はてなキーワード: 海神とは
青木崇高「お前嘘ついてんだろ」
神木隆之介「えぐ!えぐ!ぎゃおおん!」
神木隆之介「お前らの面倒見るわ」
神木隆之介「ぎゃおおおおおおおん!!!!!(黒い雨ドバー)」
民間人「怖いし帰るわ」
神木隆之介「青木崇高おびき出すために嘘の手紙を縁者に書きまくります」←人間のクズ
Dr.コトー「明日朝ゴジラ来るけど帰っていいですよ(ホワイトアピ)」
海神作戦開始!!!←ちょっとアガるけどゴジラ上陸の予測外したせいで音響装置無駄になる
神木隆之介「パイロットテクみせてやるぜ!」←コクピットに写真つけるのちょっとかっこいいけど脱出装置あるのに生きて帰れと言われて無視するクズ
神木隆之介「ぎゃおおおおおん!!!(特攻)」←落下傘搭載してるので特攻ではない
神木隆之介「ぎゃおおん!」
ゴジラ「覚えてろよ」
ある日、俺は海辺で老人に出会い、不思議な洞窟に連れて行ってもらった。洞窟の中には、輝く宝石や貴重な宝物がたくさんあった。
しかし、宝物を手に入れるためには、海神様にお供え物をする必要があると教えられた。俺は老人の助言を受け、鯨に乗って海の奥深くまで進んでいった。
鯨に乗りながら、透き通る海水やきらめく魚たちを見ながら、不思議な感覚を味わっていた。そして、俺たちはついに海神様のいる場所に到着した。俺は、鯨を降り、海神様にお供え物をしました。すると、海神様は俺たちに宝物を授けてくれた。
宝物を手に入れた俺は、それを売却して大金を手に入れ、自由な時間を更に楽しむことができた。しかし、そのお金で遊んでいるうちに、自分が何をしたいのか、何を求めているのか、見失ってしまった。
そんな時、宝物の力で時空を超えた海底神殿に辿り着いた俺は、偉大な先人たちが残した賢者の言葉に出会い、自分自身の本当の価値を見つけることができた。
その後、俺は自分のやりたいことに真剣に向き合い、多くの困難を乗り越えながらも、自分自身を成長させることができた。そして、俺は老人に感謝しながら、またどこかに冒険に出かけることを夢見ている。
小説家志望の駿は、沖縄の離島で親戚のおばさんの営む宿に間借りして住み三年になる。彼は、毎日独りで海を見つめている男子高校生が気になって仕方がない。男子高校生の実央(みお)は孤児で、いまはよその家に世話になっているというが、その家には帰りたくなくて海を眺めて時間を潰しているらしい。
駿は実央に一目で惹かれてしまったのだが、実央は駿が自分を憐れみの目でみないところに惹かれていた。
だが、実央は本島の施設に移り、そのままほぼ音信が途絶えてしまった。ところが三年後、大人になった実央は駿のもとに帰ってきたのだった。
以前、続編の『春風のエトランゼ』を前提がよくわからないままなんのこっちゃと思いつつ読んだけど、こういう話だったのか。なるほどねー。
『春風の―』を読んだ時にも思ったが実央が攻めで駿が受けなのが意外だ。でも、商業BLでは年下攻めというのは案外多いらしい。攻めが未成年の場合はとくに。
絵が隅々まで綺麗でいいけど、絵に誤魔化されている感があるというか、素敵なシーンばかり見せられている感があるというか。ゲイの苦悩葛藤がなんか取って着けたように見えて仕方がない……。実央の「ノンケだけど駿のこと好きになっちゃったから大丈夫!」っていう能天気さが、ファンタスティック過ぎて私は着いていけないのかもしれない。
それに、北海道出身という設定の駿が家の為にゴリゴリに古風な祝言上げるところだったとか、元婚約者の桜子さんの大正浪漫と昭和レトロの中間的なお嬢様ぶりなところとかなー。北海道ってそんな旧態依然としたお土地柄なの? そうとは聞いたこと全くないのだが。結婚式は会費制くらいのことしか知らんけれども(そのさばさばした印象がつよいのか)。
個人的にはあまりハマれないなこれ。絵は綺麗でかわいいけど。(だがむしろ作者は百合の方が描きたいのでは? というくらいに脇役がめたくそ百合百合していた。メインのBLが霞むくらいに。そこもハマれない原因のひとつかもしれない)
今ならシーモアで丸々0円で読めるよ!
短編集。男子中学生たちを主人公にした、耽美でレトロな物語。ちなみに、『紺碧』と『紺一点』は単行本『紺極まる』に続いている。
長野まゆみ先生の持ちネタが詰まっている。水琴窟とかバードベルとか義兄に恋しちゃう義弟とか。同じネタを使って毎度似ているようで違う話を作り出すのすごい。ストーリーの内容がどうとかいうよりも、物語のバリエーションと文章構成の素晴しさに感動してしまった。
瓜はめば子等思ほゆ栗はめば況して偲はゆ
と、山上憶良の長歌の出だし部分が引用されているのを見て、『左近の桜』の『瓜喰めば』の章を思い出したので、再読してみた。↓
主人公の桜蔵(さくら)は、男と男の忍び逢う宿〈左近〉の長男で高校2年生。彼はゴシックな体質を持っている。というのは、彼はこの世ならざる者を拾い、交わることで相手を成仏させてしまうようなのだ。そんな彼のことを、父の柾(まさき)や〈左近〉の常連客の浜尾は〈女〉と呼んでからかう。桜蔵は年上の女ともだちがいて男には一切興味がないので、〈女〉呼ばわりは不本意だと憤るのだった。
これは桜蔵がこの世ならざる者達に引かれ、此岸と彼岸の境目を彷徨う、妖しくで耽美な短編連作集。
夏休み、父の柾に連れられて弟の千菊(ちあき)と共に池畔の別荘地にやって来た桜蔵。父との夏休みを満喫する千菊。一方、桜蔵は柾に雇われ高額のバイト代目当てに雑用をこなす。
柾と千菊が出かけている間、バンガローの掃除に勤しむ桜蔵。彼の前に不器用に西瓜を売り歩く男が現れて……。
瓜食めば子ども思ほゆ栗食めばまして偲はゆ
章のタイトルにこの歌を冠した通りに、柾が息子を可愛がる話なのだが、ただし柾がかまう相手は実子の千菊ばかりだ。柾の実子ではない桜蔵は柾から息子を息子とも思わぬような扱いをされているが、桜蔵も柾とは血縁関係のないことをわきまえ雑用アルバイトに徹している。……という、そのわきまえっぷりが地の文に長々~と書かれているんだけど、これだけわきまえてますから! とばかりに書かれると、負け惜しみに読めるw 桜蔵が実際に弟にやきもちを焼いて当たったり父に文句を言うような場面は、シリーズ中に一度も出てこないのだが。
桜蔵にとっては柾は単なる父親というよりは父性あるいは大人の男という概念が具現化したような存在であって、血の繋りがない事なんて大した問題ではないらしい。だが、血の繋りがないだけに、父性への憧れがなんかこう、恋心めいているように見える。
この章でもまた、桜蔵はこの世ならざる者に魂を抜かれて危うく死にかけたが、彼は窮地を柾によって救われたのか、桜蔵の欲求がそんな幻覚を見せただけのかは曖昧だ。
「(死人に)喰われたくなかったら、蛙のふりでもしてろ」
と桜蔵に言う柾。これは、
人来たら蛙となれよ冷やし瓜
という、小林一茶の俳句からの引用。これを私は、さすが風流なことを言いますなぁ、くらいにしかずっと思っていなかったのだが、今回再読して思った。瓜にそんな事を言い聞かせるのって何故? →自分が食いたいからに決まってるじゃん。
誰かが来たら蛙のふりでもしてろ。あとで私が食ってやるからさ(^_-)
激しく萌え散らかした。(だが、送られた当の桜蔵がそういう意味で受け取りときめいたかキモがったか、あるいは意味わからんと首を傾げたかは謎のまま、物語は終わってしまった)
後に、何章だったかで柾は選ぶ権利は〈男〉ではなく〈女〉にある(柾ほどの男でも〈女〉から選ばれなかったこともある)と言う場面が確かあった。選ぶ権利は〈女〉である桜蔵にあるからといって、俳句なぞ送ってアッピールしたろというのが柾の魂胆なのか、単に桜蔵をからかっただけなのかは不明だが、個人的には前者に賭けたい。
次はついでに読んだ第4章『骨箱』。
第3章にて謎の男の手により背中一面に蝶を転写されてしまった桜蔵だが、いまだに蝶を消すことが出来ないでいる。学期末となり秋の修学旅行の費用を支払わなくてはならないので、桜蔵は背中の診察もかねて柾の診療所を訪れる。旅費を出すことを二つ返事で了承した柾が桜蔵に手渡したのは、現金ではなく〈骨箱〉という銘の徳利と手書きの地図。柾は桜蔵に、〈骨箱〉を質屋〈八疋〉に売って金を工面しろと命じる。桜蔵は地図を頼りに〈八疋〉を探すが、たどり着いたのは「望月」と表札のある民家で……。
この章に登場するチャラ男の幽霊は桜生(さくらお)じゃないか。桜生かもしれないと思ってはいたが、かもしれないじゃなくて明らかに桜生だった。なんでそんな事も読み取れなかったの過去の私……。
桜生とは、桜蔵の戸籍上の伯父であり、過去に柾と付き合っていた人でもある。『左近の桜』の続編『咲くや、この花 左近の桜』で初めて名前が登場する(その時は高校生時代の容姿で桜蔵の目の前に現れる)。柾がちょっとひねくれた男を好んで愛人にしがちだということが他の章で書かれていたが、桜生もまたちょっと、いやかなり癖のある人物だ。後に、桜生に男を寝とられた〈女〉(生物学的には男性)が、桜生への報復として柾を寝とり返すというエピソードがあったりするくらい。
桜生のもとへ桜蔵は柾から預かった「桜生の形見の品」を持って訪ねて行くことになったので、桜蔵は柾の差金で桜生と出会わされたと読んでもいいのだろうか。
なんの為に桜生に会わなければならないのか? 単に修学旅行費を稼ぐためばかりじゃなくて、桜蔵の背中に転写された蝶を消してもらうためだろう。
桜蔵が桜生のもとを訪ねたとき、望月家の界隈では水神祭が催されていた。また、望月家の庭には水神の井戸がある。『左近の桜』シリーズに登場する〈男〉と〈女〉が水神に関する何かだというのは『その花の名を知らず 左近の桜』で書かれていたので、水神祭の日に桜生が現れるのは偶々ではなさそう。
ということに気づかず読み流していた私の読解力やばすぎ。もっと落ち着いて丁寧に本を読もう、と反省。これまでの人生で読んで来たその他の本も大いに誤読してたり理解してなかったりしそうだから、あとで再読してみようと思った。
桜蔵は桜生と出会い言葉を交わしてそれ以上のこともするが、桜生のほんとうの相手である柾は桜生を見ることも出来ないらしいというのが、切なくていい。
浮気者の若旦那とその新妻の両方を狐が美女・美少年に化けてだます話。
泉鏡花の文章って私にとっては古文の範疇なのだが、古文というほどに現代語とかけ離れてはいないせいで現代語訳がないので、調べながら読むのが難しい。だからとても苦手。それで、『長野まゆみの偏愛耽美作品集』のページをめくる手は『狐』のとこで数週間止まっていたのだが、せっかく買ったものを積んでおくのもなんだから、頑張って読んださ。七ページしかなくてよかった。『海神別荘』みたいにくっそ長かったら辛かったから短くてよかった。
ちなみに、『海神別荘』を辛い辛いおめきながら読んだのは、『シャングリラの鳥』(座裏屋蘭丸)のなかで語られるおとぎ話の元ネタがそれだったから。あーなるほどと思った。
『狐』に話を戻すけど、耽美だからすごいというよりはオチが面白い話だった。
その他に『僕らの地球の歩き方』(ソライモネ)も読んだけど、これはあとで気が向いたら感想を書こう。Kindleでプライム0円で読めるよ!
偶数月の末日頃発売。電子版は基本的に翌月の10日前後に発売なのだが、今回は4日発売と、いつもより早かった。今回も私の推し作家・座裏屋蘭丸先生はお休みだ。ひぃん。しかし『Daria』で連載中の『コヨーテ』が佳境なので仕方ない……。再来月まで待てがんばる……。
そして今回は前号で最終回を迎えた、『 鴆(ジェン) 天狼の目』(文善やよひ)の記念特集が紙本版にはドドンと入っているはずなのだが、電子版には文善やよひ先生のコメントまでひっくるめて一切掲載されていない。悲しい。なんでそんなに電子派を冷遇するの……。Canna公式Twitterによれば、特集記事のほかに各鴆シリーズの第1話も一挙再掲載されているらしい。
鴆シリーズは獣人(鳥人)ものという、BLの中でも特殊なジャンルではあるけれども、とても漫画の上手な作家さんの描いた漫画で読みやすいので、BL初心者とジャンル不問で漫画好きの人におすすめ。個人的に好きかと問われると、微妙なのだが……(単純な好みの問題)。
ということで、 鴆特集は電子派の私には読めないので、それ以外の掲載作の感想をば。
新連載きた! バンドマンBL。主人公が性的なトラウマ持ちでしかも感性が周囲とズレていて浮きまくる系の人。ゆえにすっかりメンヘラに成長しており、おそらく攻めであろうバンド仲間(ベース担当)に面倒を見られてなんとか生きてる感じ。
1話目なのでなんとも言えないが、バンドマンBLというと『ギヴン』という超人気作品の存在がよぎるので、チャレンジャーだなと。
去年の暮れ辺りに完結した『ヤクヨメ♂』のスピンオフ作品。ヤクヨメ♂の攻め・いわおの子分的な人のツレが主人公。タイトルは主人公の職業が漫画家であるためにバクマンみたいになったようだが、かといって主人公がちゃんと漫画家稼業に励んでいる描写があるわけではない。カップリングが替わってもなお、作者の例のあの性癖をてんこ盛りに盛った内容である。まあ幸せそうでなにより♂♂♂
読み切り。パン屋×米屋の幼なじみBL。エロはない。ピュアラブ系。絵柄が『この世界の片隅に』のこうの史代先生的なふんわり系で、ストーリーにも尖ったところはない。最初から最後まで可愛くほわほわしていた。たぶん、二次創作でしかBLを知らない人の漠然と思う「BLってこんな感じ」に近いんじゃないかと。なごむ。
逃げる相手を追うのが好きな男×逃げ癖のある男。あ、攻め受けこれで合ってるかな?
前編から間が空いてしまったので、どんな話だったっけな……。出来れば短い話は毎回掲載されるといいんだけど、BL読みにおいては短気は損気だ。
絵柄がリアル寄りでがっつりと大人の男同士のゲイものって感じ。
フラッととんずらをこく方もこく方もだが、昔とった杵柄とコネで相手の居場所を特定してくる奴もだいぶヤベェ。もはや犯罪だし。でも追う方からはターゲットはびびりながらもちょっと嬉しそうに見えたらしい。うん、それって幻覚じゃないかな。
今となっては一般ジャンルでも大人気小説家でBL小説家でもある凪良ゆう先生の人気作品のコミカライズ版。世間知らずの坊っちゃん医者×詐欺師。
毎度思うけど、凪良ゆう先生の小説は大部分が心理描写に費やされているし、分かりやすくてノリのいい文体が魅力なので、それを絵で見せられてもなぁ……という感じ。いくら上手い絵でも。凪良ゆう先生の小説が好きだが『積み木の恋』は未読の私としては、ただ原作を読みたくなるだけ。凪良ゆう先生を全く知らない人が読んだらどう思うだろうな? 一読してスルーかな。
まあ、コミカライズ担当の漫画家が悪いんじゃなくて、いくら出版不況で小説が売れないからってこんな企画立てちゃう編集部がよくないんだ。
『 鴆(ジェン)』特集は冒頭に書いた通り電子版には載っていないので、省く。
ゲイカップル・いまぢとほづつみの家に猫に擬態した宇宙人のサンが転がり込んできて、地球侵略の為の情報を得るためにいまぢとほづつみの暮らしを観察しているという話。
痴話喧嘩回。今回はサンの出番が多くてよかった。自転車をこぐいまぢの後頭部に貼り付いているサンの後ろ足がとってもキュート。サンは中身が宇宙人なだけあって人の心を解さないかと思いきや、人間の夜の営みをガン見で観察した結果、恋愛アドバイスができるまでに成長してしまった。すごい猫だ。釈迦に説法感のあるアドバイスだったけれど。
ラストの引きが強い。これは続きが気になるぞ……。
旅人×猫耳獣人。旅人のオルは癖の強い城塞都市国に入国するなり引ったくりに遭い、無一文身元不明人になってしまう。なり行きで働くことになった、猫耳獣人ばかり売っている娼館で、美しい娼夫アコニと出逢う。
ハーレクインのような美麗な絵とストーリー。しかしBLである意味がもはやなくないか? というほどに娼夫達の見た目が女性的。
今回はあまりストーリーに進展がなかったな……。オルが重大な決断をしただけで(それが「進展」というやつなのでは?)
サイボーグ×人間。酸素濃度のやたら高い星に来た元軍用サイボーグが、植物の調査研究をしている人間の護衛だかお守りだかを担当する話。
もはやハードボイルドの可能性はすっかり消し飛んでしまった……。人の心を薄くしか持っていないサイボーグが、ワンコキャラな人間に恋してしまい、誰が見てもほわほわと浮わついているという話。これは温かく見守るしかない……。正直、もっと渋いのを期待してたのだが。山なしオチなし意味なし略して「やおい」まさにこれ。
オメガバース作品。政略結婚と人身売買の中間みたいなカップルなんだけど、買った方の攻めは受けの事を好きなわりに受けの愛を信頼してはおらず、買われた受けの方は実は真っ直ぐ攻めを愛している。猜疑心故に素直になれない攻めと、惚れた弱みで腹を割って話すことが出来ずに攻めの顔色をびくびく窺い続ける受けの、ディスコミュニケーションぶりが、読んでて非常に辛い。
現代的な人権意識と家庭内の前時代的な価値観による閉塞感のギャップがえげつない。ていうかこれ完全にDVじゃん。受けの人全力で逃げて!
……と思うんだけど、逃げねんだよなぁー。それでも攻めを愛してるからってよー。
そんな古風なストーリーなんだけど、今回は実在の最新型避妊薬「インプラノン」が登場する。えっこれもう認可されてたっけ? と思わずググってしまった。マッチ棒くらいの長さの筒の中にホルモン薬の仕込まれた避妊薬で、二の腕の皮下に埋める。三年くらい避妊効果が続く。飲み忘れリスクがないので、99%くらいの確率の避妊効果があるそうだ。
そんな文明の利器を受けの人は良かれと思って攻めの人と相談せずに独断で使用してしまう。そしてそれが新たな修羅場を生む。
あのさぁ、そんだけの行動力があるなら事前に攻めの人とよく話し合おうよ。とも思うけど、攻めは攻めで支配欲と嫉妬の塊で受けとの約束をあっさり覆してくるやつなので、話し合ったところで受けにとって良いような流れには、ならないんだなあ。
今時こういうストーリーはただ只管に辛いばかりなのだが、このギチギチに古風なDVカップルがどのように軟着陸するのか(Cannaだからバドエンではない、と信じたい)、興味はある。
『嘘つきな愛を買う』のDVカップルでがっつりテンションを落とされた後で、今度は陽気に? サバサバしたディスコミュニケーションカップルのやつですよ。ゾンビの佐田×マッドサイエンティスト間宮の日常BL。
前回、一泊温泉旅行(+一泊)にて、恋バナで盛り上がった佐田と間宮。佐田の独特な恋愛観……実は世間一般でいう所の恋愛というもののべたべたしているところが苦手で、それよりセックスの出来る友達くらいの距離感で人と付き合えるといいなと思ってる(間宮と付き合いたいとはミリも言っていない)……を聴いた間宮は、じゃあセックスしよう(もう友達だから)と提案(という名の強制)をしてきて、佐田大ピンチ。
『スリーピングデッド』上巻のレビューには「受けの間宮がだいぶ無理。これで萌えろと言われても」的なことが書かれていがちなのだが、主人公の佐田にとっても間宮はかなり無理だったというのには笑った。正直に「たぶん無理……」と言ってしまうBLの攻め様ってどうなのw
そんな佐田に好かれようと一生懸命な間宮がとても可愛かった。まだ3月なのに可愛い受けオブ・ザ・イヤーが来てしまったぞ大変だ。思いがけない佐田の行動にびびった時の間宮が、死ぬほど驚き怯えた時のハムスターみたいに両手を胸の前で縮こめて目を見開く姿が可愛くて可愛くて可愛くて可愛い。
一方、佐田はといえば間宮がツンツンしまくりながら無茶な要求・暴言・暴挙をぶつけてくるのに案外律儀に応える体でいて、最終的には首尾よく間宮を丸め込んでちゃっかり自分の身を守り切るところが、学校の先生って感じだった。お前そういうとこやぞ……。
もはやゾンビ物とは? って感じのストーリーで今回は特に息抜き回色が強かったが、次回からはどう話が転がって行くのだろうか。ずっと間宮の純愛ネタばかり描かれる訳じゃないだろうし。もうすでに単行本1冊ぶんくらいの分量は書かれたわけだし。既刊が「1巻」ではなく「上巻」なので、あと1、2話で完結して下巻が出るか、1回くらい休載して中巻が出るかかな。
男同士でがっつりド派手に致しているところが見たい人には物足りないんだろうけど、大人の恋愛漫画としてとても面白いので私は好きだな。
耽美SF少年愛BL小説家・長野まゆみ先生が十代の頃に心ふるわせた珠玉の小説、随筆、詩歌のなかから、耽美入門に相応しい全26作を精選。全作品に長野先生のコメント付き。巻末に解説もあり。
目次を見渡すと錚々たる顔ぶれに眩暈がするけど、幻想文学好きは必ず履修する作家ばかりだ。
が、私は現代の幻想小説はわりと好きなんだけど(長野まゆみ先生のほか、川上弘美先生や金子薫先生や今村夏子先生とか)、明治~昭和前期の幻想小説はあまり得意ではないんだよなあ。三島由紀夫は『潮騒』しか読んだ覚えがなかったし、泉鏡花は戯曲『海神別荘』しか読んでいないという体たらく。なお内田百閒は開始十行で寝落ちした。
そんな私が、いくら長野先生のファンだからって、本作品集を買っても最後まで読み切れるのか、甚だ疑問だ……。
では、頑張って読めたぶんだけ。
遊園地で二十七羽ものインド孔雀が殺される事件があって、その重要参考人・富岡の家に刑事が訪れる。富岡はただ前日に公園で孔雀達を長時間眺めていたというだけで犯人ではなさそう。だが富岡家の応接間の異様さと、壁にかけられた美少年の写真のことが、気になってしまう刑事だった。
冒頭を数行読んで、長野まゆみ先生と文体がよく似ていることに驚いた。もしも著者名を伏せられたまま読んでいたら、長野先生が書いたものかと容易く信じそう。文体が似るほど三島由紀夫に影響を受けていたとは。『潮騒』を読んだ時は、似てるとは思わなかったけどなぁ。
かつては美少年だったことを誰にも信じて貰えないほどに老いた男が、孔雀の羽の輝きに魅せられる。(孔雀の羽の色は色素で染まったものではなく、羽の構造が光を反射したものなので、永久に劣化しないのだ。)何者かの起こした事件により、孔雀の美を完成させるには死が不可欠だと気づいた男は、自分こそが事件の犯人ではないのかと妄想をし始める。
ラストシーンは男の美への執念が具現化したみたいでぞくりとした。
雑誌『象徴』の編集長・磯貝が出勤すると、先ほどまた蕗谷から電話があったという。蕗谷というのは筆書きの原稿を持ち込んだ美少年だ。日頃からどんな無名の作家の書いた作品でも必ず目を通すことにしている磯貝は、さっそく蕗谷の小説『蔵の中』を読み始めた。
冒頭は蕗谷の自伝風で、亡き姉との思い出を書き綴ったものであった。だが、姉の死後に蔵の中に独り引きこもるようになった主人公がとある楽しみを見出だした場面から、物語は思わぬ展開に……。
『偏愛耽美作品集』のどこら辺が「偏愛」なのかといえば、美少年が登場するものばかりをピックアップしているところで。さすが長野先生なだけあって。
無名作家の小説『蔵の中』と現実の出来事が交錯し、やがて殺人事件の真相を描いてゆく、と見せかけて……。という現実と虚構が入れ子状になっていてしかもその境界が曖昧な感じ。長野まゆみ先生の『左近の桜』に受け継がれているよなぁ。
蕗谷が女装にハマって鏡の前で表情を作るシーンがとくに印象に残った。
山の手に生まれ育った令嬢のとく子は、眼病の治療のために下町の病院へと入院する。その病院の近所には時春という下町っ子でぽっちゃりめの美少年が住んでいて、しばしばとく子を遊びに連れ出すのだった。
縁日の夕にも時春はとく子を呼び出し、つれ回した。あまりの美しさにどこへ行ってもモテモテで人気者の時春がわざわざとく子を連れ回す理由は見栄のためと、とく子は見抜いていた。とく子の令嬢然とした着物姿を見せびらかすために時春は彼女の手を引くのだと。そこに本心からの労りや思い遣りはない。
時春はとく子を火事現場の跡地に連れ込んだ。「君にほんとうのことを聴いて貰う」と時春は言うが……。
顔が美しいのが唯一の美点の少年。美しい顔はそのままで素顔ではなく見栄の一部となってしまい、その口から出てくる言葉の全てが人の気を惹くための嘘っぽくなる。美しい顔というのは実は醜い顔と同じく異形の一つなのだ。
時春の見栄っ張りを女の子の目敏さで見抜いてしまうとく子だが、時春の美貌の下に隠れた本当の孤独の寂しさには触れようとしない。そんな憐れな話。
ラストシーンで、時春の本心をちゃんととく子が見抜いていたというのが明かされるのが切ない。なんかこれじゃ、時春死んじゃってよかったみたいじゃん……。
はぁ、まだあと23作品もある……。これを私はあと何百年後に読み終わるんだろうか。しかも岡本かの子の次は泉鏡花だし。開始数行でうっ、苦手かも……と思い、もう数日放置している。
邪馬台国には7万の家があったとされているから、その場所には諸説ある
ひとまず邪馬台国亡きあとに、大分・宮崎の範囲にあった豊日別(トヨヒワケ)は、十分な広さがあるので、ここだと仮定する
トヨヒワケ南部は日向(ヒムカイ、ヒムカ)だが、ヒミコの名に似ている
北部大分(オオワケ)は貿易港が発達しており海神の貴船神社や住吉神社が多い
つまり邪馬台国のヒミコは、ヒムカイの祖母山(天皇の祖母の山)あたりを本貫として、オオワケの海で貿易や漁業をしていたと思われる(玄界灘の伊都国も栄えていたが)
魏人は、伊都国からオオワケの別府(別の府)に着いて、おそらく温泉や船を試していたために、ヒムカイに至るまで「水行10日陸行1月」になってしまったので、距離ではなく日数だけ書いたんだ
むかし、「ツツ ノオ」3神が、神功皇后に新羅征伐を勧めたという話がある
ちょっと意味が分からないのは、貴船神社が海神を祀っているのに、住吉神社も海神を祀っていることだ
思うに、たしかに筒はツツと読むのだが、住吉は「墨江」とも書かれていたらしく、墨といえば文書だ
すると文章を書きしるすとか、一つにまとめるという意味で 綴(ツヅ)るという言葉がある
古代は、字は木簡などに墨で綴られ、木簡は紐で板状に綴られたりもした
だから、住吉神社の3人のツツノオの筒(ツツ) → 綴り(ツヅリ) ではないか?
「綴」はどうしてか、三国志にも出るし日本でもツヅルと呼んでいただろうに、古事記には出てこない漢字なのだ
古事記当時には、紙技術があった(技術者を連れてきていた)からだろうか
何をかいわんや
船橋海神です(id:cj3029412)。何だそりゃwww
ワニの豆本「なんの本だろう」奈良林祥です。何か、真珠に言及がありました。
https://www.amazon.co.jp/dp/4584101841/
その前段として、なぜ奈良林祥を知ったかというと、父親の隠し書棚に、奈良林先生の「HOW TO SEX」(旧版?)があったからです。
https://www.amazon.co.jp/dp/4584120757/
それで当時の宇都宮の書店で著者名を頼りに学校帰りに探して立ち読みしていたら補導されました。
並びのワニの豆本には、ツービートの「わっ毒ガスだ」もあったような朧げな記憶。
--
私は一介の十二国記ファンである。中高生の頃にはまり、「白銀の墟 玄の月」で再燃した。
本記事では、十二国記世界の疑問点について語り、次回の短編集の内容について、時には私の好みで脇にそれつつも、予測したい。その途中で、私自身のこの作品に対する解釈や思い入れにも立ち入るかもしれない。
各物語のあらすじについては、熱心な読者が多いと思われるので、略す。さて、この順で読み返すと、次のような傾向がみられる。すなわち、王と麒麟の視点から見た世界よりも、庶民から見た世界の比重が大きくなっているのだ。確かに、「月の影 影の海」では陽子は大変な苦労をして玉座に上り詰めるし、「風の万里 黎明の空」「黄昏の岸 暁の天」では、いかに王としての責務を果たすかが語られる。一方で、同じ「風の万里 黎明の空」は民衆のレジスタンスの物語であり、それがさらに大輪の花を咲かせるのが「白銀の墟 玄の月」だ。これは都市の規模ではなく、国家規模にわたる抵抗だ。
もう一つの傾向とは、読者層の拡大である。もともと少女向けレーベルで出版されたからだろうか、十代の少年少女にとって教訓となるような個所は少なくない。「風の万里 黎明の空」における鈴、祥瓊の扱いを見れば顕著だ。一見同情すべき境遇にいるようでいて、それに甘んじている彼女らを待ち構えているのは叱責であり、罰である。この年齢になって読み返すと、幾分説教臭く感じなくもない。
しかし、「丕緒の鳥」からシリーズ全体の印象ががらりと変わった。組織の中で働く官吏や、避けられない災害を前にして自分のできることに必死になる民衆の姿は。年齢を重ねた読者の心も打つ。少女向けとされる小説から最も縁遠いように思える、中高年の男性もうならせるだろう。この作品は、あまりにも不条理な世界で生きる人々へのエールとなっている。
つまり、これから尚隆や陽子の視点から物語が描かれることは少なくなるのではないか。きめ細やかな民の物語を描くとき、王の存在は強すぎる。「東の海神 西の滄海」も、一歩間違えれば「俺TUEEE」っぽくなってしまう(そうならならずに尚隆が有能かつ魅力的に描ける腕前がすごい)。そう考えると「白銀の墟 玄の月」で出てきた尚隆は作者なりの大サービスだったのかもしれない。それに、神隠しにあった泰麒で始まった物語は、一応は解決しているのだ。王や麒麟のこの先に物語は、長編としては出てこないかもしれない。
前項でも述べてきたが、次に尽きるだろう。
十二国では天帝が定めた天綱が憲法としてあり、王が定める国法、地綱はそれに反することはできない。また、州の法律も王が定めた法に反することはできない。
天帝は民に土地を与え、それを耕すことで生計を立てるように命じた。逆に言うと、天の設計した社会では、民衆は生まれた里で農業だけをして過ごすことしか想定されていない。
しかし、現実はそうではない。「図南の翼」に出てきた珠晶の家族のような大商人もいるし、「白銀の墟 玄の月」に出てきた宗教関係者もいる。冬器を作る工房もある。私塾もあれば宿もあり、雁のように豊かな国では副業で馬車を出す者もいるし、事実上の奴隷だっている。
そして、最大のイレギュラーが定住民でさえない黄朱の民だ。彼らが歴史に関わってくるあたり、実際の中国の歴史にもよく似ている。
言い換えると、天は王と官吏と農民だけの世界を想定していたが、天の条理の隙間を縫う形で民は複雑な社会を形成してきた。そして、この世界の民衆はルールの穴をつき豊かに暮らしているし、謀反を起こす力もある。これは、専制君主の世界ではあるけれども、ランダムで選ばれた大統領に支配される民主国家の姿に、少し似ているのだ。私たちの世界の大統領・首相も間接的に選ばれるため、民意がどこまで反映しているか、はっきりしていないところがある。十二国世界は、実は私たちの世界の鏡像なのだ。
今後の作品の傾向としては、黄朱の民のように条理からはみ出てしまった人々にもスポットライトがあることと思う。と同時に、黄朱の民はこの世界の条理に生じた大きなほころびでもある。現に、彼らの里木はよそ者が触れれば枯れる、大きなペナルティを負っている。
それと、この世界では思いのほか宗教がしっかり根付いていた。我々が最初にこの世界の宗教を教えてくれるのが合理主義者の楽俊だったため、この世界の人々はあまり天に頼らない印象を受けたが、子供を授かるには祈るほかはないわけで、むしろ熱心な信仰がないと不自然であった。
十二国記が元々は少女向けに書かれたことをうかがわせる設定はいくつかある。例えば、王と麒麟の運命的な出会いだ。女性向けフィクションにはオメガバースをはじめとして、そうしたパターンが多い印象がある。もう一つはときとして未婚の女性をひどく不安にする妊娠・出産からの「解放」だ。女性の苦痛が大幅に減らされており、またこちらの世界とは異なるいくつかの価値観も女性に優しい。王も麒麟も官吏も(軍人を除けば)男女同数だし、子供のいる女性は再婚相手としてむしろ歓迎される。ジェンダーSF・フェミニズムSFとして十二国記を読み解くことも可能だろう。血縁意識が薄いのもその傾向を示している。とくに、楽俊はこちらの遺伝について、似たような顔をしたやつが同じ家にいるのが薄気味悪いのでは、と漏らしている。
しかし、この期待は裏切られる。ここはけっして楽園ではなかった。「白銀の墟 玄の月」のなかで李斎は、男社会の軍隊で生きる女性の苦しさを吐露する。また、明らかに性暴力を受けた女性も登場する。それに、序盤からすでに妓楼も登場している。この世界のセックスワーカーがどれほど過酷な生活を送っているかは不明だが、妓楼に行くことはあまり道徳的に褒められたものではないようである(余談だが、楼閣が緑色に塗られているのは現実の中国にもあった習慣であり、「青楼」と呼ぶそうだ)。
考えてみれば、官吏は女性も多いとされながらも、登場する官吏の多くが男性である。育児の負担がこちらよりもはるかに少ないので、昇進や待遇に差があるとも思えないのだが、これも隠されたテーマかもしれない。
それと、生理の問題がどうなっているかもはっきりしない。初期作品の傾向からすると生理から「解放」されている可能性が高かったが、女性の苦しみをテーマとするならば、生理のしんどさやそれにまつわる迷信・タブーが出てくると考えるほうが、筋が通っている。
天帝が女性、または西王母が兼任している可能性が、ふと浮かんだ。別に女性が王になれるのだから、天帝が西王母より偉い理由は別にない。
十二国記って男性しかいない場所がないこともなんだか怪しい。軍隊も三割は女性だ。逆に、女性ばっかりの場所が蓬山である。麒麟を育てるのは女仙たちだからだ。これも天帝女性説を補強しないだろうか? また、妖魔が雄だけというのも、なんだかそれに関係しそうだ。単純に作者が女性だというだけのことかもしれないが。そもそも「いない」可能性もあるが、根拠は全くない純粋な空想だ。
考察サイトが華やかなりしころ、いくつかのサイトでは天帝がラスボスなのではないか、という説がまことしやかにささやかれていた。確かに「黄昏の岸 暁の天」での天の対応はあまりにもお役所的ではある。ルールに従わなければ何もできないところが、法律に定められていなことは原則としてできない公務員によく似ている。
だが、もともと中国・道教の死生観がそういう面がある。「救急如律令」も、法令を守るように促す言葉であり、古代中国の役人が賄賂に弱かったように、今でも神々に心づけを渡す習慣がある。
そして、自分は天帝がラスボスになりえないと考えている最大の理由が、十二国記が不条理にあらがう人々の物語であるからだ。天帝を倒した後どんな世界を作るにせよ、人間が作り上げた世界である以上はやっぱり不完全なものになるだろうし、仮に完璧な世界を作ってしまったら、それは理想郷を描いた現実逃避のための小説になってしまう。「黄昏の岸 暁の天」のなかでも陽子はつぶやいている。天が実在するのならそれは無謬ではありえないのだ、と。
私が次回の短編集に出てくると予想する要素としては、今までの物語を受けて次の通りだ。
また、
そして、長編がありうるとしたら
と考えている。
少しろくでもない空想をしてみる。六百年の大王朝が滅びるとしたら、それはどうやってか。
王朝の最後にはいくつかの傾向がある。一つは陽子を暗殺しようとした巧の錯王や、慶の予王のように、王個人の劣等感に押しつぶされるパターン。もう一つは芳の王(祥瓊の父)や一つ前の才の王(黄姑の甥)のように、長所が裏目に出るパターンだ。祥瓊の父は清廉な人柄であったが、完璧主義者で罰が苛烈に過ぎた。黄姑の甥も正義感にあふれていたが、現実を検討する能力に乏しかった。
で、奏の特徴としてはのんびりとした気風がある。これが欠点となるのは、のんびりした気風で対応できないほどの速さで十二国世界に変化が起きる場合だ。つまり、利広の情報収集を絶てばいい。彼が旅先で死亡するか、家族が業を煮やして彼を王宮に拘束するかだ。ところが、「帰山」では、しばらく王宮暮らしをしろ、という趣旨の台詞がある。
これが奏の滅亡フラグかといえば穿ち過ぎな気もするが、宗王一家は全員同じ筆跡で公文書が書けて、しかも御璽を押した白紙が大量にあるので、一度分裂したら矛盾した命令が出されまくって国家の体をなさなくなり、あっと言う間に沈む危険がある。白紙委任状ほど危険なものはない。ああいう仲のいい家族が崩壊する様子を書くのって、日本人作家は上手だというイメージがあるが、数ページで滅んだ、と示されるのもまた冷たくていい。
「王気」という言葉は一見すると単純な造語である。しかし、景麒は、自分は半ば獣なのだ、と述べている。さて、「王気」にけものへん「犭」がつくとどうなるか。「狂気」になってしまうのである。失道は避けられないのかもしれない。
黄海を取り巻く四令門のある街で、雁では未門と申門の代わりに人門、恭では辰門と巳門の代わりに地門がある。では、言及されない才と巧ではどうなるか。陰陽道を考えると、才では丑門と寅門の代わりに鬼門、巧では戌門と亥門の代わりに天門、と思われる。
十二国記を初めて読んだときには、本編と「戴史乍書」の関係って、講談や旅芸人のお話と、正史みたいなものだと空想していた。三国演義が歴史書の三国志やその注釈から成立した、みたいな話だ。つまり、本文も旅芸人の語りであり、実際に起こった歴史とずれている可能性がある。
また、中国の歴史を知るにつれて、歴史書の記述はわざとそっけなくしていると考えるようになった。春秋の筆法というか、どのような事件が起こったかをどのくらいの濃度で書くかによって、歴史的な出来事に対する価値判断が含めているわけである。細かい経緯を書いた記録はたぶん別にある。
最近は、国家機密をぼかす目的もあると踏んでいる。阿選の幻術なんかの記述があっさりしているのも、たとえば妖魔が符で使役可能だとか、王と黄朱とのつながりとか、暴力を行使可能な麒麟がいるとか、かなり危険な情報だ。事情を知っている人が読むと「ああ」ってなるが、それ以外の人は読み飛ばすようにできている。
楽俊の姓名である張清は水滸伝に出てくる。しかし、水滸伝は盗賊が活躍するピカレスクロマンである。文人肌の楽俊とはだいぶ違う。
桓魋は少し近い。孔子を襲った荒くれ者と同じ名前だ。そして、面白いことに「魋」だけで「クマ」の意味がある。「熊どん」というほどの意味を持つ字なのだおるか。
祥瓊の父の字は仲達で、三国志の諸葛亮のライバル、司馬懿と同じだ。雁の白沢は瑞獣の名前。「白銀の墟 玄の月」の多くの官吏たちも、実在する中国の官僚や文人たちから名前が取られている。とはいえ、名前が同じだからと言って同じような人物像とは限らないので面白い。
「帝」という称号は始皇帝の考えだしたものだ。諸侯が王を名乗ったため、王のタイトルに重みがなくなってしまった。そこで、王の中の王を意味する称号が生まれたのである。
しかし、それを考えると十二国記世界では帝の称号が生まれないはずだ。なにせ、侵略戦争がありえないのだから、王よりも上が出てくるはずがない。そのため、王より上の称号は、山客か海客由来の語彙ということになる。
語彙だけではない。現実の中国の文化には、周辺の異民族との交流から生まれてきた要素が結構あるので、十二国世界でそれらが取り入れられたいきさつも妄想するのは楽しい。例えば、スカートやキルトではない、ズボンやパンツ状の服は騎馬民族に由来することが多い。そこまで考えるのは野暮かもしれないが、十二国世界が匈奴や西域の影響の薄い中国の文化を持っていると空想するのは、歴史ヲタにとってはきっと楽しい時間だ。
十二国記のアニメで、景麒が塙麟に角を封じられるとき、「生心気鎮風」と読める金文が刻まれるのだけれど、あれって根拠があるのか。私にはわからなかった。
つらつらと書いてしまった。
残念ながら、小野不由美の他の作品との比較・検討はしてこなかった。未読のものが多いためだ。また、作者の細かいインタビューも入手できていないので、見落としているものがあるかもしれない。
積んである本を片付けたら、ホラーは苦手だがぜひぜひ読んでみたい。
そして、次回の新刊をのんびりと待っている。小野不由美先生、本当に泰麒の物語の物語を完結させてくださり、ありがとうございました。
近年(と言っても10数年前くらいからになるが)秋葉原にはメイドカフェなどの萌産業の店舗が増えてきている。
一方で従来の電子部品や家電、オーディオ、パソコン、ビデオゲームなどを取り扱う店舗は減る傾向にある。
そのためか、秋葉原のことをよく知らずに「秋葉原は風俗街になってしまった」とか「もう昔の秋葉原のような店舗は無い」など間違った知識で秋葉原を表現する者が後を絶たない。
そんな勘違いした方が秋葉原に来て歩くのは中央通りと1本裏に入った程度だろ?
お前らダンゴムシ探すときに新宿駅前で探すのかよ。ダンゴムシはジメジメした石の下にいるんだよ!
秋葉原の昔ながらの店はジメジメした裏通りだったりラジオセンターやラジオデパートのようなところにブワァーっとたくさんあるんだよ!
それでは従来の電子部品やら家電やらパソコンやらの店舗はどれくらいあるのか一覧を作ってみた。
個人が作った一覧なので間違いや閉店していたり漏れもあるだろうがまあ誤差程度だろう。
秋葉原の定義については、外神田1〜6丁目+その周辺を秋葉原としている。
電気街中央通りからみて、北は蔵前橋通り+50mくらいまで、西は昌平橋通りくらいまで、東は昭和通りくらいまで、南は神田川くらいまで。
北についてはaitendoと遊舎工房を入れたかったので少し範囲を広げました。
店舗については、一般消費者が購入できる店舗をリストアップしました。
主に自分の目で確認したのが多いですが、ストリートビューや店舗公式Webサイトなども参考にしています。
今関西を通過中の台風の名前はジョンダリと言うらしい、北朝鮮語でひばりを指す言葉だ。
https://www.jma.go.jp/jma/kishou/know/typhoon/1-5.html
台風の名前は各国がつけた名前140個を順番に使い、最後まで行ったらまた最初に戻って使い回すように決まっているらしい。
各国がつけてる名前も大概変だが、日本のつけてる名前も星座由来だが台風ヤギは無いだろって感じだし、全体的に不思議になるような間の抜けた名前揃いで台風の名前をつける方々のセンスが謎だ。
3 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Kirogi キロギー がん(雁)
9 ミクロネシア Ewiniar イーウィニャ 嵐の神
14 ベトナム Son-Tinh ソンティン ベトナム神話の山の神
17 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Jongdari ジョンダリ ひばり
23 ミクロネシア Soulik ソーリック 伝統的な部族長の称号
27 米国 Barijat バリジャット 風や波の影響を受けた沿岸地域
29 カンボジア Kong-rey コンレイ 伝説の少女の名前
31 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Toraji トラジー 桔梗
32 香港 Man-yi マンニィ 海峡(現在は貯水池)の名前
45 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Podul ポードル やなぎ
52 フィリピン Hagibis ハギビス すばやい
59 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Kalmaegi カルマエギ かもめ
60 香港 Fung-wong フォンウォン 山の名前(フェニックス)
65 ミクロネシア Sinlaku シンラコウ 伝説上の女神
67 韓国 Jangmi チャンミー ばら
73 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Noul ノウル 夕焼け
74 香港 Dolphin ドルフィン 白いるか。香港を代表する動物の一つ。
79 ミクロネシア Saudel ソウデル 伝説上の首長の護衛兵
83 米国 Etau アータウ 嵐雲
84 ベトナム Vamco ヴァムコー ベトナム南部の川の名前
87 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Surigae スリゲ 鷲の名前
93 ミクロネシア Nepartak ニパルタック 有名な戦士の名前
98 ベトナム Conson コンソン 歴史的な観光地の名前
101 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Mindulle ミンドゥル たんぽぽ
112 ベトナム Songda ソングダー 北西ベトナムにある川の名前
115 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Meari メアリー やまびこ
121 ミクロネシア Nanmadol ナンマドル 有名な遺跡の名前
129 北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国) Nalgae ナルガエ つばさ
https://anond.hatelabo.jp/20170626192037
こんばんは、id:sugimurasaburo さんからIDコールをいただきました。ありがとうございます。船橋海神(id:cj3029412)です。本職はねこちゃんの保護、趣味はブログで嘆くこと、在野で中世古文(特に助詞助動詞)研究を行っております。キャッチフレーズは「(´;ω;`)」「でかいです」。将棋も大の好物です。
以下は私の私淑する大野晋先生およびその決定的名著/集大成であらせられますところの(敬語の誤用)「岩波古語辞典増補版」(2016/1/12補訂版第23刷)に依ります。
よろしくお願いします。
(A)~(D)は上の引用解説を便宜的に分類した符号。【訳】は私のもの(一部、戯れ)です。
元増田氏の理解(「加藤一二三という男がいたそうだ」)(「伝聞の過去」になるんじゃないだろうか?)とは少うし違いますけれど、私も第一感、失礼…というか、そんなに遠い昔の話だっけ、という印象です。端的にいえばアホバカクズ受信料払わねえぞと申し上げています。
(ちょっと一休みしましょう)ちなみに、この日記に私が付けたタイトル「強いんだっけ」の「け」がそうです。「けり」の「り」が落ちました。
米長邦雄永世棋聖くらいでしょう。米長先生が戯れに「加藤一二三という男、ありけり」とおっしゃる、これはありえます。「君たちは知らないだろうが、私もいま思い出したのだが、加藤一二三という男がいましてね」あるいは「あら、こんなところに加藤さん、(ずっと)い(らっしゃっ)たんですね(気づきませんでした)」。しかしこれも(ジョーク以外では)無理がありますね。ありえるとしたらかなり特殊な状況ということです。
(参考) https://www.youtube.com/watch?v=pr6-Bv3RVTw
https://anond.hatelabo.jp/20170626193212
トラバの増田氏、慧眼です。古文研究をやっていてよかったなあと思う瞬間です。筋違いながら御礼を。
ネットスラングの【場合によるんだ(よ)なあ】で訳すのが一番しっくりくると思います。(過去)回想/気づきの原義は退き、(自分も気づいた)から同意/強意/念押しのニュアンスが全面に出てくる、その変化点が味わい深いですね。ちなみに、この線でお題の「加藤一二三という男、ありけり」の出るような状況を無理やり設定するとしたら、棒銀のことを話題にしているのにスレのだれも加藤先生のことを話題に出さない。そんなときに【加藤一二三という漢がいたんだよなあ】と、誰かがきっと書き込むでしょう。例えば、そんな感じです。これも、やっぱり例外的ですね。
「けり」は、幅の広い、陰影に富む助動詞です。それを、おそらく伊勢物語から(あるいは、伊勢であることすら忘れて何となく)「昔、男ありけり。」をただ引っ張ってきてNHKは使ったのではないかと想像します。ここからは物語論の範疇ですが「昔、~けり」とやると、一気に作品世界が遠い昔/架空の物語に飛ぶ。その効果を古人はよほど気に入ったのでしょう。いろんな作品が「昔、~けり」を使っています。NHKはさすがに「昔、」とやるのはおかしいということまでは感じた。ならば、もう一歩、脚を止めて考えるべきだったと思います。
お粗末さまでございました。
「けり」の思い出し(回想)効果は、いちど忘れていたことが前提になります。いま、加藤一二三先生のことを忘れてしまっている人はいませんね。ですから失礼というのは正しい直観だと僕は思います。
「けり」を使うくらいですから、7/1のNHKは「神武以来の」と形容されたデビュー当時の、みんなが直接体験過去としては忘れてしまっていたところにフォーカスするのでしょうか。あるいは第19期名人戦で大山康晴先生にこてんぱんにやられたことを加藤先生に述懐していただき、秘話を発掘するといった「気づき」があるのでしょうか。よもや、升田幸三/米長邦雄を冥土の鷺宮から召喚するのか。期待しないで待ちたいと思います。
いずれにせよ、今回、元増田氏が感じたような、現代人の古語の扱い方に対する「もやもや」は、古語研究のもっとも大切な礎の1つです。ぜひ今後とも大切になさってください。楽しかった\(^o^)/
http://anond.hatelabo.jp/20170512225855
ブクマには入らなかったので元増田の改行ごとにコメントします。元増田のほうが文章量的にも圧倒的に多く引用の条件を満たさないと思うので、各自参照してください。
1. 緊急を要しないし、さして重要でもないし、拡散するほどでもないと思われます。
2-5 当該ゲームは知りませんが、無許可での二次創作同人ゲームみたいですね。著作権侵害については親告罪なので権利者の判断次第です。著作権者が通報すればアウトになるでしょう。
6-9 特になし
10 それ以外に宣伝になるとか、パイを食わないってのも大きかったのでは。
13-14 特になし
15 営利か否かは法制度的にも重要なとこですね。アメリカのフェアユースの要件の一つだったり日本の著作権法38条の非営利の上演の話だったり。
16 見過ごしてると推測される主体は誰ですか?権利者ですか、それとも警察ですか。後者なら親告罪なので見過ごすも何もないですよ。
17 企業として当然の措置かどうかは各企業の判断です。親告罪のいいところです。
18 少し話がずれますけど、フリーソフトであることと非営利であることは違いますよね。かかった費用しか回収しないのであれば非営利だけど有償です。
19-22 特になし
23 記念品贈呈って言ってるので販売とか営利目的とはまた違うのでは。さっき言った非営利での上演では金銭発生した時点でアウトなので、法律家の人に聞かないとわかんないけど。
24以下 スペースのオーナーの素性とか知ったことではないですが、業界内のモラル的に問題になるんですかね。あと元増田が海神えるなる人を嫌いなのは伝わってきます。
これで、一通り言いたいことは書きました。海神えるって人がこのあたりのモラル的に難がある人なのは確かなようですが、今回のイベントがそこまで重大なことのようには思えません。海賊版絡みの問題でもないですし、同人界隈ならいくらでもある話でしょう。元増田はコミケとかも否定派ですかね。
どうしてもイベントをやめさせたいなら増田じゃなくて権利者とか河崎実さんとかに連絡したほうがいいんじゃないでしょうか。まあ、もうとっくにしてるとは思いますけど。
ということで、こちらからは以上です。