はてなキーワード: Siとは
SI屋なんだけど、どの機器もOSも昔に比べて設定項目が多すぎる。しかもその設定の組み合わせをすべてテストしているとはいいがたい。似たようなパラメータが多いのは社内の力学だろうか。
パッチも多すぎる。構築しているうちにパッチが出る。固めてしまいたいのだが、どうししても当てないと動かないパッチがのうのうと提供される。ミドルウェアなんてこっちがバグレポート出しているのに近い。ミドルウェアなんて作ったやつしか設定できない製品が多すぎる。
解雇規制緩和で、おそらく真っ先に外食産業とかSI、あと運送業あたりがこれで完全に壊滅するんじゃないかな。
「能力が低いから解雇する」よりも「(能力が高いし稼いでくれるけど)給料を上げたくないから解雇する」が横行して、現場が入社一年目の新人ばっかりになっちゃって、仕事の質が上げられず、それ故に仕事の単価を上げられず…の悪循環。
個人的には「より少ない回数の募集で一人でも多くの有能な人間を発掘する」という状態にインセンティブが働かないと、業界大手から零細にいたるまで、まるでカルテル組んだかのように給料が最低時給に張り付く最悪の事態になると思う。
性別:男、年齢:30中盤、年収:中の上or上の下、見た目:中の上or上の下(たぶん)
周りの結婚ラッシュもとうに終わって、facebookに嫁と子供二人と仲良く家族サービスなんて写真がバンバン載るのに焦りを覚えて、友達に紹介してもらったり合コンしたりホームパーティに行ったり商業ベースの婚活サービスや出会い系パーティーにも首を突っ込んでみた。
でも、結局のところ、結婚する意義を見い出せない、ってかそんな意義をすっ飛ばしてくれる程にときめきがなかった。
結婚を前提に女の子を見てしまうと、どうしても減点法になりがちで、会って食事をしたりする最中でも、まるで採用面接みたいな妙な緊張感が走る。
それは向こうにとっても同じで、一見すると楽しい会話に見えるが、お互いがお互いを品定めしている感じがどうしても付きまとう。
そんな状況をすっ飛ばしてくれるのがときめきだと思っていたが、ここまで冷静に歳を重ねると、そりゃときめきのハードルも上がるというもの。
さて、振り返って何で自分は結婚したい、いやしなきゃと思ったのだろうか。
それを就活の自己分析のノリでやってみたら、結局行き着くのは・・・”他の人がしているから”
facebookに溢れる同世代の家庭生活の幸せな部分だけを毎日毎日見るたびに、ある種の洗脳状態になっていたのかもしれない。
試しにfacebookを見るのをやめたら、もともと職場はプライベートな領域に突っ込まない環境なので、結果としてその結婚に対する妙な焦りが少し和らいだ。
数年前の仕事に趣味に社会に友達に自己に、好きなものに対して純粋に向き合える自分を取り戻した気さえする。
そして、この他の人との横並び意識から来る結婚への焦りは、今後どんどん結婚する人が少なくなるにつれて、和らいでくるのではないかという期待がある。
結婚はみんながするものではなく、大部分はするけどしない人も一部はいる・・・ちょうど自動車の免許証の様な位置づけになっていくのではないか?
そうなると、独身者をターゲットにしたビジネスの多様性が生まれ、結婚したのと同じような幸せ感が得られるサービスも今後多く出てくることだろう。
帰って来たら「お帰りなさいアナタ!ご飯にする?お風呂にする?それともア・タ・シ?」といった訪問型家事支援&風俗サービスや、休日に子役タレントのような子供を独身者に対して派遣して幸せな家族の一日を体験出来るサービス・・・そんな、ありとあらゆる独身者のコンプレックスを解消するサービスの出現が考えられる。
思えば、時代は持ち家から賃貸へ、ネットの世界も自前サーバを構築運用するSIから必要な時に必要なだけサービスを使うASP、SaaSの時代へ確実にシフトしているだけに、少なくとも30年以上は運用の義務が課せられる結婚というサービス形態は、今のSaaS時代にはそぐわないのではないか?
あと10年経って同世代が結婚生活の厳しい現実に直面している頃に、自分は仕事に疲れたら新婚サービスで若くてフレッシュな嫁と甘い夜を過ごし、お盆休みには子供レンタルサービスを活用してキャンプで幸せ家庭体験でもしているのだろう。
その時、世の中はどちらを幸せとジャッジするのだろうか・・・。
と、こんな腐りきった考え方に至ってしまった自分にときめきが訪れるか、もしくは弾丸論破されるか、どちらにせよ、もう婚活なんてしないなんて言わないよ絶対と言える日がまたやってくることを心の奥底では真に願っている。
この時間になってやっと帰宅。こんな時間まで電車が動いている都会で働くSI屋は終電が定時だ。帰宅してすぐ増田なのも異常だが。
週末を迎える前に、増田に書き込むようになって久しい。仕事の憂さばっかり書いてるけれど。増田くらいの気軽さで長文がかきたいときがあるんだよ。
年々、SIは人の手に余ると思うことが多い。増大する要求を人の手で事前に設計するのはもう無理なんじゃないだろうか。もう現調合わせを前提として、設計フェイズを厳密にしないほうがゆとりがあるんじゃないかと思う。納期なんてどうせ遅れるんだから、最初から伸ばしていいんだし。交渉したら稼働日が延びるんだぜ? なんだそれ。そういえば仕事のほとんどが日程調整になって久しい。誰も得をしないタイトな日程ってなんなんだろう。誰もが守れないだろうと思っている日程に意味があるのか。それでもスケジュールを引いて、リスケして、予実を比較するのだろうか。予実に差が出たのは現場の問題ではないとマネージャーが気づく日は来るのだろうか。そもそもの日程が無理だという単純な真実に。わかってはいるが判るわけにはいかん、なんだろうけど。
首都圏のSI屋なのだが、7月末で4月入社の新人が辞めていった。
彼が俺に辞めることを話してくれたのは、自身が決めて上司に話すまでの間だったのだろう。職場への批判は一切せず、自身への言い訳だった。そして俺は彼を引き止めることができなかった。
この業種を続けていけば彼の人生にプラスになることがあるのだろうか、と考えた時に引き止める言葉は一切浮かばなかった。当然向き不向きもあるだろう。しかし今のSI屋に向いている人格を持つ人は非常に少ないと思う。いわゆる「ブラック企業」に務めることに抵抗がない人だけがSI屋に向く。
俺が今これを書いているのも、土日勤務が終わった後だ。当然明日は仕事だ。来週は日曜だけ休もうと思っている。ちゃんと仕事をするためには休むことも必要だからだ。そう考えると本当に休みなんてあるわけないのだが。
単に休みが少ない。これだけでも辞める理由には十分だろう。業務的に瞬間最大で休めない時期がはどんな仕事だってあるだろう。SI屋はそれが一生続く。もはや今のSIは労働集約だからだ。手を止めない。ただそれだけが仕事の本質だ(当然そうじゃないところもあるだろうけど絶対数は少ない)。
自分が彼の親だとしたら、そんなところに務めて欲しいとは思わない。単にそれだけが理由で彼を引き止めることができなかった。年間休日数116日。俺の昨年実績は43日。有給消化は体調不良の2日だけ。上司から「有給消化しろ」だなんて言われたことがない。俺が上司だったとしてそんなことは言わないだろうとも思う。
ISの学科を出て、なんとなく就職したSIerでの仕事は殆どがWindows 鯖のドインフラ周りのしごとだった。
ハードウェア(鯖、ストレージ)については面白かったが、Adminとして、Windows鯖ほどとっつきにくいものはないと感じていた。
なんだ、あの、ADのフクザツかつ、脆弱なデータの取り回しは。
それでも、なんだかわからないのが悔しかったので、TechNetを個人で買って、自宅にESXiの環境を用意し、いろいろ試したのが懐かしい。
SIにほとほと懲りて、今はWeb系のプログラマーになったので、もうあの青いGUI画面を見ることはないんだけど、
今でも深夜のAD移行(震えながらのdcpromo)とか、ntbackupのリカバリとか、カーネルダンプの解析とか、時折思い出す。
個人にとって、今の御時世、ライセンスが必要かつ高い(MSDNでもね)というのは、学習意欲の高いエンジニアにとって不都合しかなく。
絶対に買わなければならないものは安いものが勝つ。コンビニのおにぎりだって、衣料品だって、居酒屋だって。
毎年、毎年、安くなっている。アホかと思う。ハードは安くなってるかもしれないが、人は安くなっていない。仮想化でハード数が減ったから運用費用は下げてねとか狂気の沙汰だ。それでサービスレベルが下がると(価格相応だ)めでたくクレームとなる。オタク様から頂いております費用ではこの程度の運用サポートでございます。とは絶対に言わない。
なぜなら絶対に一見の客ではないから。今動いているあれもこれも、これから動かすあれもこれも足してどうよ、という話になる。なのに採算計算はプロジェクトごととかアホか。応札するときに戦略価格といったアホはそんなことは忘れているのか。健忘症が管理職になる秘訣と見たね、俺は。
なんたら銀行でATM障害がどうとか、なんとか証券取引所でシステム障害がどうとかいうのは、原因は開発請負業者じゃなくって発注元がケチったためですよ。つまりは自業自得だ。
去年より価格が下る→数で補う→現場一人あたりの拘束時間が増える→工数かかりすぎ→下請けに出そう→下請けも工数足りない→以下無限ループ
そんな不幸がコンビニ以外にも存在している。必需品は買い叩かれるし、値段相応に落ち着く。105円のツナマヨを売るためにどれくらいの仕組みが必要か。いま就活している奴ら、SIだけはやめとけよ。といっても業界合計毎年数万人が入ってくるんだよな。不思議だ。ワタミと変わらんよ?
大学生だった2007年頃から趣味で他愛もないホームページをつくっていた。
ワードプレスやライブドアブログのようなCMSには頼らず、1から10まで自分で作ることにこだわった。
すぐにのめり込んでいき、大学の図書館にこもりWEB関係の本を借りまくった。
しかしWEB関係といってもPHPやSQLは理解できなかったので、まずはHTMLとCSSだけ勉強して静的なページをべた書きで量産していった。
HTML,CSSですら最初はつまづいていたけれども、自分の意図した通りにデザインできるようになってからは面白かった。
アクセスは全く増えず、一日100PVにも満たなかったが、僕はめげなかった。
講義には出ず、学園祭にもサークルにもいかなくなり、周囲からは「まだやってたの」「何がしたいの」と呆れた目で見られるようになった。
付き合う人も限定されて社交性は衰えていった。
半年が経っても動的なページをつくれる技術はなかったので、未だに力押しでページを量産していた。
しかしデザインにはこだわっていたので、単純なHTMLでも、見た目にはそれなりのサイトに仕上がっていた。
内容はくだらなくても、いっちょまえなレイアウトで書けば、それだけで見栄えのする物になった。
PVはすぐには伸びないとわかっていたので、平均滞在時間、平均PV、直帰率を目標にしていた。
ユーザビリティには独自性は無用で、正解があると思っていたので、ヤコブニールセンのWEBユーザビリティの本を買って、素直に勉強した。
PVが少なかったので、平均をとっても余り意味がないのだけれども、平均PVは8はあったと思う。
ビジネスの基本は選択と集中だと考えいたので、PVが伸びなくてもサイトのテーマは広げず、なるべく狭く深くを追求していった。
サイト制作をはじめてから8ヶ月ごろではじめてグーグルアドセンスが振り込まれた。
ヤフーニュースの関連する記事にリンクが貼られたことも大きかった。
アフィ収入は年間400万を超えて、僕は大学3年で親の扶養を外れた。
稼げるようになってから、周囲の目が変わった。
いまどきアフィリエイトかよと呆れていた人が僕にジャンルや手法を訊いてくるようになった。
この頃から僕は自分にはプログラマの適正があると勘違いし始めた。
HTMLやCSSは狭義のプログラミングではないにもかかわらずだ。
調子に乗った僕はプロの話を聞きたいと思って、広告で見た翔泳社のデベロッパーズサミットに参加した。
年に一度開かれるITエンジニアの割と大きなカンファレンスだが、仕事で来てる人がほとんどだと思う。
名刺がないので受付で恥ずかしい思いをした。
javaのカリスマエンジニアやオラクル、NTTデータ、MSの偉い人、はてなの人などが講演していた。
当時HTMLとCSSしかわからず、PHPとMYSQLをかじったばかりの僕には話の内容は1割も理解できなかった。
引きこもってプログラマごっこを続けているうちに大学4年になった。
一生アフィで食っていけるわけもないので、就職活動をはじめた。
WEB系はブラックが多いとそれとなく聞きかじっていたので、大手IT企業や大手SIerを中心に受けた。
(新卒でWEB屋の門を叩かなかったことを、今でも本当に後悔している。)
結論から言うとMSもデータもオラクルもグーグルもユニシスも全部落ちた。
営業職も応募したけれど、いずれにせよPHPとSQLをかじっただけでは戦力にならないし、そもそも、WEBとSIでは言語の畑が違うのだろうが、たぶんそういう技術的な事はどうでもよかった。
技術的な事は入社後に教育する体制ができてるので、学生には何よりもまず社交性を求めていたのだろう。
~でも、私には在学中に専攻外の事を勉強していった自主性があります、
~これに関しては誰にも負けません。
とアピールしたのだけれども、ダメだった。ただの独り善がりの変なヤツに見えたのかもしれない。疑わしきは落とす。
結局僕は社交性、人間性、社畜適正、その他、大企業が学生に求める普遍的な魅力を欠いていたから内定がでなかったのだろう。
文系の学生が独学で中途半端にプログラミングの勉強を始めたばかりに、それはIT業界から内定を得る上での強みになるどころか、致命傷になったのだ。
友人は立派な会社に就職していったので、当時リーマン不況のまっただ中で就職難だったというのは理由にならない。
facebookで大学の友人をみると勤務先がNTTデータとかアクセンチュアになっていた。僕よりも人間的な魅力があったのだろう。
サイト制作は趣味と割り切り、日本を支える製造業を仕事に選んだ。
内定をもらってから卒業するまでの間に、僕よりもずっとITに明るい友人に、アフィで成功していたことを買われて起業を持ちかけられたが、何度も衝突し、結局2ヶ月で僕の方から音を上げてやめた。
起業するなら一人でスタートして人を雇うなり外注するなりすべきで、チームで始めるにしても誰が一番偉いのか最初に明確にすべきだと、このときに確信した。
就職したが、毎日のような飲み会と、週末のゴルフ、一発芸の強要など体育会系の慣習に嫌気が差した。
僕は仕事の傍らの片手間の作業でも収入が増えていくアフィに目をくらませて、半年で退職し、専業アフィリエイターになった。
今は無き海外ニートブログの労働観と、後述するコピペが僕を後押しした。
専業になってから収入は伸び続け、一番多いときで月80万を超えたが、その代わり孤独になったので、以前のような精神的な余裕がなくなった。
技術的には大学在学中からほとんど成長しておらず、未だにhtmlのべた書きで、サイトの一部でphpとsqlを使用してる程度だったからだ。
僕のサイトはWEBサービスといえるような代物ではなく、ただの一方通行のサイトで、コメント欄をつくる技術もないので、放置していもユーザーが勝手にコンテンツの価値を高めてくれるということはなかった。
ページを増やすのは社員を増やすようなものだと考えていたけれども、僕の身体は一つなのでべた書きで増やせる量には限界がある。
一人で安定してコンテンツを生み出すには、今後は趣味のサイトからは卒業し、より商業的なユーザー参加型のCGMを作らなくてはならない。このままではまずいと感じていた。
しかし僕はcakephpのようなフレームワークを使用せず、というかMVCを理解できず、。
ワードプレスのようなCMSもつかわず、力押しでべた書きで作っていたので、できることには限界があった。
僕と同じ個人事業主がつくっているW3Qのような立派なサイトをみるのが怖かった。
僕のサイトはブログやニュースサイトではなく、テーマが普遍的なサイトだったので、放置していもPVは減るどころか増えていった。
あぐらをかいた僕はサイト制作を完全に放置して、不安を紛らわすために現実逃避で遊びはじめた。
目的地も決めず、平日に思いつきで一人旅やサイクリングにいった。
仕事を辞める引き金をひいたのが、2chの独身男性板でみたこのコピペだった。
もし仕事に行きたくなくなったら、そのまま反対の電車に乗って、
海を見に行くといいよ。
陽に当たりながら飲むといいよ。
ビールが無くなったら、そのまま仰向けに寝ころんで、
流れる雲をずっと眺めるといいよ。
そんな穏やかな時間がキミを待ってるのに、何も無理して
毎朝ネクタイを締めるときにストレスで吐いていた僕の背中を押してくれた。
なんて罪なコピペだろう。
気晴らしのはずの一人旅なのに、旅館の人に今日はお仕事お休みですか?と聞かれたのが辛かった。
他にも一人で野球観戦に行ったり、映画を借りまくったり、早朝深夜のメジャーリーグの試合を見まくったり、夜更かししてロンドンオリンピックを見まくったりした。
野球中継に関してはスカパーのプロ野球セットを契約していたので、144試合中130試合は1回から9回まで見ていたと思う。
僕はサラリーマン時代に味わえなかった自由をほとんどすべて享受した。
サイトの方はなんだかんだで半年以上更新してなかっただろうか。
そして昨年の11月に事件が起こった。
グーグルのアルゴリズムが変わり検索順位が大きく下がったのだ。
打開するための次のサイトのアイデアはあるのだけれども、技術がない。
フロー理論でいう挑戦と技能の間の大きなギャップがあり、不安に駆られ現実逃避しか出来なくなった。
収入は落ち込んでいくのに、サイト制作をする気にもなれず、この一ヶ月前に自営業を断念した。
僕は公務員を目指すことを考え始めた。
一ヶ月後の6月が試験であるが参考書だけ買って全く勉強は進んでいない。
今年は無理だろう。
しかし今年で27歳だ。公務員になるにはそろそろ年齢制限にひっかかる。
来年筆記試験にうかったとしても、年増が面接に受かるだろうか。
27歳にもなるのに職歴がなく、独学でphpとSQLを囓った程度ではWEB制作会社は雇ってはくれないだろう。
詰んだかな、これ。
もっと外に出て、みんなと同じ大学生活を送って、みんなと同じ就職活動をして、みんなと同じように働いていれば。
初めての増田。
気持の整理ができたのでよかった。
13/5/18 15:00
はてな、ツイッターでの様々なご意見、ご指摘ありがとうございます。
27歳で実務経験のない僕が現時点でのスキルでWEB制作の仕事にありつけるとは思えず、納期がある請負も性にあっていないので、やはり公務員試験の勉強をがんばります。
僕のサイトははてぶ400userもありませんが、最後にホッテントリ入りしてWEBに小さな足跡を残せたので、悔いはありません。
ITというかSI屋というのは、こんなに時間がないものなんだろうか。ずーっと追われていて、とてもではないけど未来をコントロールするなんて手が届かない。
日曜に休むのは、単に月曜からいい仕事をするためだけであって、まだ余裕がある証拠だろう。半年前は土日ともに出勤だった。
増田にずーっと仕事の愚痴ばかり書いてしまう。なんの役にも立たないとわかっているのだけれど、もしかすると同じ境遇の人がいるかもしれないと思って。その人に届いたからといってなにも変わらないけどさ……。
国民総背番号制で一兆円のシステム開発案件がどうとかいうニュースを読んだ。国家規模で殺人とはね。十重、二十重の下請構造で原発とおなじになると思う。
彼は酒と煙草とパチンコとセックスとジャスコと家族を愛し、そのために死んだ。脳溢血だった。享年35歳。自分も死ぬ歳なのだな、と今更ながらに思い知った。
彼はスーパーの鮮魚担当で毎日朝3時から夕方3時まで働き、その後6時まで酒を飲む。「ただで腹いっぱいだ」とスーパーづとめを楽しんでいた。鮮魚の仕入れから店に出すまですべてをこなしていた。
体重は120キロを超えていた。「まだメタボリック診断の歳じゃない」と笑っていたのを思い出す。その歳まで生きなかったじゃんかよ……。
ひいて自分を省みる。大学進学と同時に上京し、院を出てSI屋に入った。救われない上司と救ってくれる同僚、どうしようもない営業と客に囲まれて、毎日毎日が限界だ。今日も22時まで働いた。連休中は終電じゃないから早いと思えるくらいに毒された毎日を過ごしている。体重は平均をはるかに下回る。もう一日一食、昼だけだ。一人で昼を食べるのももう10年だ。働く前からこれは変わらないけどさ。彼とは違った病気で死ぬのだろう、と今回のことでぼんやり思った。誰が僕の死体を見つけてくれるのだろう。彼は仕事中に倒れたようだ。大勢の中で死ぬのなら働いている途中に限る。不謹慎ながらそう思った。自宅で死ぬなんて、誰が見つけてくれるのだろう。
だきまくらを買う勇気はないけれど、もし、「ただいま」に反応して「おかえり」と言ってくれる人形が出たら買いそうだ。
今日も誰もいない部屋に「ただいま」。
http://rinu.hatenablog.com/entry/2013/03/17/164151
ブコメを見てると、
とか、ネガティブな意見がいくつか散見されたので、ちょっと思うところを書いてみる。
ちなみに、この元エントリ主を個人的に知っているので、ここで書かれていることは事実だな、という実感はあるし、社内の文化としてそういうのを受け入れる懐の深さはあると思っている。
まずこの辺。
こういう感想を抱きがちなのは、SI系の人だろうなと思っていたら、1つのブコメ主が id:NOV1975 とかだったから、案の定と思ってしまった。SI/Web かで、特別因果関係があるわけでもなくて、Web系でも引き継ぎ大変なのは一緒なんだけど、SI系はどうしてもある一人の優秀な人に依存すると、ビジネスが回らなくなるという大きな問題があるので、わからなくもない。
けど、見方を少し変えると、こういうツールやスキルをその人が残して去っていって、残ったものとして目の前に明らかに効率が上がる手法があることがわかった、というのがまず大きな収穫なんじゃないか?少なくとも、それが今まで現場として出来ていなかったという事実は、その人よりも周りのスキルが低いことを暗示しているので、収穫にならないということはないはず。
それなのに、みんながそれを使えない/教育・啓蒙できる気がしないから使わない/使えないとか放棄する、っていうのは、あまりにももったいないのではないか、と思う。むしろ、そういう方法があるのだから、意思を引き継ぐ気概のある人がそれをやればいいのではないか。残したものが難しかったり癖があるのであれば、それを癖をなくすように改善していけばいい。それを文化として定着させればいい。それができるのがプログラマという職業ではないのか?
定着させるのが難しい、政治的にいろいろゴニョゴニョしなきゃいけない、とか、多分プログラマとしてアプローチが間違っている。違うんだよ。口を動かすんじゃなくて、手を動かすのがプログラマでしょ?
それが出来ないから困ってる、そんなの理想論だろ。うん、じゃあ転職しようか。少なくとも、そこに不満を持つことが出来る人で、何とか出来ない現実がそこにあるのなら、そこはあなたの求める環境じゃない。ありのままの自分を受け入れてくれる環境じゃない。
次この辺。
外国人関係なくね、はその通りだと思う。日本人でもできるし、きっとやってる人いると思う。ただ多分、外国人だからこそやりやすかった、ってのはあると思う。日本のいわゆる暗黙的な了解というか、そういうの知らないだろうから。
上でも書いたけど、
こういうところがまさに日本的で、そういうことに気を使う文化だということを知らないからこそ、彼らにとってはそれが普通だったからやったまでで、日本人から見ると、外国人だからできるんじゃん、って思えちゃう。で、僕らはそれを内心すごく羨ましく思っている。だから、「崇拝」って単語が出てきちゃうんだよ。
コンプライアンスとかそーいうので決まってるんだよ、とかって現場もあると思う。そういう場合、彼らが次に取る行動は多分、そんな生産性の悪いルールは変えろ、捨ててしまえ、って声を上げるんだろう。声を上げてもダメなような現場なら、彼らはきっと去っていくだろう。
最後。
これは、割とそういうことが一般のプログラマでもできちゃう社風というか文化だと思う。メモリ上げたりは普通に経費で出来ちゃうし、Mac 不調だから変えてくれ、って言ったら変えてくれるし、サーバはインフラが仮想化されているので、検証環境用意するのはメール一本で済んじゃう。そういう社風なのです。そういうおかしい会社もあるんですよ。多分、Web系のプラットフォームやってる会社とかソシャゲ系の会社は、多かれ少なかれどこもそういうことやってるんじゃないかな。
やっぱり受託開発やってて経費全部そっから捻出しなきゃいけなかったり、顧客側で開発環境指定されてるSI系よりも、Web系の事業やってる会社はサービスが当たらないと次がないので、その辺割と融通効くところが多い気がする。
この論の趣旨として間違ってほしくないのは、SIよりWebだろ、っていう短絡的なことじゃない。それは単に、現状でプログラマにとってやりやすい環境なのは現状Webなだけってことで、SIだって出来る会社あると思う。本当に言いたいのは、自分がその方がいいだろって思えることは、口を出して周りを動かすのではなくて、手を動かしてそういう環境を作ろうよ、出来ないところならやれるところに行けばいいじゃん、ってただそれだけです。
http://d.hatena.ne.jp/nowokay/20130322#1363969460
以下の記述のまとめ:
お前の言っているソフトウェア工学は今のソフトウェア工学じゃねえよ.
端的に言うとそんだけ.
で,本題.
まず,書いてる内容が古すぎて救いがたい.iPS細胞の研究がノーベル賞取った現状で,「実験材料に受精卵を使う万能細胞の研究なんて許されませんよ!」と主張されても,その何だ,困る,とかそういうの.
1999年、なにがあったかというと、XPエクストリーム・プログラミング入門という本が発行されたのです。リンク先は2版ですが、日本語版でも初版は2000年12月になっています。
で,何?2000年以降ソフトウェア工学が何も進んでないと主張したいの?
って最初に書いてあんのに,そこから崩れて何も出てきてないって主張はどっから出てきたの?自分が知らないことが分かってるのにドヤ顔で提言とか大丈夫か?
しかし、結局統一設計手法は完成せず、UMLだけが残りました。実際に使われているのはその一部です。CORBAも普及せず、WebプロトコルにあわせてSOAPが出てきたものの、結局単純なRESTが定着しました。XMLはいまは毛嫌いされています。大成功したはずのオブジェクト指向も、Webアプリではうまく適用できませんでした。
だから何だ.提案されても使いにくかったり,状況自体が変化したら無用になるに決まってる.まさか「ソフトウェア工学分野で提案された手法はどれだけ開発環境が変わっても生き延びていなければならない」とかいう寝言じみた主張でもしたいのか?言語に流行廃りがあるように,手法にも流行廃りはあるに決まってるだろ.
あとSOAPとXMLに関しては,その衰退過程自体がよくある話すぎて話にならん.一番最初に厳格な重量級の様式が定められて,それをベースに運用レベルを考慮した軽量級の様式が定義されて駆動するってのはよくある話.言い換えると,学術から出てきた理論的に正しい手法が,産業界で必要なところだけつまみ食いされる形で運用されるとか,サンプルは死ぬほどそこらじゅうに転がってねえか?
ああ,CORBAはまあ,うん,そのなんだ.アレはフォローできない.
実際のところ,UMLが残っただけで十分じゃねえの?最初に提案された時の理念さえブレてなければ,つまみ食いしたモノがはやってても提案者的には本望だろ.
今はCMMIだ.CMMは2000年にCMMIに統合されてる.今更XPの本出してくるところといい,真面目に2000年より前で知識止まってんだな.
はぁ?動的型付言語が普及したらなんでソフトウェア工学と離れんのよ?静的型付言語で使えて,動的型付で使えなくなる研究分野なんぞ,完全にソースコードに寄り添った研究だけじゃねえか.
「この手法はC言語を対象としている」って書いてある研究は他の全ての言語には一切適用できないと主張してんのと一緒だ.はじめてのCあたりからやり直せ.
ここで、やはりCMMの失敗がソフトウェア工学にとっての痛手だったように見えます。
もちろん、プロセスを規定することが難しいということは当時からも言われていました。それであるから、CMMはプロセスそのものを規定するのではなく、プロセスの規定方法を規定するというメタプロセスになっていたのです。
そして、すべての組織で同じプロセスを採用することはできないということから、5段階のレベルを設けました。また、プロセスは変化し続けなければいけないということから、CMM成熟度レベル5では「最適化している」という成熟度になっていました。
これはなかなかいいかもしれないということで、期待は大きかったと思います。
でも、とにかく運用が大変だとか、CMM成熟度レベル5でも品質がいいわけじゃないとか、そういう話がきこえてくるようになりました。
まず失敗を定義しろ.で,失敗したってんなら,CMMIで未だに新たな認定がなされてる(http://cmmiinstitute.com/assets/presentations/2012SepCMMI.pdf)理由を説明しろ.
で,運用が大変?当たり前だ.品質確保すんのに運用が楽とかあり得んだろ.従業員に好きにやらせてもアウトプットが高品質ならそもそもCMMIなんぞ必要無い.順序が逆だ.「CMM成熟度レベル5でも品質がいいわけじゃない」ってのも当然だ.アレは組織の成熟度を評価する指標であって,中で働く人間の能力を評価してるわけじゃない.というか流動すんのに評価なんぞできねえけど.
そもそも,CMMIレベル5ってのはおおむね高品質なものが出てくるだけで,人間が関わっている以上ある程度のばらつきは存在する.つーかさー,CMMIレベル5なら必ず高品質のモノが出てくるとか思ってんの?まさかまだ銀の弾丸の存在を信じてんの?「ISO9001に準拠してればリコールなんて発生しない!」と思い込むくらい残念すぎねえか,その思考回路.
ああ,「CMMI」じゃなくて本気で「CMM」の話をしてるんなら申し訳ない.もう無いんだから,CMMの話を最近全く聞かないのは当然で,勘違いしても仕方ない.悪いもしくは古いのはアンタの頭だ.
もともとソフトウェア工学に対しては「がっこーで現場しらない人が研究してる手法なんて使えない」のような声があったのですが、XPやアジャイルによって「現場から生まれた手法のほうが使えるよねー」というのが決定的になりました。
前半は正しい.ソフトウェア工学の最初期からずっとその手の意見はあって,未だに言われてる.が,後半は話にならん.
真面目に聞くんだけど,アジャイルソフトウェア開発宣言に名前が入ってる17人のうち,何人知ってる?何人が開発寄りで,何人が研究寄りか分かる?まさかKent Beck1人を見て「アジャイルは現場から!」とか寝言垂れて無いよな?そもそもKent Beckはコンピュータサイエンスで博士号持ってるし,開発寄りと主張していいのかどうかすら微妙なんだけど.
あとアジャイルも突発的に出てきたわけじゃなくて,プロトタイピングとかあの辺(とそれ以前)からの流れがあると思うんだけどなあ.
ソフトウェア工学が何を失敗しているかというと、その学問自体の認知度が低すぎることです。
ソフトウェア工学がどのような問題を扱う学問かが知られていない。どのような問題を扱う学問か知られていないので、その問題に直面している人がソフトウェア工学の成果を積極的には利用できない。
問題に直面してる人がソフトウェア工学の成果を積極的に利用できないうんぬんについては,最近の国際会議でもその辺を扱った研究が出てきてたりする.ICSE2012のDistingished paperのうちの1本がそんなん.Eclipseの検索ツール使わずに,テキストエディタにコピペしてCtrl+F使ってる人の話とか出てきてた覚えが.
ただ,ソフトウェア工学の認知度なんぞどうでもいいと思うんだけどなあ,別に.そっから出てきたモノが使われさえしてりゃあ.ソフトウェア工学研究の成果が,それと分からずに使われてるんならそれ以上に望むべきモノは無いだろうに.「これがソフトウェア工学様の研究成果でござーい」と大上段に振りかぶって,「ありがたや」の言葉と共に使われることを望んでる研究者なんぞいねえだろ.
就職活動で「半年でプログラムは覚えれるし専門は必要ない」のようなことを言われるという話があります。たしかにアルゴリズムなど実装技術の研究をしていた人をSIの開発現場で生かすのは難しいと思います。でも、ソフトウェア工学の専門知識は、半年で覚えれるものではないし、SIでの開発現場に必要になるはずです。
うん,そうですね.だがそれを学術側を知ろうともしてない人間が言うな.
ソフトウェア開発がある限り、ソフトウェア工学は必要なので、XP・アジャイルを織り込んで再構築して、認知度を高めていってほしいなーと思います。再構築とかは他力本願になってしまうけど。
ソフトウェア工学を再構築しよう,という動きとしては http://semat.org/ あたりがあるのでそっち参照.
あとさー,そもそも論として,ソフトウェア工学の研究内容を「現場」と「学術」に2分することが不可能だって分かってる?工学ってそういうもんだろ?その2分は「工学」と「理学」というレベルでは可能なのであって,既に工学にカテゴライズされてるソフトウェア工学を分けるのは不可能だ.それくらいは語の定義レベルの話なんで,分かっててくれ,頼む.
まあ暇ならトップ会議であるところのICSEのプログラム(https://files.ifi.uzh.ch/icseweb/fileadmin/downloads/ICSE2012_conference_program.pdf)でも眺めてみて,ソフトウェア工学の定義について悩んでみるのもいいかと思います.
実際のところトピックは割と流動的.最近はOSS周りが流行.gitのおかげで開発者の行動とか取りやすくなってる関係もあって.
つまりさー,なんでか知らんけど,この人の頭ん中では「ソフトウェア工学は静的型付言語を利用したウォーターフォール型開発でしか使えない」てことになってんだよな.