はてなキーワード: 絵画とは
親から「バイトはどう?」とラインが来た。「どうしても合わなくてやめた」と返したら「どう合わなかったの?」と質問が帰って来た。
3日後くらいに「こんなのがあるから一応覚えておくといいよ」と地元で開催される来年度の卒業予定者向けの就職説明会の広告の画像が送られてきた。私の卒業は最速でも再来年度なんだけどな。
その2日後くらいに「今N○Kでやってる番組見てみたら」とまたラインが来たのでテレビを点けた。就活生向けの番組だった。中途半端なタイミングで点けたせいで内容がよく分からなかったのですぐに消した。
私が兄弟の中で1番頭が悪くて不真面目で、バイトもすぐ辞めてしまうような根性無しで、大学の学部も専門性がなくてこのままだと就活に困りそうだから心配してくれているのだろうけど正直追い立てられている気分にしかなれない。というか今更心配・サポートしてます感出すのはやめて欲しい。私が高3の時にデザイン系の専門学校に行きたいと言った時に鼻で笑ったこと、一生忘れません。
とはいえ本当はもう動かないといけないのかもしれないけど、人によって言ってることが様々でよく分からない。就活っていつから本格的に動くものなのか。コミュ障でブスで要領の悪い人間でも就職先が見つかるのか。ちなみに文系学部の2年。
来週帰省する予定だけど、資格が、就職が、と色々言われると思う。ああ帰りたくない。大学やめて専門学校入り直したいって言ったらどんな顔するかな。
追記
独り言のつもりだったからやりたい事に関してはだいぶアバウトに書いたけど、少なくとも絵(イラスト、絵画)ではないです。とりあえず経験と作品が必要なんだろうと思うのでほぼ知識皆無だけど頑張ってみる。言及ありがとうございます。なんかスッキリしたしやる気が出ました。
ダリフラ、いいよね。
テレビアニメに求めるものは人それぞれ、色々あってしかるべきだと思うよね。おれは絵画が好きだし、絵が(写真でなく)動いてるだけでアーンイイネーと思っちゃう人間で、ダリフラは完全にいいね。画面は美しいし、002はかわいいよね。
6話はよかったよね。016は326とかに「乗せられてただけ」「002は独りで戦える」とかって意地悪言われてて、真に受けてたんだよね。016は326の実力を認めてたし、その326が002に使い捨てにされて、やっぱり002は独りで戦えるんだ、どうせオレも使い捨てかと捨てバチになってたと思うのよね。でもホントの死に直面してみて、002にもパートナーが必要だってわかったんだよね。だから死ねない、死たくないと思ったんだよね。落ちこぼれと言われ続けてた016が、久々に?自分を認められたんだよね。ちょっと016の心が強すぎる気もするけど、あんまりクヨクヨしてると碇君になっちゃうからね・・・。
SFとしてもいいなあと思うんだよね。最初はスタニスワフ・レムの砂漠の惑星のことだと思ったね。自律進化したロボットが滅ぼした惑星で、生命の力強さを見いだすという話ね。叫竜は人工物っぽいデザインだし、マグマエネルギーを採取するためのロボットなのかなあとか妄想できるね。ターミネーターかよ!そういう世界だとしたら、新開発のフランクス搭乗員がカスみたいな存在で泣けてくるね。今後の展開が楽しみだね。単に生命が散っていくだけじゃないといいなあ。
要するに、眼鏡が大好きです!
現代アートはともかく芸術ってすべからくエロが原動力だよな〜と最近思う。
フェチズムといったらいいのかな。色っぽさというのかな。
ここが好き!!!!というのを追求した技術力とセンスのある変態が突き詰めたものが絵画というか絵になってる感じ。
なんかうまく言えないんだけどさ〜「人間の欲求を綺麗なものにしてくれてまじでサンキューな」という感想を最近抱いてる。
彫刻のベルニーニとか絶対女体と薄布に対して圧倒的執着心を感じるもん。
あとは世紀末芸術好きで見るんだけど、女性の曲線と布の優美さに心奪われた変態たち(褒め言葉)がたくさん作品残してくれてるから見るの楽しい。
性的欲求なんてそのまま描いたらきれいなものじゃないけど、こうやって美しいものに昇華できる人間は捨てたもんじゃないよね。好き。
お付き合いをしている人がいる。
私はおそらく世間一般で言うオタクというやつで、創作物、創造物の類が好きだ。
ゲーム、アニメ、映画、演劇、絵画、模型、音楽。私にいろいろな感情を教えてくれたそれらのなかでも、ことさらに本が好きだと思う。
飽きっぽく節操の無い性格のためか、活字なら小説から詩集新書専門書、漫画なら少年少女青年成年、雑誌に写真集、攻略本に設定集、映画や舞台のパンフレット等、およそ統一性の無い本たちが、広くはないワンルームの隅に鎮座している。縦に横に雑多に、しかし私のなかでは理路整然と。
最近遊びに来た友人に、積みすぎると床が抜けると脅された。賃貸でそれはまずかろうと、恐る恐る電子書籍に手を伸ばしている最中だ。
さて、冒頭に出てきた彼の話だが、おそらく少なくとも、漫画やアニメのオタクではない。ハリウッド版攻殻機動隊を視聴するにあたって概要を説明した折、第一声が「それはガンダムとは違うの?」だった男だ。
興味の無い人間にとって、電脳化・義体化とモビルスーツによる宇宙戦争は同じに思えてしまうらしい。お前話聞いてなかっただろ。
「ガンダムとはちょっと違うかなー」「あれ、前見たガンダムと同じ監督って言ってなかった?」「ガンダムと同じ監督?何見たっけ?」「見たじゃんあのアニメの、警察のやつ」
ある日のこと、きっと遊馬とカイの区別もつかないであろう彼奴から突然「3月のライオンって知ってる?」とラインが来た。
ーーーーーーー
『3月のライオン』(さんがつのライオン)は、羽海野チカによる日本の漫画作品。将棋を題材としており、棋士の先崎学が監修を務める。(Wikipediaより)
ーーーーーーー
知っている。
漫画は単行本を既巻全巻持っている。アニメも見た。実写映画も見た。
好きな物語だ。
正直すごく嬉しかった。自分の好きなものに興味を持ってもらえると一気に親近感が沸くオタクの生態よろしく、結構、いやかなりテンションがあがってしまった。チョロいもんである。
とはいえ相手は小泉花陽ちゃんと三村かな子ちゃんの区別もつかない甲斐性なし野郎だ。ここは慎重にフラットに対応すべしと自分に言い聞かせつつ話を聞いてみると、どうやら彼の友人がアニメを見てハマったらしく、自分も気になった、ということらしい。
漫画を所有していることを伝えると、貸してほしいとの返信。もちろん了承の旨を伝え、既巻13冊をすべて手渡した。重くなるが、スピンオフの灼熱の時代も紙袋に詰めた。
3ヶ月ほど経った頃だったか、デートをした日、そういえば漫画全部読んだよ、と彼が言った。晩ごはんを食べようと入った居酒屋でメニューを見ていたときだった。
もちろん私はすぐさま感想を聞いた。そうなんだ、どうだった?と、期待を込めて聞いた。
彼は笑ってそう言った。
びっくりした。ショックだった。
面白くなかったのだろうか。そう聞けば、面白かったという。続きも読みたいという。実写映画も漫画も見てみたいという。
けれど、一番に口をついて出た感想が「現実にはあり得ない」だった。
そこで初めて思い知った。
世の中には、現実というフィルターを通して物語を読んでいる人が、あるいはそう読むことしかできない人がいる。少なからず今、目の前にいるのだと。
私自身は、幼い頃から随分本に触れてきたと思う。特にフィクションの物語を好んで読んできた。読むたび私は空想にふけてきた。
こんな魔法が使えたら、こんなドキドキするような恋愛が出来たら、こんな力を持って世界を救うヒーローになれたら。
そりゃそうだ。私は本を読むとき、その物語という未知の世界の扉を開けて、体ひとつで飛び込んでいるようなものだ。
本を読んでいるとき、現実は扉の向こう側にある。現実は戻ってくる場所なのだ。
みんなそうなのだと思っていた。それが当たり前なのだと思っていた。
でも、そうではなかった。
私は何にショックを受けたのだろう
彼に自分が好きな世界を否定されたように感じたからか。自分の好きな物語にケチをつけられたように感じたからか。あるいは、単に同調してもらえないことに傷ついたのか。
おそらく全部あてはまる。けれど核心ではない気がする。
いまだによく整理できていないが、私はあのとき直感的に、嫌だと感じたのだと思う。
きっとこの人と私では、心の奥底のほうで、物語を共有することができないと、そう感じたのだと思う。
立ち位置が違う。視点が違う。同じものを見ているはずなのに、見えているものが違っている。
考えれば考えるほど当然だ。彼と私は他人で、好みも違えば趣味も違う。育ってきた環境も、考え方も違うだろうし、感じ方も違うだろう。
けれど私は、「物語」に関しては、その差異が許せなかった。直感的に、嫌だと感じるほどに。
これがいわゆる価値観の違いってやつなのか、とも思った。
これを理由に離れてしまうペアは多いと聞く。価値観が違うのは当然だと以前は不思議に思っていたのだが、今はなんとなくその気持ちがわかるような気がする。
自分のなかの大切な、染み付いてしまってどうしようもない根っこの部分を、きっとこのひとには理解してもらえない。それがわかってしまった。
ただそれだけなのに、その瞬間、彼が異質なものに思えてしまった。
ガンダムと攻殻機動隊が同じに見えるらしい彼と私は、何かが決定的に違っている。
以来私の心は、彼の前では、私の大切なものをそっと奥に、彼の手が絶対に届かないところにしまいこむことにしたらしい。
一緒に映画を見たいと思わなくなった。見ても感想を言いたいと思わなくなった。本を貸したいと思わなくなった。本屋には着いてこないでほしいとすら思うようになった。
理性のコントロールが効かない部分の、なんとまあ厄介なことか。辟易する。
追記
1990年生まれ現在27歳のグラフィックデザイナーです。
絵を描くのを一度諦め、何年間か描いていなかったものの、
せっかく戻ってきたのであれば、今までのことを記録してみようと思い立ち記事を書いてみます。
ネット上で絵を描いていた人にはとても懐かしいかもしれません。
物心ついたころから既に絵を描いていて、幼稚園児のころには既に
「学年一絵が上手いキャラ」として周囲から認知されていました。
それは高校に上がる直前までの11年間、自らのアイデンティティとして確立し、
自分=絵を描く人間だという自己イメージは自身の中で確実なものとして定着していました。
幼稚園児のころから漫画が大好きで、地獄先生ぬ〜ベ〜やドラゴンボール、
赤ずきんチャチャ、折原みと先生の漫画、くりた陸先生の漫画をこよなく愛し、
よく真似て絵を描いていた小学校低学年。
高学年になるとテニスの王子様にめちゃくちゃにハマり、
その頃に同人という言葉を知るなど、順調にオタクとして育ちました。
ちょうど6年生になったあたりのころから、
自分でイラストサイトを作ったり、CGで絵を描き始めたのもこの頃です。
あの頃入り浸っていたのは、「ふみコミュニティ」というポータルサイトの絵板。
そこにはたくさんの同世代のイラストを趣味とする子たちが集まっていて、
同い年の子たちもたくさんいました。(「マウス書き。ペンタブほしい〜!」はもはや合言葉みたいだった…)
ふみコミュの中にも絵がすごく上手い子、そうでもない子がいて、
本当に小学校6年生なの!?てくらい当時上手い人もたくさんいました。
私もそこに混じって絵を投稿したり、交流が楽しくてずっと描いてました。
そのころはまだ上手い人に対する、明確な劣等感は感じませんでした。
ドラゴンボールのファンサイトの管理人同士(年齢層高め)で意気投合し、
毎晩のように絵チャットに明け暮れていました。
そこに設置された絵チャットに、暇な人が入っていてそこにどんどんあとから人が集まっていく。
絵チャットは描いている過程が丸見えなので、下手だと思われたくなくて大人に混じって必死で絵を練習し、
一方で「9091P」という1990年生まれの絵描きを集めた同盟が立ち上がり、
同い年同士で交流したりお互いのサイトを見あったりと、創作活動も活発な時期でした。
その頃あたりから、ふつふつと、「世の中には自分より何倍も絵が上手い人がいる」と
中学校三年生あたりで、絵を描いて交流するような友達はいなくなりました。
いるのは、ネット上でも話したことのない、上手い絵描きさんだけ。
同い年なのに、どうしてこんなに差が出てしまったんだろう?
そんなことばかり考えるようになったと、今振り返ると思います。
絵を描かなくなる人生なんて想像もつかない私は、高校は美術を専門とした学校へ進学。
デッサンや油絵、水彩、彫刻、プロダクト、デザインといろいろなことを学べ、最高の環境で学び始めました。
課題で描く絵は本当に得意で、いつも良い点を取れるし、先生からの評価も高いのだけど、
その一方で「自分のために描く絵」というのを、この頃にはもう全くと言っていいほど描かなくなってしまいました。
それはおそらく…わざわざ点にもならない、要は目に見えた利益にならない絵を描くことに意味を見出せなくなり…
わざわざ描くのに、上手い人たちよりも下手な自分を目の当たりにするだけで、
なんのメリットも感じられなかったから。下手な自分を見るのが怖かったから。
課題ではいい点をとらないのに、コンクールでは金賞を取り続ける人。
同人活動で売れ始めた人。
絵画部で大きくて素敵な絵をたくさん描き続ける人。
成績や点数には現れない、素晴らしい魅力を持った人がたくさん身の周りにいました。
でもなぜだろう、仲良くなれなかった。劣等感で一緒にいられなかった。
絵の話だけするのはつまらなかった。
恋愛もしていたしバンドもしていた、いわゆるリア充タイプに属していた自分だからか?
そのために、どこかで「自分は彼らとは違う」と思っていやしなかったか。
一線を画すことでどうにか自分を保っていたのではないかろうか。
仲良くなりたかったんだろうか?それも甚だ疑問で、確かに話は合わなかった、
でも、絵を描いててなおかつ絵以外のことも話が合うひとなんて、この世に存在するのだろうか?
気張ることなく絵や萌えに没頭できた側面もあったのかもしれない。
相変わらず絵を描く親しい友達はできないまま、大学に進学する時期になり、
「せっかく高いお金を同じくらい払うなら、地方じゃなくて上京して東京の美大でデザインを学ぼう。」と思い、
絵を描く情熱が割と無くなっていたにも関わらず、真面目な性分ではあることと
点数を取る絵は得意ということもあったといえども今思い返すと本当によく入れたな…と思います。
絵ではなくデザインを選んだ理由は、少なくとも物を作りながら生きていきたいと思ったからです。
デザインであれば、就職率もよく、絵を生業にするよりはお金になると判断してのことでした。
ただ進学しても業種を変えても問題は変わらなかった。
デザインだって自主制作がとても大事なのに、大学生になっても自主制作ができない病が治らない。
でも課題はいい点を取れる…………と思いきや、さすがに大学はそうはいかなかったのです。
付け焼き刃では、太刀打ちできないほど周りが上手すぎるし、
そもそも大学は研究のために来る場所なので、自分で物が作れない人間は評価すらされない。当たり前のことですが。
そして最終的には就活で完全につまづき、希望の企業には就職できず、
かといって物作りも諦めきれずに、作家性のないグラフィックデザイナーとして現在働いています。
書きたい絵なんてのはもともとなかった。
誰かと描きあって、見あって、評価しあってというコミュニケーションの一つとして私はずっと絵を描いていた。
誰も居なくなって、誰とも話せないのに、一人で描き続ける意味はもはやなく、
コミュニケーションはできないのに上手い人を指をくわえて見ているだけで、
私にとっての絵は、物作りは、もう役目を終えたのではないか。
新しい、今までとは違う方法で、コミュニケーションを取る方法を探すのが賢明かもしれない。
なんのために絵を描くのだろう?なぜこんなにも絵を、作ることを、諦めることができないのだろう?
物作りから離れることは、自分の人生を否定すること、アイデンティティが崩壊することという思い込みが、
未だに私に絵を描かせる。物を作らせる。本当はもう、とっくの昔にうんざりしているのに。
やっぱり諦められなかったけど、30歳を目前にして、
これからの人生において「物を作るか」「作らないか」に一旦決着をつけたいと思ったのです。
どちらに転んでも、もうこれ以上このことで悩まないように。
停車中の荷物検査は最も危険な時間だ。祐太はコンテナの隙間で白い息を殺し、屈強な女性職員が通り過ぎるのを待った。でも大丈夫、きっと会える。根拠はないけど、かじかんだ手の中にある少女の写真を握りしめると勇気がわいてきた。やがて列車は再び駅を出発した。
※※※ ※※※
「高校は女人町のとこに行くんだ」美術室で部活の後片付けをしながら、由紀はさらりと言った。女人町のことは祐太も知っていた。夜に安心して出歩けるよう、女性だけが生活することを許された町だ。由紀がこの町の女の子であることもクラス中のみんなが知っていた。義務教育を卒業すると、女人町に戻るか外の町にとどまるか、母親が選択することも。ただ、由紀が戻ることになったのを知ったのは、祐太が最初だった。
「そっか、由紀は行きたいのか?」
「わかんない。でも親が決めたことだし」
話はそれで終わった。由紀はそのまま学校を卒業し、女人町の高校に進学していった。通常、女人町に戻った女性は、それ以降もうほぼ外に出ることはない。
※※※ ※※※
祐太は地元の高校に進学し、由紀との思い出は忘れていった。学年たった二人の美術部員だったこと、部の存続をかけての新歓、絵の具の匂い、いつも頬を赤くしすぎる由紀の人物画の癖。
そして大学に進学した1年目の冬休み、消えかけた思い出が蘇った。新しく出来た鉄道趣味の友人が、ポロッと言った一言がきっかけだった。「この貨物列車、女人町に行くんだよな」
「へえ。あそこ、電車が通ってるんだ」
「生活物資やなんかは流通が必要だしな。ああいう町だから、警戒は厳重だけど、荷物は別だよな」
町につながる場所がある。そう思うと急に由紀に会いに行きたくなった。手がかりは卒業アルバムの切り抜きの写真と、中学の頃貰った家の付近のスケッチだけ。町の写真は盗撮につながるからと規制されていたからだ。メールももちろんできない。
それでも祐太は諦めなかった。夕闇に紛れて女人町行きの貨物列車に忍び込むことに成功した。後は列車が連れて行ってくれることを待つだけだ。
※※※ ※※※
検問は数度あった。そのたびにコンテナの死角に滑り込んでやりすごした。屋根も壁もない。昼から小降りだった雨は、東京ではめずらしく雪になっていた。風が強く、寒さが身にしみる。
夜、女人町に入った後、列車が緊急停止した。「人手が足りない!」「男性職員も応援に呼んでください!」「承認はまだ?!」何かしら事故があったのだろう。辺り一面は漆黒の雪景色で、職員たちは雪かきやヒトモノの整理で相当混乱していた。今なら脱出できる!祐太は暗い雪道に踊り出た。
周囲は真っ暗で、明るい場所は雪面をまばらに照らすオレンジや薄紫の街灯くらい。隠れる場所はいくらでもある。とにかくすぐ寒さをしのげるところに逃げ込み、明るくなってからスケッチの場所を探そう。祐太はそんなことを考えながら暗がりを歩いていた。
誰もいないと思っていた。そんな油断もあって、暗闇の中全身真っ黒な服から覗く2対の目に、祐太は気づかなかった。
※※※ ※※※
祐太は人らしきものにぶつかった。背筋が凍る。見つかった!そこにいたのは2人組で、頭の上からイスラム教徒の女性が被るブルカのような真っ黒い布をかぶっていた。
「あなたは…男の人?」
ブルカの女性に話しかけられた。動揺のあまり、祐太はしばらく動くこともできなかったが、やがてやっと声を振り絞り答えた。
「ごめんなさい、人を探して、ここまで来たんです。今回だけは見逃してください!」
「でも、こんな格好をしてると捕まるぞ」
後ろの方のブルカから、男性の声が聞こえた。この町にも男性がいたのか!祐太はほっとした。
「私の服を貸してあげる。まずは私達の家に来ましょう」
そして促されるまま、祐太は二人の家に案内された。
※※※ ※※※
家の中に入ればもうブルカは必要ない。助けてくれた二人を改めて見ると、祐太と同じ大学生くらいの男女だった。女性は比奈、男性は陸と名乗った。祐太は二人の家で事情を話した。スケッチの情報から、比奈が通っている絵画教室をしている家だとわかった。この家の近所だ。陸からは余分なブルカも貸してもらった。男性同士助け合いの精神もあっただろうが、何から何まで手助けしてもらい、本当に感謝するしかない。
しかし、ブルカなんて被って不審がられないだろうか。聞くと、若い女性はだいたいこんな格好だという。
「昔、目元やチークを真っ赤にするメイクが流行ってね。うさぎ目メイクって言ったっけ。好きなは好きだけど嫌いな人は『幼女ポルノのようなメイクだ、ミラノ帰りの自分からは信じられない。VOGUEを見習え』って、大論争。喧嘩を避けるように、結局みんな姿を隠すようになっちゃった。」
「でも、そのおかげで俺たちみたいな男もこっそり生きられるんだけどな」
聞けば恋人を作りたい女性や父親がほしい家庭は、こうやってこっそり男性を家に引き入れて暮らしているそうだ。よく考えるとそうしなければ町の人口は減る一方だ。この町はそうやって矛盾を抱えながら維持されてきたのだろう。
「由紀ちゃんと連絡がつながったわ。今すぐ行きましょう。ゆっくりさせてあげたいところだけど、ママがこれ以上男性を住まわせるつもりなのか疑ってるの…ごめんね。」
どうも話から推測すると、男性を匿いながら暮らすのは専業主婦を抱えるのと同程度に負担のかかることで、できれば避けたいようだ。祐太もこれ以上迷惑をかける気もなかった。コートを着込み、ブルカを身にまとって比奈と共に家を離れた。
二階の窓では、母親と思しき女性が祐太に視線を貼りつかせていた。
※※※ ※※※
祐太は、ついに由紀の家にたどり着いた。玄関口で見た由紀は、中学のときの面影を残していた。急ぎ足で比奈と一緒に部屋に入り、ブルカを脱いだ。
「祐太…」由紀は口を押さえて、もう半分涙声になっていた。「来てくれたのね…」
「じゃあ、私はお邪魔かな」そう言って比奈は部屋を出た。部屋は由紀と祐太、二人きりになった。まるで中学の美術部と同じ風景だ。そう言えば改めて見渡すと、部屋の様子も美術部室のように幾つもの絵画や機材が並んでいる。ここは由紀の部屋ではないんだろうか?
「お母さんの美術教室のアトリエよ。今時期は教室やってないから自由に使えるわ。布団持ってくるから、ここに今日はここに泊まってって」由紀はいたずらっぽく目を輝かせて言った。「お母さんには内緒ね」
「悪い奴だなぁー」軽口を叩くと本当にあの頃に返ったようだ。「今でも絵、続けてるのか?」
「そうね、つい最近も描いた絵がそこにあった気がするけど…」
「待って、当ててみるよ。…あ、わかった。右から3番目のだろ。なんでわかったと思う?」
「「頬が赤すぎる」」2人の声が被った。そして2人とも大笑いした。
その後は夜遅くまで話をした。昔の思い出、卒業してからの生活、祐太のここに来るまでの冒険譚。話している内に日付が変わり、外の雪はますます降り積もった。
「これから、どうするの?」
「もう少しここにいたら?こんな雪だもん。2~3日は色々マヒしてて気づかれないって」
ひょっとしたらここで暮らすのも悪くないかもしれない。ブルカがあれば外出もできるだろう。男性同士のコミュニティもあるようだし、由紀の家族にも気に入ってもらえればよいな。そんなことを考えながら、祐太は眠ってしまった。
※※※ ※※※
「おい起きろ!さっさと出る準備をするんだ!」
突然の怒号とともに毛布を剥ぎ取られ、祐太は目覚めた。目の前には警官姿の屈強な女性が2人、立っている。
寝起きで意識がはっきりしないまま、祐太は両脇を抱えられて外に待機していたパトカーに詰め込まれた。「xx時xx分、xxxx確保…」警官の一人が無線で何か会話をしている。まるでまだ夢の中のようだ。いや、昨日までの記憶の方が夢なのか?
祐太はやっとのことで声を出した。答えはしっかりとは聞き取れなかった。これから町の外の警察に引き渡され、そこでこってりと絞られるらしい。
隣に座った大柄な女性警官は威圧的な雰囲気だ。でもパトカーはシャーベットの路面を頼りなく走っていて、そのギャップに祐太は少し笑ってしまった。
なんて結末だ。
※※※ ※※※
「密告があったみたいね。あんたも大胆なことするわね…」由紀の母親はコーヒーを淹れながら由紀に話しかけた「報奨金高いんだよねぇ。誰だか知らないけどだいぶ儲かったんだろうな」母親は少し呆れていたが、それほど意に介していないようだ。対照的に由紀は朝からずっと泣いていた。
「ごめんなさい。もうこんなことしない…」
「本当だよ!色々面倒なんだからね!」
母親は一言だけ釘をさしたあと、あんたもコーヒー飲みなよ、と一杯テーブルに置き、洗濯物を干しにリビングを出ていった。
その日一日、しおらしく反省した様子を見せていた由紀だが、心の中では計画を立てていた。町を出る。祐太に会いに行く。
※※※ ※※※
大雪の混乱は女人町では5日間で収束した。もう雪は懲り懲り、そんな気分を察してか、その後はずっと晴れ続きだった。暦はもう立春になったが、まだ気温は冬。それは女人町でも同じだ。
「それじゃ友達の家に泊まりに行ってくる。3日くらいで帰ってくるよ」リュックに荷物を詰めた由紀が玄関で母親に言った。母親は答えた。
「え、え?…お母さん何言った?私友達の家に…」
「こないだ来た男の子のところに行くんでしょ。外の列車の切符なんて買えなかったけど、駅の入場券くらいは買えたわ。あとはあんたで何とかしなさい」
ああ、お母さんには何でもバレバレだ。由紀は素直に切符を受け取った。でも、本当に外に出ていいんだろうか?お母さんに迷惑かかるんじゃないかな?
「やっぱり血筋なのかね。私もあんたのお父さんに会いに列車に乗って出かけていったんだよ。そのときにはもう社会人だったけどね。」
それは初耳だった。色々型破りな母親なのは知ってたけど、まさか列車に忍び込んで町を出るなんて!
「いやいや、その時はこの町もまだインフラが整備されてなくて、男性も沢山作業に出入りしてたんだけどね。ただ住む場所だけは別々で、でもどうしてもあの人に会いに行きたくてさ。臨月なのに常磐線に乗って出かけちゃったの。そしたら電車の中であんた生まれちゃって!大騒ぎだったわ」
何それ!電車で生まれたって聞いてたけど、そんなシチュエーションで生まれたの?何か私より祐太より、お母さんのがよっぽど大胆じゃん!
「だから言ったじゃん。血筋なんだなって」お母さんはいたずらっぽく目を輝かせて言った。「お婆ちゃんには内緒ね」
わかったお母さん。私も頑張る!
※※※ ※※※
停車中の荷物検査は最も危険な時間だ。由紀はコンテナの隙間で白い息を殺し、屈強な女性職員が通り過ぎるのを待った。でも大丈夫、きっと会える。根拠はないけど、かじかんだ手の中にある少年の写真を握りしめると勇気がわいてきた。やがて列車は再び駅を出発した。
何で頑張らないんだと怒られたことが数回だけある。
これから始まるのは、私が20数年抱えているコンプレックスの話で、楽しくもなんともないし、甘えてるとか批判が来るかもしれぬが、自己承認欲求の塊が喋ることとして、許してほしい。
論理的な構成もクソもない殴り書きであることを承知してほしい。
私は今大学院生である。この時期田舎では人権のない大学院生である。
大学院の話について詳しくはそのうち気が向いたら書きたいと思う。
さて、私には妹がいる。妹は、ザ・下の子で、そりゃあもう家族に可愛がられ育ってきた。彼女は今でこそ社会ではそこそこ高い大学に通っているが、幼い頃は何事もあまりできるほうではなかった。一方私は、運動以外はそれなりにできた。幼稚園でも、先生に色々任されていた。
そんな姉妹の扱われ方が違うのは容易に想像がつくだろう。ここが私のコンプレックスの出発点である。
父は、私に厳しかった。テストで5枚100点を取ろうが、1枚98点があれば、怒られた。75点でも取れば、しばらくテレビを見るのが禁止になる。
妹は、甘やかされていた。75点とったら褒められる。理不尽を感じた私は、母に思い切っていってみた。母は、妹はあなたと違うから。あなたはほめるとつけあがるでしょう、と。父にも言ってみたことがあるが、ほめるとつけあがるからと言われた。(ちなみに、両親にほめられたことは記憶の限りでは高校に合格したときの一回しかない。笑止。)
まぁなんというかテストに関しては理不尽は感じつつも自分も100点とらないで怒られるのは嫌だったのと勉強が好きだったのであまり追求はしなかった。(これにより姉ちゃんは出来て当然という認識が作られる)まぁこのテストの成績の"区別"は高校まで続いていくのだが。
小学校には、秋、絵画や習字の展覧会がある。小学校でうまい人が選ばれて市内の展示会に出され、そこからまた県の展覧会に行くというあれだ。小学生にしてはそこそこ絵と習字のうまかった私は、一年生のときから市内の展覧会に出してもらえていた。この展覧会に関しては小分けエピソードが3つほどある。
まず、小1のときである。初めて賞状というものをもらった私は、るんるんで家に帰り、母に賞状を見せた。すると母は、妹が羨ましがるから、うかれるのはやめなさい。見せびらかさないの。と言った。これは私にとって非常に辛かったようで、今書いていて目が潤んでくる。
次に、小4のときである。この時は、県展に入選した。1年生の出来事で学習していた私は、浮かれることはしなかった。問題は展覧会に行ったときのことである。それはもう両親に作品にケチをつけられた。ここのハネがなんとかだとかバランスがどうだとか。悲しかった。しかもそのとき幼稚園の知り合いの子のことはすごい褒めたのだ、親が。これも10年以上前のことなのに書いてて泣けてきた。幼少期のダメージよくない。
最後は中1のときである。妹が絵で県展に入選した。前年、私の絵も県展に出してもらっていたのだが、落選したのである。自分より絵が下手くそな妹が入選したことがショックだった。聞けば、妹は図工専門の先生に相当つきっきりで見てもらい描いたのだという。自分より能力の低い人間が、他人からの助けを得たことで自分を追い越していく現実を、この時初めて知ったのである。そしてこの現実は、今に至るまで、幾度となく降りかかる。
字数制限こわいのでこの辺で次につなげる。増田を書くのは初めてなのだがここでリンクするやつがいるのかよくわからない、、、
まぁいい。
https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000291.000001719.html
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1394634503
https://www.m78-online.net/shopping/?ca=99
https://auctions.yahoo.co.jp/list5/jp/電化製品-アンティーク-コレクション/20004-category.html
http://www.unicos.co.jp/kens/coke4.html
という認識があった。峰不二子、よりはもう少しぽっちゃりしてるが太ってはいない
豊満で出るとこは出て、引っ込むとこはしっかり引っ込んでるボディのことだと思っていた。
中世の絵画に描かれる女性をさらにボインにしてバインにしてアレでコレでソレ
というイメージ。
しかしここに来て、
寒さに弱く、暑さに弱い
だけど我慢する気がなく、周りの気持ちは無視して「合わさせる」タイプの体のことだ
つまり、その人が暑ければエアコンを付け、寒ければ暖房をつける。その時周りが暑かろうが寒かろうが「私がそうなんだから合わせろ」というボディのことをわがままボディというのだ。
という話を聞いた。
しかし、自分の思ってるわがままボディはそういうものではなくただの体型のことだし、そういう意味でのわがままというニュアンスはないということにも気付かされた。