はてなキーワード: ラストシーンとは
【ボツ原稿供養〜昔話と中華ポータブルオーディオ(前編)〜の続き】
この派手を通り越した大げさなチューニングにこれはもしや?と思って映像作品へ手を出した。視聴するのはTVアニメ「機動戦士ガンダム 水星の魔女」の前日譚「PROLOGUE」。
これはもう優勝だ。キャラクターのセリフはよく通り、流れるBGMもシーンを盛り上げ、戦闘は大迫力!耳と心に響くラストシーンまで一気に観てしまい「もうヤメロよ・・・こんなの卑怯だろ・・・」と制作陣へ恨みつらみを吐き捨てた。
続いての視聴はTVアニメ「リコリス・リコイル」から「第2話 The more the merrier」。
銃撃戦が繰り広げられる第2話では発砲音や金属音などのキレの良い効果音はBA型が担当し、深く沈む重低音はDD型が担当することで見事に演出を支え、時おり見られるキャラクター同士のコミカルな掛け合いも耳のそばでしっかりと聴かせてくれた。
筆者は普段パソコンで動画視聴する際はDTMにも使っているYAMAHAのアクティブモニタースピーカー「MSP3A」を使って観ているのだが、もうZASはアニメ用イヤホンにしても良いのではないかと本気で検討をはじめている。
欠点はと言えば、その大げさな鳴りだろう。
原音忠実信者が聴けばあまりの脚色に気持ちの悪さを覚えるかも知れない。しかしやはり得手不得手の問題であって「俺は大人しい音楽なんて聴かねぇんだぜ!」と言う人にZASは最高のコスパを発揮するイヤホンになるかも知れない。
筆者は前述しているようにDTM小僧であったため、いわゆるリスニングよりもモニター的なサウンドを好む傾向にある。もしかしたらMDR-CD900STを長年使い続けているせいかも知れないが。
現在所有しているモニターヘッドフォンは前述したSONY「MDR-CD900ST」、Shure「SRH840A」、YAMAHA「HPH-MT8」、AKG「K701(初代 / いわゆる澪フォン)」、SENNHEISER「HD25(初代)」、beyerdynamic「DT990 Pro(250Ω)」というモニターヘッドフォンマニアかのような様相になっているが、筆者も気が付いたらこうなっていたので仕方がない。
筆者はふと思う中華イヤホンのモニターサウンドを聴いてみたい。
何ならたぶん一番のお気に入りになる可能性だってあると。
そこで色々ググって見つけ出したのがCVJの「Mirror」だ。
CVJはTRNとの関係性が取り沙汰される事実上のサブブランドではないか?と言われている、ちょうどKZに対するCCAのような存在だ。
届いて箱出しで早速聴いてみると、これまでの中華イヤホンとは明らかに違ったサウンドだ。そもそも派手なドンシャリじゃない。
ドライバー構成はBA型が片側2基でLR両側計4基、DD型が片側1基でLR両側計2基、全体計8基の多連装ハイブリッド構成だ。
これが7,000円前後で買えるわけだが今までの中華イヤホンのスペックからはあまり驚きのない。感覚が麻痺しているが20年前からするとあり得ない価格を実現している中華ポータブルオーディオの世界はすごい。
嘘を言っても仕方がないのでハッキリと言おう。Mirrorはステージモニターイヤホンだ。
筆者が想定していたスタジオモニターイヤホンではなくミュージシャンなどが大音響のステージ上でパフォーマンスをする際にバックバンドや自身の声を確認するために利用するステージモニターイヤホン。DTMなどで音の確認へ利用するスタジオモニターイヤホンではなくだ。
競合するのはまさに代表格Shure「SE215」「SE215 SPE-A」、そしてSONY「MDR-EX800ST」、audio-technica「ATH-E70」あたり。
鳴りの傾向は名は体をあらわすか如くの鏡面的なフラットだが、DD型を採用しいるためかスタジオモニター基準で考えると少々低音域が前へ出ている。
実際に比較した聴感上はステージモニターとしても低音域が少々強調されリスニングにも合うとして人気を博すSE215 SPE-Aよりも低音域が深い。
ただもしかしたら機械計測などをするとSE215 SPE-Aとほぼ同等の可能性も捨てきれず、これは高音域から中音域をBA型が担当しているため聴感のコントラストから低音域が強調されて聴こえているのかも知れない。
そもそもステージモニターイヤホンはスタジオモニターイヤホンなどよりも低音域が強調されがちで、これは音楽を演奏する際にリズム隊の音をよく聴くためのチューニングとなっており低音域が強調されていることは別にデメリットではない。
必要とされてそうなっており、SE215から派生した更に低音域強調版のSE215 SPE-Aも特にHIPHOPシーンなどで低音域が足りないと要望があり生まれたものだ。
そう考えるとSE215 SPE-Aよりも輪をかけて低音域がほんの少し前へ出ている気がするMirrorは、中華イヤホンの派手な鳴りの傾向から考えて派手な鳴りが好まれる中華市場を想定したチューニングなのかも知れない。
ただ我々日本人日本市場のDTMerからするとステージモニターであっても余計なチューニングと言わざるを得ず、ハイレスポンスでタイト、音の分解能、粒立ちの良い優れた高音域〜中音域があるのに勿体無いなと思ってしまう。
せっかく買ったので色々と活用方法を模索したのだがコレだわ!むしろ唯一無二じゃないか!?と評価できる活用方法を発見したのでお伝えしたい。
CVJ Mirrorはモニターイヤホンとして活用するのではなく、マスタリングイヤホンとして活用すべきなんだ。
何を言っているのか?と言えば音楽制作には大まかにレコーディング・ミキシング・マスタリングという段階がある(細分化するともっとある)。
いわゆるスタジオモニターが活用されるのは主にレコーディングやミキシングの段階であり、音声メディアとして納品する前段階のマスタリングでは消費者の視聴環境を考えて一般消費者向けのスピーカーヘッドホン・イヤホンで音を確認する場合があるのだ。
実際にプロミュージシャンの中にはApple「AirPods」や「iPhone(のスピーカー)」をマスタリング用と言う人も居て、プロミュージシャンだからと言って弩級の機材を最終段階まで使って納品しているわけではないのだ(もちろん最終段階まで目が飛び出るような価格の機材を使って納品する人も居る。その辺はこだわりの方向性の違い)。
このMirrorはステージモニターとしても少々低音域が強調され気味だが、とは言っても間違いなくドンシャリではないフラット傾向な鳴り。
モニター系でなければリスニング系でもない何だかちょうど中間の鳴りをしているMirrorの用途を考えるならばバラバラな視聴環境である消費者の平均値を取るためのマスタリングイヤホンとして絶妙な立ち位置にあったのだ。
消費者にはSONY「WF-1000XM4」ユーザーが居れば、Beats「Beats Fit Pro」ユーザーも居るだろう。有線イヤホンや中華イヤホンユーザーだって居るはずだ。
そこで役立つのがMirror。フラットな鳴りと高い分解能を持ち、消費者が好む低音域もしっかりと演出する。
例えば音楽制作が趣味でなくともYoutubeなどの動画投稿でも視聴者の環境の平均値を取って聞きやすくするという用途にも向く。
耳に刺さりがちなサ行発音などMirrorで刺されば他の視聴者の環境でも刺さる可能性が高いと予測できるわけだ。
ではMirrorに欠点はないのか?と言えばある。
ここまで推しておいて難だが最大の欠点は「日本で売ってない」んだな。
正確に言えば日本で正規流通しておらず直ぐ入手しようと思えば筆者のような好事家から中古で購入するか、時間がかかっても良いならばAliExpressを利用することでしか日本で入手するのは不可能。
消費者からウケの悪いフラットな音質傾向のイヤホンを全世界で展開しにくかったというのは理解できる話であり、確実に良い製品でありながら日本国内ではある種プレミアムな存在になっているMirrorはおそらく今後もまともに評価されることがない。
騙されても良いからマスタリング用として欲しい人は是非ともチャレンジして欲しい。
これはイヤホンではなく、イヤホンやヘッドホンを駆動するためのアンプ、いわゆるヘッドホンアンプと呼ばれるもので、KA3はD/Aコンバーター内臓のUSB DACヘッドホンアンプだ。価格は1万円ちょっと。
昨今のスマートフォンはイヤホンジャックが廃されていることが増えてきており、有線イヤホンなどを活用しようと思うとUSB-CコネクタやLightningコネクタを経由して有線イヤホンを接続する必要がある。
KA3はそんな現状の需要へ応える製品であり、筐体サイズも成人男性の親指ほどの大きさという小型でかつ十分な性能を持った製品だ。筆箱や化粧ポーチにも収まるサイズ感は特筆に値する。
この手のUSB DACヘッドホンアンプは本体とケーブルと一体型のものが多い中、KA3本体にUSB-Cコネクタを持っており、利用中のスマートフォンがiPhoneだろうがAndroid OS端末だろうが変換ケーブルなどを介さず気にせず利用することができるのは嬉しいポイント(付属品にLightningケーブルが含まれておらずUSB-Cケーブルのみ含まれているので注意)。
実際のところスマートフォンだけではなくUSB-Cを備えるデバイスならばラップトップ端末だろうがタブレット端末だろうが利用できるのも良いポイントだろう。
特にギターを趣味としている者ならば知っていることだがアンプというものは音量を上げれば歪む。
それもまた味と言えば味だし、真空管アンプなんてのは歪みこそが旨味なのだと言うような製品。人間は何ともテキトーだ。
ただ何でもかんでも歪ませるのはどうなのか?原音忠実こそ至高!と言う意見も当然のようにあり、そういう観点から見ると大半のスマートフォンへ搭載されるオペアンプは音量変化による歪みの変化幅は相当に大きい。
と言うかアンプにもレスポンスというものがあり、命令された音の強弱大小の変化にスマートフォンのオペアンプが追従しないというのは普通にあることだ。
筆者はイヤホンジャックを持つ格安中華スマートフォンを所有しているが、この中華スマートフォンのオペアンプはまぁヒドイ。音量の変化幅が大きい高速なEDMなんか鳴らすとオペアンプがまったく追従しておらず音量を上げれば歪みまくって割れ、ド素人でも子供でも判別でき、オペアンプが暴れていると言って良いレベル。ドン・キホーテで鳴っている呼び込み君のほうが良いオペアンプを積んでることを確信するほどだ。
まぁ音質なんて最初から期待してなかったのでピコーンと通知音さえ聞こえれば別に良いっちゃ良いんだけれども。
比較すること自体がおこがましいがKA3は例えそれがハイエンドスマートフォンと比較しても非常に品質の良いと断言できるオペアンプを積んでいる。
試しに筆者が所有するUSBオーディオインターフェースミキサーYAMAHAの「MG10」と比較してみよう。YAMAHAのMGシリーズミキサーは綺麗に鳴らしすぎてつまらないと言われるほど歪みの少ない発音が特徴で、味付けのない音源ソース本来へ非常に近い音が出る。
MG10へCVJ Mirrorを接続し、前述でも登場している様々な音源ソースを再生・試聴した後にKA3でも同様に再生・試聴する。
この小さな筐体から驚くほど低ノイズでクリアな音が鳴る。普通にスマートフォンでの音楽制作に使えるレベルで音色の変化がない。ヘッドホンアンプのレビューでは暖かみが出ただの高音域の煌めきが増しただの艶やかだのと言うレビューが散見するがKA3に関してはそういうのが筆者の耳には一切ない。艶ってなんなんだ。
ただただCVJ Mirrorとはこういうイヤホンなんだと忠実に鳴らす、それがKA3というヘッドホンアンプだ。
レスポンスはどうなのかと音楽制作用スマートフォン向けDAWのRoland「Zenbeats」で試してみる。ZenbeatsにはRolandの銘機「TR-808」由来のステップシーケンサーが内蔵されており聴感上のレスポンスチェックに便利だ。
BPM200というハードコアなドラムラインを作成し、ピッチをリアルタイムでわざとグチャグチャにイジり倒してみる。更には人間には不可能である超高速な乱高下を実現するためLFOをピッチへアサイン。
音楽的にはどうであれ無茶な変調にも機敏にKA3は応えてくれた。
もうスマートフォンで使うお手軽ヘッドホンアンプはFiiO KA3で十二分すぎると太鼓判を捺そう。
もちろん上を見ればキリはない。ハイエンドなヘッドホンアンプやMG10と比較すると出力が違いすぎるし便利機能も少ない。
iOSユーザーへ残念な話をするならばユーティリティアプリがAndroid OS向けにしか提供されておらず細かな設定が出来ない(ユーティリティアプリは別に必須ではない。挿せば鳴るのがKA3の良いところ)。
しかし結局のところイヤホンジャックが無くなったスマートフォンでほんの少しまともなオペアンプ使いたいよねという需要に応えるための製品なので上を目指したい人はそういうの使えば良いだけなのだ。
「でも有線イヤホンは結局ケーブルがわずらわしいよね」という意見もあろう。ごもっともだ。
じゃあ無線化したら良いじゃない。
実はここまで紹介した中華イヤホンはすべてケーブル交換、いわゆる「リケーブル」可能なイヤホンなのだ。
ただケーブルのコネクタにも規格がありCVJ Mirrorは「CIEM 2pin」で、それ以外は「QDC」という規格だ
KZの「AZ09」は主にQDCへ対応したイヤホンを無線化できるレシーバーで価格は約3,000円だ。桁を読み違えないでほしい3万円ではなく3千円。激安すぎるだろう?
例えば低音マニア向け・アニメ試聴にもと紹介した同社のZASと一緒に買っても1万5千円あればお釣りが来る。
AZ09の秀逸な点はイヤホンをAZ09に接続したまま、AZ09の充電ケースへ収納できる点だ。比較的大きめなハウジング筐体を持つイヤホンでも収納できるのでコレは便利だと言わざる得ない。
そして「安かろう悪かろうなんじゃないか?」と言いたくなるのもわかるが、・・・まぁ正直言って流石にアタリハズレがある。
小ハズレだと音楽を流せば気にならない程度のノイズが常に小さく乗る。大ハズレだとBluetooth接続がかなり不安定(混雑空間だと少々安定感が悪いのは仕様)。
ただ3,000円なので大ハズレを引けば買い直せば良いし、無線イヤホンの宿命として長期間使用すると必ずバッテリーがダメになり結局いつかは買い直すはめになるので個人的にはそこまで問題視してない。どうせ3,000円だし。
ちなみに「AZ09 Pro」というのもある。価格は約5,000円。
違いはと言えば対応コーデックにaptXが加わっているのが主な違いで、無印AZ09はSBCとAACのみではあるがiOSではaprXは使えないので多くの人は価格も安い無印AZ09で良いと思う。まぁ筆者はAZ09 Pro使ってるんだけど。
ここまで昔話と中華ポータブルオーディオを長々書き連ねたのだが、あまりにも長過ぎるということで自分の中ではボツなのだ。
でもせっかく書いたし供養しようと思って増田へ投稿してしまった。
中華イヤホン有識者センパイは色々と言いたくなるだろうことは予測できるので言いたいように言ってくれて構わないッス。
「BA型じゃなくて今は平面駆動型が」とか「磁力補助駆動静電型も良いよ」とか「僕は、水月雨ちゃん!」とか色々と語って欲しい。
気になったオススメをマジで買うので。自分がオススメしたものを買って貰えるのってやっぱり嬉しいよねっていう。
細野守監督作品はなんだかんだでテレビで観たり映画館で観たりサブスクで観たりで全部観てるんですけど過去一感想が「何!?」だった。
もちろん悪い意味で。
先にいいところだけ
①絵(マジで背景綺麗)
②OP(曲いいしMVとして良 ワクワク感ある。のちにミリも残さず消えるけど)
以上、終わり。オタクの中では③だけで全てを許した人もいるので③にピン!と来た人はそれだけで見る価値あるかも知れません。
なんていうかこう、過去一「納得のいく状況説明が下手すぎ!?」っていうのが一番の感想。全て理解できず消化不良で終わるので何も味わえないこれぞ無味乾燥。あとは「何!?誰!?」と「これで終わり!?ふざけるな!」で完!解散!
常にツッコミどころしかない上に「これからどうなるんだろう」という期待感とか「なるほどね〜!」という気持ちいい納得とかポジティブな感想が皆無なので「なんだろう。なんなんだろうこれは。え!?なんなんだ!?」ってなる。
映画館で観てなくて良かった本当に「ワカラナイ……ナニモ……オレニチカヅクナァ!カネヲカエセ!!」ってエンドロールで暴れる竜になってた。
以下ツッコミどころさん
・母の死のシーン
→どうして!?!?!?第一意味不明展開が早すぎる!!!周りに誰もいない状況でなかったにも関わらず泣いて止める我が子をふり切って見知らぬ子供のために濁流の川に軽装備(救命ベストオンリー)で命をシューーーーゥ!!超エキサイティング!!ガチでお亡くなり!!バカ野郎!!!!そら叩かれる!他の人と助け合え!サマーウォーズでそれがテーマだったじゃん!?せめて命綱つけていくとかさ……
その後濁流に突っ込んでく母の映像の回想何回か?(一回だけでしたっけ?)挟まるけどマジでドキュメンタリー番組のお馬鹿さんVTR繰り返しみたいなのにしか見えない。マジでお馬鹿さん。
周りに助けてくれそうな人が本当にいない。もしくは女の子が藁をも掴む!な状況で「後10秒で溺れ死ぬんじゃいます!助けて!なう!」の状況ならわかるんだけどそうでもないから本当に……何故……?
せめてお母さんがこっち岸に女の子を預けて助け出したところで足を取られて流されるみたいな描写あれば良かったんですけどそういうのも全くなく……女の子普通に救助隊の人に複数人で助けられるので……マジで無駄死に感がすごい……。南無……。
→学校一可愛い女子を「可愛い」というのをアピールするのに不自然な寒い会話でその女子を褒め称えるモブ怖い絶対そんなこと思ってないだろうな感がすごい(「〇〇ちゃんがいると周りも明るくなるってかんじ!」「わかる〜!!」みたいな会話をする。JK=中身のない会話するバカの製作陣のイメージが透けて見えてなんか嫌)
ちなみにここで唯一の後々伏線回収されるシーンがある(学校一美女ががカヌー男の存在に気付いてちょっと焦った表情をする)
→超絶天才的衣装センスと頭脳を持つ主人公に理解のある毒舌女子高生(馴れ初めとかどうして仲良いかは不明)こんなんいるわけないよ。
とはいえ口は悪いけど理解があっていい子だ……と思ってたのに最後の最後で「お前 船降りろ」な感想をこちらに抱かせる発言をする。
これまで主人公のやることをサポートする良き友人だったのに本当に最後の最後になって主人公の行動(竜に信用してもらって彼を救うためにバーチャル世界でアバター姿ではなく素顔を晒して歌う)を全力で否定し始めるので今までの彼女を見ていたこちらは「ええ!?」ってなる。「そこは背中を押すところじゃない???」と。
恐らく彼女がこんな急なキャラ変換された理由は『「真に主人公を理解し応援している主人公と(恐らく)相思相愛の幼馴染」の対比の見せ場の演出のために急に嫌なやつにされた。』だと思う。本当に可哀想。
→弱い。カラオケ店のシーンで急にクラスメイトの語気が強くなって大量のマイクを差し出されて発狂するみたいなシーン……これがそういう演出(主人公の現実を盛った思い込みの妄想)なのか現実ママに起こってるのか非常にわかりづらくて困惑する。結果的に「マイク多すぎ」の感想しかなくなる。現実ママだったらマイク多すぎ。
その後で無駄にリアルな嘔吐描写と合唱マダム達のシーンで歌うのを拒否するシーンはあれどその他にどうしてそこまで主人公は歌うのがトラウマになってるのか……みたいな深刻な状況説明がないので最後の方でも「あっ…えっ…そこまで歌うのトラウマだったんだね!おじさん知らなかったナ!😅」ってなる「竜かすつまらん」の感想の人の中でも最後のシーンだけは良かったみたいな人ちょこちょこ見かけたんですが(ツイッター調べ)個人的にクジラの潮吹きで何故か爆笑しちゃった。なんか滑稽で。エレクトリカルパレードみてえだなしか思わなかった。
→きたない 帰ってきたら顔洗え。せめて吹け。
→①学校一のイケメンと主人公は実は幼馴染かつそれなりに気にかけてもらっている。
②急に始めたSNSで才能が開花してバズって一気に人気者にのし上がる。地味ではあるが歌がめちゃくちゃ上手い。
③ 学校でイケメンと深い仲なのでは!?と疑われ妬まれ爪弾きされかけるも華麗に回避する。
きついよ〜!!
・なんなんだお前な人たち
①急に出てくる妙齢女性5人組合唱団とそれに所属してるらしい主人公のシーンが急に始まる。ほかに同年代らしき子がおらずマジでなんでか急に説明もなしに5人が出てくるので主人公との関係性が分からず困惑する。
最後の最後まで見て「亡くなった母の友達で亡くなった母の代わりの母代わりとして主人公を見守ってきた人たち」だったのねとわかるけどそれならそれで最後のシーンにますます納得がいかなくなる。未成年ひとりで田舎から東京行かせてだいじょばねんだわ……馬鹿がよ……。
②元歌姫。マジで誰。とりあえず主人公と同じ「普通の女の子」らしいのは本人が言うんですけどマジで中身がどこのどなたか存じ上げないまま終わる。そんなキャラだし途中自分より後出しの歌姫の主人公を「あんな子すぐ消えるわよ」的発言で小馬鹿にしてた上に一位の座をあっさり取られて「キーーー!やめてー!」ってやるにも関わらず最後の最後で急に主人公を熱く応援する。キャラが読めなすぎ。いる?このキャラ……
③主人公の彼氏(になるだろうマン)。マジでお前はなんなんだ……。ミスリード要員なんだと思うんですけど最後の最後で急にいいとことっていく感じのトンビ野郎。お母さん亡くなって落ち込んでる時こそ絡みに行けば良かったんじゃないのぉ〜〜!?ねぇ〜!?
④父。顔しかいいところがない。未成年の娘1人東京に行かすな止めろ!それかついていけ!馬鹿がよ。
・くどいラブコメシーン
→間が!!長え!!
尺を取りすぎなんじゃ!!それがなければ数少ない良いところにあげてたんじゃ!
→多分ここ一番同じ感想の人多いポイントだと思う。竜の中の人のおおよその住まいを特定して(東京の高級住宅街ぽいところ)主人公が単身夜に場所を完全には特定していないのにも関わらず向かうところで誰一人として止めないのおかしくない!!!?!?!?誰かついてけ!!?!?!?父は何冷静にメール返してんだ!?妻亡くした後一人大事に育てた娘だろ!?!?理解ある父……みたいな感じにしてんじゃねーぞ!?
わかるよ!竜の中の人と一対一(ではなかったが)のシーンをやりたいのはわかるけどそれなら東京みんなで行った後で「よし!手分けして探そう!」で良かったじゃん!?これはフォロワーのパクリですけど!
母の死に対して「無謀なお馬鹿さん」の印象しか持ってないので、母の勇姿を娘にもなぞらせてやらせる意図(見ず知らずのこどものために危険なところに飛び込んでいく)なのはわかったけど「蛙の子は蛙。無謀なお馬鹿さん」としか思えませんでしたわ……。
→「元ネタがわかるようにしてるならパクリじゃない!」ってツイッターで言ってる人いたけどこれはパクリ。わかる上でのパクリ。玄関ホールのデザインとか装飾とかダンスシーンとかまんますぎ。脈絡なく当たり前のように説明なしで竜を守ってる?AI家来とかさ……なんなん……。ディズニーの中で美女と野獣が一番好きな人いたら怒るレベル。私なんですけど。
→いや…前々から集まって活動してましたみたいな雰囲気出してるけど初集まりだよなあんたら……。
・竜の中の人
本当になんならしのぶくんだった方がまだマシなレベル。
虐待受けてるらしい割にはパソコンとか自由に使えてるっぽいしガリガリに痩せ細ってるとかでなく弟?とあわせて美ショタだしきったねえ荒れ放題な部屋にいるとかでなく綺麗な部屋をあてがわれてる感じなので正直そこまで可哀想……感がない……。背中のあざがアバター通りならエグいんだけど消えてたりする演出あったの見ると心因てきなものなのかな〜と思ったり……。わからない何も。
→なんでやねん。
・竜の中の子の「大好き」
・竜の中の子と弟?のその後
とりあえず主人公とはこれきりの可能性高いのは確か(合唱団シーンでマダムが高校生の時に中学2年生の子と結局何もなく終わったみたいな話するから多分これ主人公と竜も同じだよって事なんでしょ多分……)
まあ幸せに生きるといいね……お父さんと和解とかできたんか?家に無事帰ったでいいんだよな……?
エンドロールの後なんかあるかと思ったらなんもねえしよ……。
英語の小説を挫折せずに読む方法というエントリをこの前書いた増田だよ。その後『月と六ペンス』を英語で読み続けて、とうとう今日読み終わったよ。めちゃくちゃ面白かったよ。
サマセット・モームの小説はテンポがよくて、英語も簡潔で読みやすいよ。エンタメ要素が多くて普通に楽しいよ。人物描写がとにかく上手いよ。
ロンドンで株式ブローカーとして40歳までわりと平凡に暮らしていたストリックランドという奴が、絵を描きたいとか言ってパリに失踪して、その後タヒチに渡って絵を描き続けて、死後になって美術の世界に革命をもたらした偉人扱いされる話だよ。このストリックランドという画家はポール・ゴーガンがモデルになっているらしいよ。
バルガス=リョサもゴーガンを題材にした『楽園への道』という長編小説を書いていて、そっちの方を先に読んでいたから、『月と六ペンス』を読んだらなにかしら既視感があったよ。こっちの方が時代的にはもちろん先の作品だね。バルガス=リョサはモームの作品についてどう思っていたんだろうね。
それはともかく、『月と六ペンス』の前半はストリックランドという男がどれほど周りの意見を気にしない自己中心的な男で、どれほど他人を残酷に扱ってきたか、嫌というほど読ませられて、強烈な印象を受けるよ。それで小説の後半はストリックランドの死後に周りの人間の傍証をたどる形で、色々な人の声が挟まれていく文体になっているよ。いわゆるポリフォニー小説だね。
ストリックランドは最後はタヒチでハンセン病になって、まったく治療を受けず壮絶な最期を遂げるんだけど、この描写がかなり強烈だったよ。ストリックランドが追求し続けた世界を作者は垣間見させようとして、けっきょくよくわからないので、読んでいてもどかしい感じがするよ。
小説の始めの方で、ストリックランドの(最初の)妻は、ストリックランドが他に女を作ってパリに駆け落ちしたと思っていたんだけど、じつはそうではなく、恋愛絡みではない理由で自分が捨てられたと知ると、この女はストリックランドを激しく憎むよ。
小説のラストシーンは、それから20年ぐらい経って、語り手がロンドンでこの妻に、ストリックランドの最期を告げるシーンだよ。この時になったら妻の態度はガラリと変わっていて、すっかり有名人になったストリックランドと自分との関係性を周りに触れまわりたそうにして、馴れ馴れしくストリックランドのことをチャーリーとか呼んで、家にきたストリックランドの研究者からノリノリでインタビューを受けているよ。この妻の俗物ぶりがとにかく胸糞悪いよ。この胸糞悪さは、それだけモームによる小説の構成がうまく行っている証だと思うけど、それにしても胸糞悪いよ。
最後の最後にストリックランドの家族が聖書を引用して何か言って、語り手がそれをうけて自分の思いを語って終わるんだけど、これはぜんぜん意味がわからなかったよ。
たぶんこの小説はまたいつか読むと思うよ。
はじめてiPhoneのBooksアプリだけで英語の長編小説を読んだら、まずまず快適だったよ。英語のわからないところはその場で辞書を引けるから楽だったし、新しい語彙をけっこう覚えたよ。
→安倍晋三が登壇し始める。
→佇む山上徹也。
→山上徹也行動開始。
まぁ、これが定番かな。
応援団エピソードと同志社大学合格のエピソードも入れて欲しい。
兄の死、妹の結婚。弁護士の叔父に協力によって5000万円が返還され、一筋の希望が見えるも、母はその金をまた寄付して地獄へ逆戻り。この辺が効果的に生きるように、家族愛的な伏線は事前に必要かもな。
その後、十数年が経ち、ホームセンターで購入したもので火薬を精製。暗殺のためのトレーニング。最上階のワンルームマンションで銃を密造。
奈良の山奥で試射しながら、精度を高める。
ここら辺までに三浦瑠麗氏は登場させて欲しい。
で、統一教会施設への銃撃、岡山での襲撃断念を経て、7月8日事件当日の模様。
福島みずほに対する東浩紀氏や三浦瑠麗氏の強引な歪曲シーンも欲しい。
ここまで書いてみたけど、もっと構成や切り口に工夫を凝らせば物語としての魅力は高まるかも。
安倍晋三の背負ったカルマみたいなエピソードがあっても良いのかな?
ユリイカ並みの3時間30分はやり過ぎなので、2時間15分くらいでまとめるのが理想。
で、肝心のタイトル名なのだけど、バイオレンスだったりセンセーショナルなネーミングは見る気が湧かない。
心の移ろいなど、精神性にクローズアップしたものが良いと思う。
そういう訳で、私が考えたタイトル名はコレ↓
『かなしいもの』
あーあ。
俺はさ、ゆるキャンが大好きなんだわ。アニメ化する前から追いかけてきて。ゆるキャンのためだけに芳文社のマンガしか読めないアプリに月数百円払って。お前らの誰よりもゆるキャンが好きなんだわ。でも今回の映画はマジで最悪だった。
ぶっちゃけさ、映画をやるって聞いたときは嬉しかったけど、「映画は大人になったなでしこ達を描きます」って発表があったときはモヤっとしたよね。お前らもそうだろ?
でも考え直した結果さ、すばらしい出来のアニメを作ったスタッフなんだから良いものを作るはずだろう、って思うようになったのよ。
大人になったなでしこ達なんて見たくないけど、このスタッフなら大丈夫だろうと思った。
原作を差し置いて大人になったなでしこ達登場させてでも描きたいものがあるんだろうなって思った。それはさぞ素晴らしいものなんだろうって思った。
でもダメだったわ。有給を取ってワクワクしながら上映初日に見に行ったけどクソつまらなかった。
なでしこ達が大人になってるからキレてるんじゃない。単純に1本の映画としてクソつまらなかった。ゆるキャンだからどうという話ではなく1本の映画としてダメだった。
ここから先はネタバレだから注意してくれ。正直俺はゆるキャンが大好きだから、お前らみたいなゆるキャンが大して好きでもなんでも無いカスどもに俺の怒りを消費されるのは我慢ならないんだが、それでも否定的な感想を書かずにはいられなかったわ。
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致命的なのがキャンプ場のテーマの「再生」。これがまったくダメだった。
初めに「再生」をコンセプトにすると言い出した理由って、古いドラム缶を撤去するのに金かかりそうだからとか、鳥かごがなんとなく素敵だからとか、その程度の理由じゃん。浅すぎる。鳥かごはコンセプトとか関係なく普通に残して、ドラム缶は県から予算引っ張ってきて撤去しろよ。
なんとなくコンセプトが必要な気がしたから「再生」に決めただけで、再生をコンセプトにする動機が何も無い。
「ドラム缶を撤去するのが金かかりそうだから」って理由も悲しすぎる。なんて貧乏なんだ。大垣さあ、県主導のプロジェクトならそのくらいの予算は引っ張ってこいよ。お前にはそのくらいお茶の子さいさいだろ?
百歩譲って労働力をボランティアに頼っていることにやりがい搾取っぽさを感じるのはいいとしても、ドラム缶くらい税金で撤去しろよ。錆びたドラム缶をそのまま残して誰が喜ぶんだ?ドラム缶じゃなくて例えばナショナルの看板やブリキの人形ならレトロで風情があっていいねとなるかもしれないが、朽ちたドラム缶が置いてあっても誰も良い気持ちにはなンないんだわ。貧乏で寂しくて悲しい話だ。
せめてさ。せめて「私はリンちゃんからキャンプの楽しさを教えてもらった。その私が下の世代にキャンプの楽しさを教える。これって"再生"だよね。だから再生ってすばらしいんだ。ボロいだけにしか見えない朽ちたドラム缶にも中古の遊具にも誰かの思いが詰まっているから私は大好きで、リンちゃんがやってくれたように、私はドラム缶も遊具も全部再生したいんだ」って展開にできなかったの?
こういうセリフがあれば納得感が出るんだけど、無いよね。無いから「ドラム缶邪魔!せや、再生ってことにして撤去費用浮かそ!」ってやってるようにしか見えねンだわ。
縄文時代の遺跡を「再生」するのもおもんなかった。それ土器が出ちゃってキャンプ場を作れない流れになっちゃったから、しょうがなく、妥協案として、本当は縄文なんてあってもなくてもどっちでもいいけどしかたなくキャンプ場のコンセプトに入れたんでしょ?大垣たち自身が縄文文化に興味を持っているわけではないし(リンだけは後々興味を持つけど)、アニメスタッフも縄文文化に一切の興味を持っていないよね?
俺も別に縄文時代に興味は無いけど、縄文時代の暮らしって、ちゃんと調べれば絶対面白いはずじゃん。狩猟採集をしていた縄文人は、小麦の奴隷になってしまった俺らと違って、豊かな信仰とユニークな世界観を持っていたはずだろ?その文化は今の日本人に少なからぬ影響を与えているはずだろ?月の満ち欠けや季節の変化に"再生"を感じて、生まれては死んでいく自分たち人間の死生観に共通点を見出していたはずだろ?縄文人は小麦以外のおいしいものも不味いものも食べていたし、信じられないくらい遠くの人間と交易をしていたかもしれないし、俺にはわからない芸術性を土器に見出していたはずだし、独自の言葉を持っていたはずだし、歌もあったし踊りもあったはずだろ?
ゆるキャンの映画で描かれる縄文はただの舞台装置にしか見えないんだわ。
最後に完成したキャンプ場で、みんなでキャンプをするシーンさ。縄文関係の描写がほとんど無かったよね?本当に悲しいラストシーンだったわ。縄文をコンセプトにしたキャンプ場を作った彼女たちはそもそもほとんど縄文時代に興味がないし、縄文がキーワードのアニメを作るアニメスタッフもおそらく縄文時代にほとんど興味がない。だから完成したキャンプ場にも縄文がほとんど登場しない。
ただただ「工事を始めると土器が発掘されて工事止まりがち」というあるあるネタを登場させて笑いを誘うための噛ませ犬として、そしてリンたちに立ちはだかる障壁として土器が登場する。悲しい使い方だ。おもんある大人は絶対に縄文をそんなふうには扱わない。俺はおもんない大人だから縄文に興味は無いけど、おもんある大人は縄文を決して軽んじないだろう。
一番センスが無くてびっくりしたのは「富士川松ぼっくりキャンプ場」とかいう名前。
いや再生どこ行ったの!?!??!????!?!?!?!?!!?!?!?!?!?!?!?!??????
コンセプトが"再生"なんだからキャンプ場の名前にもそれっぽいワードを入れないとダメでしょ。意味わからん。なんで松ぼっくり?
確かにゆるキャンには松ぼっくりが頻繁に出てくるけど、リンって別に松ぼっくりが特別好きなわけじゃないよね?火種として優秀だからゆるキャンにはよく登場するけど、リンは別に松ぼっくりにそこまでの思い入れは無いじゃん。富士川松ぼっくりキャンプ場のそこらじゅうが松ぼっくりだらけなわけでもない。少しくらい松ぼっくりは落ちているけど、松ぼっくりを推すほど松が生えているわけではない。
キャンプ場の名前に「松ぼっくり」って入れる意味が本当にわからなかった。マジでセンス無いと思う。原作で何度も出てくる松ぼっくりってワードを入れときゃ喜ぶだろ、という陳腐なファンサービスでしかない。リンの性格や心情をなにも考えていない。
あれもキツかったわ。ちくわが土器の破片を掘ってくる展開。ちくわが土器の破片を拾ってくるのはまあいいんだけどさ。その後千明が「ちくわが拾った破片について一応上司に報告したんだけど・・・」とか言い出したところで引いちゃった。
いやいやいや!
お前はそういうキャラじゃないだろ?ちくわが土器の破片を拾ってきたら、「土器埋まってそうだな!私たちで掘り起こそうぜ!」って言ってシャベルでそこらを掘りまくるタイプだろ???そういう破天荒なところってお前の欠点ではあるけど、いいところでもあるだろ。なに報連相してんの?確かに報連相は社会人の常識だけど、大垣、お前は常識にとらわれる女じゃないだろ。大垣、お前は報連相のできる立派なオトナになったけど、同時につまんない大人になっちまった。
別に報連相するなと言ってるんじゃないんだよ。してもいい。してもいいけど、土器の調査を他人に丸投げすんなよ。お前の知的好奇心はそんなもんなのか?自分で調べよう、自分で掘ろうとは思わないのか?筋を通すのは別にいいんだよ。ただ筋を通すこととおもんある大人であることは両立するだろ?もし土器がザクザク出てきたらそれ以降は専門家に任せるべきだけど、最初くらいは自分で掘ろうよ。DIYを描いたアニメでありながら、そういう"自分でやってみる精神"が欠如しているのもこの映画のつまらなさの原因だったわ。鉄腕DASHを見てるとワクワクするのにゆるキャンのキャンプ場づくりには何一つワクワクがなかった。土器の調査も草刈りの技術も、どれも自分で調べずに他人に任せきりだったからだ。いや、実際はいろいろ調べているのかもしれないが、その過程が描写されていない。たとえばなでしこがパワーショベルの免許を取ってくる展開は良かったが、免許を取るまでの過程は一切描写されない。DASH村だったら教習所でTOKIOがパワーショベルの操作に苦戦しながら徐々に上手くなっていく描写が絶対入るだろ?DIYは結果ではなく過程が楽しいのに、この映画は過程を描かない。
大垣に限らずみんなつまらない大人になってしまった。俺はそんな彼女たちを見たくなかった。近所の人に言われるがまま草刈りをする斎藤(お前は泥臭い作業なんて1秒もせずにググって良い草刈り機を見つけてポチるタイプだろ?)、ドラム缶を再利用しようとか言い出す犬山(捨てろよ)、ソロキャンにあまり行かなくなったリン(毎週行け)。どれもこれも見たくなかった。みんなつまらない大人になってしまった。
高校生の頃よりもおもしろい大人になっていたのはなでしこだけだ。なでしこはアウトドアショップの店員が似合いすぎる。大人になったなでしこが独自のスタイルで接客をしているシーンは大好きだし、ジムニーを買ってアウトドア好きに拍車がかかっているのも良い。登場人物の中でおもしろい大人になったのはただなでしこ一人だ。さすがはキャプギアメーカーのCEOになる女だ。なでしこ、お前は面白い。残りは全員クソつまんない大人になってしまった。
たしかに彼女たちは責任を果たす。報連相をするし筋を通すしちゃんと書類を回すし法律を守るし上司の言うことに逆らわないしセンパイに迷惑をかけない。でもそんなのは俺でもできることだ。それなりの社会人なら誰だってやっていることで、そこの描写に面白みはない。立派になったなあ、オトナになったなあ、とは思うかもしれないが、その立派さを得るために彼女たちは何かを犠牲にしている。
ああ、本当に彼女たちはおもんないオトナになってしまった。おもんないオトナを描いたおもんない映画だった。それでもゆるキャンは好きだから、映画のことは忘れてこれからも芳文社のマンガしか読めないアプリに月数百円払おうと思う。俺が一番おもんない大人なんだ。
アニメ映画『犬王』を観たらなんだこれは宇宙猫が止まらない!! 訳がわからないよ!! これはいっそ原作を読んでみたい、と思って読んだ。
ネタバレはする。
平家が壇之浦で滅んでから百数十年あまり。海士(あま)の一族であるイオの友魚(ともな)は、京の都から来た貴人の依頼で、探し物のために父親とともに海に潜った。そして発見したのは一振りの剣。それは平家滅亡時に喪われた草薙の剣だった。剣の呪いに父親を殺され、自らの視力も奪われた友魚は、どうして自分がこのような目に遭わねばならなかったのかを突き止めるために旅に出た。
一方、京の都では一人の男の子が生まれた。彼は当世で一番人気の猿楽座である比叡座の棟梁の末息子だが、尋常ならざる醜形であったために両親から疎まれ、家畜同然に育った。名もない彼は自ら「犬王」と名乗る。そんな犬王は、稽古場の様子を覗き見ているうちに、比叡座伝来の歩行術を習得。すると彼の身に不思議なことが起こる。これが後に一世を風靡し足利義満の寵愛を受けることになる伝説の猿楽師・道阿弥の第一歩であった。
この物語は、イオの友魚と犬王が出会い、喪われた平家の物語を拾い上げた犬王の物語 、そして犬王の活躍を語り広めた琵琶法師・友魚の物語である。
ちょいとググれば出てくる評判通り、独特の疾走感溢れる文体の勢いが半端ないが、かといって面白いのかというと、うーん、微妙? そして、意外とアニメ版、さして印象が違わないことに驚いた。ある意味監督をはじめとするアニメスタッフ、超優秀だった。
文体の疾走感にあれよと巻き込まれて突っ走るように読んだけれど、疾走感のあるわりにダルい場面が長々とあった。それは、友一(友魚)が琵琶で弾き語る犬王の半生の物語の部分だ。そう、アニメ版でいうとあのロックフェスの部分である!
実はアニメ版の脚本にはロックフェスは無かったのに、監督が勝手に作っていたというロックフェスのシーン。あの場面は、何で同じ事の繰り返しをダラダラダラダラやるのだろう? と疑問だったのだが、原作からして犬王の物語は繰り返し語られるのだ。
前の文章をコピペしてちょっと弄ったくらいに見える文章が数回。これは一つのエピソードを視点を変えて語り直したものなのだけれど、ほんのちょっとしか変更点のない同じような文章なので、またぁ? と飽きてしまった。一つのトピックを複数人の視点で表現する……その最高峰にして最も有名なのは芥川龍之介の『藪の中』なんじゃないかなと思うけど、あれみたいに視る人が違えば見える世界も違うっていうんならともかく、神の目線(誰々寄り)くらいの俯瞰したような視点で何度も同じ事を書かれるのは、読んでて辛い。ちょっとだけ、今まで隠されていた真相が回を重ねるごとに徐々に明らかになっていく。そういう狙いで書かれた文章なのだろうと、意図は理解できるんだが、理解はできても別に面白くないのだった。
アニメ版の方も、何がやりたかったのかは解るのだが、かといって別に面白いとは感じなかった。なんかそこだけダレている。退屈だ。しかし他の部分については素晴らしい技巧で表現されており……全体的に見てつまらないとか駄作とかいうのもまた違うような気がする。中弛みがひどい。そんな中弛みの酷い部分が、原作小説とアニメ、文章と映像という違う表現技法によって造られたにも関わらず、物凄くシンクロしていた。ある意味すごいのかもしれない。面白いかと問われれば、別にそんなには……と私は言うけれど、いい語種にはなると思う、たぶん。
ところで、アニメではロックフェスの辺りで友一も犬王も一体何をやっていて何を歌い表現していたのか、私はさっぱり解らなかったのだが、この原作小説を読んでやっと理解。
ぶっちゃけ、友一のバンドは犬王の広報活動と前座を担当していたのかと私は勘違いしていたのだけど、そうではなかったのだ。友一の弾き語りが犬王の宣伝になる事は確かなのだが、だからといって彼は犬王の前座ではない。友一はただ琵琶法師としての仕事をしていただけであり、弾き語りの題材に犬王の半生を使っていただけなのだ。オレの事を歌えよと言ったのは犬王だけど。
犬王はといえば、当世最高の猿楽座の棟梁でナンバーワンの猿楽師として、新しい曲を書いては自ら舞台に立っていた。
私はアニメ版のロックフェスの場面を見ながら、何でこの人たち、橋の上と河原でそれぞれ別々の活動をしているのかなー? と疑問に思っていたのだが、何の事はない。友一は琵琶法師で、犬王は猿楽師で、彼らはそれぞれ自分の仕事をしていただけなのだった。同じバンドのメンバーでもなく、タイバン相手でもなく、似た者友達のバンドマン(兼作詞作曲家)とミュージカル俳優(兼戯曲作家)みたいなものだった。当然職場は、特別なイベントでもない限り別である。なーんだ。二人とも演者であるだけでなくクリエイターでもあるので、互いに影響を与え合っている。
映像では訳のわからなかった部分が小説ではスッと頭に入る。やっぱそういうとこは小説って強いよなぁと思いつつ、アニメ版のわかりづらさが異常だっただけでは? とも思う。
ところで、最強のバディもの的な言われ方もする本作(原作小説もアニメも)だけど、これってバディものなの? と首を傾げてしまうのは、原作もアニメも同じだった。アニメ版は尺の関係で色々削らずを得なかったのかな? と思ったら、わりと原作忠実だったんだなと。友魚と犬王の友情、とてもあっさり風味。一緒に楽しく過ごす時間もあったのかもしれないが……かもしれないだけで……まあ、二人とも自分のやるべき事をやっているのであり、業種が違うんだから当然一緒行動はしない。どこら辺が仲が良いのかわからないくらい、別々の道を歩んでいた。ので、ラストシーンにあんまり感動しなかったなぁ……。え? 犬王さらりと友魚を裏切ったよね、今更なぜ? みたいな。ここら辺はアニメ版のが膨らませていたので(足利義満により友魚を人質に脅迫された犬王。そんな事があったのも知らず、イオ座のメンバーが次々捕らえられる中で、最後まで抵抗し続けた友魚)、アニメの方が良かったような気もする。
……まあ、アニメと小説を比較しても仕方ないけど、どっちも微妙だし。というか、原作の微妙な部分をすごい精度で再現したアニメともいえるし。
先にアニメ版を見てそれがいまいちだったから原作小説の見方まで辛くなってしまっただけかもしれない。でも読まなければ良かったと思わないし、アニメ版も映画も見る・読む価値なしとまでは思わない。話のネタにはなるだろうし。
ひとつ、アニメ版を観る前に原作小説を読みたかったなと後悔した場面があった。犬王が面を外し素顔を見せる場面だ。凡人が見れば目が潰れ鼻血が止まらなくなるほどの美形……を想像するのを、ジョーカーともデーモン閣下とも獲物を追っている最中の奇術師ヒソカとも言われる厚塗りのフツメンがめちゃめちゃ邪魔してきてつらい!
https://comic-days.com/episode/3270296674337088734
夜寝てて電話に出れなかったと言ってるので、夜やったわけじゃない。
となると朝やったってことになるが、菊池が会社に付いたのは始業15分前。
ということは山本は朝起きた際にチャットをみて菊池に何か問題があったと認識し、そこから急いで会社に行って終わらせたということだろうか。
ただ菊池が出社してから作業しても間に合わないと言っているので数分~数十分で終わるような類のものではないことがわかる、ましてや恐らく部下である山本にそんなに早く作業を終らせることは出来ないだろう。
菊池が「もう俺がやっとくから」と発言し、山本が「すみませんでした」と返信したのが昨晩の19時37分。
おそらくこの時点で山本は既に書類の作成を始めていたということになる。
菊池が俺がやるといったのに、山本は謝りながらも実は裏で書類を作成していた。
ここから見えてくる真実は、自分が無能なことに気が付いてない菊池という構図が見えてくる。
「菊池さん問題があったみたいだったんで・・・」というセリフ。これは鍵をなくした問題を指しているわけではなく、菊池自身に問題があるというようにも読み取れる。
「でも今さっき酒井さんに確認してもらってーー」というセリフ。この次のコマを見ると菊池が書類に目を通しながら「修正すればなんとかなるか」と呟いている。
このシーンをよく見ると山本の声が届いていないことがわかる。
山本が「でも今さっき酒井さんに確認してもらってーーOKいただきました」と言っているのだとしたらどうだろうか。
そして酒井が菊池のセリフを遮って「お前今日は帰っていいぞ」と発言するところも意味が違って見えてくる。
そうなると菊池の全ての行動が怪しくなってくる。
今日は1回も財布を出してないと言っておきながら会社に忘れた財布。
家の近くの店や通りを何も覚えてない。
大きな公園があるのを知らない、何故かこの辺に詳しくない。
そして極めつけはラストシーン。
2ページ目。彼が「鍵がない」と立っているドアの場所をよく見て欲しい。
画面、奥側にもう一部屋あることが分かる。
次に6ページ目を見て欲しい。女性とすれ違ったあと、女性が画面の一番奥の部屋に入るシーンがある。
つまりこの階には3部屋あることになる。
女性の部屋、菊池の部屋、誰かの部屋、と三つ並んでることがわかる。
19ページ目を見て欲しい。モクモクという煙が出ている部屋。これは真ん中の部屋である。何故か菊池の部屋からモクモクが出ていることになる。
21ページ目を見るとよりいっそうわかりやすい。部屋が三つ並んでいて、真ん中の部屋の前に菊池が立っている。
ここは自分の部屋のはずなのに女性の部屋になっていることになる。
これは何故か。
そう、これは最初から真ん中の部屋が女性の部屋だったということになるだろう。
6ページ目のシーンをもう一度よく見て欲しい。
女性は一見、真ん中の部屋を通り過ぎているようにもみえるが、通り過ぎておらず、真ん中の部屋に入っていることが分かる。
こうなると菊池が5ページ目で「やべ」っと言っていた意味も変わってくる。
女性が不安そうな顔をしたり、インターホン越しでおどおどしている理由についてもなんとなく想像がつくだろう。
なぜこんなことが起きるのか。
これは菊池がもう自分がどこの部屋に住んでるかすら分からない状態に陥っているからに他ならない。
張り紙が張られていることでようやく自分の部屋がどこなのか認識できたのだろう。
だが、鍵を指してドア開けても、その取っ手が逆になっていることさえ気が付いていない。
何故か多めにかったパンを片手に、誰もいないインターホンを鳴らし続ける。
そうやって彼の日常は過ぎ去っていく。
実はCLANNADは、ゲームもアニメもモロに増田の直撃世代。
ゲーム版については、オタク男子がエロゲに最も興味を示す学生時代に自分がLinux一辺倒で、就職後はWindowsを入手したもののゲームを遊ぶ時間がなく…という流れによる。
(CLANNADがエロゲじゃないのは知っててPCゲーに手を出すきっかけがなかったという意味)
アニメの方は、ストーリーのペースが当時の自分にはダルかったこともあり、1期の3話くらいで切ってしまっていた。
とはいえ「CLANNADは人生」というミームが長らく語られてきたこともあり、ずっと気になってはいたんだよね。
(今となってはインターネット老人会でしか通じなくなりつつあるけど)
そこへ、今年になって某人気VTuberが同時視聴するというではないか。
このVTuberは陽キャでしかもお育ち良さそうというか普通にいいとこのお嬢様っぽい上に、実家とのつながりを活用して役者の道を志していた模様。
それもあってか、アニメやゲームのシナリオに対する考察やキャラの解釈における、頭の冴えが半端ない人だったりする。
つまり、アニメやゲームを並走する相手としては適役すぎて申し分ないので、これは乗ってみるかということで、本放送から実に15年くらい経ってから、ようやくきちんとチェックできた。
「確かに紛れもなく名作で、面白さも感動ポイントもいっぱいあったけど、自分には合わないかな」
という感じ。
ゲーム未プレイなうえにアニメのまとめ方が端折りすぎなきらいもあって、今でも正直なにがなにやらではあるんだけど、要するにこれって
「主人公の岡崎が周りの人物との交流を通じて善行を重ね、関わった人達の人生を好転させた結果、バッドエンドからタイムリープして救われる」
ってことでしょ?
まあ、シナリオとか作者の思想としては否定しないけど、正直個人的に全然感動しなかったというか…。
なので、ここまでおよそ4クール50話近くもあって、しかも「トゥルーエンド」に入るのが2期14話からというのに「なげーよ!」と脱力したのも事実。
途中メインの登場人物たちのエピソードで感動したときは「ここまでじっくり話を積み重ねてきたからこその感動なんだろうな」と思ってたけど。
一応、総集編のラストシーンのお陰で、なんとも余情あふれる幕切れになったので、終わりよければということで名作みたいな。
2期のOPとEDが、最後まで見ると感動的な歌に化けるのも良かった。
あと、ゲームではアニメと比較してもっと主体的に動かざるをえないというか、プレイヤーとしてここに至るまで何度もいろんなキャラでエンディングを迎えた後でのトゥルーエンドだろうから、感じ方は相当違うんだろうけど。
でもそのためだけに今から100時間以上かけてゲームをフルコンプするかというと、ちょっと躊躇する。
ちなみに「途中メインの登場人物たちのエピソードで感動した」と書いたけど、一番のお気に入りはことみ。
最後は感動を通り越して美しさすら味わってしまったし、この美しさはおそらくアニメじゃないと表現できないと感じた次第。
あとは1期で、ただテニスを観戦しているだけなのに、智代・杏・椋が朋也を諦めるシーンも、わずか4分で各キャラの心情が、語らずして手にとるように分かるのがあまりにも凄すぎて痺れた。
そういうの含め、流石は在りし日の京アニ作品だけあって、全体的にシナリオも絵も安定していたのはgood。
そのうえで異常に作画が優れていた回がいくつかあって作監・作画スタッフを確認したら、後年けいおん!で名を馳せた堀口悠紀子氏の名前があり、ちょっと感動してしまった。
あと、ロケハンもこの頃からしっかりしていたようで、主人公たちが通う学校の施設、学校までのアプローチ、駅、公園、橋と、印象的な場所がいくつも実在するのは流石。
ということで、京アニの復活を祈って筆を置くことにする。
・ヒロインが活を入れるために自分のケツを掴むように叩く癖がある
・その際スクリーンいっぱいにそのケツが映る。毎回。
・ヒロインは同僚女性のケツも叩いてる。知り合ってそんなに経ってない
・主人公がコーヒーをいれるとついでに自分のコーヒーも淹れろ気が利かないと文句を言うヒロイン。なお知り合ってそんなに経ってない
・あんたバカァ?とか言いそうなヒロイン(近いことを言っている)
・とくに主人公とじっくり会話したこともなにかを成し遂げてきたわけでもないんだけど主人公のやらかし?と思うような場所であたかも心配したようなノリでビンタする
・なんかよくわからん机の下に設置したカメラでスカートの中を盗撮するようなショットがある
・あまりにもそういうシーンが多いので有岡の又の間に置かれたであろうカメラアングルにも「またか…」と思ってしまう。多分違う
・スニーカー通勤してヒールに履き替える(官公庁の体質の古さの表現という意味ではなく気合を入れるという表現だと思うがヒールを履かなければ気合が入ってないともとれるような…)
・タイトスカートでウルトラマンに放り投げられるのでふとした時に太もも丸見えになってる
・タイトスカートのまま巨大化する(なお元ネタウルトラマンではパンツスタイル)
・市民に撮影され性的な消費(ネットの性的なおもちゃになる行為)をされ世界中のSNSで拡散される
・そのシーンでヒロインの全身を性的な目線で撮影した画像がスクリーンにたくさん表示される(監督が嬉々としてとったんだろうと思えてしまう)
・巨大化がとけたヒロインはその後全身くまなくチェックされた。なお政府描写でモブに一人も女性がいないので邪推
・こういう行為が愚かだと敵が言うことが人間は愚かだと表現するために大事らしい。熱心な庵野ファンが解説してくれた。ふーんって言った
・仲間で良き上司はビューティーガリバーだかなんだか言ってたな。ヒロイン巨大化して気を失ってるのにな
・数日風呂に入れない
・女性の臭いを嗅ぐなんて主人公は紳士的じゃないと敵は言うけど正義は主人公ってことだよね?
・ちなみに主人公は綾波みたいな感じだから臭いをかいでもセクハラでもなんでもないんだってファンが解説してた。つまりヒロインが一人で勝手にドキドキしてるだけだね
・そういえばもうひとりの女性キャラの見せ場、ストレスに弱くてお菓子を食いまくるシーンだけだったかも
・ちなみにコーヒーはあとで西島秀俊がヒロインのいないところで別の部下にいれてくれるシーンがある(主人公下げなのかヒロイン主張の正しさを表現したのか…)
あー覚えてるのこんくらい
こういうの無かった場合の映画の批判もくっそあるけど、このような描写は確実に作品をフラットで楽しむにあたってのノイズっす。先に書かないと整理がつかんわ。
一体シン・ウルトラマンとはなんだったのか。
同人版というか、ネットに上がってる1コマのやつはそれなりに追ってたんだけど、ヤンマガ版は読んだことなかった。なんか話題になってたので4巻まで。けっこう面白かった。
平野啓一郎によると、小説における述語は主語充填型とプロット前進型の2つがあると言う。主語充填型述語とは「○○は孤独を好んだ」のように人物を説明する。プロット前進型述語は「○○は海辺を歩いていた」のように具体的な行動を表し、プロット――つまり物語を前進させる。
『月曜日のたわわ』に限らずラブコメというジャンルが陥りやすい陥穽として、物語が進まない、という事が挙げられる。まず、ラブコメにおいて主人公とヒロインがくっつくには障害を乗り越える必要がある。『かぐや様は告らせたい』であれば「互いに好意は持っているのに相手に告白させようと小細工を弄してしまう(素直になれないの亜種)」が、『めぞん一刻』であれば「ヒロインが死別した夫のことを忘れられない」がそれぞれ障害となる。基本的に物語はその障害を解消する方向に進むが、決定的に解消してしまうと主人公とヒロインがくっつき話が終わってしまうので、それを出来るだけ引き延ばそうとする。すると今度はふたりの関係性がちっとも進展しないので状況に代わり映えがなく飽きが来てしまう。これがラブコメにおける陥穽である。平野の分類に従えば主語充填型述語だらけの小説、ということになろうか。この失敗をした有名作として『ニセコイ』が挙げられるだろう。
ヤンマガ版『月曜日のたわわ』はこの問題を巧みに回避する。『たわわ』における「障害」は主人公の規範意識だろう。大人として、先輩として、あるいは先生として、彼女に手をだすことは許されない。その規範意識が、ヒロインとくっつくことの障害として立ちふさがる。ヒロイン側も好意はあれど恋未満という事情もあるのだが、より決定的なのは主人公側の規範意識であり、結果としてアイちゃんや後輩ちゃんの物語はサスペンドされ続ける。この2人対し、プロットを前進させ続けるのが前髪ちゃんのエピソードである。
前髪ちゃんは初登場時から先生に強い恋愛感情を持っている。だけでなくそれを隠そうとしない。「(制服に包まれた自分の胸を見せつけながら)先生のはここにあるんだから ダメだよ よそ見しちゃ」とアピールまでする。前髪ちゃんは何故そこまで先生を好きになったのか。物語は時間軸をふたりが出会った過去に戻し、現在に向かって関係性の変化を丁寧に綴る。最初はただの担任だったのが親しい先生になり、好意を持つ男性へと変化し、「付き合ってあげてもいいですよ」とさりげなく好意をアピールし始める。前髪ちゃんは成績が良く大人びていて状況を見てうまく立ち回れる「賢い」キャラだが、そんな彼女が手を変え品を変えしても先生の規範意識は崩せず、ついには「好きって言って!」と普段の冷静さを失って迫ってしまう。このように、前髪ちゃんのエピソードは彼女の恋心が大きくなっていくことでプロットが常に前進しており、アイちゃんや後輩ちゃんのエピソードとは一線を画する。逆に言うと前髪ちゃんのエピソードがあるからアイちゃんと後輩ちゃんはサスペンドさせていられるんだし、逆もまた然りだろう。そもそもヒロインが複数人体制であることが互い互いを補って、『月曜日のたわわ』という物語を飽きさせないためのシステムだと言える。
ところで前髪ちゃんのエピソードでフックになっているのが、「高校生」という存在が持つ「時限性」への言及だと思う。前髪ちゃんは良く「今素直になればたっぷり2年半楽しめますよ?」とか「わたしがこの制服着てるのもあと数ヶ月だよ?」といったことを言う。これを見て思い出すのが安達哲の『キラキラ!』である。
好きな女のコに夢を見てのめりこんで
できない能力だよ
なぜ高校生活は輝いているのか。あるいは輝いている、というふうに描き得るのか。それは子どもでも大人でもないその期間がたった3年という時限的なものだからだろう。人によってはそれが「楽園」になるし、人によっては「呪い」となるかもしれない。しかしいずれにせよそれが時限的であることには変わりがない。
前髪ちゃんはしばしば「時限性」に言及する。それは前髪ちゃんの恋心が高校生である今だけのものかもしれないよ、という脅しとして機能する。前髪ちゃんはとても魅力的で、先生にもその想いに応えることができればどんなに良いだろうという気持ちがある。でも彼の規範意識がそれを許さない。といった何やかんやがあってあのラストシーンに至るのである。
前髪ちゃんのエピソードは他の2者に比べて胸に響くのだが、それはこういった掘り下げによるものだろうと思う。
というわけでけっこう面白かった。前髪ちゃんのエピソードが決着を見たことでプロット前進型ヒロインがいなくなりこっからどうすんのかなという感じはある。後輩ちゃんは同窓生のメガネさんのおかげでまあまあ掘り下げが進んでいてこっからに期待できるがアイちゃんはシリーズ全体のヒロインなのでお兄さんとの関係が進むのは最後だろう。そこまで読者を飽きさせずにサスペンドさせられるのか興味深い。
特にラストシーンで毛利小五郎が親指を立てながら溶鉱炉に沈んでいくシーンは涙なしには見られませんでした
ルックバックはそれを漫画という手法を使ってやったけど、全く同じテーマを被してきたってことはタツキって人が今相当書きたいテーマなんじゃないかな?(それかルックバックであーだこーだ言われて腹立ったからリベンジしたのかもしれんが)
ルックバックでは漫画が過去を遡ることで、友人が助かったかもしれない世界に思いを馳せることで主人公は友の死を受容し、超克した(ぶっちゃけあんま覚えてないけど)
今回は映画的手法やパロディを用いることで、映画の中の絵梨に吸血鬼という設定をつけて永遠の命を授けた。
絵梨が映画の中で生き続けてる存在になることで主人公は絵梨の死を超克した。
たぶん、絵梨もそれにより自分の死を受け容れることができた。
ただ、それは現実逃避でもあるので、ちゃんと主人公にとっての餞別であり、これがファンタジーだと目を覚ますことができるひとつまみのファンタジーである爆破という表現を最後に加え死を受け容れ、ちゃんと彼なりのさよならを告げた。
(あ、これは絵梨のラストシーンは親父さんを使ってあらかじめ撮影していた説を適用してます)
パロディに拘っていたのも映画によって死を克服するというテーマだったからだと思う。
世間ではよくわからんとか放り出しとか爆破wwwとか言われてるけど、そんな難しいことや謎はなく、長いけど無駄は少なくちゃんと筋道を立てた物語だな、って気がしたよ、ワイの脳内では。
女の子の可愛さのことは思い出すけど、主人公の男の葛藤とか思い出さんやろ。
思うに、それが本質だ。
最終シーンは「誰を選ぶか」であって、誰が選ばれるかではない。
あの話は実は、主人公の好感度を上げることには熱心だったが、主人公のアクションに興味を持たせるということを何もしてこなかった(ラブコメの基本なのでそれが悪いわけではないが)。
従ってラストシーンがどうなるか=主人公がどうするかにも、実は読者は興味がない。
興味を持たせる話になってない。
ラストシーン後に女の子がどんな顔するかには興味がある。だから当時は答えが知りたかったが、答えがどういう理由で出るかへの興味はやはりなかった。
自分はテレビアニメの劇場版を観に行く時、テレビシリーズの方を未視聴でも予習はせずにぶっつけで観に行くことが多いんだけど、
オッドタクシーははてブで良い評判をちらほら見かけてたので、それなら…と3日くらいかけてアマプラで全話観てみた。
面白かったー。…で、あのラストシーンからどうやって続編を作るんだ…?と思って観に行ったら、続編じゃなくて総集編だったでござる(映画自体の情報もほとんど調べないので…)。
…まあ、製作期間を考えれば当然ではある(「テレビシリーズ制作時から劇場版の企画も動いてた」とかじゃない限り)。
あと、スケジュールや予算だけじゃなくて、ストーリー的にも △△△ の ××××××× が ○っちゃったし…。
偶数月の末日頃発売。電子版は基本的に翌月の10日前後に発売なのだが、今回は4日発売と、いつもより早かった。今回も私の推し作家・座裏屋蘭丸先生はお休みだ。ひぃん。しかし『Daria』で連載中の『コヨーテ』が佳境なので仕方ない……。再来月まで待てがんばる……。
そして今回は前号で最終回を迎えた、『 鴆(ジェン) 天狼の目』(文善やよひ)の記念特集が紙本版にはドドンと入っているはずなのだが、電子版には文善やよひ先生のコメントまでひっくるめて一切掲載されていない。悲しい。なんでそんなに電子派を冷遇するの……。Canna公式Twitterによれば、特集記事のほかに各鴆シリーズの第1話も一挙再掲載されているらしい。
鴆シリーズは獣人(鳥人)ものという、BLの中でも特殊なジャンルではあるけれども、とても漫画の上手な作家さんの描いた漫画で読みやすいので、BL初心者とジャンル不問で漫画好きの人におすすめ。個人的に好きかと問われると、微妙なのだが……(単純な好みの問題)。
ということで、 鴆特集は電子派の私には読めないので、それ以外の掲載作の感想をば。
新連載きた! バンドマンBL。主人公が性的なトラウマ持ちでしかも感性が周囲とズレていて浮きまくる系の人。ゆえにすっかりメンヘラに成長しており、おそらく攻めであろうバンド仲間(ベース担当)に面倒を見られてなんとか生きてる感じ。
1話目なのでなんとも言えないが、バンドマンBLというと『ギヴン』という超人気作品の存在がよぎるので、チャレンジャーだなと。
去年の暮れ辺りに完結した『ヤクヨメ♂』のスピンオフ作品。ヤクヨメ♂の攻め・いわおの子分的な人のツレが主人公。タイトルは主人公の職業が漫画家であるためにバクマンみたいになったようだが、かといって主人公がちゃんと漫画家稼業に励んでいる描写があるわけではない。カップリングが替わってもなお、作者の例のあの性癖をてんこ盛りに盛った内容である。まあ幸せそうでなにより♂♂♂
読み切り。パン屋×米屋の幼なじみBL。エロはない。ピュアラブ系。絵柄が『この世界の片隅に』のこうの史代先生的なふんわり系で、ストーリーにも尖ったところはない。最初から最後まで可愛くほわほわしていた。たぶん、二次創作でしかBLを知らない人の漠然と思う「BLってこんな感じ」に近いんじゃないかと。なごむ。
逃げる相手を追うのが好きな男×逃げ癖のある男。あ、攻め受けこれで合ってるかな?
前編から間が空いてしまったので、どんな話だったっけな……。出来れば短い話は毎回掲載されるといいんだけど、BL読みにおいては短気は損気だ。
絵柄がリアル寄りでがっつりと大人の男同士のゲイものって感じ。
フラッととんずらをこく方もこく方もだが、昔とった杵柄とコネで相手の居場所を特定してくる奴もだいぶヤベェ。もはや犯罪だし。でも追う方からはターゲットはびびりながらもちょっと嬉しそうに見えたらしい。うん、それって幻覚じゃないかな。
今となっては一般ジャンルでも大人気小説家でBL小説家でもある凪良ゆう先生の人気作品のコミカライズ版。世間知らずの坊っちゃん医者×詐欺師。
毎度思うけど、凪良ゆう先生の小説は大部分が心理描写に費やされているし、分かりやすくてノリのいい文体が魅力なので、それを絵で見せられてもなぁ……という感じ。いくら上手い絵でも。凪良ゆう先生の小説が好きだが『積み木の恋』は未読の私としては、ただ原作を読みたくなるだけ。凪良ゆう先生を全く知らない人が読んだらどう思うだろうな? 一読してスルーかな。
まあ、コミカライズ担当の漫画家が悪いんじゃなくて、いくら出版不況で小説が売れないからってこんな企画立てちゃう編集部がよくないんだ。
『 鴆(ジェン)』特集は冒頭に書いた通り電子版には載っていないので、省く。
ゲイカップル・いまぢとほづつみの家に猫に擬態した宇宙人のサンが転がり込んできて、地球侵略の為の情報を得るためにいまぢとほづつみの暮らしを観察しているという話。
痴話喧嘩回。今回はサンの出番が多くてよかった。自転車をこぐいまぢの後頭部に貼り付いているサンの後ろ足がとってもキュート。サンは中身が宇宙人なだけあって人の心を解さないかと思いきや、人間の夜の営みをガン見で観察した結果、恋愛アドバイスができるまでに成長してしまった。すごい猫だ。釈迦に説法感のあるアドバイスだったけれど。
ラストの引きが強い。これは続きが気になるぞ……。
旅人×猫耳獣人。旅人のオルは癖の強い城塞都市国に入国するなり引ったくりに遭い、無一文身元不明人になってしまう。なり行きで働くことになった、猫耳獣人ばかり売っている娼館で、美しい娼夫アコニと出逢う。
ハーレクインのような美麗な絵とストーリー。しかしBLである意味がもはやなくないか? というほどに娼夫達の見た目が女性的。
今回はあまりストーリーに進展がなかったな……。オルが重大な決断をしただけで(それが「進展」というやつなのでは?)
サイボーグ×人間。酸素濃度のやたら高い星に来た元軍用サイボーグが、植物の調査研究をしている人間の護衛だかお守りだかを担当する話。
もはやハードボイルドの可能性はすっかり消し飛んでしまった……。人の心を薄くしか持っていないサイボーグが、ワンコキャラな人間に恋してしまい、誰が見てもほわほわと浮わついているという話。これは温かく見守るしかない……。正直、もっと渋いのを期待してたのだが。山なしオチなし意味なし略して「やおい」まさにこれ。
オメガバース作品。政略結婚と人身売買の中間みたいなカップルなんだけど、買った方の攻めは受けの事を好きなわりに受けの愛を信頼してはおらず、買われた受けの方は実は真っ直ぐ攻めを愛している。猜疑心故に素直になれない攻めと、惚れた弱みで腹を割って話すことが出来ずに攻めの顔色をびくびく窺い続ける受けの、ディスコミュニケーションぶりが、読んでて非常に辛い。
現代的な人権意識と家庭内の前時代的な価値観による閉塞感のギャップがえげつない。ていうかこれ完全にDVじゃん。受けの人全力で逃げて!
……と思うんだけど、逃げねんだよなぁー。それでも攻めを愛してるからってよー。
そんな古風なストーリーなんだけど、今回は実在の最新型避妊薬「インプラノン」が登場する。えっこれもう認可されてたっけ? と思わずググってしまった。マッチ棒くらいの長さの筒の中にホルモン薬の仕込まれた避妊薬で、二の腕の皮下に埋める。三年くらい避妊効果が続く。飲み忘れリスクがないので、99%くらいの確率の避妊効果があるそうだ。
そんな文明の利器を受けの人は良かれと思って攻めの人と相談せずに独断で使用してしまう。そしてそれが新たな修羅場を生む。
あのさぁ、そんだけの行動力があるなら事前に攻めの人とよく話し合おうよ。とも思うけど、攻めは攻めで支配欲と嫉妬の塊で受けとの約束をあっさり覆してくるやつなので、話し合ったところで受けにとって良いような流れには、ならないんだなあ。
今時こういうストーリーはただ只管に辛いばかりなのだが、このギチギチに古風なDVカップルがどのように軟着陸するのか(Cannaだからバドエンではない、と信じたい)、興味はある。
『嘘つきな愛を買う』のDVカップルでがっつりテンションを落とされた後で、今度は陽気に? サバサバしたディスコミュニケーションカップルのやつですよ。ゾンビの佐田×マッドサイエンティスト間宮の日常BL。
前回、一泊温泉旅行(+一泊)にて、恋バナで盛り上がった佐田と間宮。佐田の独特な恋愛観……実は世間一般でいう所の恋愛というもののべたべたしているところが苦手で、それよりセックスの出来る友達くらいの距離感で人と付き合えるといいなと思ってる(間宮と付き合いたいとはミリも言っていない)……を聴いた間宮は、じゃあセックスしよう(もう友達だから)と提案(という名の強制)をしてきて、佐田大ピンチ。
『スリーピングデッド』上巻のレビューには「受けの間宮がだいぶ無理。これで萌えろと言われても」的なことが書かれていがちなのだが、主人公の佐田にとっても間宮はかなり無理だったというのには笑った。正直に「たぶん無理……」と言ってしまうBLの攻め様ってどうなのw
そんな佐田に好かれようと一生懸命な間宮がとても可愛かった。まだ3月なのに可愛い受けオブ・ザ・イヤーが来てしまったぞ大変だ。思いがけない佐田の行動にびびった時の間宮が、死ぬほど驚き怯えた時のハムスターみたいに両手を胸の前で縮こめて目を見開く姿が可愛くて可愛くて可愛くて可愛い。
一方、佐田はといえば間宮がツンツンしまくりながら無茶な要求・暴言・暴挙をぶつけてくるのに案外律儀に応える体でいて、最終的には首尾よく間宮を丸め込んでちゃっかり自分の身を守り切るところが、学校の先生って感じだった。お前そういうとこやぞ……。
もはやゾンビ物とは? って感じのストーリーで今回は特に息抜き回色が強かったが、次回からはどう話が転がって行くのだろうか。ずっと間宮の純愛ネタばかり描かれる訳じゃないだろうし。もうすでに単行本1冊ぶんくらいの分量は書かれたわけだし。既刊が「1巻」ではなく「上巻」なので、あと1、2話で完結して下巻が出るか、1回くらい休載して中巻が出るかかな。
男同士でがっつりド派手に致しているところが見たい人には物足りないんだろうけど、大人の恋愛漫画としてとても面白いので私は好きだな。
耽美SF少年愛BL小説家・長野まゆみ先生が十代の頃に心ふるわせた珠玉の小説、随筆、詩歌のなかから、耽美入門に相応しい全26作を精選。全作品に長野先生のコメント付き。巻末に解説もあり。
目次を見渡すと錚々たる顔ぶれに眩暈がするけど、幻想文学好きは必ず履修する作家ばかりだ。
が、私は現代の幻想小説はわりと好きなんだけど(長野まゆみ先生のほか、川上弘美先生や金子薫先生や今村夏子先生とか)、明治~昭和前期の幻想小説はあまり得意ではないんだよなあ。三島由紀夫は『潮騒』しか読んだ覚えがなかったし、泉鏡花は戯曲『海神別荘』しか読んでいないという体たらく。なお内田百閒は開始十行で寝落ちした。
そんな私が、いくら長野先生のファンだからって、本作品集を買っても最後まで読み切れるのか、甚だ疑問だ……。
では、頑張って読めたぶんだけ。
遊園地で二十七羽ものインド孔雀が殺される事件があって、その重要参考人・富岡の家に刑事が訪れる。富岡はただ前日に公園で孔雀達を長時間眺めていたというだけで犯人ではなさそう。だが富岡家の応接間の異様さと、壁にかけられた美少年の写真のことが、気になってしまう刑事だった。
冒頭を数行読んで、長野まゆみ先生と文体がよく似ていることに驚いた。もしも著者名を伏せられたまま読んでいたら、長野先生が書いたものかと容易く信じそう。文体が似るほど三島由紀夫に影響を受けていたとは。『潮騒』を読んだ時は、似てるとは思わなかったけどなぁ。
かつては美少年だったことを誰にも信じて貰えないほどに老いた男が、孔雀の羽の輝きに魅せられる。(孔雀の羽の色は色素で染まったものではなく、羽の構造が光を反射したものなので、永久に劣化しないのだ。)何者かの起こした事件により、孔雀の美を完成させるには死が不可欠だと気づいた男は、自分こそが事件の犯人ではないのかと妄想をし始める。
ラストシーンは男の美への執念が具現化したみたいでぞくりとした。
雑誌『象徴』の編集長・磯貝が出勤すると、先ほどまた蕗谷から電話があったという。蕗谷というのは筆書きの原稿を持ち込んだ美少年だ。日頃からどんな無名の作家の書いた作品でも必ず目を通すことにしている磯貝は、さっそく蕗谷の小説『蔵の中』を読み始めた。
冒頭は蕗谷の自伝風で、亡き姉との思い出を書き綴ったものであった。だが、姉の死後に蔵の中に独り引きこもるようになった主人公がとある楽しみを見出だした場面から、物語は思わぬ展開に……。
『偏愛耽美作品集』のどこら辺が「偏愛」なのかといえば、美少年が登場するものばかりをピックアップしているところで。さすが長野先生なだけあって。
無名作家の小説『蔵の中』と現実の出来事が交錯し、やがて殺人事件の真相を描いてゆく、と見せかけて……。という現実と虚構が入れ子状になっていてしかもその境界が曖昧な感じ。長野まゆみ先生の『左近の桜』に受け継がれているよなぁ。
蕗谷が女装にハマって鏡の前で表情を作るシーンがとくに印象に残った。
山の手に生まれ育った令嬢のとく子は、眼病の治療のために下町の病院へと入院する。その病院の近所には時春という下町っ子でぽっちゃりめの美少年が住んでいて、しばしばとく子を遊びに連れ出すのだった。
縁日の夕にも時春はとく子を呼び出し、つれ回した。あまりの美しさにどこへ行ってもモテモテで人気者の時春がわざわざとく子を連れ回す理由は見栄のためと、とく子は見抜いていた。とく子の令嬢然とした着物姿を見せびらかすために時春は彼女の手を引くのだと。そこに本心からの労りや思い遣りはない。
時春はとく子を火事現場の跡地に連れ込んだ。「君にほんとうのことを聴いて貰う」と時春は言うが……。
顔が美しいのが唯一の美点の少年。美しい顔はそのままで素顔ではなく見栄の一部となってしまい、その口から出てくる言葉の全てが人の気を惹くための嘘っぽくなる。美しい顔というのは実は醜い顔と同じく異形の一つなのだ。
時春の見栄っ張りを女の子の目敏さで見抜いてしまうとく子だが、時春の美貌の下に隠れた本当の孤独の寂しさには触れようとしない。そんな憐れな話。
ラストシーンで、時春の本心をちゃんととく子が見抜いていたというのが明かされるのが切ない。なんかこれじゃ、時春死んじゃってよかったみたいじゃん……。
はぁ、まだあと23作品もある……。これを私はあと何百年後に読み終わるんだろうか。しかも岡本かの子の次は泉鏡花だし。開始数行でうっ、苦手かも……と思い、もう数日放置している。
ネタバレをかなり含みますので、この映画を楽しみたいという奇特な方はそっと閉じてください。
また、特撮や空想科学、SFといったジャンルに関しては素人なので、マニアの人からすれば「拙い知識で何言ってるんだ?」と言われても仕方ない内容です。
あくまでも一個人の素人感想ということで「酒の肴に突っ込みでも入れながら」読んでいただければ幸いです。
また、パンフ欲しかったのですがジャニヲタのおねー様方が買われたようでありませんでした、ノベライズ版も読めてないのでそのあたりに書かれてる内容はマジで知りません。
「推しグッズは買えるときに買え」が正解なので素晴らしいと思います。
まず、この映画を観てすぐに感じたのは「日〇沈没」に対する「日本以外全部〇没」なんだと思いました。
日本〇没=シ〇・〇ジラでしょう、それに対しての日〇以外全部沈没が本作である、と。
気づきにくいですがこの映画も宣伝の隅っこで「コメディ」と小さく書かれてます。「日本以外全部沈没」もタイトルで「以外全部沈没」は小さく書かれてましたね。
この映画の感想に見られる「パロディが多くて」というのは間違いではないと思います、だって1から100までパロディとして作られているのでしょうから、あたりまえです。
対比を楽しむパロディ映画なのでしょう(制作陣ではないので勝手な想像です)。
そもそも、怪獣の死体処理なんてネタはもうさんざんやったし、考察楽しいし、空想科学読本や鯨解体業者だったり、怪獣8号なり、好きな人なら酒飲みながら一度は語り合いそうなものです。
怪獣や怪人が爆発四散する最後は、そういった事を配慮したベテラン優良ヒーローのたしなみです。
メビウスなんて初めて戦った時には街壊すなと怒られましたが、今では立派な教官です。
(閑話休題)
前に進み動き続ける巨大生物を何とか止めようとするのにに対して、横たわり自力で微塵も動かない巨大死体を何とか動かそうとする、そもそもこの対比で解るようにシリアスに対してのコメディ路線です。
この映画の楽しみ方は色々なところに仕込まれた空想科学、特撮ネタにツッコミを入れたり、探し出して悦に浸る、本家がこうしてるから逆にこうしたのだと、考察、空想して楽しむ物ではないかと素人なりに思いました。
例えば、冒頭で「deus ex machina」の文字が出ますが「おちばらすなや!www」と叫びかけました、映画鑑賞マナーに反しかけました。
また、特務隊のシンボルマークが「十拳剣」だという説明がありますが、「別にその説明要らないよね?ああ、シンゴジにかけてるのね」という感想程度ですみますが、国防軍のシンボルマークが白い鳥が剣を咥えています。
白い鳥と剣といえば、日本武尊です。これが割と壮大な伏線です、中盤に首相が「海外から尻尾欲しいといわれる、なんでみんな欲しがるのか?」というセリフがありますが、ここまでくればお気づきでしょう。
お酒で酔っぱらったヤマタノオロチを十拳剣(天羽々斬)で殺したスサノオがオロチの尻尾から見つけ出したが草薙剣(天叢雲剣)で日本武尊の使った剣です。海外の諸国はこれが欲しかったのでしょう。
と友人に説明したら、モンハンネタだろ?と一蹴されました。特務隊が頑張って倒した希望ちゃん(仮想オロチ)の後釜を国防軍が狙ってるというの示唆してるのだと思うのですけど、どう思いますか?
他にも、希望ちゃんがL字開脚でお口をだらしなく開いた姿勢で河川の中央に横たわってますが、あれも向きとか角度とかかなり計算されてます。
なぜなら頭の向きが上流と下流で変わっただけで、水洗作戦が成功してしまって物語のラストシーンが海にホルマリン漬けになった絵面になってしまうからです。
海に落ちた生物を囲ってホルマリン漬けにして観光資源にするアイデア好きです、「どうやってやるんだよ、処理より大変だろ!」とツッコミも忘れませんでした。
あの計算された角度と、死後の括約筋のゆるみにより、きれいな虹がかかりガスが抜けるという予想もしない作戦失敗というひげきがおき、自業自得なユーチューバーがマタ〇ゴ(東宝のため自主規制)化してしまうのです。
かなしいですね、心のなかでざまぁwwと哀悼の意をささげました。
ダム爆破に関しても、爆撃機とか使わずに発破のプロを呼ぶ当たり解ってます、空想科学の醍醐味です。
レーザーポインターで設置していくシーンとか好きです、2重構造になってるとか図面だけで判断せずに現場で検証してくださいよ。
おかげでカッコいいダム壁爆破のための特攻が観れると思いましたが、さらりと終わってしまいましたね。残念。
とっちらかってますが何が言いたいかというと、ツッコミポイントを探して笑い考察するエンターテイメントなのではないでしょうか?
私が作中で気になったポイントは
・同窓会からかえるのにサイレン鳴らしながら緊急車両扱いでかっこいいバイクでかっこよく去る主人公、サイレンいる???
・自称怪獣退治の専門家。希望君以外に怪獣退治の前例無いから処理に困ってるの専門家wしかも防衛軍所属、負けてるじゃんww別世界のロボットがあればわからなった。
・専門家考案の冷凍作戦・・・いや表皮だけじゃ溶けるし余計に・・劇中で突っ込まれてるわ・・・、やはりロボットないとだめだな。
・政治家のドタバタ劇や手のひらドリルの南半島国さんの描写はまぁシリアス展開の対比だと下ネタって風刺をマイルドにしてくれるよね、あと銀杏おいしいんだから風評被害受けたらどうするんだよ。
・ユキノさんのひらめき作戦に対する実行力すごい!残念美人て可愛いよね・・
・怪獣映画で散々不要といわれてるラブシーンをキスシーンだけに絞って見せるのは中々と思いきや、理性的に判断するところを痴情で解決してね?まぁシャワーといいサービスシーンはお約束。
・雨音の義足、引っ張っていてかなり見た目が高性能ぽいから自爆でもするか、ミサイルでも発射されるとか期待したのに何もなかった、ふざけんな
・スナイパーってLVじゃないだろ・・・ミサイル落とすなよ・・・
とか他にもあるのですが、書くのが疲れてきたので止めます。
デウスさんですが、そもそも最初に爆散させとけとか処理しておけという話です。
希望君の破損状況みると光線技でなく打斬系の傷ではないかと推測します。
仮にデウス神拳となづけられた技のの使い手であるデウスさんは選ばれてから、まだ3年しかたってないので爆発四散される技を会得していないのか、カップラーメンが伸びてしまいそうだからそこまでの時間までがんばれなかったのかは今後の考察が待たれるところです。
シーボーズのように動いてくれればロケットで打ち上げれることもできたのでしょうが、L字開脚で硬直してて動かせないものはどうしようもないですよね。
ここでで主人公視点で物語を追ってみると答えに近いものが見えてくる気がします。
新米の自分が愛する地球(元カノ)のために故郷に現れた巨大生物を倒したはいいものの死体処理までの修業を終えずに戻ってきました。
選ばれしものの力を遣えば処理は容易に行えるかもしれないです、でも怪獣墓場なり宇宙保健所なりは何光年先にあるかもわからないし、地球の衛星軌道上に放置しても人類総マ〇ンゴの可能性を考えると、ポイ捨て絶対ダメですよね。
だからなんとか後始末をつけようと一人真面目に取り組みます(実際にすごい真剣に一人大活躍かっこいい)
元カノの誘惑とかあんな美人だったら、地球から離れたくないでしょう。
だから、最後の手段を使いたくなかった・・・でも希望君の爆発に巻き込まれそうな愛する元カノのために禁じ手を使って処理をする・・・愛って素晴らしい。
PVでの「このあとしまつだれがつけるの?」にうまくつながりました。
「そもそもデウス君ずるじゃん」という意見も見かけましたが、光の巨人なんてそのものだし、例えるなら黄門様の印籠や金さんの桜吹雪もデウス君ですよ。
割と身近に存在してたりするんですよね。
オキシジェンデストロイヤーなってデウス君そのものだろ?
エンドロール後のアレもほんとに次回作出すじゃなくて、よくある次回作は予算が前作の2倍ってのと亀も弄っておかないとね、くらいのノリでしょう。
とここまで素人妄想を垂れ流しましたが、何が言いたいかというと
「酒でも飲みながらツッコミやネタを探しながらワイワイ楽しむパロディ映画」に「期待と違った」「こんなの特撮じゃない」「アレより酷い」と玄人たちが呟いているのを観ながら飲むお酒はおいしく、スルメ映画なんだなと楽しんでる次第です。