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はてなキーワード: 事象とは

2022-10-13

人生の終わりは主観的には人類の滅亡であり宇宙の終わりである

前提として、主観的認知できないもの存在しないのと同じ、とする。

 

次に死の瞬間を考える。

脳の機能の停止により、五感をはじめとするあらゆる事象認知することが不可能になる。

故に、主観的人類存在しないのと同じとなる。

それはすなわち、主観的人類の滅亡である

 

同時に、脳の機能の停止により、時間認知することが不可能になる。

故に、主観的時間存在しなくなる。

それはすなわち、主観的宇宙の終わりである

同時に、宇宙の始まる前であるかもしれない。

anond:20221012171926

百年続けば十分に伝統だよな。

そうじゃなかった時代を生きた人がそこにいないなら百年も千年も一万年もなんの違いもなくただの遠い昔だ。

しろ前提となる色々な事情が異なる遠い昔のほうが今の時代適用するのが難しいのが当然だとも思える。


だいたいのことはどっちでもいいんだよ。

でもどちらかに統一して秩序を確立しないと社会として成立しない。

そういうときに持ち出すのが伝統

古いほうが強いということにするというルールでなんとなくどちらかが正しいと決めるの。


それと、ひとつ物事は膨大な色々な事象連携していて、ある物事を成立させるために細々とした色んなことを解決してきた。

ひとつ大きな物事を変えようとしたらそれに連なる膨大な物事解決しなければならない。

新しい物事比較的に依存関係が少ないが古い物事は変えにくい。

歴史が長いほうが変えにくいから続けたほうがよいというのは一応は合理的ではある。

2022-10-12

真夜中突然不安に駆られて眠れなくなったとき

よく、もし寝ている間に巨大地震が起きたらどうしようとか、家が倒壊してつぶされたらどうしようとか、限りなく可能性は低いけどゼロじゃないような事象想像してしまって、真夜中眠れなくなってしまうことがある。

想像しうる悪い出来事はかなりの確率で起きない、みたいなこと言うけど、来るかもしれないんだから怖い。

来ないよ、と諭されても、諭したあなた未来人じゃないから信用にならないし。

どうやったら落ち着いて眠りにつけるんだろうか。

anond:20221012204443

一応、発生事象はこれが全てとは言ってないので、

これ以外の事象を報告する意義はあるのでは。

NURO光はもうヤバい

今やクソ回線代名詞となったNURO光

ついにそのクソさの原因を突き止め、改善したそうな。

https://twitter.com/NUROhikari_Sony/status/1580065484523057155?s=20&t=eKOJCqjT6R1xZY2zZByJLw

報告をまとめると以下のようになる。

ハァーーーーーーーーーーー(クソでかため息)

嘘をつくな

パケロス率が異常だとかベストエフォートに到底届かないなんて苦情は9/20以前から発生している。

しか10/12以降も解消されていないというユーザーも多い(俺はもう解約したから真偽は知らんが)。

どうして容易に検証可能な嘘をプレスリリースしたんですか?

特定事業者」に責任を擦り付けるな

俺たちは悪くない!と主張したいんだろうが、明らかに悪手。

そのレベルの異常なら自動で検知できる仕組みを整えておけ。それも無しにエフォートもクソもない。

露骨すぎるガス抜き

アンケートフォームで苦情出させれば不満も解消されるだろうという思惑がスケスケ。

それとも、SNS文句を書かれるよりはクローズドな場で吐かせればブランドが傷つかないとでも?

所感

クライシスマネジメントが全くできていない。そもそも、現状をクライシス真っ只中として認識できているんだろうか。

ここまでユーザーを逆上させるガバガバムーブをされると、もはや組織内の連絡網崩壊しているのではないかと疑わざるを得ない。

おそらく、

みたいな顛末でこんな怪文書が生まれしまったのだろう。

今回の怪文書の最大の問題は、NURO光問題技術的なものというよりも組織的な問題だと露呈させてしまたことだ。

…と増田は思う。

anond:20221012160025

ありとあらゆる事象に対して同じことが言えるな

anond:20221012095004

増田の作ったお話へのツリー元増田への別ツリーでも指摘されてるように、そのトリッパー未来を変える「決断」なぞしなくても、もっと偶発的な事象で変化が起こるとみなす方が妥当では

仮に時間の流れが強固なもので小さな出来事では変化しないとするなら、株式市場個人が投下できる資金量など取るに足らない額なのだから、トリッパー投資する「決断」をしようがしまいが何も変わらないということになるのではないかなと

増田お話にあるような恐れを持って、未知の未来が怖いといって同じように過ごそうとするトリッパーはいそうだけど、そいつが「決断」してもしなくても結局未来は変わるんじゃないか

anond:20221011213523

しかしこう

ひろゆきウォッチング側と

基地反対運動側との意識の差がすごいよね


基地反対運動側はもう、ひろゆき個人攻撃に終始してて

ひろゆき否定で、「ひろゆきが言ってる事」を丸ごと無に帰そうとしてるけれど

ひろゆきウォッチング側は、それ意味ないぞって思っていて


実際、ひろゆき統一協会攻撃してた時、野党側はひろゆき否定されたら意見引っ込めたかと言えば

んなわけねぇでしょ?

から必要なのはひろゆき論破ではなくて

ひろゆき提示した事象事実性の検討

事実であればその反応方針提示

みたいな事だったんだよね


統一協会で言えば、統一協会カルトなのかどうか

カルトだとしたらどうあるべきか

ここでネトウヨ自民ひろゆき批判に終始したら、野党やリベサがどうしたかって

絶対嘲笑したろ?

問題が分かってないって


でも、それが自分らに向いたら、「こんな問題提起は許されない」とやってしま

問題が分かってない

2022-10-11

anond:20221011185442

分岐がいくつもあるというのがわからないけど、不確定性原理ってのは時間にも影響する?

時間場所などのすべての条件が全く同じで観測結果が異なることがありうるって事か

(隣で観測するとか続けて2回観測するとかは全く同じ条件にはならない)

俺は記憶を持たずに時間を繰り返すなら全く同じ結果になると思ってるんだよ

たまたまとか気まぐれというのが必然である

俺が鼻の頭をかいたりかかなかったり、黄色信号で止まったりまらなかったりで世界分岐は発生しない

から記憶を持った誰かが意図的に違う未来に変えないと偶然と思われる事象も全て前回と同様に起きるんじゃないか

  

まあでも世界には常に揺らぎがあるって考えはわかった

anond:20221011174103

運は運でしょ。

たまたま腕のいい執刀医に当たる、

その時の気分で、生活習慣が変わる何かが起きる

たまたま運転手意識を失って違う方向へハンドルを切る

どういう事象が発生するかはその時々によって違うのだから

例えば、思い付いた言葉たまたま言うか言わないかだけでも結果は異なるかも知れないんだから

はいくつもある分岐の内の一つを生きてるに過ぎないんだよ

"蛙化現象"は"釣った魚にエサをやらない男"と同義説、目から鱗だったわ

女ってのはよくもまああらゆる事象他責出来るもんだ

2022-10-10

anond:20221010031642

基本的になんでも

相手から〇〇された」という構造に落とし込んで批判し返すのベースになってるから

なんか現実事象歪むよね

2022-10-09

"AI絵師"は何枚の画像学習しているか

23億枚。

https://waxy.org/2022/08/exploring-12-million-of-the-images-used-to-train-stable-diffusions-image-generator/

この事実を聞いて、

人間にそんなに多くの絵を見ることは不可能だ。やはり人間人工知能に勝つことはできない」

考える人いるかもしれない。

でも、こう考えてみてはどうだろうか。

人間は1秒間に数十枚の画像を、起きているほとんどの間認識している。

1日に16時間、秒間60枚の画像認識していると仮定すると、

20年間で60*60*60*16*365*20 = 25228800000枚…約252億枚の画像が脳に刻み込まれていることになる。

もちろんその中にはほとんど同じ景色であるようなものも含まれているが、

それを考慮しても人工知能特権(と、一般的に思われている)である膨大な量の学習

遜色ない量をすでに私達は学習していると言えるのではないだろうか。

それに加えて私達は、視覚情報以外にも、聴覚、触覚といった他の感覚器官、

そこから得た情報歴史的価値文学的表現といった形而上的な概念学習している。

機械学習においてこうした複数の種類の情報統合して学習することは1種類の学習よりも遥かに難易度が高く、

多くの研究者を悩ませている。

だがどうだろう?

我々はすでにそのような、様々な感覚から学習し、それらを統合する技術を既に身に着けているではないか

そして、視覚情報と同様にそれらも常に変化し続けてきたものを我々は学習する。

視覚聴覚嗅覚・触覚・味覚の五感温度や痛覚などのその他の感覚さらにそれらの持つ意味

これらの相互に繋がった数百億、数千億の情報を我々は「体験」する。

ただバラバラ情報ではなく、それらの繋がりさえも学習し、記憶する。

さら人間の優れた能力として、我々は他人体験を「追体験」することができる。

個人から離れた異質の経験は、既存情報に新しい繋がりを提供する。

それは学習効率を飛躍的に向上させる一種魔法である

この魔法が、人々に全く新しい情熱や感嘆や絶望や感動――私達の心の動きの全て――を生み出す源なのである

そして、これが最も重要な点であるが、上で述べた学習内容は、「人によって異なる」のである

全ての人生には個性存在する。

まり個人の今までの人生

誰に育てられ、どの学校に通い、どんな友達と遊び、何を食べ、…

それらの経験が我々の学習内容に影響を及ぼす。

そして小さな経験の違いが脳に影響を与え、行動に影響を与え、その結果異なる事象経験し、異なる反応をし、さらに異なる事象が生まれる…

結果として同じ脳はこの世に2つ存在し得ないのである

まとめ。

AIが膨大な量の画像学習していたところで、それは恐れるべきことではない。

人間はそれよりも遥かに多くの情報、それも人によって異なる70億種類のデータセットを日々学習しているのだから

2022-10-06

anond:20221006215505

同一労働同一賃金は、あくまで同一企業内の話であって、職種が異なる時点で話にならん。

すべての企業同一労働同一賃金を徹底したら、「高収入職種選択する属性」と「低収入職種選択する属性」では前者の方が収入が高くなりますよね

同一労働同一賃金が徹底されているということは「属性Xがこの労働をする場合には低収入だけど、属性Yがやると賃金が高くなる」みたいな事象が発生しないということなので

トラック運転手給料が高い」って、どこの世界線の話?

そりゃ「肉体労働者の中では」って話だろ。

頭脳労働の方が割がいいに決まってんじゃねえか。

「割がいい」なる非客観的評価は知りませんが、年収中央値を上回っています

anond:20221005210015

俺だよ。俺だってばよ

はじめに

最後まで読んでくれてないのかよ!辛くても読めよ!

今回は反省してなるべく短くするから辛抱強く最後まで読んでほしいまじで(早口)。

てかトラバ元(https://anond.hatelabo.jp/20221004223342)消えてるよう。

もう内容覚えてないよう(ダジャレだニヒルに笑え)。

元増田

https://anond.hatelabo.jp/20221003210803

この増田への反論

そもそも

「雑踏事故を甘く見過ぎ」とした元増田は、明石事故について明言していないのはもちろん、消えてしまった増田やこの増田の言った内容についても明言していない

すなわち、消えてしまった増田の言った

ごく稀な例外的事象根拠として反論するのは無意味

も、この増田の言った

事象を並列して比較しているとき当事者問題って一ミリもかすってない

も、元増田からすれば、各増田読み手側として独自にそう解釈した、ということになるのでは?

この増田が「俺の解釈絶対的に正しい」と言うなら、少なくとも鈍感系主人公である俺にはそうとは解釈できなかったので、その根拠を教えてほしいところ。

俺は、消えてしまった増田やこの増田と同様に「読み手側の解釈」を前提として、読み手である複数ブクマカ言及した明石事故を事例として挙げた。

究極的には、最初から最後までそれだけの話だ。

「いや、これは元増田に対する解釈とはなんら関係のない、各々が元々持っているごく個人的見解だ」とか、なんかそういう感じの話であれば、平行線なのでここで終わり。

俺の主張・改

前にどこかで書いたかもしれないけど、俺は別に元増田を専ら批判したくてあんなそんなこんなクドい記事を書いてるわけじゃない。

しろどちらかといえば同調している(つもり)。

俺はどの雑踏事故当事者でもないので、明石事故が「ごく稀な例外的事象」かどうかという議論は、個人的には正直どうでもよくなった。

明石事故だけでなく、どの事故にも漏れなく当事者がいる(ご存命かは別として)し、どの事故にも例外なく、学ぶべき教訓がある

俺が今回色々と調べて学んだのはそういうことだ。

から俺は前の記事最後に、元増田

日本警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているかである

という文章を、半ば前向きな、半ば祈るような思いで引用したのだ。

警察の皆様、いつもお疲れ様です!」と。

最後

これでもまだ長いかな。長いな。

切実に文才が欲しいってばよ。

おわり。

気力さえも脳内物質によるんだなあ、というのはメンタルサプリ等で実感するところではあるんだけど

じゃあなんでさっきまであんなに調子良かったのに、急に落ちるかな、とは思う

外側の事象理由はないから、脳内物質なんだろう

さっきと今とで何が違うんだ

食事の直後と30分後で脳内物質の使われ方が違うのか

ネガティブ事象存在っていろいろなタイプがある/いるのに、何かネガティブ存在が目立つとあらゆるネガティブ事象をその存在に結び付けるタイプの人いるよね

2022-10-05

anond:20221004182204

賢者歴史に学ぶ」とかいうけど、説明適当歴史事象を拾ってきて、後出しジャンケンで勝ってるだけだと思う。

anond:20221004223342

オレオレ、俺だよ。

この増田への返答を絡めた、前回の俺の主張の補足

ごく稀な例外的事象根拠として反論するのは無意味

厳密には俺の主張の帰結としては反論ではなく、元増田情報不足に対する補足なんだけど、これは俺がそうとも読める書き方をしたのが悪いな。

「この増田の主張を前提に」俺から言わせれば、ごく稀だからこそ、取り上げることに意味がある

俺の主張の一番重要なところは、「人間が警備する限り、起こらないってことはないでしょ」ということ。

そこを

人間が警備計画策定する限り、本事故のようなことは今後も起こり得る

シチュエーション限定して書いてしまったところは俺の反省するところだけれども。実際他の増田にツッコまれたし。

この増田への反論

明石事故を「ごく稀な例外的事象」とする根拠は?

例外的事象」については、元増田の主張を前提の発言ととればまあ、「俺は」理解できなくもない。

ただ、少なくとも明石事故当事者にとっては例外的事象ではないだろ?

元増田擁護した増田についたブクマカの中にも、当事者として明石事故言及した人たちがいるかもしれない。

その当事者たちは、明石事故経験によって、元増田の主張する「雑踏事故を甘く見過ぎてはいけない」ということを身をもって知ったわけだろ?

そんななかで明石事故例外的事象として捉えてしまって良いのか?

んでもって、「ごく稀」とはどれくらいだ?

どれくらいの期間のうちどれくらいの件数であれば、「この増田にとって」「ごく稀」であると言える?

よく言われることだし、元増田

日本警察であればこんな事はまず起きない

の「まず」にも係るけれども、曖昧言葉遣いは、読み手側に書き手側の意図しない解釈を与えやすく、批判の糸口になりやすから気をつけた方がいいよ。自戒を込めて。

過去の雑踏事故を調べる

さて、ここでまた、このやさしく暇をもてあました俺がこの増田の代わりにちょっとだけ調べてあげよう。

まず、当初俺は「雑踏事故」というワードで調べたのだけど、「群集事故」という呼び方もされているようだ。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/群集事故

ここに書かれている内容に元増田の主張と齟齬があるようには感じられなかったので、以下群集事故を調べることにする。

調べた限り、一番事例が載っていたのはこれ。

https://www.wikiwand.com/ja/事故の一覧#群集事故

で、元増田1972年以降の事例を(宇崎ちゃん以外に)挙げていないので、

の条件で絞り込んで拾い上げると、2001年明石事故までに少なくとも2件起きている。

一つずつ挙げていく。

1978年1月27日 札幌市 中島スポーツセンター レインボーコンサート

Wikipediaには項目がなかったが、昭和54年警察白書に事例として記載がある。

https://www.npa.go.jp/hakusyo/s54/s540800.html

ただし、警察事故の起きた当時警備業務に関わっていたか、事前にコンサート概要を把握していたかは読み取れない。以下白書より引用

1月札幌中島スポーツセンターで開催されたイギリスロックバンドブラックモアーズ・レインボー」ショーで、興奮した観客約500人が開演と同時にステージ殺到し、このため、いすにつまづいて倒れた観客が将棋倒しとなり、下敷きとなった1人が死亡、7人が負傷した

1987年4月19日 ラフィンノーズ公演雑踏事故

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ラフィンノーズ公演雑踏事故

この公演に3000人の観客が集まり開演と同時に観客がステージ近くにまで駆け寄り演奏に興奮した一部の観客がステージに上がろうとし、それに続こうとした後続の観客が重なるようにして転倒・下敷きになったのが原因であった。この事故で死者3人・重傷1人・軽傷19人の計23人が被害に遭った[要出典]。主催者は公演前日に警察署に届出をしたが、当日は主催者スタッフのみで警備員の配置を全くしていなかったことも事故を増幅させた。

これは当時の音楽ファンの間では有名な事故みたいなんだけど、情報源を探すのに苦労した。

オークション事故翌日の新聞を出品してる人がいた。

https://aucview.aucfan.com/yahoo/s1053964729/#&gid=1&pid=3

ちょっと目を通すだけでも、Wikipedia記述と相違があるように見受けられる。速報だからかも知れないけど。

画像の中で重要と思われる部分を目を皿にして探すと、

主催者は、公演の一週間ほど前に警察消防管理事務所へ開催届(?)を提出した、と話している

主催者は会場定員の2400人を超える2900枚のチケット販売した

主催者側が警備を依頼したはずの会社は、「契約した当社の業務は観客の案内・誘導だけで、警備は含まれていない」と話している

ことが辛うじて読み取れる。

本件に関するこれ以上の調査図書館行って当時の新聞を読み漁る必要があり、こもりびとである俺の行動できる範疇を超える。誰か調べてちょ。

とにかく、本事故Wikipediaによれば、

これらの雑踏事故が続いて起きたため警察庁は要綱を制定した

らしい。

その要綱の内容は、やっぱり探すのに苦労した。Wikipedia記載警察庁への外部リンクhttpリンク切れになっていて、httpsにしてみてもnot foundだった。

代わりに見つけてきたのは↓。栃木県警上記の要綱を受けて、内部通達した資料と思われる。

https://www.pref.tochigi.lg.jp/keisatu/n15/jourei/documents/11_2.pdf

一応、時期的にも内容的にも一致しているように見える。

詳細は各自で読んで欲しいし、俺も全文はさすがに読んでないんだけど、要綱の

警察は、施設使用公演等に伴う雑踏事故の防止対策資するため、これら事故過去における発生実態及び原因等の分析を行うとともに、タレント等の人気度、観客層の構成等の実態について、平素から把握に努めるものとする。

という記述をみるに、この事故は、その発生以前と以後で警察の雑踏事故に対する態度が変わったという意味で、取り扱っても良い事例かもしれない。

まり元増田の言う、

に、

がこの時点で加わったわけだ。

明石事故は「ごく稀」か?

元増田は主に戦後日本の雑踏警備について話しているので、ここでは戦後1945年以降)に限って話を進める。

群集事故件数の年次推移的な資料を探したのだけどなかなか見つからなかったので、ここは妥協して「報道されるほどの被害をもたらした事故」に限るとし、先ほどの群集事故の一覧で数えることにする。

自分で数えた限り、1945年から現在までの80年弱で、日本では明石事故含め21件ほどの群集事故が起きている。

明石事故前後は、前は先述の1987年ラフィンノーズ公演雑踏事故、後は2003年中日阪神戦でのファン乱入乱闘騒ぎ

ちなみに後者では死者は出なかったものの、誰が使ったか知らないが防犯用の催涙スプレーが使われたとある。なんでや阪神関係あるかわからへんやろ。

んでもって、1945年以降1972年までの28年間に13件、1973年以降現在までの50年間に8件。

当然、

といった点は考慮すべきではある。

これらを見て、この増田やみんながどう思うかは各自に委ねる。

けれども俺としては、明石事故がというよりは、報道されるほどの被害をもたらす日本の雑踏事故自体が、数年に1〜2回程度しか発生しないという印象を持つに至った。

まとめ

大きな事故は、数年に1〜2回程度。

からこそ、恐らく雑踏警備は難しい。

ラフィンノーズ公演雑踏事故の教訓を受けて、「常日頃から情報収集に努める」という要綱を施行した14年後に、明石事故が起きた。

そしてその主たる原因は、過去イベントの警備計画をほぼ流用した警察らの怠慢にあった。

その14年間に色々なことがあったであろうことを隅に置いて物事を単純に捉えると、明石事故当事者の方々には大変申し訳なく思いつつも、警察のこの失敗に共感してしま自分がいる。

もし俺が雑踏警備を主たる業務とする警察官(仮定が成立するかは知らん)で、5年も10年も雑踏事故が起きなかったら、全てではないにしてもいくつかの雑踏警備に手を抜いてしま可能性を否定できない。俺怠け者だし。

長期にわたって怠慢に抗うのは、少なくとも俺にとっては、とても難しい。

ここで元増田の文を引用する。

日本警察がこんな事をしないのは人間の扱いの違いだけでなく技術的に経験を蓄積しているかである

最後

警察って大変な仕事だなあ。

おわり。

ひろゆきvs沖縄基地反対派 とかい地獄

どっちにも賛成したくない感じが嫌だ

 

考えてみれば「何かに怒ってる人(活動家)」と「ネット冷笑系」ってずっとあるけど犬も食わない事象だよな

一時期は右翼vs冷笑系ってのもあった

こういう冷笑系って一番盛んだったのがやはり2chで、全盛期は第一安倍内閣くらいの頃だったと思う

最近はそういう奴らも落ち着いたようだけど(多分年齢層の問題

今はひろゆきの元に集まりつつあるようにみえ

戦場はどこなんだろう、Youtubeかな

2022-10-03

歴史というのは、現在の我らに対する制約条件なのに、嬉々として学ぶ理由がわからない

ましてや、歴史趣味とする人たちの気持ちがわからない。

私は歴史を学ぶとき、怒りを覚えてしまう。

昔の彼らがあんなこと、こんなことをしなければ、今の世界は様々な苦しみに置かれなかったかもしれないのだ。

こんなに複雑化しないで済んだかもしれないのだ。

それらの点で、歴史事象の数々は、私たちの生きる現在における「制約条件」だと言えるわけ。

私たち自由は、はるか昔に奪われてきたとも言えるわけ。

もちろん、過去の人々の生きた結果によって得られる教訓は多数ある。

しかし、それは現在をこのようにしてしまった代償として在るものだ。

から、私は歴史に対して感謝をしない。

怒りを持って、愚痴を放ちながら、今日歴史を学び続ける。

制約条件を知らないと自由限界がわからいから、仕方ないから学び続けるのだ。

歴史を学んでいるからと言って、別に歴史が大好きなわけではない。

2022-09-30

anond:20220815212346

これ関係話題を見る度に思うんだが、会社名を出さずに社内で起こった具体的な内容だけ書いたらどうなるんだろ

例えば「部長女子社員ロッカー室に忍び込んで監視カメラを仕掛けていた」っていう出来事があって、A社(仮)の内部では揉み消しが出来て被害者退職したとする

その被害者会社名は伏せたまま細かいディティールを盛り込んだ増田を書いてバズりにバズった結果、A社の人間がその増田を目にしたら「これはウチの会社のことだ」って分かるわけじゃん?

でも会社名は出てない。もしかしたらB社でも「部長女子社員ロッカー室に忍び込んで監視カメラを仕掛けていた」事象は起こっていたかも知れないのだ

そういう時に「これはA社に対する名誉棄損だ!」って名乗りを上げると藪蛇というかセルフ開示というか所謂"答え合わせ"になっちゃうわけなんだけども

2022-09-29

文学的インフラ

「その文書地域で何が起こっているのか?文書は人々からどのように受け止められているのか?文書の何が神経を逆なでするのか」について分析するという話を聞いたことがある。「文学的インフラ」とは、文学資源として活用し、たとえば何らかの現象予測するといった発想だ。物理現象予測できないかもしれなが、社会現象ならどうか。

こういうもの評価してテキストリスク判別するというプロジェクトに聞き覚えがある。ユルゲン・ヴェルトハイマーという人は「作家は、読者が即座に世界想像し、その中に自分自身認識できるような方法現実表現する」と述べている。

例えば、以下のアルジェリアの例がある。

何が言いたいかというと、増田コーパスを使えば何かしらの社会現象予兆を見つけることができるのではないか、ということ。

かに時間場所事象を非常に具体的なレベル予測」となると不可能かもしれないが、「特定政党支持率」「どのような哲学主義が好まれいるか」「どの国との関係性が良かったり悪かったりするのか」「自殺率が増加するのか減少するのか、凶悪犯罪はどうか」「博士課程に対する社会の許容度はどうか」といった大雑把なレベルなら予測できることがあるのではないか

2022-09-25

anond:20220924173730

選ぶということは差をつけて別けることなので本質的には差別である

問題視される差別社会的公的差別であって個人単位での差別をことさらにあげつらうべきではない。

人と交際するのってそういう風にスクリーニングして決まるものではなくて遍歴を後から眺めたときに背の高い人が好きなんだなあと気づくものではないか

など言いたいことはいくつかあるが、せっかくなので何を差別と感じて何を差別を感じないか、あるいは許容される差別であるか。を考えていきたい。

結論から言うと、その属性のものを見ているか、に尽きると思う。

単純に見た目の好みとして「背が高い人」を好む何者かに対して悪い意味での差別性を私は感じない。

しかし「背が高い人が良い」の理由として「身長が低い人は性格もひねくれているから」と言われたら、差別的だな、と思う。

同様に「背が高い人は知能も高いから」も十分に差別的だと私は感じる。

まとめると、「背が高い・低い」ということを「背が高い・低い」という事象のもので受け取らず、知能や性格に関連付けてしまうような論理の飛躍偏見に対して差別を感じるのだ。

これは相関関係のあるなしは問題ではない。仮に身長と知能、性格相関関係があったとして、目の前の人物がどうであるかには一切関係がないからだ。

男性のほうが、黒人のほうが犯罪率が高いとしても、目の前の黒人男性犯罪者かどうかはその人自身を見なければわからない。

そもそもある集団犯罪率が他の集団より高かったとしてもその集団内での犯罪者の割合は些少なんだけどまあそれは別の話。

翻って部落出身かどうかで相手を選ぶことについて考える。

出自人物に影響を与えることは当然あるだろう。しか判断は結果としての現在人物を見れば良いだけのことである

出自を問うことに意味はないし、書類出身地を書き換えたからと言って能力性格が変わるわけではない。

まり出自を元に人物判断するということは、出自に結びついた何らかの論理の飛躍偏見が必ず存在することになる。

当人の言を聞くまでもなく、差別である判断することができる。

最後微妙ラインについて考える。「運動部出身の人はなんか怖いから苦手」これは差別だろうか。

部活動の種類と危険度には何の関係もないので、運動部出身を恐れる客観的理由はない。ではこれは偏見から来る差別なのか。

これについては、差別的には感じるが問題のないレベルだと私は思う。何が違うかと言うと、判断の責を誰が負っているのか、である

ここで言われているのは「なんか怖い」という主観である運動部出身の人が悪いわけではなく、「なんか怖い」と思ってしま自分に責がある。とはいえどう繕おうが「なんか怖い」ものは仕方がないのだ。

なので個人レベルでは問題ないと判断する。行政企業にそういう情緒で動かれたら批判せざるを得ないが。

ちなみに「運動部出身は粗暴だから苦手」という主張だったらどうだろう。「粗暴」という相手の責になっている。

これは容易に「粗暴な人間を生み出す運動部廃止しよう」という社会的な流れへのモチベーションになる。ここまでくれば直球の差別と言っても差し支えないだろう。

特に着地点も決めないままダラダラと書いたが、とりあえず2つの考えに達した。

偏見論理の飛躍から来る特定属性への決めつけ、及びそれを元にした判断、について差別的だと私は感じる。

しかしたとえ差別的な偏見であっても、主観という形で自らの責に留める限りにおいては許容されるのではないか

なお私は目の前の人物を見ず、人物の持つ属性に対する偏見を元に他人に対して判断を下すような論理性のない人が嫌いです。

2022-09-24

anond:20220924185806

続き↓

 この日だけは生理にならないで欲しいと念じ、部活に励んでカロリーを消費しまくった時に限って、予定でもなかったのに生理になる。それがぼくのあるある事象で、修学旅行でも、ぼくは三日前から生理になった。荷物の半分が生理用品になる。トイレにやたら時間がかかり、ただでさえ移動中に立ち寄るトイレはとても混雑するのに、ぼくはそわそわとして落ち着けない。レイジとは同じ班になったが、レイジは相変わらず女としての煩い事には無関係の人だから、どこへ行っても楽しそうだ。

 自由行動の日、レイジはぼくがトイレに行ったきり中々戻って来ない間、もっぱら寺社境内で鳩とたわむれて時間を潰していた。ぼくが貧血と歩きすぎとでふらふらの状態トイレを出ると、レイジの周りをうろうろしていた鳩達が一斉に飛び立つ。背の高いセーラー服少女と鳩という、ミラクル光景レイジがつくりだしている。眩しくて目眩がした。観覧した寺社の事なんかろくに覚えていやしないが、その景色だけは今でもよく覚えている。

 夜、泊まった宿では大浴場が貸し切りで使えたが、生理の生徒は部屋の内風呂を使ってよいとされていた。ぼくは当然内風呂に入ることになったが、大浴場を使える女子達はひとの気も知らずに一緒に入ろうよと誘って来る。ぼくはうっすらと屈辱を感じつつ断る。相部屋にも何人か内風呂を使う人はいたが、ぼくは「先に入る?」という気遣いを全部断って一番最後に入った。

 せっかく広いお風呂に入れるはずが、見たことのないほど狭い風呂我慢しなければならないのは惨めだが、レイジの裸を見ないで済んだのは良かった。小学5年生で行った臨海学校風呂を思い出した。あれがぼくが集団で大浴場に入った最後の機会だったが、当時既に同級生には女らしい体型の女子が何人もいて、あれはかなり気まずかった。どこを見ても生々しい女体が視界に入るのが嫌でずっと俯いていたし、落ち着いて湯船に浸かっていられなかった。あの頃は成人女性のような体つきの女子ほとんどは薄手の子供用の肌着を着て、その上に体操着を着ていたのだから、思えば気持ち悪くクレイジー文化を生きていた。それを許していた大人達の気が知れない。

 修学旅行の夜は恋ばなで盛り上がるのは定番だが、同室に奇跡的にオタクばかり集結してしまったので、ぼく達は漫画アニメの話ばかりをしていた。だがみんなそれぞれ好きなものが違うので、話が全く噛み合わない。なのに何故か会話は成立しているように見えた。

 23時を回る頃には話のネタも尽き、昼間の疲れも出てきて、皆口数が減ってきた。ついにここにはいない他人の恋ばなくらいしか話す事がなくなってきた時、レイジがぼくに言った。

「なあ、お前は男同士って、どう思うの?」

 誰にも聴こえるような大声でいうから、同室の極めてお喋りな女子が、

「きゃー、レイジさんったら急に何を言い出すのーー!?

 と盛り上げてくる。レイジのご指名はぼくだったから、全員が興味津々でぼくの答えを待っている。

「うーん、」

 そういえばレイジって「やおい」が好きなんだったなと思いつつ、ぼくは答えた。

「男同士も、ぼくはいいと思う。ただし、美しいのに限る」

 皆はぼくの答えにキャーキャーと黄色い声をあげた。ぼくは半ばレイジに当て付けて言った。いつもぼくを驚かせてばかりいるんだから、たまには君もぼくの言うことにびっくりしろと思った。レイジにはぼくの意図が伝わったらしく、

「ああそうかよ、つまんねーな」

 といい、さっさと布団を被って寝てしまった。

 同室の女子達はカマトトぶっていたが皆「やおい」が大好きだった。学校までエロ同人誌を持って来て回し読みをしている連中(そういう奴らに限って本当はオタクではない)は他の部屋だったにしろ、みんな男同士の禁断の関係性に興味があった。禁断だからこそいいという価値観の共有されているところへぼくが堂々と「いいと思う」と言ったのはかなりウケた。隠すべきとされているものを隠さなくていいと言ってのけるのは、その時はまだ新しすぎる考えだったのだ。

 実はレイジは「やおい」の愛好者で、そうとうの数のやおい同人誌を持っているらしかった。一年生の頃、ぼくの家にレイジが遊びに来たことがあるのだが、その時レイジ同人誌を何冊か持って来た。二人で格ゲーで遊ぶのに飽きた頃に、レイジが鞄からそれらを取り出して見せてくれた。それは幽遊白書同人誌で、レイジが開いて見せてくれたページには、いやにリアルな筆致で描かれた幽助と蔵馬があられもない姿でぼくには理解不能なことを行っていた。ぼくは気持ち悪くて無理だと言った。ついでにいうとぼくの一番好きなキャラクターは軀だから、軀が出てこない時点でかなりがっかりだとも言った。するとレイジ

まだ子供のお前には早かったな」

 と言って本を仕舞い、代わりにもっぱらギャグ漫画ばかり載っている同人誌を出して、ぼくに貸してくれた。たぶん、レイジは「やおい」というものの中でもぼくが「気持ち悪い」と切って捨てた部分こそが好きだったのだと思う。

 やおいというもの自体はわりと好きだとぼくは思った。でもぼくはそれを男同士というよりは人と人同士だと思って読んだ。女でなければ無性別性別が無いというのは人として完璧なのではないかと、あの頃のぼくは思っていた。今となって思えば、そんな考えは母親譲りの潔癖症的な考え方であまり良いとは言えないのかもしれない。

 修学旅行から帰った後、ぼくはレイジとは違う高校に進学しようと決めた。レイジは市内にある名門女子高を受けるといっていたので、ぼくは電車で何駅もある遠くの共学を受けることにした。レイジの行きたい女子高はぼくの母親の母校だったから、そこを目指すのは母親の思うつぼにはまったようで嫌だったのもある。

 レイジと二人でつるむのは楽しいが、いつまでもそしているとぼくの世界は広がらないのではないかと思った。ぼくは一人で新天地を目指したい。だがそれは大きな間違いだと知ったのはそれから何年も先のことだ。現実には、一人でいるとずっと独りぼっちになりやすい。二人で楽しそうにしていると、それを見て何人もの人が集まってくる。友達が増えれば世界が広がる。独りきりで見える世界は、とても狭苦しくて窮屈だ。

 だが、誤った道を選んだおかげでぼくの今の暮らしがあると思えば、それはそれで良かったのかもしれない。

 レイジとは別々の高校に進学して以降は二度くらいしか会っていない。いつだったか、一緒にどこか遊びに行こうと約束して待ち合わせたら、レイジはまるでデキる女の休日ファッションみたいなスタイリッシュ服装に薄化粧までして現れた。ぼくはといえば、男ものの服を着れば男の子のようになれると信じた結果、ただの引きこもりみたいなダサい格好をしていた。どっちに合わせても相手が浮くし、そもそもお互いに学チャリで来て一体どこに行けるのかということで、近場の公園のベンチに座り、レイジがわざわざぼくに食べさせようと作ってくれた焼き菓子を食べながら雑談をした。

 最後に会ったときはぼくはもう結婚していて、久しぶりに実家帰省した際にレイジの家に遊びに行った。中学時代レイジがぼくの家に遊びに来たことは何度かあったが、ぼくがレイジの家に行ったのはそれが最初最後だ。

 レイジの部屋はすっきりと片付いていた。オタクらしいのは座卓の上を立派なデスクトップパソコンとその周辺機器占拠している事くらいだったが、それだって配線がごみごみと見えないよう置き方が工夫されていた。オタクの部屋というよりは仕事でよくパソコンを使う人の部屋といった感じだ。

漫画同人誌をいっぱい持ってるって昔言ってたけど、もう全部捨てたのか?」

 ぼくが問うと、レイジは「いや、」と言い立ち上がって部屋の奥の襖を開けた。

「さあ見れ!」

 その時ぼくは初めて、筋金入りのオタクは押し入れを改造して大量の蔵書を隠し持つのだと知った。

「だが、お前の読むようなものは何もないけどな」

 レイジお子ちゃまはそんなもんよりもこれでも見てろと言い、パソコンを起動させて秘蔵の面白動画を見せてくれた。ぼくらは中学時代のようにくっついてそれを見て、腹がよじれるほど笑い、床を転がった。

「お前ほんとに中学の頃から変わらないよなぁ」

 と、レイジは言った。

レイジだって服装以外は大して変わっていないだろ」

 ぼくはそう言い返した。

「そうかもな」

「でもぼくはもう結婚した。だからけっこう変わったと思う。ところで、レイジはぼくが結婚なんかするなんて変だと思わないの?」

 ぼくはレイジに聞いてみた。ぼくの家族特に母親はぼくの結婚をついに人生に敗北したと言って馬鹿にするし、昔の同級生からも祝われるよりも先に引かれがちだった。

「変だとは思わねーな。だいたいお前、中学の時だってなんだかんだ好きな男いただろ。案外普通女子なんだなと思ってたよ俺は。ずっとふらふらしてるより早々に結婚ちゃう方が良かったんだろ、実際」

「確かに……。ぼくはかなりモテいから、夫と結婚しなかったら永遠に独身だという自信がある。けど、ぼくだってぼくなりに頑張って、何人かと付き合ってはみたんだが、まあ色々と、無理だったかもしれない」

「色々っちゃなんだよ」

「言っても引かない?」

別に引かない。俺は自分に話す事が何もないぶん聴き手に回り易いから、ダチの恋ばなを聞き慣れてるんでね。だからさら何が飛び出しても驚かないぜ」

「じゃあいうけど、夜のあれがつまらなくて……別に苦手な訳ではないのだが……」

あはははははははは!」

「笑うな! 何が飛び出しても驚かないって言ったじゃないか

「いやいや驚きゃあしないって。むしろお前らしくて笑うわ。お前、本当にいつまで経ってもお子ちゃまなー」

「うー、うるさい。でも、否定は出来ない……。ぼくはもっとこう、セックスとは楽しいものかと思ったけど、全然そうならないんだ。しか十中八九、ぼくのせいで盛り下がっているという、自覚がある」

「なぁ、膝出してみ?」

「膝? はい

 いぶかしみつつもぼくは素直に片膝を立てた。そこへレイジが指をさわさわと這わせた。

「ひゃあ! くすぐった! しか気持ち悪いっ!」

「それだからお前はなー。じゃ、今度は俺に真似してやってみ?」

 ぼくはレイジの膝を擽った。だがレイジはぞくぞくするどころか擽ったさも感じないと言う。

「まぁまぁ。毎日部活に出て稽古に励んでも全然強くならなかったほど、運動神経のないぶきっちょさんのお前さんがさ、セックスの時だけ上手い事やれるなんて、その方がおかしいだろ? 女だからやれて当然じゃないんだ。才能のないもんはどうしようもない。諦めろ」

「そういうもんかな」

「おー。そういうもんだと俺は思うぜ。でもまあ結婚はしたんだからよかったじゃん。婚姻届出しゃあもう、お前のエロさが足りないなんて理由簡単に別れる事なんか出来ないんだぞ」

「だといいけど」

浮気されたら愚痴でもなんでも聴いてやらぁ。そういうの聴かされるのは慣れてるからよ」

レイジ何気にひどい事いうよね」

「ははは。それより、子供が出来たらちゃんと連絡くれよ。そしたらお祝い包んでやるからさ」

「そういうのはいいよ。友達なんだし、変に気を遣わなくても」

「単に俺がそうしたいだけなの。うちは兄貴結婚しそうにないし俺はこんなだから、がきんちょにお小遣いくれてやる機会があまりなくてな。ダチの子供にお年玉やると、俺も大人になったなーって思えるし、気分がいいんだ」

 そんな事をレイジは言った。

 確かに子供のためにお金を遣うと大人になったという感じがする。一度に三万円は痛いが、それで子供達が喜んでくれたのだから、大した事のない出費に思える。しかしぼくは今やただの大人じゃなくて親だから子供にしてやらなきゃいけないことは、他にも沢山あるけれど。

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