はてなキーワード: ネット言論とは
https://trendy.nikkeibp.co.jp/atcl/pickup/15/1003590/121900702/?P=4
ネット上の言論は、しばしば極端で根拠を欠いたものに流れがちだと言われる。その要因は複合的だが、「劇場化」「匿名化」「断片化」「無料化」などが挙げられる。
まず挙げられる代表的な原因は「劇場化」だ。現代社会は、誰もが気の利いたことを言えば、瞬時に数十万人に情報を届けることができる社会だ。過激で面白い発言は多くリツイートなどされ、発言者は目立ち、逆に地道で理解に少し時間のかかる発言は敬遠される。
誰も反応しない発言は存在しないのと一緒だし、誰でも他人には認められたい。自然と劇場化し、発言は過激に流れやすくなる。それ自体はどんな社会にも存在した現象ではあるが、それが劇場化と相まって過剰になっているのだろう。
最近のはてなを見ると、はてなダイアリーやはてなハイクを止めたりはてなキーワードの編集を一時的に止めたりと、守勢に入っているようだ。はてなサービスの利用者は増加しているが、経営陣が技術的負債をなくすことができなくなっていることで、はてなの衰退を感じざるを得ない。
はてなには二つの文化が存在する。一つは、はてなダイアリーを原点としたはてな村、もう一つは2013年以降に出来たはてなニュータウンという。はてなダイアリーと増田が前者、はてなブログとはてなハイクが後者に当てはまる。そこで、それらの文化がどんなものか再確認しておきたい。
はてな村とは正にネット論壇の代名詞であった。お互いが場の「空気」に囚われることなく堂々と意見が交わされることで常に議論が活発に行われた。2ちゃんねらー等の他のネット民がゴシップや下らないネタに明け暮れている時にはてな民は着々と考える力を身につけていったのだ。はてなダイアリーが一世を風靡した理由はそれだろう。増田からは「保育園落ちた。日本死ね」や増田文学百選等世間に影響を与えた名作が数多く誕生した。Amazon echoがちょっといい話として増田を選んだ背景にはそれらの積み重ねがあるのだろう。さらにもう一つ忘れてはならないのは、科学技術を尊重する考えも存在したことだ。はてなブックマークではかつて科学技術的な内容が並んでいた。その中でHagexといったIT技術者等も登場した。
一方ではてなニュータウンでは共同体意識の強さが感じられる。そのことははてなブログのブロガー同士のつながりの強さやハイクの穏やかな雰囲気を見ても分かる。はてなハイクではハイク婚という婚約も起きた。また新規ユーザーを取り入れる柔軟性は村より優れている。しかし、お世辞にも議論が本格的に行われているとは言い難い。ユーザー同士がスターを付け合っており馴れ合っていることが分かる。はてなブログで起きている互助会問題が良い例だ。
はてなダイアリーのブログへの統合を考えると、村はもうすぐニュータウン側に併合されると予測できる。このことの背景には村の過疎化がある。はてな民の中には村を原始人が手斧を投げ合っている過疎地と揶揄する声もある。
しかし私はこのままでいいのかと言いたくなる。確かにはてな村は性格が攻撃的で排他的な雰囲気があった。それ故に怖くなって逃げた人も少なくなかっただろう。だが村が無くなれば、これまで積み重ねられたはてな民の素養や議論の精神は廃れてしまうだろう。そして馴れ合うことだけが残ることで、はてなはの質はAmebaやライブドアと同レベル、いやそれ以下に落ちるかもしれない。現に、はてなブックマークでは低俗な記事が並ぶようになって科学技術との関係が疎遠になっている。そして最終的にはてなそのものが過疎化するかもしれない。
だが何よりも、村側とニュータウン側の分断が深刻化する危険性がある。双方の文化の違いは増田とはてなハイクにて顕著に現れている。今でさえ村とニュータウンの棲み分けが進んでいるようで、少しずつはてなの議論の精神が無くなっているように思える。現CEOの栗栖義臣がはてなダイアリー(村側)で働いてきたこともあって、その精神の喪失が経営陣に暗い影を落としているのではないかと想像できる。それがはてなの衰退の一因のようにも思える。
では、村の文化が生きていくためには何が必要か。そこで私は敢えて村とニュータウンの統合を支持する。ダイアリーで書かれた記事等を全てブログにインポートする。同様に増田とハイクの統合を行うべきだ。私は統合後のサービスをマスダハイクと呼んでいる。このことは過去に書いたので是非読んで欲しい。↓
https://anond.hatelabo.jp/20190206113010
はてな村で培われた議論の精神がはてな民のエートスとして受け継がれなければならない。
そして、はてなで培われてきた全ての文化を包括してはてな民の団結を形成するために「はてな国」を成立させる必要がある。これによって、はてなは議論の精神と新規ユーザーを受け入れられる柔軟性を兼ね備えたより良いネット言論空間として生きるだろう。
今後はてなは、色んな付加価値の高い記事が揃うはてなブックマーク、ダイアリーの後継としての新はてなブログ、はてな民達が気軽にコミュニケーションがとれるマスダハイクの三つを支柱として運営するといい。そして、ネット論壇としての使命を全うして欲しい。はてなが百年後にも残っていることを祈って本稿を終えよう。
(二月八日改訂)
理系の「お前は馬鹿」の言い替えが「エビデンスが無い」なら、人文系の「お前は馬鹿」の言い替えは「教養が無い」だと思う。
どっちがネットバトルで攻撃力が高いかという、そういう低レベルな視点で考えていただきたい。我が国のネット言論でどっちが優勢かと。
例えば、増田やはてブでは「エビデンスが無い」で勝利宣言した論者が支持される一方、「教養が無い」で勝利宣言した論者に対しては「負け惜しみ」「傲慢」「お気持ち」とボコボコにする……という傾向は否めないのでは?
IT系自由主義は「フリーソフトウェア運動」を支持する派閥です
IT系自由主義という呼称があるわけでなく、判りやすい呼称をこの場で使っただけ
パソコン通信・インターネットと共に活動範囲を広げたため、Web上だけで言えば思想集団としては最古参であるのは間違いがなく、情報化社会では少なくない影響力を持ちます
ただ、技術者やそれに親しい者が大半を占めるため、興味ないことにはとことん興味がなく特定の議題でしかその影響力を発揮しないという気分屋なところがあり、ツイフェミやはてサよりも目立たないです
判別方法はWeb上のプロフィールなどに「GNU」や「FLOSS」という単語を記載していたり、情報の規制や検閲・セキュリティへ過敏に反応しがちという特徴があります
もちろんフリーソフトウェア運動を支持する派閥は一枚岩ということもなく、過激派や穏健派も居ますし、コミュニティーも複数あり、セーフスピーチ思想へ理解を示すコミュニティもあります
関連するコミュニティで最も有名なものに「GNUプロジェクト」があり、社会を騒がせたコミュニティで有名なものを挙げれば「Anonymous」などもIT系自由主義の一派と言えます
IT系自由主義の直近の日本での活動と言えば「海賊サイトブロッキング(反対論)」や「分散型SNS(普及論)」「キズナアイ騒動(キズナアイ擁護論)」があります
検閲や言論・表現規制に対して強く反対する傾向から現状の日本インターネット言論ではサブカルを取り込んだ右派思想集団と協調することが多く、協調してしまったが故にネトウヨと誤認されることがよくある
しかし「GNU宣言」などからも読み解けるようにIT系自由主義は左派思想であり、根本的な部分では決してネトウヨとは相容れないでしょう。現在は利害一致による共闘状態なだけ
IT系自由主義が右派思想集団を見限り、左派思想集団へもしも合流するとしたら、そのときはツイフェミやはてサ・左派政党が検閲や言論・表現規制によらない自由を獲得したとIT系自由主義が判断したときに合流すると思います
はてブ無くなったらどうやって情報収集したらいいの…個人ニュースサイトの時代に逆戻りか…? / “「はてなブックマーク」廃止論 - いつか電池がきれるまで”
http://b.hatena.ne.jp/entry/fujipon.hatenablog.com/entry/2018/06/28/120000
http://fujipon.hatenablog.com/entry/2018/06/28/120000
↑
そもそも、ソーシャルブックマーク自体が、世界を見たら時代遅れなんだが。
はてブなんか世界中にそんなのなくても、情報収集なんか存分にできてるんだが。
こんなはてブがないと情報収集ができないという情弱そのものなんだけど、
世界のネット言論は、はてブなんかなくても動いていることをどう思ってんのかね?
↓ ↓
このコメントしてる奴らって、はてブが海外ネイティブに使われてるとかマジで思ってんの?
英語圏を見ると、はてブよりtwitterで情報収集しているのくらいすぐに分かるよね?
twitterは分かりやすいから言っただけで、他にも大手サイトがあるからな。
かつてグーテンベルクの活版印刷技術で、科学、思想、宗教が世界に均質に広まることとなった。
素晴らしいことである。そのおかけで、家庭の壁一面に並ぶ大きくて重い百科事典とにらめっこしたり、
図書館に出向いて書架の間を歩きまわったり、知識を得るためには、そんな肉体的運動も必要であった。
現代のネット時代は、実は、それ以上に劇的な変化がもたらされた。
世界中の、最先端の、多くの情報が小さな画面に集約されるようになった。
ポチポチと指先を動かすだけで、誰もが情報の海から情報が安泰と入手できる。
さらに、情報発信も軽々とできる。多くの情報はゴミクズなんだけど。
日記サイトもゴミクズなんだけど、100年後には当時の日常生活が見られるわけで、
資料として一級の価値を持ったりするかもしれない。というわけで、このサイトの意義は
素晴らしい物があるわけです。ヨイショ。
しかし、個別的に見てみると、ネットは自己洗脳を加速させる面を持っている。これ、イクナイ傾向。
色々な情報があるのに、それを比較考量せず無意識のうちに自分の知りたい情報だけを
見つけ出してきて、知りたくない情報は詳しく検討することはしない。
また、自分の考えを開陳してはひたすら肯定してくれる人達を探して群れてるだけ。
仲間内で自家中毒。これはもう見てられない。本人たちは自分正義を貫いている、偉いだろ、えっへん状態。
末期症状だよ。
5年位前にネトウヨのデマを検証してまとめた記事が、最近になってちょっとアクセス増えてたから、その理由を調べたら、SNSでネトウヨアカウントがリンク貼っててそれが拡散していた。
まとめの内容は、「●は△だから○○で■■なんだとネトウヨが拡散してるけど、調べたら○○は誤解で■■はデマだよ」という内容だ。
どうやらネトウヨは、〇〇の部分も■■の部分も無視して、「●は△だから」の部分だけ引用して拡散しているようだった。確かにこの部分は事実だ。
しかし●が△であったのは、ネトウヨの陰謀論とは別のもっともな理由があり、そのことをもって当時に○○は誤解だと指摘していたのだ。
なのにそこは「そんな理由信じられない」とスルーされていて、「●は△だからひどい」と勝手に憤慨していた。
そもそもなぜネトウヨデマを指摘するまとめ記事が今ネトウヨに拡散されたかと言えば、当時ネトウヨが拡散していた、この件について取り上げたネトウヨまとめ記事は軒並み削除されており、他に上手くまとまってる記事がなかったからだろう。
今回拡散した投稿には「初めて知った」「こんなことがあったのか」と比較的ネット経験値が若そうなユーザーが返信していたのが印象的だった。
このことで、ネトウヨデマに対するある程度リテラシー持った人の5年前の反応というものを見返す機会を持ったが、5年前の投稿には、ネトウヨのデマを指摘するのにも何か遠慮がちに言っているというか、「ネトウヨさんの主義主張にはある程度共感した上で、それはデマですよ」と言っているような感じを受けた。当時はネトウヨがネット言論でもまだ勢いあった時代だったのだなぁと。変に対決しようとしたら、逆にネトウヨに炎上させられてしまっただろう。
海賊版サイトの対策案として、法整備を伴わない緊急避難的ブロッキングを行うべきか否か。
このことに関して、カドカワ株式会社代表取締役社長の川上量生氏が「緊急避難的ブロッキング」の積極的支持を表明したことが物議を醸している。
「出版社の社長として」超法規的ブロッキング策に賛成するのは当然の発言かもしれない。
ところで、ネット規制に関する発言は「海賊版の問題に限った発言」なのだろうか。
上記の記事を読めば分かるが、川上氏は経済的自由権・精神的自由権のどちらの点においても、国家がネットを規制すべきであるという考えを持っているのである。
ちなみにこれら以外にも腐るほど記事は出てくるのでもし興味があればネットで検索してみるといい。
僕はこれまで、何度か「中国は正しい」と発言して炎上してきたが、これは倫理的に正しいとか、政策を支持するとかではなく、国家として非常に合理的な行動だと言っているのだ。
何度炎上しようとも「国家はネット規制すべき」論を繰り返す川上氏。この主張に関してはとても強い思い入れがあるのだろう。
また、同様に「自分は『国家による規制が良いこと』だと言っているんじゃない。国家がネットを規制したがるのは当然だということを言っているんだ」という意見も付け加えることが多い。
……しかし川上氏は本当に「国家による規制という行為そのものを肯定しているわけではない」のだろうか?
もちろんカドカワの社長として海賊版の対策を積極的に進める姿勢は分からなくもない。
しかし今回のブロッキング政策に関する川上氏の意見は、社長の立場からというよりも「国家が情報を統制すべき」という個人的な主義主張の延長であるように思えてならないのである。
そういえば川上氏は、つい最近「情報公開で国が滅ぶ理由」なんて記事も書いていたような……。
謝らず、逆切れなんてできるはずがない。
でも、相手が不満を言うより先に先手を打って謝ってしまった。これは批判を浴びたくないから相手の口を封じる卑怯な策。
そもそも、過剰な「自分が悪い」アピールからは相手に「いや、こっちも悪いところがあったし」的な発言を引き出そうとする下心から来るものだ。
過剰な謝罪は、「自分の周りの人が不機嫌であることを許さない」というか、自分のために四六時中ニコニコしていることを強要する行為。
Twitterに弱気発言を書くのは構ってちゃんアピールだし、自分が悪いのに何を被害者面しているのか。
でも、こうやって取りうる選択肢を片っ端からふさいで回る行為は「だから何もしないんだ」と言い訳をしているように見える。
じゃあ何をしたらいいんだろうなあ。
…なんて締め方は狡猾さの極み。「ネット言論にがんじがらめにされて身動きが取れない哀れな自分」を演出し、酔っているのが見え見え。
…これも同類。不可能な結論に着地して見せて、自分が傷つけた相手を「理不尽な要求をする悪人」に仕立て上げている。
人が怒っているのを見るのが怖いんだよな。だから周囲に上機嫌でいることを強要する。
その相手に悲しい思いをさせない人間になるために最も足りないのは何なのか。それを補うにはどうしたら良いのか。それだけを知りたい。