はてなキーワード: ヒカルの碁とは
分かりたい、覚えたい、が最初に来るわけがなく、人と打っているうちに面白さが分かってくるものだと思う。対人ゲームなのだし。自己の研鑽を突き詰めるなら、もっと偶然性の低いパズルなどの方が合っている。詰碁はそういう面もあるが。
コミュニティが紹介されているが、質問できるとかより棋力の合う人と打てるかが重要。将棋はある種のコミュニケーションツールとして普及しているから、駒の動きは分かるって人は多く、子供の最初の相手は多い。
碁は興味が湧いて覚え始めた人に、碁会所には行かないようにお願いするんだよね。碁を嫌いにならないように。
常駐している人の中にタチの悪い人がいるからって。飽くまでも一部の人ではあるが、どこにでもいる。新しく入って来た人をマウンティング対象として扱う。ルールが覚えにくいから碁を打つ自分に酔いやすいが、頭ひとつ抜けるのは難しく天井は高く、歪んだ承認欲求の行き場が無いのだろうか。
少し昔の話なので今は違うのかもしれない。せめて禁煙になっているといいなと思う。
このページを囲碁入門ガイドの決定版とすべく随時更新と修正してるのでこまめにチェックしてみてね
【更新】 二眼や陣地についてわかりやすく説明してくれてる人がいたのでトラバしとく anond:20220421132959
【更新】 定石を知りたい人向けにJosekipediaの項目を追加
【更新】 2022年5月17日 (1)『決定版!入門その後の最速上達法』をオススメ書籍として追加。(2)Youtubeの項目を改修
【更新】 2022年6月26日 番外編の棋士紹介の項目を別エントリに移動
囲碁はよく難しいと思われているが、難しいとは言っても子供が理解できる程度の難しさであり「覚えようとしたら覚えられる」のが囲碁だ。
囲碁は右肩下がりに人口が減り昨年のレジャー白書では国内人口が200万人を割ったようだが
実は今現在は昭和の最盛期に1000万人のプレイヤーがいた時代よりもはるかに囲碁を覚えやすい環境が揃っている。
ルールはわかるけどその後がわかんねえんだよと言う人もちゃんとその溝を埋めるための情報を書いているので、腐らず中段の書籍やYouTubeの項目を見てくれ
囲碁の一見したわかりづらさを石同士がくっつく事で視覚化し解消し、キャラクターの表情をつける事でとっつきにくさを解消しているWebアプリ。
ルールも囲碁を簡略化した純碁という盤上に置いた石の数のみを競うルールになっていて、初心者でもとっつきやすい。
初めての人はこれで囲碁に触れるといいだろう。
5路盤よりも7路盤のほうが初心者には易しいようだ。
ぷよ碁をやってもしっくりこなかった人はここを見るといいだろう
ぷよ碁と同じ純碁ルールで、勝つ度に上のレベルのAIに挑戦できるようになっているステージ制もチャレンジ精神がくすぐられる。
キャラクターもぷよ碁に負けず劣らず可愛く、初心者向けの問題集も充実していて、初心者がステップアップするためにうってつけのサイトだ。
ぷよ碁にもsimplegoにも勝てるようになったらCOSUMIやみんなの囲碁にチャレンジするといいだろう。
囲碁には置き碁という棋力差を埋めるハンデ戦がある。将棋でいう駒落ちのようなものだ。
最初はCOM相手に9子置いて徐々に置き石を減らしていくのがいいだろう
過疎っていて中々対局が成立しないが、初心者向けにぜひとも推したいのがこのCGSだ。
陣地や勢力圏がグラフィカルに表示され、碁石の残りの呼吸点の数も表示できるなど初心者にも視覚的にわかりやすい対局場になっている。
初心者は別に定石を覚える必要はないが知りたい人はここを見るといいだろう
◯◯わからないって永遠に言ってる人はまずは入門書を一冊読もう。ルールで必要な事はそこに全部書いてある
特に頭のいいわけではない自分が右も左も分からない所から入門書一冊でその日のうちに覚えられたので誰でもできる。わかる人わからない人の違いは入門書を読んでるか読んでないかの違いでしかない
ルールを覚えた後に初心者がやるべき本ナンバーワン!これやるだけでめちゃくちゃ強くなれることを保証する
始めて詰碁をやるならたぶん一番易しい
これをやるとやらないとでは棋力の向上に雲泥の差が生じる。
読まなくても「なんかここ危なそう」という感じに今まで見えてなかった筋に嗅覚が働くようになり
少なくとも局地戦においては初心者から中級者へ持ち上げてくれるほどの効果がある。
unlimited対応なので暇つぶしにチャレンジしてみよう。
ダメは体力、生きてる周りは小さい、石の価値の変動、石の軽重、等々囲碁の序盤~中盤にまつわるエトセトラをわかりやすい例え話を交えとても平易な文章で説明されている。
囲碁のルールはわかったけど19路でどう考えて打ち進めればいいかがわからねえ!という人への道標となる非常に親切丁寧な内容となっている。
定石の流れが図説されていて、実利や厚み、頻出度や簡明度などでランク付けされていてとてもわかりやすい
初めて定石を学ぶ人にもってこいの一冊。
昔は囲碁で手ほどきを受けようと思えば、高段者に教えてもらうか指導料を払ってプロに教えてもらうしかなかった。
それも比較的都会の話で、地方民などはそんな機会を探すことさえ困難だった。
それが今はAIを駆使して手元で簡単に自分の対局の分析ができる。
どこが悪い手だったか、どう打てばよかったかをAIに教えてもらえるのである。
KaTrainを使えばAIの導入も簡単で、AIのダウンロードからインストールまでお世話してくれて、とてもお気軽にAI分析が始められる
分析だけにとどまらずAIのレベルを調整できるし指導碁も打ってもらえる。あまりにも対局中に悪い手があったらその時点で教えてもらって待ったができる。
これはもう家に藤原佐為がいるようなもんで、ヒカルと同じ環境が現実になったのだ。
AI同士に対局をさせてそれを眺める事もできるし、自分の打った碁を途中局面から終局まで打ってもらって、どう打てばよかったかを見ることもできる至れり尽くせりのソフトだ
https://github.com/sanderland/katrain
さらには最近は「IZIS AI Go Board」なる物理的なリアル碁盤でAI対局やネット対局ができるハイテクなAI碁盤も登場し、学習環境はますます充実している
トビサキさんや柳時熏、横浜囲碁サロンさんを始めとするプロや高段アマたちが囲碁の実況動画をあげていて、
空白だらけの広い19路の盤面で何をどう考えて手が打たれているのか知ることができる。
昔なら棋戦でプロの解説を聞くよりなく、対局者本人の考えがリアルタイムに伺えるというのは考えられなかったことだ。
こういった動画を見ることで19路での考え方や指針のヒントを得ることができるだろう。
まだその境地に達していなくても「わけがわからない」囲碁の中でどういった駆け引きが行われているか、囲碁の面白さや醍醐味を味わうことができるはずだ。
実況動画以外にも解説動画も充実していて、非常に勉強しやすい環境だ。
ridoさんやJKGOさんは、話題のプロの棋譜の解説をしていて仲邑菫さんや上野愛咲美さんの碁がどうすごかったのか、という事を知ることができる。
okaoさんやとうまさん等は囲碁の戦略の解説をしていて、ゆっくり動画などもあり親しみやすく囲碁の戦略について学習できる内容となっている。
最近は日本棋院や囲碁将棋チャンネルがタイトル戦や重要な一戦を中継してくれている。
昔はBSで前半1時間、後半1時間みたいな中継しかなかったが今はフルで中継してくれる環境がある。
https://www.youtube.com/watch?v=BrYcmYy9dfk
大胆な捨て石作戦でのフリカワリや攻め合い、死活など囲碁の醍醐味が炸裂しているので全部はわからずとも雰囲気を味わおう
https://www.youtube.com/watch?v=GBN-HwnAAjk
19路での作戦の立て方を初心者にもわかるようにめちゃくちゃ丁寧に解説されてるのでルールさえ知っていればついていける内容なはず
https://www.youtube.com/watch?v=bpELSx35G5g
同じ場所に打つのでも手順の妙で結果が大違い。囲碁の深さが凝縮されているので囲碁って何が面白いの?という人はこれを観よう
https://www.youtube.com/watch?v=Abc9DVVKTvI
KGSという対局場に行けば2ch棋院やVIP囲碁部などがあり、わからないことがあったらそこで聞けば教えてもらえる。
なお残念ながら増田部屋はない。
その他にも初心者や級位者向けのコミュニティを用意してくれてる人たちはいる。ネットやTwitterで探してみよう。
コミュニティに属さなくてもわからないことがあったらSNSやネットの人の目につくところで騒げばおせっかいな誰かが駆けつけてくれる。
昔ならTSUTAYAやゲオにビデオを借りに行かなければなかった。
今ならヒカルの碁がNetflixやアマプラで家の中で見放題だ。
モチベーションという意味でもヒカ碁はいいし、囲碁を覚えてからヒカルの碁を見ると100倍面白いのでぜひ覚えてみよう。
「初手天元」や「初手5の5、2手目天元」のシーンが話題になることがあるが実はあれもプロによって打たれた実在する棋譜で、打ったのは若手時代の山下敬吾と高尾紳路。どちらも平成期間のタイトルホルダーである。
このように現代は囲碁を学習するリソースが無料でかつてないほど充実している。
自分などは中学生のころに入門書を買って独学で覚えたが、現在はそれよりはるかに易しい環境だ。
いまや誰でも無料で、入門どころか高みに到達できるリソースが揃っていて、このリソースの充実具合で囲碁が「わからない」のは単にわかろうとしていないだけと言える。
何度でもいうが、今囲碁は囲碁が誕生して数千年の歴史の中でかつてないほど充実した環境なのだ。
数年でサービス終了したり数日で消費され切ってしまうゲームが多い中、数千年も擦られ続け消費されきっていない囲碁は面白さと奥深さが保証されているので、安心して囲碁の世界にダイブしてもらいたい。
下記へ移動
ワールドワイドな碁会所。
部屋の機能があるのでコミュニティに強み。2ch棋院やVIP囲碁部がある。
リアルタイム対局以外に一手ごとに時間を置いて打てるメール碁のような通信対局もある。
ブラウザのみで打てる
最強という呼び声の高いAI絶芸を使った検討が外部ソフトを経由することなくシームレスに行える
この他にも日本棋院運営で免状が申請できる幽玄の間や老舗のパンダネット(IGS)、東洋囲碁、囲碁クエスト等々様々な対局場がある。
ヒカルの碁の方がまだ良かった
【追記】追記編と初手編、日常用語編、国際編、人物編、二眼の説明を加えた。
anond:20220131231934にインスパイアされてやってみた。
省力のために一部wikipediaからの引用も交えながら独自の解説を記した。
一手で隅をほぼ専有できてしまう反面、中央から遠く発展力やスピードに欠ける。
江戸時代以前の古くから打たれている手であり三々よりは中央に近く、星よりは地に近いバランスの取れた手。
隅を占めるのに二手かかるのが欠点。
4・4の地点で碁盤の目印のある部分のこと。
後述の昭和の新布石時代からよく打たれるようになった手。それ以前は置碁くらいでしかあまり見られなかった。
地に甘いというのは、相手に三々に入られるとほとんど地を奪われてしまうためである。
碁盤において、この地点がもっとも高い地点であり、端は地面という概念となっている。
後述の厚みが確定地ではない未来への投資であるのに対し、序盤から陣地になる可能性が高い場所を実利という。
実利をとれば厚みを作られ、厚みを作ると実利をとられるという表裏一体な関係にある。
盤上において影響力を及ぼすことのできる、しっかりと連絡して眼形の心配もない強力な石の集団である。
「厚み」は「薄み」に対する対義語である。囲碁で「薄い」というのは連絡が十分取れていない形、眼に不安がある石のことであり、相手に攻撃される可能性を持っている状態を指す。
これに対して強力な「厚み」は相手からの攻撃を受ける可能性が低く、周囲に近づいた敵の石に対して攻撃するための基盤となる。また、相手が近づいてこなければ大きな模様や地を形成する拠点となる。
大きな地になりうる可能性のある勢力圏のことを指す。多くの場合、隅から辺、中央へ広がるものを呼ぶ。
手の順番や形を変え、定石等と比べることで本来の形に対して余計な石があることなどを評価し、効かし効かされを判断する。
1933年(昭和8年)に呉清源と木谷實が発表した、中央・速度を重視する新しい囲碁の布石のスタイル。それまでの小目を中心とした位の低い布石に対し、星・三々で隅を一手で済ませて辺や中央への展開速度を重視し、中央に雄大な模様を構築することを主眼とする。その斬新なスタイルと、これを駆使した呉・木谷の活躍により社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
またAlphaGoの台頭以後、新布石時代に負けるとも劣らない布石の変化が囲碁界を席巻している。
例えば星への三々入りを序盤に行うの「ダイレクト三々」は相手に厚みを与えるため不利と言われていたがそれが平然と行われるようになった。
隣り合った隅・辺・隅の星を占める布石である。辺を打たず、隣り合った隅の星を占めるのは二連星と呼ばれる。中央に大きな模様を張ることを主眼としたスタイルで、武宮正樹が有名な使い手である。
安永流ともよばれる。星・小目・辺の星脇を組み合わせた配置である。
小目からシマリを省略して星脇へヒラく手法は、江戸時代初期に本因坊道策が使用している。
本格的な中国流の開祖は安永一とされ、中国には陳祖徳が広めたとされる。1965年の日中囲碁交流の際に非常に注目され、日本に逆輸入された。
右上空き隅、小目、相手の星へのカカリから星脇へのヒラキまでの一連の配置を指す。下図下辺の黒の配置がミニ中国流である。右上隅の着点は必ずしも決まってはいないが、星との組み合わせが最もよく打たれる。平成期に流行した構えだが、すでに400年ほど前に本因坊道策が試みていた。このため道策流とも呼ばれる。
序盤早々、周囲にまだ石がない段階で、相手の星に対して直接に三々に打ち込んでいく手段を指す。かつては全く考えられていなかった戦法だが、AlphaGoなどの人工知能がこの手を打つことから注目され、人間の棋士の間でも広く採用されるようになった。ダイレクト三々の名称は、2018年5月から河野臨によって週刊碁の連載のタイトルに使われ、定着した。
囲碁の基本的な手筋のひとつである。アタリの連続で、逃げる側は盤がある限りは逃げることができるのだが、盤の端まで到達してしまうとどうにもできず、石を取られてしまう状態をいう。逃げきれるつもりでこの手順に入ると非常に大きな被害を受けること、シチョウアタリという攻守が全く逆転する危険な変化があることから、「シチョウ知らずに碁を打つな」という格言もある。
シチョウの追いかける先に相手の味方の石がある場合シチョウが成立しないので、この手を選ぶことが多い。
相手の石にフタをするように斜めに置き動きを封じる。
一旦相手のふところに石を打ち、一度は取られてしまうが取った後の姿がアタリになっていてすぐに相手の石を取り返すことができる。
漢字表記では「追い落とし」となる。 ツグ手を打っても引き続きアタリになり、取られてしまう状態をいう。別名をトントン、ツギオトシ、バタバタとも。
相手の石にも自分の石にも触れないような位置に、文字通り「置く」ように打つ手のこと。動詞では「置く」となる。多くの場合一線や二線など辺の低い位置の、敵陣の急所に打つケースを指す。
相手の二団以上の石を同時にアタリにし、二眼を確保する手段。文字通り相手を押しつぶすイメージであることからつけられた。着手禁止点を利用して生きる手筋である。
相手の石をアタリにし、自分の石を相手に取らせた上でもう一度相手をアタリにする一連の打ち方を指す。途中、さらに捨て石なども交えることもある。多くの場合、相手を凝り形にし、自分が形を整える目的で打たれる。また、攻め合いの場面で相手の手数を詰め、攻め合い勝ちに導く手筋としても用いられる。また、あまり効果のないシボリを「西洋シボリ」と称することがある(前田陳爾の造語)。
ある石のダメが詰まることで、各種の不都合が生じる状態を指す。「ダメの詰まりは身の詰まり」という囲碁格言があるように、不必要にダメを詰めてしまうことは身の破滅につながり、碁において戒められる事柄のひとつである。
駄目については後述。追記編を参照。
ヨセ(終盤のこと)において相手の陣地を侵食するための鮮やかな手筋。
一見繋がってないようなところに打つのだが、見事に繋がっていて相手の地をかなり減らすことができる。
盤上にある石の一団は二眼(空間が2つ)ないとゆくゆくは駄目(呼吸点)が詰まり必ず取られてしまう運命にある。
これはルールとして定められているというよりは、石は呼吸点を有してないと取られる、着手禁止点には打てないという2つのルールから導かれる定理のようなものである。
2つ眼があると、駄目が最低でも2つある状態と着手禁止点が2つある状態が存在するため、着手禁止点を同時に2つ塞ぐことはルール上できないので必ず取られない最強の存在となるのである。
この取られない石の状態のことを「生きている」と言い、この「生きている石」の内側の領域が陣地となる。
この石の生き死にさえ理解できれば、初心者の、どっちがどっちを囲んでるのか、これは内側も外側も囲んでると言えるのではないか、という疑問は消えるだろう。
相手にそこを継がれると眼となる部分に先行して打って欠け目にすること。
「打って欠く」(打ち欠く、あるいは内欠く)の意
相手にそこに打たれると完全な二眼ができてしまう部分に先行して打てなくする、相手の石の一団を殺す必殺の手。
隅に打った既存の石から陣地を確保するためにもう一手かけて領域の守りを固める手
ふたつ隙間を空けて打つ手
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自分の石の斜めひとつ空けた場所に置くこと。●から見て★の手のこと。
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相手の石の隣にくっつけて置くこと
相手の石を挟むように置くこと
相手の石の斜めに置くこと
相手の石のつながりを断つように斜めに打つこと
相手の石がそれ以上侵入してこないようにせき止める位置に置く石
相手の石を押すように平行に打たれる石
目外しへのカカリから発生する定石を指す。派生する変化型が多く、複雑な戦いになることから、大斜百変、大斜千変とも呼ばれる、難解定石の代表的なもの。天保頃より特に研究が進み、現代でも多くの変化が生まれ続けている。
小目への一間高ガカリに下ツケする形から発生する定石を指す。最初から接触戦となり、また変化型が多い難解定石の代表の一つ。石が接触しながら戦いになっていく様を「ナダレ」と形容された
小目への一間高ガカリに二間高バサミして生ずる一連の変化を指す。難解で未解明部分も多く、また変化型が多いために誤ると自らも傷を負うところから、村正にちなんでこの名が付いた。大斜、大ナダレとともに三大難解定石とされる。
竹の節のような並び。
一間空けて2:2で平行に並んだ形で、その間をどちらかを相手に打たれたらもう片方で繋がれるので絶対に切られることがない。
仏教用語ではひとつの宇宙が始まって終わるまでの途方も無い長い時間のこと。
囲碁においては、どちらかが譲らない限り永遠に循環してしまう特別な形があり、その形をコウと呼ぶ。
コウの形で石を取られた側はコウをすぐに取り返してはならず、一手別の場所へ打つ必要がある。
通常、白石はハマグリのくり抜きによってできているがそれが語源か。しらんけど
冒頭で説明。
限られた局面、特に序盤においてある程度決まった一連の手の応酬のこと。
定石は手練の碁打ちの長い研鑽、研究により成り立つもので、お互いに必然の手を打ち、双方ほぼ互角のワカレとなるのが定石の前提である
どちらの陣地にもならないどうでもいい地点の事を指すことから日常用語に転じた。
または、石から出ている呼吸点(全部塞がれると相手に取られてしまう)のこと。
囲碁において死活問題とは、相手の石を殺す、あるいは自分の石を活かすための問題(クイズ)のことである。
現代では上手(うわて)が白を持つが平安時代期には強いほうが黒を持っていた。
そのため
と転じたと言われている。
自分が第三者となった視点で戦いを見ると手がよく見える、あるいはそう錯覚すること。
一目は一子(石ひとつ)の意。
囲碁においては強さに差がある場合、相手より多く先に石を置いた状態で始めることから、相手の実力を認め敬意を示す意味に使われるようになった。
手を省くこと。
力を抜くことではなく、相手の打った手に付き合わず、その場所よりも価値の高い場所へ向かうことを言う。
囲碁にはいくつかルールがあり、基本的には江戸期~昭和期まで囲碁の第一人者であり、世界に囲碁を広めた日本のルールが用いられている。
日本ルールは盤上の囲った陣地(目)のみをポイントとするのに対し、中国ルールではそれを含め置いた石の数もポイントになる。
この2つの大きな違いは、日本ルールが自分の陣地に自分の石を置くことがマイナスとなるのに対し、中国ルールではマイナスにならない点である。
このことが死活に関わる局面や終盤の局面での手入れ、手抜きにおいて大きな違いを生む。
日本ルールでは曲がり四目と呼ばれる形が出現した場合、手を入れるのがマイナスになるためそれが死であることの証明を用いないと議論が生じる。
そのため中国ルールのほうが初心者に優しく、コンピューターにも優しい。
他には日本ルールでも中国ルールでも禁止されている自殺手がOK!というルールもある。
碁打衆を保護、「御城碁」の基盤を築く。近世囲碁の発展、振興に絶大な貢献。(日本棋院表彰ページより引用)
永禄2年(1559年) - 元和9年5月16日(1623年6月13日)
江戸幕府における囲碁の最高位だけにとどまらず、将棋の最高位も得た二刀流。
大橋宗桂との将棋対局は将棋の現存する最古の棋譜でもあり将棋界においても重要な人物の一人。
正保2年(1645年) - 元禄15年3月26日(1702年4月22日)
手割りや布石など、数々の発明を生んだ天才棋士。史上最強という呼び声も高い。
文政12年5月5日〈1829年6月6日〉 - 文久2年8月10日〈1862年9月3日〉
ヒカルの碁で著名。
1874年(明治7年)6月24日- 1940年(昭和15年)1月18日
またタイトルとなる前の、「名人は一世に一人」の終身名人制時代の最後の名人でもある。
引退後に本因坊の名跡を日本棋院に譲渡し、選手権制の本因坊戦創設に導いた。2008年囲碁殿堂入り。
「オマ●コ」発言など、昭和の棋士らしい数々の破天荒なエピソードが有名。
棋聖 6期 (1977-82)
名人 2期 (1962・70)
天元 1期 (1975)
かしらもじDもそうなんだ(
1998年4月、エイベックス(後のエイベックス・エンタテインメント株式会社)の音楽プロデューサー長澤隆之はavex traxおよびavex tuneから分離しアニメ専門レーベルa.t.m.を創立。同レーベル作品の第一弾が『頭文字D』である。1999年11月、a.t.m.はavex modeにレーベル名を改称する。
『ONE PIECE』などのアニメ作品や、「平成仮面ライダーシリーズ」(『龍騎』から『ディケイド』まで)に代表される特撮作品の映像・音楽ソフトを発売していた。同社制作のアニメ作品はAT-XやアニマックスでCS初出となる例がほとんどである(『ヒカルの碁』はAT-X初出後、キッズステーションで放送)。
人の嗅覚は強い臭いに慣れるという性質が大きいのではないかと思います。
「嗅覚疲労」や「嗅覚 慣れ」でググるとたくさんの解説が出てきます。
私は元喫煙者で、禁煙して15年が経ちその前に15年間吸っていましたが、
禁煙して3年ほど経過して、とても驚いたのがタバコの臭いの強さと、
タバコの臭いがこれほど強烈だと知らなかった、違和感をまったく感じなかったことでした。
嗅覚の疲労については、どこかで見た「嗅覚は大気中の異物を検知するための機能なので、日常的に強い臭いにさらされているとそれを異物として検知しなくなる」という説明を見て、なるほどなと思いました。
さて、元喫煙者の経験から、喫煙者と非喫煙者の間にある最も大きな乖離が、この「タバコの臭いの強烈さ」だと思います。
喫煙者とて普通に臭いを感じていますし、タバコの臭いも分かります。
しかし、この「普通に」と思っているところがまさに認識が乖離しているところで、喫煙者が思うタバコの臭いが「非喫煙者が感じる臭いの数十分の1」ということが分からないのです。
喫煙者にとっては自分の感覚が普通なので、「タバコが臭い」と言われても、臭いに敏感な人なんだな、という認識になります。
また、喫煙者が鈍くなっているのは「タバコの臭い」だけなので、他の嗅覚はすべて正常です。むしろ嗅覚に鋭い人もいるので「臭いに鈍感になっている」という事実は受け入れられ難くなります。
喫煙していた頃、ときどき「そんなにタバコいっぱい吸ってると、料理の味とか分からないんじゃない?」と聞かれることがありました。
当時はそんなわけないだろうと思っていましたが、今では相手が言いたかったことはよくわかります。
「こんなに強烈な臭いが分からないほど嗅覚が鈍ってるのに、料理の味が分かるの?」と言っていたのでしょう。
繰り返しますが、喫煙者が鈍いのは「タバコの臭い」だけなのです。
髪や部屋についた臭い、風向きによっては10m先まで届く臭い、歩きタバコの後ろにずっと残される臭い、タバコを吸った直後の体臭などは、喫煙者にとっては気づけないほどの軽微な臭いです。
さて、前置きが長くなりましたが、昔の人はタバコの臭いに苦情を言わなかったのかという話ですが、
前述した通り、人の嗅覚には「日常的にさらされる強い臭いに鈍くなる」という性質があります。
非喫煙者であっても、周囲に喫煙者・喫煙状況が多いほど、タバコの臭いには鈍くなっていきます。
「自分はタバコを吸わないが、食事の場でタバコを吸っている人がいても気にならない」という人は、日常的に喫煙状況の中にいることがほとんどです。
30年ほど前は、トイレ、電車、職員室にいたるまで、喫煙状況が当たり前にあり、
誰も彼もタバコの臭いに鈍くなっていたので、タバコが少々臭く感じても、目くじらを立てて怒るほどのことではなかったのではないでしょうか。
「ヒカルの碁」でも、碁会所の大人たちが子どもたちの前でばんばんタバコを吸っていて、子どもたちも「タバコの臭いは苦手だけど」と言っている描写がありましたが問題視はされず、当たり前の状況として認識されていました。
ここ25年の間に、急激にタバコを吸える状況は消えていきました。
周囲にタバコ臭が無いことが当たり前になり、タバコ臭に鈍い人が減り、タバコ臭を異常として認識する人が増えていき、そして今があります。
昔は社会全体に喫煙者が多いので喫煙行為が美化されがちでしたし、そもそも喫煙者にとってタバコの臭いが「悪臭」ではない、ということも要素としてありますが。
ヒカルの碁をやっと読み終えた
小畑先生の作画が本当に美しくて、一コマ一コマが画集のクオリティだと思う。これが週刊誌で連載されてただなんて信じられない。
でも、だからこそ、最終巻、いやとあるシーンからずっとあれ…?え…?!て感じで、そのまま終わってしまって悶々としているという話をします。
私はヒカルと佐為の関係の物語と思って読み進めてしまった、読む前から私の中で佐為の存在が大きすぎたんだ。
そりゃだって小学生の頃人知れず恋してた人だったんだもの。何故か恥ずかしくて誰にも言えなかったけど佐為に会いたくてこっそりアニメを見てた、途中からだったし囲碁のこと全然分からないからストーリーは知らないままだったけど。
だからこそ自分の中で佐為への期待が大きすぎて、勝手にストーリーを作ってしまってた。
ヒカルはきっとプロになって最終巻で塔矢と対決して、ヒカルの力だけで塔矢に勝ってそれを見届けて成仏していくのだろうなって、それしかないよなって確信を持って読み進めてしまってた。
だから最終巻どころか終盤にも差し掛かってない段階で、割とあっけなく佐為がいなくなってしまってそれからはえ?あれ?もう?いや、さすがにここで終わりはないよね…?なんだかんだまた戻ってくるよね?という考えて頭がいっぱいのまま、結局佐為は最後までヒカルのところに戻ってくることはなかった。
ネットで調べると韓国との戦いで高永夏に敗れたことが納得いかない、最後なら勝って終わって欲しかったと言う意見をたくさん目にしたが、個人的にはあの試合はたしかに負けてしまったけど素晴らしい描写だったし、囲碁というスポーツや戦闘モノと比べると動きの少ない勝負であれだけの躍動感を描き上げた小畑先生の画力は日本の宝だと思う。
でもやっぱりね、やっぱり佐為もういないの…?という気持ちが消えない。どんなに素晴らしいシーンを見ても佐為のことばかり気にかけてしまう。
どうしてこんなにやるせないのだろうと自分で考えてみたんだけど、多分私の感性ではヒカルと佐為の関係性を思ってたよりも深く知ることができなかったんだ。ヒカルにとってはなくてはならない存在だったと言うのは充分にわかったんだけど、佐為にとってのヒカルはどうだったんだろう…?と思ってしまうの。
塔矢を見てあの子に憑きたかったとか、秀策はたくさん打たせてくれたのに…とか佐為の不満が描かれていて、それを見てた頃はそう言いつつも最後はきっとお互いにかけがえのない存在になって私と言う肉はそれを垣間見て美しい友情に涙するんだろうな…とにやにやしていた。
でも結局突然いなくなってしまった。成仏というのは本人の中に後悔や蟠りが無くなって現世に執着する理由がなくなって初めて行われるものと思い込んでた私にはこれはあまりにも衝撃的だった。
真相はわからないから勝手な予想だけどきっとファンなら最初の段階で誰もがそう予想する(塔矢との対決でヒカルの成長を見届けて安心して成仏していく)だろうから、それだとあまりにも予想通りの展開だからってことでこういう展開になったんだろうか。
この終わり方だと結局、佐為は探しているものを見つけられたのだろうか、もしかして別にヒカルじゃなくてもよかったの?不満を抱えたまま消えてしまったの?という思いが拭えない。
多分私はこの二人にあまりにも期待しすぎてしまってたんだと思う。他作品だけどネウロと弥子の関係性が本当に大好きで理想的だったから、勝手にこの二人もきっと最終的にネウロと弥子みたいにお互いにかけがえのない存在に
昔のジャンプの連載陣の主人公年齢もまとめないと片手落ちだろ。
2000年なら
1990年だと
ゴッドオブブラックフィールドとか俺だけレベルアップな件とか明らかに日本じゃないだろって漫画が日本を舞台に日本人が主役なんだけど。
ある漫画では、アイドルグループの元メンバーの男性と小説家の女性が結婚してるけどその男性はタレントとして活躍し出してて結婚してる事を隠してるって話なんだけど
最初は全く疑問に思ってなかったけど結婚式の時にその小説家の女性の母親がチマチョゴリを着て参加しててアレ?となった。
日本を舞台に日本人の話なのにチマチョゴリって着るのかな?と不思議に思ってたけどどうやら原作は韓国を舞台にしたものだったらしい。
ピッコマに限らずだけどわざわざ日本を舞台に日本人を主役にするのは良いんだけどモロに韓国文化丸見えみたいなのちょっとどうにかして欲しかったわ
そのシーンを読んで以来その漫画を読む気が完全に失せて今も全く読んでない。
韓国で日本の漫画が翻訳されて出版されるみたいな話でドラえもんとかキャプテン翼とかヒカルの碁とかはちゃんと韓国人向けの衣装とかに設定し直してるって話なのに
日本を舞台に日本人を主人公にするんならせめて日本らしい文化や服装に描き直して欲しいね
頭がおかしくなってくる。
個人的に、キャラクターが魅力的な作品が好きだ(アニメ、マンガ、小説、ゲームなど)。
実際に名作と呼ばれる作品には上記の要素があるようにも思っている。
たくさんの作品に触れてきてたくさん魅力的なキャラクターに出会ってきたが、そろそろ1人で探すのが限界になってきたのでみんなの力を貸してほしい。
最初は魅力的じゃないけど、成長して魅力的になるというパターンでも大丈夫だ(下記の例にもそういうものがある)。
今まで出会ってきた中で好きな作品と好きなキャラクターを書いておくので参考にしてくれると嬉しい。順不同。
バッカーノ(みんないいけど、強いて言うならラッド・ルッソ)
狼と香辛料(ホロ)
凪のあすから(光)最初は好きじゃなかったけど最終的に成長したのが良かった
デスノート(L)
ジョジョの奇妙な冒険シリーズ(2部のジョセフ)
それでも町は廻っている(嵐山歩鳥、紺先輩)
逆に、リゼロなどは話は面白かったがいまいちキャラが好きになれなくて微妙だった。(面白かったけどね)
みんなよろしく頼む。
それは認識が間違ってるね。
ダイの大冒険が登場して以降も少年コミックにおいては和製ファンタジーって長い間不人気ジャンルだったんだよ。
ハリポタや指輪の映画がヒットして世間的にはファンタジーブームが巻き起こってるさなかでさえも。
ダイ大がヒットしたのはジャンプ的バトル漫画として優秀だったからであってファンタジーとかドラクエとか結局のところ重要なところではなかった。
ジャンプ王道的でない目新しさでいえばダイの大冒険より先に始まったバスタードのほうがあらゆる意味で上なわけだし。
当時のジャンプの目次見ておきながらなぜファンタジーRPG的な漫画の先駆のバスタードを無視できるのか不思議。
それはさておき、バスタードもダイの大冒険もピンポイントで人気が出ただけで、ファンタジー漫画の市場を形成するには至らなかった。
ヒカルの碁やデスノートで一世を風靡した小畑健もファンタジーRPGをベースにしたBLUE DRAGON ラルΩグラドでは壮絶に爆死したことでもわかるように、大人気作家が描いて競合がいない状況でも凡作ファンタジーが生き残れるような余地はジャンプには存在しなかった。
近年こそなろう系ファンタジーがラノベやアニメを席捲しているけれども、少年コミックの世界ではいまでもなろう系やドラクエ的ファンタジーが幅を利かせるような余地がほとんどない。
ダイの大冒険ってけっきょくキン肉マンや聖矢やドラゴンボールにつらなるジャンプバトル漫画の人気作品のひとつに過ぎず少しもエポックではないんだよね。