はてなキーワード: 大怪獣とは
クトゥルフ神話ってやたら2chとかで話をされていて、どーもマニアックな怖い存在に対する小説か何かだという認識だった。
それで、原作はラヴクラフットって人の小説だというので、原作を読んでみた。
内容的には、ホラーなんだけど、ホラーの対象が、ウルトラ大怪獣みたいな封印された邪神ってやつ。
ウルトラ大怪獣は、人間社会への復讐みたいな感じだけど、邪神は単なる迷惑な怪獣で目的とかは無い。
これだけだと面白い小説になりそうなモンだけど、ラヴクラフトさんは小説の才能がイマイチだったのか、ストーリーが絶望的に面白くない。
邪神をそのまま活躍させればいいようなものだけど、邪神が出てくるのは大体一瞬だけ。大怪獣が出てきて、人間がびびるっていう。
どちらかというと、小説は、その大怪獣の周りにいる人達の頭おかしい具合が描写される感じ。
その人物のおかしい具合が、そんなに面白くない。あまりにも普通の人が普通に頑張ってるだけっていう。
いうたら、ウルトラ大怪獣を見にきてるのに、大怪獣とかその戦闘とかをほぼ描かずに、ウルトラ大怪獣と戦う自衛隊の、その自衛隊の中でも計測機器とか作ってる技術者の視点がひたすら描かれるみたいな感じ。
変な電波が乗ったか?とかそういう話が延々続いて、自衛隊の話すらほぼ出ずに、大怪獣も一瞬みたいな作品を見ているような感じ。
ここまでつまらない部分を書いたが、もちろん、これだけ生き延びてる作品なので、面白い部分は多い。
設定集としては、厨二病の超絶エリートというか、厨二病で素晴らしい設定資料を残す奴がいるけど、その最上級って感じ。
厨二病小説は、小説1つ1つはあまりにもつまらないんだけど、ウルトラ大怪獣はストーリーより怪獣のキャラクターが魅力であるように、クトゥルフ神話の写真も結構魅力的なキャラではある。
正直、邪神だの、見たら発狂するだのっていう話が先行しすぎてて、「一体どんな怖い存在が描かれているんだ!」と思ったけど、拍子抜けするほど普通のウルトラ大怪獣の一種。ウルトラ大怪獣見て発狂とかせんだろと思うんだけどなあ。
あと、「邪神を信奉する異常なカルト集団!!!!」みたいなのは、現代なら『ミッドサマー』みたいな異常なカルト集団とか期待するけど、カルト集団の描き方が適当すぎて、まあ現代で言うなら、ちょっと変な新興宗教程度、そこまで映画になるようなレベルの面白さはなく、せいぜい祈りを捧げて邪神に人間を捧げてるくらいの感じの描写。
うーん、やはり、小説描写のつまらなさばかり書いてしまうなあ。
ものすごく面白い設定のはずなのに、絶望的につまらないゲームみたいな惜しさなんだよなあ。
現代の目から見たら、『SIREN』とかが面白すぎるゲーム性+面白い設定みたいなのが出来上がってるから、ウルトラ大怪獣の超絶劣化版というか、ゲゲゲの鬼太郎の超絶劣化版を見せられてる気分。
ラヴクラフトさんの小説自体を褒めている記述はあんまり見ないので、やっぱ小説としてはイマイチなんだよなあ。
設定自体はいいところあるのに、小説技法が下手くそすぎて、カルト集団が描けてなかったり、邪神の活躍がイマイチだったり。
「いや、そこの設定じゃなくて、あくまでホラーの怖さなんだ」と言われても、ホラーとしても人物描写が下手くそで、ラヴクラフトがコミュ障すぎて会話文が下手くそすぎる感じ。
逆に言うと、「こんな無茶苦茶面白い設定集を、全然イカせてないじゃん!俺が完成させてやる!」みたいな余白が、二次創作を大量に産んでいいのかもしれない。
いわば、ゆっくり霊夢みたいな感じだよなあ、原作の余白があって、大喜利し放題だよっていう、野獣先輩とか、そう言うのに近いのかも。無茶苦茶面白いしインパクトはありそうなんだけど、微妙な感じっていう。それをみんなで盛り上げてる感じ。
ラヴクラフトは三流作家としての人生だったけど、野獣先輩も三流ビデオだから二次創作が大量に出ているように、ラヴクラフトも、三流だから、やり放題だってのがミームとしては絶妙な良さなのかもなあ。
なお、自分は、『恐怖の世界』ってゲームで、クトゥルフの世界観を感じて、面白い!どんだけ不気味なんだ原作は!と思ってクトゥルフ神話を読み始めた口だから、TRPGで有名な方は何も知らないけど、ワクワクして面白そうな設定をゲームとして楽しむなら、クトゥルフ神話は確かに面白いやろうねえって感じ。
背景の知識やら物語だとか、他人の解釈だとかを仕入れてエンタメや芸術作品を鑑賞する教養主義的なのって無粋だろと思ってた、というか今でも割と思ってる。
じゃあ何でもいいじゃんって話になるから。
楽しめないのは感性やリテラシーが乏しいから、とか言い出したらもう何でもアリじゃん。盆栽を退屈となじるのがそうなら、大怪獣のあとしまつをこきおろすのも同じことじゃん。
他人の(主に否定的な)感想を解像度が低いとかいって小馬鹿にしてる人をインターネットで見るけど、そのご立派な解像度で以てして道端の石ころに宇宙の歴史とロマンでも感じてろ、勝手に感動してろクソボケがって思う。
それは話が違うだろ、イイものはイイんだ。変な意地張らずに認めろよ、って感覚的な話だったらまあ分かるけど、それは別に何の理屈にもなってない。
物差しを決めてあとは理詰めでイイものを決めたとて、その物差しそのものの妥当性を問うたらやっぱり感覚的な話になってくるだろうから。その道の専門家が良しとしたからイイってのも何の理屈にもならないし。
別に全てに理屈を立てなきゃいけない道理なんかないけど、それならそれでオレは教養を以てしてロジカルに、的確に作品と向き合ってるぜ、みたいな事はあんま言えないんじゃねって思う。そんな事言ってる人はあんまおらんか。
今手元にある事実を元に組み立てた理屈では説明がつかないけど、もしかしたら本当にイイものを定義づける何かがこの世に、というか人間の頭の中にあるのかもしれない。絶対的ではなくとも、傾向レベルでは見える事くらいなら現時点でもあるのかもしれない。それが何かはあんま知りたくないなって思う。
知ったら脳ミソだけ残して幸せ汁に浸すのが至上の幸福だと言われて否定のしようがなくなってしまう気がする。
まあでも教養主義的な鑑賞を実践してみるとやっぱり面白いのは面白い。映画の小ネタに気がついたりだとか、他の作品からの影響を感じ取ってみたりだとか程度でも面白さは結構高まる。
でも額縁や解説じゃなくて絵で感動させてくれよ、言葉の先でおれの琴線をバシバシ叩いてみてくれよ、心を激しく揺さぶってみてくれよって気持ちがある。
巨人の肩に乗るなんて言うけど、今や人間の寿命に対して巨人デカすぎなんじゃないかって思う。巨人の肩に乗ってみるのもいいけど、自分の目線でも見たいし。自分の目線じゃ何も見えないかもしれないけど、一生巨人の肌ばっかり見つめながら肩目指して登っていく羽目になるかもしれない。バランスって事なんだろうけど。
で、一言で言えばドキッ!ホモだらけの戦国大怪獣のあとしまつ~(生首)ポロリもあるよ!~って感じスね
大怪獣のあとしまつ、我は三木聡ファンなのと山田涼介ら主演の熱演もあって、そんなブチギレなくてもいいじゃん、面白いジャン、て擁護してて
たまたま映画観る前にレンタル落ちDVDが700円で売ってて、700円は高ぇなって買わなかったんだけど、立ち喰い師列伝も500円で買わなかったんだけど、ダイの大冒険が値下げされてついに2000円を切ったんだけど、
俺首であとしまつにブチギレてたゴジラファンの気持ち分かった!
いや、上映前にチラシみたら「笑いあり」みたいな書いててちょっと嫌な予感したんだよな
席もやたら空いてたし…
でも、西島光秀は良かった(テレレレー)。ホモ以外にもシグルった一面もあったり。信長も予告だと心配だったけど、アッパータイプのドSホモでキス魔で中々良かった。
秀長も初っ鼻のパワハラはちょっと…だったけど、そこからは人の善さが出てきてよかった。勘兵衛も陰険って感じはなく、むしろ半兵衛っぽくもあり…鳥取の飢え殺しやって三木の干殺しやらなかったの、タイミングの問題かと思ったけど半兵衛スポイルするためだったんかもな
中村獅童はピンポンのドラゴンのイメージだったから、エンドロール見るまで気付かず、無名の若手芸人とかかと…こういう演技力もあるんすね
一徳利休ももちろん良いスね~しかし、利休・秀吉黒幕説メジャーになりすぎでわ?
ワイはへうげで知ったクチ
そういや、映画関ヶ原はひらパー兄さん目当ての歴史知らん人にはマニアックすぎ、歴史マニアにはチープすぎたらしいが、へうげとセンゴクで歴史を学んだニワカには丁度いいこだわりっぷりで良かったんよね
で、本編の話。ワリとグロだし、生首飛ぶところまでちゃんとやるのは偉い。どーでもいいが、ワイ自身は漫画とか文章のグロは平気だけど映像はキツイタイプ…と自認してたが、これ見て割と平気だったんで大丈夫かも
しかし、淫夢で耐性ついてたはずなのにホモキス、ホモ濡れ場連発はキツかったでよ。
変態道糞武将の村重(香川博之のつもりで見てたらエンケンだった)×光秀はちょっと珍しいカップリングじゃないか?ワイは初見。餅のエピソードをこうするか~と思ったが、それよりディープキスよ。そして光秀、お前めもか
ふぅん、武将にしては珍しく衆道を嗜まなかった秀吉との対比か…と思ってたら猿もホモ!
ホ
モ
ま
つ
り
新撰組ホモの御法度とかあったし、そっちの戦国版かな?でもそれがテーマというワケでもなく。でも、男女の濡れ場が一切省かれてるのはある意味新しいかも。ヒロインとのキスシーンとか、ポリコレが言われるようになっても必ずってほど入ってるし(シン仮面ライダーで恋愛じゃないとか言ってたのは意識的だと思う)
ヤスケ、モブでピンボケしてる時からやたら存在感あったけど出番も割と多かった。ただ、チェーホフの銃じゃないけどSSR首ごと物語から退場されても困る。いつ再登場するんだ?って無駄に気になっちゃってたし
ニワカなので高天神城と高遠城混同してて、長篠キャンセルか~って考えてたら始まって混乱した。やり手婆の柴田選ぶのは分かってても面白かったけど、ギャグと見せかけて…ってのはまあ…しかし柴田の演技力、こう見えて女優なだけはある
家康あっさり死んだのは、おっ、影武者徳川家康!?と思いきやただの影武者っつーね。
老獪に生き延びるってのがやりたかったのはわかるが、本物が死なないとギャグとしてはあんまり。半蔵と利三(だよな?)の空中バトルも、中途半端さが…トリックみたいに唐突にゴムゴムし始めるくらいして欲しかった
猿が家康に連れ込まれるのはホモレ…と思いきやその後のコント見るによくわからん。秀長のキャラはいいが、弛緩しすぎて秀吉じゃなくたけしになっちゃってるのはどうか…
暗黒JKはこいつに尺使いすぎじゃね?あっまたホモか…あ、そういうこと…ってのが予想外ではあるし、やりたかったことは分かるんだけどまあ…
清水宗春は嫌儲の清水宗春思い出してちょっと笑ったが、コント自体は史実とのギャップありにしてもあまり…これも首のひとつってのは分かるけど。
神戸信孝がチラっととは言え出てたのは良かった。
怪傑ソロリは御伽衆だから史実バリアーあると思いきや死んだのは予想外だった。道糞もどうせ生きてると思ったが死んだのか?
渡河でゲロ?吐くのはわかるようなわからんような。溺れかけるとかのがわかりやすくね?ただ、ソロリの死から歴史が歪んでるっぽいからこの後アッサリ病死したりして…
オチの前、天海出てくるかと思ったら出てこなかったけど、あそこで死ぬのは悪い意味で予想ついてた。
大オチも、いいたいことは分かるが弱いっつーか、モスケの方を蹴った方が分かりやすくねーかなー
で、あのホモの踊り子はなんだったのか…?多分お国なんだろうけど
つまらないものでも、楽しみしろを見つけようとすれば楽しめる余地はある。
つまらないと思うのは、あなたの感性や教養が乏しく解像度()が低いからだ。
これってどう違うん?って思う。同じ事象を指してどちらにも言い換えられると思うんだけど。
キューブリックの映画がつまらんとか言ったらそういうのがウジャウジャ湧きそう。
あの作品を面白いと思えないのは、鑑賞リテラシーが低くどこに注目して観れば分からないからだ、とか。この映画の話はただの例えで、他の物事でも色々と。
まあ自分も好きなものが軽く扱われた(ように感じたら)そういう言葉が喉元までせりあがるかもしれない。私は社会性があるのでグッと堪えますけど、世の中失禁してしまう人の多いこと。
なんちゃらの影響がどうこうでどこそこが革新的でこういう特色が云々、みたいなどっかで仕入れたような受け売りを諳んじる。
どう感じるかの話をしているのに歴史の話を持ち出すのアスペでしょ。
受け手の感性がとか言い出したら、じゃあ大怪獣のあとしまつがつまらないという人も全員感性が乏しいって事になりますね。
そうでないなら、オレの好きなものが嫌いな奴は感性が乏しい。オレの嫌いなものが嫌いな奴は正しい。その対象がつまらない。言ってることそういう事になりますからね。「教養」さえあればいくらでも楽しみしろは探せるはずなんだから。
まあ教養主義というか権威主義というか本質主義丸出しな……どのような信仰をお持ちでも結構なんですけど、それをグイグイ押し付けられるのは甚だ鬱陶しいという自覚くらいはあって欲しいね。
これは考えてみれば大怪獣バトルとかゼロ初登場時点でもうそうなってたんだけど
初代(正確にいえばウルトラQから)~メビウスまでの世界はもう何万年も昔で、もうその頃の生きてた登場人物(もちろん演じた俳優ではなく)はいなくなってるんだよね
タイガでおそらくセブンに出てきたのと同一個体であろうペロリンガ星人とか、Zで民間人と警官隊にやられたケムール人とか、繋がりは示唆されてはいるものの
結局それらはパラレルワールド的な分岐で生じたであろうもので、正史の防衛チームの方々や、主人公につきまとってた子供とかももうとっくにいないのに変わりないんだなって
本当はこういう文書くのどうかなあと思ったんですよね。
こんなこと書いて自称ジャンルの治安維持を名目にしたお気持ちヤクザみたいなファンって言われると困るなと思うけど、言われても仕方ないしなと思いましたし。
対象は子供向け作品ですし、実写作品で現在大人気のコンテンツですし。
でもちょっと昨今の意見の分かれ方を見まして、「考え方を変えろとは言わないけど頭の片隅には置いておいて欲しいな」と思ったので書かせて頂きました。
大人気の特撮シリーズでウルトラマンってシリーズありますよね。
去年大盛況でしたね、「シン・ウルトラマン」とか。
最近新しいウルトラマンと番組の放送時期の発表が来たり、今も新情報のカウントダウンが行われていますね。
その新情報を巡りまして、その中の一つの作品、「ウルトラギャラクシーファイト」という作品が今注目を集めています。
「ウルトラギャラクシーファイト」は今3シーズン?3作品?出ています。
最初のシーズンは今「ニュージェネレーション」というジャンルで分類される新しいウルトラマン達(キャラ名は沢山いるので割愛します)にスポットライトを当てた話でした。
その次のシーズン、「大いなる陰謀」、続く「運命の衝突」ではアブソリュートタルタロスという新しい敵、その仲間たちがやってきて、ウルトラマン達は新しい脅威に立ち向かわねばならない…という話でした。
「ウルトラギャラクシーファイト」というシリーズには実は基本ウルトラマン達しか出てきてません。
世間によく知られている、「人間とウルトラマンが何らかの要因で一体化し、その正体を隠し続けながら日夜地球に訪れる脅威と戦っているよ」という話では無いわけです。
まず「ウルトラマン」という作品は「円谷特撮ヒーローシリーズ」の一つです。
世間でよく知られているミニチュアのジオラマや、火薬による爆発、ウェットスーツや着ぐるみを着用したキャラクター達との戦闘を工夫を凝らして撮影したシリーズですね。
怪獣の口から出る光線で吹き飛ぶ街、逃げ惑う人々、ウルトラマンが怪獣に投げ飛ばされてその背中で押し潰される建物。
そしてウルトラマンと一体化することになった人間の苦悩、その秘密を隠し続けなくてはならないジレンマ、戦闘が続く中で人々を守るために常に選択と苦難に向き合わなくてはならない日々。
そして、人間とは全く違う存在、「ウルトラマン」達と種族を超え、文明を超え、理解し、絆を深め合うストーリー。
心が踊りますね。
長いので以降「ウルトラギャラクシーファイト」は「ギャラファイ」と略させて頂きますが、ギャラファイには実は人間、出てきません。名前を呼ばれたりはします。
ほぼウルトラマンと怪獣と星人と、「アブソリューティアン」と呼ばれる強大な敵の物語です。
「ウルトラマンとは人間との関わりを大事にした作品ではなかったのか」
「俺はウルトラマンが自分より脆くて弱く、利己的な存在である人間と接して影響を受けたり与えたりするのを見たいんだ」
という意見が出てきました。
「特撮らしく、人間にとっては巨大な建造物を軽々と超えてしまう身長を持つ怪獣とヒーローが戦い、街を破壊したり守ったりしながら戦うのが見たい」
「何かを守るために戦うのがウルトラマンではなかったのか。人間との関わりもなく大義名分もない戦いをされるのはウルトラマンではない」
という意見も見ました。
かなり前の作品なんですが「ミラーマン」という作品があります。
「ミラーマン」は大人も楽しめる特撮として作られた作品なので初期の方はかなり人間にスポットライトを当てた話があります。
自分の出自に苦しむ主人公や、生き別れになった親子、すれ違う恋人、心の寂しさを紛らわすために変な宗教にハマる人とかね。
でもその人間ドラマより、ミラーマンで人気だったポイントは「ヒーローが巨大化して巨大な怪獣と戦う」という所だったそうです。
これの裏付けになるかもしれない話がありまして、「ミラーマン」には裏番組として「シルバー仮面」という作品がありました。
ミラーマンが巨大化して怪獣と野山をころげ回って殴り合いをしている頃、シルバー仮面は商店街で敵を追いかけ回していました。
結果的に言いますとシルバー仮面もこれを受けてシリーズ中盤から巨大化能力を手に入れています。
つまり「巨大化したヒーローと怪獣の戦い」は視覚的なダイナミックさもさることながら、ただ大きくなったのではなく、戦う中でセットを派手に壊したり、爆発で吹き飛ばすあの迫力で人の心を引き付けるのだ、ということが証明されたわけですね。
それがギャラファイになりますと、まず舞台が宇宙の上にウルトラマン達の故郷、光の国とその周辺の惑星ですからまずみんなウルトラマンサイズで物が出てきます。
ウルトラマンが見上げるくらいの高いタワー、ウルトラマンと同じくらいかそれよりちょっと身長が高い敵。
その辺を壊してもあんまり心が痛まなさそうな岩だらけのなんにもない惑星。(焼き尽くすと心が痛みそうな緑に囲まれた星もありますよ)
これは確かに先程述べた特撮のいい所が全部取り去られたように感じますね。
その辺のゴツゴツした岩が光線で溶けたり切り落とされても、街中で戦闘している時、もしかしたら逃げ遅れた人がいるかもしれないビルが崩れて「ああっ大変!」という気持ちはちょっと湧かないかもしれませんね。
皆同じような身長の敵やウルトラマン達がボコスカ殴り合いをしてもその辺の人間の喧嘩にしか見えないかもしれませんね。派手な光線やアクション、音が付いていても。
なんでかと言うと「ウルトラマンに恨みを持つ連中」が大半だからです。
理由はまだはっきりと明かされていないのですが、ギャラファイ2、3でアブソリュートタルタロスは、自らもその一人である「アブソリューティアン」という種族の存亡のため、ウルトラマン達を排除したいと思っているのです。
なので歴代のウルトラマン達に倒されてきて、ウルトラマンに恨みを持っている強敵達を主に蘇生させて戦いに臨んでいるので割と地球は安全(多分)なんですよね。
となると「地球がピンチだから地球人の皆!力を貸して〜!」ともできませんね。
ウルトラマンシリーズのテーマの根幹である「ウルトラマンと人間の関わり」も描かれないわけです。
こうして描いてみると結構困りましたね、ウルトラマンシリーズの魅力の大半を削り落としているわけです。
でもギャラファイが全く魅力的では無いのか、と言うとそんなことはありません。
大きなポイントは三つ。
「ニュージェネレーション以前の歴代のウルトラマンをかなり網羅している」
「登場回数が少なかったウルトラマンのモードを細かく拾っている」
「各作品やメディアミックスにわたる小ネタを各所に織り込んでいる」
というのがポイントです。
みんなご存知ウルトラマン。
そのウルトラマンを最終話で迎えに来たゾフィーを初めとする「ウルトラ兄弟」と呼ばれる昭和から生み出されてきたウルトラマン達。
俗に「平成2期」と呼ばれるコスモスを始めとしたネオス、ネクサス、マックス、メビウスのシリーズに登場するウルトラマンたち。
そして、ウルトラマンUSAやパワード、グレート、リブットといった海外作品に登場したウルトラマン達。
ギャラファイ3にはミニアニメや劇場版作品だったナイス、ゼアス、ボーイなども参戦していますね。
これらを合わせると実に沢山の様々なウルトラマン達を登場させてくれたのがこのギャラファイシリーズです。
実はこの中には
「作品が発表されたものの、長らく客演もなく後日談でどこへ行ったのか、今何をしているのかも分からなかった」
「作品終了後、メインのウルトラマンしか客演がなく、サブのウルトラマンとどんな関係になっていたのか分からなかった」
「作品が終わったあとも、一緒に戦った仲間と協力して任務についている」
「とある惑星に留まり、誰かに力を与えたり、道を示す役割をしている」
そして次のポイントですが、今まで登場回数などが少なかったウルトラマンのモードチェンジなどを生かしているのもギャラファイです。
ギャラファイ2の時大騒ぎでしたね。
ウルトラマン達の危機に、共に戦った仲間であるウルトラマンジャスティスとともに駆けつけたウルトラマンコスモスのスペースコロナモード。
ご時世がご時世でしたから名前的に出せないんじゃないかって言われていたのにまさかの登場です。
スペースコロナモードってウルトラマンコスモスの劇場版にしか出ていないんですよね。
しかも宇宙での活動に適したモードですので地球に来るとよく知られてる青いルナモードやエクリプスモードになっちゃう。
でもギャラファイは宇宙空間の話なので何とスペースコロナモードでの登場に違和感がなかったわけです。
そして極めつけはウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したコスモス個人としての究極形態、フューチャーモードに、同じくウルトラマンコスモス劇場版3作目に登場したウルトラマンジャスティス クラッシャーモード。
そして更に2人が合体したウルトラマン、ウルトラマンレジェンドまで。
同じシリーズのクロスオーバー作品で客演は何となく予想出来ても、ここまで丁寧な客演での活躍描写はなかなか他でも見られないはずです。
そしてもうひとつ、ギャラファイ3に登場したウルトラマンネクサス、ウルトラマンノア。
ウルトラマンネクサスは「ウルトラマンネクサス」個人として三つの形態を持ち、ギャラファイではその全ての形態を披露しました。
そして特筆すべきは、ウルトラマンネクサスが持つ固有の能力、別次元を展開し自分を含めた対象をその空間の中に取り込む「メタフィールド」の能力を作中で描写したことです。
ウルトラマンノアはウルトラマンネクサス最終話に登場したウルトラマンであり、その特殊性は、客演したウルトラマンゼロが活躍する「ベリアル銀河帝国」でも書かれています。
しかしそれ以降の登場が殆どなく、ギャラファイで登場した際は多くの人を驚かせました。
ギャラファイではジャスティスのスーツなどがそうなのですが、ショーイベント用のスーツを転用したりして使われています。
しかし長らく登場の無かったノアは綺麗に新しく作られて登場したわけです。
ギャラファイ2ではコスモス、ジャスティス、ネオス、セブン21、80が共闘する話があります。
平成2期組、一人は昭和と一見関連性が分からないように見えるこの組み合わせですが、実はコスモスとネオス、80は他作品や時事関係で繋がりがあります。
コスモスはテレビ放送当時、事情があって最終回手前でテレビ放送を続けられなくなってしまったことがあるのですが、その空いた枠を1クール作品を作り走りきることで繋いでくれたのが、元々イベント限定のウルトラマンだったネオス。
そして、80は漫画「ウルトラ超闘士激伝新章」にて自分の力を制御出来ず苦悩するコスモスを宥め諭したキャラとして書かれた繋がりがあります。
長くなるので他の小ネタは各自でお探し頂くことをお願いしますが、ざっとこれだけの魅力がギャラファイにはあるわけです。
しかしそれだけが、今回ギャラファイに起きている賛否両論について考えたことではありません。
私がこれからお話する、「これを聞いて考えを改めなくていい。でも頭の片隅に置いておいて欲しい」と思う話は、まずざっと10~15年前の話に遡ります。
前衛的なストーリーとテーマで視聴率にかなり波があったウルトラマンネクサスが放送された頃でしょうか。
当時の時点で円谷プロダクションはかなり危うい状態だったそうです。
ウルトラマンネクサスのメタフィールドなどにその一端が現れています。
背景は不思議な光の演出、地面はゴツゴツしたあまり壊れるものがない岩場という異次元。
壊すセットの削減です。
ウルトラマンネクサスがほぼ毎回メタフィールドや山の中で戦っているのはこういった事情が反映されています。
ネクサスの終了後、マックス、メビウスと作品は続いていきましたが、その後長らく新しいウルトラマンが現れないという時期が続きました。
新しいコンテンツとして生まれた大怪獣バトルには殆どウルトラマンが出ず、怪獣で戦うレイオニクスバトラーレイモン、そして今後大出世を遂げるゴモラ、ウルトラQにて活躍したリトラなどが活躍しました。
そしてその大怪獣バトルの劇場版でウルトラマンシリーズに変化が訪れます。
もう10年以上経つけどニュージェネレーションの戦闘を切って未だに全然に立ち続けてるウルトラマンがいますね。
彼です。
彼の登場でウルトラマンを好きだった人々は大いに沸き立ちました。
大怪獣バトルの辺りでかなり会社が苦境に陥っていることはよく知られていたので「もう新しいウルトラマンを作れないくらい疲弊しているのか」とまで言われていたコンテンツが見事に彼の力で持ち直しました。
その後ウルトラマンゼロは宿敵であるベリアルとの戦いを続け、過去作品からリブートされたミラーナイト、ジャンボット、ジャンナイン、グレンファイヤーなどの仲間と活躍し、それは後のニュージェネレーション達、ウルトラマンギンガやビクトリー、Xやオーブ、ジード、ルーブ、タイガ、ゼットと後続の作品を押し上げていくことになります。
もちろんゼロやウルティメイトフォースゼロと呼ばれるチームのキャラクター達だけの活躍ではありません。
昔から集めていた人々はご存知だと思いますが、昔のソフビは今より大きく、種類も豊富でした。
放送終了したウルトラマンのタイプが数年後も全部売り場にあったくらいです。
しかし、大怪獣バトル周辺から種類は少なくなり、サイズは小さくなり、塗装も前身のみになっていきました。
しかしそれに対して挑戦したのがギンガやX。
「スパークドールズ」という足にコードが書かれたシールがついた新しいソフビを開発することで、「ソフビと玩具を連携するグッズ」を作り出したのです。
映画館で金を払うのは御免だがプライムビデオで無料で見れるなら見てみたい
つまらないものの知識と経験を集めて「酷評される映画はホントに酷いのか」を知りたい
というのも大怪獣のあとしまつの評価が「令和のデビルマン」というのに両方見た自分からすると「ホントに見た?」って疑問が生まれたからだし
山崎貴監督が新作ゴジラってニュースに「つまらなそう」「おもちゃみたいなゴジラ」って書いてるのを見ると「昭和ゴジラ何作見た?」って疑問も生まれた
もしかして、世の中意外と「見てもいないのにイメージで馬鹿にする人」が多くないか?
そうはなりたくないので自分は気になったら見る。つまらなそうでも見る
って事で昨日観た「片腕マシンガール」