はてなキーワード: 自己顕示とは
基本的に引用芸は小説ではかなり昔からあって、アメリカ小説で一挙に大量引用されるようになった感じ(間違ってるかもしれん)。一見さんお断り文化の一種で、親切心が足りないので好きじゃない。間口として新規が入っても面白いし、オマージュに気づく素地がある人が見ても楽しいものにしたほうがいい。ただしこうした間口の広いものでも、読者・視聴者間のマウントは発生すると思う。
いずれにせよ、元増田の言うところの引用魔は、各作者に対するリスペクトと同時に自己顕示が感じられるものが多くて良い文化だとは思えない。巻末・巻頭にある「〇〇に捧ぐ」も俺は作家としてここまで大きくなった、という表明にしか見えない。引用芸はメタ表現の一種で、メタ表現自体間口が狭い。
筆者は学生時代に「オタクだから」と嫌われていたので、何故「オタクは嫌われやすいのか」を考えた。以下、全て個人の意見であって、直接嫌ってきていた周囲に聞いたものではないことを記しておく。
オタク仲間と推しの良さを大声で語ったり、わざわざネットスラングやオタク用語を用いて話したり。周囲へのオタクアピールを毎日のようにしていた。
何故オタクアピールをしてしまうのか。それは何らかの形でアイデンティティを示したかったからだと思うし、友達が少なかったことで自己顕示欲や承認欲求が肥大化していたんだと思う。
でもこれは悪影響しかないのは明らかだろう。推し語りを大声でするのはオタク以外の人に「あなたとは趣味が合いませんよ」と表明してることとほぼ同義だからだ。誰も全く趣味嗜好が合わない人に積極的に関わろうとしないのは当たり前だろう。
そして、オタクは異常にコミュニケーションが苦手な割合が多い。授業中に指名されて答えるときはボソボソと小声で言ったり、話したことのないクラスメイトから業務連絡をされたときに「ありがとう」のひとつも言えなかったり。(言わなかったのでなく、言えなかった)
そんな人がいきなり教室で友達と大声で話し出したらどうだろう。正直怖くないか? 話している内容はよく分からないし、そもそもそんな声出たんかい、とドン引きされるかあるいはうるさくてイライラする、いつもみたいにコソコソしてろって思われるだろう。
それから、周囲にオタクアピールすればするほどどんどん苦手意識を持たれていく。そうなると「どうせオタクだから嫌われてるし」と卑屈な考えを持つようになる。そして自分の仲間であるオタク以外と関わりたくないと考えてしまう。自分が思っている以上に、周囲には「ああ、関わりたくないんだろうな」と察されて余計に距離を置かれてしまう。
それは一言で表すならば、「常識的な行動ではないと認識されているから」だ。
人は普通(一部除く)発狂したりしない。例えばTwitterで「ア"ア"ア"推しかわいいア"ア"ア"ア"」「うわああ推しいいいいい!!!!!!」とか言ってる人がいたとする。オタク同士で端から見れば「あーあの人推しに狂ってるよ」と思うかもしれないが、実際は真顔で書いてる人が多数だろう。それから公共の場で「ちょっと待ってえ!!?!?!」などと言ってその場に崩れ落ちたり暴れまわったりする人をオタク以外で見たことあるだろうか。少なくとも筆者にはない。もしTwitterで狂うのではなく実際にこれらの行動を周囲へのアピールなしで行っているのなら、もう少し落ち着きを持った方がよい。
(このTwitterでの発狂ごっこもわざとらしくて個人的には好きではないが)
こういった行動をするのはオタクしかいないのだ。アイドルオタクでも二次元オタクでも。何かしらのオタクしかしない。それが何年も続けられてきた結果オタクにとっては「発狂度合い=オタク度合い」で、一般人にとっては「オタク=キモい」になったのではないか。だからこの「オタクアピール」をやめれば、一部の周囲から「オタクだから」という理由だけで嫌われないのではないか。
それから余談だが、家など周囲に人がいないときはTwitterで発狂してみせて、周囲に人がいるときは突拍子もない動きや大袈裟なリアクションをしてみせるのだろう。それはつまり自分ではない「誰か」へのアピールに過ぎない。Twitterで発狂するのは別に自由だが、周囲の人が不快になるような自己顕示はオタク関係なく控えた方がいいだろう。
以上を簡単にまとめると、嫌われやすい理由は主にこの3つだろう。
・人に話しかけられても攻撃的あるいは友好的でない返しばかりする
・どうせオタクだからと卑屈になり、オタク仲間以外とは関わりたくないと思い、それを相手にも伝わるような振る舞いをしてしまう
そして、過去の自分に出来るならアドバイスをしたかったのは「大きすぎず小さすぎず普通の声量で話す・話しかけられたら丁寧な返答をする、出来なくてもそれを心がける・落ち着いた行動を心がける」というこれ以上ない当たり前のことだ。
アルファタイプ(競争的で自己顕示的で成長欲求が強い)であるいことで苦しんでいる人は社会的成功や承認で救われることはないのではないかしら。
増田にとっての「物事がスムーズに運ぶ」「それを家族や仲間や世間から認められる」は、アルコール依存症患者にとってのアルコール(酩酊)だよね。
無欲になるとか諦めるというより「そういう自分を認める」「そういう自分を受け入れる」が最初じゃないかなあ。
なので邁進しないように頑張るより「邁進しちゃうタイプなんだから仕方ない」って腹落ちすれば楽になれるのでは。
いや、ストーキングするとか中傷コメント書くやつが悪いのは言うまでもないことなんだけどさ。
ある程度有名になってくると、どんなことしてても叩かれるし、叩くやつにはどんなこと言っても無駄なんだよな。
今はオンラインでそういうことされるのが一般的だから余計そういうのが見えるだけで、昔からそうだったと思うんだよ。
もはや有名人ってのは、そういうリスク背負って自己顕示している、とみなすべきだと思う。その結果として自己顕示欲が満たされるとか、お金を得るとか対価を得ているわけで。
だから有名人叩いていいって言ってるわけじゃないけど、有名人になるとそういうリスクがあることは認識しておくべきだと思う。それこそ税金っぽいね。
ネットでも同じことだ。
受動的に消費している人間が対象に文句を言う人間になりやすいということで、主体的に見るものを選んでいるという意識があれば、くだらないものを見てしまった時に自分の選球眼を反省してソースを変えるか工夫してフィルタリングするか、もしくは自分が好き好んでくだらないものを読んでいるという認識になるため、文句をいうようにはならない(まともな人であれば)。
まともでない人の例としては、文句を言う(ことで自己顕示する)ためにコンテンツを見ている人、などがあり、その場合は反省のようなフィードバック機構が働かない上自覚もない事が多いため、どうしようもない。とにかく自意識が過剰な人はものを楽しむのが下手くそになるのが運命。コンテンツの質は多種多様なものがあっていいのだから、大抵のものは文句をつける側の見方に問題がある。
増田に集う紳士淑女の近隣にいないか、無駄に職位が高くやることと言ったら、具体性を欠く「ご意見」をいうおじさんが。
「マスダ君!ここのデザインねぇ、もうちょっとシュっとできんかなシュっと!」「イメージをねぇ、もうちょっとスッキリさせたいのヨ、スッキリ!」「ホウレンソウが大事ですホウレンソウ!」
で、次の週ぐらいにほとんど変わってないけど「手を入れました感」があるブツを持ってくと「おお、だいぶシュっとしたじゃないか!いいよいいよガハハ!」「スッキリしたねぇ、アドバイスが効いたねぇガハハ!」「ね、ホウレンソウすると仕事が進むでしょガハハ!」つって、なんんんも変わってねぇのにすんなり通す奴。
#古い逸話で言えば、ミケランジェロのダビデ像の鼻を削れといったパトロンの話と同じである
つまり、「俺はえらいから、俺の意見は通って当然」「俺の意見が入らないと先には進ませない」っていうタダのバリア。本人は薄々わかってるけど、権勢をふるうためだけに無用の嘴を挟んでくる訳。で、ブツがどうなっても知ったこっちゃないのよどうせわかってないバカだから。やったふりをさせることに意義があると思ってるし、やらせたことに自己満足して、アウトプットなんか見てないわけ。
フェミも同じよ。「これはエロだから公共に出しちゃダメ」。しばらくほっとくとおんなじ物が出ても「あてくしたちの意見でよくなりましたなガハハ!オタク死ね!」。自己顕示がしたいだけよ。
とあるYouTuberについて思ったことです。調べればわかるでしょうが宣伝するわけではではないので固有名詞は避けます。
昔、趣味でアーケードゲーム、特にメダルゲームをよく遊んでいた。
生活スタイルの変化と共に自由な時間も無くなり現在はほとんどやらなくなってしまったが、YouTubeで検索したらプレイ動画が結構上がっていたので、いくつかのチャンネルの動画を見るようになった。
そんな中の一つにその人はいた。いろんなYouTuberが例えば顔出し配信をしたり他がやらないような企画を考えたりすることで登録者数を増やそうとする中、
その人は自分で撮ってきた動画を編集して、後からアフレコ実況を被せるというオールドスタイルな実況プレイを淡々と同じ時刻に毎日1本、
機種が違うだけで毎日延々とメダルゲームを見せ場が来るまで回して見せ場が来たら終わり、そしてそれを実況。このスタイルを数年間維持していた。
昔やってた人は懐かしみ、現役でやってる人は一緒に盛り上がる。長くやっているのもあり、登録者数も地味に伸びて1万人を超えている。
まとめて収録しているであろうとはいえゲームプレイだけでも数十分、そこから編集、実況録音、さらに編集と1本作るのにもそこそこ時間かかると思うのだが、その人は数年間休むことなくほぼ毎日決まった時間に動画を上げていた。いつしか彼の動画を寝る前にサラッと見るのが日課になっていた。
ところがその人が最近唐突に「重要なお知らせ」と題した動画をアップした。
・ついては月末までは毎日投稿できるがそこから週一での投稿予定になる
という内容。
そこで彼のTwitterを初めて見たら、明らかに症状はヤバそうな雰囲気。驚いた。何故なら彼の実況は後付けで編集もされているため、病気の気配が消されていたからだ。(稀にやっていた生配信では咳が明らかにやばい時があったらしいのだが、生配信は見ていなかったので知らなかった)
彼は肺癌に侵されていたのに喫煙者だらけのゲーセンに足繁く通い動画を撮影していた。(恐らく肺には良くはないだろうが…)
そして体調悪いであろう状態なのに入院対策で20本近い動画のストックまで作っていた。
何がそこまで彼をYouTubeの動画投稿にに駆り立てたのだろうか?金なのか?自己顕示なのか?そこまでするほど、ゲームセンターが好きだったのか?
現在彼は入院している、胸水を抜いたらしい。匿名とは言え悪い事は言いたくないので頑張って良くなって欲しい。
動画は未だ毎日、ストック分が淡々と同じ時間に上げられている。実況の彼は病気の話はせず楽しそうに自分のゲームプレイを実況している。これが毎日上がらなくなったら、僕は喪失感を感じるのだろう。
wawawaという、汚い座敷で汚い飯を食う動画配信者が居る。汚いけれど、1:1ハイボールをズルズルと飲み豪快なその食べっぷりが制約の多い現代社会からの開放感を感じる事ができる素晴らしい配信者だ。
ある日twitterを見てると、wawawaさんのレシピを再現してみた、という動画があった。
おっ、と思って見ているうちに、違和感を感じる。そいつ、無理矢理カメラに自分の顔を入れようとするのである。
しかもアヒル口。顔も地味な、これといって特徴のない顔。ぶりっこされると一番頭に来る顔だと言ったらわかるだろうか。
何度も入ってくる。
これが、自分で作ったメシならいい。しかしこいつがやってるのは、wawawaさんのネームバリューを使って自分の顔を売り込もうとしているだけだ。
wawawaさんを汚された気がして腹がたった。wawawaさんは確かに汚れてはいるが、心は純粋だ。その純粋さを汚い顔と精神で汚された気がしたのだ。
美人ならわかる。でもいかにも底辺飯を食ってそうな女が、アヒル口で顔をプルプル震わせながら底辺飯を食す世界を俺は許さない。
最近はキャンプ動画を見るのにハマっていて、時たま女キャンパーが配信をしている。
女キャンパーは金があるのか知らんが、やたらいいお洒落なキャンプ道具を持ってる。当然その道具に興味を持つ訳だ。
しかし動画を見ると、youtubeの画面の4分の1が、女キャンパーの顔面で常に占められてる。
確かに可愛いし美人だ。化粧もしっかりしてる。山中に行くのに化粧しっかりするんだ。
キャンプなので、結構細かく手元を映すシーンが多い。その時は顔が見えなくなる筈だ。焚き火はどういう道具で火をつけるのだろうか?
そう思って眺めていると、急にカメラの位置が変わる。画面の4分の1が、スタイルの良い女の全体像になる。手元は見えない。
キャンプも、底辺飯も、どちらも自己満足の世界だ。そんな自己満足の世界を覗き込むのが楽しいのだ。
お前は目の前のキャンプと底辺飯という自己満足を写したいのではないのか。
なぜ女を売ろうとするのか。お前にとって目の前のキャンプと飯は、自分を映えさせる為の道具でしかないのか。
女はいつもそうだ。目の前の出来事より、自分を売り込もうとする。
そうやって入ってきたミーハーが、「安心してキャンプできない!」とか言い出して、保護を求め、山に手すりをつけ、警備員をつけ、植民地にしようとする。
フェミとかネトウヨとかいうよりも、クラスターBの人々じゃないの?
感情の混乱が激しく演技的で情緒的なのが特徴的。ストレスに対して脆弱で、他人を巻き込むことが多い。
少年期の素行症による非行の段階を経て、利己的で操作的な成人となり、人を欺くが周囲には気づかれにくい[22]。中年になると落ち着くことも多い[22]。
他者に大きな期待を抱き、非現実的な要求によって人を遠ざけてしまったり、喪失体験をしたときに、自傷行為に至ることがあり、不安定な自己の感覚や人間関係があり、衝動的な側面を持つとされる[23]。中年になると落ち着くことも多い[23]。
自己顕示性が強く、その時に演じている役柄に影響され、大胆に振る舞う[24]。
他者に賞賛を求め、自分が特別であろうとし、有名人との関係を吹聴したり、伝説の人物のつもりでいて、他者の都合などは度外視している[22]。
私アラサーで女なんだけどさ、子供ほしいって思ったことないからこういうこと言えるのかもって自分でも思ってるけど、
公共の場でオナニーさせられたって考え出したらどんな人でもとんでもなく悲しいきもちになっちゃうじゃん!!
しかも、これは私が勝手に感じてるだけでずっと前からなのかもしれないけど、
男の人は性的じゃないことこそ立派みたいな風潮あるじゃない。
わたしも女が長くなってきたからね!正直性的な言動に生き生きしすぎて、性欲というよりは自己顕示?って、そういう男性のことを馬鹿とかもっとひどい言葉でたくさん心中罵ってきたよ!!
しかしね、私だけのオナニーっていうのがぶち壊されるのは男女関係なくひどいことなんだよ。
でもみんな言えないでしょ!!男だから!!だめだよ!!
わたしは生理痛のときにいい顔して仕事引き受けてくれた後輩がこの先痛かったり辛かったりするときに1人で抱え込まないように、男性のオナニーについて大切に守ります!
一見して光るものを、今のところ、この人の絵に見出せないけれども
努めて一心に描き続ければ、個性はそのうちに開くのではなかろうか
あと、その本領をあくまで銭湯絵というさだまった枠に限るならば
実際の需要に堪えるだけの地力を身につけた時点でまあ食べて行けて
比較的、専業の画家としてやっていくことのハードルは低そうなので
ひとまず一人前の銭湯絵師と認められてから我流を得ればよかった
でも、今回の盗作はどうしたって過ちというほかに言い様が無いよね。
この人の容姿がすぐれて自分の好みを射ているので、軽蔑し切れず
ひいき目からおもいついた擁護を手短に述べると以下のようになる
たぶん、この人は芸術家の真剣さをもって絵に向き合ったことがない
自分の絵が他人を喜ばせることに満足する域をいまだ脱しないようだ
これを自己顕示欲と見做すのは確かにまちがってないと思うけども、
銭湯絵師のような職人には、純粋な創作衝動が必要なわけではなく
お客さんの注文に応じられるだけの技量がそれに先んじて求められる
つまり、その技術さえあれば、注文した人を満足させられる筈なので
他に類を見ない個性というものを伴わない自己顕示が、よく成立する
また、これは紛い物でも三流でもなくれっきとした生き様になりうる。
が、恐らくこの人はマジメに芸術家を志しているのではなかったから
他人の作品の構図、意匠、いやそのものの剽窃に対する感覚が無い
どうだろう、落ちていた百円を拾う位の罪悪感があればいいほうかな
それはサイコパスっていうよりも、謂わばしろうとの能天気にみえる
悪いことには違いないけれども、なんというか、邪悪では無さそうだ。
とはいえ、言い尽くされているように、これは明らかに悪いことだ
絵を仕事にするはずの人間の心がけとして、致命的と言うほかない
なぜわざわざ宣言したかというと、もちろん自己顕示や承認の派生からなる欲求が関係しています。
というわけで、これから私のセンチメンタルな身の上話を交えながら、増田をやめることになった理由を書き出していきましょう。
前置きとして、とても長い文章であることや、これが駄文であることを保険としてかけておきます。
もちろん、私は生まれてすぐに増田を始めたわけではないため、この情報は客観的に見て蛇足です。
ですが、このまま話を進めましょう。
父と母は今風にいえば“毒親”というやつで、そこから毒を抜いたような親でした。
そんな家庭で育ったこともあり、私は思春期を迎えたときには性格が歪みきっていました。
そして還暦を迎えたとき、友達の田中一郎様に誘われて匿名ダイアリーに出会いました。
匿名ダイアリーでの体験は毎日がエキサティングで、私はたちまち虜となります。
特にハマっていた時期だと、人気エントリに必ず言及したり、流行りの議論には積極的に参加していました。
匿名性をウリにしているのに特徴的な文体で存在感を示したり、一部のファンが必ずブクマしてくれるのをいいことに同じ形式のエントリを何度も書いたりもしています。
ここだけの話、自分の書いたものに別人を装って言及したり、自分でブクマしてホッテントリを狙うこともありました。
それだけ、私にとって当時の増田は切り離せないものだったのです。
しかし、それは長く続きませんでした。
そんな日々が数十年も続くと、さすがの私もマンネリを感じ始めます。
私の気持ちの問題か、他の増田が問題なのか、ブクマする人達が問題なのか、はたまた匿名ダイアリーのサービスが問題なのか。
確信はありませんが九分九厘、匿名ダイアリーの問題だと私は思っています。
もちろん俯瞰して考えれば、ブクマする人達の性格が原因ではあったのですが。
いずれにしろ、増田はストレスとトラブルの温床になっており、今すぐやめるべきであったのは明白でしょう。
だのにやめられない、とまらない。
完全に中毒です。
もはや私にとって増田というものは、貧困層にとっての高カロリー食品と同じになっていました。
生活習慣病まっしぐらの私は、家族や友人をいつも心配させていたように思います。
直接謝る気はないので、ここで「申し訳ないと思っている」と書いておきます。
もはや死ぬまでこのままだと思っていたある日、転機が訪れます。
従姪孫の友達が遊びに誘ってくれたのです。
もちろんそれは断りましたが、ふとその遊びの起源が気になりました。
検索してみるとトゥギャザーなまとめ記事が出てきて、私は何の気なしにそれを見たのです。
「戦隊ヒーローは多対一だからズルい」と言われた時以来の衝撃といえましょう。
何も変わっていないのに、何かが変わったような感覚に漠然と包み込まれたのです。
没個性のキャラを描いて、自分の主張を喋らせることに人生を費やそうと。
そういうわけで、夢を実現させるため私は増田をやめる決意に至ったのです。
ですが増田のことが嫌いになったわけではありません。
もしかしたら十数分後には戻ってきて、なぜ戻ってきたのかを説明するエントリを書くかもしれません。
それを恥ずかしいことだと私は思わないし、思う必要もないと考えています。
自分の意志で「やめる」と宣言したので、それを撤回するのも私の意志なのだから。
なので皆さんは私を応援して、何らかのセンセーショナルな言葉をかけて欲しい。
己の人生観を下地に、何かを悟っているような口ぶりでブコメを書いてもらえると嬉しいです。
そしたら追記のエントリを書いて、皆さんと馴れ合うことができますから。
未練が残るのみです。
ここで仲間たちと過ごした日々、たくさん書いたエントリを忘れないでしょう。
増田理論の何がおかしいかって言うと、他人がとるべき行動と、示すべき結果を決めて、また何をするのが人として当然かをも決めつけている事だね。
例えば、問題を増田はなぜ今の会社で働いているのかって事にして、増田理論で批判すると
向上心があるなら他人に雇われるなんておかしいし、自分が雇われているってツライ状況を何とか打破したいとは思わないのですか?
となる。
人によって違うとかしか言いようがない。
ファッションってのは自己顕示を表す方法の一つで、対人コミュニケーションを重要視しない人にとってはどうでもいいものなんだよ。
クラアントとはネットを介してしかやりとりしないなら、ファッションに金をかける費用対効果が薄いのは理解できるだろ。
仕方なくやらなければならないのに、それをしないで愚痴ばっか言ってるって事を批判するなら問題ない。
だけど、自分がやってる事は正しい事で実践しない人は間違えているって言うなら、承認欲求オナニーにファッションを軽視する人を利用しただけ。
偉そうな事言ってるけど、やってる事ってただの醜悪な差別行為なんだよね。
被災者相手にこんなに美味いもんがあるのに、何でクソ不味そうな飯食ってるんだろうとか、私はこんなに努力したからあいつらが努力しないのおかしい。って言ってるようなもんだ。
きょう書店で娘が心底嫌そうな顔で「お父さん、これ気持ち悪い…」と指さした光景。
2018年9月初頭にこのツイートに端を発するゾーニング問題について、
しかしこの問題、実際はその辺りでは無いのではないかと筆者は思う。
本題に入る前にまずはそれら「ここが問題だ」という部分を見ていこう。
元ツイートを見た通りでは、「親」に「これが気持ち悪い」と報告する娘。
ほんとそうなんです。八歳の子供の目で見たらはっきりと嫌悪感を覚えるものが、
自分自身に対する異性の目を想像し気にするのであれば、いささか不自然ではある。
一般に性に目覚めた頃合いは、それは恥ずかしいものであったり訳のわからないものであったり、
特に学校での性教育が概ね浅い内容であるこの国で、娘が(八歳で性教育はやらないだろうが)
得ている性的知識というのは、第二次性徴期での変化や生理に関する所であって、
早熟であったり、或いは性的に嫌な目に遭うなどがあれば、今の知識と結びついて
自覚し始めた、ということはあるだろう。
しかしその場合、真っ先に異性として嫌悪の対象になるのは父親だ。
ましてや自身の性的嫌悪に結びつく話を、異性たる父親にする可能性は極めて低い。
下着を買うときに異性への嫌悪を知っている娘が父親に相談しないのと同じで、
これは信頼の問題ではなく、「それだけの性的意識があるならば父親に対して
実際に娘が現場でどこまで喋ったかはわからないが、ツイートの内容を見る限り、
表紙に描かれた女性キャラクターの露出に対しての吐露というより、
つまり
「自身の女性が商品的に見られているのが嫌だと思うぐらいの意識があるなら、
親とはいえ男性である父親に報告しようとは大抵思わないだろう。
ツイートの限りではラノベコーナーを指さしてるだけのようなので、
ということになる。
デザイン性や売れ行きなどはもちろん、一般書籍として置けるかどうかも
だが実際には露出が多いじゃないか、などの意見はもちろんあるだろう。
しかしそこはいわゆるプロの目線で、いわば「行政に言い訳できる」という
多くの出版社が気にする行政といえば、東京都健全育成審議会だろう。
つまり何らかの問題視がされたとしても、この審議会での基準に対し、
「肌色率が何割」とか「胸の強調の度合い」など彼らの基準で抵触しなければ、
「じゃあ例えばPTA協議会理事より確かな肩書と経験をお持ちなんですか?」
と問えることになる。
出版社独自の基準にしろ、審議会にしろ、そうした議論や法律、過去の事例に
照らし合わせて複数人が出した結論より、ただの一般人が何を規制できるのか。
市民が主役などと言うことは出来ても、では市民の代表たる議員はどうするのか。
法治主義、民主主義の原則を掲げながら、ゾーニングを唱える側はしばしば独裁的になる。
話が大きく逸れたが、さてツイ主の求めるところは実はゾーニングではない。
結局は、胸を強調したイラストを以て女性の性的消費に対する持論を述べているだけに過ぎない。
考えてみれば分かる通り、書店一つには非常に多くの書籍が取り扱われており、
男に置き換えれば股間の性器だけ異様に巨大に描かれたイラストが氾濫してるようなもんだけど、
そういう男にとって不快なものは平積みされてない。身体を性的に誇張されて描かれ、
つまり全体としては氾濫しているとは言い難いのだが、
つまり売り場を整えろという話ではなく、それ自体の存在を無くせということに他ならない。
ツイ主が言うところの、
という主張には、ツイ主の考えるそうした表現自体への異議であり、
この異議を叶えるのなら、ゾーニングをしたところでその表現は消えない。
書店で見なくとも今どきネット広告でもなんでも目に入る機会はいくらでもある。
つまり存在自体を抹消しなければ、ツイ主の主張は叶わないのだ。
まとめると、
「ゾーニングの問題っぽいが、実際には胸を強調するなどの表現そのものを無くせというものであり、
存在そのものを女性差別的に考えているので売り場を分けたところで彼の主張は叶えられない。
ということになる。
フェミニズム思想だろうか、それとも最近の何でもヘイト認定だろうか、はたまたポリコレか。
いずれでもない、これはそもそも問題ですらないのではないかと筆者は考える。
考えてみてほしい。すべて事実だとして、わずか八歳で性的表現を意識し非難の目を向けられる娘。
実に早熟と言って良いだろう。小学2年か3年か、同年代より知的レベルは高いと言えるだろう。
そしてそういう性的意識を早くから自力学習した、ということはまず無い。
親の教育あってのものだ。つまり早くから、防犯意識にせよ不審者対策にせよ、
娘に対して「女性」としての性的意識を教育してきた可能性は極めて高い。
・異性ながら娘に頼られ信頼される良き親
以上を主張するだけの、総じて自己顕示欲を満たすだけのものだと言える。
その上でラノベの表紙を選んだのは、それこそゾーニングの本丸である審議会で、
最近問題視されているBL漫画や、少し前に話題にされた少年誌のグラビアのように、
当の女性から支持されているものや、三次元で一般に理解されるグラビアアイドルと違い、
古い考えとして、オタク的なもので叩きやすかったからに他ならない。
ツイ主の想定外があるとすれば、婉曲な正義感の自己顕示のエサとするべき対象が、
ただのサンドバックではなく、もはや一般の趣味レベルで認知されていることだろう。
程度の差はあれ、今や初音ミクの話題を学校でして罵られる時代ではない。
きっとこうも問題視されあろうことか反論されるとは予想外だったろう。
ともすればインスタ映えを気にするのと大差ない話題が炎上騒ぎとなったわけだが、
いずれは何らかの形でもっとひどい炎上騒ぎになったかもしれない。
なにしろ、
・その商品を批判のために、恐らく店員に無断で撮影するモラルのない父親
・業務妨害で書店や出版社から訴えられる可能性を考慮しない危機管理の無さ
・八歳の段階であれこれと親の思想を植え付け行使させる不自由な教育方針