はてなキーワード: 暗黒時代とは
先発: 仲田幸司 野田浩司 猪俣隆 中込伸 湯舟敏郎 薮恵一 川尻哲郎
暗黒時代の阪神は、投手力はセリーグの中でもかなりいいほうだった。
先発陣もそこそこよかったが、中継ぎ陣はとくに優秀だった。
弱いチームなのに中継ぎ陣だけすごくてもしょうがないのだけど。
とくに弓長の安定感は抜群で、もっと優勝争いの中で活躍させたかった選手。
打撃が本当にひどく、当時巨人の高橋と松井が普通に3割30本のところ、
はじけたのは野村監督以降。
2000年代の横浜が暗黒暗黒と言われるけど、やはり阪神の暗黒ほどじゃない。
金城、多村、村田、内川と、打線は首位打者や本塁打王が並んでいて、
ファンもそこそこ楽しめていたはず。
https://anond.hatelabo.jp/20200813115920
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久々に日記を書きたくなったので、今回は方向性を変えて年代記風の記事を投下してみます。
私自身は業界の全盛期である80年代~90年代前半を経験しておらず、当時の状況を記述するのに十分な知識がないため、その時代については省いています。
ということで、私がこの業界に入ることになる少し前の90年代半ばから物語を開始します。
※工場の呼び名は企業の再編によって変わる事が多々あるので、原則立地で表記している。
80年代後半に栄華を極めた日本半導体産業であったが、日米貿易摩擦の影響で一時に比べて勢いを失っていた。
また、韓国企業の台頭により得意分野のDRAMの雲行きが怪しくなり始めたのもこの時期である。
(余談だが、日本の半導体衰退の原因としてよく話題に上がる韓国での週末技術者バイトはさらに昔の話である。このころにはすでに強力な競合に育っていた。)
とはいえ世界的にみると日本の電機メーカーは資金力・技術力ともに上位であり、一時的な不況を乗り越えさえすれば再び繁栄が訪れると誰もが信じていた。
そんな時代背景の元、日本企業は貿易摩擦に対抗しつつ、さらなる勢力拡大を図るため、自動車産業の成功例に倣い世界各地で現地生産を進めることで変化に対応しようとしていた。
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | カリフォルニア州ローズビル | 1981 |
富士通 | オレゴン州グラシャム | 1988 |
三菱 | ノースカロライナ州ダーラム | 1989 |
日立 | テキサス州アービング | 1990 |
松下 | ワシントン州ピュアラップ(National Semiconductorより買収) | 1991 |
東芝 | ヴァージニア州マナサス(IBMとの合弁でドミニオンセミコンダクタ設立) | 1996 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 英 リビングストン | 1982 |
日立 | 独 ランツフルト | 1990 |
三菱 | 独 アーヘン | 1990 |
富士通 | 英 ダーラム | 1991 |
企業名 | 進出先 | 設立 |
NEC | 中国首鋼集団と合弁工場設立 | 1991 |
三菱 | 台湾力晶半導体(Power Chip)と提携しDRAM技術供与 | 1994 |
東芝 | 台湾華邦電子(Winbond)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
沖電気 | 台湾南亜科技(NANYA)と提携しDRAM技術供与 | 1995 |
日立 | 新日本製鉄及びシンガポール開発庁と共同出資でシンガポールに工場建設 | 1996 |
Windows95ブームの終焉による半導体のだふつき、アジア通貨危機後の韓国メーカーのなりふり構わぬ安値攻勢、ITバブル崩壊による半導体需要の激減と、短期間で何度も悪化する半導体市況。
次第に半導体産業は将来性を危ぶまれるようになり、成長分野から社内の『お荷物』とみなされるようになっていった。
かつて半導体事業の中核だったDRAMは、優位性を失い韓国企業に覇権を譲り渡してしまった。
資金面でも徐々に脱落するメーカーが現れ始める。はじめについていけなくなったのは、バブル期に事業の多角化を進めて半導体に新規参入した鉄鋼メーカーだった。
続いて総合電機各社も規模縮小に向かう。世界中に作った半導体工場は投資の回収ができないまま次々と閉鎖されていった...
工場の現地化の試みは失敗に終わり、10年程度という短い期間での工場立ち上げ・閉鎖はマンパワーと資金の浪費に終わった。
こうして各社は体力を削られ、余力を失っていくのだった。
NEC、日立、DRAM事業の統合を決定。エルピーダメモリ設立。
神戸製鋼、米TIと合弁の西脇の半導体工場を米Micronに売却
日立、台湾UMCと合同で初の300mmェハ(従来の主力の直径200mmのウェハから2.25倍の面積になり、ざっくりいえば同じ工程数で2倍程度のChipが取れてコストを削減可能。現在に至るまで主流のウェハサイズ。)を使用する工場、トレセンティテクノロジを常陸那珂に設立
東芝、DRAM撤退。北米拠点のドミニオンセミコンダクタを米Micronに売却。
NEC、非メモリー半導体事業を分社化、NECエレクトロニクスを設立。
繰り返す半導体市況の激しい変動も落ち着きを取り戻し、待ち望んだ好景気がやってきた。
90年代後半からの不況で体力を消耗した日本企業だが、いまだ技術力は健在。
折からブームとなっていた『選択と集中』を合言葉に、各社の得意分野に集中投資だ!
パソコンではアメリカ企業に後れを取ってシェアを失ったが、液晶・プラズマをはじめとするテレビ、DVDレコーダーにデジカメ等、日本のお家芸である家電のデジタル化が進展する今こそ最大のチャンス!
さらに、世界中で規格が共通化された第三世代携帯電話が普及すれば、圧倒的な先進性を誇る日本の携帯電話が天下を取れるのだ!半導体復活の時はついに来た!!!
製造業の国内回帰の波に乗り、生産性に優れる300mmウェハの工場をどんどん建てて再起をねらうのだ!
日立と三菱がロジック半導体事業を統合、世界三位の半導体メーカールネサステクノロジ誕生。
富士通、米AMDとNOR型Flashメモリ事業を統合、Spansion設立。
エルピーダ、三菱電機からDRAM事業を譲渡。日本の残存DRAM事業が集約。新社長を外部招聘し、反転攻勢開始
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash工場、四日市第3工場建設開始
Spansion、会津若松に300mm対応のNOR型Flash工場建設を発表
ルネサス、UMCからトレセンティテクノロジの持ち株を買収。完全子会社化
東芝、四日市に300mm対応のNAND型Flash第4工場を建設開始
2000年代の日本企業の反転攻勢は、リーマンショックで終わってしまった。
日本の電機業界が成功を夢見たデジタル家電は韓国勢との競争に敗れ、携帯電話でも海外展開に失敗した。
90年代から繰り返し計上してきた赤字と、2000年代の大規模投資を経た今、半導体工場への投資を継続する資金的余力はもはや残っていなかった。
不採算部門とみなされるようになった半導体事業は設備投資が止まり、建設されてからわずか数年で時代遅れとなってしまった。
これ以降は、東芝のNAND型Flashメモリや、ソニーのイメージセンサーといった競争力を維持している分野、また旧エルピーダのDRAM工場といった外資の資金を得た分野のみが投資を継続されることになる。
ルネサス、日立時代からの欧州拠点、ランツフルト工場をLファウンドリーに売却
日立、シンガポールの工場をシンガポールのチャータードセミコンダクタに売却
ルネサスとNECエレが合併。世界第三位の半導体メーカー、ルネサスエレクトロニクス発足。フィンランドのノキアからモデム部門を買収。
ルネサスエレ、NEC時代からの北米拠点、ローズビル工場を独テレフンケンに売却
米オン・セミコンダクター、三洋電機の半導体事業を買収
ルネサスエレ、ノキアから買収したモデム事業から撤退、さらに2300人リストラ。またNEC時代の中国の合弁を解消し撤退。
富士通、マイコン・アナログ事業を再建したSpansionに売却
東芝、四日市の300mm第5工場2期分稼働。200mmの第2工場を300mmに建て替え
Panasonic、半導体工場をまとめてイスラエルのTower Jazzに売却
富士通とPanasonic、SoC設計部門を統合、ソシオネクスト設立
この時期に至ってようやく主要半導体メーカーの工場再編が一通り完了し、現在につながる枠組みがほぼ出来上がった。
リーマンショック後の大規模再編で日本企業の世界的地位はかつてないまでに低下し、国内の工場においても外資系の傘下に入るところが増えた。
現在半導体の先端工場に継続投資できる日本企業は、イメージセンサーに強いソニーと東芝のメモリ事業を引き継いだキオクシアだけである。
はたして日本の半導体産業は今後どうなるのだろうか?再び世界に飛躍する日はやってくるのだろうか?
東芝、四日市の第2工場建て替え完了。大分と岩手の200mm工場を分社化、ジャパンセミコンダクターを設立。
東芝、本体の粉飾決算のあおりを受けてメモリ事業を分社化。東芝メモリ設立。四日市に300mmの第6工場建設開始。さらに北上市に300mm新工場を建設
ルネサスエレ、米intersilを買収
東芝メモリ、四日市の第6工場が稼働。多国籍連合のファンド、パンゲアから出資を受ける。
富士通、桑名の300mm工場を台湾UMCに売却。また、会津若松の200mm工場も米オン・セミコンダクターに売却。
Panasonic、残ったマイコン等の事業を台湾Nuvotonに売却して半導体から撤退
わたしのYouTubeチャンネルは、たまに猫と野球の動画をあげていただけのチャンネルだ。
最終更新は7年前。もうすっかり見る専アカウントになっている。
チャンネル登録者はそれほど多くないが、野球選手の動画を見に来てくれる方がぼちぼちいらして、今でもそこそこ再生されている。
今見る、YouTuberが溢れるような場所ではなかったYouTubeで、ひっそり自分が好きなものをあげているだけの場所だった。
そのうちの動画のひとつに、12年ほど前にアップしたとある元野球選手(以下A選手)をメインとした動画がある。
当時現役のプロ野球選手だったA選手が、球団のイベントに参加している様子を映したもの。
A選手や他の選手たちの挙動が面白くて、もちろん良いほうの気持ちでアップした動画だった。
再生数はそこそこあったものの、今のYouTubeとは文化が違ったので、誰かからの反応というのはファンのブログに動画URLが貼られていた…とかそのくらいのものだった。
7,8年ほど前頃から。つまり動画をアップしてから4,5年ほど経ってから、少しずつ動画にコメントがつき始めた。
おそらくYouTuberという文化が花開き、動画にコメントを残すというのが当たり前になってきた頃なのだろう。
最初の頃は「ゆるいイベントだなあ」とか「昔はこんなことやってたのか」とか「Aはやる気出せwww」のような、当たり前のコメントだった。
A選手は元々、期待ほどの成績を残せなかったことや、本人のどこか抜けたような性格などからインターネットでは度々話題に出される選手だった。
ネタになる、くらいの明るいものだけではなく、いじりや叩きに近いものも多かった。
ということで、徐々にコメント欄には「こんなテンションだから成績が残せなかった」「年俸詐欺のようなものだ」というA選手への罵倒が見られるようになってきた。
A選手やいっしょに動画にいる選手たちがその頃徐々に引退し始めたことも影響していたのかもしれない。
わたしは「それも意見だ」ということでそれらのコメントを残したままにしていたが、今度はその負のコメントが周りに派生していく。
「こんなダレた空気でやっていたら弱くて当たり前だ」といったチーム自体への非難
(オフシーズンのイベントの動画なので、当たり前だが選手たちが気合いを入れてどうこうするものではない)や、
「B選手やC選手もA選手を白けた顔で見ているなぁ」といった周りの選手を巻き込んだ非難や、
「司会者の喋りがキモい」といったもはや選手やチームを飛び越えた非難が書き込まれるようになった。
わたしはただそういった罵倒コメントを低評価し、それ以外のコメントを高評価した。
(あの低評価っていうのはなにか効果があるのかしら。わからないけれど。)
コメント自体、そんなに頻繁につくものではなく、月に1コメントつくかつかないか?という感じだったので、それほどまでは気にしていなかった。
月日が過ぎて気づいたら今年になっていたわけで。
ある日その動画を見返したら8割方が動画の内容というよりもただただ嫌いな選手たちを罵倒するだけのコメント欄になっていることに、やっとこ気づいた。
たまにしかつかないから気づかなかった。ちりも積もって、ほんとうにゴミ溜めになってしまった。
投稿者コメントとして「これ以上よろしくないコメントばかりになったら動画自体を消します」という旨書き込んだ。
少しばかり罵倒が止んで柔らかめの言葉でコメントがつくようになった。
そこから半年くらい経ったころ、何故かまたドッと罵倒コメントがついた。珍しく数日に続けて。どこかのブログやら掲示板やらに貼られたのだろうか。
さすがにもうだめだ、と思って罵倒メインのコメントをザクザクと消したのが今年の夏頃のことだった。
「Aはやる気出せwww」「空気ゆるゆるやな」程度のコメントは残している。
「Aがいたせいでチームの暗黒時代が始まった」「最初から入団しなければよかったのに」くらいのコメントになると消した。
驚いたのが、それ以降のコメント欄だ。
この半年ほども、以前と同じように月に1,2くらいずつコメントが付く。
内容はというと、ざっくり「A選手って面白いキャラだったんだ」「引退後○○をしているんだよね」「今では見られないようなイベントをアップしてくれてありがとう」「司会者のひとが独特な喋りで面白い」のようなもの。
twitterのリプライなどでの叩きや、そもそも現実世界のいじめなどでもよく言われている「周りがやっているから自分もやっていい」っていうやつ。
同じ動画のコメント欄という狭い世界であれば。7,8年かけて、ゆーっくりでも、その空気というのは形成されるものなのだな…と、無駄に感心してしまった。
バズっているYouTuberの動画などではよくあるものだと思っていたけれど。
そして、こういう悪意を書き込んじゃうタイプの者たちでも、「周りが誰もやっていないのに悪意を書き込む」ことには一定の制御が効くのだ、ということが、罵倒コメントを消したあとにすごくよくわかった。
おそらく、最初に誹謗中傷のようなコメントがついたときにきっちり消して警告しておけば、わたしのようなゆるやかなチャンネルではあれほどまでのゴミ溜めが出来上がることすらなかったのだろう。
批判コメントを消すことってわりと逆に叩かれたりするので抵抗があるかも知れないけれど、やっちゃっていいものなんじゃないかなー。
ということを、しみじみ思ったので書きたかったのです。
「大阪都構想が『大阪市解体構想』だと知られたら反対票が多くなる」なんてブコメ見て度肝を抜かれた。大阪都構想が二重行政の解体=大阪市をなくしてしまおうという発想なのは周知の事実だと思っていたので、「おまえらそんなこともわかっていなかったの!?」と驚愕してしまったのだ。そして、「大阪市を解体する」ということの含意を理解していない人の多さにもびっくりする。おまえら大阪に興味ないだろ?
さて、2000年代に大阪に住んでいた人なら、大阪市の暗黒時代を知らないわけはないだろう。Wikipediaがちょうどいい感じにまとまっているので貼る。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E9%98%AA%E5%B8%82%E3%81%AE%E4%B8%8D%E7%A5%A5%E4%BA%8B
増田はここでまとまっているような、大阪市行政が如何に腐っているかを見続けてきた人間の一人である。大阪五輪誘致失敗を端緒とする大阪行政の無駄の多さを目の当たりにしたところから食らう、カラ残業・官製談合裏金風俗・入れ墨職員・etc...の不祥事ラッシュ この頃の数年間、夕方のニュースは地獄だった。数ヶ月おきにゴミのような不祥事問題が耳に入るのだ。そのときの記憶から、増田は今も昔も「大阪市行政はゴミ」という認識が根強く植え付けられているし、橋下徹が当選した理由のひとつもここにある。橋下徹がタレントとして知名度を得ていたという後押しはあれど、あの頃に「財源を1000億円削る」と大きく打ち出したことがどれだけ救いに見えたことか。こいつは大阪の問題を解決してくれる! 大阪市の腐った中身を全部洗い流してくれるのではないか!
…結局のところ、大阪都構想というのはこの頃から何も変わっていない。既得権益と化した大阪市行政の無駄を削るには、そもそも大阪市をなくしてしまえばいい! 大阪都構想がそのような発想に根ざしていることは明らかだ。そういったことがメディアで明言されないのは、その既得権益の一端が同和問題にあるからだと増田は推測しているが、推測にとどまるので明言はしないでおく。
何が言いたいかというと、「大阪市解体」というのはそもそもとして大阪都構想の目的なので、「そんな今更の事実を鬼の首取ったかのように言われても困る」のである。大阪市はぜひ解体してほしい…と思う人はどう考えてもたくさんいる。
※もっとも、若いひとたちや、財政削減で福祉カットされて不利益を被ったひとたちなんかは維新が支持得てることに不満を抱いているとは思うが…。増田も親が公務員だったので家計が一時期苦しくなってとてもこまった。
ワイの場合、家の中の空気を読んで親の逆鱗に触れないようにうまく立ち回っていくのが自分の処世術だったので、急に自分の意見を言えと言われても戸惑うことが多かったなと。今思えば、自分の意見を言ったところで聞いてもらえる自信がなかったから、相手に流されるようにずっと生きてきた。実際、幼少期はいくら自己主張したところで聞いてもらえることなく、力でもって押さえつけられていたように思う。恐怖と暴力で支配された暗黒時代と言っても過言ではない。暴力では支配できなくなっても、経済力で支配され続けていた。社会人になってからは経済的にも独立できて、やっと親から支配される時代が終わったと思っていたら、今度は学費など過去にかけた費用などをかさに支配してきた。もう、その分のすべての費用はお支払いしますから縁切ってくれますか?と言うところなんだろうな。
...と覚悟を決めているとかなり楽になった。
かつてのオタク暗黒時代は既に過ぎ去り萌えキャラが市民権を得て久しくその証拠に街でも萌えキャラの姿を見かけるのは日常茶飯事だがそれというのもゴミ拾いや献血、聖地巡礼、広報協力といった地道な慈善活動によって着実に世間の信頼を勝ち得た先人たちの努力の賜物だろうしVRやAIのような最新テクノロジーを好む進歩的な層にも萌えキャラを好むものが多いという事実にはどこか示唆的なものを感じる一方この令和の時代に及んでなお萌えキャラにアレルギーを持った頭の凝り固まった救いようのない人たちは依然存在し本当に同じ時代を生きているのか疑問しかないがおそらく萌えオタを叩いているのは若者ではなく老人で「オタクはいくら叩いてもいい」というマスコミ由来の偏見が根強いのだろうがオタク・バッシング全盛期から時代は流れているというのに歪んだ支配欲を隠そうともしない無邪気な迫害者たちはあの頃からなんら成長せず人類の進歩を阻害する。
安倍政権の「実績」 2012年→2019年(データにより2018年)(追記あり)
失業率: 4.1% → 2.2%
税収: 43.9兆円 → 60.2兆円
平均賃金:297万 → 306万
ひとり親貧困率: 54.6% → 48.1%
男女賃金格差: 70.9 → 74.3
長時間労働者(週60時間以上)比率: 9.0% → 7.5%
出生率:1.41 → 1.36
殺人事件数: 383件 → 293件
左派やリベラル派は、「安倍政権は暗黒時代だった」などと言っているが、
以上の実態の改善を無視し続ければ、ますます支持を失っていくことになるだろう。
これらが「アベノミクス」の成果なのかどうかは、正直よくわからない。
そもそも改善の程度はそこまで大したものではない(特に貧困率)。
「アベノミクス」で明確に改善、正常化したと言えるのは、株価と為替だけで、
また、失業率や自殺者数の減少など、民主党政権で既に改善傾向にあったものも多く、
「民主党政権が改善させたものを自民党が引き継いだ」と解釈できるものが多い。
他にも税と社会保障の一体改革、消費増税、育児支援策、官邸権力の強化など、
民主党政権の課題を安倍政権が引き継いで実現した、というものが多い。
需要重視の「デフレ脱却」にしても、最初は菅直人が言いはじめたものである。
リフレ派は「経済音痴の民主党政権から経済通の安倍政権に変わって日本が復活した」
と言うが、それは全くの事実ではない。
本気でそう解釈しているとしたら、それは学者を名乗るべきではないのはもちろんのこと、
人としてまともに相手にすべき人ではない。
(追記)
現在も総理候補の菅官房長官を苦労人と持ち上げる報道が目立つ。
(追記2)
「消費増税さえなければもっと成功した」という人が多いが、これは間違っている。
正直、お前ら政治をどんだけなめんてんだよ、と思う。
消費増税しなけば、政府の歳出が大幅にカットされたに決まってるだろ。
与野党内にたくさんいる新自由主義派や財政再建派を粛清・虐殺でもしない限り、
政治というのは、妥協の妥協のそのまた妥協ということがわかっていない。
低所得者の医療・介護保険料軽減措置も、保育無償化措置だって導入されなかった。
医療費だってもっとボロボロに削減されてコロナ対応がやばいことになっていたと思う。
充実分は大したことないという批判は感受しなければならないけど。
増税反対と言ったら竹中平蔵や高橋洋一などがブレーンとして出てきて、
いま減税とか言っている人たちは、
育った後の遊郭に売られたのは常じゃなくて、飢饉などが起きた状態での話。日本でも世界恐慌のさなかに東北地方で飢饉が発生したがゆえに身売りが多発して、226事件みたいなクーデターに発展した。
まあ恐慌に対しての経済措置というのを人類は持ち合わせてなかったということもあろうが。
漁師や奉公はこれはただの労働者だからな。そして人権意識の代わりに、儒教精神があった。儒教は本来は上が下に目配りして、下が上に従えば理想社会になるという形であるので、上が下への気配りはしていたよ。
昔の労働は暗黒時代だったというのはそれはそれで変な観点に侵されすぎてる。
それでも性病への対処法がなかったのと、どうしても若い時期を過ぎたら捨てられる存在だから性風俗が多くの女性にとって苦界だったのは違いはない。一部身請けとしての開放があったけどな。
昨日の音楽の日、とにかく最高だった。
と言うのもここ最近、テレビやネット配信でそこそこ長い尺のメドレーをやってくれることは確かに増えたんだが、基本Love so sweetやhappinessと言った認知度の高い曲。
つまりは万人受け狙いの定番曲を含んだメドレーが多く、別に嫌いなわけじゃないんだけど、ファンとしてはなんだかなぁと言う気持ちが否めないまま12/31へ向かっていた。
そんな中、昨日大トリで出てきた嵐。
どうせ定番曲とReborn、そしてカイトだろうなぁ…と勝手に予測を立ててたんだが、それが良い意味で裏切られた。
「ハダシの未来」「PIKA★★NCHI DOUBLE」「カイト」
思わず声が出た。
え、PIKA★★NCHI DOUBLEやってくれるんですか?マジですか?え?
こんなとこに常駐してる人間だから涙腺なんてものは枯れ果て、年中水不足のような状態なんだけど、女がむやみやたらに発狂したりする感情がこの時初めて理解出来た。
PIKA★★NCHI DOUBLEはファン人気が非常に高いシングル曲。
しかし同時に嵐の中で一番″売れなかった″暗黒時代の象徴でもある曲(それでも14万枚売れてるんだけど)
勿論ファン人気が高いだけあってライブでもそこそこやってくれた曲ではあるんだけど、外周回ってお手振りやファンサ用の曲にほぼなっていて、まともなパフォーマンスを見れる機会は少なくなっていた。
そんな″名曲″をまさかこの2020年にテレビで、しかもダンスパフォ付きでやってくれるとは…
ファン向けの曲であればYouTubeとかのネットでやるのが主流なんだろうけど、ここに来てテレビで、しかも一音楽番組の大トリでやってくれることに本当に感動した。
なんかもうそれだけで最近あった嫌なこととか全部吹っ飛んだし、一曲が齎すパワーってすげぇんだなぁと。
「限られた愛と時間を両手に抱きしめる」
「せめて今日だけは消えないで」
こんなの今歌われたらグッと来ちゃうよね。
淡く儚い青春を歌った曲が、今はこうして活動休止へのカウントダウンとリンクする。
なんて良い曲なんだろうと再認識出来たと共に、コロナ禍だろうと最後までグループとしての「嵐」を応援しようと心に決めた。
たとえ今だけと分かっていてもね。
思えば、2020年7月9日が、この鬱屈とした時代の始まりだったのだ。
平成から、令和に変わって17歳の新星が次々とタイトルを獲得していく。そう、最初の頃は、皆んな新しいスターの誕生に湧き立っていた。
しかし、それが20年、30年と続いたらどうだろう。タイトル戦を注目して見る価値があるだろうか?
藤井8冠と言えども勝率10割ではない。だが、いったい誰があの藤井8冠相手に番勝負で、勝ち越すことができるのだろうか。
思えば、平成の時代のタイトル戦が羨ましい。タイトルを1人ずつで分け合っていたなど、今からは、想像もつかない。
藤井8冠の絶対覇権が続いてから将棋人気の凋落が著しい。 恐らく、彼も年齢からくる衰えには、勝つことはできないだろう。数年後には、タイトルを返上して引退するだろう。しかし、それは彼が誰がに負け続けて引退するわけではない。単純に年齢からくる体力の衰えが原因なのだ。
今後、新しいタイトルを取った棋士が、現れたとしても、彼を超えたことにはならない。
くっそ頭悪いうえに邪悪なキャラクターが出てくるストーリーを知りたい。
家柄いいのにF欄に裏口入学から裏口卒業、論理思考は皆無どころか、日本語すら怪しい。誰もが知る無教養。他国のTOPからはかんたんに操れるATMなもんだから大人気。
無垢なまでに無教養にもかかわらず、邪悪である。汚職三昧、悪そうなやつはだいたい友達、安倍晋三。税金はすべて友達に流され、必要なところにまったく回らない。
こんな現実から逃避すべく、そんなキャラクターを探している。教えてくれ。
尚、タイトルからは少しずれるが、1984というタイトルの本は紹介してもらったから読んでる。The ディストピア。
他にない?