はてなキーワード: 自己防衛とは
負のネットミームとは、インターネット・ミームの中でも皮肉的に使われているものや、蔑称として使われているなどの負の要素、闇を持たせたネットミームである。
インターネット・ミームそのものはユーモアにあふれたもので広まりを見せることが多いものの、その一部は不謹慎なものだったり、或いは反面教師的な教訓として広まっているのも少なくない。
また対象のミームは当初そうした要素はなかったのにユーザによってその要素が強くなったり、或いは逆転して弱まってインターネットやめろな一般人間でも使用されてしまうケースもある。
この増田は以下のような要件を1つでも満たすものであれば負のネットミームと呼ばれるであろうとしている。 もちろん複数満たせば満たすほど負のネットミームと認められるとされている。
日本のインターネットがまだ2ちゃんねるも無かった頃の不謹慎ゲームはまさにオウム祭りだった。 しかし「オウム真理教」のやったことは調べたらすぐに分かるほどで、現在も「ハセカラ」に関係する「恒心教」でそのネタが継続的に使われている。
そうでなくとも9.11、3.11で不謹慎ゲームは作られるし、それに乗じたインターネットミームも非常に多く存在する。
いわゆる「チー牛」や「弱者男性」などのようにインターネット上に生み出されて蔑称的に現在も使われているものもそれにあたる。
「バキバキ童貞」のぐんぴぃもその一人であり、自身のチャンネルでネットミーム総選挙をした動画で「チー牛はチー牛に投票しないので上位に行かない」という鋭すぎる「ちくちく言葉」を共演者がぶっ刺している。
元々「もうだめぽ」が生まれた理由はWinny利用者の逮捕直前の「カキコ」(「死語」)から来たものだったが、そうした犯罪などの話も全て薄れた状態で広まりそのまま死語となっている。 加工・選択されて継承されるのは、遺伝子だけでなくミームも例外ではない。
また政治的な話は皮肉の要素も含まれており、「自己防衛おじさん」や「上級国民」などの「日本死ね」系のミームも負のネットミームと言えるだろう。
更に「江ノ電自転車ニキ」のようにその人自身が罪を犯したわけではないのに負のネットミームとなってしまったおもちゃも数多く存在している。(ただしニキが車両に近いという指摘もあり、それが賛否両論を加速させている事実も忘れてはならない)
その他
負のネットミーム一覧
匿名ダイアリーでは、「言及された当事者から削除の申し立てがあった場合、発信者への意見照会を経ずに削除を行う」という特殊なルールを設けています。また、サービスの匿名性は、特定の対象を攻撃する目的に使われるべきでないと考えています。
このため負のネットミームを一覧で表示した場合、このルールに抵触する可能性が高いため、一覧ページについてはあなた方ご自身で作成してください。 「できるよね?」
内容としては、概ね以下の通りとなっている。
自分としては、(やはりVTuberではないというのもあり)若干視聴者の方に賛成である。ただ、VTuberの方が過度に悪いとも思わない。背景などを整理しながら、この件に対する自分の意見を述べさせて頂こうと思う。
まずはじめに、「そもそも何を以てして晒し上げという主張が発生したのか」という、できごとの流れについてもう一度振り返りたいと思う。
・はじめに、視聴者の方が、VTuberの方に関する過激かつ誹謗中傷ともなりえる不当な意見をX上で主張した。
・続いて、それを発見した当該VTuberの方が、リプライを用いて反論した。
・(当該VTuberの方のリプライを通じて、ファンの方々に会話の内容が知れ渡った。)
・第三者である別の視聴者の方が、当該VTuberの方に対して「そのリプライによる反論は晒し上げではないのか?」と主張した。
熱狂的なファンの方はVTuberのリプライも確認している場合が多いため、ことの顛末は事実上自動的に熱狂的なファンの方々に届く。この現象は、有名人がリプをした場合必然的に発生するものであり、制御は困難である。加えて、熱狂的なファンの中でも特に熱狂的な方は、リプライや引用リツイートを用いて、出来事に対する意見を追加する。今回も同様に、VTuberの方が投稿したリプライに対して、引用リツイートによって意見が追加されている様子が確認できた。場合によっては、VTuberの方によるリプライがきっかけで、誹謗中傷を実行した視聴者の方に対するリプライ・引用リツイートが増加している可能性も考えられる。
本件についてまず思うのは、有名人がリプを送信した際の晒し上げの発生は不可避であるということだ。この点で重要な部分は「有名人側の意図は一切無関係である」という点だ。本件のVTuberの方は、当該リプツリーの中で「晒し上げの意図はない」と主張している。しかし、VTuberの方のリプライによる、本件に対する、VTuberに賛同する意見の増加は明らかに発生しており、結果的に晒し上げは成立している。
この現象は、有名人にとって難しい事象であると思う。有名人と一般人のコミュニケーションは0か100であり、「話さないか、晒し上げるか」の二種類しか存在しない。例え一対一で真摯に話し合いたかったとしても、必ず第三者によるチェックが発生してしまう。そして、第三者によるチェック・及び意見の追加はSNSの規約上至極真っ当なものであり、抑制は不可能である。
VTuberの方には申し訳ないが、このような状況で「晒し上げた事実は存在しない」とは主張できないと思う。そのような意図がないことは理解できるが、リプライによっていわゆる「ファンネル」を呼び寄せた事実は、少なくとも私から見て否定できない。
上記の意見に対して、「そもそも、当該視聴者が初めにVTuberに対して誹謗中傷をしなければ、上記で指摘されている晒し上げに逢うこともなかった。なので、初めに誹謗中傷をした者が悪いのであって、その他の責任を問うべきではない。」と考える方が多数いらっしゃると思う。確かに、初めに誹謗中傷をした者が悪いのは事実であるが、かといって、大量の攻撃的なリプライ・引用リツイートが届けられるべきでもないと思う。
誹謗中傷をした者は、専用のルール・専用の処理・および専用の処理者によって処罰されるべきであり、大量の第三者によって適当に処理されるべきではない。尚且つ、有名人は大量の第三者を制御して適当に処理を実行するべきではない。罪を犯した者を集団でボコボコにするのはただのいじめであり、正義でもなんでもない。誹謗中傷をした者は罰せられるべきであるが、必要以上の罰を受ける必要はないはずである。
上記ではVTuberの方やファンの方々に偉そうなことを申し上げたが、かといって本件について両者に責任を問うべきでもないと思う。
VTuberの方からすれば、誹謗中傷者の取り締まりは急務である。自己の名誉を不当に損なわれるような事案は早急に対処しなければならない。かと言って、そのためのシステムが用意されていないのであれば、リプライの送信によって抑止せざるを得ない。ファンの方々も、結局のところSNSを規約通りに利用しただけであり、特に罪を犯したわけではない。結果的に、いじめのような形になってしまったというだけである。
誰も誹謗中傷されたり、リンチに遭うべきではないと思う。VTuberも誹謗中傷されるべきではないし、かと言って誹謗中傷の加害者ですら誹謗中傷・リンチに逢うべきではない。結局、何が悪いのか…を突き詰めると、両者が守られるシステムが構築されていない点が悪いと感じる。
理想を言えば、上記のようなシステムが構築されるべきであると思う。誹謗中傷が発見された場合は、VTuber本人ではなく専用の第三者によって調査・対処されるべきである。専用の第三者によって対処されるほどでもないのであれば、ファンの方々が仲介できないような形、例えば、DMなどで対処を実行するべきだと思う。リンチを回避しながら、誹謗中傷が罰せられるシステムが必要だ。
かと言って、上記はあくまで理想であり、現実的ではない。専用の第三者のチームの運営にはコストがかかる。DMもXのシステムの都合上送信できない場合がある。そもそも、VTuberの方々や事務所の方々がこんな記事の言うことを聞き入れてくれるとは到底思えない。
結局のところ、ごく当たり前な自己防衛に帰着するのだろう。まず誹謗中傷をしない。するとしても、鍵垢でする。何が誹謗中傷になるか最早わからない世の中なので、表垢でVTuberや有名人に対して言及しないよう気を付ければ一番安全であると思う。自分は、このような問題が(特にVTuber業界において)存在することを前から認識していたので、VTuberについて表垢で一切言及しないように気をつけている。
ChatGPT
もしそのような返信があった場合、その人の精神状態にはいくつかの可能性があります。以下はその一例です:
攻撃的な感情: 返信が攻撃的である場合、その人は怒りや敵意を感じている可能性があります。彼らは自己防衛のために攻撃的な態度をとり、自分の立場を守ろうとしているかもしれません。
不安や自信の欠如: 攻撃的な返信には、自己肯定感の低さや不安感が関連している可能性があります。その人は自分の意見や立場に自信が持てず、不安や不快感を感じているかもしれません。
感情の爆発: 返信が感情的である場合、その人は感情の爆発を経験している可能性があります。彼らは感情のコントロールを失い、怒りや不満を爆発させているかもしれません。
認知的な閉塞感: 攻撃的な返信には、認知的な閉塞感が関連している可能性があります。その人は他の意見や視点を受け入れようとせず、自分の信念を保持することに固執しているかもしれません。
ストレスやプレッシャー: 返信が攻撃的である場合、その人はストレスやプレッシャーを感じている可能性があります。彼らは自分の立場を守ろうとして、ストレスやプレッシャーによって影響を受けているかもしれません。
これらの要因が組み合わさり、その人の精神状態を反映している可能性があります。ただし、個々の状況や背景によって異なる場合がありますので、このような返信があった場合は、その人の状況を理解しようとすることが重要です。
元増田です
・コンドームで十分→避妊率はピルやミレーナに比べて低く、安心できる数字ではない。物理的な避妊だけでは事故や失敗の時にリスクが高すぎる。ダブルで避妊するほうが安全。(コンドームの避妊で失敗したらアフターピルになるが、それも医療機関に受診して平均一万円超えの結構な金額で処方してもらわなければならない。参考にオオサカ堂ではノルレボジェネリックが一番安いもので4ドル程度で売られていた)
・低用量ピルを処方してもらえばいい→避妊目的だと自費だが、薬価がなぜかかなり引き上げられていて高価。OTC化もされていないので病院に行かないと入手できない。
あとはかなり避妊が確実なIUDやミレーナも選択肢のひとつとして重要です。
局所麻酔ですらまず麻酔をしているクリニックを探し、こちらから希望しないと基本的には無麻酔となります。(自費での挿入の際、麻酔を希望しても断られたという話もよく聞きます。歯医者等でも普通に使われる局所麻酔での処置を断られるのは何故、麻酔のリスクを了承した上で全て自費なのに)
そしてよくある「そんな男と結婚しなければいい」という個人的な夫婦問題に落とし込もうとする意見ですが、そもそもそんな男と結婚しなくても、健全な夫婦間でも避妊がしにくいって話なんですよ。
(現に私の配偶者は全面的に避妊に協力し配慮をしているので愚痴りたかったわけではありません)
というかどんな人が相手でも、自分が妊娠したくないときに主体的に避妊をしたい、こう思うのは当たり前のことです。
正直、避妊に関しては日本には期待できないと思ってしまっています。
自分の人生設計のために自主的に避妊をする、それすらも意図的に阻まれていると言わざるを得ません。
たとえばお金に困っている女性がレイプされ、アフターピルは高額でお金が足りない、仕方なく個人輸入の安価なアフターピルを服用して健康被害が起きても保険がきかず救済されない。こんなことが普通に起こりえてしまいます。
アフターピルがOTC化されていたらトラブルが起きてもとりあえず医薬品副作用救済制度でカバーはされますからね。
私は腕に挿入する避妊インプラントを選択したいのですが、日本では認可されていないため海外で行うことになります。これでトラブルが起こると健康被害救済制度の対象外になります。しかし自己責任なので現状仕方がありません。
避妊は病気ではないから保険がきかない。これはわかりますが、それなら自費で避妊をさせてくださいよ。薬価を不当に吊り上げず国際基準の常識的な値段でOTC化したり色々な避妊法を認可をしてほしいです。
セックスをやらなきゃいいで終わる問題ではなく、人生は必ずトラブルが起きます。
そのダメージを軽減するため自己防衛したり対処したりをするのですが、高価・手間や時間が非常にかかる・痛みへの配慮がない・日本では行えないなど、自分の体を守ることすら高いハードルに阻まれているような状態です。避妊注射や避妊インプラント等、存在はしていても認可がおりていない避妊法はいくらお金を積んでももちろん選択できません。
なので完全な自己責任で薬を輸入したり、その手段を他国に求めるしかなくなるのです。
どんな避妊法でも完全ではありませんしメリットデメリットがあります。
なので避妊を継続するにはなるべく多い選択肢から自分のライフスタイルにあったものを選ぶのが大切ですが、まず選ぶことすらできないのです。
女性はもちろんできることなら中絶したくないし、望んでいないときに妊娠したくありません。そして私は日本を頭ごなしに批判したいわけでもありません。しかし避妊に関してはすぐにでも改善できる問題が放置されているのは事実です。これからもこの国で生きていきたいですし、住みやすい国にしたいと思っています。
※友人が中絶したのですが、そのときに掻爬法で半分覚醒しててめちゃくちゃ痛かった、手術の後の休憩室で隣の手術室の他の人の中絶の音が聞こえてきて辛かった、という話を聞いてめちゃくちゃ悲しくなって、自分もモヤモヤしていた感情と共に書きました。
どちらも法の規制以上に民意を無視した独自の規則を押し付ける方法ではありませんか。
Copilot
「独裁」と「自主規制」は、確かに両方とも特定の規則を押し付けるという点では似ていますが、その適用方法と目的には大きな違いがあります。
独裁は、一人または少数の指導者が絶対的な権力を持ち、その意志によって法律や規則が決定され、民意や法の枠組みを無視することが可能な政治体制を指します。独裁者はしばしば自己の利益や視点を優先し、異なる意見や反対派を弾圧する傾向があります。
一方、自主規制は、特定の業界や団体が自らの行動規範を設定し、その規範に従うことを約束するシステムを指します。自主規制は、法律が追いつかない新しい技術や問題に対応するため、または公共の利益を守るために行われます。自主規制は、その業界や団体のメンバーが自発的に参加し、通常は民主的なプロセスを通じて規則が決定されます。
したがって、独裁と自主規制は、規則の制定と適用の方法、目的、そしてそれがどの程度民主的であるかという点で、大きく異なります。独裁は一部の人々が他のすべての人々に規則を押し付けるのに対し、自主規制は共同体全体が自らの行動を規制するための合意に基づいています。自主規制は、その参加者が自発的に規則を受け入れ、それに従うことを約束するため、民意を無視するものではありません。それはむしろ、その共同体の価値観や目標を反映したものであるべきです。しかし、自主規制が不適切に行われると、それは確かに独裁的に見えるかもしれません。そのため、自主規制のプロセスは透明で公正であることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。
ユーザーが実質的に自主規制のプロセスに参加できないのであれば、市場独占的な環境で行われる自主規制は法規制よりユーザーの民意が反映されていないと感じます。「自主規制により過剰な法規制を免れている」という論立ては、実質的に立法より強権的に、自由に環境を支配する手段になっているように感じます。
Copilot
あなたの意見は非常に重要で、自主規制の問題点を明確に示しています。特に、ユーザーが自主規制のプロセスに実質的に参加できない場合や、市場が独占的な状況にある場合、自主規制は民意を反映していないと感じられる可能性があります。
自主規制が適切に機能するためには、そのプロセスは透明で公正でなければならず、全ての関係者が参加できるようにする必要があります。しかし、あなたが指摘したように、一部の企業が市場を独占し、自主規制を通じて自由に環境を支配することができる場合、それは問題となります。このような状況では、自主規制は「過剰な法規制を免れる」手段というよりも、市場の支配手段となり得ます。
したがって、自主規制が公正で民主的なものであるためには、そのプロセスには適切なチェックとバランスが必要です。これには、独立した監視機関による監督や、法律による補完が含まれます。また、自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。
あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
Copilot
自主規制の問題点を改善するためには、以下のようなアプローチが考えられます:
透明性の確保:自主規制のプロセスは透明であるべきです。これにより、関係者は自主規制の決定過程を理解し、必要に応じてそれに影響を与えることができます。
公正な参加機会:全ての関係者が自主規制のプロセスに参加できるようにすることが重要です。これにより、自主規制が一部の強力な利害関係者によって支配されることを防ぐことができます。
独立した監視:自主規制のプロセスと結果は、独立した第三者によって監視されるべきです。これにより、自主規制が公正かつ効果的に行われていることを確認することができます。
法的補完:自主規制は、法律の補完として機能するべきです。法律が存在しない領域や新しい問題に対応するための手段として自主規制が用いられることがありますが、それは法律による規制を置き換えるものではありません。
教育と啓発:自主規制の目的とプロセスを理解するための教育と啓発活動が必要です。これにより、関係者は自主規制により適切に参加し、その結果を評価することができます。
これらのアプローチは、自主規制が公正で民主的なものであるための基本的なガイドラインを提供します。しかし、具体的な実施方法は、その業界や団体、そして対象となる問題によって異なる可能性があります。自主規制の成功は、そのプロセスが公正で透明であること、そして全ての関係者が適切に参加できることに大きく依存します。それはまた、自主規制が公共の利益を守るためにどのように設計され、実施されるかにも依存します。
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という極論の評価・問題点の指摘をしてください。
Copilot
「全ての規制は国民による民主的なプロセスである政治による法が行うもので、業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」という見解は、法の優位性と民主主義の原則を強調しています。これは、法が公正で公平な社会を保証し、全ての市民がその作成に参加できるという考え方に基づいています。
柔軟性の欠如:法律はしばしば時間をかけて作成され、新しい技術や状況に迅速に対応することが難しいです。一方、自主規制はより迅速に適応し、新しい問題に対処することができます。
専門知識の不足:立法者は多くの場合、特定の業界や技術についての専門知識を持っていない可能性があります。自主規制は、その業界の専門家が規則を作成し、適用することを可能にします。
過剰な法規制のリスク:全ての規制を法律に依存させると、過剰な法規制のリスクがあります。これは、イノベーションを阻害し、経済的な負担を生じる可能性があります。
したがって、自主規制は、法律の補完として、または新しい問題に対応するための有効な手段となることがあります。
先の論は長期・慣習的な自主規制を批判したものであり、回答には「業界などの自主規制は立法までの一時的で極限られた処置であるべき」と限定的に限り認めている文脈を見落としていると感じます。自主規制による即効性や専門性のメリットは認めますが、慣例化してしまっていることに害はありませんか。
Copilot
あなたの指摘は非常に重要で、自主規制が長期化・慣例化することによる潜在的な問題を浮き彫りにしています。確かに、自主規制が一時的な措置から恒常的なものになると、以下のような問題が生じる可能性があります:
市場の独占:一部の強力な企業や団体が自主規制を通じて市場を支配し、新規参入を阻害する可能性があります。これは競争を妨げ、消費者の選択肢を制限する可能性があります。
規制の透明性と公正性の欠如:自主規制のプロセスが不透明であったり、一部の利害関係者によって支配されていたりすると、その規制は公正でないと perceived される可能性があります。
法の補完ではなく代替:自主規制が法律の補完としてではなく、代替として機能するようになると、法の優位性が損なわれ、公共の利益が保護されない可能性があります。
したがって、自主規制が長期化・慣例化することには確かに潜在的な問題があります。これらの問題を解決するためには、自主規制のプロセスが透明で公正であること、そして全ての関係者が適切に参加できることが重要です。また、自主規制が法律や基本的な人権を侵害することは許されません。自主規制は、法律の補完として機能するべきです。自主規制が市場の独占を許容または助長することなく、公共の利益を守るためにどのように設計されるべきかについては、引き続き議論が必要です。あなたの意見は、自主規制の問題点と改善のための重要な視点を提供しています。ありがとうございます。このような議論は、私たちがより公正で効果的な社会を築くための重要な一歩です。
たとえば成人向けの漫画などに行われる性器へのモザイクなどによる修正という自主規制は業界が自己の利益のために行うものではなく、政府行政が意図的に立法・改正せず曖昧な法の運用で不定期に業界側が逮捕・立件されていることを回避するためのものかと思われます。法規制をわざとせず、防御的に自主規制を行うしかないという悪習について論じてください。
Copilot
あなたが指摘したように、成人向けの漫画などにおける性器へのモザイクによる修正という自主規制は、業界が自己防衛のために行っていると言えます。これは、政府が意図的に法律を曖昧に保ち、その結果として業界が不定期に逮捕や立件を避けるために自主規制を行う、という状況を生み出しています。
法の不確実性:法が曖昧であると、その適用は恣意的になり、法の公正性と予測可能性が損なわれます。これは、制作者や消費者にとって不確実性を生み出し、表現の自由を不必要に制限する可能性があります。
自主規制の過度な負担:業界が自己防衛のために自主規制を行うと、その負担は業界に不公平に負担される可能性があります。これは、特に小規模な制作者や新規参入者にとって、創造性やイノベーションを阻害する可能性があります。
不思議だなあ。
職場のテレビでNHK流してるからちょくちょく「避難所に物資を取りに来てください。物資をくれる人はこの住所にお願いします」ってのを見かけて、まるで冒険者ギルドやネトゲのクエストみてーなこと現実でやってんぜ……DIVISIONの世界じゃん……と驚いてたのに、次の瞬間には忘れてたっぽいな。
対岸の火事なんてこんなもんか。
いやはや人間の薄情さには恐れ入るな。
これは本当に大変なことだよ。
なにせ、いざ自分が被災した時、助けてくれるのは愛着のある人間と行政ぐらいってことだからね。
東京で地震が起きたら大阪の人は助けに来ないし、大阪で地震が起きたら東京の人は助けに来ないわけだよ。
世知辛い。
私は元々積極的に結婚したいと思ったことはなかったが、共同親権が導入されたら間違いなく結婚を人生設計から除外すると思う。もし結婚したいと思うような異性が現れたとしても法律婚は絶対にしない。(当然現代の日本は法律婚を前提に制度設計されていて、結婚はするが、法律婚をしないことのデメリットは把握してている。だから基本的には人生設計からすべての形の結婚を排除するという姿勢である。)
理由は2つある。
まず、共同親権が導入された場合、実質的にモラハラやDVをする相手を結婚前に完全に見抜かなければならないことに対して責任を持てないということである。
経験上、モラハラやDVを行うタイプは必ず「結婚後」「出産後」「家計の統一後」といった「逃げることの難易度が上がったタイミング」でモラハラやDVを開始することが多い。それまでは本性をひた隠しにして、ある時点から突然態度を変える傾向にあるのだ。これは私が私の両親や親戚の実体験や報道された実体験をもとに経験則として実感している傾向である。当然「本性を見抜けない目利きスキルの低さ」を問題として指摘する人もいるだろう。そしてその様な部分は実際にあることで、当事者かつ被害者の立場からばかりから話を聞いているバイアスがあるだろう。実際私の親戚は周囲から止められた結婚でモラハラにあったと言っていた。しかし、必ずしもそういう事例だけではないことも実体験として見てきた。例えば、母は経済的に自立した強い女性で、結婚前の人生でほぼ常に「正解択」を選び続けた様な人だ。そして、そんな人でもモラハラをする可能性のあった相手を見抜けないことがあるという事実は私の「目利きスキル」も本当に十分であるのかという疑問を浮かび上がらせる。(もちろん私が母に高すぎる信頼を置いていることもあるかもしれないが、母方の祖父母や兄弟も相手の性質を見抜けなかったと声を揃えて言っている。)つまり、どこまで「目利きスキル」が高ければ問題がないのかわからないということである。少なくとも、私はこれまでそれなりに恋愛で失敗しながら「目利きスキル」を上げてきたつもりであって客観的に見ても並以上ではあると思うが、それでも十分だと確信できたことはない。これを根拠に結婚後の私や産まれるかもしれない子供に対して責任を持つことはできない。
次に、法律的に結婚した場合に子供に対して責任を持てないということだ。これは特に私が女性である特有の事情が関係している。
結婚していても原則的には夫婦間で合意がないと子供はできない。はずである。しかし、それはあくまで原則であって、婚姻後の家庭内の強制性交など私の合意なしに子供ができてしまう場合というのは想像に難くない。私の理解では、婚姻中の中絶には夫の同意が不可欠であってそれは家庭内でのレイプの場合でも同様である(間違っていたら指摘してください)。もしかするとショックを受けて事後対応にもたついてしまって、中絶可能な期間が終わってしまうかもしれない。私は私に対してその可能性を否定できない。
また、私は家庭内というその場で助けてくれる他人がいない私的空間においてレイプを高い可能性で回避できる手段がない。特に体格が男性並みに恵まれているわけでも、武道の達人でもない。スタンガンの効果的な使い方も催涙ガスの見つからない隠し方も知らない。決して自分を棚に上げるわけではないが、最終手段として自己防衛に使えるこうした機会や知識は普通に女性として生まれて20年間生きていて巡り合うことが珍しい。それは30歳の女性でも40歳の女性でも変わらないのではないだろうか。
これだけ確実性がもてない状況でレイプを防げず、中絶もできず、生まれてしまった子供に対して私は責任を持てない。
配偶者に対してモラハラやDVを行う人物は必ず子供にもその一面を見せる。まず家庭内で配偶者に対して暴言を吐いたり、暴力を振るったりしているところを同じ家庭内にいる子供に隠し通すことは難しい。実際私も夜中に起きてしまったとき母が暴言を吐き続けられている様子や叩かれている様子を目にしたことがある。子どもが家族間での暴力を目の前で見た場合の悪影響は否めないだろう。
また時に、子どもの暴言や暴力が及ぶ場合もある。その時に私が必ず身を挺して子供を守りきれるか、否と言わざるをえない。これは親として産んだ子供に対して当然の責務であると私は思うが、それについて必ず責任を持つことはできない。
この様な状況でも共同親権導入がなければ、モラハラやDVを行う配偶者から逃れ、子どもの安全まである程度の確実性を持って確保することができた。その蓋然性が高かった。しかし、導入後、私自身が配偶者の暴力から身を守ることができても、子供は難しいだろう。また、子供の進路などの面における合意形成も難易度が高いと推測され、その様な社会的に必要な資源を子供に与えられるかも疑義を持たざるをえない。子供に後に社会的な虐待と言われてもおかしくない状況になることを否定できない。
最後に、この理由については私が合意をしていない妊娠・出産であるから子供に対してそれほどの責任を持つ必要はないのではないかと思われる方がいるかもしれない。たしかに、合意をしていないのだからその様な立場があっても良いとは思う。しかし、私は私自身がその状況になったとき、子供を見捨てることができない可能性が高いと思っている。
これら2つ理由から、私は共同親権が導入されたら結婚をしない。
全編を通して、共同親権が導入された場合私の結婚に対して私が結婚しない理由を述べた。男女問わず、「もし結婚相手がヤバイ人格だったら」と自分自身に置き換えて具体的に考えるきっかけになればうれしい。ここまで読んでくれたことに感謝する。
妊婦さんが税務署の確定申告会場で長時間並ばされ体調を崩したというツイートを見た。
今後、確定申告会場の在り方が改善されることはないどころか、環境が悪くなる一方であることは間違いない。当局は納税者にe-Taxを利用してほしいので、その気になるよう仕向けたいのだ。「申告会場へ行けば親切に教えてくれる、来年も行こう」と思わせてはいけない、「申告会場は地獄、二度と行くものか。e-Taxで自分でやろう」と言われれば成功である。
当局がなぜe-Taxを使わせたいのかは知らないが、昨今の労働人口減少問題を踏まえれば人件費削減は大きな理由だろうし、多額の費用をかけて構築したシステムの利用率を上げることで政策の成功をアピールしたいとか、そんな思惑もあるだろう。
確定申告会場を充実させないことでクレームが出るのは承知の上、末端の税務職員が罵声を浴びるだけ。人員を豊富に配置するなどもってのほか、少数の職員を限界まで働かせればよい。かくして捨て駒となった現場の職員に人の心など期待できようか。
医療費控除やふるさと納税(寄附金控除)、年末調整に間に合わなかった生命保険料控除などの申告はスマホからのe-Taxでも比較的簡単にできるので、ぜひ試してみてほしい。
事業を始めた、住宅を新築した、不動産を売却した、台風の被害を受けたなど、例年と異なる内容の確定申告が必要になったときは、その年だけでも税理士に頼むことを検討してもよいと思う。「申告が間違っていたら税務署に叱られるかも」といった不安もプロに任せることで解消される。(自分で根気よく調べて申告書を完成させられる人もいる。かけられる時間と予算と書類作成の得手不得手しだい)
「自分は詳しいから、代わりにやってあげるよ」という親切だが無資格の知人に頼むと税理士法違反になるので注意。
当局の狙いどおりになるのは癪だが、確定申告会場に未来はないので、自己防衛のためにも会場へ行かずに済む手段をうまく見つけてほしい。例のツイートの妊婦さんが早く回復され、無事にご出産されることを願います。
図星を言われて反論する人の特徴とは、どのようなものでしょうか。一般的に、図星を言われるということは、自分の弱点や欠点を指摘されたり、自分の考えや行動に矛盾や問題があることを暴露されたりすることです。そのような状況において、反論する人は、自分の正当性や優位性を主張したり、相手の非難や批判を否定したり、自分の責任や過ちを逃れたりしようとする人です。反論する人の特徴は、以下のようなものが挙げられます。
行き過ぎたクレイマーがいたとして、刑事なり民事なりで解決していかなくてはならないはず
司法に頼らずに自己解決しようとした結果が、組織による自己防衛、過剰防衛とも取れる
法は俺たちを守ってくれないのか?
ここ十数年は客側のクレームの回数、内容とも激化している上に、妥協案を提案しても拒否して全ての自分の要求を受け入れるってのが増えた。
そこまでやっても、ネットでは悪評を書かれる、消費者団体や警察に垂れ込まれるので、客と言うのはもはや対話不可能な暴徒となってる。
だから対話の窓口を閉じざるを得なくなったのに、そうしたら今度は建物ごと燃やし始める放火魔が現れたのが今の現状。
現在の企業と客の対立の全責任は、暴走する客とそれに対して全面譲歩を企業に求めてきた外野が悪い。
端的に言えば、日本人の性質が悪過ぎて、企業から客扱いされてないの。それは日本人のせいなのに、話を聞かないなら炎上させるってのはますます企業が自己防衛をせざるを得ない状況に追い込んでるだけなんだよ。本当、クソジャップは頭おかしい。