一般論として、「反対するなら対案を出せ」という意見をよく聞く。
国会などの政治の世界でよく見るし、より身近なところで言えば、会社の会議とかでも聞く人は多いのではないだろうか。
そして、「意識が高いだけで自分の頭でちゃんと考えない人」は、この意見が説得力あるように見えるのだろう。これを金科玉条のように振りかざし、自分の意見に反対する人に対して「反対するなら対案を出せ」と主張する。これは一種のイデオロギーであり詭弁に近い。そして、日本の伸び悩み(衰退?)に繋がる本質的な問題だと思うので、以下2点で反論しておきたい。
社長が「最近売り上げが伸びていない。競合企業をなんとかしたい。ということで、競合企業の社長を事故に見せかけて殺害しようと思う」と言い出したらどうだろうか。
「バレた時にリスクが大きすぎる(当然、会社が潰れてしまう)」「言うまでもなく違法」
これに対して、「反対するならウチの業績を伸ばす対案を出せ!!!」と社長が逆ギレしたらどうだろう。残念ながら、社員は(社長と同レベルに)そこまで賢くないので、スジの良い対案は出せない。
ということで、粛々と競合会社の社長殺害計画が進むのであった・・・
みんなで 「+」に持って行こうとしている議論をしており、でもなかなか「+1」になるアイデアが出ない。そこに、(本人は「+1」だと思っているけれど)どう考えても「ー1」にしかならないアイデアを主張する人が現れたとする。それに対して対案が出せないからということで、全員でこりゃ無理だよなと分かっていながら「ー1」に向かう。。
アイデアを出す人が正義、ではありません。無能な働き者が組織にとって最悪の結果をもたらすわけで。明らかにダメなものは対案がなくてもダメと言っていいんです。
もちろん、反対するときはちゃんと根拠を説明すべきなのは大前提。
会議の場で、突然スジが悪いアイデアを発表しだす。反論した人に対して「対案を出せ!」と騒ぐ。ありますね、こういうこと。
でも、そんな発表をした人は、あらかじめ色々と調査して、時間を使って練りに練った案なわけです。当然、一瞬で思いついたアイデアなわけではない。
それに反対する人に対しては、今この一瞬で対案を出せ、というのはフェアではない。
反対のための反対みたいなことに終始して、全く建設的な意見を出さずに場を混乱するだけの人がいることも事実。そういう人に対して、「だったら対案を出してください」とあしらうのは効果的ではあります。
また、自分に対する戒めとして、「反対するなら対策を出そう」と肝に銘じることは(自分自身の成長に寄与するという点で)間違ってないし、自分も部下に対して、そうあれ、と言います。
ただ、すべてのケースにおいて「対案がないと反対してはいけない」というのは、絶対に間違っている。「何もやらない」よりも、「間違っていることが分かっていてもやった人が偉い」、というのは、非合理的にもほどがあるわけで。
何が間違ってるか、を合理的に説明できるならまだしも、 嫌嫌嫌でーす嫌だから嫌でーす。対案?説明?そんなもんしませんこの感情が正しい! こんなのを聞く価値あるか?
まあおまえみたいな低能って「合理的説明」を理解できるだけの脳みそ持ってないけどな
記事元の主です。 そうですね。反対するときはちゃんと合理的な説明をするべきでしょう。 もっとも、本当にゴミすぎる提案に固執、かつ、反対のファクトを用意するのもコストがか...
そんな話してる? してたとしても「対案を出せ」には繋がらんだろ。 普通に「理由を説明しろ」ならともかく。
議題にもよるよね。 その案は穴やデメリットが多すぎるから自分でそれを潰してから再提案しなさいね、という場合は穴やデメリットの指摘だけで事足りるので対案まではいらない。 た...