーみながら「ひどいわねえ」とか言いながら、精いっぱい被害者に同情しているフリ、人間らしい心にあふれたフリをしながら、5分もしたらすっかりそんなこと忘れてる無責任な視聴者のやってることと同じじゃないか。「被害者に同情しなければ、加害者を罰することの意味自体が見えなくなる」なるほどそれはそうだ。だからと言って、「被害者の言うことを100%聞くべき」かと言えばそれは違う。被害者は一時の感情でいろいろ言うかもしれない。だから、「被害者が本当に求めていること」は、かえって被害者以外の人間が一歩ひいた場所から判断してやる必要があるかもしれない。被害者に常に「正しく振舞え」ことなんてことを強要してはいけない。
加害者の背後にあるものとは何か、を考える人がやっていることはそういうことだ。一時の快楽のための行為ではなく、もっとずっと地道で気長な報われない行為だ。ただ無茶苦茶に野原を突っ走って気持ちよくなるような行為ではなくて、後に続く人のために丹念に土を掘り起こし水準器を当てて地面をならし、レンガを設置する、気の遠くなるような行為だ。だから、たとえ自分には理解できなくても、そういう行為の価値を貶めるべきではない。熱意のまま、ただ無茶苦茶に走る行為は、なるほど「そこに道を作る」指標となるという意味はあるだろう、ただ時間が経てば消えてしまうそんな行為だ。それに対して、地道に開拓する行為は、その果てにやがて道路を完成させるんだ。
道路が完成したとき、その上を走る人は誰も道路を作った人のことなんか考えない。でも、そういう行為がなければ誰もそんな風に便利に移動することはできない。自由や人権といった概念は、そうやって少しずつ少しずつ長い時間をかけて、すっかり私たちのものになってきたんだ。声の限り叫んで先頭に立った人だけが切り開いてきたんじゃない。長い時間をかけてていねいに道を整えた無数の人たちの言葉が、彼らの道を未来につなげたんだ。
道路が完成したら、その人たちはまた次の道路を作り始めるだろう。「あそこに便利な道路があるのに、あいつらは何をちまちまやってるんだ?」と、指さされ嘲けり笑われながら。
この二人が正義とも聖人君子であるとも思っていないけど最近この二人がキャラ変わってきたように思う
キャラが変わってきたというのが、樺太を経ての成長ということなんだろうが
まあ杉元は元々ああいう奴だからこうなってもまだわかるけど、アシリパのキャラの変わり方についていけない
良い変わり方と思ったのは、アシリパが杉元と共に地獄へ行く覚悟をしたところ
合理的でそれが最も良い道だと悟れば躊躇なく人を殺せたという父親の話を聞いて、思うところがあったんだろう
ただ、アシリパが鶴見中尉のことを一目見ただけで信用できないと即逃げ出すところが気に入らない
アシリパは未来に生きる女なのに、会話もせず普通に人を外見で判断するのかよと落胆した
また、杉元アシリパが自分たちを引き合わせることに、金銭面や治療などで協力した鶴見中尉鯉登月島たちに対して、全く恩義を感じていないことも残念だった
この漫画のキャラは自分のやりたいことに突き進むことに全力をかけているのが持ち味であり自分も好きだけど
一応主人公とされている二人組が当たり前のように誰にも恩義を感じていないところは正直読んでて不快だった
あと、ギャグ描写とはいえアシリパ杉元が白熊を無駄に殺したこと、また無駄にしてしまったことへの謝罪の念がないのも唐突なキャラ変すぎて引いた
食べるためでなく金のために殺そうとするのは、生きる為だからまあしょうがないかなと思うけど
結局無駄に殺した挙句になんの送る儀式や供えるものも送らず、ただ「あーあ、残念だったな」みたいに死体をただ見送ってるだけなのはもう意味が分からない
ヒグマって位が高いカムイなのにそんな扱いしていいのか?ここの一連のシーンはギャグで踏み越えちゃいけないところだと思う
この辺りの不快感を上手い事今後の展開に生かされることを願って今後も読み続けていこうと思う
敵の描き方にもよるが、共闘したり償いを意識したりする方向が普通か
当然、志々雄は改心しないわけだが、それで面白くするには、読者の納得がいる
志々雄は死んだ
史上最強の弟子ケンイチも「活人拳」と「殺人拳(闇)」を描いているが
最後の方は、どこが闇だよって位に、殺人拳側も善性を表出させる
「赦す」ためには、赦しに値するナニカを描く必要があるってことだ
少年漫画で、主人公が小さい子供だと、「何でも赦す聖人」に描かれる事がある
その場合、読者が納得するための無慈悲な死刑執行人は別に用意される、るろ剣の斎藤のように
少女漫画ではヒロインが菩薩のように描かれるから「何でも赦す聖人」を多く観察できる
苦悩・悲劇・事件が描かれ、解決・赦し・開放をもってカップルに至る
「何でも赦す聖人」の気持ち悪さは、いわずもがなで、主人公が人外になってしまうことだ
過度に「無垢」や「慈愛」を描くと、それはそれで人の道を外れる
主人公を「菩薩レベルのいいひと」に描く必要がないのなら、インガオホーな展開の方が、読み手もスッキリするし展開も楽だ
改心を描くほうが難しいし、それを描かなかった場合、見逃した後の被害が想起されてしまうからな
仮にも最高権力者の席に座ってたのに陸軍に好き勝手させて保身のために黙ってたじゃん
マッカーサーに対する自分を犠牲にしてでも国民を救おうとした逸話とか誰か録音した?
下手に処刑したりしてみろ
余生は好きなカビの研究して遊んでたみたいだけど本当に国民に申し訳ないと思ってたの?
平成天皇は昭和天皇のアンチだから大事にしたいとは思うけど昭和天皇に思い入れはこれっぽっちもないわ
いや、なんだかんだで今の日本人は天皇制を公共の場でおかしいだろと発言できない時点でガチガチに宗教国家なんだけど
激務?
つーか後続の1日のスケジュール全部把握してるとかすげーなスパイになれるぞ
まとめるとこの国は終わりだ
https://note.mu/g_g_g/n/nd1ffa894b0cf
タイトルだけ見たら障害者差別的なものに見えるが、実情は少し異なる。まだの人はとりあえず読んでみて欲しい。
これを読んで自分は「まさに過去の自分そのものだ」と思った。この筆者の気持ちが手に取るように分かった。
自分が学生時代バイトしていた小売店。そこにこのnoteで語られる所の「アスペルガーくん」に非常に近い人物がいた。
彼がアスペルガーだったのか、それともADHDなど他のものだったのか、それともただの「無能な健常者」だったのか、専門家でない自分には判断出来ない。だが彼の挙動が明らかに他の人と異なっていた事だけはあまりにも確かだった。
彼が仕事が出来ない分、バイトリーダーだった自分にツケが回った。彼は寝るとすべてを忘れてしまうので、彼と一緒の時だけ気が付いたら2倍3倍の仕事をしていた。毎回見事に失敗してくれるのでこいつがいなければずっと早く終わるのになと思っていた。
しかもそれだけ面倒を見て泥をかぶっているにも拘らず彼と全く同じ時給なのだ。なんでだよ。
ある日休憩室でパートのマダムたちと話していると、「あの子ってホントに仕事出来ないわよね」「早く辞めないかしら」「なんであいつ首にしないの?」という彼の話題になってしまった。
そのマダムたちは大変陰湿だったので、次第に彼にだけ挨拶をしないとか、そういう事をやり始めた。自分は加担しなかったがそんな感じの軽いいじめみたいな環境になってしまった。
自分には発達障害の友人もいる。だからそういう差別をしたくはなかった。差別をしてはいけないと思っていた。
マダムたちに一言言ってやりたかった正義感もあった。でもどこかにあった「早く辞めてしまえばいいのに」「そうすれば自分も楽になれる」という気持ちに勝てなかった。最低だったと思う。
ああこれが差別なのか。絶対に差別はしちゃだめって思ってたのに。
マダムたちとの板挟み。
でも時給は同じ。
あまりのストレスに彼のシフトの時だけ胃薬を飲んで出かけるようになった。頭も痛かった。店の前に来るといつも吐き気がするようになった。
絶対にやってはいけない事だと分かっていながら「それ聞くの何回目?」という刺々しいセリフが口からでた。
彼は「僕ここの仕事向いてると思うんですよね!ここの正社員になりたい!」と言い始める。休憩室のマダムが「何も仕事出来ないのに無理に決まってんだろ」という愚痴る。
絶対暴言なのに、悪口なのに、どちらかに同意するとしたら後者になってしまう自分がいた。
彼が憎い。
言った事すらやらない彼が憎い。
自分の足を引っ張るだけの数時間で同じ時給を得ている彼が憎い。
また胃薬をもらいに行かなければ、治療費がかさむので彼が憎い。
お前のせいで。
……
で、
ここからが本題。
自分にとって幸いだったのは、ある時この彼への深い憎しみの感情の矛先を別のところへ変えることが出来たことだった。
明らかに彼の挙動がおかしいのにすべてのフォローをパートアルバイトに丸投げする態勢。
そもそもたかがバイトに荷が重すぎる仕事を押し付けるんじゃない。
憎しみの総量は変わらない。でもそう思った途端彼へに向く憎しみ自体は分散され、軽減されるのが分かった。
彼はいつもと同じようにとても遅く・ロボット的に・間違えながら仕事をして、その遅れを自分に押し付けたが、「こいつを自分に任せきりにするこの会社がクソ」という思考に切り替わったので、以前ほど憎らしくはなかった。
よし辞めよう。
辞めた。
私の日常から彼が消えた。同じ町には住んでいたはずだがそれから彼と二度と会うことはなかった。
彼と職場によってすり減った精神状態はみるみるうちに回復し、春に新卒で就職した。人事と社員が密接で、評価システムがキッチリしている所を選んだ。
旧職場については主戦力の一人だった事もあり、私が辞めた後上司に当たるチームリーダー(聖人)の負担が増えた事だけが心配だった。
辞めて半年後、久々にあの店に行くと店員は知らない顔だらけだった。こんな入れ替わりの激しい店じゃなかったはずだった。件の彼は(シフトじゃなかったのか辞めたのかは定かではないが)その時はいなかった。
「今までは全然新人探してくれなかったのに、あなたが辞めた後店長が沢山人を雇ってくれたの。楽になったけどあなたが仕切ってくれないとなんだか締まらないわね。」
チームリーダーは言った。
……
【最後に】
自分が辞めたら職場が回らなくなる・良い人たちにまで自分の分の負担が等の心配もあると思いますが、
そうしたら新人を雇うし、1人で補えないなら数を雇うようなので問題ないと思います。
そんな事より逃げた方がいいと思います。
傷つけたと思います。ごめんなさい。
でも現実実際にこうなってみて本当にしんどくて、「人として優しくするべき」という正義感だけではどうにもなりませんでした。
noteの筆者さんの事も差別主義者とどうか言ってやらないでください。
自分の場合の小売店、noteの場合の飲食店など、客商売は臨機応変さが求められるのでこういう事になりやすいんじゃないかと思います。こうなると本人も苛められるし周りも病むし、誰も幸せになりません。
なので「適材適所」にはちょっとだけ、協力してもらいたいです。
自分の所にいた彼も単純作業はやたら得意だったので、工場とかにいたらきっとスーパースターになったと思います。
勿論行政や企業がこの「適材適所」への支援をするべきだし、そもそも採用担当者が適材を見る目があればこんなことにはならないので、当事者の方に責任を押し付けるものではないのですが。
でもちょっとだけでいいので、協力してもらいたいです。
ロールキュー実装でやっとマトモな編成でできる!と喜んだのもつかの間。
マッチ時間があまりにも長すぎて人口が減っているのではないかと感じることが多い。
というのも、サポートを選んでも5分以上待機することがザラにあるからだ。始まったばかりのころはそんなに待つことはなかった。
タンクでキューを入れている人もザリア専みたいな人が多い印象を受ける。ザリア取られたからしゃーなしでホッグです、みたいな感じ。メインタンク不在で始まることも少なくない。
今まではメインタンクがいる試合でも、実はその人がメインタンクをやりたいわけではなく編成上仕方なく選ぶような、空気を読める人がそれなりの数居たものと思われる。
希望制になればそんな聖人でもメインタンクからは解放されてしまう。
結果、タンクにキューを入れているのは「メインタンクは絶対やらんけどサブタンクならするぞ」というような人の割合が増える。
救済案的にシグマが登場したものの、もともとメタになりそうだったメイやリーパー、シグマの登場によって完全に定着したシンメトラなど、天敵が跋扈している状況ではシグマ一本では厳しいが、変える先の候補であるハルトもオリーサも嫌だということで結局シグマで押し通すものの、ウルトタンクになって終わり。結果戦線が維持できずつまらない試合をすることになる。
で、タンクがきつすぎるからタンクメインの人たちも逃げ出してしまう。
逃げ出す先はダメージやサポート。とは限らない。別ゲーに行く人も多いだろう。
ボックスやダストで釣ろうとしているが、正直タンクを選ぶ動機にはなりえない。
それくらいダメージが強くてタンクがきつすぎる。手厚くヒールが入っても一瞬で体力が溶ける現状では、ほんとうに盾を張って耐えるだけの存在だ。そんなことやりたいマゾが多数居るはずがない。
いやまあそれがメインタンクであろうがゲーム性的に○○専がクソなのは言うまでもない。キューを入れるロールの8割くらいのキャラは使えないと話にならんと個人的には思っているが。
そもそもの待機時間が長いダメージロールをデュオでやるにあたって二人で埋めようなんて発想が出てくる時点で相当なものであるが、それを実行するのがヤバイ。
なので複数でPTを組む時にDPS枠を二つとも空けると、そんなキチガイデュオを高確率で引くことになる。
実体験として言うが、DPSのデュオは本当にやばい。キャラセレじゃんけんもするつもりがないのに味方に文句ばかり言うようなやつばかりだ。そんなやつと頻繁にあたれば当然、サポートの友達のためならと盾を持ってくれるような聖者も嫌気がさす。
悪貨が良貨を駆逐する、というやつだ。
えてして悪貨というのは知能が低い。そして知能指数が低い人間は一つのことに固執しがちだ。頭の悪い人間ほど娯楽の選択肢が少なく、ギャンブルにはまりやすいという研究結果も存在したはずだ。
(読んだ記憶があるが見つけられなかった。個人のブログで信憑性に疑義がある上に主旨が異なるが一応残しておく。 「言語性知能が標準偏差分低くなるごとに、ギャンブル問題のリスクが2倍になるhttps://higeoyaji.at.webry.info/201803/article_2.html」)
周りの人間にも「もっとまともになったら(まともな人間とマッチングするようになったら/まともなマッチング時間で遊べるようになったら)またやろうと思う」といって離れた人が多く見られる。これによって過疎化が進むし、まともじゃない人間の方が残りがちなので、まともなマッチングが望みづらくなっていく。悪循環が発生している。
この解決策をいくつかブリザードに提案したが、おそらく採用されないだろうし、忘備のために残しておこうと思う。
・BANの仕様を変える
現在の10分程度、ライバルプレイを選べないBANは全く意味がない。
わざとトロール行為を行うような人間は、アカウントを複数持っているからだ。
アカウントロックを解除するために、反省文を提出しないといけないとか、bot撃ちを数時間しないといけないとか、とにかく面倒な手続きが必要である方が良いだろう。
(IPBANは有効な手段であるが、中国や韓国がネットカフェ主体であることを考えるとなかなか難しいのかもしれない。)
・モデレーターを設定する
現在、通報システムをどのように処理しているかはわからないが、通報件数の多いプレイヤーに対し対応するスタイルであると推測している。嫌がらせや、主観的な感情による通報が多すぎるだろうから仕方がないと言えるが、それでは通報件数が増えるまで多くのプレイヤーに不快な思いをさせることになる。
プレイヤー本人に知らせる必要はないだろうが、精度の高い通報を行う人を選定し、その人の通報に対して優先的に、迅速に対応するような体制があっても良いのではないか。
聖人の仲間入りもできる
子どもの泣き声はうるさいから公共の場ではなんとかして止めろ、でも公共の場で子ども叱りつけるのは子どもが可哀想だから優しく諭せ。
こういうご意見をお持ちの方、仮に子育てしたこと無いとしても想像力足りなさすぎん???
知り合いの子どもを1回2回あやした程度の経験で「泣いてる子どもなんてちょっとあやせば泣き止む」と本気で思ってる方、こちらがどんな状況に置かれていようと容赦なく泣き出す子どもと一対一で24時間365日過ごしてもそう言えるか???
「人に見られてるところで子どもを叱るなんて」って奴、人が多いところでなら叱られないって覚えた子どもは、外出時や親の見てないところでばかり悪さするように育つよ。
てか子どもだってあくまで人間であって、いつまでも天使じゃないから。
幼い子どもだからといって、みんながみんな純粋な心しか持っていない訳無いだろ。
「分かんなかったんだもんね。次からはやらないようにしようね。」なんて毎回言ってらんないから。それで毎回収めてたら、純粋で何もわからないフリをして悪事をしでかすようになるよ。
子どもは悪意を持った行動もできるし、嘘だってつけるよ。子どもとしての特権に気づけば、それを利用するようにもなる。
背景をかく大変さも分からず無償で描いてくれて当然、なんで描いてくれないのみたいな態度だから「あなたのわがままはこれくらいの報酬があってしかるべきくらいのものなんですよ」と皆指摘しているのでは
女性向けだと報酬は献本とか菓子折りだが、それでもかなり親密な関係か、あるいは双方非常に誠意ある人柄でない限り、背景まで着手できるものではない。正直菓子折りくらいでただ相互フォローしてる人のために背景描くとか聖人レベル。
文面見てても絵師に対して全く誠意を感じないし普段からそういう態度だったのなら、尚更絵師も対価以上のものを越えて絵を描こうなんて思わない。指定はしないのに出来上がったものに勝手に手を加える、指定はしないのに不満だけは一丁前に感じる。同人なのに、指定をするという最低限の対価も払ってないのに高望みしすぎなんですよこ人。