2023-04-10

ミュシャ萌え絵の話

なんか見た話である

女性身体性的に誇張した萌え絵公共空間に出してはいけないという主張に対して西洋絵画の例としてミュシャは?と問う人がいた。

これにミュシャ芸術ではないと答えられていて炎上していたのを見て、ミュシャ果たして西洋絵画代表例として適切なのか、考えてみた。

そもそも美術とは何か。

美の基準は人それぞれだが、美術界においては審査を受けて合格美術館に展示されるもの美術であると考えられる。

その点では、フランス時代広告イラストレーターとして活動し、チェコに戻ってから画家として大作を完成させ、祖国に寄贈したミュシャは、自分自身仕事によって芸術家として支持され自らの地位を自ら作った人だと言える。

官展が作品芸術家を権威づける美術界においては確かに正統派な経歴ではないだろうし「いわゆる」一流の画家と言えるかは議論余地があり、その点でそもそも西洋絵画代表としてミュシャ提示することがそもそも誤りなように思える。

だが、大衆に支持され祖国の人々の心に残る優れた芸術であることは間違いないのではないだろう。

ではミュシャ芸術家なのであれば萌え絵芸術的な広告として出して良いのでは?

ここでマネオランピアや草上の昼食などを思い出してみたい。

どちらも女性の裸体を描いたものであるが、美術とは王侯貴族宗教画こそ良しとされていた時代に、娼婦を描くことで権威的な美術界に一石を投じている。

それと比較する萌え絵商業的な色合いが濃い。

ではミュシャと比べると、ミュシャ世間常識を踏まえて広告イラストを描いているように見える。

フランスではデコルテ出しは問題ない代わりに足を出すとはしたなく見られる。

それは王侯貴族肖像画だったり、現代では映画祭なんかでセレブが着ているドレスでもデコルテまわりは出していても圧倒的に足出し率は低い。

ミュシャが描く女性もやはり足出しはほとんどしていない。

また、今ほど食料が豊富ではなかった時代豊満さは豊かさであり美しさであった。

であれば、全体的に女性的な丸みを強調したシルエットは性的というよりはむしろ健康さの強調であると考えられる。

さて、萌え絵はどうか。

時代は移り変わり、細身であることが美しいとされがちな現代美的価値観に則って身体全体としては細身の印象であるが、胸など性的に描かれやすいパーツのみ強調されているに思える。

美しく描くためというよりは性的な魅せるための強調と言えるのではないか

ちなみに、かつての日用品広告などが今となっては価値あるものとして博物館に並べられるように、今後萌え絵芸術となる可能性もあるのだから保護すべきというような意見も見かけた。

かにそうなる可能性はもちろん否定できない。

ただし、その評価をするのは今ではない。

現状商業性の強い萌え絵広告はすぐには美術品として飾られることはない。

では萌え絵がいずれ美術品としての地位を得ていくためにはどうすべきか。

ミュシャの例を見ると、イラストレーターとして支持を得て着実にステップアップしていたミュシャはある富豪から金銭的な援助を受けたことで故郷チェコへ戻り、『スラヴ叙事詩』という大作の絵画を作り上げている。

ここから、すぐにできることとして、お気に入りイラストレーターがいたら創作を続けていけるように作品買い支えること、また作品はいずれ寄贈できる時に備えて大切に保管しておくことを挙げる。

無理に押し出して変な騒ぎを起こすことはむしろイラストレーターから創作意欲や仕事を取り上げることにつながりかねない。

信じて推して待つ。

できることはただそれだけなのだ

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