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2017-03-14

自分

当方大学3年生、就職活動真っ只中であり、先月失恋したばかりでもある。以前とある就活セミナーにおいて、「自分史」を書くと自己分析捗ると言うので纏めてみようと思ったのだが、なんだかダラダラ書いてしまいそうになるので、人の目に触れるという条件ならばちゃんとした文章になるのではないかと、此処「はてな匿名ダイアリー」に試験的に投降してみた。


以下、私立文系現役就活生、その半生のあらましである


誕生小学生時代

私はとある裕福な家庭に、長男として誕生した。

母は底辺出身で、元ヤクザ幹部を父に持ち、成り上がる為にスパルタ教育を叩き込まれ秀才であったものの、「女性である」というただ一点で、評価されることなく、夢叶わなかった人間である

父もまた、底辺出身であり、米の代わりに芋を食うような家で育ち、早くに両親を亡くした境遇を持ちながらも、最終的にはF欄大学だが主席卒業し、好きな分野で食っていこうと考えていたが、推薦で入社した会社が急成長を遂げ上級管理職となってしまい、念願の技術屋にはなれなかった人間である

そんな両親の元に、私は産まれた。

母親は自らの経験から所謂教育ママに、父親は古風な家庭で育った為、マナー生活習慣にこと厳しかった。

両親は私を教育するために、自らのストレス妄執をぶつけてきた。

「どうしてこんなことができないのか」「私はあなたにこんなに投資しているのよ」「お前の為にやりたくもない仕事を続けているんだ」

両親の理不尽社会に対する呪詛が、私の実存破壊していった。

私はまた、いじめを受けてもいた。当時はまだ運動もできずどんくさい奴だったからだ。殴られたり蹴られたり、避けられたり、悪口を散々言われたりした。

親にいじめ告白したものの、「男ならやりかえせ」の一点張りでとりあってはくれなかった。

憎かった。両親が、周囲の人々が、社会が、世界が。

両親に叱られる度に、いじめられる度に、「殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す…」と自分の部屋で唱えていたのを覚えている。

本気で両親やいじめっ子を殺す計画を立てたこともあるし、逆に自殺しようと思ったこともあった(いずれも発見されたことで未遂に終わっている)。

上記の計画が失敗に終わった為、何も感じなくなるように、心を殺せるよういつも自己暗示をかけていた。

力が欲しかった。死にたくなかった。生き抜く力が欲しかった。そして認められたかった。愛されたかった。


そんな自分に味方をしてくれた人間が一人だけいた。祖父であった。

祖父はどうやら自分の娘にスパルタ教育を施したことを負い目に感じているようで、両親(特にからから暴言を良く諌めてくれた。

共働きの影響でよく一人で夕飯を迎えなくてはいけない自分に、良くご飯を作ってくれた。(味は大味すぎだったが)

昔の話を交えながら、「力」について色々と話してくれたのを覚えている。暴力権力学力、魅力…生きていくための力について…

戦中戦後混沌とした日本を力が物言う世界の中生き抜いた祖父一言一句には、老い衰えながらも凄まじい説得力があった。


中学生時代

私立に進学させようとする母親に対し、祖父後ろ盾を得ることで私は無事希望通りに公立中学校に進学することができた。

祖父から「力」について学んだ結果、小学生時代において最底辺だった自分スクールカーストものの見事に逆転した。

陸上競技を始めたことで身体を鍛え、喧嘩も強くなったし、会話術を学んだことで周りから慕われるようになり、部活部長や、生徒会長などリーダー役割兼任したり、学力も向上しトップはいかないものの上位に食い込んだ。そして異性の友人がぐんと増えた。これまでの環境が一変したのだ。

だが母親干渉は止むことはなかった。認められることもなかった。学業邪魔になるから課外活動は止めろと言い、トップになれなければ意味はないと口うるさく言ってきた。無理やり塾へ入れたりもした。

そして環境の変化は「人の心というのは力次第でこんなにも変わってしまうのか」と一種疑念を抱くきっかけにもなった。

それでもなんとかやっていけたのは、唯一本音を話せた祖父後ろ盾と、貧乏すぎてろくな学生時代を送れなかった父親わずかばかりの支援があったからだ。課外活動を維持できたのは父のおかげである

(父は学業、というか母の行動について全くと言っていいほど干渉しなかった。巻き込まれるのが嫌だったというのもあるが、仕事に手一杯で余裕がなかったというのもある。事実ウツ一歩手前であった。)


だがこんな日常が長く続くことはなかった。


母の希望によって、確実に試験突破できる県で2番目に高い進学校入学することが決定したその日、唯一心から信頼していた祖父自殺してしまった。祖父肺炎に長くかかっており、これ以上迷惑をかけたくなかったということ、妻(祖母のこと)を亡くしてからずっと孤独を感じていたということが遺書には記してあった。そして「生きろ」とも。

私が祖父の亡骸を観た時、感じたのはひどい喪失感と「生きることに逃げた」という感情から来る怒りだった。

コレ以降、母の私への干渉は激化することになる。



高校時代

私は初めて心から挫折を味わうことになった。私が進学した高校田舎にあったため、小学校から高校まで、ほぼそのまま上がってくる人間ほとんどであり、既にクラス内にコロニー形成されていた。異なる地方から来た私は、その風習に上手く馴染むことができなかった。

加えて、地頭いいわけでは無い私に対し、周りの人間自分より何倍も優秀な奴らばかりであり、中学時代形成されたちっぽけなプライドはぐしゃぐしゃになってしまった。存在理由否定されたかのようにも思えた。

また、再びいじめを受けることになってしまった、いや、巻き込まれたと言ったほうが正しいだろうか。

入学当初、私と同様、雰囲気に馴染めずいじめられている生徒がおり、私は一度正義感故に彼を庇った。それをきっかけに私もいじめの標的となった。担任先生にも相談したものの、「彼(いじめられていた子)の面倒は君が見てくれ」と聞き入ってはくれなかった。(その先生が私が入っていた陸上競技部顧問だったのだから笑えない)

いじめは年度を超えて行われ、いじめられていた子がいじめを苦にして高校を退学し、いじめ実行犯学校から指導を受けるまで続いた。2年次の後期まで続いた。

学校はその事実隠蔽した。

その結果、部活遠征中に競技出場名簿を改ざんされ体育祭に出ることは叶わず(当日までわからなかった)、

女装して踊る予定だった文化祭は前日に衣装を何者かに隠され(これまた部活遠征でいない間の犯行だった)出演することができなかった。(当日来てくれた他校の友人たちに色々謝ったのを覚えている)

その他はまあ陰口や悪口無視程度で済んでいた。いじめは人の業だと割り切っていたし、自分の心を殺せば、特にダメージはなかった。


後ろ盾を失い、学校はいじめを受け、家では両親から干渉され、行き場を失っていた自分は、性に逃げていた。我ながら最低だったと思う。

中学時代に作った女友達のツテを使うことで、絶えず女の子を紹介してもらうことが出来た。

の子の家庭環境や、生い立ち、タイプ男性など様々な情報を聞き出し、ニーズにあった男性像を演じれば、簡単彼氏彼女関係になることもできた。(例えば片親の子なら包容力のある、甘えられる都合のいい男だったり)

承認欲求を満たし、そのうちに罪悪感に苛まれ自分から関係を切っていくというループに陥っていた。最低だと分かっていながらも止められなかった。

そして人の心に対する疑念は更に高まっていった。


いじめが止んだ高校3年次

なんと今までじぶんやあの子いじめてきた人間が、取り巻きが、なにごともなかったかのように普通に親しげに接してきたのだった。これには絶望した。本当に絶望した。いじめ自体は人の業だと、生物習性だと、遺伝子しかたないのだと、割り切ってきた。仕方のないことだと。心を殺して耐えればいいと。しかしなんだこれは、お前らは十字架を背負うこと無く、一切の反省もなく、悪びれもせず、気まずさもなく、あの時俺が挨拶をしたら無視をしたくせに、ただ自然に「おはよう」だと?「いっしょに昼ごはんどう?」だと?「あいつ(いじめ主犯)最悪だよね」だと?グループワークで一切否定してきたくせにこんどは尊重だと?一緒に勉強しないかだと?なんなんだお前らは一体何で出来ているんだタンパク質か喋るタンパク質なのかこれが人間かそうかそうかこれが心か


今まで私は人の心を操っていた反動で、くだらないことにある種「理想的人間関係」というものを思い描いていた。お互いにお互いを高め合える関係 友情努力勝利

いつか素晴らしい友達出会えるのだと、そう信じていた。



私はほとんど学校に行かなくなってしまっていた。公園にいってひたすらに筋トレや走り込みを行い、図書館に篭り、救いを求めて哲学書や思想書、自己啓発書宗教の本を読み漁り、

部活だけ出て帰る。授業をバックレることもあった。幸い制服が無く、度重なるストレスのせいか老け顔なので、補導されるというのはなかった。親に見つかっても怒鳴られるのを耐えればいいだけなので、平気だった。

本を通じて様々な思想を取り込んでいく中で、ただひたすらに耐えるだけだった親に対しての反抗心が芽生えていくのを感じた。

そして遂に「俺はお前の人形じゃないんだよ」と叫ぶことができた。「ごめんなさい」と泣かれた。「すまなかった」と言われた。12月クリスマス前のことだった。


受験勉強をすっぽかして読書思索にふけった結果、案の定成績はビリから3番目であり、浪人をすることになった。




大学時代

から刷り込みによって、座学が完全にアレルギーになってしまい、勉強をすればするほど体調が悪化しながらも、なんとかそこそこの私立大学に潜り込むことができた。

続きは後で書きます

2017-02-06

中学受験体験

小6の息子がめでたく中学受験を終えたところ、通っていた塾から受験体験記」の執筆依頼が来たのだが、1200字程度で収めないといけないらしく、思いの丈の全ては到底書ききれないので、その下書き代わりにこちらに字数制限なしで書こうと思う。

それに、どれだけうまく1200字に収めようと、自分がこれから書く内容はきっと塾の受験体験記集には採用されないので、せっかく書くのに日の目を見ないのも切ないという事情もある。

公立派 vs. 私立

そもそも自分中学受験必要性を何ら感じていなかった。気軽に通える範囲私立中学などない田舎で育ったし、気合を入れて遠距離私立中学に通わせようとなどという教育熱心な家庭でもなかった。

通った近所の公立中学は荒れていた。不良な上級生が授業時間中に教室外にたむろして騒ぎを起こし、先生一同でそれに対処するために授業が中止になることや、校内を卒業生バイクで走り回るなんてことはザラにあった。

力の強いやつが偉い、という暴力的世界ではあったし、自分クラスで一番のチビというハンディもあったが、それでも気の合う友人もできたり、部活に精を出したりと、自分なりに楽しく過ごせた3年間だった。

その後も地元では一目置かれる県立高校に進学できたし、大学東大京大ほどではないが、世間的には高く評価されるところに現役で合格することができた。

自分自身がこのように特に不満のない経歴をたどることができたので、公立中学に対するネガティブイメージもなく、息子についても近所の公立中学への進学で何の問題もないと考えていた。

しかし一方で妻は私立派であった。

私立派と公立派は基本的には分かり合えるものではないと思ってる。何しろ、1人の人間私立中学と公立中学の両方に通うことは基本的にはないのである公立中に通い、そこでの生活に満足した人は公立派になるし、不満足ならアンチ公立派=私立派になる。私立中に通った人も同様である。両者を公平かつ客観的比較するのは難しく、どうしても主観が入り交じる。

塾に通うきっか

4年生の終わりくらいに中学受験のための塾に通う話が持ち上がってきた。自分公立派ではあるが、それでも塾に通うことに反対はしなかった。

先に述べた通り自分田舎の狭い世界で育ち、教育熱心な家庭でもなく、例えば東大のような高い目標を目指したりすることもなかった。

息子は幸い勉強の才能に恵まれ、昔の自分よりは頭が良さそうなので、ぜひ広い視野と高い目標を持ってもらいたいと願った。中学受験塾は、頭の柔らかい小学生のうちから高度な勉強をして脳みそを鍛えたり、世の中には自分よりも頭の良いやつがたくさんいることを知るのには良い場所だと思ったのが、塾通いに反対しなかった理由だ。

最終的に私立中受験するかどうかは自分にとって重要ではない。勉強するだけ勉強して、受験せずに近所の公立中に進んだって何の問題もないと本気で思っていた。

そして中学受験

しかし息子本人はやはり段々と私立派に感化されていった。母親絶対私立派、父である自分公立肯定派ではあるが私立別に否定はせず、そして当たり前なことに塾に通う友達はみな私立派。塾の先生は...言わずもがな

仕方ない、分かった。私立に行くのは構わない。で、どの学校に行きたいんだ?

息子は御三家と呼ばれる男子校一角名前を挙げた。

受験方針

当時の息子の塾での成績からすると、その学校ちょっと高望みであった。一方、自分が見込んでいる息子の潜在能力からすれば、合格レベルに達することは可能だし、追い込んで勉強させれば御三家を超える最難関中学すら可能性はあるという思いもあった。

しか偏差値の高い学校に入ることに何の意味があるだろう?

聞くところによると私立中学の人気というものは、どうやら併設の高校東大合格者数の増減に大きく影響されるらしい。しか自分の考えでは、東大合格者数に大した意味はない。難関私立中高の東大合格者数が多いのは、教育力が高いからではなく、東大合格できる素質を持った生徒を選抜するからである。それにどれだけ多くの同級生東大合格しようとも、その中に本人が入ることができなければ、その指標には何の意味もない。逆に、素質があって、実力を高める努力を怠らなければ、どの学校に進学しても東大は狙える。

何はともあれ、私立受験が不可避となった段階で、自分

  • 「無理はしない」
  • 学校選びには口を出す」

という2つの基本方針を立てた。

無理はしない

中学合格した直後が自分人生ピークでした」という話しをいくつか聞いたことがある。親が積極的に介入して受験勉強に追い込み、より難易度の高い学校合格させることはできたとしても、それで燃え尽きてしまっては何の意味もない。

勉強というものあくまでも自主的にやるものである

本人がやる気になるような声掛けや仕掛け作りはしたが、無理に勉強させることはしなかった。そもそも教育熱心な母親というもの一般的に「勉強しなさい!」と口うるさく言わずはいられない生き物なので(偏見)、そこで父親まで同じことを言ってはいかんだろう、という思いもあった。

人生ピークはもっともっと後に来なければならない。そのためには中学受験とき限界まで追い込む必要はなく、いくらかの余裕をもって終えるくらいがちょうどいい。

学校選びには口を出す

いや、まあ、普通の親は口を出すものだとは思うけれども。

息子が御三家校に行きたいという理由は、本人に言わせれば「文化祭見学して自由雰囲気が気に入った」ということらしい。しか文化祭体育祭というのは「特別な日」であり、それだけ見てその学校のことを理解するのはほぼ不可能である

だいたいその理由すら本当かどうか怪しい。たまたま一番最初見学に行ったのがその学校だったので、一番強烈な印象を受けたのかもしれないし、母親が勧めたのを鵜呑みにしたのかもしれない。あとは塾の同級生である。親から刷り込まれ学校観を友達披露するような子もいたのではなかろうか。

いずれにせよ、中学受験において男女御三家というのは正義である

しか公立に行けば払う必要のない大金を払わされるこっちの身からすれば、偏差値ステータスなんてものには何の興味もなく、払うからには最も高い実利が得られる学校を選びたいと思うのは当然である

息子本人が言う志望校なんぞ当てにならん。行く価値のある学校自分で見極めることにした。

学校説明会に通う日々

6年生の春になってから候補となりそうな中学学校説明会にはことごとく足を運んだ。普通はもう1年くらいは早くこういうことをするらしいが、まあその時は自分中学受験に興味を持っていなかったので仕方ない。

学校説明会では目から鱗が落ちる思いをした。

正直言うと、それまではどの学校も大した違いはないと思っていた。しか校長の話しからは教育に対する信念や熱い思いが伝わってきたりこなかったり、個性的カリキュラムを持つ学校があったりと、それまでの自分の考え方は誤っていたことに気付かされた。

なるほど、これが私立か。

確かに高いお金を払ってでも通わせてやりたいと思う魅力的な学校がいくつかあった。難易度も低くはないが、届く範囲。そして息子の志望する御三家校は、魅力的ではあるが上位ではなかった。

学校選択プレゼン

さあ、本人を説得だ。

仕事クライアントを説得するかのようなプレゼン資料を作り、リビングテレビに映して、自分の気に入った学校誘導するプレゼンを行った。

学校選びに関する様々な観点提示し、各候補校のメリットデメリット説明した。内容を正しく理解すれば、自然自分の勧める学校第一志望になるはずの渾身のプレゼンである

そしてプレゼン終了後に改めて息子に志望校を尋ねたところ、あっさりと従来から御三家校の名前を挙げた...。自分プレゼンは何の効果も発揮しなかった。

説得を諦めるわけではないが、気分良く勉強してもらうために、ここはいったん退くことにした。最後最後に説得が成功すればいい。

勉強の日々

夏休みが明けると生活受験一色になった。1年生から続けていたスポーツクラブは休部した。塾通いはそれまでは平日2日+土の週3日だったのが、日曜も加わり週4日になった。

しかし、塾以外での勉強時間特別に多いわけではない。多くのアドバイスによると、朝は早起きして勉強すべし、と書いてあるが、それは結局無理だった。息子はどうやら夜型人間で、夜は11時、12時まで勉強して、朝は学校に行くギリギリ時間まで寝るというスタイルに落ち着いた。自分も夜型だから理解はできたし、それも個性だと割り切ることにした。

テレビマンガもちょこちょこ見ていたが、それこそが必要な「余裕」だと思い、特に勉強に追い立てるようなことはしなかった。(自分は。妻は別。)

ちなみに中学受験は親子の二人三脚、とはよく言われるが、生活面はともかく、こと勉強に関して言えば完全に塾と本人任せ。机に向かっている間、何の勉強をしているのかも知らない有様。

しかしそれが功を奏したのかどうかは分からないが、塾での成績は徐々に上昇してきて、10月から御三家校を完全に射程に捉えた。

その後は概ね合格圏内キープ、上昇ペースが予想よりも2ヶ月ほど早かった以外は、ほぼ自分見立てた通りのシナリオだった。

そして本番

第一志望は相変わらず御三家校だったが、第二志望は父に義理立てしたのか、自分お勧め校ということになった。加えて第三志望群に何校か。

この中で最も試験が早いのが第二志望の学校。定員が2つに分割され、試験は2回実施される。1月中に行われる1回目で合格することができれば、後はもう第一志望を受けるだけでよくなり、その後のスケジュールが非常に楽になる。

が、残念ながら不合格

さすがに本人も多少はショックだったようだ。しかしここは切り替えが大事

「失敗というのは、そこから学びがある限りは失敗ではなく、次の成功必要過程ひとつになるのだ。この不合格をそうできるかどうかは、この後の頑張り次第だぞ。」

そして迎えた2月1日からは怒涛の試験ラッシュ

2月1日

午後に受けた学校は当日夜にインターネット合格発表があり、めでたく合格!この学校自分評価は高く、本人もかなり気に入っていたので一安心である

なお第一志望校合格発表は2日後の2月3日午後。

2月2日

お勧めの第二志望校に二度目のチャレンジ合格発表は翌日朝。

午後校は当日夜の合格発表で、こちらは合格

2月3日

受験会場まで息子を送り届けてから少し経った頃に、前日の第二志望校合格発表時間がやってきた。緊張しながらホームページを開く...息子の受験番号を探す...

うーむ、残念!父の目論見はここで潰える。

実のところこの学校偏差値的には第一志望の御三家校よりも高いのである。ここを第一志望にして対策してきている受験生がたくさんいることを考えると、こっちは過去問ちょっと問いたくらいの準備で、まあ仕方のない結果ではある。

そして第一志望校合格発表

午前の試験終了後、息子と昼食を取り、気を取り直して向かうは第一志望校合格発表。これまでの合否確認はすべてインターネットだったので、実際に掲示板を見に来るのは本人も自分も初めてである

緊張の一瞬。

遠くから掲示板を見つめていた息子の顔が一瞬ハッとする。あれは自分の番号? 遠くてよく分からない。人混みをかき分け掲示板に駆け寄る。そして歓喜の瞬間。

合格

総括

父としては御三家校に合格したことよりも、息子が自分で立てた目標に向かって努力し、見事それを達成したことこそが喜ばしい。この成功体験はきっと今後の成長の糧になることだろう。

そして望外に嬉しかったのは、息子が「僕を塾に通わせてくれてありがとう」と言ってくれたこと。最近は塾で鍛えた脳みそをひねくれたことを言ってみたり、屁理屈こねることにばかり活用していたので、こんなにも素直な感謝言葉をもらえるとは思ってもみなかった。

また、自身合格を喜びつつも、残念ながら不合格だった塾の友人たちの気持ちを慮る言葉もあり、そこにも成長を感じとることができた。

自分としては第二志望校(父の第一志望校)不合格で、息子を説得する機会さえなかったのは少し残念ではあるが、合格した第一志望校も実のところ非常に魅力のある学校であり、本人の喜びようも見れば、きっと説得には耳を貸さなかっただろうし、自分もあっさり諦めたことと思う。

それに何より、自分がこれまで全ての場面でそうしてきたように、息子にも自分人生自分で決める権利があり、これはその第一歩だったのだ。

自由校風を大きな特徴とするその学校で、大いに自由を謳歌したまえ。

(ただし高い学費の元は取ってもらわないと困る。)

アドバイス

来年以降受験するご家庭へのアドバイスなんてものほとんどない。

息子の受験成功裏に終わったが、自分の立てた受験方針戦略あくまでもその息子が前提のものである。下の子が数年後に受験することになるかもしれないが、その子はまた違う個性を持っているので、同じ戦略は使えないと思っている。

あえて言うなら、

くらいなものである

以上、長文乱筆失礼致しました。

2017-02-01

運動会の思い出

昭和時代

1学年10クラス以上の高校だった。一部のクラスじゃ40人以上いたかもしれない。
球技大会体育祭があったが、クラスから代表が出て他の生徒は応援代表は友人でもないので応援する気も無く。
校内を巡回する教師がサボってる奴を捕まえるので仕方なく校庭でぼーっとしてる。

平成の今ならこんな生徒数の学校はあまりないだろうけど、クラス代表しか出ない、他の生徒は何もない座ってるだけの運動会なら
代表けがんばって残りの生徒自習でいいじゃんかと思った。

 

社会人を経て思うのは、運動会とその準備する時間があれば
借金をしない家計維持とか、家庭科のようにグループではなく一人で料理と後片付けできるようにするとか
生活マナー詐欺しない詐欺られないとか
社会人になって誰も教えてくれないけれど大事な事を教えるべきなんじゃないかと思う。

毒親に悩む人がこれだけ多いんだから、さっさと独立した生活するために必要知識を早い内にたたき込む方が良いよ。

2017-01-10

http://anond.hatelabo.jp/20161229161258

俺は高校体育祭とき男子がチアの格好するパフォーマンスするのがあって、やってみたかったしまわりからはやったら似合うとめっちゃ言われてたけど、30になった今だとかなりきついと思った

メイクアプリ自分メイクしてみたらもうどうみてもオカマしか見えなくて愕然としたか

目と鼻、唇はいいんだけど、あごがごつすぎるのが致命的にだめだった

地鶏ツイッター女装男子やるんなら角度でだませるかもだけど、もうこのあごは削らないとだめレベルだった

2016-11-25

集団に合わせるの辛すぎ

幼稚園では一人遊びが最高の楽しみだった、自分世界だけで生きていた

朝顔のたねを潰して、砂を掘って、壁に登った




小学校では図書室の図鑑けが休みの私を癒してくれた、外遊びには興味が持てなかった

ロケットコンピュータに憧れた




中学校では、体育の時間の後で全員が制服に着替えても一人だけ体操服で授業を受けた、そのほうが涼しいから

こんな自分クラスのみんなはそっとしておいてくれた




高校では体育祭をサボって図書室で本を読んでいた、拘束されるのが嫌だったか

数学の美しさに触れ科学に惚れ込んだ

親が泣いても文化祭に行かなかった、それまで一日もクラスを手伝ってなかったか

遠足ときは家を出てから学校病欠の連絡をして満喫で時間を潰した、もう親を泣かせたくなかったか




大学天国だった

友達はみんな過度に干渉しないオタクだった

授業は面白かった、つまらなくても過去問単位を取った、科学こそ自分のスキなことだと感じた

サークルに熱中した、気づいたらリーダーになってすべてをつぎ込んでいた




大学院は思っていたのとは違った

科学者って根性論がスキなんて知らなかった

空気を読んでテーマ決めて、空気読んで指導うけるのが辛かった

科学への渇望は消えていなかったけど修了と同時にアテもなく飛び出した、先生研究室には我慢限界だったか




僕は10年経っても体育祭から逃げていたんだ。集団から、どこからともなくリーダーが現れて全員に無言の圧力不文律押し付ける。集団の中で、時間場所思考自由を奪われていくあの感じ。社会蔓延するあの体育祭空気から、きっと抜け出せると信じていたんだ。それでも、自由になれなかった。




まだ、後夜祭のキャンプファイヤーは消えずにいる。

2016-11-24

高校の時に体育祭での女装を率先してやってたO君

実際、中性的イケメンだったし、似合っていたけれど

その後どうなったんだろうなー

女装好きがナルシストというのは当たってそう

観測対象範囲1名、O君のみ)

2016-10-23

http://anond.hatelabo.jp/20161017210031

乗っかって、自分語り。許して。

 

さいころはピンクとかリボンとかスカートとか大好きだったのが、小学生になって自分がブスだと気づいてしまい、以来スカートワンピースリボンピンク等々は封印していた小中時代小学校高学年でオタク発症したのもそれに拍車をかけていた。高校遠足修学旅行私服がいやだった。というより困った。高校の友人の中には、髪を染めてみたりピアスを開けてみたりマクドナルドアルバイトしたり体育祭では男子と手を繋いでお姫様抱っこをしてもらうようなダンスをしたりするようないわゆる「フツウの女子高生」な子もいたので、遠足前にはそのような子と一緒に買い物に行くこともしたけれど、ブスダサオタクはそもそも服が似合わないのだから何の意味もないのだった。

 

ボーボーの眉毛、一重の厚ぼったいまぶた、たらこのような唇、ぱんぱんのほっぺた。

伸ばしっぱなしの真っ黒剛毛、所狭しとはびこる無駄毛、ニキビだらけの顔。

ごわごわの肌、地黒の肌、へたくそ笑顔

プリクラで盛られないレベルのブス。(当時のプリクラはおよそ今のそれほど盛り盛りではなかったし、ほぼ写真に近かったけれどそれでも多少は可愛く写るものだ)

下校途中、他校の男子高校生にすれ違いざまに「うわブス!」と言われるレベルのブス。驚かせてごめんよ。

 

私の場合、「ブスダサオタクからおしゃれしちゃいけない」という強迫観念よりは「どーせブスダサオタクだしセンスもないし、つまりもし仮に多少は可愛くなれるとしても限度はあっという間に来る上に人並み以上に努力する必要があるわけでしょ、やってられっかめんどい」という、人になる努力<ブスでいる楽さを選んでいた節はある。-100を努力で0にしたところで0は0だし、そもそも普通の人は10努力10が手に入るんだからずるい。やだ。めんどくさい。というわけだ。

諦めというか、言い訳がましい。

それでも、そんな時間より漫画を描いたり読んだりする時間のほうが圧倒的に大事だった。平面に在る美しさが美だった。

 

転機がどこだったかは、はっきりとは覚えていない。多分、男性アイドルにはまって、コンサートに行くようになって、三次元の美しさ・可愛さを見るようになったせいだと思う。アイドルは総じて可愛いしかっこよかった。ちょっとおへちゃだったりぶさいくだったりするところも含めてだ。そこでおそらくは、私の中の美に対する概念が変わったのだ。

あと、アイドルを見る女の子たちも可愛かった。

コンサートへ行くにはおしゃれをするのが通例らしいと知り、別のアイドル好きな大学の友人に連れられて好きなメンバーカラーワンピースを買ってみた。褒められたし、その色がとても似合うと言われた。基本的単細胞なので、それに気を良くしてコンサートのたびにその色の服を新調した(これが紫だったので今思えば大変扱いにくい色の服ばかりよく集めたなそして着ていたな!と思うがそのあたりはアイドルオタクの性なので何も言えない。もっと扱いやすい色の人を好きになればよかったのに、なぜよりによって紫だったのだろう…)。その色を着慣れると、今度は「そうか君は濃い色が似合うんだね」と言われ、そうかと気をよくして赤だの青だのいきなりビビッドな色を取り入れ始めた。おしゃれし慣れていない人間ビビッドファッションなど、今思い出してもおぞましいけれど、とにかく「似合う(らしい)色」を言ってもらえて楽しくなって、せっかくならいい感じに着こなしたいと思ってファッション雑誌に手を出した。

With2007年2月号。なんとまだとってある。

ファッション誌には、服だけでなく、化粧品メイク方法特集も載っていたからそれに乗せられ、大学に入って2年ほどしたところでやっと毎日のお化粧もするようになった。派手色趣味と一重コンプレックス反動が相まって、カラーシャドウと極太アイラインでギラギラだった(当時アイプチはそこまで流行していなかったように思う)。できあがったのは、勘違い派手派手オタクブスだった。それでも、楽しかった。今思い出しても、恐ろしいけどおぞましくはない。楽しかった。

 

それから紆余曲折を経て、一重コンプレックスは根強くいまだにアイメイクは濃いものの、気づけばダイエットもなしに高校時代から10kgほど痩せ、メイクファッションビビッドカラーの使い方はある程度覚え、職場では一応人間の扱いを受けている。

新しいコスメ用品を買うのは楽しい。新しいお洋服を買うのも楽しい。お風呂上りにパックをするのが楽しいすっぴんから化粧を施して、いまだに一番慣れなくて苦手でへたくそヘアスタリングちょちょいとやって(でも頑張るとたまに褒められてまた嬉しくなる)、昨日買ってきたお洋服なんかに腕を通すのは、とても楽しい

痩せた分容姿をほめられることは増えたけれど、心の中では「いや目が覚めるほどのブスなんで」と思っている。周囲にあんまりイタリアンな感じの人が男女問わずいから、たまに勘違いして「私結構いけてるのかも??」なんて思っちゃいそうになるときもあるけれど、結局毎朝鏡を見ては「…おう、目が覚めるほどのブスとはこのことだな……」と思いながら顔を洗っているので勘違いしきれない。残念。

それでも、楽しい

人生のどの時間を切り取っても総じてオタクなので、いわゆる世間の可愛くて綺麗でセンスもよくておしゃれなフツウの女性とはまったく別の生き物なのは分かっているのだけれど、自分可愛いと思ったものを買って、身につけて、それを誰かが可愛いと言ってくれて(もちろんその「物」を)、言ってくれなくてもまあ別に私が可愛いと思って買ったんだしちょっと変でもまあいっかー劇的に変だったら誰か何か言ってくれるだろうで済ませて、それで働いてまた自分可愛いと思ったものを買う。可愛いと思ったものを少しでも可愛く身につけるために、パックしたりマッサージしたりする。楽しいんだな、これが。JKがおばちゃんに次ぐ強キャラなのは認めるけれど、私は明らかにJKより今が楽しいです。よく「人になる努力<ブスでいる楽さ」な精神が首をもたげるけれど、

今はブスでいる楽さよりも、人になる努力のほうが楽しいので、必要最低限の、苦にならない程度の「人になる努力」はしていこうと思える。-100を0にする作業も悪くない。深海から水面に上がってくる感動は、きっと空を飛ぶより大きい。

果たして0になれているのか、水面まで上がれているのかは分からないけれど。(多分なれていないし、上がれていない)

2016-10-07

運動会社会人増田和田スマン爺かゃ詩歌うどん宇(回文

コンビニ店員さんが今朝、

体育祭出ないんですか?って聞かれたので、

そんなの出るわけじゃいじゃないのって答えたんだけど

聞いてみたら、そのコンビニの近くの小学校

社会人選出枠もあるらしくって、

駆けっこや、玉入れ、綱引きパン食い競争なんか

飛び入り参加出来るんですって。

今どきの体育祭って意外とオープンなのね。

知らなかったわ。

セブン&アイ・ホールディングスとして、

おにぎりたくさん納品するんだって張り切ってたわよ。

トラック競技は難しいかも知れないけど、

フィールド競技は異種混合して、

綱引きしながら玉入れとかそういう競技

武井壮が得意そうなやつよ!

支離滅裂楽しいと思うんだけど。

もう、どさくさにまぎれて、

玉入れのカゴにめがけて投げるんじゃなくて、

隣の敵のチームに玉ぶつけたりとか。

そんなことを言ってたら、

塊魂運動会会場に乱入して、

悲鳴とどろき運動会会場丸ごと固めてしまう、

あのシーンを思い出しちゃったわ。

話変わるけど、

つの間にか

のびのびボーイのサービス

累計総延長1677万億7216kmに達して海王星に届いちゃったか

わっちゃったんだって

知らなかったわ。

あれ好きだったのになあ。

終わってしまってちょっとショックよ。

これからは伸ばすの自分との戦いね




今日朝ご飯

カレーを作るとカレーが続く地獄ってあるわよね。

昨日の晩もカレー

今朝もカレーよ。

まあ、美味しいからいいんだけどね。

私自慢のお手製カヒミカリィよ!

今度はテイトウカリィに挑戦よ!

なんつって。

デトックスウォーターは、

ピンクグレープフルーツちょっと飽きたなら、

ハチミツフレーバーとして加えてもいいわね。

ほのかに広がる甘み。

朝の糖分は身体を目覚めさせるわ。




すいすいすいようび!

今日も頑張りましょう!

2016-09-28

みんな体育祭どうだった?私は超最悪のドンケツだった件。。。。

この間の体育祭は最悪だった。

嫌でしょうがなかった100m走案の定ドンケツ。。

せっかくクラスランクで中の上を維持していたのに中に下がった感じ。

ランク維持は少しでも気を抜くと下がるから努力してきたんだけど流石に運動までは努力できなかった。。

頑張って友達付き合いしていたA子から見下されると思うと悔しいわ。。

こうなったら今度の中間テストで持ち直すしかない。

増田に書いてる暇があったら英単語の一つでも覚えなければ。。

学生生活高校時代蠱毒のような教室でいがみ合い食い合わなければならない。

そこでのランク社会ランクにつながるから

弱者は土台になり強者蜘蛛の糸を掴み成功する。

私は底辺B子のようにお人好しでもないし、C子みたいにわざわざ敵を作ることもしない。

しなやかに障害を交わし的確にルートを選んでいくの。

私は土台になりたくない

私は成功をつかむの

・・成功と言ってもゲームだけの世界だけどね

・・歴史の授業教材「古代地球文化シミュレーション

これが結構面白くて1200年前の地球で行われていた教育機関体験しようってやつ。

高校時代三年間で上位クリアすると単位が取れるからついムキになっちゃう。

ノートにとって良い点数取って友人とのコミュニケーションも円滑に、、、

うーん実に不効率古代人はとても苦労したことだろうな。

そんなの頭にインストールすれば済む話だしね。

つくづく昔の人は苦労してたろうと思う。。

2016-09-14

ジャスティン・リー

この事はずっと忘れていて、無意識にそんな経験はなかった事として生きていた。


中学生の頃、体育祭応援団をしていた。

同じ応援団団長は学年が一つ上の喧嘩っぱやくて、後輩をすぐに殴る事で有名な人だった。

その人の事は、以下団長と呼びます


FATの事は嫌いでなるべく関わらない様にしていたんだけど、仲の良い友達が付き合っていたので、度々顔を合わしてしまう事があった。

それでも口はほとんど利かず、からかわれてもシカトしていた。


放課後応援団練習をしに行ったらその日は団長しかおらず、彼女の事で相談があるとか珍しく真剣な顔をして言われたので、サッカー部の部室で話を聞いた。

団長サッカー部だった。

彼女とはあまりうまくいっておらず、実は別に好きな人団長と同じ学年にいると言われた。

団長好きな人は小柄でとてもかわいい人で、私達後輩女子からも人気がある人だった。

私はなるべく友達を傷つけぬ様、早い段階で彼女に別れを告げて欲しいと伝えた。

団長は下を向きながらうなずき、私にお礼したと思う。


部室を出ようとした時、団長に腕を引っ張られてそのままレイプされた。

何が起きたのか意味が分からなかった。

私にも同学年の彼氏がいたけど、手をつなぐ程度の仲だったし、もちろん処女だった。


頭の中真っ白の状態で部室を飛び出したら雨が降っていた。

傘なんか取ってくる余裕もなかったから、そのままずぶ濡れになったまま歩き続けた。

家にはなかなか入れなかった。

誰とも話したくなかった。

今日誕生日で、応援団練習が終わったら彼氏プレゼントを渡しに10分だけ家に来るって約束だったけど、そんなの無理だった。


翌日からも、団長は何事もなかったかの様に過ごしていた。

団長とは絶対に目を合わせたり話したりする事はなかったけど、誰にも何も知られたくなかったので、そのまま応援団を続けた。

それから数年後まで知らなかったけど、団長は私の彼氏に「お前の彼女とヤッたよw」と言ったそうだ。

団長には虚言癖っぽいところがあったので、彼氏は信じなかったと話していた。


その彼氏とは数年付き合ったけど、高校卒業前に別れた。


それから十年後。

私は女友達と二人で都内地元からは県をまたぐ)で飲んでいた。

中学生の頃に起きた事なんてすっかり忘れて、社会人生活を楽しんでいた真っ最中、奴は現れた。

しかけられるまで気づかなかったけど、かなり酔っ払った頃に突然あの団長が話しかけてきたのだ。


何事もなかったかのように、「元気?今何してるの?」とか「どこに住んでるの?」とか聞いてきた気がする。

私は作り笑いだけして何にも答えなかったけど、一緒に飲んでいた友達は何も知らず、ノリの良い団長の会話を楽しみはじめていた。

一刻も早く店を出ようと友達に声を掛けたが、なかなか出てくれない。

私はお手洗いに行った。具合が悪いと友達に伝え、一緒に帰ってくれるよう頼もうと考えた。


席に戻り、友達にその事を伝えようと思ったところから記憶が一切ない。

気がついたら、ラブホテルにいた。

終わったあとみたいだった。

団長は服を着て部屋を出ていくところだった。

まれて初めて、殺意を知った。


ホテル代を投げつけられ、無表情で「またマグロだったね」と言って去って行った。


同じ人間に二度レイプされるなんておかしいし、私に落ち度があったとしか思えないとずっと自分を責め続けた。

二軒目だったし飲み過ぎたのだろうか?

でも、おかしい。

あいつが帰った後も体が重くてだるくて眠たくて、二日酔いとかそういう感じでもなかった。

恐らく、睡眠薬的なものを入れられたのだと思う。

それ以外考えられなかった。


それから度々過呼吸を起こしたりする事はあったけど、私はこれらの記憶を頭の中から抹消していた。

意識的にじゃなく、気がついたらそれについて考えなくなっていた。


そして更に十数年経った今、ジャスティン・リー睡眠薬を飲ませてレイプしている動画を観てしまい、思い出した。

眠ったまままったく動かない女性を平然とレイプしてるジャスティン・リーの姿はあいつの存在を思い出させた。


また、同級生の話から団長レイプされたのは私だけでなく、中学時代から今に至るまでたくさんの女性がいる事が発覚した。

誰も訴えてはいないけど、彼にはきちんと特別にひどい罰が下っていた。

下った罰はとてつもないもので、ここには書けないけど、多くの女性が「ざまーみろ」と思っただろう。


私は彼を訴えようと思った事は一度もなかった。

他の女性達のためにも、きちんと訴えるべきであるという事も分かっている。

でも、訴えなかった。

訴えなくとも、奴にはもっともっと酷い罰が下る…そう信じていた。


思い出したらいたたまれなくなり、増田に投下してしまったが、これを書き終えたらまた普段生活に戻る。

奴の事を引きずって苦しい思いをして生きるなんてゴメンだ。

私は幸せに生きる。

お前にかまっている暇はない。

お前を恨んでる時間があるなら、子供の為に笑う時間を過ごした方がずっといい。

さぁ、これで最後だ。

お前の事はまた封印する。

さようなら

2016-09-05

http://anond.hatelabo.jp/20160904024257

聖職ったって本家総本山だかが話題性知名度ワガママ女を聖人にする時代からな。w

 思うにアンタ、”教師に求められてると思ってる像”に振り回されてるだけじゃね?

俺が学生の頃とかヨユーで生徒とデキ婚したヤツとか竹刀体育館正座した奴滅多打ちにするキチガイとか金髪引っ掴んで職員室で墨汁ぶっかけたりバリカン入れたり携帯ゲーム機没収して返さないのとかいたわ。w 体育祭じゃリレー勝ち馬投票券作って生徒に元やらせたりな。ww

 こういうの書くともっと酷いのいたってのが幾らでも出てくるだろうし、そんな底辺なんか知らないって意見も出てくるんだろ? まぁ実は全部聞いた話なんだけどよ。(笑)

でも体罰とかあっても割と思い返すと楽しかったり懐かしかったりするモンらしいぜ? 見て見ぬふり教師よかイジメ見たら即ブッとばしたり校庭にバイクで乗り込んだOBに背負い投げキメて奪ったバイクスピンターンしてみせて安全運転教習始めるのとかいたらおもしれーじゃん? 教師も間違うなら世間も間違うんで、こんなトコでこそこそ愚痴ってないで大暴れしてみせりゃいんだよ。

 カトリックなんかクソショタホモだらけでもう今更引っ込みつかねぇんだろうけど「**が魅力的だから先生も男として我慢できなかったんだ! みんな俺を許してくれ!」とか教室全員の前で本気で土下座したらどんだけ訓える者として効果があるかっつー話だよ。だってそうだろ? そりゃ過ちなんかねーほうがいいかしれねーけど、人間なんだから当然だろ? 体裁取り繕うよりどう正すかのが大事じゃん。

 したら休みのない教職の現状は間違ってるってつってる以上、それを正していけばいいんじゃねーの?

多分アンタ一人じゃ上手くできないだろうけど、それを見て他に行動する奴は出てくるぜ? きっと。

 教師ならまず手本見せてくれよ。経過出してくれたら応援コメントくらいは入れるからさ。

2016-07-21

[]

今回はガンガンオンライン

構成松永きなこ 第8話

軽いノリから始まったけれども、実際問題シミュレーションって大事だよね。

面白そうだと思った企画が、意外と微妙だと分かったり、逆に意外にも面白くなりそうという可能性もあるわけだし。

そういうのって机上だけでは分かりにくいこともあるだろうし。

さて、上からダメだしをくらった企画シミュレーションすることになったが、果たしてそれで見えてくるこの企画欠点とは(いや、なんとなく分かるけれども)。



リマニア 第16話&第17

現実物事RPGに例えるのはどうしても陳腐になってしまうけれども、逆に冷静になって見れることもあるからアリだとは思う。

周りの異性が全てラスボスで、どうにかできたとしてもゲームクリアハッピーエンドも用意されていない。

うん、クソゲーだな(笑)

ただ、前向きに考えるならば、対策RPGクリアした後のあの儚さを味わう必要がないともいえる。



真実の魔法少女 II-20(最終回)

あー、すさまじい打ち切り

最後にお詫びの文まであるとか。

今年のWEBコミックの中では、暫定1位の打ち切りだな(悪い意味で)。

まあ、もしかしたら作者個人の事情可能性もあるけれども、普通に考えたら単純に不人気が大きな理由だろうな。

特に、別キャラ視点で同じ時間軸を描いた「II」をやり始めたのが一番の原因だろうな。

人間ドラマ比重を置きすぎて話がぜんぜん進まない。

「I」ときは、多少シリアスで重たいエピソードもあったけれども、それでも主人公思考や周りの登場人物たちの掛け合いが楽しかった。

「II」はもう、人間ドラマ陰鬱としすぎているものが多々あって、読んでいて楽しくないんだよね。

個人サイトで書いていたものを、リブートした作品だと知って納得した。

作者が描くこと自体を楽しんだ作品で、読者を楽しませるという視点を優先していないんだ。

まあ、それを連載しようと判断した編集ミスでもあるけれども。



太刀09 mirror:22(最終回)

こちらも最終回

やや尻すぼみな展開もあったり、まだスポットがあたっていない登場人物がいたりと、まあ打ち切りかなあ。

ただ、上のやつよりは話が一応は纏まっているし、まあよかったんじゃなかろうか。

この作品で描くべきテーマはある程度やったと思うし。



犬神くんはツンだけどバレてる 第6話

しっぽによる感情表現、そういうのもあるのか。

借り物競争のお題は明かされなかったが、これは次回も体育祭回が続いて、そこでネタバラシってことかな。

お題は分からないが、描写から察するに手を繋ぐのが恥ずかしかたから、途中で撤回したと予想しているが。



クラスメートは全員メガネ? #24

そういう趣味がないからよく分からないが、女装そんなに見たかったのか。

衣装デザインもあるのだけれども、男装と比べて実際問題エグいと思うぞ。

後半の事件は、いや教師かいもんじゃないのか、こういうときって。

戦争だ」とかいっているけれども、少し前の回でガラの悪い奴ら相手にとった非常に現実的対応はどこにいったんだよ。

それとも、次回もそれをやる前フリだったりするのだろうか。



私の友達モテないのはどう考えてもお前らが悪い。 喪100

もう100回もいったのか。

正直、ここまで続くとは思わなかったなあ。

本編はいつも通りといえばいつものノリなのだけれども、ゆうちゃんの話という、ある意味で節目ともいえるエピソードだな。

もこっち、最後の帰り際に聞きたかった話が、それかよ。

そして、それに対しての返しは……まあ、そういうことでしょうな。

ゆうちゃんが、近くに戻ってきたようで、更に遠くに行ったような気もする話だったな。

2016-06-16

【通学だるすぎ・・】学校毎日VRでいいよな。常考

あぁ、今日疲れたな、、、


週一の学校はたまにだからホント疲れるわ、、


もうなくていいっての、全部VRでいいわ。

体育祭もVRで。


やっぱタラタラスクリーンに映る動画見てんのが良いね

夕飯のコーラゼリーでも吸いながらね。


ん、、ソファの下にある新聞、、、

平成286月16日、、

もう30年以上前のか。


広げてみるとよくわからない、テレビ局?の一覧が載っている。

フジテレビ、、、へぇ、そんなのもあったのか。


今でもかろうじて続いてるのが日テレ

朝のZIP小学生まで毎日見てたなw

司会の藤原幸ちゃん今でも可愛いよなぁ。お父さん有名な俳優らしいね


NHK10年ほど前に任意徴収法律が変わり破綻し潰れた。

そもそも紙媒体自体もうないものなぁ。。


でかくて重く電力も食うテレビ過去遺物、、

今ではスマートウォッチタップすれば立体映像、、機構はしらんけどw

昔の人はえらいね


時事ニュースは舛添って人が都知事辞めたらしくデカデカと載っている。

ん~~~、誰?このおじいさん、、、ずいぶん目が血走ってるけども、、


まー、当時の税金とか国の形とかすっかり変わったものなぁ。。

金の価値に踊らされていた昔の人々が可哀想だ。


マツダソニーが頑張ってフリーエネルギー永久機関作ってくれたおかげでお父さんもお母さんも働かなくて済んでますありがとう

ってか全世界20億人の8割が無職とか、マジ感謝


あとはテレポだよなぁ。

30cm四方物体までは成功したけど莫大なコストかかるからね。

黒猫にまたがった飛脚マークが今も街走ってるよ、世界無職時代なのに運ちゃんがかわいそうで、、

がんばってくれよエプソン。。。


腹減った、、、

コーラゼリー栄養素事足りんだけど、やっぱ野菜や肉くいてぇなぁ、でもバカ高いんだよなぁ。。。。

上級国民だけしか食えんわ。


あーあ、格差のない社会キボンヌ

2016-06-14

思えば今の不安定生活の根源は、高校に入った時点まで遡ることができそうだ。

自分中学3年まで軟式野球をやってきていた。高校入試のために野球から離れてひたすら受験勉強に打ち込む時間ができた。まあそこまで勉強したわけでもなく、ときには友達ゲームをしたりしていたんだけれども。

いろいろやって、その地区で一番偏差値の高い公立高校入学することができた。このあたりの時期は、もう野球はやらなくていいかなというふうに考えていた。

ここですね。親には高校でも野球をやりなさいと言われたので、しぶしぶ野球部に入部したけど、2日で行かなくなってしまった。

別に野球部の人たちを馬鹿にするわけでもないが、スポ根的なものとか、毎日身体を疲れさせなければならないということの方に嫌気がさしてきたのである

部活に行かなくなったことは、すぐには親には伝えなかった。それまでの経験から、これはとてつもなく怒られることになるだろうということが分かっていた。すでに高校用の野球道具も買っていたので、なおさらだ

それからとにかく生産的でない生活をしていた。放課後部活に行っていることになっているので、授業が終わってから帰宅することはできず、地元本屋に入り浸ったり、親に見つからない場所レンタル漫画を読んだりしていた。

そろそろ帰ってもいい時間かなと思ったら、小学校グラウンドに行って、練習着を汚して、今日はどういうことがあったなどの嘘の報告を考えていた。

我が家では、帰宅したらだいたい親に何か出来事があったら報告するようになっていた。部活に関することはもちろんである

そういう生活を一ヶ月ほど続けていて、そろそろ隠しきれなくなってきたので、こっそりと伝えたら、当然ながらひどく怒られた。何度も殴られたし突き飛ばされた。

このあたりで、自分自由時間が欲しかったんだなあということに気がついてきたが、そんなことを言ったら勘当されかねないと思っていたので、ずっと言わずにいる。

まあなんやかんやあって部活を辞めることに成功した。もうだいぶ親との関係の雲行きが怪しくなってきていて、帰宅してからずっとビクビクするようになった。

友達はいない訳ではないけど少なかったし、特に場所があるわけでもなかったので、図書館に行ったり学校中をぶらついたりしていた。

二人組を作ると余るような人間だったので、気配りのできるような人にすがっていくばかりだった。

それでも、ちょっと勉強ができる方だったことと、高校雰囲気として質がそこそこ高かったこととで、いじめられたりすることは最後までなかったし、これに関してはいろいろな方面感謝するしかない。

体育祭の時期になったら、体格が悪いわけではないという理由ピラミッドの下段ばかりやる感じで、3年間ずっと係の仕事をさぼっていて、特に目立つことはなかった。

いやあったわ一度だけ。3年の文化祭ときだ。このときだけ、誰が教えたのやら、先生に知られ、クラス作品担当をすることになった。

そのとき担当の人はもう3人いたんだけど、2人は部活があってあまり作業できなくて、もう1人の人と作業をしていることが多かった。

作業をしながら、愚痴のようなものとか、家庭に対する吐露とか、そういう話ばかりしていて、実はそのときが一番生き生きしていたのではとさえ思ってしまう。その友達とは、高校卒業した今でもときどき連絡を取り合っている。

高校基本的に悪くなかったはずで、じゃあ何があったかって、やはり家族関係のことを考えると頭痛がするということだった。

もうちょっと高校時間有意義に使うべきだったなあというのはずっと思っていて、具体的には人間関係を広めるべきだったということで、気を配ってくれるような人とはけっこう仲良くなっていたけど、普通の人とはそこまで交流がなかった。もったいないことをしたなあ。

まあそんな感じで高校もやっていて、無事に大学に現役合格して、これでめでたしという感じでいくつもりだった。念願の一人暮らしで最高。最高だったらよかった。

本格的におかしくなったのは、大学1年の秋になってからだったと思う。

寝坊するということがあった。まあ寝坊ぐらいは以前からも少しはしていて、ぼくはそんなに異常を来していたとかそういうつもりはないんだけど、親のほうが敏感になっていて、何度も電話をかけてきた。

挙句の果てには、毎朝電話をかけてやるということを言うようになった。おいおいマジかというふうに思ったが本当にかかってきていて、すくなくとも大学のある日とか、食堂が開いている日はずっと朝電話がかかってきている。

それで起きる日も、その前に目が覚める日もあるんだけど、そこから生活おかしくなって、常に監視されているという気分が止まなくなった。というか実際に監視されている。

大学生協で買ったものも、食堂で食べたものも見られてるし、いろいろなことを聞き出してきて、辻褄が合わなくなったら責めてくる。

せっかくの一人暮らしなのにまったく一人暮らしらしさが消えている。本末転倒だ。

家のお金があまりないのは分かっていることなんだけど、段々と大学かいろいろなことに対するモチベーションが低下してきていて、留年を見据えてしまうようになった。もちろんそんなことは親には言ってない。

いろいろなことが強制されるようになっていて自立とはという状態になっている。

親に関して、どうやら自分の子が見えないところで何をしているのかがほんとうに気になるという性分なんだろうなあ、というふうことが最近わかってきていて、ため息をつくしかなくなっている。

電話に出て、適当に返事して、何か問い詰められたらつらい気持ちになって、講義に出たり出なかったりしている。

親へ、これを見てるんだったら今すぐ毎朝電話するのをやめてください。もう何回か伝えたと思うけど。せめて月に数回とかにしてください。ぼくはそんなに電話がうまくないし、朝からつらい話でモチベーションを下げられることほどつらいことはありません。

さすがに大学に行かせてもらっている身分だしやるべきことはやろうと思いますので、毎朝を進捗報告と詰問の時間にするのをやめてください。

もう最悪な文章しか書けないので、気分を紛らしに散歩にでも行こうと思います

2016-05-29

演劇を観てきた

劇団俳優座の「反応工程」というお芝居を観た。

終戦間近の軍需化学工場学徒動員されていた若者たちの話である

SEALDs代表やT―nsSOWLや山田洋次が共同代表をつとめる反戦劇とあって、会場の白髪率は異常に高く、アベ許さないと書かれたカードカバンにつけた人もちらほら。

けれどわたしは何も知らずただなんとなく観劇した。面白かった。映画小説アニメ漫画やいろいろ見るけどその中でも特別素晴らしいと思った。


反戦ビジネスの都合だろうと思った。

ファンタジーのふりをした戦争物やSFもののふりをした恋愛ものはよくある。宣伝文句と実際のテーマが違うのはむしろデフォだ。

イラク戦争の時もミュージシャンが曲を作ってテレビに取り上げられてたし、「反戦」というわかりやすお題目で客を寄せつつ好きなことを表現するんだろうと思っていた。

演劇の内容自体はそんな偏りがなく、そもそもエンタメとして完成度が高かったからだ。


ところが実際は違った。完全に左翼による左翼のための芸術だったのだ。

役者も裏方も一致団結して反戦という表現に取り組んでいたのだ。

役者自ら戦争法案反対デモ等に参加し、劇のビラを配った。そういう左翼的表現活動を真面目にやる世界があると初めて知った。

違和感を持ったのは芸術の扱われ方だ。わたしは今まで芸術には受け取り手自由があるもんだと無意識に思っていた。作者の意図を一応汲んだ上で好きに解釈する自由

だがあの劇は作る側も反戦、中身も反戦、受け取る側も反戦でそれ以外はなかった。

そんな芸術があるということも初めて知った。


T―nsSOWLの高校生役者と同じ壇上に上げられて、ちやほやされて、利用される光景も直に見るとなかなか辛かった。

さっきまで体育祭をやってたとかい赤ん坊みたいな顔した子供が、報道陣を呼び集客までやったという。

学徒動員あんたらのやってることと何が違うんだよ…


いろいろとショックだった。わたしはもう反戦劇を観ないかもしれないが、日本左翼のある限り客足が途絶えはしないだろう。

2016-05-21

ダンス嫌いを克服した

http://anond.hatelabo.jp/20160520232557

私と同じかわいそうな目にあった人をみかけたので、ダンス練習法を残しておきたいと思う。いくつかの条件があるので、役に立たないかもしれないが…。



私も体育のダンスはとても苦手であった。小学校運動会で踊ったRYDEENも辛かったし、中学校体育祭ダンスコーナーも最悪だった。休んで逃げたかった。高校フォークダンスは休んで逃げた。

運動も初期値でパラメータが高いわけではないので、体操系やマット運動などは嫌いであった。本当に公開処刑だよね。体育が嫌いな諸先輩方の主張の通り、体育は練習や訓練の場ではなく、ぶっつけ本番の発表の場なのだ



バレーボールでもバスケットボールでもサッカーであろうと、やっているというだけで、スポーツとしての本質に迫ることはなかった。

体育のサッカーは、みんながボールに群れるような状態で、戦略的コートの中を移動するクラスメイトは皆無であった。キャプテン翼サッカーのすべてのような情報量だったせいもあるのかもしれない。キャプテン翼再現としては顔面ブロックをして鼻血をだしてりもした。

社会人になってから誘われたフットサルでは、ボールがこなくても、キャプテンの指示のもと、コート縦横無尽に動くことを要求された。ボール位置相手ポジションに応じて、おのおのが相手戦略邪魔するようにコートを最大限の運動量で走り回らなければならなかった。

ボールがこなくても自分の動きで次第で、相手の動きが大幅に変わってくるので、それだけでも面白かった。

指導者の力量によって、スポーツの楽しみは大きく変わることが分かった。

私が出会った学校教員はそこまでの能力がなかったのであろう。指導者が悪くても学校は逃げ場がないんだよね。



閑話休題。話をダンスに戻そう。

ダンスに取り組んだのも社会人になってからだ。

いろいろな事情で、ハレ晴レユカイを踊らなくてはならない状況に追い込まれた。事情想像していただきたい。いっしょに指導してくれる人もいた。

その人から聞いたポイントは、以下のようになる。

・早い動きのところで、同じ動きを2回するところは1回に省略(見ている人は気が付かない)

・足のボックスの動きをずっと練習(とりあえず踊っているように見える)

指導者おすすめYouTubeの「踊ってみた」を見ながら振り付けを覚える(アニメ映像情報量が少ないことと踊る人によって、細部の解釈が異なっている)

・かっこいいところは練習量を増やす(それらしく見える)



指導者からノルマの通り、アニメED版の1分30秒を1日に10踊ってみた。正確には、フルコーラス版を1番で終わるようにつなぎ合わせて編集をしたバージョンだ。アニメED版は、1小節カットされているのだ。

2週間後にはなんとか体が動くようになった。そして、なんとか、本番のステージを乗り切ることができた。



この試練を乗り切ったあと、副産物として、体の動きについて、洞察力が深くなった。

たとえば、振り上げた指先の動きであったり、手のひらが体の前のほうを向いているか後ろを向いているのかなどといったことが区別がつくようになった。

さらフレーズというのか、定型的なダンス向けの体の動きがあり、それの組み合わせで、ダンスっぽく見えることが分かった。プリキュアEDダンスくらいであれば解析と再現可能となった。が、ほとんど使い道のない知見なのであった。



学生時代にその域まで達していれば、別の人生があっただろうにと思うととても残念に思う。しかし、視野が広がったのはよかったと思う。



ここまで書いてきて、サッカーときダンスときでいくつかの共通項がある。一つは、指導者存在だ。人に教えることがうまい人との出会いは上達することを容易にする。二つ目自分でやろうとする意志だ。やらされている体育ではここまでの持続的な情熱は持てないだろうと思う。



と、ここまで書いてきたのだが、この年になるとあのステージ以来、ダンス披露する場はない。もっぱらカラオケネタしか使えないのであった。

2016-05-20

学校ダンスの授業が嫌いだった

本来ダンスを綺麗に踊るためには体の動かし方とか、体・関節の柔らかさとか重心移動のあれやそれとか…とにかく技術や体の素養がいるんだと思う。例えば高橋大輔選手熊川哲也さんの踊りやステップが美しいのは、練習量も勿論だがリズム感、体の柔らかさなどの身体能力の高さにあると思う。だから上手い人と同じ振り付けダンスを踊っても、体が固かったり踊り慣れてない人の踊りは只の運動神経悪い芸人になる。

個人的ダンスの授業は大嫌いだった。体が固く、運動神経も鈍かった、踊り慣れてない、ついでに背が高かったので下手な踊りが目立つ、この四拍子のせいで基本運動神経悪い芸人みたいな動きになる。しか学校ではダンサーが使うような前面が鏡ばりになった教室で踊らされたので、常に自分の醜い姿を見せられるのである自分の顔でさえ直視に耐えがたいのにダルダルな踊りまでついてくるとかなんの罰ゲームだと当時は思った。最終的に踊っている最中は全力で鏡の中の自分から目を逸らしていた。先生には「恥ずかしがらず鏡見なさい」と注意されたが自分の心が崩壊しそうだったか無視した。ゲーム画面に写った顔を直視し続けるようなものだったのだ。

嫌いな理由はまだある。それは皆でダンスを踊らされる場合である自分学校進学校であると同時に、ダンス部が全国大会に行ける程強く、学校ダンスに力を入れていた。(入ってから知った)なので体育祭などもダンスが目玉といった感じだった。体育祭ダンス振り付けは基本ダンス部の人が考える…のだが全国行くまでのガチ集団である、踊りのレベルが高い。足をめっちゃ上げさせる振り付けや、片足でずっと停止させる振り付け、激しく動く振り付けなどがあった。激しく動くのなんかダンス部がやると凄く綺麗になるのだが自分みたいな奴がやるとそれはもう只のイソギンチャクになる。落差。

また限界まで足を上げているのにダンス部の人達に「もっと上げて!」と言われることもあった。ごめんなさい無理です昔から全然上がらないんです。

嫌いな理由はまだまだある。テストだ。最近学校はどうだか知らないが、自分学校は基本数人ずつ皆の前に出て、横一列となって踊るというのが体育のテストだった。「みんなのまえ」であるしかも横一列である。上手い奴と下手な奴の差が如実に表れる。プロ集団運動神経神経悪い芸人の共演であるテレビだったら死ぬ面白い絵面だろう。しか自分芸人ではないので笑われてもお金は貰えないしというか仕事でもない。只の公開処刑だったことは言うまでもない。笑うんだったらせめてお金欲しい。

最後の嫌いな理由は「練習であるイソギンチャクみたいな踊りしか踊れないなら練習すれば良い…先生時間練習を推奨していた。しかし、自分はそれが嫌だった。何故体育の授業以外でダンスを踊らなければならないのだろう。確かに練習しないと皆に笑われるし、体育の成績も悪くなってしまう。だが学生に許された時間無限ではない。私はダンスに費やすなら勉強部活に費やしたかった。受験もあるし、進学校だったので勉強もおろそかに出来ないし。しか勉強に比べてダンス技術なんぞ将来ダンサー以外には何の役にも立たない。チームワークや協調性?それは部活やら他の文化祭の催し物やらで身につくだろう。寧ろダンスは下手な人上手い人が分かれてしまう分チームワークに亀裂が入ることの方が多いような気がする。

応当時は少し体育の授業以外でも、友達と一緒に練習をしたこともあったが…ちょっと練習するだけでは運動神経悪い芸人から特に脱出出来なかった。

因みに自分学校期末試験の終了数時間後に、体育祭ダンス練習をさせる高校だった。流石にこの時はダンス部の人も「眠いよ!」と嫌がっていた。

しか学校ダンスに力を入れていたが生徒全員というわけではない。寧ろ進学校ということで勉強に力を入れてる子が大半だった。特に受験に力を入れてる子にとっては試験直前、直後にも打ち込まれダンスの授業を嫌がっていた。


他校だと高校は体育選択なんだろうか?自分の所は何故か必修で週2くらいあったが。

数年前ダンスが必修化したと聞いて驚いた。運動音痴かつ、目立ちたがりでない人にとっては下手したら苦痛時間しかならなそうだったからだ。実際はそうでもないんだろうか…?皆ダンスの授業大好きだったりするんだろうか

自分ダンスを嫌いになった理由は主に「高いレベルの踊りを強制的に皆の前でやらされ笑われた、しかも出来が評価にも響く」だったのでこの辺が改善されれば、まだダンスが好きでいられる人はいるんじゃないんだろうか。

実際小学校の頃のダンスの授業は好きだった。体を動かすこと自体楽しいからだ。そこに評価も人の目も絡まないなら普通に楽しい


後、運動神経悪い芸人は笑ってもいいと思う。芸人が笑わせるためにやってる芸だと思うからだ。芸人も笑われて本望、寧ろ笑われなかった方が嫌だろう。しか普通の人にとっては自分運動してる姿を笑われるのはショック以外の何物でもない。体育の授業で皆の前でテストさせるのやめた方がいいと思う。

2016-03-30

http://anond.hatelabo.jp/20160330140036

男への幻想を捨てるのが目的なんだからホストクラブに言ったら余計幻想の中じゃないか

うーん、男子校体育祭とか?

2015-10-23

ただの自己嫌悪を聞いてほしい

「お前の鬱ツイートうざいわ」と以前言われたけどやっぱりうっぷんがたまってるので

吐き出したくなる。まあわかるかもれないけど文章にすると冷静になるもので、

書こうと思いたった時点で悲しみは70%くらいに減っている。

夜中に眠れずに日々を振り返る。発端は自分負けず嫌いだということに辟易したくらいかな。

ちょっとした練習でうまくいかず、イライラして、それでかなり不機嫌になって顔に出てた。

思考もまわらず、愛想笑いもできず、仏頂面になり、あまりしかけられなくなっているんだと感じる。

でも治らずに感情的なままでいてしまう。そんなこんなで寝る前に考えてしまって昔のことを思い出し、

なんでこんな思考の癖がついたのかなとか思ってしまっている。

自分語り

からおとなしく、照れ屋で、いい子だった。

怒られるのが嫌いで、混ぜてと言えず、一人でも遊んでいて、体を動かすのもインドア趣味も好きだった。

小1の頃トイレに行きたいと言えず我慢する、上級生にネタっぽいことを言って笑われたのが予想よりもずっと恥ずかしかった

やりたいことも少なく、さびしいから習い事も始めた。

とくに親は普通だが、割と放任主義で口数もあまり多くないのかもしれない。

本当に子供のころには旅行に行ったりしたのだが中学のころには旅行などしなくなっていた。

親は自分の無口っぷりに理解があったのか、学校での出来事をあまり聞かなかったのかもしれない

そのせいか今でも自分気持ちを聞いてほしいときに聞いてほしいということができない。

さびしいという気持ちは強かったのかもしれないが、他人干渉はされたくなかった、

習い事も好きなアニメが見れないからと一度やめたが、さびしくなったのでまた入った。

無口だったのでとても仲いい友達はできなかったが、嫌われない程度には練習を頑張った。

モチベーションが少ないのでガチでやる人には話題が足りなかった。今でもその気はある。

小学校以来ずっと、夏休みに予定がないのが普通だ。いや、予定はあるが、遊ぼうという約束がない。

キャンプ合宿の予定はあっても人の家ではあまりあそばなかった。

さびしかったが我慢することを覚えてしまった。

いじめはあったのかもしれない。怨むほどのことではないが、プロレスゴッコをやったり、

給食のデザートはやんわりと取られることはあった。

しかし、泣いたりせずいやだと言えば案外それ以降変な絡まれ方はしないのかと思う。

もちろん相手側が「遊んでるだけ」ならばだが。

小学校の頃は数回は一緒に帰った女の子もいた。

無口だったころなので、全然さなかったが、手をつないで帰った。

いや、多分手首をつかまれて家まで送らされただけなんだがすごくうれしかった。

このころからきっと無邪気でぐいぐい来る女子に弱いんだと思う。

中学には部活に入っていた。あまり雑談は沢山はしなかった。

もうだいぶゲーム以外の会話ができなくなっていたかもしれない。

 1年の頃はみんな積極的に仲良くしようとしてくれていたので、変には浮いたりはしなった。

小学校の頃の友達とは合わなくなった。まあこっちから連絡しなかっただけなのだが。

ああ、疎遠だな。でも特に会いたいと思う人もいない。

今は地元友達と呼ぶ人はいないかもしれない。「かもしれない」のである

多分呼べばあって遊んでくれる人もいるだろうけど、まあこれでいいかとか考えてしまう。

近年にも親にもある程度心配されたが苦笑いしたらそれ以上聞かれなくなった。

やっぱり2年生になったら1年生の知り合いにはあまり合わなくなった。

 2年生の人たちが一番印象が少ない。昼休みには図書館に行ったり

隣のクラスに何かしら話してくれるグループがいた。

自分はどのグループとかに入らないぼっちで、みんなただ優しかっただけだ。

遠足ぼっちになり、修学旅行好きな人と組んでといわれるのがつらかった

今でもその言葉に苦しむ。人を選べない。

 3年生になり、部活が終わって、夏休みになる。ふと気付く。

予定がない夏休みってとってもつらいということに。

小学生ならプールに遊びに行ったら友達がいた。だが中学ではたまり場などない。

あの頃にはすごく学校行きたくないということがあり、ときどき仮病を使った。

周りがとってもなかよくなっているのことにうらやましいと思っていたが、

まりアクションは起こせなかった。

スマブラの話をしていた。一緒に遊びたかった。ただ見つめていた。

今思うと、同じ趣味なら友達になる素養があるのだからもっと勇気を出すべきだった。

今でも思っているが、まだ仲好くないと思って躊躇してしまう。どうにかしたい。

中3の頃にはきっと学校外では1回遊んだきりだったと思う。さびしい奴だ。

このころは心が躍動していたと感じる。

仮病もあるが、学校に行ってから、すごくだるくなった時があった。きっと鬱だろうけど。

そんな時友達音楽室行こう、と誘ってくれた。嬉しかった。気遣ってくれてうれしかった。

きっと聞かれたらいろいろ愚痴はいていたと思う。つらかったんだよって聞いてほしかった。

でも彼はただ何も話すことなく一緒の部屋でいたと思う。

話したくないなら聞かない、そういうスタンスだったのかもしれない。

やさしさってわからないよね。自分もっと気遣ってるアピールしなきゃな。

体育祭がすごく嫌いで厨二病ですれた自分がいたが、3年生で、もう終りか…と思うと熱くなった。

最後最後リレーでイスから立ち上がり応援する自分がいた。

熱くなれる自分が好き。という感情を覚えた。

中学卒業する時、告白しようとしたが、ものすっごくどきどきした。あきらめた。

のちにデートすることになるのだが、その話は置いておこう。

携帯の連絡先を交換したのは同じ高校へ行く人数人とその仲間問う感じだった。

自分アドレス知りたかった友達だと思っていた人がいた。

話も合うし、ボケ面白いし、話を聞いてくれた前述した彼だ。

彼は校門で別の友達アドレスを交換していた。

2人とも同じ部活だったのだが、「高校行ってもがんばれよ~」としか言われなかった。

 高校へ行ったが同じ高校へ行った人以外へは連絡は何もなかった。

友人との距離感に戸惑う時期。ちょっと仲良くなり始めたころにグループ通話をしていた。

夜にどうでもいい話をするのに戸惑った。話のネタがない。このころはまだ話をしたいとは思っていなかった。

面倒くさかったのとともに、何の用もないのに通話をかけてくることに理解ができなかった。

 夏休みになっても別の友人だが電話がかかってきた、「いや~なにしてるかな~と思って」

僕は特に何もと答えて、後はふんふんと相槌を打ち、質問を返すだけだった。

電話なんてそのときくらいで、友人との理由なき電話はその後6年ほどはしなかったかもしれない。

 質問はすごく苦手だ。会話がはかどるには話題の数じゃなくて相手への興味とはよく言ったものだ。

彼のことはよくしてくれるし好きだが、別に興味があるとかではなかった。

しろよく質問してくる人だったので会話には事欠かなかった。

家族以外で一番時間を共にした友人だ。相性は良かったと思う。

でも結局疎遠になっている。Twitterではつながっているが。まあ地元では合うタイミングが0だからだ。

 うっとうしくて時間をずらして、一緒に帰らないようにしたのに、ときどきは一緒にはいた。

 その子に言われたことがある。とある映画を見に行った話を聞かされたとき

「いいなーボクも見たかったなー」と言ったら「え、行きたくないとおもってた」と言われた。

確かに行きたいと言ってなかった。このころやっと人にああしたいというようにするようになった。

ケンカもしなかったなあ。ただいっしょに遊んでいて楽しかった。

 まあなんやかんやこのころまではすごい悩んだりせずに、

就職できればいいや、友達いらないからゲームして、アニメ見て生きられればいいやと思っていた。

でも、就活でうまくいかないことで性格が歪んでしまった。

勉強はいから遊べ、コミュ力大事、熱意があればいい、いろいろあるだろうが

何社か落ちて 、自分存在価値を見失ってしまった。もうだめだ、人生経験がない、

青春を全うしていない、普通人間になりたい、いいことがない

そんなことをいろいろ考えてしまっていた。結果夢のキャンパスライフだ!ということになった。

当然勉強対策もあまりしていなかったので苦労した。もともとよく考えるタイプ勉強は嫌いだが、

そこそこできる人間だと思っていたので2流、3流大学にははいることができた。

 地元を離れ、人も少ない地域大学へ行った。同じ高校からは一人もいない。

大学デビューをしようと思いチャラい系サークルに入るがノリが違いすぎて2カ月ももたず

5月病で鬱がちょっとひどいことになった。あの頃は週5くらいで夜泣いていた気がする。

歓迎会でも仲良くできず、帰り道みんなから離れ、後ろでうつむきながら岐路についていた。

家で泣いた。

先輩に話を聞いてもらったこともあったが、何のためにもならなかった。

ふだんから自分の子と話す練習をしないとちょっと信頼できる人でも

30%も言いたいことを話せないと思う。

のちにネタで笑いものにされていると分かった。クズだった。

サークルではうまくいっているが、学部のつながりはほぼない。

過去問は手に入る程度には浅い付き合いがある。

よく狭く深くのほうがいいというが、本当に強く感じる。

「5人いれば十分だよ」といわれるが一人でもいれば十分だろう!?

しかしたら今の自分にも一人はいるかもしれないが信頼しきれていないのかもしれない。

理由は分からない。もっと人を信頼したい。仲良くなりたい。

ようやく時間が今ほどに戻るが、サークルの先輩後輩の話しだ。

もう先輩になる年齢だというのに、いい加減子供っぽくて困る。

一緒にご飯食べに行きたいと思っているが、だれかがあまり思いつかない。

好意がある人にこっそり誘ったりしても断られる。

友達友達に飯行こうぜーと言っているのはよくあるのだが、

自分に対して直接はいってこない。自分も言わないのだが、

誰かのついででは嫌だいう気持ちがあるが、君も行く?と言われて断れない

次に誘われないかもしれないからだ。ときどきおれなんかが一緒でいいのかな?と思って断る

なぜ行かないといっても「なんでだよ~いくぞ」といわれる人がいて、うらやましくて、

自分は誘ってほしそうにチラチラ見てるのに誘ってくれなんだろう。

先輩は先輩同士で仲良く飲みに行ったりしているのに、なぜ自分ぼっちなんだろう。

友達友達でご飯よく食べに行ったり、休日遊んだりしている。自分はなんでないんだろう。

そういえば1対1で休日にあそんだことないな。みんなのついでにあるだけで。

家に帰ってからLINEしたりもないな。個人LINEどうのこうの言ってるけどうらやましい、おれもまぜて

なんでおれが飲みに行こうっていってもまた今度なの?

こんなことを口に出せずにもやもやしてます

もやもやさびしさが積もり積もって日々いらいらする

誰かに聞いてほしいけどいま話を途切れさせるひともいない中ずっと語ったわけで、

自分がこんなことを聞いてほしいって思っているって自覚する以上、

話を聞いてもらう人に負担が大きそうだなって思って遠慮してしまう。

普段は普通に楽しいし、へこんだ時もプライドかいもの邪魔をして、頼れない

かまってくれるという甘えなら無意識でずっとしてしまっている。

話せる状態では話したいと思えないし、話したいと思うようなとき精神不安定でうまく話せない、逃げたい

そんなこんなでいまさら昔の友人や親にも話すのがおっくうです。正しいのは分かっているんだけど。

特に好かれないような性格してるね、っていい年をしたお兄さんに言われたことがある。

活動的な人で憧れる。学外活動学生以外と遊びに行ったり飲みに行った経験で多少同年代の人と話が合わなかったりする。

くだらない話より、面白い話を聞きたいと思う。

好きな人もいるが、その子がよく自分友達とすっごい長く話している、仲よくしているのでほほえましいのだが

まりに見かけるたびに一緒に話しているので嫉妬する。客観的にみて話をよく遮られるので嫌いになってもおかしくないのだが、

自分と話が合う友達なのでしかたないなとおもう。最近好きなタイプに「自分を好きになってくれる人」とかいう人にも共感できる。

やっぱり自分を見てくれる人が好きなのであるもっと人を信頼して、もっと興味を持ちたいのです。

こんな自分をどうすればもっとまともな人間になれるかを日々考えている。

たぶん半端なアドバイスは知ってる知ってると流してしまう。

実行に移すのがいいっていうのがとっても分かっている。だけど・・・

本当どうするのがいいんでしょうか

ちなみに血液型A型性格診断はINTP型だったきがします。

ときどきへこんだとき寝る前に1時間くらいでこんなこと考えている。多分書くのにはもっと時間かかっている。

2015-10-05

http://news.livedoor.com/article/detail/10662481/

こちらの記事にして思うことなんだが、

昔はもっと(といっても20年位前とか)ひどかったし、

けが人なんて、毎年何人も出てた。出るのが当たり前だった。



それでも、来年から組体操やめようとか、この競技はやめようとかそういうことにならなかった。

もちろんそういうことを訴える教師保護者はいたけど、全体の空気感から

そんな意見はかき消される風潮だったことは否定できない。



しろ、こういう問題に対しては、昔は補助員を増やすとか、練習時間もっと設けるとか

コストをかける方向で対策していたと思う。

下記のデータは、運動会体育祭前の体育の時間年代ごとの推移だが、

明らかに、近年に近づくにつれ、どんどん減っていっている。

http://www.mext.go.jp/component/b_menu/other/__icsFiles/afieldfile/2013/08/23/1338732_2.pdf




さらに、こちらは1990年2005年2014年文部科学省(旧文部省)の

健全少年育成のための方針」における「健全少年育成の身体の育成に関する方針」だけど

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Pdfdl.do?sinfid=000002589110




1990年は下記のように結構語調が自信満々なのに対し、

溌剌とした運動少年の将来における健全性を助く。

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001199687




2005年学問視野に入れられており、

運動学問の両立性こそが健全性を

http://www.e-stat.go.jp/SG1/estat/Xlsdl.do?sinfid=000001199688




2014年はそもそも、「身体の育成に関する方針」が、まるっと章ごとなくなっている。



このことから文部科学省方針が変わったことが

体育に対する時間的、金銭的、人的なコストが減少されていった原因であると推察できなくもない。



また、同書「健全少年育成のための方針」では、同時に安全基準についても記載されているが、

そちらは、上記方針反比例し、向上傾向にある。

そちらについては、下記マキタノリオさんの著書に詳しく書いてあるので、参照するといいと思う。

現在教育の場における安全基準と、コスト削減方針矛盾がわかりやす解説されている良書だと思う。

http://www.amazon.co.jp/%E8%A9%95%E4%BE%A1%E8%A6%8F%E6%BA%96%E3%81%AE%E4%BD%9C%E6%88%90%E3%80%81%E8%A9%95%E4%BE%A1%E6%96%B9%E6%B3%95%E7%AD%89%E3%81%AE%E5%B7%A5%E5%A4%AB%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E5%8F%82%E8%80%83%E8%B3%87%E6%96%99-%E5%B0%8F%E5%AD%A6%E6%A0%A1-%E4%BD%93%E8%82%B2-%E5%9B%BD%E7%AB%8B%E6%95%99%E8%82%B2%E6%94%BF%E7%AD%96%E7%A0%94%E7%A9%B6%E6%89%80%E6%95%99%E8%82%B2%E8%AA%B2%E7%A8%8B%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC/dp/4316300393/ref=sr_1_8?s=books&ie=UTF8&qid=1444030011&sr=1-8&keywords=%E6%95%99%E8%82%B2%E3%80%80%E4%BD%93%E8%82%B2




つまるところ、教員の(補助員としての)能力不足や慢性的人手不足安全基準の向上に伴って、

旧来のコストのかけ方が現実的でなくなったところに、ボタンの掛け違い、歯車の噛み合わなさの元凶があるような気がするが、

皆さんはどう思うだろうか?

2015-09-24

公立中学校は腐敗している。

私は公立中学校の1年生である。当然だが、自動的に今の中学校入学することになっていた。

そこで驚いたのは、馬鹿らしい校則の多さである。一部を列挙する。

男子の髪は耳にかかってはならない

女子は過度の長髪禁止

・男女とも前髪が眉を隠してはならない

ワックスを付けてはならない

制服を着なければならない

制服を着崩してはならない

・制汗剤の使用禁止

文化祭体育祭部活動大会後などの打ち上げ禁止

絶対部活動所属しなくてはならない

教員に逆らってはならない

等々である

私(たち)は、強制的公立中学校という場所収容され、心身の自由を奪われている。制服を着崩してはならないと説教する教師ワイシャツの第一ボタンを開けているし、教員飲み会に行くこともあるだろう。それにもかかわらず、私(たち)は生徒と教師という上下関係強制的に組み込まれ苦役を強いられているのである。これは、日本国憲法規定されている基本的人権侵害であり、私は断じて抵抗する。もう二度と中学校へ行くことはないと決心した。義務教育に屈するつもりはない。1年以内に高卒認定試験合格し、18歳になれば大学受験をするつもりである

2015-09-20

今日体育祭だった。

今日体育祭だった。


私は割りと運動できるので難なくこなせた。

けど男子から目線がなんかイヤ。

胸のあたりとか、下半身とか・・。


どうせなら男に産まれたほうが気が楽だけど、そんなのないものねだり。

はいろいろとしがらみばかりでどうも生きづらい。


女の武器を駆使してブリッ子する気にもなれないし

か弱く振る舞って気を引く気にもなれない


運動は割りとできるのに世渡りは下手。

勉強も割りとできるけど所詮点数がいいだけ。


まー、100m走10秒台で走ったら、そりゃ目線も来るか・・。

ジョイナーの再来とか、おおげさだよ女だからって、男に産まれたほうが良かった

こんな筋肉ついてて女の武器なんてないし

ましてやか弱く振る舞ってもこの筋肉じゃ説得力ないでしょ。


運動は割りとできるのに世渡りは下手。

勉強も割りとできるけど所詮点数がいいだけ。


はぁ、、でも2020年ちょっと楽しみ。

2015-09-12

先生に恋したけど私はまだ16才・・

担任のS先生が好き。

いつも優しく私達生徒を見てくれている。


体育祭の競技決めの時、運動の苦手な私を負担のない競技に振ってくれた。

美術の私の絵を褒めてくれた。


私はまだ16才。

結婚もできないし恋愛もしたこともないけど。

先生デートしてみたいな・・。


まんが喫茶で並んで読みふけたり

喫茶店無駄に何時間もいてみたり


先生さえ良ければ、私の故郷へ一緒にいきたい。

重力転送装置を使えば人間の体でもワープに耐えられるから


私の故郷を見てもらって、先生のびっくりする顔みたいな。

私のおじいさんが使ってた昔のテレポートシューズなんかで遊んでみたりw


故郷に馴染んだら唾もらって私とのDNAミキサーにかければ子供ができる^^

どんな子にしよう、先生の目、私の鼻、口は福山雅治とか☆


私はまだ16才、卒業の時に勇気出して手紙渡そう。



■追記 ネタバレしました。

JK増田日記作文→83ブクマ付いたけどオッサンだとモロバレww

http://toraneko.hateblo.jp/entry/masuda_ossan

2015-09-02

[]2015/9/1

ホントもっとあったけど起きる直前のしか覚えてない。くそう。

なんか雑誌読んでてそこに艦これコスプレ写真コメントがのってた。

金剛コスプレの上に、「めずらしく艦これコスプレでは若い子だと思ったら星野飛鳥ちゃんでした!かわいい!!」って感じで書いてあった。

金剛コスプレ星野飛鳥だったかまでは覚えてない。

んでまたページめくってくとアンソロっぽいイラストが数枚。

摩耶の沈没シーン?っぽいのだった。

でも俺摩耶の沈没シーン知らないから、なんか変な絵になってた。

柔道の亀の状態から顔を横(読者側)に向けて苦しそうな顔して、頭と足をワニっぽいのに噛まれてる絵だった。

数枚あった絵が全部構図とキャラがそれだった。

天城が横転して沈没したのが有名ってところからきた無意識の夢なんだろうなってのがよくわかる。

ああそうだ思い出した。

ニコニコ超会議に出てた。

一度も行ったことないし行くつもりもないし行きたくもないのに。

でもなぜか椅子が全部学校椅子っぽいの。

そんでよく高校体育祭であるようなスタンドの上っぽいところ。

絶対オタク系にいくはずがないであろう高校ときの後輩がいてすごく意外に感じた。

自分が座ってた椅子がやたら揺れるから後ろのやつに文句言ったら、上述の後輩がすみませんそれ俺です・・って言ってきて微妙に気まずい思いした。

それ以外にも全体的に浅い夢で結構長く夢見た気がするんだけどなあ・・・

2015-08-27

中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。

中学1年生の9月上旬、私は二階の窓から飛び降りた。

6年間通っていた地元小学校から電車で1時間ほどの私立女子中学校は、公立中学校よりも設備が整っていて、清潔だった。お手洗いの掃除も生徒がやる必要はないし、体育館なんて3つも4つもあった。そこに、数百人の女の子たちがかわいいセーラー服に身を包み通っていた。私もその一人だった。

どうしてうまくいかなかったのかはわからない。もう10年も前の話だ。私が悪い、周囲が悪い、と簡単に言えることでもないと思う。そのときの私は、周囲と馴染んだり友人を作ることにみじめなほどに必死で、空回っていたのだと思う。私のことを分かってくれる友人が欲しいと思えば思うほど、周りから人は消えていった。

最後の思い出は、体育祭だ。あまり練習に参加していなかった私は、リレーアンカーだったように覚えている。アンカーは2週走らなければならない、と思い込んでいた私は、見事自分クラス最下位へと落とし込んだ。周囲からは笑いが漏れていて、私も情けない顔で笑っていた。体操から制服に着替えている教室で、私の陰口を言う声が聞こえた。

夏休みに入ると、通学していたときの暗澹な気持ちが嘘かのように、気楽だった。ほとんどの時間インターネットに費やしていたと思う。でも、その一方で、私は自分のことを冷静に観察していた。今気楽なのは学校に通っていないからで、通学が再開したらまたあの地獄のような気持ちを持て余す日々に逆戻りだ、と、そうわかっていながらも、私には何もすることができなかった。

夏休みが始まる前の時点でさみだれ登校ぎみであった私に、父母は何もしてくれなかった。初めての不登校経験で、どうしたらよかったのかわからなかったのだろう。父は、今でもあの時のことに触れるたびに、お前は頭の病気から、と侮蔑するように言い捨てる。

父の存在は大きかった。そもそも成績の良いときくらいしか”良い父”でなかった人に、学校行きたくないと言ったらどう反応するかなんて、想像するまでもなかった。不機嫌な父はその存在だけでも恐怖だった。父に許されない行動を取るということが、13歳だった私にとって、どれだけ勇気のいることだったのか、今ではもう思い出せない。

夏休みの終わりに、私は、足がなければどれだけ良いだろう、と考えた。電車で1時間、その後も10分ほどの上り坂があり、さらに長い階段を上らなければたどり着けない私の学校は、足がなければとても通うことなんかできない。私は、足がなければよかったのに、と願った。

2階の私の部屋から見る空は、夏らしい青色をしていて、どこまでも自由に見えた。2階の窓は下から見上げるとそう高くなく見えたが、上から見下すと遥か遠くに地面があるようだった。そこを凝視する私は、一瞬の勇気から、と自分に言い聞かせた。一瞬、ここで一瞬だけ勇気を出せば、学校になんていかなくてすむんだから

数秒後、私は今自分がどこにいて何をしているのかわからなかった。目からはぼろぼろと涙が出ていて、顔の横には地面があった。そしてようやく、私は、あの2階から飛び降りたんだ、とわかった。

見上げると、開けっ放しの窓から白いカーテンひらひらと風になびいていた。ぼんやりとそこを見ていると、私の部屋に入ってきた母が、不安げに私の名前を呼ぶのが聞こえた。

今思うと、あのときの私には逃げ場がなかったのだと思う。今話題になっている図書館も、小学校から卒業したばかりの私では、一人で行くだなんて思いつきもしなかっただろう。親に相談はできなかったし、学校先生もまともに連絡を取ってくれなかった。でも、もしあの時の私が、あのツイートを見ていたのならば、きっと、逃げ場に図書館を選んでいただろう。過去当事者であった私にとって、あのツイートはそう悪いものには思えない。もちろん、もろもろの問題はあるのだろうが、きっと、少なくとも、過去の私を救えたのだろうから

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