はてなキーワード: 卒業論文とは
商学部やら文学部の学生が、卒業論文とかサークルの出し物でワンピースを取り上げればそのまんま本になるくらいの勢い。
この手の本を買うときは「書き手のプロフィール」をよく確認してから読むようにしたい。
逆に言えば、一生に一度くらいは本を出したいと思っている人は今がチャンスです。ワンピースとコラボしてなにか本を出せないか企画を考えてみよう。
個人的に最も面白かったのは・・・「モンキー・D・ルフィの「D」はドラッカーだった」 阿部美穂 <ドラッカー学会会員
次点の高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! (野球指導書編集委員会) といい、
ドラッカーバブルに乗り遅れた方々が必死に次の寄s・・・コラボ相手を求めてさまよっている様がとても微笑ましいですね。
漫画ワンピースは、これからの時代のビジネスバイブルだ! 徳永 秦 <Amaozn書評が全員身内褒めでかなり気持ち悪い
ルフィの仲間力 『ONE PIECE』流、周りの人を味方に変える法 安田雪 <「社会ネットワーク分析」が専門の教授
「ワンピース」はなぜ人の心をつかむのか―「ONE PIECE」はなぜ売れるのか (ベストセレクト) 富田 英太 <ワンピース=新世代の司馬遼太郎とかねーわ
『ワンピース』に生きる力を学ぼう! 平居謙 <2冊目。この人どんだけワンピース好きやねん
<1万冊を超える読書によって培われた膨大な知識をもとに、独自の研究を重ね、難解とされる古典を現代漫画をもとに読み解いていく手法を確立って・・・。ブログとかあるのかな?
ワンピースの言葉が教えてくれること (ルフィと仲間たちに学ぶ「生き方」の教科書) 方喰 正彰 <プロフィールなし
ONE PIECE STRONG WORDS 上下巻 尾田 栄一郎、 内田 樹 <内田樹のワンピース論は結構面白かった
<ワンピース「世代」>
「ワンピース世代」の反乱、「ガンダム世代」の憂鬱 鈴木貴博 :注目株。そういえば「ガンダム」程読者の顔が見えないのだよね。不思議!
<なぞのコラボ>
高校球児が仲間のことで悩んだときは「ワンピース」を読みなさい!! 野球指導書編集委員会
ONE PIECE 海賊キャラ弁当BOOK (FLOWER&BEE BOOK)
ワンピース最強読解 (ワンピース最強シリーズ) ワンピわくわく研究会
超読解 ワンピースが教えてくれた人生で大切なこと―自分の“宝”を守るために必要なもの 海賊行動学研究会
ワンピース最終研究―海賊王の血脈と古代文明の謎 (サクラ新書) ワンピ考古学研究会
<やおい系の本が出てるけどこれどういう仕組み?>
海賊ゲーム外伝「ゾロ×サンジ ラブディスカバリー」 (POE BACKS)
同人作家コレクション114 光葉 (POE BACKS) 光葉
同人作家コレクション103早乙女神楽 (POE BACKS) 早乙女 神楽
今田まことおまめ (K-Book Comics) 今田 まこと
同人作家コレクション99ケチャップ (POE BACKS) ケチャップ
しかし、考察系が無駄に多いのを除けば、もっともっとたくさん出てもいいのにまだまだ少ないと思う。(ドラッカー関連本はこの3倍くらいある) http://uwasano3.web.fc2.com/druckertyo.html
題から見て分かるとおり、http://anond.hatelabo.jp/20110929232831のパクリです(書き終えてみれば、パクったのは題名だけですが)。
栄養学科版です。それほどメジャーな学科ではないと思う。管理栄養士になりたい人が行くところと捉えて頂ければ十分です。
そもそも、栄養士という職(資格)を知っていても、具体的にどんなことをするのか分からない方も多くいらっしゃると思います。
悲しいけれど、「給食のオバちゃんのボス」という言葉がしっくり来る現状です。
仕事は多岐に渡るのだけど、後にさらりと触れるので、ここでは省きます。
筆者は栄養学科に行きはしたが、結局は別の道を選んだ脱落者です。
これから書く内容は、現状には即していないかもしれませんが、恐らくそう外れたことでもないでしょう。
筆者がなぜ栄養士として働かなかったのか、ということについても後程述べます。
栄養士を夢見る女学生の方や、栄養系の学科ってどんなことやるの?と思う方、その他お暇な方向けです。
長い序文となりました。本文も長くなりますが、お付き合い頂ければ幸いです。
他の学部学科ならば、大学生活は割りと時間に余裕があるのではないでしょうか。人生の夏休みとも言われるほどですし。
空きコマがあるのは当たり前、丸々休みの日もある、というのが私のイメージです(他の学科について正直よく分かりませんが)。
栄養学科の場合、たまに空きコマがあっても、休みの日なんてありません。時間割がみっちり詰まっています。月曜日の朝から金曜日の夕方まで何かしらあります。
取りたい資格が少なければ、少しは余裕が生まれますが、逆にひとつでも多く資格を取りたい!となると遊ぶ時間が消えます。
衛生の資格に加え、栄養教諭の資格も取得した友人は、1年生から4年生の間まで、ずっと忙しそうでした。死にそうな顔していました。
また、実験や実習も多くあるので、それらがある日は時間割通りに行かないことも少なくはなく。
管理栄養士になるために必要な科目が必修科目になり、その量が膨大……とまでは行かなくとも(膨大なんて言ったら医師や看護師に失礼だわな)、
かなり多い部類には入るので、他の学科のように単位選択に困るわー、取得に困るわー、なんてことはありません。ここは利点かな……?
1,2年生まではみっちり勉強そして実習、3年生になると時間割の上では余裕が出来ますが、臨地実習に行かなくてはなりません。
給食施設実習(ここでの給食施設とは、保育所、学校、及び老人福祉施設などを指す)、臨床栄養実習(病院)、公衆栄養実習(保健所)の3箇所全て。
準備、臨地実習本番、報告書作成、報告会準備などに追われ、ひとつ終わったと思ったら次の実習が始まるので、3年生は結構忙しい。夏休みは半分くらい潰れました。
4年生になれば、授業ほっとんどねーや解放されたぜイヤッホゥゥ!!だが世の中そんなに甘くない。就職活動と卒業論文(実験)が待っている。
授業もそこそこそれなりにあって、臨地実習もある3年生が恐らく一番忙しい学年です。そんなだからまともな就職活動が出来るのは2月くらいからかな。
ちなみに栄養教諭を目指す人は、そのための実習があるので、さらに遅れます。
(管理)栄養士になりたくない、って人は実習等も適当に乗り切って、時間が出来る12月くらいから始めます。それでも遅いんだろうけどさ。
さて、栄養学科は文系に属するのでしょうか、理系なのでしょうか。
理系の知識がなければまずやっていけませんが(化学と生物、特に化学については高校でしっかり学んでおく必要がある)、
まるっきり理系というわけでもなく、文系のような?こともやります。
管理栄養士は、食事を作ることだけが仕事ではなく、人の相談に乗ったり(カウンセリング)、教育したりなどもします。そのための技術も必要です。
保育所や学校の栄養士の場合、最近は児童生徒等に対し、食の知識について教えることが多くなりました(いわゆる食育、何度か出てきている栄養教諭は食育専門の教諭)。
自治体の栄養士になれば、管轄地域の住民全体の健康について考えなければなりません。収集したデータをどのように統計し、解釈し、どんな計画を立てるか。
また、給食を作ると言ったって、タダで出来るわけじゃないから、経営についての知識も必要となる。あとは福祉についても少しだけやったかなあ。
前述のとおり、実験や実習も多くあります。実験は理系の学科であれば大抵やっていると思うので省きます。
食品や栄養について学ぶ学科なので、調理実習はたくさんあります。1年次はただ指定されたものを作るだけ(それはそれで楽しいしラク)ですが、
2年次から自分で献立を考えて作らなくてはならなかったり(たとえば、腎臓病の方向けの食事の場合、低蛋白高カロリーの献立を実際に考えて作らなくてはならない)、
実際の給食施設のように大量調理し、客(に見立てた学生)に配膳、アンケートを取る実習があったり、一筋縄では行かないものばかりです。
調理ではない実習もあります。たとえば低学年の児童を対象にした栄養教育を計画書から作って(児童に見立てた学生に)実演してみたりとか、カウンセリングの実習であるとか。
リーフレット作ったり、商品開発の実習をしたり、パソコンの実習もありました。
前の項と合わせて、必修の課目が多いし、分野も広い。期末はレポートの山に囲まれ、レポート作成と並行してテスト対策もしなければならないので、大混乱です。
レポートの期日が重なるなんて当たり前。テストは持ち込み不可のことが多い。劣等生は追試の山……。
ちなみに、実習の際はグループ行動が多く、グループ分けも大概教授が指示するので、ひとりぼっちになることはありません。
そういう機会に知り合いや友人が出来るので、他県から一人だけで入学したという場合も、孤立することはまずないかと。
栄養士になった人がキツくなるのか、それともキツい人が栄養士になるのかは分かりませんが、授業中にキツいことを言われることもしばしば。厳しい方が多い。
「あなたたちは即戦力となるために~」なんてのは耳にタコが出来るほど言われます。
実際、管理栄養士として就職したならば、初めての社会人経験であっても管理職として扱われます。
その時にまったく戦力にならないのでは困る、ということ。
調理員のオバちゃんをこらしめる方法を教わったときはどうしようかと思いました。
献立でダメ出しくらうの当たり前、授業中の雑談が思いの外キツいことだったりすることも当たり前(患者さんが亡くなってしまった話とか、派閥の話とか)。
むしろ、こういうことを耳にして、覚悟完了できるかできないかが、栄養士として働くか働かないかの分かれ目である。
筆者は覚悟完了出来ませんでした。これから下記に書く実情もあり。
ここまで栄養学科の話を書いてきましたが、どのように感じたでしょうか。
大学生にしてはずいぶん忙しそうだな、とか、こんなヌルい内容でキツいだなんて笑わせてくれるなど、様々な意見があるかと思います。
私も当時の思い出を振り返りながら書いているので、昔の自分であればキツいと感じたことも、今であれば当たり前と感じるのかもしれません。
それはそれで置いておいて、管理栄養士が実際に管理栄養士として働くと、
他の医療系資格よろしく(管理栄養士をコメディカルと見ない人もいるが)、常に求人はあり、その意味では困らず、食っていくに困りません。
だけど、食っていくことしか出来ません。自分の時間が取れない。食べて寝て仕事して寝て食べての繰り返し、というのが管理栄養士として就職した友人の生活。
ただ、管理栄養士はやりがいがあります。そして責任があります。誰かがやらなければならない、いのちの基本、食事に関わる職業です。
そのことにやりがいを感じ、そのために生きていける人ならば、きっとやっていけるでしょう。
それか、何でも要領よくこなせる人とか、切り替えが早い人とか。
私はそのいずれにも該当しなかったし、あとは早い段階で(ただ入学した後の話でしたが)2ch等を見て、栄養士は基本的にブラックな職業だと判断し、事務職に就きました。
何が言いたかったかというと、栄養士を夢見るお嬢さん(高校生以下)、理想と現実はかなり違うから、考え直すならば今のうちだぜ、ということです。
それから、栄養士の労働環境を知ってほしかった。他の方も様々な場所で腐るほど語っています。
テレビに出る栄養士なんて雲上の人、1000人に1人いるかいないかの超好待遇の人なので、管理栄養士が全員そうだとは間違っても思わないでくださいませ。
それではここまで読んでくださってありがとうございました。
2008年卒の就職売り手市場だったときの大学学部卒業生(現在サラリーマン3年目)だけど、就職活動してた頃を思い返して書いてみたい。「50社受けて未だに内定が出ないことへの感想」http://anond.hatelabo.jp/20110304145631 への反応として。
自分は、売り手市場で内定複数持ちの大学生が当たり前みたいな状況下で、大中小企業いろいろ40社受けても内定をもらえずにいた。私も、「50社受けて〜」の方と同じように一次面接で落とされることが圧倒的に多かった。
地元の国立大学の文系学科に通い、ひととおりのことはやっていたが、コミュニケーション能力不足という致命的な欠点が響いたのかもしれない。あと経歴も少し。
では、なぜ自分は深く落ち込むことなく持ちこたえられたのか、6点に整理してみた。もちろん、個人的な経験なのでとてもとても一般化できることではないが、今就活に悩んでいる人の参考になればと思って書いたので、よかったら読んでほしい。
私は、何回も面接の練習を受け、悪い点を洗い出して少しでも良くすることによって「次こそは!」という思いを維持した。最初の頃はやはりボロボロだったが、回数を重ねるにつれて模擬面接をしていただいた相手から
「もう君が採用されない理由がわからない。悪い点を強いて言うならば、気持ちが強く出過ぎて相手を圧倒してしまうところかもしれない」
と言われるまで頑張ってみた。
少しでも良くなっているのだから次はちがう結果かもしれない、と、そう思うことで前向きな姿勢を保てたと思う。
ほめてくれたり、励ましてくれる仲間がいた。
とかいう言葉は慰めだとわかっててもうれしかった。内定無い同学年の連中と何時間も愚痴を言い合っていたら、いつの間にかそれぞれの夢を語っていたこともあった(←よく考えると気持ち悪いけど^^;)。月並みだが、へこたれそうになったときに仲間がいてくれてよかった。
就活はしていたものの、学生時代に3年勤めたバイト先に就職してもよいと思っていた。バイト先の上司に「ここに就職してもいいですか?」と聞いたら、「給料安いから入ってくるな」と言われはしたが、なぜか自分なら受ければ入れるだろうという自信があった。このおかげで、落ち続けても焦燥感を感じずにすんだのは大きいかもしれない。
大学3年の夏、短期インターンシップをさせてもらった会社で、魅力的ですごい社員の方々の働きに触れていたので、就活で内定をもらうことがゴールじゃなく、その先があるということを実感を持って知っていた。自分は、たとえ正社員になれなかったとしても、そのインターンシップ先の社員たちの働き方を真似して社会に貢献できるよう頑張りたいと思っていた。
早い時期から就活をしていたので、途中受ける会社がつきてしまったとき、就職活動のペースを少しゆるめて、大学のゼミの発表・レポートの方に全力を注いだ。特に、自分は卒業論文を履修していなかったので、レポートは自分の大学生活の集大成にしようと思って必死で取り組んだ。
今思えば現実逃避に近かったのかもしれないが、全然面接が通らなくて嫌になりそうな中で、自分が大学3年間ちょっとで身に付けたものに対する自信を取り戻すきっかけになったと思う。(余談だけど、レポートは大学院生合同のゼミなのに最優秀って言われたよ!)
実は、自分は大学に入ったのが24歳のとき。高卒後しばらくフリーターだった自分が高卒既卒という身分で就職活動をした時は、就職氷河期ということもあって面接にもたどりつけない惨敗だったので、就活で人に会って話ができるだけでうれしかった(OB訪問・説明会も含む)。名だたる有名大企業であってもとりあえず一次面接までは行けるので、落ちてるのに「なんかすげー!」とよくわからない感動があった。特に、最初の頃はそれがあって乗り切れたようなもの。
年齢制限でそもそも受け付けてもらえなかったところを除いて、エントリー43社目。今まで受けてきた中でも高い倍率の部類に入る企業の秋採用。選考のステップが少ないこともあって、あれよあれよと最終面接に来て、ついに内定をもらってしまった。面接中、変な受け答えをしてしまって役員に笑われてたのに。そして翌年入社。
「型破りで変な奴が来てこりゃ落とそうかと思ったが、話を聞いてみるとよく勉強しているし、強い気持ちを持っている。うちの会社は少し古いところがあるから、君にはそれを打ち破ってもらいたい」
とのこと。
就活では何がプラス/マイナスに作用するかわからないし、確かにそのフィードバックを返してくれる企業なんて滅多に無い(私だと、不採用理由をこっそり教えてくれたのはインターンシップ先くらい)。今の就活は悪いところだらけなのは社会人になった今も同意する。でも、今現実に就活と取っ組み合っている人のために何かヒントになればと思って、長々と書いてみた。自分も就活がうまくいかなかったとき、こういうウェブの文章を読みあさって糧にしようとしていた経験があるので。
学生の卒論とか読んだことないので、卒論の添削やってる先生がいることに驚く。学生が何やったのかは知ってるし、それをどういう言葉で書こうと彼らの自由。私はそこまで興味はありません。
卒論はしばしば100ページくらい書かれていたりするが、そのほとんどはどうでもいい無駄な記述。数ページで書ける内容が無駄な情報で水増しされている。論文というのは短ければ短いほどいい。5、6ページも書けば十分だろう。
学生は卒論を書くことにより未知の世界に立ち向かっているが、我々には彼らが研究を始めた時点で、それがどれくらい価値のあるものなのか、最終的にどこまでできるのか、何もかもすべてわかっている。答えを教えてしまうのは簡単だが、それでは勉強にならないので黙っているだけ。笑
学生の卒論や修論の発表会で、こんなの3日もあればできるだろう?というのがある。学生に考えさせるためにわざと回り道させたんだろうかというとそうではなく、実はたいてい学生がさぼっていたというケース。
吉村教授は博士論文を3日で書く天才らしいけど、俺は出来の悪い学生でのたうち回って修士論文を書いて、博士には行かずに就職した。卒論、修論の面倒を見てくれた指導教官には感謝している。こんな風に「興味ない」で済まされなくてよかった。論文を書いているときは心細くて、不安で、修了を逃したら内定も取り消しだし、大げさだけどそのときは人生を賭けて泣きながら取り組んだ。もしこんなDQN指導教官にあたったら大学院中退になって、内定も取り消しで職歴なしニートになっていたかも知れない。
この教授とは面識がない。だからこのTogetterのまとめがどういう意図でできているかわからない。博論を3日で書ける天才なのか、単なるビッグマウス野郎なのか、ネット弁慶なのか知らない。それで少しぐぐってみたら
と日常的にTwitterで乱闘している痛い人なのはわかった。
なぜ質問状を送ったか
返事が来たら増田でまた書く。
http://anond.hatelabo.jp/20101125170955←このURLをクリックすると、「彼女が死んだ話」という日本語で書かれた、小説らしきものが読める。
思うところは人それぞれだろうから、僕もこれから彼女が死んだことを書き綴ろうと思う。
僕は生まれも育ちも同じ県で、地方の市立小学校に通い、そのまま市立中学校に進学した。
僕は、友達がするから、という薄い理由で吹奏楽部に入り、黒いから、という浅い理由でクラリネットを選んだ。オーボーは先に取られた上での、消去法だ。金も銀も好きじゃない。だいいちあすこの喇叭は緑青がびっしりで、磨きに失敗して管体は凸凹し、リペアに頼らない修復をしたおかげかバルブがありえない方向に曲がっていた。それでもあれは死んでないらしく、バズィングを終えた後マウスピースを填めて息を吹きこむと、ぼへーという気のない音が部室に響いた。
さて、吹奏楽部には定期演奏会というものがある。いわゆるおけいこの成果を、街の皆様方にアピールしようというわけである。しかしそれは建前であり、実際のところは街のお店から広告費をせびり、部員の家族うちで盛り上がろうという、極めてクローズな発表だ。広告主もたかだか三年むすこむすめがその部活に在籍していたというだけで、今後十数年、あいや数十年集られることになるとは、まさか夢にも思わなかったに違いない。
定期演奏会とはまじめなコーナーとふざけたコーナーの二種類楽しめる、ニコイチのようなものだ。先述したよれよれの金属体が、ぼえーとむせぶ、ゆるゆるなたいこが、どぅゎんどぅゎんと悲鳴をあげる。ニコイチでオトクな気分になろうとしても、こんな音では身内とて地獄であろう。
その定期演奏会では大抵、三年生のひとりひとりがソロのようなものを任されるのである。ソロのようなもの、というのは厳密にはソロではない、みんなで吹くところを無理に一人で吹かせたり、挙句には前に立たせて、キュプーと吹かせるのだ、たまったもんではない。足りないならば音楽の加工さえ厭わぬとは、正に儀礼、避けては通れぬというものだ。
では、実際私はどうだったか。
クラリネットは全体で10人からなるが、なんとその10人分を私一人に押し付けたのだ。一人で10人分の仕事をしろ、というのである。どんな馬力だ。
だいたいクラリネットというのはそんなに音を重ねても重ねた人数だけ音が増幅されるわけではない。いや、重ねただけ共和せず、うわあんうわあんという不快な耳障りばかりだけが気になるようになるだろう。そんな楽器なのだ、クラリネットというものは。
というわけで、私は一人で揚々とステージの前に立ち、バックバンドのきちゃない演奏に合わせて、これまたきちゃない、でも聴きやすい演奏をしたわけだ。
で、その時にどうやら僕に惚れてしまった後輩がいたようで、演奏会が終わってから告白され、付き合うに至った。これが10年前のことである。
これは先日の話だが、その彼女の葬式を執り行なった。喪主は彼女の兄である。彼女は白血病で亡くなり、僕にはどうすることもできなかった。来年には結婚しようという、ながい交際も一区切りするかしないか、といったところだ。
彼女は高校、大学と付き合いを重ね、別な学校に行っても、別な地方に進んでも、毎日の便りは欠かさなかった。彼女にだけはディジタルな年賀とは別に、葉書に依る絵と言葉を惜しまなかった。どうやら親にはバレていたようで、手段を変えてくれとメールで痛切に頼まれたものの、僕はそれをしなかった。思えばある意味で常識に欠けた配慮だった。
彼女の容態が不安定になったのはつい一昨年のことであるが、大学四回生で、卒業論文を控えていた僕はそれでも彼女の見舞いに時間を割いた。夕日を背景としてこちらを向く彼女は美しい。彼女の一挙手一投足が僕の人生の肥やしとなっていたのは言うまでもない。
しかしもう彼女はいないのだ。僕も先月親会社の倒産の憂き目に遭い、わずかばかり用意された最後の賃金を受け取り、それでなんとか首の皮一枚繋がっている。先に逝った彼女は僕に死んじゃダメ、とムチャクチャな約束をさせた。彼女のために生きるというのもわからないでもないが、僕は僕だ。僕のやりたいようにやる。
そこで早速駅から降り、歩いて十分とかからないおっぱいパブというところへ足を運んだ。彼女は胸が平均的で、乳首が大きく、吸いついていたとき、揉んでいたとき誠に幸せだったのだが、そのパブは誠に僕のささやかな幸せを叶えてくれた。
バカヤロウ、満たされれば誰でもいいのか、と言われるかもしれないが、けしてそういうことではない。あくまで僕のイマジンを促進してくれるために通うのであり、眼をつぶったとき、そこにいるのは間違いなく彼女なのだ。脱線などしようものか。バカヤロウはお前というものだ。
http://b.hatena.ne.jp/entry/sankei.jp.msn.com/culture/academic/101007/acd1010070904010-n1.htm
ここの意見が真っ二つ。
ついでに言えば、僕は現行教育はぬるすぎてヘドが出るので、
これぐらいすればいいと思うよ。
今年就活した大学生だが、俺なりに気づいた事を書き込んで見たいと思う。
1.人が生きるのに必要不可欠な産業
2.人が生きてくために便利な物を造ってる産業
3.人がより生きるのをより楽しむための物を造ってる産業
(携帯、ネット、TV、ゲーム機、音楽再生機、各種娯楽、映画、漫画(一部の車もこのカテゴリー)等)
1が発展して、人には時間が出来た。当然だ、生きるために縄文時代なら一日中森を走り回らなければいけなかったはずだ。
2が発展して、人にはもっと時間が出来た。洗濯板で洗濯するのではなく、洗濯機ならボタン一つだし、交通機関が発展して、目的地までの時間は大幅に短縮された。PCによって事務作業も飛躍的に向上したはずだ。手書きのオーバーヘッドプロジェクター時代に比べて我々は、パワポを現在使うことが出来るし、卒業論文のグラフなんてすぐに出来てしまう。
そして、1と2が発展した事で、人には時間が余ってしまった。この余った時間を潰すための産業が3である。趣味娯楽と言われるのは大体この範囲だろうし、自動車の一部はここにカテゴライズされるだろう。
この第3の産業の何が問題かというと、上の2つが人の持ち時間を増やしたのに対して、この産業は人の時間をいかに楽しく食いつぶすかという事を考えている産業なのが問題だ。詰まるところ、第3の産業は、人の余った時間はほぼ一定なのに、その少ない時間という牌を第3産業内で奪い合っている状態なのである。昔は娯楽が少なかったから、TVを見る時間や車に乗る時間が多かっただろう。しかし、新しい娯楽が台頭すればその構造は一気に崩れる。携帯やネットに没頭する時間が増えれば、TVを見る時間や車に乗って出かける時間は無くなる。全体の人間の時間は有限なのだから。しかも時間を潰す方法は年々多様化しつつあり、牌の奪い合いは過酷になってきている。
自動車が売れない、TVの視聴時間が年々減っていると嘆く専門家が居るが、まずこの事を言及するべきだろう。リストラに怯える就活生は、牌の奪い合いが少ない時間を短縮する産業か、生きるために絶対に必要な産業に行けばこの呪縛から幾らかは開放されるかもしれない。
例えば卒論だけど、卒業論文を年度末に出すとしたら、それをするには何月に○○が出来てて、それをする為に何月に○○の勉強をしておいて……って、予定を決めなきゃならないでしょ?
普通、そうなんだよ。
1年ぐらいかけてやる事があるなら、その1年の予定を立てる。実に当たり前。
例えば就職にしたってそう。どんな職に付きたいか、前もって考えておいて、それに有利な大学に入って、将来職業に必須の事を勉強して、そしてその職に就くのが理想(ここはまぁ、出来てない人も多いけど)。
本気だとか何だとか、ピントがズレてるんだよ。
予定を立てたの?予定から遅れたら、何かリカバリしたの?してないなら、どうしてしなかったの?
最近とにかく忙しい。弱小メディアお抱えのWEB屋というか便利屋なんだけど、いま本業のサイト製作以外に、100万ユーザー抱えるサイトのサポート業務と某大学のサイトの更新業務とモバイルサイト作成と、他に中小の糞サイト(競馬とか出会いとか)運営を数件一人でやってる。これに「申し込みフォーム作って」とか「イラスト描いてくれ」ってのが月に何度かくる。このところはずっと4時間睡眠とれればいいほう。まあもっともっと働いてる人はいるんだろうけど。
いや、俺はなんで働いてるんだろうねっていうね。起きてる時間の80%以上をくだらない、人を不幸にする、がんばっても技術も向上しないしセンスも養われず深く考えることもなく体も頭も麻痺していくだけの底辺労働に費やして、好きな人と過ごしたり好きな音楽を聴いたり好きな本を読んだり勉強したり演奏したり作品を作ったりできる時間はほんの一つまみだけ。奴隷だよ。資本主義の。こういうこと考えてるといつも思うんだけど、僕が今まで行ったことのない場所はたくさんあってその場所へは行こうと思えば行けるはずで、その場所には見たことのない風景があって食べたことのないものがあって人見知りの俺だけどそれでも人生において大切な出会いが待っているかもしれなくて、その人たちの頭の中というか心が持っている世界のひとつひとつを自分のそれと溶け合わせることができたかもしれなくて、なのにたぶんこの先も将来にわたってそういう場所の大半には行くことはなくて、そういう風に考えたら振り返った自分の人生が穴だらけというか本当はあったはずのものが欠落した不当な空白に支配されているようにしか思えなくて、こんな俺の人生って、時間って、いったい何なの?とか思っている間にも時間は過ぎていて、8歳下の妹も大学受験とか言ってるし小さかった従弟も卒業論文がどうとかブログに書いてたり、何よりいつの間にか俺も20代後半になってたりして「うわあ、『本来あったはず』と思ってたものなんて本当は最初からなくて、だから空白なんていうものもなくて、それ以外の残りかすみたいなものの集合体こそが俺の人生のすべてなんだぁ。ちょっと引くわ」とか思って本当にぞくぞくするくらいなのに、この生活をあと何十年も続けるなんてどういうことなの?理解の範疇を超えてる。ほんとになんなの?好きな人と好きなものに囲まれて好きなことをするのってどうして不可能なの?どうしよう涙出てきた。つらい。
あと関係ないけど、最近びっくりしたときに「うわっ」とか「やべっ」とかのかわりに「ニャンダル!」って言う癖がついてしまった。理由がまったく思いつかない……。
文学作品力はともかく、何かを主張する文章は訓練しだいで身につくとおもうけどね。
とりあえずこの辺り読んだら?
http://staff.aist.go.jp/toru-nakata/sotsuron.html
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090203/324140/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090217/324957/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090310/326250/
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/Watcher/20090330/327475/
http://d.hatena.ne.jp/nakamurabashi/20090425/1240669223
http://bizmakoto.jp/bizid/articles/0903/23/news053.html
http://enterprisezine.jp/article/detail/963?p=1
http://www.nikkeibp.co.jp/article/nba/20090204/185050/
http://hac.cside.com/bunsho/1shou/index1.html
http://www.mew.org/~kazu/doc/japanese.html
http://www.raitonoveru.jp/howto/c1.html
http://jibun.atmarkit.co.jp/lskill01/rensai/pgenba23/pgenba01.html
学ぶ手順というのは人それぞれだと思いますが、学問というのは車輪の再発明のために悩む時間を省いてくれる高速道路ですから、その成果を利用するのは一つの王道だと思います。
簡潔に事件や人物、文物について知りたいのであれば、適当な百科事典なり、『日本史小辞典』や『世界史小辞典』などの小項目事典で十分でしょう。
しかし、研究史や論文まで調べるのは門外漢には敷居が高いものです。そこで、研究上の主要なテーマについては、初学者向けに入門書というものがあります。
ここでは、専門の事典や細かな研究案内を網羅する能力も時間もないので、最初にあたりをつけるためによく見るものをまとめてみました。なるべく少しは解説があったり、ソースが書いてあるものを挙げました。詳細な文献情報についてはリンク先を見てください。
個人で所有するには物入りでも、都道府県下有数の都市の図書館や大学図書館にはあると思います(絶版のものもありますが、ない場合はリクエストして入れてもらってよいレベルだと思います)。
それぞれの専門を専攻している人にとっては初歩の更に手前といったレベルのリストでしょうから、やや恥ずかしいので増田に書いてみました。詳しい方に補足して頂けるとうれしいです。
*文献リスト
・全般
『国史大辞典』(吉川弘文館)
http://www.yoshikawa-k.co.jp/kokusidaijiten.htm
『アフリカを知る事典』『オセアニアを知る事典』等の『知る事典』シリーズ(平凡社) 巻末に文献目録があります
『歴史学事典』(弘文堂)
http://www.koubundou.co.jp/books/furoku/21031sub_series.htm
・日本史
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10396-4
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10389-1
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10256-9
http://www.tokyodoshuppan.com/cgi-bin/menu.cgi?ISBN=4-490-10515-0
『日本史文献事典』(弘文堂)
http://www.koubundou.co.jp/books/pages/25058.html
http://www.yoshikawa-k.co.jp/bunken.htm
・西洋史
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-022016-3.html
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0517-2.html
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0542-3.html
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-003202-5.html
http://www.utp.or.jp/bd/978-4-13-001030-6.html
http://www.shinhyoron.co.jp/cgi-db/s_db/kensakutan.cgi?j1=4-7948-0679-5
・東洋史
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN4-8158-0527-X.html
http://www.iwanami.co.jp/.BOOKS/01/5/0110700.html
http://www.unp.or.jp/ISBN/ISBN978-4-8158-0594-4.html
・雑誌
『史学雑誌』毎年五月号の「回顧と展望」(取り上げられていない論文もありますが、重要なものは大方拾われていると思います。史学を学べる大学の図書館なら所蔵しているでしょう)
・参考
日本近代史研究のABC(日本史近代を楽しむ野島研究室のページ内)
http://www4.ocn.ne.jp/~aninoji/lets.study.index.html
東京外国語大学南欧史研究室のページ(「歴史学読書案内」、「リンク集」、「卒業論文を書くために」)
http://www.tufs.ac.jp/st/club/historia/index.htm
5年生になってしまった。
何事にも無感動で、興味をもてなかった僕だけど
ゲームを作るということにあこがれてしまった。
それ以来僕は増田と同じように絵を模写し、話も考えた。
ゲームを一人で作る力は無かったけど、絵はある程度かけるようになったと思う。
しかし、それを公表することもせず、見るに耐えないモノとしてすべて葬り去ってきた。
僕には覚悟が無かったのだ。
自分が声を上げるということに対して返ってくる抑圧に耐えるという覚悟が。
それを放棄した自分には表現行為などできるはずも無かったのだ。
それに加え、僕には表現する主体、自分という価値観が存在していなかったのだ。
先月末、価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない。
というエントリがあったが、まさにそのままだった。グウの音も出ない。
10年。モノを作る、表現するということを決めてから、とても長い間これらの問題を見落としていたようです。
僕は少なくとも大学に入っての4年間を棒に振りました。
4年目などは、自己の価値観の不安定さにつられて、常に依存対象を探し求めていたように思います。
もちろんそのような状態では就職活動も、卒業論文もまともにできず5年目となりました。
それでも、まだ拾い上げてくれる神のような方がいらっしゃったので、自分の欠点を直視し、道を探すことができました。
一人きりの5年生ですが、負けないぞっと。
書きたいこと書いたら改変でもなんでもなくなってしまった…
でもいいよね、増田だし。
anond:20090307113445
http://blog.riywo.com/2009/02/27/120733
を読んで、なかの人から見て考えたことをまとめてみます。
ちなみに私は地方国立大学の複合領域系(文系とも理系ともどちらとも言いにくい)の准教授です。今年は卒修論それぞれ数本ずつ指導しました。
退学届けを提出されたriywoさんお疲れ様。
一応の大学人としては退学なさったのは残念とも思いますが、むしろ他の学生と違う選択を積極的に行ったその勇気に敬意を表したいと思います。(余談ですが、お金払って来ているのに、教授会で承認されないと退学できない仕組みってヘンですよね。893や新興宗教じゃあるまいし。)
上記エントリに関連してコメントさせていただくと、大学人としては、大学が「学問」の府であるというのは絶対に譲りたくない主張です。しかし、その一方でほとんどの大学の目標の1つに、高度な職業人を輩出することが上げられていることから、就職予備校という役割があることは社会的に見て当然のことではないかと思っています。
もっとも、常々私はこの議論の前提がおかしいのではないかと思っています。その前提とは、「学問」というのは崇高なもので、民間でのお金儲けとは違う。というものではないかというもの。教員をしていると常々思いますが、本当の意味で社会から必要とされていない研究は研究とは呼べません。その意味で全ての学術研究は何らかの社会的意義があり、社会的なコスト負担を伴って推進されるべきものです。ただし、その性質上そのリターンの回収が困難なので税金を使って基礎研究をやる必要がある。つまり公共財的な性質を持っているというだけの話ではないかと最近思うようになりました。
その点では、大学の教員も立派な普通の職業であり、大学も1つの産業セクターであることは間違いないです。そのために、少なくとも自分が価値あると思っている研究を推進するために、世の中の大学教員は(自分のポストも含めて)必要な資源(金、人、もの)をかき集めて成果を出すために必死になっているのです。公的な資金を使う事が多いというだけで、本質的な構造はビジネスと変わってないのです。その意味では、博士課程は研究者のための職業予備校みたいなものです(余談1)。
そのように書くとまるで私が学問を貶めているかのように思うかもしれませんが、もちろん人類の利用できる知識、認識を増加させる学問という行為はかけがえのないもので、かつ人間にとって根源的な欲求であると思っています。そのおかげで貧困をはじめとした様々な社会的問題を解決してきたのが人間の歴史だと思っています。
しかし、その一方で、何が何でも学問こそが唯一の価値であり、その他の様々な産業セクターより優れているという考え方は私は持ちません。小売業も金融業もそれぞれ社会で固有の価値を持っています。それと同じようなレベルの産業セクターだと思っています。もっとも、このような認識を一般の大学人は認めにくいでしょう。それはどの産業セクターも同じだと思いますが、自分たちのやっていることは他と比較して特別な価値があると考えているものです。
その点で、大学人が研究を神聖視するのは当然です。ただし、やっかいなことに大学というのは、優秀な能力と意欲を持った若者層を教育する機関でもあるのです。当然、教育課程を通じてその若者たちに学問のすばらしさを説きます。そして、場合によっては学問のすばらしさをわかってない学生にも研究上必要な作業の協力を得たりすることも多いのですね。その背景には大学で優秀な研究者が大学以外の民間企業の環境を知らない事も遠因になっています。(余談ですが、就活指導をする教員が通常の就活をしたことがないような事例はいくらでもあります。)
それがしばしばいわゆるソルジャー問題として噴出したりします。もっとやっかいなのは多くの(特に理系の)研究室で、学生に対して教員の持つ権限が専制的だということです。教員の取り替え(研究室変更)もなかなかできない。人間同士なのだから、相性の悪いことも一定の割合で発生するとは思うんですが。そこで、様々な問題が発生する原因にもなります。特に、先生の指導に根本的に問題がある場合は、若者の有為な数年間が残念な期間に成り下がるリスクがあります。なので、特に大学院(研究室といった方が適切か)の選択は慎重に行って欲しいものです。
反面、学部から大学院への進学は極めて容易になってきています。成績がそこそこあれば、無試験で進学できる制度を採用している大学が多い。特に学生が研究に対する意識や、自分の人生についてのしっかりした考えを持てないまま、3年冬の就職か?進学か?という選択を迫られたときに、もう2年のモラトリアムを延長するつもりで進学する学生が後を絶ちません。これは不幸の始まりです。
しかし反面で教員にとって、進学してくれる学生は一緒に研究をすすめていく上で重要なパートナーです。場合によっては箱入り娘よろしく、専門分野以外の世間をあまり見せないようにする、一方で研究のすばらしさのみを説き続け、研究活動に全ての資源を投入するように誘導している教員も散見されます。特に理系では伝統的に就職活動に時間を取られないよう、大学(教授)推薦による就活を主体にしているところも多いのではないでしょうか?もちろん推薦にも一定のメリットはあるのですが、推薦先を決定する権限を持っている教員に(研究指導も含めて)過度に権力が集中しているのでは?という疑念を抱かずにはいられません。
個人的には、そのような権力が教員サイドに集中する環境にいる、(いわば「学問」という名の宗教的な組織にいる)学生が、もっと自発的に自分たちの人生や将来をよく考えた上で、大学のあり方について自ら対抗して欲しいような気持ちもあります。ですが、現状の学生の問題意識や行動様式を見るにそれは難しいことのような気もします。
それどころか、就活までの時間的猶予がある時期に、進路についてよく考えなさいと指導をしても、全く考えようとしない学生が多いのには困ります。(もちろん私個人の指導力不足も原因。)一例として、大学で勉強したこととその社会的な評価によって、生涯賃金ベースで数千万円は平気で変わってくると説明しているのですが、うまく伝わらないという問題を抱えています。結局のところ、適当に卒業すれば自分の人生何とかなると考えている節が見受けられるのですが。
http://d.hatena.ne.jp/next49/20090222/p2
先日上記のnext49さんのエントリに大量のブクマがつきました。
同業者として、next49さんぐらい学生のことを考えてくれる教員に指導される学生はいいな等と、興味深く眺めていたのですが、私の疑問はなぜ自分で考える事ができない学生を無理矢理にでも卒業させてやらなければならなかったのか、またそうさせてしまう深刻な大学の持つ雰囲気です。
自分自身そのような環境にいますから、卒業論文以外の単位と内定先をそろえた学生に卒論で不可をつけることがかなり難しいことは百も承知なのですが。自分で考える習慣を身につけられなかった学生にもっと考える時間を与えることが望ましいと思うのですが、今の日本の大学のもつ雰囲気としては、無理矢理にでも卒業させようというところが多いです。自分の大学ですとそうなった場合指導教員が内定先にお詫びの連絡を入れる風習があるそうです。なぜ教員がお詫び?というのは不思議で可笑しいです。(自分はまだやったことがないですが。)
この問題はかなり根が深くて、大学の最短修業年限にこだわる学生と「(留学などの特別な事情がないのに)留年する学生は要領が悪い?」と社会が見なしていることが問題のように感じています。ホントかどうかわかりませんが、留年生が増えると文科省の評価が下がるということを同僚から聞いたことがあります。学生の学ぶペースはそれぞれで、遅ければ遅いなりにしっかり本質を獲得する可能性もあるのに、とにかく画一的な年限で卒業させようとする雰囲気が強いのは困ります。
優秀な学生も、学習内容の獲得に時間がかかる学生も、外部から見たら区別がつかないのが今の大学の現状ではないでしょうか。(もちろん社会が大学で学ぶことにそもそも期待していない(と考えている)風習も遠因でしょう。でも本当にそうなら、卒論が未了で卒業できない学生でも企業に採用して欲しいものです。)その点では、それに限らず、様々なところで大学教育の画一性が現場で深刻な混乱を招いています。文科省の大学設置基準をはじめとした時代にそぐわない規制が未だに現場を支配しているのが現状です。もっとも、文科省の責任になすりつけるのは不本意で、大学のなかの人のマネジメントが成功しているとは言いにくいという点も付記しておかないと不公平でしょう。
ちなみに、博士課程進学者の就職難が問題になっていますが、個人的には研究者というのはリスクの高い商売で、小説家に近いような印象を持っています。小説家が作品のセールスに失敗しても誰も同情してくれませんが、博士課程に進学したのに満足に仕事もないと文句を言う人が多いのは、博士課程という高学歴が社会的成功と線形の関係を持つと考えている人が多いのでしょう。実際には研究テーマも自由に決められるのだし、そんな単純なものではないと思います。もっとも、一度終の棲家に就職してしまえばサラリーマンですが。
今まさに卒論の追い込み中って人、多いですよね? ラストスパート、頑張ってください。
さて、研究者を志してこれから修士課程、博士課程への進学を考えている人はぜひ、卒業論文を徹底的に評価して貰ってください。
論文は、書き上げただけでは意味がありません。必ず信頼できる人に評価して貰ってフィードバックを貰いましょう。 指導教官も多忙ですし、沢山の卒業論文・修士論文を受け取っているわけですから、自分からアクションを起こしていかないと、最悪の場合読んですら貰えません。
論文を評価して貰う時には『この論文を学術雑誌に投稿するためには何が足りないか』について意見を聞きましょう。 分野によっては非現実的かもしれませんが、研究者を志す学部4年生には卒論を改善したものを一度投稿してみることをお勧めします。 無料で自分の研究について検討して貰えて、場合によっては大学院における研究方針まで示唆して貰える訳ですから、チャレンジするべきだと思いませんか?
指導教官は「この内容で論文投稿?まだ早いよ」などとあなたを門前払いするかもしれませんが、必ず『どこが悪いのか、何が足りないのか』を全て聞き出しましょう。 このとき、指導教官の力量や指導にかける熱意について見極めることを忘れずに。 全く取り合ってくれない指導教官ならば、将来的に研究室を移ることも考えていかなければいけないでしょう。
さぁ、明確になった課題を一つ一つこなしていき、すべてクリアしたならば思い切って論文投稿に挑戦しましょう! 研究に学年は関係ありません。 必要以上に学術雑誌を神聖化せず、ガンガン論文を書いていきましょう!
部屋にいたら急に涙が止まらなくなった。まあ、いつものことなんだけど。財布には帰省のための交通費しか残っていない。それが全財産。明日かえって、来月の奨学金が支給されるまで金をせびらなくてはならない。それが自分には苦痛だ。
実家の家計は火の車で、家のローンを払えない状態。弟が2人いて、1人は自衛隊に行くことになった。お金がないからね。たぶん、末っ子も大学に行くことはないだろう。末っ子は今芸能関係の仕事をしている。
きっと自分が就職していれば上手く家計がまわっただろうに。でも自分は大学院の進学を選んでしまった。大学2年の後半から、授業料も生活費も貰えないようになって、バイトと奨学金でぎりぎり4年の今まで生活していった状況と、実家の状況をまるで考えもせずに選んでしまった。研究をしたいと思った自分の許しがたいエゴだ。バイトも随分前にクビになった。今書いている卒業論文も、どうしようもない、反吐が出そうな出来だ。
「お前が幼い頃、きっとお前は兄弟がいないと人としてダメになってしまうと思った。だから弟を生んだんだよ」
あるとき、親が言ったことが頭について離れない。
「これが俺の好きなことだから」
といいつつ働きづめで疲れている弟の顔が忘れられない。
「どうしようもない人生だなあ」
と呟いた父。自分が生まれてから演劇を諦めてしまった父の独り言が忘れられない。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
ごめんなさい。
無能で、どうしようもない自分でごめんなさい。
これから帰ります。
せめて笑顔で帰りたいんです。
だからこの涙を誰か止めてください。
すいません。誰かにとめて欲しいなんてわがままなことを言ってしまいました。最後の一行は取り消します。
頂いたコメントのおかげで、涙は止まりました。まだ笑うのは難しいですが。
ちなみに、家族は「自分の好きなことを貫け」といって院に進むことを奨励してくれました。
家族の支えになりたいと思いつつ、自分の選択を捨てるわけにはいかず、その選択した道でも上手くいかなくなったので衝動的に書いてしまいました。迷惑なことをしてしまい申し訳ありません。
http://anond.hatelabo.jp/20081101232814
どれだけ厳しい批判が寄せられているだろうかと恐る恐るみてみたら、好意的な反響が多く、胸をなでおろしています。
増田に書く理由としては、ひとつめ、専門外のことに長く関わるつもりがないこと、ふたつめ、連休の出先で手元に一冊の参考書籍もなく、HDDとネット上のソースだけを参考に書いたエントリなど、歴史を専攻したものとして、しかも専門外のものとして、とても胸を張って提示できるものではないこと、みっつめ、それゆえ、ホームに書いたら全て書き換えるほどの修正をせずにはいられないだろうが、その気力も時間もないこと、よっつめ、しかし、あれを「論文」とすることには憤りを覚えたので、せめて学問を知る人にはトンデモはトンデモであると伝えてみたかったこと、いつつめ、増田であれば上記の点をそれほど気にやまずに済むこと、このくらいでしょうか。したがって、私のエントリはいわゆる「ちらしのうら」です(文献表記がみにくいのもわざとです。すみません)。私はさくっと書き逃げする卑怯者です。内容がいかがわしいのも推敲が甘いのも全て私の責任です。でも、もろもろの言い訳によって逃げられるものではないですよね。ああ。
さて、前回のエントリでは、後半にさしかかったときにから睡魔に襲われ、最後は「藁人形叩き」ばかりになってしまいました。ようやく投稿できたと思ったら、字数超過で記事を分割せねばならず、つづきでは田母神氏の論文タイトルを間違えてしまいました。謹んで失礼をお詫びします。いろいろとミスがあろうと手をいれるつもりはなかったのですが、批判する論文タイトルの間違いはいくらなんでもひどいので、訂正します(ついでに「シンガポール華僑粛清事件裁判記録」後編のミスも直します)。これも後出しですが、原文が縦書きの漢数字は、横書きなので適宜英数字にしています。
では、気をとりなおして「藁人形叩き」ばかりをしていたところに補足してみたいと思います。最後に与太話の蛇足ですが雑感を述べてしめます。
しかし人類の歴史の中で支配、被支配の関係は戦争によってのみ解決されてきた。強者が自ら譲歩することなどあり得ない。戦わない者は支配されることに甘んじなければならない。
(前回と同じく、はてな記法による引用の出所は、田母神俊雄「日本は侵略国家であったのか」2008年http://www.apa.co.jp/book_report/images/2008jyusyou_saiyuusyu.pdf)
第2次世界大戦開戦の時点であっても、カナダ、オーストラリア、南アフリカなどが自治領化・独立した例がありますね。フィリピンでも独立を前提とした自治領政府が成立していましたね。
また、どちらかといえば植民地統治体制の比較の話ですが、自治・独立とまではいかないまでも、現地の住民を支配機構に採用していく次のような例もありました。
「1920年代より英国はビルマに赴任するICS〔引用者注:インド高等文官の略称〕に英国人のみならずビルマ人も採用すべく方針を変え、その結果1939年末の段階で、ビルマにおける全高等文官のうちビルマ人は32.8%を占めるに至った」(根本敬「英領期のビルマ人高等文官(ICS/BSC)とタキン党」『東南アジア史学会会報』63、1995年、17ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0004924657)
それは日露戦争、そして大東亜戦争を戦った日本の力によるものである。もし日本があの時大東亜戦争を戦わなければ、現在のような人種平等の世界が来るのがあと百年、2百年遅れていたかもしれない。
1940年代において、宗主国が疲弊し、植民地の独立運動が高揚したのは確かなことでしょう。ただし、歴史学の領分は、「もしも」を考えるというより、その過程をつまびらかにして、それぞれの要因や重要性を検討することにあります。
まず、開戦の詔書には「東亜ノ安定」「世界ノ平和」「万邦共栄」「東亜安定」「東亜永遠ノ平和ヲ確立」という表現はありますが、肝心の戦争目的を述べている部分は、あくまで「今ヤ自存自衛ノ為蹶然起ツテ一切の障礙ヲ砕碎スルノ外ナキナリ」(「御署名原本・昭和十六年・詔書一二月八日・米国及英国ニ対スル宣戦ノ件」1941年12月8日、アジア歴史資料センターレファレンスコードA03022539800。引用部分の漢字は適宜新字体を用いました。センターホームページの検索バーに左記のレファレンスコードを打ち込めば該当資料のページへ飛べますhttp://www.jacar.go.jp/)ということであり、「アジア諸民族の解放」、「植民地の解放」、や「独立」といった文言は一切ないことを指摘しておきます。文面上はまさに自存自衛の戦いをうたっており、解放の約束は明文上ではなされていません(ちなみに、みればわかりますが「八紘一宇」もないです)。では、実際、アジア諸国にどう接し、現地住民はどう対応したのか、前回は文献名をあげただけのものから少し引用しておきます。
「ビルマは1943年8月1日主権を有する独立国家となったが,真の独立を求めるビルマ人にとってそれは,’’偽の独立’’,’’メッキの独立’’にすぎなかった。ビルマ人は,独立が’’空虚’’であることを知っていた。この当時の日本人に対するビルマ人の態度は,「愛していなくても我慢して接吻する」ようなものであった」(大野徹「ビルマ国軍史(その2)」『東南アジア研究』8(3)、1970、360ページ。http://repository.kulib.kyoto-u.ac.jp/dspace/bitstream/2433/55632/1/KJ00000134014.pdf原文の注の番号は引用者が削除しました。以下の引用文でも同じ)。
「日本の『朝日新聞』は、この作戦について、「皇軍航空部隊の空襲は一見、印度民衆の苦難を一層増大せしめるかに見えるが、爆弾の雨の中に、皇軍の印度独立運動に対する無限の慈愛と支援が含蓄されている」と書いていた。まことに「含蓄」の深い論評だったと言うべきであろう」(中里成章「日本軍の南方作戦とインド」『東洋文化研究所紀要(東京大学)』151、2007年、190ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/5716/1/ioc151004.pdf)。
「本稿では不十分ながら、日本の大東亜共栄圏=アジア主義のプロパガンダが、そして、その大枠の中で動いたチャンドラ・ボース等の活動が、インド社会との接点を持てずに、空回りしていたことを明らかにしえたのではないかと思う」(前掲中里論文、195ページ。ボースたちについては、197ページの注6、200ページの注22、202ページの注26、208ページの注80も参照)。
インドネシア、フィリピン、ベトナムの抗日闘争について、詳しくは論文本文を読んでいただきたいのですが、結論としては、
「要するに、東南アジア諸国の反植民地・民族独立運動は、太平洋戦争と日本の侵略によって生じた情勢やその他条件を、主体的、積極的に活用して日本に対応し、戦前に比して飛躍的な成長を遂げた。そして、このことは、戦後における東南アジア諸国の民族独立運動の高揚や民族独立の達成の決定的要因となった。この意味において、太平洋戦争と日本の侵略は、東南アジア諸国の民族独立運動史における一大転換点であったということができよう」(谷川榮彦「太平洋戦争と東南アジア民族独立運動」『法政研究(九州大学)』53(3)、1987年、395ページ。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008279870原文にあった傍点は除いた)。
以上でつっこみの補足は終わりです。現下の情勢については特に言及しません。
さて、今回のエントリ執筆の目的としては、可能な限り速やかに「論文」が論文になっていないことを示すことでした。大事なのは「内容」とおっしゃるのは結構ですが、学問的に批判可能な形式(もちろん既存の研究にとらわれない革新的な独自形式でも、読者に史料を提示できればかまいません)をとらないものは、「無敵な人」の独自な「歴史観」の告白にすぎないでしょう。それに価値を認めるのは個人の自由ですが、学問や教育の場に持ちこむのはお門違いです。そのような姿勢では、いつまでたっても歴史学における扱いはトンデモのままですよ。もちろん、大学や研究所にいる専門家でなければ歴史の話をしてはいけないということではないです。「昭和史論争」を引き起こしたのは歴史研究者ではありませんでした。しかし、自己の見解を教科書にのるような通説となさりたいのであれば、専門家と同じ舞台に立ち、その批判に応答しなければならないでしょう。「つくる会」はその舞台に立つ気はないと宣言した結果どうなっているでしょうか。今なら学術雑誌に投稿しなくても、インターネット上でいくらでも長文の論文を発表できますよね。
一般に、歴史研究者は、四年生大学で専門的なトレーニングを受け、さらに修士課程二年間、博士課程三年間以上を費やして史料を読み込み論文を紡ぎだしています。それでも、個々の論文の結論で言えることはささやかなことです。また、研究会・学会・書評などの形でお互いに切磋琢磨しています。それぞれが広範な史料に目を通しているからこそ、個々の研究がその時代の歴史像のどこに位置づけられ、どの部分がその時代の特徴をよくとらえられているかを議論できるのです。自分の個別研究が歴史研究の大きな流れのどこに位置づけられるのかをとらえるため、歴史を学ぶ標準的な手順としては、まずは先達がエッセンスを詰め込んだ教科書、概説書を読み、そこから主要な研究文献やレビュー論文、目録等を漁って研究史をたどり、そこで用いられている史料を読み、先人の研究の妥当性を検討したり自己の問題関心を追求していくのです。木簡のように新しい史料が見つかったり、機密文書が公開されたりして史料が増えれば、それがどのように従来の見解に修正を迫り、新たな知見を付け加えるのか議論します。そのような積み重ねのなか、通史は更新され、教科書の記述も変わっていきますが、このことをもって歴史は定まりないものだから最新の研究成果も独自研究も変わりないということは的外れでしょう。それはかえって科学としての歴史学が機能している証拠にほかなりません。
さて、歴史学者全体がイデオロギー的に偏向している、現行の教科書は自虐史観・マルクス主義史観に基づいているという「つくる会」の主張もありますね(それでいて『国民の歴史』のように、専門家の研究から剽窃したりするの会員もいるのは厚顔無恥ですね。参照、尾藤正英『日本文化の歴史』岩波新書、2000年、あとがき)しかし、戦後長く標準的な高校教科書として採用されてきた山川出版社の『詳説世界史』の執筆者には林健太郎(故人への敬称は略します)が含まれていました。日本史にしても伊藤隆氏が編者であった『近代II』を含む、『日本歴史大系』山川出版社、1984-90年、が、受験前に初めて読む通史だった私などには、学会の主流がマルクス主義史観など妄言にしか聞こえません。岩波だから駄目などという意見も見ることがありますが、最新の『岩波講座世界歴史』岩波書店、1997-2000年、では、古代・中世・近世・近代という時代区分はもはや採用されていません。そもそも研究の場では、評価は自分の目で確かめてから下すもので、事前に確定できるものではないのです。
「いずれも〔引用者注:本文でふれられている臼井勝美氏、酒井哲哉氏の研究のこと〕,侵略の時間的連続性〔引用者注:満洲事変から日中戦争へ〕を,陸軍の遠心性,すなわち現地機関の好戦性や暴走に帰さない画期的な研究であった」(加藤陽子「書評 安井三吉著『柳条湖事件から盧溝橋事件へ―1930年華北をめぐる日中の対抗―』」『アジア経済』45(9)、2004年、67ページ。http://repository.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/dspace/bitstream/2261/7473/1/kato45_09.pdf)。
「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する」なんて本質論は、学界ではなされていませんよ。人事面でも、システム設計・運用面でも、上部の問題は大きかったですよね。私みたいなものにも自衛隊に信頼できる友人はいますので、余計に上が軍の失敗を反省するそぶりもみせないのは問題と感じるわけです。
最後に、余計なお節介でしょうが、歴史学入門、史学史についていくつか参考文献をあげておきます。ご興味のある向きは手にとられてみてはいかがでしょうか。
小田中直樹『歴史学ってなんだ?』PHP新書、2004年。(CiNiiの定額許諾を契約している大学関係者は、下敷きとなった論文をDLできるかもしれません。私は今DLできる状況にないので保障はしません)
小田中直樹「言語論的転回と歴史学」『史学雑誌』109(9)、2000年。
http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0002622266
歴史科学協議会編『卒業論文を書く―テーマ設定と史料の扱い方』山川出版社、1997年。
今まで述べてきたような研究の積み重ねに対し、自説の根拠もまともに示さずに自分の意見を広めたいと主張する行為がどういうものか、一度お考えになっていただけたら幸いです。
また見苦しい長文になってしまいました。最後まで読んでくださった方に感謝します。
(追記)さすがに人名の誤記は看過できないのでミスを修正しました。
(再追記)引用文の出典が抜けていたのも直しました。すみません。
(再々追記)直ちに答えられるトラバをいただいたので応答します。ホロコーストの研究の進展について次の文献を参照してください。
芝健介「ホロコーストとニュルンベルク裁判」『史論(東京女子大学)』55、2002年。http://ci.nii.ac.jp/cinii/servlet/CiNiiLog_Navi?name=nels&type=pdf&lang=jp&id=ART0008575897
「精神的に弱い」かどうかは、必ずしも人で決まるものではなくて、同じ人の中でも移り変わる。
自分には、ここまでは同じ友人がいた。彼は、とても優秀な人だった。自分も彼も工学部だったのだが、彼は大学1年の時から、何を研究したいか具体的に決めていた。サークルの仕事も精力的にこなしていた。工学部の人間は多くが4年の夏に大学院入試を受けるが、彼は学科トップクラスの成績を取って大学院に合格した。私は彼とは全く違う分野だったが、傍目からみても、彼は将来その分野を担う人材になるはずだった。
自分も大学1年の時から何を研究したいかは決まっていて、それは揺るがなかったのだが、勉強しなかった。直接関係のない基礎科目は勉強する気にならなかったが、いざ自分のやりたい分野の専門書を先取りして読んでも、基礎力がないので理解できなかった。試験直前に振られたりしたこともあって、4年の必修科目を一つ落としてしまい、留年してしまった。希望の研究室は割と人気がない研究室だったので大丈夫だろうと思っていたら、その年はたまたま外部の優秀な志望者が多く、自分はあぶれてしまい合格できなかった。
大学5年生になると、かなり焦った。とにかく、何が何でも、卒業して希望の研究室に合格したかった。他人から見ると十分に努力していたとはいえないかもしれないが、それでも、結果としては、ちゃんと卒業論文書いて卒業して、希望の研究室にも合格できた。
大学院1年の春、少し周りを見回す余裕が出てきた。サークル時代の仲間はみんな一年前に就職・進学して、数ヶ月に一回、時間が合ったときに同期で内輪の集まりを開いて、そこで会うぐらいになっていた。ところが、よく考えてみると、この一年ほど彼は顔を出していない。就職で地方に配属になった同期も多かったので、みんなそこまで気にしていなかった。
大学院2年の彼はどうしているか・・・彼が書いていたブログを見てみた。端的に言って、悲惨だった。彼は大学院1年の時に、うつ病になってしまい、ほとんど研究できず、自信が持てず、自殺願望にしばしば苛まれているとのことだった。結局、その年は地元に戻って休学しているらしいことが、ブログを1ページずつ丁寧に読んで分かってきた。サークルの他のメンバーも、詳しく知らなかったらしい。彼は、数ヶ月に一回しかブログを更新しなかった上、彼のブログも全員が知っていたわけではないので、よく読んでいる人がいなかったのだ。自分も、サークルの他の友達と会った時に、彼のブログを見せながら簡単に状況を説明したけれど、もう、誰も何も言えなかった。よく考えると、一年前、飲み会で、彼は「卒論が上手くいかない」とこぼしていたっけ・・・・
自分にとっては、結構ショックだった。学業も仕事も、単純に頭の良い人・才能のある人が良い成果を出せるものだと思っていた。けれど、彼を見ていて、必ずしも、そうではないことがわかった。チャンスがある人がチャンスのあるうちに、臆せずチャレンジしないとつかめないものなのだ。チャンスのある人は、チャレンジしないといけないのだ。彼は、チャンスを「うつ病」によって奪われた。自分は、自分の能力不足のせいで留年し一回はチャンスを失ったかのように思えたが、結果オーライだった。あれから、1年半。彼のブログによれば、結局、彼は大学院をやめてしまったらしい。その後、どうしているかは、よくわからない。サークルで集まることがあっても、あまり話題に上らなくなってしまった。冷たいと思うが、自分で話題にするにしても、どう切り出してよいか分からない。サークルの他のメンバーも、たぶん同じなのだろう。それに、みんな、まだまだ働き始めたばかり。自分のことで話したいこともたくさんあるし、話題も自然にそちらに移ってしまう。
ただ、確かに言えることは、彼の存在は、自分の進路決定に影響を与えているということだ。