はてなキーワード: 参考書とは
フランス語のレベルをA2からCLB 7に上げるためには、以下のような学習方法が有効です¹²³:
1. **音声を聞きながら、1・2語遅れでその音声で聴こえてきた内容を同じスピード、同じ発音で繰り返す練習方法**³: リスニング力とスピーキング力を同時に鍛えることができます。
2. **DELF A2の模擬試験参考書を使用して多くの問題を解く**¹: 実際に問題を解くことで『着目すべきポイント』や『記述式の問題に対して簡潔に答える力』を身につけることができます。
3. **フランス語の会話レッスンを受ける**¹: フランス語を話せるようになるためには、頭の中ですぐに文章を組み立てて、それを声に出すことを繰り返すことが必要です。試験前にフランス人の先生に面接対策をしてもらうと良いでしょう。
4. **フランス語の単語帳を使用する**²: 仏検準2級・3級に頻繁に使われる単語、熟語、口語表現を網羅する単語帳を使用すると良いでしょう。
5. **フランス語の文法書を使用する**²: フランス語の文法を理解するためには、わかりやすい文法書を使用すると良いでしょう。
これらの学習方法を組み合わせて使用することで、フランス語のレベルを効率的に上げることができます。ただし、個々の学習進度や理解度は異なるため、自分に合った学習方法を見つけることが重要です。頑張ってください!
(1) DELF A2に90点で合格した私の試験対策方法 | フランス語学習デザイン. https://marin-france.com/delf-a2-taisaku/.
(2) 【独学でDELF-A2に合格!おすすめな参考書、問題集8選】 | Niceなフランス. https://nice-na-france.com/delf-a2-gokaku/.
(3) フランス語が話せるようになる効率的な学習法、勉強方法 - Coucou! blog. https://blog.coucou-francais.com/efficient-learning-method-to-speak-french/.
(4) パソコンでフランス語を入力するには?ù・œなど記号文字の打ち方も解説! | フランス大好きママンのブログ. https://www.francedaisukimaman.com/ordinateur/.
(5) フランス語のレベルについて|フランス留学|日仏文化協会. https://www.ccfj.com/study/niveau/index.html.
老若男女カフェに惹かれるものの期待はずれになるときもままある
客層:最悪
キャバクラ勤務前のババア、どうみても給料低そうなサラリーマン、金なさそうな独居老人、キモオタなどが巣食うカフェ業界のスラム
独特の限界感を醸し出しており泣き叫ぶガキやはしゃぐ女子高生家族連れは見当たらない
コーヒーはドリップ系で値段の割には悪くないものの何故こんなにも客層が最底辺なのか
ババア会議は平日昼間には時折見かけるもののそれほど多くはない
いくら空気を読めないババアといえどもスラムの中でお茶会をやるほどのメンタルはないということか
BGMがないのは個人的に好感するもののゆっくりできるかはまた別。君は西成でゆっくりできるのかね
コーヒーフード:良
上でも書いたが廉価であっても悪くはない、ラテ、モカ、限定メニューなど商品開発に一定の予算が割かれていることがわかる
ドリップコーヒーも苦味抑えめで華やかな香りが鼻をくすぐり、決して悪くはない
フード類も定番のミルクレープを始め値段の割には味も良いし、スイートポテトなどイージーバイト系も充実
客層:中の下
ババア会議、コーヒーいっぱいで何時間も粘って自習する学生であふれている
学生は参考書を広げて入るもののその横でYoutubeの動画が流れておりどう見ても勉強しているようには見えない
サラリーマン、独居老人、キモオタはそれほど見かけず、家族連れはまれにいるもののほとんどいない
年収600万世帯のババアがちょっと背伸びして行くカフェというところか
BGMは薄くかかっているようだがそれをかき消すババアの話し声で難聴になりそう
そういえばここの経営者が一時期テレビに出ていたが最近見かけないな
シアトル系のダークロースト、エスプレッソベースのものが多い。正直値段ほどの美味しさはないと思う
味だけを求めるのであればドトールのテイクアウトのほうがまだまし。スタバをコピーしようとしてコピーしきれなかった悲しさを感じる
フード系も妙にパサついていて値段ほどの価値は感じられない
豆の販売もやっているが割高。ここで買うくらいならアマゾンで適当に見繕った豆のほうがだんぜんコスパがいい
もともと名古屋のローカル喫茶店だったのが急速に全国展開。関東の店舗では休日には入店待ちが発生するほど
客層:下の中
流行り物を経験しておきたい女子高生、ババア、部活帰りの厨房などがごったがえしている
席の間が広いのでそれほど混雑感はないがうるさいことこのうえない
ときおりガキも泣き叫んでおり、これなら選挙カーの前にいてもそう変わらないのではと思わせる
しかも急速に店舗を拡大したせいか店員の練度も最悪であり、席が空いているにも関わらず無駄に待たせられる
コーヒーフード:最悪
うまくない割にめちゃくちゃ高い。コーヒーとシロノワールで1000円超えはやりすぎだろ
シロノワールといっても実際のところはそこらへんのスーパーでも買えるパイ記事のパンに
これまたそこらへんで買えるようなソフトクリームをのせただけ。これで800円取る名古屋人には恐れ入る
コーヒーもコメダブレンドとやらは泥水と呼んで差し支えないほどのまずさ。これで700円取る名古屋(ry
あきたので続きはまたこんど
借金玉氏は高校生の頃の俺の希望だった。いじめでドロップアウトした先にて発達障害と診断され絶望の中をぷかぷか浮かんでいた俺にとっての灯台だった。自分は信じられなかったが、氏を信じる自分なら信じられた。
発達障害という病は心を殺し、自信を奪う病だ。あらゆるタイミングで道を阻み自己肯定感は潰される。曖昧ゆえに決まった治療法はなく、すべては自己責任とされてしまう。「おれは発達障害だから人生積んだのだ、何をしても無駄だ」諦念の中、世界を知らない俺がこうした結論に行きついたのも不思議ではない。
そんな時、借金玉氏と出会った。これが転機だった。発達障害者でも何かを為せるという当たり前の事を氏を通じて知れたのだ。それはある種の信仰でもあった。
発達障害者でも早稲田大学に合格できるし、起業だって、営業の仕事もできる、就活も成功できる、そしてきっと、仕事もできる。その気づきが、実感が、希望が、どれほど尊かったか!「俺でも人生何とかなるんじゃないか」と少しだけ思えたんだ。そして、実際そうだった。
俺は借金玉氏を信じて、勉強を始めた。当然のように不登校だったから、中学校一年生用の参考書を高校生にもなって勇気だして買って、勉強した。これは偉業だった。「何かをできるようになる」ができるようになり、「俺は不可能を可能にした」という小さな光が俺の胸に灯っていった。
物事をするには、人生を生きるには、希望が、光が必要だ。希望があって初めて努力ができる。「可能である」と信じて始めて人間は動く。消えてしまった光を蘇らせた俺の二度目の希望の光は、きっと借金玉氏からの分火だった。そして、一度灯った光は大きくなり、もう分火とは言えない一つの光になった。
未だに光が消えそうになる事もある。けれど、もう俺は子供じゃないから、どうにかこうにかやってきていた。そんな中、氏のニュースを知った。
俺は何も言えない。言う言葉を思いつかない。氏のこれまでの流れをやっと今詳しく知った程度の人間が、何を言えるというのか。
けれども、苦しんでいるあなたにどうか光がありますように。この文章が光になれなんてこと言えないが、昔救われた人間の一人として、身勝手ながら、あなたに希望が救いが幸福がありますように。祈っています。
たとえるなら、高校範囲の数学や物理を教えることを銘打ってる参考書である限り、どんな平易なものがあったとしても、四則演算の繰り上がり繰り下がりでつまづいていることに無自覚な人は、読む進められなくなりうる。
そういう参考書である限り繰り上がり繰り下がりの仕方が書いてあるページなどないのだから。それがあればまだ自動的にフォローされるかもしれないが、そうじゃないなら自分がそこにつまづいていると気づくきっかけも与えられない。
自分で計算した結果が参考書が示すものと違うからといって、繰り上がり繰り下がりの無理解にも無自覚なほど学力が低い人が「繰り上がり繰り下がりを理解してないからではないか」と原因を特定できる可能性は低い。
大学範囲の学問なら高校以下の学習事項が身に着いて当然と思われている計算のコツなり解法の類型といったような発想力やひらめきについて同様のことが起こるだけ。
もう受験生でもない自分が高校レベルの参考書や問題集をいつまでも解いたりするべきなのか分かりません。
解いたりするべきだと思う以下の持論を持っているのですが、この持論が正しいかどうか全く確信が持てません。
以下から持論です。
まず、高校で習うことを理解していなければ、大学以降のより専門的なことが理解できないことがあるというのは確かだと思います。
だから私を含めそういう専門的なことを理解したい人は、高校レベルのことの穴を埋めるべきだと思います。
それをせずに大学レベルのことの学習に手を付けても理解できることがある可能性はありますが、その理解したという感じに錯覚の場合が混ざるおそれがでてくると思います。
つまり理解してないのに知った気になる、いわば「何がわからないかわからない」状態に陥る可能性が出てくると思うのです。
そのうえで、そのような大学レベルのことを理解していないと理解できない、より高度な理論を学ぼうとすると、今度はわからないという自覚はあるが「なんでわからないのかわからない」という状態に陥ることになります。
つまりその高度な理論を理解するのに必要なそれに比べれば相対的に基礎的な理論や概念は複数あることも当然考えられ、そのどれを理解してないのかがわからない、特定できない、ということが考えられるわけです。
理解しなければならないこととしては当然高校レベルの部分に穴がある可能性もあるでしょう。
しかし学ぼうとするものを見ても、その理論等の全容を見て、具体的にどんな知識が必要か余すことなく把握することは意外に難しいでしょう。
単に用語の意味を知らないといったことなら、その用語をネット検索で、その用語を使っている理論のなかでもっとも基礎的なものが何かということを目星をつけて、そこから学ぶという方法がとれるでしょう。
しかし学術的文章が理解できない原因は必ずしも「単にこの言葉がわからないから」というような、わかりやすい輪郭を持ったものに由来しているとは限らないと思うわけです。
大学レベルの参考書(学術書)や論文を書く人は受験競争を経験した人なわけですが、受験勉強で得た「考え方のひな型」のようなものが、少なからずその後の思考やそれに基づく文章に影響を与えていると私は考えます。
それはもはや自覚的に認識できるものではない、無意識下にある思考の体系であるわけです。
その「枠組み」を共有していない人にとっては、より言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずに、その部分の言語化をせずに文章を書いている部分があると思います。
特に幾何学が絡む記述は、センス=ひな型・枠組みを持つ著者自身には空気のように当たり前のことであるために記述がシンプルになってる説明に対して、枠組みの無い人にはなんでそうなるのということがまるでわからないということが起こり得ます。
それは著者すれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えないほど逆に理解しがたいことです。
これは大学と高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いかもしれませんが、たとえば高校物理である部分の角度と別の部分の角度が同じという事実から式を導出することにおいて、なぜ角度が同じといえるかということの説明まではされてないみたいなことがあります。
これは、角度のことについてなら、中学受験の算数の難問を数多く解いてきたりその答に対する解説を見た経験が、まさに有機的に思考の枠組みとして血肉化した書き手自身には、条件反射的に当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明がないとわからない、という枠組みの有無による断絶ともいうべきことが生じているのだと考えられます。
しかし書き手にはすべての読者のレベルに対応することは不可能ですし、そもそも「枠組み」がある当人には1+1=2のレベルで当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことが起こると思うわけです。
そしてこの枠組みは「枠組みが足りてないから理解できないのではないか」という必要性の認識に応じて選択的に必要十分なものを特定して身に着けられる、という性質のものでないわけです。
上記は高校とそれ以下のレベルでの話ですが、大学とそれ以下のレベルという場合でも同じ構造的問題を共有していると思います。
因数分解や極限値を求めるための式変形の定石や、その他証明問題などに対して定石と呼べるような解法から定石ではない解法まで、その問題をこなしてきた人たちにとってはその経験が枠組み化しています。
なのでその人たち自身が見てきた高校レベルの参考書では途中過程として式変形など書かれていたものが、当人が研究者になって書く大学レベルの本ではその本人の主観的に自明性が強すぎてその途中過程を書くような発想すら存在しないわけです。
ですから、大学レベルの本を理解するには、およそ考えられるかぎりのあらゆる高校レベル以下の問題を解いて理解することを片っ端から行いその経験を積んで枠組みとする必要があると思うのです。
でなければ結局「何がわからないかわからない」「なんでわからないかわからない」という状況に陥ると思うわけです。
予備校講師の数学のアドバイスで「数3は数1Aと数2Bの知識がなければ理解できないというが、だからといって数1A・数2Bを完璧してから数3に取り掛かる必要はない。完璧は難しいのだから同時並行でよい」という趣旨のことを書いていたのを見たことがありますが、まずこれは受験勉強に関してのアドバイスであるということに注意するべきだと思います。
つまり点を取るためなら、完璧でない理解でも、ふわっとした理解でもパターンとそれへのあてはめとして、問題は解けてしまうということは十分考えられるからです。人口無能、あるいは中国語の部屋のようなものかもしれません。
一方で学問として理解するということにおいては、厳密に完璧に理解していなければ、ただの知ったかで、それは全く理解してないのと同じ価値しかないのではと思うわけです。まさに論理として理解しているのではなく「受験で点が取れる感覚」でパターン認識としてわかった気になっているだけだと思うからです。
また、大学以降のより専門的なことが理解できれば、高校で習うことはすべて理解できる、というわけでもないと思います。
先ほどの高校物理の例にあるように、高校レベルのことが当たり前になってる人が書いた大学レベルの文章には、高校レベルのことは書いてないことがあるわけです。
そして、どの大学レベルの理論を学ぼうとするかによっては、自分の持つ枠組みで十分にその理論が理解できるということはありえます。ありとあらゆる高校レベルの枠組みを網羅している必要はないわけです。
なので、大学レベルのことは理解してるが、その大学レベルの文章に高校レベルのことは書いてないかもしれないので、その後大学レベルのことにしか触れなかった場合、高校レベルだけど初見だと解けない問題が死ぬまで解けないままであるということが起こり得ると思うわけです。
たかが高校レベルだから、初歩的なんだから受験生じゃなくなっても真面目にとりくむほどではないと思うかもしれません。
しかしそのように単なる初歩的なこととされるかは、意義深いこととされるかは、時代次第の相対的なことではないでしょうか。
2000年以上前ならピタゴラスの定理を理解することも十分意義深いことだったでしょう。
時代が進むことによって、より高度な定理や理論が発見され、既存の定理はそれを理解するためのより初歩的なことと規定し直されるというだけです。
このような文脈での主語はあくまで「人類」です。言い換えれば、人類のうち誰かひとりでも知っていたり理解していたりするようなことを全て知っているような、仮想的な知性にとっての意味付けだと言えると思います。なかば無意識的にこのような仮想的な知性と自分を主語のうえで同化させてこのような「初歩的/意義深い」という価値判断をくだしているにすぎないのではないでしょうか。
あるいは「文明」を擬人化して主語においているとも言えるかもしれません。「文明」にとって、容易に理解できる初歩的なことかどうかということです。
一方実際に世界を経験する主体の単位は「個人」であり、わたしであり、あなたです。
ある時代にとって意義深いけれど今は初歩的なことを理解してない個人がいるならば、人類や文明が主語である場合、それが最先端の知識=未知であるか、または既知となって間もないか、で意義深いかどうかの価値が規定されていたのですから、個人を主語にした場合も同様に考えればよいのではないでしょうか。
つまりその個人が理解してないのなら、それはその個人にとって意義深いことなのだと思うのです。
大学レベルとか高校レベルとか関係なく、「自分が知らないという意味で意義深い」解ける問題を増やしていくことは、この世界や現象に対する理解の解像度をあげると思うのです。
だから大学レベルのことには書いてない高校レベルの問題の解法も赤本や難関大を意図した参考書には無数にあるので、それを解き続けることには、それを飛ばして大学のことを学び始めることを通じては経験できない意義深さがあると思うのです。
まとめれば、高校レベルのことが足りないために大学レベルのことが理解できないこともあれば、大学レベルのことでは身に着けられない高校レベルのこともあるので、結局この世の中をよりよく理解する手段として高校レベルのことも大学レベルのことも等しく有効なら、まずは高校レベルのことを完璧にしなければならないのではないか、と思うわけです。
ここまでが持論の全容です。ですが世の中の成果をあげている科学者の全てがこのようなことをしているとは到底思えないので、自分の考えが合っているなどという確信は全く持てないわけです。
なので、ぜひ、反論できるところがあったら教えてください。
やあ。
いまだ経験がない男です。
こういうのネットで相談されるたび「風俗行け」って言われてるけどさ。
みんな全然分かってないよ。
ただカネを出すだけで得られる消費体験なんていらない。
そんなのって意味ない。
俺は、男として成長したいんだよ。
だけど、どうすればそれを達成できるのか、全然ヒントが見つからなくて泣いてる。
当然、すぐに達成できるなんて思ってないし、努力が必要な困難な道なのは理解してるよ。
どうやら世間では「恋愛レベルを上げる努力」というもの自体が、反ポリコレな邪悪な考えとして忌避されてるらしい。
「女性の自由意志はモノじゃない」「人心操作は対等じゃない」「下心って不誠実」
本当にウンザリ……。
このトラバには異論はない。そこで最後に追加で言っておきたいことを書いて終わりにする。
大学レベルの参考書(学術書)や論文を書く人も所詮は受験競争を経験した人で、受験勉強で得た知識が少なからずその後の思考の枠組みに影響を与えていると思うんだよね。
それで「枠組み」なんてものはなかなか自覚的に認識できるものじゃないから、その枠組みを共有していない人にとってはより言葉を尽くさないとわからないことでも「既知の事項として」という感覚すら持たずにそういう言語化をはしょって文章を書いている部分があると思う。
特に幾何学に関する記述は、本人のセンスにとっては空気のように当たり前のことでその説明がシンプルであったりしても、なんでそうなるのってことが枠組みの無い人にはわからない。ある人からすれば「なんかこいつすごく察しが悪いな」としか思えない。
これは大学と高校の話ではなく高校とそれ以下の話なのでたとえが悪いのだが、たとえば高校物理である角度と別の角度が同じという事実から式を導出するのに、なぜ角度が同じかという説明まではされてないみたいなことがある。
これは中学までの数学を身に着けた人にとっては当たり前のように角度が同じだと認識できるが、そうでない人には説明が必要。
しかし書き手はすべての読者のレベルに対応することは不可能だし、「枠組み」さえあれば当たり前のようにしか思えない角度の同じさを説明しようという発想すら起こらないから、こうしたことがある。
こういうことはは中学受験レベルの算数から差がはじまっていて、ああいうのが解けるような学力をセンスとしてあるいは勉強したことで枠組みとして身についてる人と、そうでない人とでは、同じ文章では伝わらない程度の断絶ができていると思う。
自分には大学レベルの本を理解する素地が足りているのか、と思うから、彼らが通っているはずの受験勉強から得た枠組みと同じものを自分にも構築すべく、高校レベルのことを勉強しなきゃという強迫観念がなくならない。学術書や論文の書き手も当然すべてのレベルの読者には対応してないし、かりに対応しようとしても「枠組み」は「空気」のようなものだから、枠組みを持たない人間を無自覚に想定読者として排除してしまうだろうから。
毎日18時間ひたすら参考書を理想の時間で解けるまで何周でも解いてそれができても別の参考書でそれをやるというサイクルを延々と回すのと、どっちが地道かとは一概には言えないだろう。・
金がなくて研究を断念することもあるというくだりにしても、それだとむしろ、どっちかといえば研究者であるかどうかは金の有無の問題が大きいと言ってしまっているだけで、研究者であろうが研究者でなかろうが受験レベル特有の問題にも興味あるやつもいればないやつもいるというだけの話ではないのか。
もちろん最先端の道具で問題を解こうとするのも立派な選択だと思う(その道具を形作る理論が私には理解できなそうだが)
高校レベル以下の「使える概念に制約があるなかで限られた道具をフル活用・して解く」みたいな態度、その活用・応用の仕方についてしばしばみられるアクロバティック具合に惚れるんだよね
最先端の論文でも「高校までに習ったことだけでどこまでの問題が解けるか」なんてことを研究する内容のがあれば参考書にこだわるまでもなくそっち読んでみたいが、そんなある意味で学問の目的とは正反対な退嬰的?反進歩的?なことに研究費使うこと許してくれるところなんてあるのかな…と思うとなさそうだけどどうなんだろ。
原点からの化学も新理系の化学あたりになると、大学一年の教科書と被る内容も出てくるし、丁寧な大学の教科書に着手してもいい気がする。大学の本も難易度は様々なので。ちなみに、自分は大人になっても大学の参考書を読まずにいられない一種の強迫観念にかられてる。
小学生や中学生レベルの参考書はさすがに読もうと思わない。さすがに発見がないだろうことがわかるから。
高校受験の赤本?とかならさすがに全部初見で問題解けるわけじゃないだろうし解説見ることによる発見もあるかもしれないが、所詮応用の利かないパズルの解き方知識としか思えず、また現代との学問とのつながりを感じられる内容でもなかろうから、知的興味をそそられない
これが高校の参考書になると物理・化学でも数学でも、一つ問題集を(皮相を)完璧に理解したところで、別の問題集が解ける保証など少なくとも私の一を聞いて1.5を知るのが限界な頭にはどこにもない。
だから問題集を解くたびに新たな発見があると思ってる。というか現に新たな発見を繰り返してるのと、一体どれほど問題集の解き続ければ「何見てもわかりきった問題しかないな~」と小学生向けのドリル解いているときのような境地になれるのか予測するのが不可能だから、なかなか高校レベルの参考書から興味が離れられない。国語も英語も当然そうだ。
化学とかは同じ著者が書いてる新理系の化学と、化学の原点シリーズって何が違うんだ?どっちかがどっちかの内容を完全に内包してるんじゃないのか?とも思えるのだが、何か少しでも新たな発見があるのではないかという感じも捨てきれず、興味を捨てられない(なんか塾の策略にはまってる気がするなあ)係数比較法に関する小技みたいなのがその参考書独自のだったりするとわくわくしてしょうがない。
もちろんこんなの大学レベルから見れば何も難しくないことなのかもしれないが、そもそも私レベルには大学以降で扱うことなど理解の範疇を超えてしまうので「ありがたいお経の暗記」のような状態になってしまい、知的活動というより単純労働の趣が強くなってしまう。
私がしたいのはあくまで知的活動の方で、それには高校レベルが「すごく難しいが頑張れば頑張るほどちゃんと理解が深まる」ぎりぎりのラインなので、そのレベルにこだわってしまう。
毎日働いた後に1時間~2時間くらい、参考書を見て模写してたまに書きたい構図を検索してトレスして。
一昨日くらい、うまくなってきたし自分が小学生の頃から抱えてたとある性癖を好きなキャラに投影させた絵を描いた。
今までにない高揚感、興奮、何とも言い難い満足感。
自分の頭の中の妄想が目の前で形になってる、1〇年間支部で探さなくてもよかったじゃん。
こんな達成感得られるならもっと頑張ってみようかな、そんな気分になった。
そんで今日、虚無。
愛あったはずなんだけどな~、いやあの時は最高だったんだよな…。
この思想抱えてたらいつの間にか犯罪者になるんじゃないか、いや現実と想像は区別してるつもりだけどな。
今は1〇年間付き合ってきたこの性癖と向き合う時が来たのかね。まったく誇れるものじゃないけど。
完全にダメー❌
マジでアホすぎる。
お前が本気で「公務員に腰掛け」をしたいなら、2年以内に辞めろ。
2年だ。
2年までなら大丈夫。
「入ってすぐに違和感を感じて、1年間様子見して転職活動をすることを決めました」のストーリーで2年目に本格的に動き出して、周りからどう言われようが「うるせー!こっちは人生かかってんだよ!」で逆ギレしながら意地でも転職先を見つけろ。
「危機感があった。違和感を覚えた」って言葉を使いこなせば、公務員の大幅マイナスなイメージを逆に利用してちょいプラスぐらいまで持ってけることさえある。
PCがオンボロでマクロもまともに使えない事務員とか、アホみたいな所内規則に雁字搦めでハンコリレーばっかとか、先輩の仕事を手伝わされて書類にひたすらペン書き作業とか、朝早く来て事務所の雑巾がけとか、ゴミみたいな仕事ばっかさせられたって経歴さえも1年目ならまだ許される。
第2新卒までなら公務員というイメージのおかげで「最低限のマナーは身についてるだろ」と思ってもらえることがプラスに働くけど、そんなの社会人3年ぐらいになったら持ってて当たり前すぎて価値が0まで落ちる。
一つ言っておくが、筆記試験で点が取れることの価値は公務員以外の世界では「筆記試験で点が取れる」以上でも以下でもないから。
公務員の世界で筆記試験が重視されているのは、公務員試験が誰にでも門戸を開くって前提の元にやっている中で、本当に口先だけで知能ゼロのアホを叩き落とすための手段がそれぐらいしかないから。
公務員なんぞにまともな面接能力はないのは公務員自体も分かっているので、全ての面接官がポンコツだった時の保険として筆記試験の比重をやたら高くしてるってだけだ。
無能な面接官だらけ、無能な奴を学歴フィルターで弾くことも出来ない、この2つの要素を解決するための銀の弾丸として筆記重視の風潮があるが、他の会社はそんな異常な状況じゃない。
なぜなら学歴フィルターによって馬鹿は最初から弾けるし、面接担当者も何人かそっち方面のプロが混じっていてアホは落とすようになってるから。(注:中小企業は知らん。まあアッチは「ウチの事務所に馴染めるか」だけで決定していいような狭い世界だからもうそれで採用決めちゃっていいんだよな)
最後に、一つだけ言っておく。
公務員の筆記試験で点が取れるなんてのは、ニッコマレベルの大学出てる奴でさえ皆クリア出来る条件だ。
あんなセンター試験にちょっとしたIQテストを足しただけの代物、ニッコマに受かる程度の連中がガチれば皆普通に点が取れるようになるよ。
あんなので点が取れたことを根拠に「勉強できるんスよね―」とかかましてくるアホ、社会じゃ相手にされん。
皆が頑張って面接と自己分析と卒業論文に時間を使っている間、資格試験の勉強もせずに訳分からん参考書に必死にマーカー引いてたってこと自体がアホの証明みたいなもんなんだよ。
汚点と考えろ。
受験回数 1回
勉強期間 2ヶ月(参考書読み0.5ヶ月+過去問演習1.5ヶ月)
高校地学の気象分野を履修してなければ(自分はしてた)、参考書(入手可能なら教科書)で勉強しておくことを薦める。ここをすっ飛ばして試験用参考書を読んでもおそらく消化不良を起こす。
高校数学、物理、化学あたりも何となくでいいので頭に入っていると望ましい。
試験用参考書は中身がぎっちり詰まった堅めの本と、初学者向けに柔らかく解説した本の2種類買っておくとよい。
実技試験の過去問が収録されている本は電子書籍だと取り回しづらいので注意(1敗)。
鉄板として挙げられる「一般気象学」は初学者には取っ付きづらく、そもそも試験特化の本でもないので無理に買わなくてもいい。合格後も勉強や仕事で使うつもりならといったところ。
参考書を通読したら、過去問を解く→間違えたり理解が不十分なところを復習 の繰り返し。
独学する自信がないなら試験対策講座もあるが、7〜15万円程度とお高いので、切実かつ早急に資格が必要なら。
5択問題だが、消しやすい選択肢から消していけば大体2択程度まで絞り込めるようになっている。
計算が必要な問題もあるが、概ね中学レベルの計算能力があれば事足りる。
厄介なのが関連法規で、他の問題と毛色が違ううえに4問も出てくる。
気象の観測手法や日本特有の気象など、より実践的な予報の知識を問う問題。同じく5択。
気象庁の観測手法や各種予報の運用などはちょくちょく変わっているので、気象庁HPの「知識・解説」カテゴリにはできるだけ目を通しておきたい。古い参考書や過去問で勉強している場合は特に注意。
日本付近の気象状況について、配布された天気図等の資料を基に記述や作図で解答。
必要な知識や計算自体はさほど高度ではないが、とにかく時間設定がシビア。
設問の多くを占める「〜について〇〇文字程度で述べよ」問題はかなりの慣れが必要。過去問を数多くこなして頻出の単語や言い回しを体で覚えるしかない。
聞かれたことに対して変にひねらず答えること、聞かれてないことには答えないことを心がけたい。
直線を引いたり図面上の距離を測るのに必須。三角定規必須の問題は出ない(はず)。
図面の大半は白黒でゴチャついていて見づらいため、目盛の視認性が重要。だからといって自分で見やすく加工すると不正行為と見なされるおそれがあるため、デフォで見やすい商品を店頭で探そう。
コンパス必須の作図問題は出ない(たぶん)ので、補助的に円を描く、もしくは2点間の距離を測るために使う。なくても致命的ではないのでお好みで。
ディバイダは普段から所持して使っているのでなければわざわざ買う必要はないだろう。
解答自体には使わないが、図面の情報を見やすく整理するために使う。
多色ボールペンと、マーカーペン2色程度があればよいだろう。消えるタイプ推奨。
先述のとおり図面が見づらいため、老眼などがあるなら持っておきたい。
問題用紙と共に渡される。
ある図面の情報を別の図面に転写するなどに使うが、タイムロスになるので使用は最小限にとどめたい。
n=1ではあるが、過去問でこれぐらいやれれば勝ち負けにはなるかなという感覚。
・30分程度でひとまず解答欄が埋められる
・平均13問程度正解できる(合格ラインは11/15だが余裕を持って)
・75分(理想は60分)以内にひとまず解答欄が埋められる