「美的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 美的とは

2023-12-23

anond:20231223073432

モンゴロイドドワーフではなくトロールだと思うぞ

それ昔書いたらブクマカがキレたり名誉白人ムーブ見せてましたね

 

政治的OKらしいが北欧選民意識ヤベェな映画

ヒロイントロール故に人間美的価値観からしたら醜いって設定なんだけど

どう見てもモンゴロイドです、ありがとうございました

白人でもああいうおばちゃんいる
特に寒冷地域に住んでるモンゴロイドの血が入る地域だとね
サーミでもモンゴロイドの血が強くでりゃああなるけど政治的OKなのかスウェーデンよ?


(略)


陸続きなんで血が混ざり合うのは当たり前っちゃ当たり前の話なんですが

ブクマカ見てるとそう思い至らない人たちもいらっしゃるようなので追記するよ


(略)


人間も寒くて暗いところは、アルビノ化して大型化して目もパッチリするのですが、

北欧北米は一重まぶた(内眼角贅皮)で目が小さい小柄な人もそこそこいます

これは単純に中頻度でモンゴロイド系の遺伝子が見られるからです


そうして起こることは、A:見るからコーカソイド、B:薄顔のコーカソイド、C:見るからモンゴロイド、この3パターンの出現です


Aは問題無いでしょう、

Bは微妙ラインですがビョークサーミの血のヒロインあたりの感じですかね、

Cはあからさまに異端、でも当たり前ですが生まれます

どうみても冷寒対応したモンゴロイドの他に、コーカソイドの血が入っているので眉骨が出た感じの人も生まれます

おでこ(正確には眉骨)が突き出て(目が窪んで)るが、目鼻は小さく丸顔でどう見てもコーカソイドではない、のっぺ〜っとした『なにか』となります

この『なにか』が残念なことに、ブクマカ言葉を借りればいわゆる亜人顔だったりするし、Mongolian idiocy(蒙古症)=ダウン顔だったりする


たくさんの血が混じり合う地域でその血の出方によって差別が発生するのはインドカースト然り珍しいことではありませんが、

ダイバーシティ現代において、北欧発で今さらあんものを見せられるとは思いもしなかったというのが正直な感想

 

https://anond.hatelabo.jp/20200211124942#

2023-12-12

anond:20231212153544

このtweet動画見て「BEFORE/AFTERで何が変わったかからない」ってことは、「整えられた眉は威圧感ある」って増田美的自意識は外れたってことじゃないの?

何が変わったか分かんないんでしょ?

anond:20231212153357

このツイートだとよくわからんだけで、「整えられた眉は威圧感ある」という俺の美的自意識は明確なんだが

anond:20231212114850

世の中のまともな人間はそれ全部やらされてるから

もう少し美的基準を男女ともに軽減してもいいと思うが、

というかそもそも激務の方を批判するべきじゃないか

2023-12-07

弱男大学生マッチングアプリ登録9個。始めて1ヶ月でマッチ0でのもがき

大学に入って彼女というものができると思っていた。

しかし一向にできない。おかしいなとも思いつつどこかで機会や出会いがあるのだろうと思っていた。

そんなこんなでもう四年目。就活もそろそろあり、このまま社会人になったら自分は一生童貞しか孤独死ぬ未来予想図がありありと見える。

夏休みになってマッチングアプリというものを始めてみた。結果的現在マッチングアプリを9個やっている。

自分身長165cm、顔は下の下でないことを祈りいくらいの塩顔髪型は短髪で体型はいわゆる普通体型。大学もまあまあ名前が知れてるし、自己評価としては好物件ではないが悪くはないだろうくらいに思っていた。

男はマッチングアプリ課金をしないとメッセージもできないということを知り、4000円近くの金を突っ込んで始めた。

そしてマッチングアプリを始めて1ヶ月、誰一人としてマッチしない。世界から否定され、自分の無価値世界が認めたような気分だ。最悪だ。

アプリを始めてみて分かったが自分には価値がない。

マッチングアプリには足跡という機能がある。これは誰が自分プロフィールまできたかわかる機能だ。1ヶ月で100人くらいはプロフィールを見に来ているようだ。

しかマッチしない。

まりケーキ屋で言えば店内入ってきてショーケースまで見てそこで帰ってる客が100人いる。自分パティシエだったらコック帽をおいているだろう。

何が辛いかというと足跡があってマッチしないことが辛い。つまりわざわざ中を見るまでされ、精査された上で「お前には価値がない。魅力がない」と突きつけられているのだ。

そしてまず考えたのはアプリが悪いのではないかということ。今振り返ると別にそんなことはなかった。ただそのとき自分価値自分の想定より断然低く見えており現実を見えていなかった。

ということで次のアプリを始めた。結論からいうと全くもって同じ結果であった。

まりどういうことかというと自分は完全にこのマッチングアプリという市場において無価値であるというがサンプル数2で太鼓判を押されたのである

しかし2個ではたまたま偶然同じようなアプリを選出した可能性があると自分鼓舞した。なので3個目のアプリに手を出したのだが結果は裏付けサンプルが増えただけなんだ。笑えるよな。

弱者男性というもの自分が属すのではないか不安になり、そしてそれを受け入れ始めた。

いくつかのアプリを始めたことで分かったことがある。

婚活アプリ恋活アプリの傾向

自分が使ったアプリはいわゆる恋活アプリというものであり、恋愛目的としてアピールされているマッチングアプリである。これに対し結婚アピールする婚活アプリ存在する。

そして傾向としてかわいい一般的美的感性美人)は恋活の方が多い。考えれば当たり前で可愛い子は別に結婚など若いうちにする必要はなく、遊びでマッチングアプリでいい男を探せばいいのだ。

これに対し婚活アプリになった場合かわいいの平均が著しく下がる。実際の顔の美醜ではなく、写真写りが露骨に悪い。自己プロデュースが下手な女性が多いのだ。

また婚活アプリプロフィール20~25歳くらいだと極端に精神疾患障害などなんらかの追加情報を持っていることが書いてあることが多い。また必ずと言っていいほど「それを理解してくれる優しい男性」を希望しているのだ。

そして自分恋活アプリでは全くもって箸にも棒にもかからないくらい相手にされなかったのだが、婚活アプリに関して言えばまあまあ健闘できた。

理由としては写真だろう。自分はオシャレなどとは程遠い人生を送り、理系大学でびんぞこメガネをかけた陰キャを地で行く人間だ。悪くいうのなら垢抜けず、野暮ったく、ダサいのだ。

しか婚活アプリ市場においては相手はいわゆる恋愛強者が少なくなるので、それらの女性の非恋愛強者恋愛強者恋愛弱者が排反ではない)がオシャレな男とマッチするという自己評価をしておらず、一見誠実で遊んでなさそうに見える男性を同程度またはそれ以下の相手だと考えてマッチするのだと予想した。

真っ暗な競争

マッチングアプリの難しさというもの自己改善の難しさである

当然なのだ男性女性プロフィールしか見えない。もちろん女性であれば男性プロフィールしか見えない。

マッチングアプリ基本的形式だが、男は女に選ばれる側という明らかな上下関係にある。女は選り好みしなければ男なんて掃いて捨てるほどアプローチがくるが、男は1ヶ月しても1回もアプローチも来なければ自分アプローチが実らないこともザラなのだ

まり男はマッチングアプリにおいて競争環境に置かれているのだが、レースで言えば横を走っている相手を知ることができないのだ。

受験だって普通は他の人の成績を見て自分日本で何位で他の人より英文読解が弱いとか分析することができるのだが、マッチングアプリではそれができないのだ。

これが非常に辛かった。これでも理系のはしくれなので論理的改善をできるなら前向きに生きることができるのだが、そのための比較ができず改善もできない中で完全な暗中模索しかも結果は出ないのだから辛かった。

この気づきの後に実験をしながら自分を磨いていくことを決意した。

写真写りの重要

写真写りなのだが正直ここがよくないとマッチもしないので交際スタートラインにも立てないのだということが分かった。

自分の無価値を認めた時点で次の実験をした。

新宿ホストっぽい写真(なんかいかついスーツ)・スーツビジネスマンみたいな写真TDL背景のただの笑顔で服を女性に選んでもらったカジュアル3割フォーマル7割みたいな格好の写真自分普段オタクみたいな写真の3つをそれぞれ1週間ごとで写真を変えた。

他人写真を使うのは倫理的に憚られるのでPhotoShop気合いでアイコラしてゴリゴリフィルターで1枚目の写真作成した。2枚目は大学入学式あたりの写真を使った。

3番目はカメラマン友達に金を払って「マジで仕事と思って頼む」といって相手が断る中で半ば無理やり金を握らせて撮ってもらった。

結果はとして受け取ったいいね自分からいいねしていいねが返ってきてマッチしたいいねも加算してる)

婚活アプリ(Omiai)

0/1/2/1

恋活アプリ(With)

1/0/4/0

これだけを見れば女性に服を選んで貰ってカメラマンに撮って貰えば改善するように見える。

ここで比較としてホストをやったこともあるイケメンの友人にお願いして同じアプリで同じようなことをしてもらった。(この友人の彼女には自分の方から謝罪事情説明をしてOKをもらった)

ホスト風の写真/普段写真(ファッションがわからない自分には女性に選んでもらったやつくらいオシャレ)/自分がチョイスしたださ目オタクファッション(自分普段着)

婚活アプリ(Omiai)

11/43/24

恋活アプリ(With)

98/238/134

ここでわかるのだが結局顔なのである。身も蓋もなさすぎる気付きなのだが大きな気づきだった。

マッチングアプリは顔がよければどうにでもなる。

この結果は救われたような気すらした。所詮顔の差でしかなく、逆に言えばここがよければ改善可能なのだ自分人間としてオワリなのではなく、ただ顔が良くないだけで人間的にオワリとは言い切れないということが収穫だった。

上記実験は全て同じプロフィール、同じステータス毎日ログイン)、同じ会員ステータス課金)、同じ開始時期なので差は完全に写真だけなのである。またマッチングアプリには新規登録ユーザー優遇存在するため、自分と友人のアカウントアカウント作成後1ヶ月放置し、そのあとに課金を始めている。

同様の仮説からプロフィールの内容を実験してみた。

写真を以下の条件のもと、プロフ文章を長め(趣味嗜好・休日の過ごし方・恋愛遍歴などの長文)と基本的自己紹介と挨拶だけの短めの文章(写真実験使用した文章)を用意した。

それぞれ1週間の実験期間であるが、この実験写真実験のあとに行っている。

婚活アプリ(Omiai)

長文 5 短文 2

恋活アプリ(With)

長文 5 短文 4

婚活アプリ(Omiai)

長文 57 短文 43

恋活アプリ(With)

長文 290 短文 238

ということで気持ち長文の方が増加傾向なのだが、写真以上のインパクトはない。しっかり書けばだいたい1.1~1.2倍程度いいねの向上が見られた。

記載の通り、この5週間で以下の成果を得られた。これはおおきな進歩だ。正直最初いいねをもらった時は嘘じゃなく飛び上がるほど喜んだ。生きていていいんだと感じた。

婚活アプリ 9 恋活アプリ 9

驚くべき成果だ。自分は無価値だと思っていたが見せ方次第ではある程度改善が見込めるのだ。

しか努力が反映され、これが即結果につながることが分かった。この時点で自分は完全にマッチングアプリを数値的なゲーム感覚で触れるようになった。

与えられた環境で最大点を出す努力をするのが快感になり始めた。自分はもともと資格勉強とかの結果が明白にすぐ出る努力が好きなのでこの環境で頑張ってみようと思った。

でも、ほんとの恋愛強者ってのは高校とかの時点で彼女を作って、別にマッチングアプリなんか始めずに大学生活を周囲の女子とかとディズニーとか行って惰性で付き合ったりしてるんだろうな。まあもう自分にはなれないからただただそんな人は羨むしかない。

ここから先はメッセージしてから実際に会える確率についての実験と9個のアプリに手を出す話が続くのだがこれはまた今度書きたい。

2023-11-30

anond:20231130000204

美的センスがない人ほど数字にこだわって正常と異常で分けるのなんでだろー

2023-11-19

[]11月18日

ご飯

朝:お椀で食べるチキンラーメン。昼:カロリーメイト玄米ブラン。夜:人参大根スープ目玉焼きナポリタン。間食:チョコプリングルス

調子

むきゅーはややー。お仕事は、おやすみー。

○和階堂真の事件簿 TRILOGY DELUXE

抽象化されたドット絵で謎解きの雰囲気演出する短編ミステリアドベンチャーゲーム

スマートフォンで展開していたエピソード3作に加えて新作エピソードを追加した移植版を遊んだ

まず目を見張るのがドット絵ビジュアル面。

昭和世界観レトロ雰囲気演出するためだけでなく、この作品独自演出ストーリー展開のためにもドット絵表現が生かされているのが面白かった。

タバコの煙が醸し出す昭和空気感に、キャラクタの顔がわからない程度のドットなど、なるほどこの作品はこのビジュアルじゃないと成り立たないなと腑に落ちるのが心地よかった。

システム面はオーソドックス探偵ものADVらしく、人への聞き込み、証拠品や現場調査を繰り返してキーワードを集めていき、それらから正しい選択肢として選んでいくお馴染みのそれ。

かなりサクサク進み、とんとん拍子に証拠証言が集まっていくので、いっさいだれずに捜査を進めることができた。

ほとんどミスリード捜査空振りする展開がないため、悪く言うと遊びがないとも捉えれるが、僕は無駄なく綺麗にまとまっていると感じた。

とはいえ文量のボリュームは少な目なので、ある程度は、そういうものとして前提を飲み込まないといけない部分もあった。

それが欠点ではなく、物語に良い意味で余白を残していたからだと思う。

表情がわからないほどに荒いドット絵ながら演技の表現が入るため、そこに見入るような熱があったのが余白を感じれた理由の一つ。

そして何より、今作最大の魅力である捜査終了後のサプライズ要素。

4作品全てでこのサプライズ展開が徹底しているのはお見事だった。

短編からこそ“お約束”として触れないと思っている部分に容赦なく触れていく、どんでん返し系の構図は驚かされた。

流石に3作目や4作目になると身構えるので、ネタ自体予測できたものの、魅せ方の工夫が効いていて面白かった。

どのエピソードも良かったけど、あえて一番を選ぶと、2作目の「隠し神の森」。

狭い村の人間関係調査するパート楽しいし、恒例のサプライズ展開もそこをズラすかあ、と感服した。

あと孫がいる年齢の男女が老いて尚お盛んな描写エッチなんだけど、ビジュアル面がドット絵なのでイヤラしくないのも抑え目な表現がいい味。

勿論他のエピソード面白く、1作目ながらシリーズの魅力が詰まっている自己紹介的な「処刑人の楔」、虚構真実の境目で迷う主人公俯瞰する楽しみがある変格っぽさもある「影法師の足」、オーソドックスな館物ながらシリーズを通して遊んだ後のご褒美的な側面も嬉しい「指切館の殺人」と、どれも楽しかった。

どのエピソードも、短編ながら捜査の楽しみと、謎解きからサプライズ展開と、文量という意味ではなく、体験という意味でのボリュームはしっかりあるので、プレイ時間(4時間ほど)の割には満足度は高い。

ただ、謎解き部分はかなり真っ直ぐな構成であり、謎らしい謎が少ないところは、少し僕の好みではなかった。

道中の捜査の楽しみも、勘所は抑えられているとはいえ、流石にボリューム的に遊びの文章が少ないのも惜しかった。

どんでん返し的なサプライズパートが優れていたのは間違いなく、この辺のバランスは好みの問題だと思うので難しい。

1作品1時間ほどのプレイ時間の縛りが良い意味でも悪い意味でもどう評価するのかの基準になるポイントだったかも知れない。

2023-11-17

皮肉の達人としての京都人イメージについて

京都弁京都人の、皮肉迂遠悪口を言う存在というイメージインターネットネタにされることは多い。

大体の人間にとっては感覚的に自明だろうが、ネットで行われる京都弁ネタ皮肉うまい、婉曲的な言い回しを好むというステロタイプイメージの扱いはは、基本的に誉め言葉である

インターネットというのは――もしくはオタクというのは――或いは日本人というのは――もしかしたら人類の多くが――皮肉や口の上手さ、風刺アイロニーウィット、気の利いた言い回しといったユーモアを好むものだ。

婉曲表現インターネットで好まれている例は色々あげられる。

たとえば、現実イギリスのアイロニカルなジョークは人気だ。フィクションでは、ジョジョプッチ神父ツバメの話やニンジャスレイヤーなどの捻った挑発も人気だ。

誉め言葉方面でも、漱石I LOVE YOUを月が綺麗ですねと訳したというエピソードも人気だ(これは創作実話らしいが、人々がこのような婉曲表現ステキと感じるからこそ、創作実話なのに広まってしまったのだろう)。

意味が分かると怖い話落語考えオチ、なんかの楽しさも、遠回しだからこそ面白みが増す事例だろう。

京都弁もまた、ネタにされつつも羨望の目で見られている。

しかしそれも素直に京都の高い言語文化を褒めるのでは面白みがないから、まるで京都人が意地が悪いから複雑な言い回しをしているかのようなひねりを入れた誉め方をしているわけだ。

少し蛇足になるが、最近インターネットSNS一般したことで、皮肉や逆説、反語表現などが誤読されることが増えたという話題をよく目にする。だからアイロニカルな表現は止めよう、と。

だが、私はSNS時代でも、アイロニー皮肉や捻った言い回しを捨てるべきではないと思う。

言語表現言語文化の洗練というのは、「誰にでも齟齬なく伝わり便利である」という実務的方向だけではなく、「美しい、おもしろい、何かが掛けてある」のような美的方向もあるだろう。

過去歴史で、言語文化が発達したとされる場所時代は、大勢人間言葉交流ができる環境余暇があって、面白みやひねりのある言い回しが沢山生まれたことで言語文化が花開いたとされることが多い。

まさにインターネット人類史でもっとも広く日常的につながった言語環境だ。

そこで芽生えてきた、そして今後も花開くであろう、華美で、ひねっていて、アイロニカルで、美しくて、遠回しで、おもしろ言語表現を諦めるなんて、あまりもったいないのではないか

岩井がなんでキモいのか気になる

ハライチ岩井キモいって言ってる人、煽りとかではなく本当に嫉妬ではないのか?

自分マジで理解できない感情なので気になる。マクロンがどうこうとか関係なく本当に好きにすればいいと思ってるので

嫉妬だとしたら、加齢とともに日々劣化していく若さという自分美的価値劣化直視できずに、若さという基準で選んだ男の方を叩くってロジックなのか?

だとしたら日本美的価値評価相対的に高い女性特有感情なのか?

どうにもグルーミングとか言ってる人が感情の後付けで理論をくっつけてるようにしか見えんわ

少なくとも今岩井ツイート検索して出てくるようなキモいって言ってる毒吐き垢とかはグルーミングとかソーシャルジャスティスを考えてるようには思えない

2023-11-15

算出根拠根拠

10点: 顔立ちに顕著な非対称性や特異性があり、一般的美的基準から大きく外れている。20点: 非対称性がやや目立つか、一般的美的基準に少し欠ける特徴がある。

30点: 平均的な顔立ちで、特筆すべき美しさや特異性はないが、大きな欠点もない。

40点: 平均以上の顔立ちで、いくつかの魅力的な特徴がある。

50点: 全体的にバランスが取れた、魅力的な顔立ち。

60点: いくつかの特徴が特に美しく、魅力的な外見。

70点: 顕著な美しさを持ち、多くの人にとって魅力的。

80点: 非常に美しく、顔立ちの各部分が高いレベル調和している。

90点: 例外的な美しさで、ほとんどの

算出根拠

10点: 顔立ちに顕著な非対称性や特異性があり、一般的美的基準から大きく外れている。20点: 非対称性がやや目立つか、一般的美的基準に少し欠ける特徴がある。

30点: 平均的な顔立ちで、特筆すべき美しさや特異性はないが、大きな欠点もない。

40点: 平均以上の顔立ちで、いくつかの魅力的な特徴がある。

50点: 全体的にバランスが取れた、魅力的な顔立ち。

60点: いくつかの特徴が特に美しく、魅力的な外見。

70点: 顕著な美しさを持ち、多くの人にとって魅力的。

80点: 非常に美しく、顔立ちの各部分が高いレベル調和している。

90点: 例外的な美しさで、ほとんどの人が認める魅力。

100点: 理想的完璧に近い美しさ、非常にまれ

根拠 : https://anond.hatelabo.jp/20231115111627

顔の採点基準

10点: 顔立ちに顕著な非対称性や特異性があり、一般的美的基準から大きく外れている。20点: 非対称性がやや目立つか、一般的美的基準に少し欠ける特徴がある。

30点: 平均的な顔立ちで、特筆すべき美しさや特異性はないが、大きな欠点もない。

40点: 平均以上の顔立ちで、いくつかの魅力的な特徴がある。

50点: 全体的にバランスが取れた、魅力的な顔立ち。

60点: いくつかの特徴が特に美しく、魅力的な外見。

70点: 顕著な美しさを持ち、多くの人にとって魅力的。

80点: 非常に美しく、顔立ちの各部分が高いレベル調和している。

90点: 例外的な美しさで、ほとんどの人が認める魅力。

100点: 理想的完璧に近い美しさ、非常にまれ

算出根拠 : https://anond.hatelabo.jp/20231115111512

2023-09-15

かわいい」の言語化

2023-08-26

ボディビルダー美的センス分からん

正直言ってあんなにムキムキなのが美しいって

理解できないんだが。

しかも男じゃなくて女も一定数いるよね。

あれはマジでなんなんなの?

2023-08-01

神仏ジャンケンの話

 暮らしているアパートの裏に神社がある。

 神社は割と人通りの多い小道に面しているため、静謐、といった雰囲気はないが、左右に砂利が敷かれた短い参道を抜けて、背の高い木々に囲まれた昼でも暗い拝殿の前に来ると、「ほぼ現世、少しだけ異界」ぐらいの空気はある。

 境内に一本、御神木なのか、ひときわ大きい樹が立っている。木には人の胸ぐらいの高さに縄が巻かれていて、汚れ一つない純白の紙がそこから垂れている。

 夏になると、境内の地中から蝉が出てきて、この木に登る。羽化するために現れて木を登っていく。

 蝉、しめ縄をよじ登って越えていくか、反対に縄の下であきらめて羽化すればいいのに、わざわざ縄に下げられた白い紙を羽化ポイントに定めるやつが何匹かいる。真っ白な紙の上に点々と、透明で茶色い抜け殻が残る。

 しめ縄というのは、どっしりとした円柱の大木に風雪で少しささくれた縄が巻かれ、そこから新しくぱりっとした純白の紙が垂れている、そういう宗教的かつ美的意匠なんだと思うが、まあ蝉には関係ないもんな、と思う。蝉にとっては、ちょうどいい高さにあるちょうどいい場所しかない。

 神社を出て100mほど、道なりにいって曲がると、今度はだいぶ由緒あるらしい寺が建っている。高名な僧が数百年前に開いた名刹らしい。

 俺が住んでいるのはある有名な地方都市で、住民も多いし、観光客大勢行き来している。しかし、この寺のお堂へと向かう広葉樹と苔だけの道を1分ほど歩いて境内に入ると、まったく何の音も気配もしなくなる。聴こえるのは、それこそ蝉の声ぐらいだ。

 俺はときどき、お堂の廊下に座って、物を考えないで風景を見る。廊下南側北側があって、南だと境内に植えられた木、北だと目の前にそびえる岩壁を清水が伝うのが見えて、両方飽きない。

 この前、南側に座っていたときのこと、でかい羽音を立てて蜂が一匹飛んできた。

 虫が好きな人間の固有スキルの一つに、蜂が刺すやつか刺さないやつか瞬時に判断できる、というものがある。そのときも、クマバチ=刺さない、とすぐにわかったので、むしろ観察するぐらいのつもりで様子を見ていた。

 蜂はぶんぶん言いながら、お堂の庇に近づいていった。

 お堂の庇は木を組んだ複雑なアミアミになっている。蜂は庇のどこかの一点が気になるらしく、決まった範囲ホバリングしていたが、急にふっといなくなってしまった。

 「?」と思ったが、少し観察を続けてみて、さらに驚いた。

 庇に直径1cm強ぐらいの穴が空いている。ある種の蜂は木に穴を開けてそこに住むが、どうも、クマバチが巣を作るためにお堂に穴を開けてしまったらしいのである

 美しい建築も、あるいは宗教的に洗練された意匠も、生き物としてあるがままにやっている存在には太刀打ちできない。物体であることの限界というか、この場合、お堂<蜂、もしくはご神木<蝉、そういう力関係と言える。

 風情的には少しあれかもしれないが、寺社建築をよく見ると火災報知器がついていることがある。安全面もそうだが、文化的にも重要ものから、火には注意しているのだろう(法律的必須なのかは知らない)。

 同じことが蜂に穴を開けられた場合にも言えるはずで、歴史ある建物としては損なわれない方がいいに決まっている。

 俺は寺務所に言いに行こうかと思ったが、少し考えてよした。

 主な理由は「お堂に蜂が穴を開けてますよ」というところから会話を始めるのが我ながら気色悪く、億劫だったからだが、もう一つ挙げると、そもそも仏教的に、「かたちあるものが虫によって損なわれようとそれがなんだろうか」というノリなのでは、とも思ったためである

 皮相な理解だが、一切皆空の世界だし、悉有仏性世界である(と聞く。宗派的に色々あるのかもしれないけど)。

 人がつくったお堂に蜂が穴を開けようが、それでお堂が朽ちようが、お堂につくった巣で蜂が栄え、その蜂もいつか滅びようが、すべてが等価というか、はじめからそういう、かたちを結んで消えていくのを織り込んでいる世界観が仏教なんだっけ、と思った。

 それで考えると、神道もいわゆる「八百万」の世界観であって、序列はあるのかもしれないが、蝉にも蝉の神…というか、「土中で数年暮らしたあと地上に出てきて飛んだり鳴いたり(オスだけ)したあとあっけなく死ぬ」神性? みたいなものがあるのかもしれない。

 どういう神性だよ、という気もするが、ヨモツラサカに生えた桃の木とか岩とかを神と見なすのから、蝉の神がいてもおかしくはない(おかしくはないのだけど、実際のところ、虫の神を日本神話で見た覚えはなくて気になっている。アゲハの幼虫を信仰していた宗教が大昔にあったみたいだけど)。

 そういう意味では、自然界の営みによってシンボル物質的に損なわれたり、上手く機能しなくなったりしても、一部の宗教システムとしてあらかじめ、そういう破壊や変質をうまく組み入れているのかもしれない。これは生命よりも宗教の法理の方が、包括的という意味で上位ということで、生命<法理であると言える。

 で、最後にどこに着地するかというと、信仰もただの理念言葉ロジックだけでは生き延びたり広がったりしていくのは相当難しい、やっぱりモノ・カタチにする必要がありますな、というところに着地する。

 心を寄せるためのシンボルや、目で見て手で触れられるオブジェクトがあった方がいいし、大衆の政として考えても、建築やでっけえ像とかがあった方が広めやすい。

 仏像でもピラミッドでも教会でも、最低限、紙の聖典でも、とにかく、教えとして生き残り広まっていくためにはブツ必要だ。水を汲んで運むのに器がいるように、信仰にはどうしても、ブツが要る。その点では信仰<モノである

 ただ、モノはいずれ、壊れるか変形するかするわけで、俺なんかはもう、「物質を伴わなければ存立・拡大できない宗教は、戦略として物質化を伴うがゆえに、滅んだり変化することも許容し、あきらめることをどこかに織り込まないと理屈破綻してしま宿命でもあり、拡大と必滅の板挟み」なのでは? とさえ思う。まあ考えすぎかもしれない。

 いずれにしても、これでお堂<蜂<信仰<お堂の三すくみが完成した。ありがたいことである

 正しいかは知らない。

 何年か前に泊まった旅館山寺のふもとにあって、せっかくだから登っていったら、と宿の人に言われ、お遍路でつくような杖をわたされた。

 要らねえけどなあ、と思って登り始めたら、山道というレベルを超えて文字通りのマジ崖であり、むしろ杖あっても登れねえよ、と思ったが、どうも引っ込みがつかなくなり、気合いで登り続けた。

 道がどんどん狭くなって、「落ちたら普通に死ぬなこれ」と思っていると、やがて、ほとんど空中にかかったような、ひと回りするのに10秒かからないほど小さいお堂にたどりついた。

 当たり前だが、誰もいなかった。辺りは静寂に支配されていて、青い空が近くて、山の中が一望できた。

 厳密に言うと誰もいなかったわけではなく、小さめのスイカぐらいあるスズメバチの巣が完全に完成してお堂の庇からぶら下がっており、スズメバチが「竣工式でーす」と言って飛び回っていた。

 俺はふもとに降りてから、「蜂です」と宿の人に言った。さすがにスズメバチは言う。

 ただ、蜂には当然、あれがお堂かどうかは関係のない話である。また、お堂サイドも、まあ仏教の法理に人格のようなものがあるとして、「こういう世界からしょーがねえな」と言って苦笑する感じというか、空の近くにある静かな山中のちんまりした古刹で蜂が生命を躍動させているのに、なんかすげえ調和しか言いようのないものを感じたのを覚えているので、書いておく。🦑

2023-07-30

anond:20230730124242

要約

数学証明には、美しい証明方法が求められる一方で、平凡な解き方でも結論を得られることがあります

三平方の定理には100通りの証明存在し、その中には相似を用いた平凡な解法も含まれます

数学者の生産活動驚愕の美へ向かって進んでいますが、三平方の定理は規模は小さいもの数学世界重要位置を占めており、100通りの証明の中には美的着想による超エレガントなもの存在します。

三平方の定理には超難問もありますが、神は様々な証明修行を行うよう示唆していると感じられます

2023-06-09

anond:20230609100333

戦争賛美になっちゃうよね」って話だから表現問題じゃん。

仔細については意見あると思うけど、ガンダム戦争美的属性を持っていることについては本人も自覚があるということだから、「ガンダム戦争賛美じゃない」という意見は間違っていると言えるわけだな。

2023-05-31

テンプライアンス(Tempura Compliance)」とは

テンプライアンス(Tempura Compliance)」とは、

天ぷら調理提供に関する一連の規則基準

テンプライアンスの目的は、天ぷらを一貫して高品質安全状態提供することです。以下に、テンプライアンスの一般的な要素を示します:

1. 揚げ油の管理: テンプライアンスに基づく天ぷら店では、揚げ油の管理重要です。揚げ油は適切な温度で維持され、定期的に交換されます使用済みの揚げ油は適切に処理され、安全方法で廃棄されます

2. 食材品質管理: テンプライアンスでは、天ぷら使用する食材品質管理が求められます。新鮮で高品質食材を選び、衛生的な環境で保管・調理されます食材の衛生面に配慮し、十分な下ごしらえが行われます

3. 衛生基準の順守: テンプライアンスに基づく天ぷら店では、衛生基準に従うことが重要です。調理場や調理器具の清潔さを保ち、従業員は手洗いや衛生管理実施に努めます。また、食材の取り扱いや提供時の衛生対策も徹底されます

4. 提供美学: テンプライアンスの一環として、天ぷら提供には美的な要素も重視されます天ぷらは適切な温度提供され、見た目にも魅力的であり、食べやすい形状やテクスチャーが守られます

これらのテンプライアンスの要素を遵守することで、天ぷら店は安全品質の高い天ぷら提供し、お客様満足度を高めることができます

2023-05-30

anond:20230529171504

10年くらい前から一部の若い男性が使うようになって、今は男性についてもブスというのが当たり前になった。

女性服装スカートが激減してパンツスタイルが多くなったことにより女性短足・低身長短所になった。

スカートチビ短足の誤魔化しがきくシルエット。スラックス等は誤魔化しがきかない、骨格がまるわかりになる)

男女の美的評価基準統合されていっているように見える。

2023-05-21

シスヘテロ精神障害者男のポリコレ潮流への感情

この記事で言うポリコレ潮流とは、今まで日の当たらなかった弱者マイノリティに光を当てたり称揚しようという世界的な流行のこととする。そして特にエンタメ業界についてに注目する。

世界的、あるいは日本世間的な言葉意味はさておき、この記事ではそうする。


基本的に僕はポリコレ潮流に好感を持っていない。

説教臭さや、諸々に配慮してますという目配せが娯楽への没入感を削ぐし、僕の美的好みから外れるキャラタレントの登場頻度が増えたからだ。

だが、ポリコレ潮流的な物が百害あって一利なしだとは思っていない。

僕は大学進学の際に、九州人口20万くらいの町から人口100万くらいの町に出たのだが、そこのツタヤに、地元にはおいていなかった僕の好きなアニソン歌手アルバムがあった。

それを見て僕は、この町は僕みたいな周囲と馴染めないキモいやつもにも居場所を準備しているのだ、と嬉しくなった。

これは利便性問題ではなくて、大衆普段使いする施設が、自分のような人間存在を想定に含めた運営をしていることが精神に与える影響の問題だ。

もう少しオタク一般に伝わる表現で言えば、アニメイトだったりとらのあなだったりコミケだったりの、オタク存在を前提とした場所に始めて行った時の感覚にも近いと思う。

から差別されやす民族とか、セクシャルマイノリティとかがエンタメでの登場頻度を増したことで、その人たちが「世界には自分たちの居場所がある」という感覚を得ることができるだろうというのは十分想像できるし、それはいいことだとも思う。

ではあるのだが、やはり僕はポリコレ潮流に好感を持てない。

最近の僕は、100万都市に出る以前の、というかそれ以上の、「この世界から僕は厄介者にされている」という鬱屈を抱えている。

ポリコレ潮流が、居場所のない人間にも居場所がある安心感を与えてくれるはずなのに、僕はそこから落ちこぼれている。

100万都市精神病み無職童貞で三十歳を超え、実家に引きこもってネットで悪ふざけしたりロリエロ漫画でシコりつつも、最近ちんちんの勃ちが悪いことと両親の老いに怯えている僕の居場所は狭まっていくように感じる。

潮流という言葉を使っているが、じっさい上げ潮と引き潮のようだ。或いは株の上がり下がりのようだ。

僕が世界存在を許されている感覚は、中学生までの頃は居心地の悪い引き潮、進学で人口の多い町に行き居場所のある感覚を得て上げ潮、おりしもネットの発達やオタク文化の一般化と共に最高潮になったが、その後潮が引き始め、下げ止まらない。

高潮の頃の遺産で居場所や娯楽自体はまだあるが、成長率は低い。

ちょうど日本が、過去遺産GDP世界三位ではあるが、GDP成長率は鈍化していて閉塞感が漂っているのと似ている。

まだ世界から捨てられきってはいないが、この後どんどん居場所が狭まるだろうな、ポリコレ潮流で引き潮になっているな、と思うから、僕はポリコレ潮流を好きになれない。

今のポリコレ潮流で、世界自分達の居場所を認めつつあるという安心感を得ている人たちの、その喜びはいいことだが、僕という存在株価が下がっていくこと抜きにそれはできないのだろうか?

2023-04-10

ミュシャ萌え絵の話

なんか見た話である

女性身体性的に誇張した萌え絵公共空間に出してはいけないという主張に対して西洋絵画の例としてミュシャは?と問う人がいた。

これにミュシャ芸術ではないと答えられていて炎上していたのを見て、ミュシャ果たして西洋絵画代表例として適切なのか、考えてみた。

そもそも美術とは何か。

美の基準は人それぞれだが、美術界においては審査を受けて合格美術館に展示されるもの美術であると考えられる。

その点では、フランス時代広告イラストレーターとして活動し、チェコに戻ってから画家として大作を完成させ、祖国に寄贈したミュシャは、自分自身仕事によって芸術家として支持され自らの地位を自ら作った人だと言える。

官展が作品芸術家を権威づける美術界においては確かに正統派な経歴ではないだろうし「いわゆる」一流の画家と言えるかは議論余地があり、その点でそもそも西洋絵画代表としてミュシャ提示することがそもそも誤りなように思える。

だが、大衆に支持され祖国の人々の心に残る優れた芸術であることは間違いないのではないだろう。

ではミュシャ芸術家なのであれば萌え絵芸術的な広告として出して良いのでは?

ここでマネオランピアや草上の昼食などを思い出してみたい。

どちらも女性の裸体を描いたものであるが、美術とは王侯貴族宗教画こそ良しとされていた時代に、娼婦を描くことで権威的な美術界に一石を投じている。

それと比較する萌え絵商業的な色合いが濃い。

ではミュシャと比べると、ミュシャ世間常識を踏まえて広告イラストを描いているように見える。

フランスではデコルテ出しは問題ない代わりに足を出すとはしたなく見られる。

それは王侯貴族肖像画だったり、現代では映画祭なんかでセレブが着ているドレスでもデコルテまわりは出していても圧倒的に足出し率は低い。

ミュシャが描く女性もやはり足出しはほとんどしていない。

また、今ほど食料が豊富ではなかった時代豊満さは豊かさであり美しさであった。

であれば、全体的に女性的な丸みを強調したシルエットは性的というよりはむしろ健康さの強調であると考えられる。

さて、萌え絵はどうか。

時代は移り変わり、細身であることが美しいとされがちな現代美的価値観に則って身体全体としては細身の印象であるが、胸など性的に描かれやすいパーツのみ強調されているに思える。

美しく描くためというよりは性的な魅せるための強調と言えるのではないか

ちなみに、かつての日用品広告などが今となっては価値あるものとして博物館に並べられるように、今後萌え絵芸術となる可能性もあるのだから保護すべきというような意見も見かけた。

かにそうなる可能性はもちろん否定できない。

ただし、その評価をするのは今ではない。

現状商業性の強い萌え絵広告はすぐには美術品として飾られることはない。

では萌え絵がいずれ美術品としての地位を得ていくためにはどうすべきか。

ミュシャの例を見ると、イラストレーターとして支持を得て着実にステップアップしていたミュシャはある富豪から金銭的な援助を受けたことで故郷チェコへ戻り、『スラヴ叙事詩』という大作の絵画を作り上げている。

ここから、すぐにできることとして、お気に入りイラストレーターがいたら創作を続けていけるように作品買い支えること、また作品はいずれ寄贈できる時に備えて大切に保管しておくことを挙げる。

無理に押し出して変な騒ぎを起こすことはむしろイラストレーターから創作意欲や仕事を取り上げることにつながりかねない。

信じて推して待つ。

できることはただそれだけなのだ

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん