はてなキーワード: ネット言論とは
日本は男の所得による結婚格差が極めて高く、独身高齢男の自殺率は高止まりしてるわけですが、最近はネット言論上でもタコ殴りにされて、実際は死ぬまで搾取されつづけるんじゃないですか。
なんだか、投稿しても途中で切れてしまうので、追記部分だけをトラックバックでつなぐことにした。
すごい伸びていてびっくり。読んでいただいてありがとうございます。
はてブなどの反応を読ませてもらって、補足したいところとか言い訳したいところとかたくさんあるけれど、元々長いしキリがないので文章が飛躍してるところやタイポを中心にちょこちょこ直せるとこだけ直した。いらんとこだけ書き直したわりに、あんまり直ってないかもしれない。それ以外では、
御用wikiについてもいっぱい指摘があったので追記したかったけど、本題とずれるわりにくっそ長くなったのでやめた。3.11以後の動き、の項の一段落目にアエラ表紙とか青プリン先生とかとあわせて含まれていると察してください。
きくまこ先生否定ありきで見てる、みたいな意味合いの感想もちょこちょこ見たのだけど、確かにたまたま何回も名前を出すことになってしまったけど、別にそんなわけではない。他のおかしなニセ科学批判派含めた、ワンオブゼムとして批判の対象になるべきだと思っている。個人的な好き嫌いでいうのならば、きくまこ先生には同情するところも少しはあるし、感情レベルでむしろ一番不愉快なのは多層な批判層の(3)にあたるような人たちである。ただこの人たちは(2)と区別がつけにくかったり((2)だって大嫌いだが、不愉快度だと「通じるとこのある」分(3)のが高い)、ニセ科学批判者としても論客としてもいまいちなサイズの人が多かったりで、名前を挙げにくかったので特に具体名は挙げなかったのだ。「また人文系か」タグを振り回すのが好きだった某はてなブックマーカーあたりはここの例としてに限れば最適だったんだけど、ニセ科学批判とは関係ないし、ツイッターではさして存在感がないし。かといって、最近頭角()を現してきた大貫剛氏あたりを出すのも、さすがにかわいそうな気がするし。
追記も長くてごめんなさい。
ツイッター経由で、元記事について伊藤氏がこんなツイートをしているのを知った。
それですね。元増田のひとが、いわゆる左派をもう信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象を必要としたという見立ては可能でしょう。
「それ」というのは埋め込みツイートされている別の人のツイートのことだがそれはともかく、いやマジで何を言ってるの。
俺がニセ科学批判者を批判するのは俺がもう左派が信じられなくなっているせい?どういうロジックよ。「ニセ科学批判への批判はサヨクのせい」ですか。
こんなん、10年くらい前なら「伊藤剛検証blog」とかブログが立った時に酷すぎる支離滅裂発言の例として取り上げられるレベル、20年くらい前なら山本弘に著書の中で太字で突っ込まれた上に小見出しのネタにされるレベルのおかしな物言いじゃないか(伊藤氏にはトンデモ本シリーズで取り上げるべき著書がない、とかそういう話はここでは関係ない)。
言葉を単純に置き換えればいいというものではないのかもしれないが、例えば、エア御用とか言ってた人が、「エア御用で放射脳批判をしている人は、実際はもう放射能安全派を信じられなくなっているが、失われた信頼を想像的に回復するため、じぶんと近しい批判対象を必要としているだけなのだ」とか言い出したら、それこそ伊藤氏含めたネット言論で袋叩きにされるんじゃないかね。
俺が左派論客を全面的に信じるなんてことは今も昔もあったことはない。そういう世代じゃないし。でもそんなのは左派相手に限らず当たり前の態度であるわけで、左派を「もう信じられなくなった?」と言われたらいやそんなことはありませんよ、と答えると思う。俺は別に家柄も収入もたいしたことない人間なので、左派不信になってトクする理由があんまりないし。それと左派のおかしな発言をする人について批判的なことを言ったり考えたりするのは別に矛盾しない。ニセ科学批判クラスタを批判してるからといって、ニセ科学批判の内容なんてもう信じられない、放射能のせいで鼻血が出る福島の子供やホメオパシーの治療効果や虐殺された江戸しぐさの伝道者も実在したんじゃないか、と主張したいわけではないのと同じである。
それは別に元の記事から読み取れることではないと思うので別に当てられなくてもいいんだけど、だからといって伊藤氏がどうやって上の推測にたどりついたのかはやっぱり謎である。どこかパラレルワールドには左派不信な「俺」がいて、伊藤氏と親しかったりするのだろうか。
あと、そういう「推測」が成り立つのなら、伊藤氏が「みんな左派が信用できないんだ」と思い込み、イデオロギーにとりつかれているのを勝手に俺に投影している、その傍証じゃないかという見方も出来るのではないか?と思えるのだが。少なくとも伊藤氏よりはロジックもアクロバティックじゃないと思うけど、どうなんだろうね。
もうこれ以上の追記はしないつもりだったが…… 被曝方面のニセ科学批判で目にする林智裕氏がこんな反応をしていたらしいという話を見た。
元増田では名前を出さなかったとはいえ、放射能デマ関係のニセ科学批判に熱心な人、こんなんばっか目立つの本当悲しくなるな、と思って見ていたアカウントの一つだ。
そして、一読してやっぱり悲しくなった。
左派のことばかり批判するな、と言われても、じゃあまずはこの件から謝ってみせて下さい、としか。左派政党の代表達が、放射能デマゴーグとべったり。総括も反省もしない。謝罪も無い。
俺はどっかの政党の党員じゃないので、左派政党の代表がだれと仲良くしてたとかについて謝ったり総括してみる義務も責任もないはずなのだが…… この人もどこかの平行世界ではそういう政党に所属している「俺」と知り合いだったりするのかな?謎だ。というか、党員であってもあんまり代表の不手際を謝ったり反省したりしないよね、左派政党に限らず。逆ならまだしも。
もっとも、そういう党を支持するだけでもけしからんという見方もあろう。俺は左派政党のそういうところは支持していないので関係ないともいってしまっても良いのかもしれないが、元増田で書いたRT論はそのような属人(党)的で判断する考え方に近いともいえるし。
ただそれならそれで、林氏が普段、どの政党を支持して票を投じているか、知りたいところだ。RTする相手はアカウントの数ほどあるが、政党はそんなにたくさんない。今の日本で非左派政党とみなされる政党というのは、ニセ科学やデマゴーグにまみれた主張や政策を推し進めているか、そういう政党の衛星政党としてしか機能していないか、その両方か、のいずれかしか心当たりがないのだが。あやまって、やくめでしょ。って言ってやりたくならないのだろうか。そうじゃない、あくまで無党派なんだ、というのかもしれないが、その割には随分左側のニセ科学だけが許せなさそうな様子のツイートだ。
特に、いま一番議席を持っている右派政党、代表から末端の組織までニセ科学やデマゴーグがあちこちに観測されるんですが…… その人たちやその支持者にこういう総括や反省や謝罪を求めたことがこの人にはどれほどあるのでしょうか。右派メディアで有名な産経新聞や「WILL」「正論」、それにあまたあるアフィブログやネットメディアもしかり。いや、総括や反省や謝罪を求めなくてもいいっちゃいいんだけど、そういう人にこんなこと言われたところで知るかとしかいいようがない。
あるいは(これはあまり想像したくないことなのだが)、放射能デマがらみ、あとたまに反医療デマがらみ?以外なら、デマでもニセ科学でも大歓迎!ということなのだろうか。
元増田でも触れたけど、ニセ科学の文脈であれそれ以外であれ、ニセ科学批判者には右派を(あるいは「も」)批判する人は(「ニセ科学批判批判クラスタ」が時に大げさに言うよりは)意外にいる。というか俺もリアルアカウントでニセ科学批判をするときはそういう人として見られていたはずだ。なのだが、「左派のことばかり批判するな、と言われても」というからには、この人は自分の属する「ニセ科学批判集団」が右派の批判をロクにしていないという自覚があるのだろうと思われるわけで、そのへんどう思っているのかというのも気にかかる。あいつらは頭のおかしいことをやっている、とでも思ってこちらの陣営を見ていたのかな。そんなニセ科学批判者、「放射脳」並みに御免である。
まあなんていうか…… この論法好きじゃないのだが、伊藤氏にしろ林氏にしろ、自分がゴリゴリの党派性を韜晦したつもりで普段「イデオロギーフリーなニセ科学批判」をしてるからこそのこういう反発じゃないのかな、とか言ってみたくなるんですがどうなんですか。アリバイ的に左派的な口ぶりをするだけなら、ダダでも出来るんだよね。
私が共謀罪に反対する大きな理由は、共謀罪が社会の様態を変えると考えているからだ。
共謀罪はテロ対策法と言われているが、その対象となる犯罪はかなり日常的なものも含まれる。
たとえば著作権法や保安林の区域内の森林窃盗(キノコ狩りなど)のようなものまで。
なぜそれがテロ対策になるのかというと、別件逮捕も想定しているからだという。
つまり対象犯罪は直接にテロ対策となりえないものまであり、また「一般人」も十分対象化されうるということである。
国会では再三その点が問われ「一般人は対象ではない」と答弁されていたが、国会でそのような答弁があったからと言って裁判官がその答弁を踏襲するとは限らない。だからこそ明文化するべきではないかと問われても、その必要はないと回答されてきた。
なぜ別件逮捕を視野に入れてまで対象を広げ、その定義を明文化しないのか。ゆくゆく拡大して利用する目的があると考えれば自然なことである。
最近再び話題に上ってきた憲法改正だが、自民党が憲法改正で目指すものはなにかというと、9条撤廃はもとより「公共の福祉」を「公益及び公の秩序」と言い換えるところにあるだろう。
共謀罪一つとれば、「共謀罪が将来的に拡大解釈して利用される」というのは憂慮しすぎのように思われるかもしれないが、自民党の憲法改正草案で「公共の福祉」が「公益及び公の秩序」と言い換えられていることとセットで考えれば、懸念すべき点も明らかになる。
今回の改正では、このように意味が曖昧である「公共の福祉」という文言を「公益及び公の秩序」と改正することにより、その曖昧さの解消を図るとともに、憲法によって保障される基本的人権の制約は、人権相互の衝突の場合に限られるものではないことを明らかにしたものです。
その「公共の福祉」を「公益および公の秩序」に変えるということは、「みんなの」というニュアンス(「public」のニュアンス)をより後退させ、「権力性」のニュアンス(「おおやけ」のニュアンス)をさらに強く前面に出す、ということを意味する。だから、これは単に言葉の言い換えにとどまらず、権力側の都合や利益による自由・権利の制限をこれまで以上に認めやすくする方向への変更となるのである。
共謀罪では「名誉毀損や侮辱等具体的な法益侵害又はその侵害の可能性」も対象となるため、組織的団体である新聞社が対象となることも十分ありえる。国会答弁では「一般の新聞社は対象ではない」と言っていたが、しかし何をもって一般とするのかは依然曖昧なままだ。
共謀罪に賛成する人は「やましいことがあるから反対するのだろう」と言うだろうが、問題は何をもって「やましい」と判断するのかということだ。「やましい」かどうかは、かなり恣意的に判断ができるようになっている現状で、安易に政権寄りに利用されてしまう可能性も出てくるだろう。
ここで私が最も懸念するのは、「体制に楯つく人や団体」を取り締まる材料にされてしまうことであり、「体制寄り」かどうかを一般市民レベルで判断するようになってしまうことである。つまり「体制に反していない」ことを市民自ら表明しなければならない空気ができてしまうことだ。
実際にテレビ局に政治的中立が求められた一時期以降、テレビ局は政治的中立であることをわざわざ断ったうえで、意見を表明しなければならないようになってしまった。我々の普段の生活レベルでも「反体制的ではないこと」を断って振る舞うことが求められるようになるかもしれない。
これがどれほど気持ち悪いことなのかは、北朝鮮という国を見れば分かることだ。言論に自由のある日本に住みながら、体制に対して媚を売らねばならない北朝鮮や中国を見ていて、抵抗感を抱かない人がいるだろうか。
要は共謀罪の成立が市民の権力闘争へと変貌しないといえるのだろうかというのが私の懸念点だ。
ネット言論ではすでに共謀罪で国内の新聞社や市民活動の取締を期待する声があがっている。本来は2020年オリンピックに向けた国際テロリズムを想定していたはずだと思うが、市民の要求によって国内の思想闘争へと刃が向けられている。
私が憂慮しているのは、この全体主義的な思考が日本を含めた東アジア地域とあまりに親和性が高いのではないかという思いが拭えないからである。
共謀罪反対派の人が困るのは共謀罪が成立しても何もないことだろうという趣旨の意見を見た。いやはや共謀罪が成立して国会答弁の通り一般人が今までと変わらず生活できることが何よりである。
共謀罪は本日強行採決により(2016.5.23 追記 / 衆院法務委員会で)可決された。これから先にこの法律をどのように運用するかは私達の良識にかかっている。(2016.5.23 追記 / 当法案がこのまま成立に向かうとすれば)正しく運用されることを願うより他にない。
結婚式に参加するのが大好きだ。
はてなに留まらず、2ちゃんほかネット言論では結婚式参加は祝儀払わされてホームビデオやスライドショー見せられるだけの罰ゲームみたいな風潮あるけど、俺は大好きなんだよな結婚式。
とりあえず新郎新婦の二人にとっては幸せのピークのひとつなわけでその場に呼んでくれてありがとうって気持ちになるし、成長の写真や家族への手紙とかいちいち感動して半ベソかいてる。あと今まで幸運に恵まれてきただけなのかもしれないけど料理は当然美味しいし、ワインもそれなりのものが飲み放題だ。昼間から堂々と仕事を忘れて飲めるのも最高に好きな理由のひとつ。
大切な友人の結婚式にしかほとんど招待がないからかもしれないけど、職場の付き合いで参加した結婚式でもそこそこ楽しい。というか最低三万円は払うんだから最初からつまらないなんて決め付けないで楽しもうよ。
国有地格安売却問題で揺れる森友学園だが、世間では初めて知る人も多いらしく「えっ、こんな幼稚園あったの?」という感想も多いが、ネットでは10年以上前から政治的に有名な幼稚園だった。
初めて知る人の場合、「国有地格安売却」→「安倍昭恵名誉校長」→「園長夫妻のヘイトスピーチ」→「教育勅語を暗唱する幼稚園」という順番で事実を知っていき衝撃を受けるのだろうけど、ネットでは順番が逆。
15年前くらいにすでに軍歌を歌う幼稚園として批判的なニュースがネットで知れ渡っており、10年前くらいに教育勅語を暗唱させる時代錯誤な幼稚園としてネット民に完全に認知されることとなった。
ただし、10年前は嫌韓・ネトウヨ勢力がネット言論の大部分を占めており、マスコミがいくら批判的にニュースにしようとも、「軍歌の何が悪い」「教育勅語のどこが問題なのか」と全く意に介さず、むしろ幼稚園の教育を正当化する意見ばかりだった。
森友学園がYouTubeに園児の課外活動として自衛隊イベントなどで日の丸や旭日旗を振らせるビデオをアップし始めて、2chの一部の板でそれを嘲笑的に取り上げるようになった。
2015年から安倍昭恵が幼稚園訪問したことを産経新聞が記事にするようになり、園児たちに「安倍総理はどんな人?」と聞いて「日本を守ってくれる人」と答えさせるなどしていると知られ「権力とずぶずぶやないか」と呆れ始めていた。
その後、2016年12月のロイターの記事で、安倍昭恵名誉校長の小学校開設が知られ、「うわ~きもい」ってなってたところに、この土地売却問題が報道され「ああ、さもありなん」と納得して追及する側に回ることとなった。
理由:「増田といえばやはりこれ」(17歳)、「画面から匂い立つようなウンコ臭を期待してしまいますわ」(17歳)、「真理があると思う」(20歳)、「増田が脱糞してると私も脱糞しても大丈夫なんだ!というポジティブな気持ちになれる」(17歳)
理由:「増田の価値は主語の大きさで決まる!」(17歳)、「主語の小さい腰抜け増田とは付き合いたくないでありますな」(17+n歳)、「虚勢を張っている増田の見栄っ張りな姿にグッとくる」(17歳)
理由:「増田の外にはばたくビッグな増田に惚れる」(17歳)、「最低でも2000users稼がない増田には価値が無い」(17歳)、「ネット言論ってかんじがなんかいい」(17歳)
理由:「普段は声なき群衆である女性たちのリアルな叫びが聞けるのは増田だけ!」(17歳)、「むしろ国会にとりあげられないような1万字くらいのだらだら陰鬱な増田が好き」(17歳)、「ちょっとブクマがつくて慌てた様子で追記をかくところが可愛い」(17歳)
理由:「狙ってるのか天然なのか、釣りなのかマジなのかギリギリの感覚が味わえて濡れる」(71歳)、「難易度は低いけど、確実にブクマを稼ぐぞ、という増田のギラギラした若さが見えていい」(17歳)、「俺も見下されたい」(17歳)
その他……「増田常連ブクマカに絶対ブクマされない忍増田」(一切の慣れ合いを排除したサムライ的姿勢がかっこいい、17歳)、「すいようび」(ミステリアスな感じに惹かれる、17歳)、「店長」(隠し切れないオーラに脱帽ですわ!、41歳)、「増田文学」(カクヨムには負けてほしくない!、17歳)、「エロ増田」(あんまりないから見つかるとラッキーな気分に、17歳)、「スパム」(正体不明で絶対に権力に屈しないところが男らしい、17歳)、「レビュー系増田」(いちいち個人のブログをチェックする手間がはぶけて助かる、17歳)、「料理レシピ系増田」(家庭的な増田さんが素敵だと思います、17歳)、「お嬢鯖」(気高い、17歳)、「人気記事パロディ系増田」(他人の尻馬に乗るさもしさがいかにも増田!って感じですがすがしいよね!、17歳)、
ついぞ、Amazonと楽天の比較みたいなブロガーさんの記事を読んでいて思ったのだが、ああいったマーケットプレイス型のモデルは伝統的に顧客と売りてだけがいるビジネスではないので、消費者だけの視点の意見は少なくとも運営企業にとってあまり意味のない意見だなと。
じゃあ誰の意見も聞くべきか?
それは出店者なのである。
一部は無料で利用もできる彼らが効率的に集客とマーケティングを出来ることが、マーケットプレイスビジネスモデルの存在価値である。(私は詳しくないが、コミケのサークルとコミケイベントそのものを運営している団体の協業関係と似ていると思う)
もちろん消費者にとっての使いやすさ、安さなどはネットの言論でもっとも大きく意見が出てくる所ではあるのは承知のうえだが、必ずその関係や廻っているシステムそのものを理解して、どういったお金と流通が動いているのか想像しながら批判、批評する事ができるブログやメディアは殆ど無いのが現状だ。
大抵残念ながら、目先のお金の動きだけに終止してしまうのが残念な所。(とはいえネット言論の主要なユーザーがビジネスサイドではなく消費、精算やクリエイティブに偏りがある現状では仕方ないが)
ビジネスを回すことでのステークホルダーはよく、3方よしなどというが、3方どころではないのである。
消費者、従業員、サプライヤー、株主、従業員の家族、経営陣、金融機関など他方の協業関係が初めて目の前の、数百円の商品が手元に届く事を支えているのである。。
2chまとめサイトの黄金期は既に終わったとみて間違いないだろう。かつてのまとめサイト群は、2ch上のおびただしい量の言論を切り貼りし、編集し、デコレーションすることで、「大衆に消費される」ことができるメディアとして完成させた。いわゆるネトウヨの隆盛も、まとめサイトの存在と無関係ではないだろう。
翻って今日、「ネット言論の商品化」は新たなステージに突入している。今や大衆が「まとめサイト」の読者になったのである。
例えば、「お笑いコンビの片割れが制服泥棒」というニュース。もちろん第一報は在京キー局や新聞だ。当然、これらのニュースはネットに波紋を呼び、Twitterで、2chで、様々な言葉が交わされる。「あいつ『覚醒』とか『フェラ』とかツイートしてるぞ」「芸歴より犯罪歴の方が長いのか」「相方が可哀想」などなど…。その日のうちにはハイエナのようにネットニュース各社が記事を書く。「○○逮捕ーネットの反応は」
さて、次の日のテレビのワイドショーはどうだろう。警察の発表、プロダクションの記者会見、芸能界への影響ーそれらが語られた後、必ず来るのは「さて、ネット上では…」。もちろん、既にネットの記事を見ている我々にとって、目新しい内容は何もない。それでも、視聴率が漸減する中、若者への訴求力を高めたいテレビ局はネットに触れることを辞めることは出来ない。
これを見たお茶の間の国民は、かつてまとめサイトで暇つぶしをしていた中学生と同じく、なるほど、おもしれーなーとテレビの画面をダダ見だ。かくして、ネット上での一部の人間のおしゃべりは、「ネットの意見」とタグ付けされて、立派に「世論」の仲間入りを果たす。なんと喜ばしいことではないか。ところが、ネットユーザーはそんな報道にも反論する。ここで我らが「はてな村」の登場である。無責任にも他人の言葉を引用するだけで何も有益なことを伝えないメディアに憤る。「生い立ちが原因なのではないか」「被害者の立場が置き去りにされている。芸能界の女性軽視だ」
そうしたフィードバックもまた、PVを稼ぎたいネットメディアにとっては記事のネタだし、テレビにとっても新たな取材材料になるのだ。都合の良いところだけ切り貼りされ、名無しの烙印を押されて再びそれらは国民に消費される。
こういった、情報のサーキュレーションは結局、ニートの妄想を暇な中学生に伝播させたまとめサイトと本質的には変わらないのだ。単に目立ちたいだけのネットユーザーの声を、社会の一側面として(しかし自分には関係ないものとして)消費するお茶の間の主婦。彼女らはまだ、自分が大多数のネットユーザーー語る言葉を持たず刺激的な言葉を求めて検索を繰り返すーと変わらないことに気づいていない。
akihiko810 この件は、「『これは嘘です!』と嘘をつくのは悪手」というのを、岡田レベル(つまり中レベル以上)のネット言論人なら知らないはずはないのに、したということが不思議 自分なら火消できると思った?
凄まじい既視感がある。
31歳メイ口マ似おばはんと42歳ニャンちゅう似おじさんの下世話話
この記事の
pokute8 炎上ヲチの重鎮による鎮火のための一打が"本当に付き合うかどうか結構悩んでたのでビックリした。とりあえず妄想ネタでしたと書いて"だったことに、炎上案件の奥深さを痛感する。
このブコメだ。
かなり頭が回るはずの岡田氏とオチューン氏の取った行動がともに、必死な火消しというのは、彼らの文脈を共有しない我々にとっては不可思議で滑稽に思える。
だが、彼らの立場になって考えれば、やはり火消しが最善手なのだろう。
彼らには実績がある。それまでの女性は誰も彼らとの関係を暴露しなかった。
http://www.gender.go.jp/e-vaw/chousa/images/pdf/h23danjokan-8.pdf
内閣府男女共同参画局による統計によると、レイプ被害にあった女性の過半数は誰にも相談していない。
ましてや、岡田氏やオチューン氏の件のような形式上は同意の上とされている交際においては尚更である。
岡田氏とオチューン氏。彼らは他の部分はまったく似ていないのに女性とセックスに至る方法論は驚くほど似ている。
甘い言葉でベタ褒めして、真剣な交際を臭わせてダメ押しし、そしてまずくなったら火消し。とにかく火消し。
それぞれに場の空気というのがあって、あそこは良識的なことを書くのはダサいという空気がかなり支配的なんだよね。クズいことを言えば評価される場所だし。そういうバイアスが働いているんだよ。はてなでは非良識的なことは書きにくいというバイアスがかかっているのと同じで、2chでも良識的なことは書きにくいというバイアスがかかっている。だから、2chをして正直という認識は間違ってると思う。層というのもあるだろうけど。
ちょうどこういう増田があって、話しがリンクしてたのでうrl貼っとく。
http://anond.hatelabo.jp/20140710001008
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20140619/267128/
「下劣なものの下劣さを指摘している人間の正義の構え」の中に、「正義の立場に立つ者に特有な自己陶酔」を嗅ぎ取るみたいなドヤ顔の本音主義者が、ネット言論の周縁部に蟠踞していて、彼ら「偽善」が大嫌いな論客の皆さんは、「じゃあ、あんたはサバンナでも同じことが言えるのか?」であるとか「一度も罪を犯したことが無い者だけが石を投げなさい」であったりする十年一日のテンプレートディベートで、今日もご清潔なご意見を葬り去ろうとしている
http://anond.hatelabo.jp/20140325193023
↑この増田のブッコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20140325193023)にみられる「読まなきゃいいじゃん」が通用するなら
https://twitter.com/s_suneco/status/448665586222899201/photo/1
↑このツイートのブッコメ(http://b.hatena.ne.jp/entry/twitter.com/s_suneco/status/448665586222899201/photo/1)がすごいリクルートへの呪詛で溢れてるんだけど、企業にも学生にも「使わなきゃいいじゃん」で済むのではない?
ネット言論での多数派意見がそもそもダブルスタンダードというのは、増田もリクルートも不公平感を味わうだろうし可哀想。
ブッコメしてる人達の大半が被ってるってわけではないんだけどね。
ある例ではAという言論が多数派を占めて、一方ある例では(Aと対極にある)Bという言論が多数派になるというわけわかめ。