はてなキーワード: 暗黒時代とは
育った後の遊郭に売られたのは常じゃなくて、飢饉などが起きた状態での話。日本でも世界恐慌のさなかに東北地方で飢饉が発生したがゆえに身売りが多発して、226事件みたいなクーデターに発展した。
まあ恐慌に対しての経済措置というのを人類は持ち合わせてなかったということもあろうが。
漁師や奉公はこれはただの労働者だからな。そして人権意識の代わりに、儒教精神があった。儒教は本来は上が下に目配りして、下が上に従えば理想社会になるという形であるので、上が下への気配りはしていたよ。
昔の労働は暗黒時代だったというのはそれはそれで変な観点に侵されすぎてる。
それでも性病への対処法がなかったのと、どうしても若い時期を過ぎたら捨てられる存在だから性風俗が多くの女性にとって苦界だったのは違いはない。一部身請けとしての開放があったけどな。
昨日の音楽の日、とにかく最高だった。
と言うのもここ最近、テレビやネット配信でそこそこ長い尺のメドレーをやってくれることは確かに増えたんだが、基本Love so sweetやhappinessと言った認知度の高い曲。
つまりは万人受け狙いの定番曲を含んだメドレーが多く、別に嫌いなわけじゃないんだけど、ファンとしてはなんだかなぁと言う気持ちが否めないまま12/31へ向かっていた。
そんな中、昨日大トリで出てきた嵐。
どうせ定番曲とReborn、そしてカイトだろうなぁ…と勝手に予測を立ててたんだが、それが良い意味で裏切られた。
「ハダシの未来」「PIKA★★NCHI DOUBLE」「カイト」
思わず声が出た。
え、PIKA★★NCHI DOUBLEやってくれるんですか?マジですか?え?
こんなとこに常駐してる人間だから涙腺なんてものは枯れ果て、年中水不足のような状態なんだけど、女がむやみやたらに発狂したりする感情がこの時初めて理解出来た。
PIKA★★NCHI DOUBLEはファン人気が非常に高いシングル曲。
しかし同時に嵐の中で一番″売れなかった″暗黒時代の象徴でもある曲(それでも14万枚売れてるんだけど)
勿論ファン人気が高いだけあってライブでもそこそこやってくれた曲ではあるんだけど、外周回ってお手振りやファンサ用の曲にほぼなっていて、まともなパフォーマンスを見れる機会は少なくなっていた。
そんな″名曲″をまさかこの2020年にテレビで、しかもダンスパフォ付きでやってくれるとは…
ファン向けの曲であればYouTubeとかのネットでやるのが主流なんだろうけど、ここに来てテレビで、しかも一音楽番組の大トリでやってくれることに本当に感動した。
なんかもうそれだけで最近あった嫌なこととか全部吹っ飛んだし、一曲が齎すパワーってすげぇんだなぁと。
「限られた愛と時間を両手に抱きしめる」
「せめて今日だけは消えないで」
こんなの今歌われたらグッと来ちゃうよね。
淡く儚い青春を歌った曲が、今はこうして活動休止へのカウントダウンとリンクする。
なんて良い曲なんだろうと再認識出来たと共に、コロナ禍だろうと最後までグループとしての「嵐」を応援しようと心に決めた。
たとえ今だけと分かっていてもね。
思えば、2020年7月9日が、この鬱屈とした時代の始まりだったのだ。
平成から、令和に変わって17歳の新星が次々とタイトルを獲得していく。そう、最初の頃は、皆んな新しいスターの誕生に湧き立っていた。
しかし、それが20年、30年と続いたらどうだろう。タイトル戦を注目して見る価値があるだろうか?
藤井8冠と言えども勝率10割ではない。だが、いったい誰があの藤井8冠相手に番勝負で、勝ち越すことができるのだろうか。
思えば、平成の時代のタイトル戦が羨ましい。タイトルを1人ずつで分け合っていたなど、今からは、想像もつかない。
藤井8冠の絶対覇権が続いてから将棋人気の凋落が著しい。 恐らく、彼も年齢からくる衰えには、勝つことはできないだろう。数年後には、タイトルを返上して引退するだろう。しかし、それは彼が誰がに負け続けて引退するわけではない。単純に年齢からくる体力の衰えが原因なのだ。
今後、新しいタイトルを取った棋士が、現れたとしても、彼を超えたことにはならない。
くっそ頭悪いうえに邪悪なキャラクターが出てくるストーリーを知りたい。
家柄いいのにF欄に裏口入学から裏口卒業、論理思考は皆無どころか、日本語すら怪しい。誰もが知る無教養。他国のTOPからはかんたんに操れるATMなもんだから大人気。
無垢なまでに無教養にもかかわらず、邪悪である。汚職三昧、悪そうなやつはだいたい友達、安倍晋三。税金はすべて友達に流され、必要なところにまったく回らない。
こんな現実から逃避すべく、そんなキャラクターを探している。教えてくれ。
尚、タイトルからは少しずれるが、1984というタイトルの本は紹介してもらったから読んでる。The ディストピア。
他にない?
アスリートの人には申し訳ないけれど、そもそも東京五輪は招致段階からグダグダだったことは間違いない。
ずさんな計画による負担は、大規模展示会場を奪われた中小企業やイベント事業者、一般市民にすべて押し付けられた。
エンブレム問題、新国立競技場ザハ案の破棄、誘致のための裏金問題など、開催に至るまでの不祥事は枚挙に暇がない。
万に一つ、いまの東京でオリンピック規模の大会を開催する意味があるとすれば、大会を口実に戦後70年で老朽化した都市インフラを大幅刷新することだったのではないか。
しかしそうはならなかった。大量の資金を投入して一気に都市を更新するどころか、見通しの甘い「コンパクトな計画」のせいで逐次投入でジャブジャブを資金を使いこみ、結果、得るものはなく予算だけが大きく膨らむことに。
そして今般のコロナ騒動によるダメ押し、大会の1年延期である。
望まぬ負担の中、苦慮しながらもこの1年さえ乗り切ればと踏ん張ってきた各種事業者たちは、どうすればいいというのか。
コロナウイルスに勝利した証としての完全な形での大会開催などと能天気なことを言っているが、1年後、この東京、日本に訪れるのは多くの事業者、市民が経済基盤を破壊された暗黒時代だ。
森喜朗が「神は私と東京五輪にどれほどの試練を与えるのか」などと寝ぼけた事を言っていたが、東京五輪誘致から現在までの状況は「老人の夢が東京を破壊した」と形容するしかない、バカげた出来事だ。
オカルト染みた表現をすれば、今起きている事は「天罰」に他ならないだろう。
いっそあの老人が新型コロナウイルスに感染してくれれば、溜飲が下がるというもの。
もう、なにもかも、無茶苦茶なんだよ。
桜を見る会の招待者名簿について、菅義偉官房長官は記者からの質問に対し「削除された名簿データを復元することはできないと聞いている」と回答した。名簿データの復元ができない理由が技術的な問題なのかルール上の問題なのかとの質問に対しては「具体的には承知していない」と回答し、理由の明言を避けた。菅官房長官によるこれらの発言の背景には一体何があるのか。
招待者名簿の復元ができない理由がルール上の問題であれば、そのルールは公文書で明文化されているはずだ。ルールが公文書に明記されているにも関わらず「承知していない」と発言すれば野党から追求されかねない。このことから名簿の復元ができない理由がルール上の問題ではない所に存在していることが見て取れる。菅官房長官は名簿の復元ができない理由について何らかの事情を知っているのではないだろうか。
削除したデータを直ちに復元不可能にする方法がある。それはデータを削除する前に乱数などの全く別のデータを上書きしてから削除することだ。そうすることで仮にデータの復元を試みても無意味なデータが復元されるだけで元のデータは復元できなくなる。いわば電子シュレッダーといったところだ。
この電子シュレッダーは2014に日本の大手ITゼネコンで知られるシステム開発企業のN社が官公庁用システムに搭載すべく開発を進めたのが始まりだ。N社は日本の官公庁用情報システムの開発を数多く手がけていることで知られている。この機能はN社が2016年以降に納入し運用が開始された多くの官公庁用システムに搭載されている。また2015年以前から既に運用されていたN社製システムでも、2016年以降にセキュリティ対策などの名目でシステムが更新された際に電子シュレッダー機能を追加で搭載された可能性がある。
この電子シュレッダー機能の存在はどの公文書やシステムの説明書にも記述がない。このことからN社の官公庁用製品に搭載されている電子シュレッダー機能は、何かの理由でN社が独断で実装したものだろうとされてきた。
ところが、桜を見る会の招待者名簿が保存されていた内閣府のシステムを開発したのは、同じく日本の大手ITゼネコンで知られるF社だ。F社とN社との間に資本関係はない。全く別の会社だ。
菅官房長官は招待者名簿の復元はできないと主張しているが、その理由については明言を避けている。だが復元は不可能だという主張は一貫している。電子シュレッダー機能を搭載しない一般的なシステムではデータの復元ができないとは断言できない。復元不可能な理由がルールによるものでないのであれば、残るは技術的なものしかない。
電子シュレッダー機能は当初はN社が独断で実装したものだろうとされてきた。だが仮にF社のシステムにまで電子シュレッダー機能が搭載されているとなると、N社が独断で実装した可能性は低いことになる。官公庁用システム要件の裏仕様に盛り込まれていた可能性が浮上するからだ。
日本の官公庁用システムの開発はN社とF社の2社で多くを占めているのが現状だ。もしこの2社の官公庁用システムの大部分に電子シュレッダー機能が搭載されているとなると、日本の公文書保存の行く末はこれまで以上に暗雲が漂うことになるだろう。いざとなれば跡形も残さず容易かつ完全に削除できてしまうからだ。削除を免れた公文書には事実解明に役立つようなものが残されることはなくなり、歴史資料としても到底体を成さないものばかりが残るだけだ。
ここまで読み進めた諸兄は電子焚書による暗黒時代の目撃者となるやも知れぬ。いや、ここまで知っていてなお電子焚書が行われている事実にすら気付かず一生を終えるかも知れない。電子焚書はリアル焚書と違い煙を出すことさえないのだから。
保存性の高さから年貢としても用いられてきた白米はいつしかただの食品とは一線を画する物と信じられてきた。
白米は栄養価が高い。
白米は偉い人が食べるもの。
白米さえ食べていれば幸せ。
その名は「脚気」。
細かい話は本題から外れるので結論から言えば、白米は万能の食品でなどでは全くなく、白米に偏った食生活は栄養バランスの崩壊を招くのである。
物資不足の中、多くの食品が庶民にとって貴重品となっていった。
あらゆる食べ物が貴重品となる中で、庶民が口にする機会の減少を最も嘆いた食品の最大公約数こそが白米である。
白米が万能の栄養を持ち合わせないという事実は、戦後の飢えた民衆とは無関係の事実である。
純粋なカロリー不足による死すらも目前に迫る世界では、栄養という言葉はカロリーという意味に置き換わる。
白米の持つカロリーは純粋な栄養として扱われ、カロリー不足という万能の死を回避する無敵の栄養商品として白米は再び蘇る。
栄養という言葉の意味は、タンパク質や様々なミネラレル、ビタミンをバランスよく取るという意味に置き換えられていく。
カロリーの摂取目安は到達目標ではなく制限目標として設定されていく時代。
嗜好性の高い書品の増加により街にはカロリーが溢れていく。
何気なく飲んだタピオカミルクティーの500㌔㌍と同じだけ何かの摂取を諦める必要があると人々が悩む時代。
白羽の矢が立ったのは白米である。
聖域となっていた白米はゆっくりとその神秘のヴェールを解かれていく。
白米が食べられることを有難がっていた時代、当たり前になっていく時代、そして食べないという選択肢に人々が辿り着いた時代。
戦争という暗黒時代が1度は戻した時計の針、それは再び運命の場所へとたどり着く。
白米2度目の死。
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最近googleに入った話がはやっているので便乗してマイクロソフト本社に入った話をしてみる。
性別:男、京大 情報修士(大学では飲食バイト・マージャン・バイク・飲みに勤しみあまり勉強せず)