はてなキーワード: 民意とは
知財本部の会議がチャタムハウスルール(発言者の特定情報を伏せる)に変更〜色々、これ迄の”反省”を踏まえて?
https://togetter.com/li/1380758
https://comemo.nikkei.com/n/n576ff142d5f9
関連:海賊版ブロッキング、議論再開を=政府先送りに有識者意見
https://www.jiji.com/jc/article?k=2019072601135&g=pol
ブロッキングやDL違法化拡大については散々問題点が指摘され尽くしているので、ひとまず置いといて、やっぱり一般人に限らず、有識者の目から見てもこの場合のチャタムハウスルールは頭おかしいだろと言う意見が主流だよなあ。
チャタムハウスルール自体は必要な分野もあるので、否定はしないけど、この場合どう考えても一般人に限らず、有識者や権利者からも大反対食らった挙句、自民の部会でも凍結された事が原因だと言うのは明白だしな。
こんなもん要は民意を得られない出来レースをしようとしているから、反対意見や世間の批判が出るのうざいから、密室談合しますよと行動で言ってる様なものだからな。
どう考えても疚しい事をしているから隠そうとする心理からきている行動だし。
これじゃチャタムハウスルールと言う存在自体が印象悪くなるわ。
何ていうかもう知財本部一度解体した方が良いだろ、政府の会議であってもこんなの流石にふざけているわ。
これ総務省のアクセス警告方式の結末もあっての事かも知れない。
そもそもこの著作権のこの辺の話題に関してはその後に文化庁の賛成意見水増し等もあって、ただでさえ印象最悪なのにな。
幾ら政府主催の会議とは言え、こんな反民主主義的な行為はまともな議員から見ても印象悪いだろうに。
しかし言論や表現等を規制したがる奴ってこうして裏で進めたり、非公開にして内々だけで話を進めたがるのかねえ?
後それと
>一刻も早く議論を再開すべきだ
これ言い出したのカワンゴだろと割とどこでも言われているのは笑った。
どう考えてもそう思うよねえ。
少数の過激派に政治が左右される懸念があり、これは組織票自体が悪いというより、その過激さが社会に不利益を与えるというのが良くない
棄権する人の大半が、これは無い、と思っていても、投票していないので、そんな候補が当選してしまう可能性が高まる
これに対抗するために投票率を上げるべき、という話がある
”投票を棄権する人の割合が増えるほど、その人達の民意を反映した政治にならなくなる(可能性が高まる)。
やがて、大半の棄権した人たちの希望とは異なる政治が行われてしまう(可能性が高まる)”
現在はそんな状況からは程遠いほどの投票率なので、問題なさそう。
もっと投票率が0.001%とかになったら表面化する問題のような気がする。
どの程度投票率がさがると、どの程度民意(投票または棄権した人双方の民意を含む)と乖離した政治が行われるのか?
という定量的な議論が必要そうだけど、それはとても複雑だ・・・・
おそらく同じ市の同じ選挙で、他候補(現職)を応援していた(いわゆるカラス)してた増田です。
先の選挙、本当におつかれさまでした。
本文を頭から引用しながら、うちがどんな感じだったとか、雑感とか、を。
そんな仲間がいるんだ。さすが超社交スキルのある父だ。立候補者にとって選挙戦を手伝ってくれる人たちの支えなしではとてもじゃないができないだろう。それを手伝ってくれる仲間がいるのは、人徳に他ならない。
アナウンサー、ドライバー、事務所の留守番。仮に、各2人ずつ、朝から晩までで3交代だとしても、告示から投票日まで1週間で、延べ40人以上必要になる。
自分は、フリーランスなので比較的仕事に融通をきかせて手伝えた。現役を退いたおじいちゃんや、主婦の方達もいた。
けど、仕事を休んで手伝ってる人も多くいた。そういう人達を、ほぼ無償で集めなきゃいけない。(増田は、弁当と飲み物と手袋しかもらってない。)
かなりハードル高いよね。
「あんたよく帰ってきたね。もうお母さん疲れたよ。お父さんから必死のお願いがあって手伝いをしているけれど、お父さんが嫌われないようにゴミを捨てにいくにも誰かに会えば頭を下げて、会う人会う人すべての人に頭を下げてお願いしてる。選挙手伝ってくれてる人たちにも気を悪くしないように気を抜けないの。こんなことなら全力で反対すべきだったんだ。」
これもホントそう。候補者本人だけじゃなくて、家族の覚悟もめっちゃ要求される。
うちの候補の奥さんも、長年(文字通り、何年も)地域の様々なボランティアに積極的に参加していて、町のいろんなところでよく見かける。頭が下がります。
新人他候補さんが、投票日前日に、奥さんと一緒に、支援者に泣いて土下座してた。ってのも聞いたことある。これはキツい。
併設している幼稚園に隣の地区への統合による「閉園」が政策として突如として上がった。「待機児童がいる」にも関わらずだ。当然町の人々は「閉園」に賛成するものなどいなかったため「3000票」もの反対署名が集まった。すごい数である。どう考えても閉園に対して「民意」はなかったのに、議会では「賛成可決」となりわたしの母校に併設されていた幼稚園はあっけなく歴史の幕を閉じた。政治の闇というのは本当に恐ろしい。
我が家も共働きで、わが子を預ける為に「保育園」や「こども園の保育園児」枠に応募したけど、外れて途方に暮れた経験あり。
けど、「幼稚園」や「こども園の幼稚園児」枠は、比較的余ってるのでは?
市役所の公式サイトで、幼稚園の募集状況が確認できるけど、筆者さんが言及してる閉園された幼稚園は、
統合された後の幼稚園(正確には、統合後はこども園になったので、同園の幼稚園児枠)ですら、定員割れを起してる。
地元の愛着などは分かるけど、例え民意が募っても、現実として、子どもが集まらない幼稚園を閉園するのは、仕方がないことじゃないかなと。
市の財源も限られてるし。
「選挙」とは「絵空事の政策をのべる人」ではなく自分たちの声を真に届けてくれる人を、町のために本当にできることが何かを真剣に考えてくれる人を自分の目で慎重に選ぶべきなのだ。しかし今の選挙法では「真実」を見極めることは難しい点が相当にあるのも現実。
うちの候補に「立候補してなかったら、誰に投票します?」って聞いたら、少し笑いながら「投票したい人、あんまりいないなぁ。」って言われた。
どういう基準で言っているのか分からないけど、言うなれば、一番近くで市議さん達を見てきた人の言葉がこれだからね。
わが市政には、ろくな人材がいないなのか。それとも、選挙に出るような人は、やっぱ変わり者(うちの候補含む?)なのか。はたまた、皆が「政治の闇」に染まっているのか。
議会議員の立候補であれば、極限まで安く抑えれば70万円ほどに抑えられるのではないかといった予算感を持った。もちろんのことお金は使えれば使えるほど、広報にお金をかけることができるので100万円は最低かけたほうが良いというのがわたしの見解だ。
たしかに、新聞に折込広告出してる候補さんとかもいるからね(効果のほどは分からんけど)。
うちがいくらかかかったは、出納係ではなかったので、把握できなかったし、聞けなかった。
みんなが知りたいところだと思うけど、ごめんなさい。
うちの候補も、ネットは使ってないし、たしかに、周りもあんまり使ってない印象。
実際、うちの場合は、そこまでリソースが割けなかったってのもあると思う。
手伝ってくれてた人に、SNSとかが分かる人もそんなにいない感じだった。
ただ、他候補さんで、地域のお店にgoogleで星5つけまくってる人がいて、笑った。
選挙違反は程度によるけど、厳密に適用したら、多かれ少なかれ、ほぼ候補の皆さんアウトだと思う。
細かいので自分もそこまで詳しく理解しているわけじゃないけど、
公共物にポスターやのぼりつけてたり、マイク禁止の所でマイク使ってたり、認められてないビラ配ったりだとか。たくさん見かけました。
自分も、見せてもいいけど、渡してはいけないビラを使って話してたら、相手の方が持っていっちゃうことがあった。
父は社交性は抜群なのに人前で喋ることが「超」がつくほど苦手なため、自転車で市内を駆け回り、一人一人と話しながら回った。
一人一人と話す(&握手)というのは、実際は、結構効果があるから、これはそんなに悪くない手だと思う。
うちの候補も、道端に立って、いろんな人と話してた。知らない人からも、結構話しかけられたと言ってた。
ただ、自転車は危ないんだよね。
声援に応えながらで、よそ見とかしちゃうからね。小学生とか面白がって追いかけてきたりするし。
あと、「市内」ってのが、文字通り市内全域であったなら、もっと地元地域に密着してやった方がいいと思う。
うちの候補は、地元地域からほとんど出てない。選挙も、ランチェスター戦略が重要なんだと思う。
選挙カーはうるさい。それは候補者も市民もよくお分かりだろう。でもやらないわけにはいかないのだ。街宣カーでの選挙活動を嫌う候補者もいるが街宣カーを使わず独自の選挙法に走ると総じて当選率が低くなるデータがある。
選挙カー、うるさいよね。増田は、法律で禁止して欲しいと思ってるよ。
これ、候補の名前の浸透の為って言うけど、実際は、支援者の為なんだよね。
選挙カーが聞こえてくると、「○○候補、頑張ってるな。」って、一番分かりやすいからね。
車内からは、音量のほどがよく分からず、大き過ぎないか、冷や冷やしてアナウンスしてた。
けど、音量下げると、支援者からクレームが来るんだよね(^^;
「そもそも候補者との接点がない」というのが「誰に入れていいかわからない」という理由の1つになるだろう。ネットだけの情報では信用できるかなんてわからないし、そもそも仕事に疲れて関心が向かない。いかに候補者と市民の接点を作ることができるかを国として支えることができる仕組みが欲しいと思った。
「誰に入れていいかわからない」状態は、現職にとって有利な状態。
現職がルールを作っているのだから、現職有利になる流れを打破するのはなかなか難しいよね。
ただ、公開されてる市議会だよりを見ると、
この議案にだれが賛成して誰が反対したって、ちゃんと広報されてるからね。
市民側も、情報を拾いに行こうと思えば、それなりに拾えるとは思うよ。
ただ、少し話がそれるけど、
今回の市議選、現職で「議席削減」を訴えている人が何人かいたけど、
「あの人達、全然本気じゃないよ。口だけだよ。」って、うちの候補が言ってた。
まぁ、そりゃそうだよね。自分達の食い扶持だもんね。
「このままではまずい。敵対候補が応援演説に国会議員と県議会議員と市長を味方につけて行っている。うちらを潰す気だ。だけどうちは無所属だ。どこかの政党に属してしまうと政党の方針に従わなければならない。票を集めるには政党を味方につけた方がいいけど俺たちは自分たちの力で町を守りたい。悔しい。悔しいんだよ。だから明日からは演説で幼稚園問題の本質を話さないか?」
お父さんやその支援者さんは、もともと反市長でやってるんだろうから、相手は関係ないんじゃないかな。
政党候補が、同系列の県議や国会議員の応援を受けるのは、別に相手をつぶすとかじゃなく、普通のこと。
市民が困ってる声を、一番市民と接点が持てる、市議会議員が吸い上げ、市で対応できない部分は、県や国で対応するってのが政党の役割の一つだからね。
また逆に、他市や他県、都が独自でやった地域限定の政策や、上手くいった事例を、党を通じて、全国の県市町村に広めるってのもあるし。
例えば、うちの市は、UR団地の老朽化、高齢化、空室等が問題になってるけど、この問題を一市議会議員が、一人でどうにかするってのは、相当タフな仕事だと思うよ。
けど、政党を動かせば、国交大臣に直接訴えられるし、UR関係者とのミーティングも設定できるからね。(某大臣の例があるから、例えが悪かったかもだけど(^^;)
まぁ、うちの市議でずっとトップ当選してた方は、無所属ながらも、
新人時は、民主の推薦で当選して、いつの間にか自民に移って、気が付いたら県議になっちゃってたわけです。
たしかに、上手い人は、上手いんだけどね。
一方で、自民の国会議員が、選挙カーに乗って応援してた現職候補さんは、今回落ちてたけど。
夫と一緒に行う演説はいく先々で暖かい拍手が湧き上がっていた。涙をこらえるのに必死だった。こんなにも暖かい人たちがいる。応援してくれる人がいる。この時、1人の拍手が、声が、どれだけ重みがあるかを真に感じることができた。今でもこの文章を泣きながら書いている。
いやいや、無所属新人で、演説を聞いてくれる人が集まってくるっていうのは、それだけでも割とすごい。
もっと、早い段階で演説に力を入れていれば、また結果も違っていたと思います。マジで。
現職でも、どこの新人ロックバンドのライブだよ。って位に人が来ないことがあるからね。
来てるの関係者だけじゃんって(涙)
現職の演説は、実績を話すのが中心だから、報告してる風で、聞いててもつまんないのかもね。
結果は残念だったけど、無所属新人で、準備期間3ヵ月、手探りでの選挙活動で、900票ていうのは本当にすごい。
現職達は、半年以上前から準備してるからね。当選ラインの1200票、きちんと準備していれば、受かったと思います。
うちの候補も、皆から結構ダメ出しされてたし、文句も言われてた。
これから選挙戦に臨む方やお手伝いする方に知っておいてほしいのは「基本はボランティア」だということ。これは選挙上の規則でもある。これを理解せずにバイト代目当てで手伝いをすると「やってらんない」となる。手伝う側にもそれ相応の覚悟がいるのだ。
そう。手伝う方も、真剣だからね。言いたいことは言うって感じで。特に終盤になると、疲れもたまってくるし、皆ピリピリしてるよ。
うちの候補もそれが分かってるから、まぁ、大人の対応をしてたよね。候補も、めっちゃ疲れてるだろうにね。
正直、ここが一番共感した。
実際、普段はとても感じのいい人が、対立候補さんに対して、攻撃的になるのを見ると本当に悲しくなるんだよね。
政治って、全員に対して行っていくものだから、立場によって、意見が違う人が出てきてしまうのは、仕方ないんだけど、
理想を言えば、どうやって納得し合えるかを、探ることだと思うんだよね。
ある人が、「最高の勝ち方とは、相手を味方にすることだ。」って、言ってたんだけど、
最初から相手を攻撃的に捉えていたら、上手くいくわけないよなぁ。って。
人間が、お互いに分かり合いたいと思えるようには設計されてないの、何でだろうね。
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ちょっと調べてみたら、市議の中で、元の人が言及してた幼稚園に対し、廃園反対を訴えていた人が見つかった。
こういった市議さんを探して、連携していれば、廃園について、少しは市から譲歩が引き出せたかもしれないね。
もしかしたら、連携済みで、その過程で「政治の闇」を感じてしまい、自分達でやらなきゃダメだって、なったのかもしれないけど。
今は間接民主主義のために一定期間に一度の大がかりな選挙で代議士を送り出している。
昔は情報の伝達が遅かったり一部の人にしか伝わらなかったり、全国民に投票させるコストも馬鹿でかいので全国民の民意を中央に伝えるという意味でもそれはいいやり方だった。
しかし、それに党派性が加わったことで一つ一つの政治の問題、法案についてスタンスが違っていても、ある人を選ぶこと=その人が所属する党に全権を委任するという図式がなりたってしまっている。
おかしいでしょ、それは。
丸山議員みたいなことがあればすぐにでも別の議員に委任したいでしょ。
投票のネットにアクセスするインフラを全国民に提供し、法案毎に支持する政治家や党を選べるようにすると、政治家はより民意に沿った働きをするだろうし、今回の選挙のように「消費税増税に理解を得られた」なんて言われるようなことはなくなる。
一有権者として、満足に答弁できない人間に国を預けたいとは思わない。国会に障がい者を1人送り込む事に意味がある、とか詭弁。議員の仕事は存在して多様性を保つことじゃない筈。議員の半分を女性にしましょう、とかおかしいのと一緒。まあ、当選した以上それが民意と認めるしかないのだろうが、神輿に乗せられて国会に担ぎ込まれて滑稽だなあと。
自力で出来ることを出来る範囲でコツコツ積み上げて行って欲しい。無理ならやめて欲しい。安倍(は無能だから)やめろ、が許されるなら、障がい者(は役に立たないから)やめろ、も許されるよね?
今回というか最近の選挙ですげー思ったのが、自民も公明も野党も積極的に支持してない層(実質ほとんどこの層でしょ特に若年層)にとって、総花的なものではなく自分に身近なワンイシューを掲げる泡沫候補(政党)って受け皿として強いなってこと。
ただ、そのイシューが現在の政治・経済・外交に関するものであれば当然賛否もあるし、投票しない層も出てくる。
だから例えば「選挙の際の情報発信の方法を変えてみんなが納得して投票できる仕組みを作ります」みたいな、「そりゃそうだよね」的なワンイシューで行けばある程度の票は獲得できる気がした。
結局投票に行っても、名前を書かなきゃいけない候補が何を主張してるのかそもそも知らんし、結果が出ても与党は「増税の民意を得た」、野党は「増税反対の民意だ」って言って議席数がなんの民意を反映したものなのかってどうにでも言えちゃうのがずるい。
そんな自分に都合よく解釈して相手に文句言ったりする茶番劇に飽きてない?
だからこそ選挙がきっちりと、個人の意思(それがどんな理由でも構わないと思う)を反映した投票のうえで結果が出て、その結果が今後の政治のエビデンスになるような仕組みができたらいいのになーって切に思う。
何言いたいか自分でもよくわからないけど、政治の場で何をするかっていうより、政治の場自体がもっと変わればいいと思うのに、そこに対して話をしてる人っていないのかなー。
行くだけムダと思っちゃうのほんと分かる
選びかたを選ばれたやつが決めるって誰が決めたんだよ頭悪すぎだろ
選び方は選ばれるやつ全員で決めろよ
勝ってたやつが負けそうになって自分たちが勝つためだけに作った制度
それが今の選挙制度
もう二度とこの制度が変わることはない
なんせ小選挙区制がクソ
それで民意は示されたとか言ってる
4割しか支持してねぇんだよお前らのことは
野党統一候補もほんとクソ
お前はなんなんだと
改憲には賛成なのか反対なのか
憲法違反状態を解消したら党内から文句出るからってだけで作られた制度
それで減らすべき議員数増やしてる
比例代表は悪くない
参議院選挙が終わった。
選挙の在り方がどうであれ、今回の結果はどうであれ、これが今のところの民意だ。
ところで、
投票しなかった糞共は、この2週間何してやがったんだ?
・行く時間が無かった
何?それに行く時間も無かったって?そんなブラックな仕事してるんなら、何がなんでも投票して現状を変えようとする意思がひつようなんじゃないのか?ネットで遊んでる暇があるなら投票行けよ。
勉強しろ。選挙権与えられるほどのいい歳なんだから、字くらい読め。分からなかったらググれ。お前が住んでる国だろ。それくらいしたって損はしないよ。
・選挙に興味が無い
日本から出ていけ。国民の義務だろ?お前みたいな奴に1票やるくらいなら、外国人に投票権を与えた方が、日本にとってよっぽど有益だ。
・支持する政党が無い
皆そんなもんだろ。ある方が珍しいくらいだ。けど、自分が住んでる選挙区の候補者の広報やHPくらい見れば、字が読めれば理解出来るだろ。少しでも自分の考えに近い人や政党を選ぶくらいの努力はしろよ。
・今のままで不満が無いのでこのままでいい
最低な。今のままでこれから先も生活できる保証がどこにある?そのくせ消費増税とか待機児童問題とかにはケチつけるんだろ?行動してないくせにデカい口叩くんじゃねーよ。お前らこそ、徴兵令になったら真っ先に戦地へ赴け。
・投票した所で何も変わらない
愚の骨頂。今回の投票率がどれくらいかまだ知らないけど、例えば50%だったとして、行かなかった糞共が20%でも行けば、それだけで何百万もの票が動くんだぜ?お前らみたいな糞共が少しでも投票に行けば、多少は日本が動くんだよ。算数レベルの計算ですらわかる話だろ。
どっかの馬鹿が「20,30代が100%投票しても40代以上の~」とか言ってたけど、これマジでズレまくりなロジックな。
確かに、今の国会議員は本当にクソみたいな思考回路でしか動いてねーよ。「いやそれダメだろ」みたいな法案が通ったりするし、ゴミみたいな失言をしょっちゅう繰り返すし、世間の事なんて興味無いから何も知らないし。
でもな、それ選んでんの有権者だからな?投票行かない奴はそれすら放棄してるんだからな?国会議事堂の前で集まって叫んだって、無駄な努力だからな?だから糞芸能人や糞野党の糞野郎共が、ウンコたかる蝿の様に集まって来ただろ?
元増田です。
そうそう。投票に行ける天候だったら、体調だったら…etc。それででも結果は変わっちゃう。
例えばインフルエンザの大流行期に選挙があったら、とかもそうだし。そういうので結果投票率が下がり、そうすると固定票のある政党(要するに自公)が相対的に強くなるわけで。
今の選挙システムは民意を正確に反映してくれているのだろうか? と本当に思う。
つまり、体調や天気などの壁も乗り越えて、屋外に出て、投票所の人に会って、字を書いて投票行動をしなくては参加できないシステムに不備があると思う。
極論だけど、有権者の95パーセント以上の人が投票しないと選挙が成立しない(でも、いつどこにいてもなんらかの形で超お手軽に投票できる)ようになったら、全然違う世の中になると思う。だれも選びたくない人は白紙票でもいいから参加することってことで。
このルール改正はお金もかかりそうだし、最初は何度も選挙をやって政治に空白期間ができてしまいかねないし、そもそも自公に絶対に不利になるだろうから、国会での提案自体がたぶんありえないんだけどさ。
めんどくさい類の話をしよう。
例えば、教師や先輩といった立場の人間には敬意を見せ従わねばならない。
例えば、場の空気を乱してはならないし、郷に入りては郷に従わねばならない。
もうね、アホかと。馬鹿かと。
お前らな、そんな慣習如きで自分の人生を生きてんじゃねーよ、ボケが。
ちょっと考えれば分かる事だが、これアメリカっつーか先進国とは真逆だからな。
外から見れば分かるが、こんなもんは広義の洗脳でしかない。厳密にはマインドコントロールだ。
そりゃ欧米諸国やイスラム圏だって宗教なんつーマインドコントロールに従ってるが、それでも自由主義や道徳規範が大なり小なり機能してるだけマシだ。
それに引き換え日本は、なんだ?無宗教とか言いながら夏にはお盆に祭、冬にはクリスマスに正月。
よくそれで無宗教なんて言えたな……?ってくらい、1976年から日本人は「日本教」に染められてる。
その宗教規範が上述のソレなわけです。
日本教において神などの超常存在は存在しないと思わないといけない……ってのが不文律としてあるんですが。
これが無駄に強固だ。宗教において神の存在は絶対視されるのに、その肝心要の神が「まるで神そのものであるかのように」現実的には居ないものであるとされる。なのに居ると思ってる。
これ、なんか心当たりがないですかね?
「朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ」
上のを現代風に言うと「天皇と国民とは相互の信頼と敬愛とで結ばれてるもので、それは神話と伝承から生じるものではない。同時に『天皇は現人神!日本人は神の子孫!だから優れた日本が世界を支配すべきなのだ!』なんて架空の観念に基づく結びつきでもない」と言ってるわけですね。
これが「天皇は現人神ではない」と天皇自らが否定した事になる……ってのが普通の受け取り方なんですが。実は、これが日本教のポイントだと思うんですよ。
そう、日本教の正体ってのは本当は「天皇教」なんですよ。それもクッソ強固な。
これ実際に聞いた人間以外は、まあ歴史の教科書で「天皇人間宣言」って見るだけなんで何も思わないんですが。
だけどWikipediaでも書いてあるように「天皇と日本国民の祖先が日本神話の神であること」を否定してない。そして更に疑った見方をすると……現人神である事は否定したが、天皇自身が「神」である事を否定していない。
これを重度の天皇教が聞くと、どうなるか?想像しにくい場合は、自分にとっての絶対者で想像する。
(例えば嫁や夫だとか推しのアイドルやキャラだとかネコだとか、そういう自分の人生を決める最高の存在な)
1. 神は言っている……お前達との絆は絶対的な信頼と敬愛こそが本質である、と
2. だけど神話とか伝承は忘れろ……それは語り継がれることを許されなかった、遙か古の物語……
3. つまり「天皇は神だけど人間のフリをするからオメーら宜しくな」って事か。そんな解釈で大丈夫か?
かくして、日本教はここに成立する。
ここで仮に時の昭和天皇が神の不在を半端にしか言わなかった為、ヤベー存在が量産されまくるのである。
なにせ、最初に超絶技巧で日本国民をガチ感動させてる訳だからね。神ムーブしまくってるからね。
アイドルうんちしないから……なんてレベルでは到底ない。もっと恐ろしいものを垣間見たね。
理想面である天皇の権威と、現実面である総理大臣将軍の権力。この恐るべき分業によって構成された上意下達の支配構造により、この現人神否定ムーブは「その神意でもって」全体に通達される。
そして、それらがメディアのフェイクタイトルによって教科書へと掲載される。
そうなると何が起きるか?
日本教の隠れた神が人間宣言をするのだ、どうやっても劣化した形でそれは受け継がれる。
だから、日本人は自由を「自分の好き勝手に、自分や日本人が神だと思ってるかの如く、周囲に日本人を人間である事を強要する」のだ。
日本人は神を否定する。だけど、そこには自分達こそが神だと言わんばかりの傲慢さと、矛盾した無宗教への信仰が確かに存在するのだ。
そして、そこには昭和天皇の意図は伝わらない。それは戦前戦中と全く変わらない。
思うに、権威と権力の分業というのは……きっと、世界で最も上手くできたファシズムなのだろう。
欧米人の脱権威/脱権力は、その全てが内部からの撃発によって否定された。
つまり真の意味で民意からの革命であり、それは少なくとも「大衆の主観では」自発的に行われた。
それが一種の虚構である事は今の政治を見ても明らかではあるが、しかし、そこには個人の意思こそが優先されるべきという思想が根付いたのだ。
では、今の日本人は……それができるか?
例えば天皇の踏み絵を用意したとして、それを踏めると言えるか?実際に踏めるか?
まず僕には無理だ。
心理的なもの道徳的なものもあるが……それ以上に、周りが怖い。
そんな事をしたとバレたら、きっと僕は今までに得た人間関係の全てを失うだろう。親でもギリギリ、いや知人レベルくらいに避けられるだろう。
それくらいのレベルで恐ろしい行為だ。そうDNAが叫ぶくらいの恐怖を感じる。
我々は、今もまだ「天皇陛下との信頼と敬愛と」に、結ばれ続けているのだと……
僕は、そう畏れている。
それが良いことか悪いことかは、わからないけど。
まあなんでもいいけど、本当に無宗教って神の不在を確信してるなら「宗教の話がタブー」ってのは異常だと思うよ。
本当に神は不在って思うなら勝手に話させとけば良いじゃん。どうせ入信しないんだし。適当に話を合わせておいて受け流しておけよと思わなくもない。
普段インターネットでふざけた話をしていた人間が急に政治を語りだすのは、辞書の「焼きが回る」の項の例文に載せてもいいくらい典型的な病だと思っているので匿名で書くことにした。
選挙権を与えられて初めての選挙のときもそうだったし、その前もそうだった。おそらく外山恒一と中田考のせいだと思う。
特に外山恒一の2007年東京都知事選の政見放送は今見ると改めてパフォーマンスとしても完成されていることがわかる。時間があれば是非見てほしい。
イチオシは超絶頭の良いコンピュータによる全世界一元管理だが、残念ながら今の所そのようなものは影も形もないので、消極的にではあるが選挙に基づく間接民主制を支持している。
消極的に、というのがポイントで、別に選挙に行くのが正しいとか義務だとか思っているわけでは決してない。
私が祈ろうと祈るまいと世界は何も変わらない。一票差で結果が変わる選挙などまずないからだ。
しかし私は祈ることを冷笑はしない。それは祈るという行為が(私のように)愚かで怠惰な人間が唯一可能な意思表示であり、一種の反射であるからだ。
多くの人の祈りが届けば天は翻意し、我々に何か恵みのようなものを与えるかもしれない。しかし私達の祈りが正しいものであったか、また天からの贈り物が本当に恵みであるかどうかなど事前にわかりはしない。
投票とは所詮そんな、とてつもなく大雑把でどうしようもなく頼りないものだ。
それでも多分、投票率は上がったほうが良いのではないかとうっすらと思う。
投票率が上がれば民意が正しく反映されるとか、若者向けの政策が増えて世の中が良くなるだとかは正直眉唾ものだと思っている。そもそも人間は愚かなので民意が正しく反映されたところで合理的な判断を正しく下せるとは思えない。
しかしまあノイズが増えて右往左往するほうが崖に向かって全力疾走ダイブするよりは幾分かマシだろう。
さて、選挙が近づいてきた。本当に嫌な季節だ。
顔出しアイコンがインテリ仕草で、あるいは匿名アイコンがさも庶民の意志を代弁するかのように、いずれにせよ厚顔無恥な態度で若者よ選挙へ行けと叫びだす。
選挙へ行かない人間は非国民だ、人非人だと偉そうに喚いている。
こんなにも頼りない投票という行為を、どうしてそんなに正義面して他人に押し付けられるのか私にはさっぱり理解できない。
選挙に行かない、または白票を投じる理由はたくさんあるだろう。
単に面倒臭くて投票しないのかもしれないし、どうせ自分の一票では何も変わらないのだから(これはほぼ確実に正しい)と考えてもっと有意義に時間を過ごしたいのかもしれない。納得できる政党や個人が存在しないのかもしれないし、あるいは棄権することで自分より賢い人間に選択を委託するほうが自分にとってプラスだと考えているのかもしれない。
結果的にそれが自分に不利益をもたらす行為であったとあとからわかったとしても、自由主義は愚行権を正当化したのではなかったか。投票を棄権することそれ自体が社会的正義を損なうと、本当に言い切れるのか。
もしあなたが特定の団体からしつこく電話を受け、「X党に投票してよ」と言われれば、多少X党の人物やマニフェストに魅力を感じていたとしてもX党に投票したくなくなるのではないか。
少なくとも私はそういう人間である。選挙自体を否定するつもりはないが、選挙に行くことが絶対に正しいという思想の持ち主からしつこく勧誘されたら絶対に選挙に行きたくないと思う。
なぜ若者は選挙に行かないのか。それは多分、あなた方のことが嫌いだからだ。
この文章が嫌味ったらしすぎて、逆に選挙に行きたくなる人もいるかもしれない。それならそれで良いと思う。もし選挙に行くなら、それくらい感情的かつ雑に選挙に行ってほしい。
人口比が違ったら自分が投票に行かなくても若年層の民意が反映されやすいでしょ。
50代の投票率の減り方は61年とくらべて77%の投票率で20代は61年とくらべて60%の投票率、全体として下がってるのは確かだけど、50代と20代で17%も減少率に差があるんだから、若者の投票率が下がってるってのは、若者の人口減少と合わさって問題になるのは当然でしょ。
選挙が面倒くさい。
行かないと決めたわけじゃないけど、なんとなく、今回は行かない気がする。
面倒くさいから。
選挙権を得てからしばらく経ち、いくつか選挙があったが、全てちゃんと投票に行った。海外旅行とかち合って都合がつかない時は期日前投票した。
でも、段々自分の投票に意味があるのか疑問を感じ始めた。直前まで誰に入れるか悩んで、投票所まで向かって、受付を済ませても決まらなくて、結局適当に目についた人にいれていたから。私の票には民意も意思も、何もない。
だって、投票したい政治家がいないんだもん。支持したい!と思える政党がないんだもん。政見放送見て、各党の公約そこそこ真面目に読み込んでも、いいなって思える政党は一つもなかった。
「選挙に行くことに意味がある」とか言われてるけど、選挙に行ってやることに意味がないんだもん。むしろ実態の伴わない民意を反映させてしまっている以上無投票の方がマシすらあるよね。
なんで支持したい政党がないんだろう、って考えた。
多分、「行っても変わらない」なんじゃないかなって思う。政権が、政策が、ではなく、政治が。
民主党はかつて夢のような公約を並べて政権を取ったけど、そのうち1割も実現することは出来なかった。現実に直面して頓挫、妥協を繰り返し、結局外交が下手な自民党程度の政治だった。政権交代しても、変わらなかったんだよね。
「政権を変える」ことが目的なら、一人の一票に意味がないとは思わない。一票一票が重なって、大きな票になっていくのは本当。問題は、私が「政権が変わっても、政治は変わらない」と思ってしまっていることだと思う。
だって無理だよ。税収増やさずに社会保障費あげるのは不可能だなんて小学生でも分かる。最低賃金上げたら失業者増えるよ?インフレが起きたら年金暮らしの高齢者の生活が苦しくなるよ。法人税上げて企業が海外流出したら雇用が減るよ。勿論救われる人もいるだろうけど、苦しむ人だってたくさんいるよ。全ての人を一発で幸せにできる政策なんてないよ。そんなものがあったら、世界中の国がとっくの昔に採用してるから。結局、実行に移せないか、問題が噴出して国民が期待したのとは違う結末に至る可能性が9割だと思ってる。
まあいいんだ。人によってどんな暮らしを求めるかって違うから。給与が低くて生活に困っている人は、「最低賃金を上げる!」と謳う政党に入れればいいんだよ。そんな他の利害関係者のことなんて気にせず、自分の生活をより良くしてくれると思う政党に投票すれば良い。それはとても自然な事で、正しい行為だと思う。
でもさ、こんな事言ったら怒られるかもだけど、私今の自分の生活に不満がないんだよ。
給料は高くはないけど低くもない。欲しいものはなんでもとは言わないけど、適度に買える。生活に問題はない。理解ある上司の下、ワークライフバランスもそこそこ尊重してくれてる。子どもはいない。米軍基地は近いけど生活に差し障るほどうるさいわけではない。憲法は変えてもいいんじゃないかな?
じゃあ何を考えて選挙に行くのって、自分以外の、生活に不安を抱える人々のことを考えるんだけど、そこで上に書いた「全ての人を一発で幸せにできる政策なんてない」問題が出てくるわけ。この公約は、この側面はいいけどここはダメだからな…って考えちゃうの。そして、もういいやってなっちゃう。他人事だから。譲れない部分とかこうしてほしい!とかないの。今に満足してるの。
じゃあ自民党に入れれば?と言われるかもしれないけど、別に政権変わってもいいんだよね。公約の履行に期待してないから、実質ガチャみたいなもんだと思ってる。もしかしたらすごーく暮らしやすくなるかもしれないし、逆に何か自分に実害が及ぶようになったら、ふざけんな!って選挙に熱心に足を運ぶようになるんじゃないかな?
つまり、自民のままでもいいし、反自民が国民の総意なら、私はそれに従うよ、っていうのが私のスタンスなわけ。その意思を込めた上で、選挙に行かないという選択肢を頭に入れているの。
もし今後、自分が結婚して子供が生まれたり、親の介護が始まったりして、今の自分の生活に満足できない!ってなったら、きっと進んで選挙に行くんじゃないかなあ。そして、どの政党も一長一短だなーと思いつつ、自分が一番求めている公約を示してくれる政党に入れるんだろうな。