はてなキーワード: 看破とは
自分の溜飲を下げるためだけに子供の世話もせず妻の悪口をネットに書き散らし妻にも高圧的な態度で接する
別にワクチンは必要分の調達の予定があり、いずれ打てるのは分かっているのだから高々1週間2週間ずれたところで激怒する必要があるのか?あるわけがない
そもそも大企業勤めなら職域接種で家族分も確保できてるのにそれができなかったのはお前が怠惰に人生を過ごしてきたからだよな?
奥さんがお前の意見を尊重しないのもお前の日々の行いから学習してるからだ、どうせ「有休を取って子供の世話をする」なんてのが嘘っぱちだと看破されてるのだろうし
おそらく自分のパート仕事についても軽んじられてるのが分かってるのだろう
そもそも嫁がパートに出なくては行けない点からもお前が十分な稼ぎを確保できていないのは明白だしな、だからこそ「仕事を休んではいけない」という強迫観念に囚われてるわけだ
■anond:20210702192418言及先エントリを開く
トイアンナがフェミニストだったことってあったっけ?というのが私の感想で、初期の彼女のブログやコラムを時々読んでいたけど当時はフェミニストを自称してなかったような。
むしろ彼女が積極的にフェミニストを自称するようになったのって、フェミニスト叩きをするようになってからじゃないかな。
本当か嘘か知らないけど有名な保守論客の中に「僕は若い時に左翼活動をやっていただけに左翼がいかに世の中にとって有害か体験から知ってるんです」と言う人がいたけど、それと似たスタンスを取る狙いじゃない?
フェミニストだからこそフェミニズム自体の問題点を理解しているという体で語れるから。
なんだけど、自称するだけで基本的な知識も抑えずに批判するものだからすぐ看破されちゃう。
まあ、彼女のお客様の反フェミにだけ向いてその人たちの喜びそうなことを並べてるだけだから最初からフェミニズムを学ぶ気もないんだろうけど。
私から見れば彼女が反フェミニズムに立つことは意外なこととは思えず、例えば彼女の著書『恋愛障害』では浮気やモラハラなど恋愛における男性の加害あるあるを並べつつ、どちらかと言えば加害者サイドに寄り添い加害の原因の一つである女性蔑視的な価値観を彼女自身が内在化しているように思えた。
フェミニスト=男叩きを目的とする人々と誤解しているうちはフェミニズムへの理解の入り口にも立てないと思う。
ナオミ・オルダーマンの『パワー』が世界中のフェミニストに受け入れられたのは暴力が先天的な性差による物ではなくパワーバランスという構造的な問題から生じることを理解しているからだ。
フェミニズムが女を殺す
はてブでこのnoteが話題になりましたね。
同性としての意見を寄せようと思います。
私はフェミニストでした。noteの筆者と同様に20代の頃まではという補足が付きますが。
しかし私はフェミニズムの功績を否定することはありません。
フェミニズムは確かに日本社会へ巣食っていた男尊女卑や家父長制のような価値観を否定しました。
それらの否定が公正であると日本社会へ広め、内心は自由でありますので内心は様々でしょうが、男尊女卑や家父長制の否定へ不支持の姿勢を表立って示すことは良くないことであるという考えを現代日本社会へ確かに根付かせたのです。
それは日本国の制度として男女共同参画社会を実行へ移そうという段まで到達したのですから、これは日本の歴史へ刻むべきフェミニズムの功績であり、男女双方がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持たなければならないと私は思います。
男性がではございません、女性がではございません、男女双方が、何なら男女によらず日本全国民がフェミニズムのこの功績へ対して敬意を持つべきだということです。
しかし、前述のnoteで触れられている通り一部のフェミニストは暴走とも取れるような動きをしてしまっています。
私は40代の就職氷河期世代で就職に苦心した世代ですが、今の10代〜30代の方々はサブカルが非常に身近で「宇崎ちゃん騒動」はフェミニストたちへ非常にモヤモヤした感情を持ったと思います。
特に私は40代ですので「オタク」へどのような扱いを社会がしていたのか知っていますし、今の30代の方々が疎まれても折れないで熱心な創作活動を続けて「オタク」を社会へ受け入れさせた、というよりかは「オタク」を「当たり前」にまで持っていったのは驚くべきことであります。
「宮崎勤事件」は「オタクを日本社会から排除することは公正であると誤認」されてしまうほど社会へインパクトがあり、それを今の30代の方々はひっくり返したのです。
「オタク」を当たり前にした30代の後ろ姿を見て育った今の10代や20代の方々からすると「宇崎ちゃん騒動」は受け入れがたいフェミニストの暴走であるように映ったはずです。
日本社会はこれまでの反動からフェミニズムの主張を真に受けすぎている傾向が徐々に現れ始めています。
フェミニズムは日本社会へ対して大きなインパクトを示しました。だからこそ一部の過激な主張をあたかも公正であると誤認させることが増えてきているのです。
私は若い頃、田嶋陽子先生のファンであり、田嶋先生の活動や主張を多く目にし、そして支持していました。
TVタックルで男ども(田嶋節)へ食って掛かり鼻で笑われても諦めない田嶋先生は爽快で、そして田嶋先生と共になったつもりでなぜ理解しないんだ!とTVへ向かって一緒に怒っていました。
この思いは就職する時期となったとき更に強くなりました。何社にも断られ続け、同級の男性たちはどんどん就職していくのですから悔しさと情けなさで胸が一杯になったのです。
結局私の新卒入社は派遣会社へ勤めるしか無く、派遣先で正社員登用を目指しながら働きました。
そしてその2年後、晴れて私は正社員となりました。
運が味方した部分もあります。私の直属の上司はいわゆるバリキャリな女性で正社員登用を目指す私を応援してくれたのでした。
私は正社員になった後に結婚と幾度かの出産を経験しました。
出産育児休暇を取得し、一時的にであれ家事育児などを中心とした生活を行ったのです。
そこで見えてきたのは現在のフェミニズムは家事育児の現実を見ておらず、理想論しか語っていないという事実です。
フェミニズムの主張はこうです。
「夫の協力があれば家事育児は楽になる」
家事育児を経験した女性へ問いたい。本当に夫の協力があれば家事育児は楽になると思いますか?
家事育児を経験した私は楽になることはないと断言します。
そもそも夫はフルタイムで働いていて家に居ないのです。
もし育児が一段落し、フェミニズムが言うところの女性の社会進出で妻もまたフルタイムで働らけば夫婦双方が家へ居ないことになります。
夫婦双方が労働して帰宅したあとにする家事が夫婦双方の協力があると楽になると思いますか?
そんなわけないでしょう。
フェミニズムは妻へ家事育児を投げっぱなしにする夫という藁人形を用意して夫の家事育児参加が足りないと主張しますが、夫が完全無欠に家事育児へ参加したとしても、労働した後なんですから家事育児が楽だなんてことは絶対に無いんです。断言します絶対に有り得ません。
何なら私の夫は料理人で、私よりも調理に関しては圧倒的に上手く手早く美味しいので家庭内調理の8割は夫が担当してくれていますし、子煩悩な夫なので育児参加はPTA役員を率先的にやってしまうほどですが、ここまで夫が協力して居てくれても働きながらする家事育児を私は快適に行えていません。
日々の掃除や、夫の手が空いていない時にする子供の送り迎え、洗濯、買い物、町内会の催しetc...まったくもって楽になってないんですよ。
フェミニズムは家事育児の煩雑さへの回答として用意しているのは夫のみ、まるで夫が家事育児の万能薬かのように言っているのです。
私はこのことを尊敬する上司へ質問しました。
すると上司は「あれ?確かにフェミニズムは夫を家事育児の万能薬と思ってるフシがあるね。私も今まで気付かなかった。上手く言えないけどこれフェミニズム的じゃないね」と返してきました。
大先輩ですらこうです。上手く言えないんです。家事育児へ対してフェミニズムにはどうやら欠陥があるけれども、それが何なのかよくわからないんです。
私があまりにも悩んでいるかのように見えたのか上司は後日私へ「ちょっと考えてみたんだけど」と色々と考えてくれていました。
そしてこう続けます「認めがたい事実だけどフェミニズムは男性社会資本を女性が活用するための思想で、女性社会資本については活用しようとすら思っていないんじゃないかな」と。
突然出てきた小難しい言い回しに私は困ってしまいましたが上司が語ってくれたことを要約すると下記のとおりです。
上司の話を聞いて私は目から鱗が落ちる思いだった。
上司はバリキャリで結婚もせず子供ももちろん居ない。
それなのに私が悩んでいるだろうと自分には関係ないことなのにしっかりと考えてくれて、しかも今のフェミニズムの悪い部分を指摘しました。フェミニズムを体現するような方なのに私は感動しきりです。
フェミニズムが持つ家事育児への欠陥を、何なのかわからない答えを上司は言葉にしてくれたのです。
現代のフェミニズムは女を救う、ただし男性社会へ進出した女に限ると看破し、修正しようと言ってくれました。
男に負けじと働く女性も。専業主婦になりたいなと思う女性も上司の考えは全く否定しません。
フェミニズムを否定するような考えでもなく、むしろ女性社会という視点を加えてくれてフェミニズムをより発展できるような考えです。
現代のフェミニズムを修正し、男女によらずアナタの選択を尊重する次代のフェミニズムはこれであると私は確信します。私はここに真の男女共同参画社会を見ました。
私はもしかしたら現代のフェミニストから見るとフェミニストとはもう言えない思想を持ってしまっているかも知れません。
しかし私は再びフェミニストと名乗ります。新しいフェミニストだと。フェミニズムはすべての女を救う思想のはずで、私は専業主婦として家事育児を頑張る女性も救いたいですから。
モテるモテないは個人の問題であって社会的な「問題」ではないと思う。容姿とかは本人にはどうしようもないから自己責任とは言えないけど、お前がモテないのはお前の問題であって社会の問題じゃないでしょ。少なくとも俺は振られ経験しかなく告られ経験なんて漫画やアニメの中でしか味わったことがないけど、それを社会に訴えかけるべき「問題」とは思わない。
そらあおっしゃる通りだけど、
そもそもそういう話って女性の不平やフェミニストの主張に対するカウンター・バックラッシュとして始まったものだと思う。
だからそのヘンテコさは業界用語使うなら一種の「ミラーリング」なんじゃあないの?
ノータイムで「女性差別!」「政治を変えよう」ってくるじゃん。
いやいやいやいや。
統計的に、社会制度として、女性が不当な不利な境遇にあることが確認できた事柄について、それは改善しましょう。
って話ならばそれはよくわかるし賛成できるよ。
でも実装されてるフェミニストってそんな建設的でクールな話をする人じゃないですよね?
それこそ自分の個人的な恨み辛みや妄想をフェミニズムでございってパッケージにして
キモオタとか童貞とかおっさんとか弱そうな男狙って殴りつけようとかそういうのを沢山見せられてるじゃん。
twitterの自称フェミニストの話もそういうボンクラな話ばっかりでしょ?
自分の人生で嫌な思いをしたことを凄く拡大してなるべく広範囲巻き込もうとする、
あわよくば男全員を八つ当たりで殴ろうとする。
男全員が人格的になっとんらんとか日本はダメな国とかそういう感情的で人格的なダメ出しと否定をしてくるじゃん。
自分が育てた恨みつらみを八つ当たりでぶつけて嫌な気持ちにさせようとしてるだけですよね?
合理的な社会制度改革と女性差別解消の議論ならなんにも反対しないよ。
きれいごととして差別反対弱者救済って言いながら弱そうな男は見下してるし死ねって思ってるのが漏れ漏れ。
そういう行儀の悪さや欺瞞に対して、カウンターとしての弱者男性論なんじゃないの?
自分にはあれってフェミニストを難じるためのストーリーな気がするんだけどな。
本当の弱者男性ってネットでバカなフェミニストをつっついて遊ぶような能力や知識や関心がないと思う。
「個人の感情を社会問題のように言うな」とか「テメエの不平を関係ない人に聞かせるな」っていうのはその通りだよ。
でもそれフェミニストに向かっても全く同じツッコミが成立するよな?
繰り返しだけど、あんたのツッコミ自体は正しい。全く賛同する。
でもな、フェミニストのスローガンは「個人的なことは政治的なこと。」だぜ。
そういう意味不明で低知能なお題目の積み上げに対するカウンターとして弱者男性論てのがあるんじゃないの?
「お前等のやってることを客観的に見る機会を与えましょう」っていう。
女性が上昇婚するのはどう考えても個人の自由。男性が若い女性や見目麗しい女性を選びがちなのと一緒。他人がとやかく言ったり矯正させようとするような話ではない。そもそも根本的にカネは再配分できるが女は再配分できない。当たり前。
これも上と同じで、基本的にはフェミニストの主張に対するおかしさの指摘だったと思うんだよね。
たとえばちょっと前のもっと野放図なミサンドリーが大手振ってた時代は
そういうバブル残滓とフェミニズムが悪魔合体したような発言が跋扈してた。
それ見て反発した人達はとうぜん
「あなた達がそういう無茶苦茶な傲慢な条件を出すから結婚できないんじゃないの?」とか言い返すでしょ。
増田は「男性が若い女性や見目麗しい女性を選びがち」であることを批判しないんだろうけど
「同じやんけ」って言うツッコミじゃあないの?
「男が若くておっぱい大きいメスを好むのも女が収入の多いパワフルで理解のあるオスを好むのも同じでしょ」と。
それでフェミニストという人達は自称としては男性社会だの家父長制社会だのに対抗する建前で
男性個人の選好や価値観にも常に「男性社会的なもの」「動物的なもの」を見出しては槍玉に挙げてアップデートを叫ぶくせに
女性については「男性社会的な勝ち組」や「パワフルなオス」を好むような個人的選好・価値観を批判しないよねと。
ガバガバじゃんと。
建前の通りなら金持ってない頼りにならない男と結婚するように「アップデート」なさったらいいんじゃない?
でもそうはしないよねっていう。
「自分の動物的な欲望には居直る癖に、社会に対してきれいごとを言ったり男性にだけアップデート迫ったりするのはアンフェア」って言ってんじゃないの?
一部に本気で金持ち女性との結婚を夢見る逆玉志向くんもいるのかもしれんけど。
そこまで夢見てないんじゃないのあの人たち。
あの人達こそ真っ先に「アップデート」が欺瞞であることを看破してるんだからさ。
フェミニストの人が男と言い合いになって二言目か三言目には
「童貞」とか「こんな奴はどうせもてない~」とかいう発言が飛び出すのを何度見たことか。
これはネットフェミニストだけじゃなくて上野千鶴子先生のような界隈で尊敬を集める大物もこういう姿勢を垣間見せてますよね。
どうしてもセックスがしたい? それなら風俗行けばいいと思う。お金さえ払えばセックスできると思うよ。風俗に行くカネがない? 政府に怒れ。雇用者を糾弾しろ。最賃アップを勝ち取るんだ。少なくとも俺は衆院選の比例区と地方選挙ではなるべく共産党に入れることにしてるぞ。憲法とか他の面では意見が違うけど少なくとも労働問題に関してはガチで俺たちの味方だからな。
弱者男性論てそんなこと言ってるかなあ。
風俗どころか。アニメ絵の女の子のポスター見ただけで「気持ち悪いオタクがシコってそう」というクオリアを得て
社会的に排除せんと乗り出すようなすっげーくだらねー活動を熱心にやるような人達ですよ。
はっきり言ってあいつらは「可哀想な女性を助ける」という本願すら怪しいと思う。
君みたいなやつが風俗へいくこともキモオタコンテンツでおシコリあそばすことについても
フェミニストは本当はそんな権利取り上げて取り締まりたいと思ってるよ。
フェミが憎いのはわかる(俺も献血よく行くマンなのであいつらは大嫌いだ)けど、だからと言って
ここまで色々言っておいてなんだけど自分はフェミは全然憎くない。
献血のポスターも気持ちわりい絵だしどうでもいいと思ってるんだ。
その程度の思考の浅さで「頭捻ってくれ」とか言ってるの見ると途端に「は?死ね」って思うんだ。
フェミニストだって同じで、本来の「女性差別反対」「社会制度改革」までなら素晴らしいことさ。
弱い頭の中では理想も理念もまとまらないから、自分と社会の区別もつかないし
ネットで八つ当たりやミサンドリー撒き散らすことが立派なフェミニズムだということになって発狂が止まらないんだ。
「一人一派」とかいうバカ御免状を発行したせいでバカが集まる思想になったんだよ。
お前についてもだぞ。
そもそもお前の自称する境遇ってお前が重度身体障碍者でもない限り頭捻ってねえ証拠なんだよ。
今の日本社会で雇止め寸前の非正規なんかやってる奴が人様に「頭を捻れ」てw
笑わすな。
「自分の目の丸太を放置して兄弟の目のおがくずを取ろうとするもの」
とdisっている。
弱者男性論が単独で存在してたら自分はもうそいつらを死ぬまでシバキ上げてるけど
先行するフェミニストに対するツッコミとして仮に言ってるものとして理解してるから今のところは許してるわけ。
想像してみてくれよ。
もういちいち女性差別反対とかなんとか差別反対とか言う必要も無いんだ。
バカじゃなきゃそんなことやらねえしさ。
フェミニストも弱者男性論もお前も、バカのくせに社会にモノ申してるだろ?
お前等自身が腐海の瘴気そのものなのにそれぞれ口々に「腐海が問題だ!」って言ってるんだ。この粘菌が。
リベラルの今の問題ってバカがリベラルやるようになったって言うことに尽きると思うな。お前らの脳では無理なんだということを理解してほしい···。
お前が勝手に頭の中で思い込んでいる「プロっぽいルール」にすぎんのじゃないか? 俺は単に「慣例」と書いた。
だが伝統的な芸能の分野では、世界的にも区別をつけないことのほうが多いんだが?
アダルト表現を愚弄し陰気な隠すべきものとして扱うのはむしろガラパゴス的な感覚なのではないか?
もちろん作品個々のゾーニングとしてはあるべきだが、表現者としては恥じたり隠したりするべきことではないとは思わないのか?
そういう思想性をもってあえて慣習に従わないでいるという気高さを秘めている人かもしれないということを考慮する程度にはデフォルトで他人に対する敬意を払ってもいいのではないか?
書き逃げしているようだが、何が「よく調教されているなあ」だ?
俺は元増田が言っていた声優のことなど微塵も知らん。ゆりしー?だとか看破している人がいるようだが悪いがまったく存じ上げん。俺はデフォルトであらゆる他人に対して敬意を払う考え方をすべきじゃないか?つまりお前は他人を馬鹿にしすぎなんじゃないか?という話をしている。
いやー、君こそずれまくってて笑えるんだけど。
まずさ、
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
ここの部分を見て感情表現なんて一言も書かれてないですよ。元増田の主張は基本的にオタクがその他のサブカルチャーを容認してこなかった、と延々と繰り返してるだけ。元増田の趣旨を読み取れず、ズレまくってんのはあんただ。
ほかも極めて馬鹿なので突っ込んおいてやるか
どこがやねん。アクタージュですら涙袋という表現上エグい部分をあえて描いて表情を作ろうとしている。
変顔と言われても萌キャラの顔をゲス顔にして過剰演出することだってある。
言われないと気づかないのかもしれないが、改めて考えてみるとおかしいよね?
唇は萌えキャラと萌えキャラじゃないキャラを見分けるポイントの一つだ。
萌えキャラじゃないキャラは完全な唇ではないにしろ「下唇の位置を特定させる影」のようなものがある。
西洋では口が重視され、東洋では目が重視されるとはよく言われることだ。
そのことを踏まえた上で萌えキャラを見れば唇がないことの異質感にはすぐ気づくはずだ。
何が言いたいの?
お前の主張はキャラに感情がないだのあるだのうんたらでしょ(そして指摘自体が的外れ)。
なんで口だけが感情なの? なぜそんなに深堀りしてない状態で萌えキャラを論じられるの?
お粗末だよあんまりにも。個人的な意見だけど表情筋で最も豊かな部分は眉間と目尻です。
口で判断するところから出羽守そのものというか。まあこれは印象だけど。
この程度も看破できないのなら口挟むのはやめといたほうがいいよ。
暗い場所、なんか精神世界みたいな場所で誰かと誰かが邂逅するシーンが好き。以下、ネタバレを含みつつそれらのシーンを解説していく。
エヴァの最終話近辺も似たような感じのシーンあるけど、あの辺は演出としてかっちりし過ぎているのでそこまで好きではない。
物語終盤において、主人公兄弟である高倉冠葉と高倉晶馬は、真っ暗な空間において隣り合う二つの独房にそれぞれ入れられている。飲み水も食べ物も見当たらないその場所で、二人は飢えていく。なお、二人の姿は物語中の青年の姿ではなく幼少期の頃の姿を取っており、したがってこのシーンが、現実ではない抽象化された世界の出来事であることが示唆されている。
お互いに独房から励まし合いつつも、飢えてかつえていく二人であったが、やがて兄である冠葉が叫ぶ。
「あった!」と。
「何が?」と晶馬が疲れ切った声で問うと、冠葉は「林檎があった。今まで気付かなかったけれど、独房の隅に落ちてた」と晶馬に伝える。「晶馬の方にも落ちているかもしれない、探してみろよ!」
暫くの間晶馬は林檎を自分の独房で探すものの、そこに林檎はない。やがて諦めを含んだ声で晶馬は言う。「僕の方には無かったよ。おめでとう、冠葉は選ばれたんだ」
この「林檎」はこの場合、「両親からの愛情」のメタファーである。晶馬は幼少期において様々な事情により、母性的愛情が欠落した生活を送っていたのである。冠葉はその乾き切った晶馬の言葉に愕然とするのだけれど、自らの手で林檎を二つに断ち割り、そしてその一方を、独房の鉄格子越しに、晶馬の方へと差し出すのであった。
先程、愛情の例えになっていると説明した林檎であるが、同時にこの林檎は、旧約聖書における「善と悪の知識の実」のメタファーにもなっている。
ピングドラムにおけるキャッチコピーは複数あり、その内の一つが「僕の愛も、君の罰も、すべて分け合うんだ」である。愛と罪を共有する、というテーマが、この暗闇のシーンにおいては描かれているのである。
「『列車』はまた来るさ」
飼い猫「レノン」の後を追って、寮が併設されている学校の敷地内を走る主人公。その主人公の目の前に、幼い頃の主人公の心の支えとなり、今もなお親友として日常を共有する棗恭介が現れる。夜の暗い中庭において、恭介はレノンを腕に抱えていた。これまで、レノンは度々メッセンジャーとして主人公を翻弄していた。その尻尾に結び付けられた何者かのメッセージが、時に主人公を誘ない、時には誰も知りようのない個人的な秘密を示唆しもしたのである。
そしてその夜、いつものように主人公の理樹を誘なったレノンが最終的に辿り着いたのは、親友である恭介の元へであった。それを追ってやって来た理樹は、これまでレノンを介して自身にメッセージを与え、様々な示唆を与えてきた人物が恭介だったことを悟るのである。恭介はこれまで理樹に対して、「この世界には秘密がある」とレノンを介して度々伝えてきた。そのメッセージを目にした理樹は半信半疑ながらも、示唆に従い様々な問題の解決などを手伝う羽目となっていたのである。
全ては恭介の悪戯であったと悟った理樹は、「結局世界の秘密とは何だったのか」と冗談めかして尋ねるのだが、「世界の秘密は本当にあるんだ」という思いもしなかった答えに直面する。
「それは形而上学的に存在していたとされる世界のことか何かなの?」「そんなものは存在しないよ。この世界には秘密なんてない」そう困惑しながら言葉を返す理樹に対して、恭介は笑いながら身を翻し、闇の中へと消えていく。結論から言うと、恭介の言った言葉は本当であった。彼の言う世界の秘密とは、恭介を含めた理樹の友人の一切は全て故人だったというものである。その事実に直面することで、主人公が精神的に廃人となってしまうことを避けるために、超自然的な力を用いて恭介は理樹に対して幻影を見せ続けていたのだ。
原作版ワンパンマン第106話、類稀なるエスパーとしての才能を見出され、施設に半ば幽閉されることとなったタツマキは心の調子を崩し、超能力の発揮を躊躇するようになる。その結果研究員たちによって部屋に監禁されるタツマキであったが、やがて研究施設で飼育されていた実験動物の暴走事故が発生し、あわやタツマキもその犠牲になろうとしていた。
そんな時やって来たのが、後にヒーロー界を席巻することになる「ブラスト」である。ブラストは危なげなく暴走中の実験動物を抹殺すると、タツマキに対して自身が趣味でヒーロー活動をしていると告げる。普段は働いているのだけれど、これはあくまで趣味なのだと。
とは言えブラストの強さは圧倒的である。彼はタツマキに「何故能力を使わなかった?」と問いかける。当時十歳の幼児だったタツマキは、一時的に心身の不調で能力が使えなくなったと釈明するも、ブラストはその言葉が嘘であり、自身を根本的に人間扱いしてくれない施設の研究員に対する、自己主張の一環であることを看破していた。「今後の君のために一つだけ教えておくよ」
「いざという時に誰かが助けに来てくれると思ってはいけない」
ブラストはヒーローであり、誰かを助ける側の人間ではあるものの、自らが異常者であることを自覚していた。つまり普通ならば、人は人を助けなどしないのである。タツマキは幼いながらにその事実を突きつけられ、やがて自身も職業的ヒーローの道へと進むことを決意するようになる。誰も人を助けようとしないのであれば、自らが助ける側に回るしかないという事を彼女は悟ったのである。
他にもるろうに剣心追憶編の、剣心が巴を手に掛けるシーンで、巴の墓前の幻影を見る剣心のシーンとかも好き。
そのシーンに至るまでに、巴のこれまでの記憶が暗闇の中でリフレインするシーンとかもかなり好きである。
これらのシーンに限らず、「暗闇の中での邂逅」は多くの場合その作品におけるハイライトと直結している場合が多い。凝縮された幻影とも言うべき、強烈なシーンとして、これらの暗闇は描かれるのである。恐らく、これらのシーンを描く作家の、作家性の極地が、これらのシーンには反映されていると言っても過言ではないとも思われる。