はてなキーワード: 死体とは
【追記】
マジで最近のはてな「これ書いたの女だ男だ」みたいな書いてないことを探ろうとするのよくないと思うわ
更年期はアラフィフじゃね?設定甘いぞっていうのもマジでなんなんだ……
つーか「兆候がみられた」って書いただけで「閉経した」とは書いてないんだわ ちゃんと読んで
あとプレ更年期とかで調べて欲しい
ある日突然閉経した!終わり!じゃなくて順序があるんだよ
【追記終わり】
【追記2】
それは過去ブラック企業で働いていて生活費が足りてないのをクレカでどうにかして、しかもリボ払いとかしたからだよ そして転職じゃなくてキラキラ女子セミナーみたいなので救われると思ってそういうところにお金入れちゃったからです!自己破産じゃなくて個人再生やってるけど今なら自己破産でもよかったかもしれないとか思ってる。ブラックリストに入ってることには変わりないし。で、今は転職したけどらそこもやーやーってなってる!人間の欲望は尽きない。
あとホルモンバランスで精神が〜とあるけど一応メンタルクリニックには行ってる。効果は不明。
というのは単純にその視点がなかったから救いになった。そうかも。まあなんかイベント毎にLINEとかしてるけど顔見せる機会は年1とかだしなあ。
なんか兄弟は家買って子供作ってまともに生活してるのに自分だけこんなんだからなー!すまんな親!って思ってたわ
【追記2 終わり】
最近、更年期の兆候が見られた。ついに来てしまった。老い。他にも老化はあるんだろうけれど、子なし希望なし独身女でも閉経が見えてくることへのショックはでかいのだなと感じた。(個人差はもちろんある)
そしてタイトルにも書いたけれど借金があり、毎月汲々としていて、資産形成?何それ?貯金すらままならないんだが?といった感じの生活で、はてなーの皆様の資産形成ハイソな話を聞くとやさぐれてしまうが、しかしこうなったのはまあ自分のせいのでムカつくことに自分を殴るしかないんだよな。これが。
で、ずっと「自分はこうしてみすぼらしく一生を終えるんだ、それがお似合いなんだ、せめて姪たちに溶けた死体とか汚れた部屋は見られないようにしたい」とは思っていたんだが、更年期が来て、「本当にそれでいいのか?」ってなったんだ。
別にキラキラした生活がしたい訳じゃないし、ボロ儲けしてウハウハになりたいわけじゃない いやなりたいけど なんかもうちょっと夢見てよくないか?と思い始めた
今いる職場、正社員でぼーっとしていても給料は入るけど、ずっと20年陰口に耐えなければいけないと思ったらすごく嫌になってきた。転職してるからどの仕事も苦労するって分かってるんだけど、仕事が大変!で愚痴じゃなくて「あいつのああいう趣味キモいよね」みたいな中学生かな?みたいな陰口に耐えなきゃいけない、少なくとも5年10年、そしてそのコピーたちに囲まれなきゃいけないと気付いて普通に嫌気がさした。
別に陰口叩いても人並みならいいじゃん?と思われるかもだけど、普通に都内で一人暮らし厳しい!世間は賃上げ満額回答!だけどむしろ引き下げにかかろうとしてる会社だしいる意味とは……ってなるんだよね
で、自分には何もねえ手に職もマネジメント力も営業でこうしたクライアントと何かしたみたいな経験もかいの。仕事内容言えないけどすげーニッチでさ
だからしょぼくれた自分にはこんな仕事がお似合いだーってずっと思ってたんだよな 借金返しながら服一生買えないみたいな アラフォーでも実家が憐れんでたまに食材送ってくれるのマジで精神にキツいわ
なんだけど更年期入って自分の終わりみたいなのがちょっとだけ見えて、「このままじゃいや」って思い始めたんだよ 遅いかな
正直20代でやっておけという感じたけど
海外行きたい 移住とは言わなくても いや一応夢はでっかく1年くらいは住んでみたいかもしれん カスみたいな経験でもやっておきたいわ 一応昔旅行とかプチ留学笑で差別とかあったし、単純に「やっぱ第二言語で話すのきちー!日本サイコー!」みたいなのあったけど 大人の今なら多少は受け流せそう
前60代の女ホームレスの人が頭殴られて死んだ事件あったけど、正直他人事みたいに思えなくて
自分もいつか家失って知らない人間に頭かち割られるかもしれない
まあ明日突然知らん人に刺されたり事故にあったりする可能性も普通にあるけど
頭かち割られてもそれなら納得できる気がする
これ単なる躁鬱の躁みたいなのかもしれないけどネットに吐き出しておくね
死体があるという噂を聞いて探しに行くんだぞ
私は生きている。
それを胸抱えて日々を過ごせば過ごすほど、あれは一体何だったのだろう空を仰ぐばかりだ。
家も消え、土地も消え、人も消え、思い出になる前の記憶さえ消えた。
死体が浮く街を歩いた。水が引いたら、何キロも先にある同級生の卒業証書が自分の家に流れ着いていた。やれることをやるしかないと笑えば、時折鳴る着信から友人や恩師の訃報が届く。
偶然誰かに会えたなら、そこでようやく互いに安心できた気がした。会えたら生きてる、会えないなら死んでいる。そんな日々が続いて、誰かに会うのも嫌になりかけた。
仮設安置所に踏み入れば、眼下に真新しい棺桶が広がる。途方もなく、隅から隅まで、ボーリング場だったらしいその場所に、四角い木の箱ばかりが広がっていた。そうして、端から端まで歩いた。知っている名前が無ければいいのになんて考える前に、知ってる名前ばかりが並んでいた。私に楽しさを教えてくれた人も、私にいじわるした人も、私が優しく出来なかった人も、ちゃんと名前が書かれていた。この光景は、何だったんだろう。何を恨めばよかったんだろう。それを自分に問うてしまったら、その答えは「そのうち会える」と機会を先延ばしにしていた自分を恨むしか他にないのに。これは一体、何なのか。誰かに答えてほしかった。
私は生きている。私はその選択肢を選び取った。そのせいで、私が座るはずだった場所に座った誰かが死んでしまった。私は怖かった。初めて行動の取捨選択で見知らぬ誰かと命のやり取りを終えてしまったから。私はそれがすごく怖かった。こうして文字にできるまで今日までかかってしまった。手など合わせられない。自分が死んでいたら、死なないはずの子がいたはずなのだ。私は怖かった。これは何なんだろうと。親にも友人にも、この恐怖だけは一生言えないままだと気づいたときにはもう、何も出来なかった。私は今でも地震の揺れや津波よりも、それがとても怖い。きっとだれも私を責めてくれないのだから。
3月10日のことを想う。読んでいた小説も、私の名を呼ぶ祖父の声も、適当に送り出してしまった父の背中も、履いていた靴も、カサついた母の手の温かさも全部全部全部鮮やかだ。
3月11日のことを想う。年上のお姉さんがくれたアーモンドチョコの美味しさも、避難所の床の冷たさも、満点の星空すらも、全部全部鮮やかだ。
私はこれを、死ぬまで思い出にすることは出来ないのだろう。
そうして私は生きていく。
安楽死の話題になるとすぐ、「そんなに安楽死がしたいならば自殺すればいいのに」という声が湧いてきて
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/blog.tinect.jp/?p=85698
それが如何に的外れな難癖なのか、自分達で言っていて分からないのか?
銃社会ではない日本で実行出来る自殺方法は、失敗する可能性が高いものが多い。
自殺に失敗して後遺症を負い、再挑戦も出来ない状態になったらどうするんだと思うと簡単に実行なんて出来る訳ないだろ。
2.自殺は痛い、苦しい、怖い
安楽死を望む人達は文字通り「安らかに」「楽に」死にたいんだよ。
死ぬ時に痛い思いや苦しい思いはしたくない。当たり前だろ。
苦痛無く楽に死ねる自殺方法が身近に溢れているならば、それは既に安楽死が実現しているのと同じ事じゃないか。
首吊りなどは上記問題点が少ないと聞くが、それでも死体の処理で関係ない人達に迷惑をかけるのは避けられないだろう。
糞尿を垂れ流して部屋は事故物件になる。
仮に上記三点をクリアしたとしても、自殺して救われるのは自分だけでしょう?自分さえ良ければいいというのは利己的な思考。
この社会において今苦しんでいる他の人達のために、安楽死の実現を叫ぶ事の何がおかしいんだ?
それ以外の社会運動に対しては「自分だけ良ければいいだろ?」なんて言わない人達も、安楽死に対してだけは何故か平気でこれを言うのはどうして?筋が通っていないにも程がある。
令和3年にたかとしが最初に黒い車で出てきたのは司法の事を言っていたら関係者の死体が誓敬寺(仏教寺院)にあるのでそこに行けという趣旨だったように思う。
令和4年2月28日に大手町のサブウェイの閉鎖に伴い、ままがシェアハウスを閉鎖した。
住宅相談員の鈴木が、 ファインズコート6丁目、TOP志村の順に検討したが、 最終的には、小さいものがいいのかしらということで現在のところになった。
なお、住宅相談員の鈴木や、不動産会社の男が、令和4年2月25日頃に、様々な案内をしていたことに関しては、CWの中谷が記録していなく、CWは、年度末で小俣に変わり、
すぐに藤原に変わった。民生委員は従来から決まっていたが家に来ることはなく、民生委員が、見目とみ子になってから、障子に目あり、といわれるようになった。
『絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について』というnoteがバズっているのを見ました。
この文章の中の「・絵師は特権階級。という意識をまず捨てるべきだった。」という部分が炎上しているのでこちらについて見解をしていこうと思います。
https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af
さて、文書についての私の見解ですが、インパクトを出すために工夫した表現が思いもよらずバズってしまったように感じました。
・本来主張したい内容に対して反AIを絡めるのが不適切でなかった
一部の絵師は
「絵師と絵師から生み出されるイラストは世界で一番素晴らしく、何よりも優先され、保護されなければいけない」
「絵師以外のクリエイターはすべて絵師の下位互換であり、絵師は創作者の頂点にいる」
そう思ってるフシがあります。
実際に思ってなくても、周りにそう考えてると取られてもしょうがないムーブをしています。
反反AIが指摘する「イラスト生成AIは否定するのに、翻訳AIは使っていいの?」に対して
「翻訳は創造性ないからwクリエイターとは認めない」みたいなのが代表格です。
実際に無から作品を生み出す絵師はとても素晴らしいし、私も絵が描けることを誇りに思っています。
https://note.com/magic_clover2991/n/n0ec2827346af
この「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という主張と、反AIの人に向けた主張は本来分ける必要があったのだと思います。
この部分の主張だけ説得力があるので、長年あっためていたんじゃないかとも感じます。
実際この部分に共感している人多いですし、私も同感ですし。
ただ近年の生成AIに対する主張に混ぜてしてしまったがためにいらない反論が起こってしまったと考えます。
例として翻訳AIを上げていましたが、前払いで納期を過ぎて催促が来ているのにもかかわらずコミケに参加している絵師とかに変えても主張は成り立ちます。
私から見ても絵師がゲーム制作者、動画制作者などイラストレーターの描いた絵をもとに創作活動を行っている人に対して納期を平然と破るなど敬意のない態度を取っているのは事実だと思っていますし、実際シナリオライターをしていた時に絵師に無産オタクと言われるなど下に見られた事もありました。
この人もそのような絵師の態度に問題意識を持っていると推察できます。
そういう事かと思います。
以前「『ごんぎつね』の読めない小学生たち」というタイトルで物議を醸し出した記事がありました。
『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状
https://bunshun.jp/articles/-/55970
こちらの記事の中では「子供のボキャブラリーが貧しいことにより自分の感情を表現できない事により双方向のコミュニケーションがとれない」という事が主張されています。
しかし、主張とは関係のない以下の文章が取り上げられバズりました。
兵十が葬儀の準備をするシーンに「大きななべのなかで、なにかがぐずぐずにえていました」という一文があるのですが、教師が「鍋で何を煮ているのか」と生徒たちに尋ねたんです。すると各グループで話し合った子供たちが、「死んだお母さんを鍋に入れて消毒している」「死体を煮て溶かしている」と言いだしたんです。ふざけているのかと思いきや、大真面目に複数名の子がそう発言している。もちろんこれは単に、参列者にふるまう食べ物を用意している描写です。
引用:『ごんぎつね』の読めない小学生たち、恐喝を認識できない女子生徒……石井光太が語る〈いま学校で起こっている〉国語力崩壊の惨状
https://bunshun.jp/articles/-/55970
実際にこちらの文章を全文読んでみると、ごんぎつねは一例にすぎず主張の内容は「国語力の低下により感情の細分化ができなくなってしまう。感情を適切に表現する国語力を身につける事でトラブルを回避できるようになる」という感じになるのかと思います。
しかし不適切なタイトル付とだれもが国語で習う「ごんぎつね」との組み合わせ、そしてごんぎつねの例が内容に即していない事によりいらないバズり方をしました。
奇しくも国語力の低下を問題提起する記事が、国語力がないために長文を読めない人たちの目にとまってしまいタイトルと一部の内容のみでバズってしまったという事になります。
この人も「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という主張に対して、「絵師は特権階級。という意識をまず捨てるべきだった」と表現してしまった事、生成AIについての私見の中に先述の主張を混ぜてしまった事により、国語力がなく一部のみしか読めない人たちから「絵師は特権階級」の部分だけ読まれて炎上してしまったのだと考えています。
その証拠に、他のクリエイターを見下すのは辞めましょうをいう主張の部分が伝わらず、特権階級だというなら練習して絵を描けるようになればいいだろという反論がきてしまっているのです。
「生成AIについて」の主張と、「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という主張を同時に語るべきではなかったと思います。
普段からモヤモヤしていた事を流行の話題にからめてnotoを執筆してしまったがために主張したい内容が混在してしまった。
できる事なら「絵師の立場から言いたい「反AI」の人の態度について」の執筆者には「一部の絵師は他のクリエイターを見下している節があるが、それを辞めましょう」という内容のnoteを再度投稿してほしい。
ただし、このような主張を最初にしたところで読んでもらえる可能性は低いと思うのでこのような過激な表現を使ってしまうというのは理解はできます。
しかしそうしてしまうと本来の主張とは別の捉え方をされてしまうというのは注意する必要があると思いました。
今後同じような内容で出したとしてもAI推進派がまた何か言ってるとして捉えてもらえなくなるでしょうし。
全部見終わった 。まず番組の作りへの不満。30年前に書かれた本に今日的な価値を見出そうとするなら、その後の状況変化、新たに生じた条件を踏まえて今でも通用する部分・陳腐化した部分を検討するべきである。ざっくり古典としてたてまつるには早い。
オミットするべからざる状況変化の第一はアメリカの孤立主義傾向である。トランプはそれを始めたのでなくその流れに乗っかりダメ押ししているだけだ。
もう一つはいわずもがなインターネットだ。特に近年目につくようになったのはいわばデマのデジタル物量飽和作戦である。ロシアの得意技。当局の雑すぎるウソ発表を、当初我々はナメて嘲笑していなかったか? しかしその雑さは「東側」的な要領の悪さ・いい加減さの結果というよりそれ自体が場を荒らし言論そのものを無力化する作戦だったのだ。今後はそれにAIが加わる。公共の「情報空間」そのものが腐海に沈む。
第三夜以降の内容に目新しいものはなかった。エクスキューズをたっぷり挟みつつ基本的にチェリーピッキング。リトアニア独立を非暴力による成功例と言われても、そんなのいわばソ連崩壊過程の余録だろう。
数々挙げられている「成功例」は、非暴力が勝ったのではなく体制が瓦解する時に民衆の側から追加の暴力はいらなかっただけだ。
独裁体制側に暴力の口実を与えないための非暴力というが、プーチンやアサドみたいにヘッチャラでガンガン殺すパターンは?
「多少やられてもいずれはこっちが勝つ」その多少の死体になりたくないし近親をならせたくないのが人間の本音だ。
非暴力的手段に命をかけさせる煽動もまた暴力的であると言える。
畢竟、独裁体制を倒す「さえたやりかた」なんかないのだ。あると思うのが思い上がりである。安全圏からの上から目線のアドバイス。
暴力的な独裁体制下の民衆はやり過ごし耐え忍ぶしかない。独裁体制は本来的に不安定なのだから。なんかの弾みに瓦解する日を待つのだ。俺ならそうする。
シャープ理論への興味が尽きたところで思うのは「民主主義体制もまた本来的に脆い」ということだ。これぞお手本という民主主義のロールモデルは存在しない。民主主義国の数だけブサイクな異形が存在する。イスラエルなんかわりとお手本に近いような先進的でシステマチックなイメージもあったような気がするが今やすっかり自己コントロールを失ってひどい体たらくだ。
「独裁体制か民主主義体制か」が今日的課題なのではないではないということだ。ポイントはそこじゃない。
今日的に重要なポイントはそれぞれにダメな国々がいかに協力して虐殺や抑圧の「悲惨」を避け得るかということ、でもそのための枠組みが死んでいるということだと思うのだが詳論は他日。
「平和な国での平和運動」に、膾吹きカルチャーに現実主義的なふんいきをまとわせる箔付けにはシャープ本は格好のモノだろう。
なんかずっと何かに似てると思ったら伊勢崎賢治だ。さも実務家の触れ込みで全然中身は伴わないという。
ところで「先生役」の清泉女子大名誉教授・中見真理という人を知らなかったがぜんぜんダメだった。完全に仕上がった人である。和田春樹とかの類。
「日本人は平和憲法を棚ぼたでいただいたので、外国のように自分の手で自由を勝ち取る発想がない」
「アメリカはそれであのー経済的な観点からもね、あーの軍事的な、あのー介入を抑えていきますよねこれからね当然ねそういう、そこへ、日本がのほほんと、その(失笑)軍事力を、増強してなんて出ていったら、ほぉーんとにバカみたいですよね」
「他者に決定を委ねる方が楽だと思う人が増えているのではないかっていう気がします。独裁的なリーダーの出現を防ぐことができるかは私たち一人一人の自覚にかかっているということです」
「他国に脅威を与えるような“専守防衛”になっていないかどうか。他国に不安を与えるならば必ず日本の不安となって跳ね返ってくるわけです」
↑
血みどろの「今」を生きてる人の肌感覚じゃない。伝統芸能の業界内でのんべんだらりとやってきて勝ち逃げ確定の人の鼻歌みたいな言論。
47歳男性。既婚。
子どもも順調に育っててはたから見れば羨まれるくらい幸せに見えると思う。
ずっと自分に嘘をついているみたいで、上がっていく収入も、周りからの期待も、全部捨てて楽になりたい。
できれば死亡扱いになって遺産が全部妻に相続されるのが理想なんだけど、流石にそこまではうまくいかないとして、とりあえずは貯蓄を切り崩してくれれば家族は当面生活できると思う。
その後資産を売却すれば、それほど苦労せずとも子育てしながら働いて生活していけるんじゃないかな。
妻は年をとっても魅力的でいつも可愛いと思うけど、この関係が一生続くのかと思うと嫌になってくる。
若い女性がいいとかそういうのじゃなくて、恋が始まりそうで始まらないようなときめきをずっと持っていたい。
それはもう妻とはできない。でも、今の状態でそれを求めれば浮気になってしまう。
なんかもうそれは妻が悪いとかそういうことじゃなくて、自分がただ欲してるだけだと思う。
だからもう一人にさせてほしい。
かといってホームレスも嫌なので、必要最低限の収入で誰とも交流せずに一人でどこかで静かに暮らしたい。
仕事も若い人間に顎で使われてるくらいに責任のない仕事をしたい。
狭いアパートでいいから気が向いたときだけ仕事して、残りの時間はダラダラ自分の好きなことだけをして、誰にも小言を言われず、ただただ残りの人生を無駄に生きたい。
自転車で行けるところまで行って、農家かどっかでしばらく住み込みで働かせてもらえばいいのかな。
大型犬の死体の処理方法に困っている系の話ではないので、ご心配なく。
できれば実体験とかありがたい。
トラバ返信
自慢はしてない。幸福は収入とは比例しないという話であって、行方不明になりたい理由をただ述べたに過ぎない。
それを自慢と取ってほしければもっと自慢する。
幸せになれると思って追い求めたものに幸せになるための答えがなかった。
着物姿で横たわっている女の子の姿を今でも覚えている。死に化粧も施されて綺麗だった。病気で苦しんだ様子は伺えず本当にただ眠っているような顔だった
大人に言われるがまま水で濡らした葉っぱを唇に当てた
そして、私は幼馴染みの妹の母親もいる場面で「これが○○ちゃんの死体」と言った。思ったことをそのまま淡々と口にしていた
亡くなった女の子の母親は私の発言について、私にも私の母にもなにも言わなかったと記憶している
当時の幼稚園児の私に母親が死の概念を説明しようとしていたが、私は母親に説明される前に「死」というものを理解していた
子供心に「そんなのわかってるよ」と思っていた。ただ、友達の妹の遺体を目の前にしたときにどんな態度をとるべきなのか、わからなかった。ただ、大人に言われるがまま濡れた葉っぱを唇にあてただけだ
自分の心に浮かんだことをそのまま口にしただけだった
中年になった今でもこうやって当時の詳細が思い出されるくらい、幼なじみの妹の死は私の心に強烈に刻まれている
子供だって、死をわかっている子もいる。ただ、当時の私のように他人の死を目の前にしたらどう振る舞えばいいのかわからなくなっているときもある
YouTubeで病死する男の子のドキュメンタリーを見たのだが、
もうすぐ亡くなってしまう兄が両親に向けた感動的な手紙をヘルパーに代筆させて、両親がその手紙を読んでものすごく感動しているとき、その横で幼い弟はゲームをしていた。
視聴者も号泣するような場面で弟はゲーム(多分Switch?)をしていた。
私は弟の行動にびっくりしていたが、子供はあまりにも人生経験が短すぎて、こういう場面ではこうするんだみたいなことがわからないし、まだ空気を読めないのだ。
弟は病気の兄のことを軽視していたわけではない。兄の病気のことも、兄がもうすぐこの世からいなくなることも理解している。ただ、弟はあまりにも幼すぎたゆえに自分がやりたいゲームをしていただけだ。悪意なんかない
私も「これが○○ちゃんの死体」と口にしたときふざけているわけでも、悪意を持って言ったわけではなかった
ただ、自分が思っていることを言っただけだ
子供っていうのは人間だけれども、まだ未完成の人間だ。大人からみれば突拍子もないことをしたり、言ったりする
死に対してもそう。その場にふさわしいふるまいがまだわかっていないかもしれない。大人が想定するようなそれっぽい反応というものはまたちがう意外な反応をするかもしれない
だけれども、あの着物姿の女の子を見ていた私のようにあなたの目の前にいるその子供は「死」というものを理解しているかもしれない