はてなキーワード: 斜陽産業とは
事の始まりは私が一浪の後大学一年生として入学し同じゼミのクラスと幾つかの講義でかぶっている彼くんと知り合った
彼くんは大学近県のそこそこ大きい都市出身で土地勘もあったので遠方から引っ越してきた私は色々教えてもらった
私と彼くんの共通の趣味があったのもあり二人で色々行動しているうちにゼミの飲み会などで冷やかされるようになり
満更でもなさそうな彼くんと翌日から付き合うことになった
彼くんにも言っていなかったが私は双極性障害があり大学受験で現役時失敗したのは低下していたのも過分にある
身の丈に合わない大学に入れたのは躁状態だったからで飲み会の連続の日々も付き合い始めの時も躁状態だった
彼くんは童貞だったので色々な事を試したがったしセックスが好きな私もそれに応じた
しかし自分の家庭にちょっとした事件が起きたで突然鬱が訪れてしまった
彼くんは立派な理解ある彼くんになった
ありとあらゆるわがままを聞き試し行為に全て応じ寝込む私にノートと食料品を届けた
私は運転免許を取った彼くんの送迎で精神科にかかり治療をはじめた
結局その鬱が落ち着いたのは就活も見えてきた頃だった
彼くんが大学時代に打ち込んだのは私の看病だったのでESもスカスカだった
躁になって万能感に溢れた私は1を100に膨らませた捏造ESを増産し彼くんのESも代筆した
結果私はそこそこ流行っていた業界に彼くんはなぜか斜陽がわかりきっている業界に入社した
私は業界の流行のせいもあって血気盛んな人と触れ合う機会が増え後の旦那くんと知り合った
旦那くんは学歴も家柄も堅く自己紹介の段階から稼ぎそうだと思っていた
入社四年目に彼くんの斜陽産業が大打撃を受ける自体になり彼くんはスキルも人脈もないまま失職した
彼くんには失職してからのやさぐれた態度やネガティブな言動についていけないと伝えた
その後旦那くんとお付き合いを始め旦那くんの家族とも会ったり順調に進んでいった
結婚式は旦那くん家たっての希望で古風だったものの私は大満足だった
新婚生活中に旦那くんの幼馴染が長く統合失調症を患いその姿を見ても仲良くしていたと知った
旦那くんは仕事のために上京し私は理解と金のある旦那くんと都内一戸建て専業主婦生活を手に入れた
理解ある彼くんがYoutubeチャンネルを持っていると聞いたのはつい先日だった
その道の有名人の動画やTwitterにコメントしては無視されているようだ
見識が狭く知識も足りていないので的外れな事ばかりなのは流し見でわかった
私としか付き合っていないだろうに世の中の男女について話していたのには失笑した
でもセックス三昧だった頃と同じ口癖を聞いて少し悲しくなった
元日にぼーっと見ていたテレビに映った右肩下がりの棒グラフ。「新聞の発行部数か?」と思ったら、「年賀状配達数14年連続減少」のニュースだった。確か年末には新聞の部数の話もバズっていたと思う。かつて人口に膾炙した紙メディアの先細り話がこうも連続して出てくると、このままの仕事を続けているわけにはいかないとの思いが一層強まってくる。
記者を辞めたい。そう思うようになってもう数年が経ったが、まだ辞めていない。現状の安定を失いたくない器の小ささか、単なる行動力のなさか。辞めたら次に一体何をするのか。自分の中でもはっきりしないまま、「歳食うと一年があっという間だなあ」などとぼやいて徒に時を過ごしてしまった。
なぜ辞めたいのかを簡単に言えば、やりがいを感じないのに激務薄給で、さらに会社の将来性も自分の適性もないと十年弱で分かってきたからだ。
マスコミを志望したのは就活を始めてから。元々政治家になりたいとの夢があったが、大卒でいきなり出馬できるわけではない。政治家という職業自体が不安定で待遇も十分ではなく、カネもコネもない人間が安易に挑戦できるものでもない。将来政治家になれる選択肢も残りつつ、仮に機会に恵まれずにそのまま会社勤めが続くことになっても公共のためになり、納得できる仕事ということで選んだと記憶している。
「斜陽産業だけど大丈夫?」「地方勤務できる?」と問われても、むしろ自分の世界が広がると望むところだった。同級生たちが競って入ったとにかく高給取りであることが取り柄のような仕事には惹かれなかった。今にして思えば若気の至りでいちびっていた。
良いこともたくさんあった。大きなニュースに関わる機会に何度か恵まれ、今までの人生では関わったことのない、あるいは他の仕事をしていたら一生関わることもないような人たち-有名な人も社会の周縁に立たされている人も、町の気のいいおっちゃんも地方から新たな挑戦をする若者も、会って話をしたことはかけがえのない経験に思えた。それだけでなく、小さな街ダネにも出身地とは違う習慣や文化、価値観が潜んでいて面白かった。違う地方に住むのも新たな発見ばかりで飽きなかった。
が、大きなニュースを扱ったからこそ感じた限界もあった。非常に優秀な記者が、リスクを負いつつ長い期間をかけて大スクープや深い調査報道を書き、社会や政治の問題を浮き彫りにしたとする。スクープしたその個別の問題については盛り上がりの中で解決するかもしれない。でも根本的な解決のためには法改正や行政の介入、社会の変革が必要だったりするが、それはちっとも叶わない。こんなにすごい人が一生に一本書けるか書けないかの記事で、影響力ってこんなものかと思った。
自社のスクープを他社が追い、さらにワイドショーが特集した段階で「昨日テレビでやってた話、取材してないの?」とか読者から電話が来る。マスメディアの影響力なんてたかが知れている。記事書いてる暇があったら自分で議員になって法律作った方がよっぽど多くの人が助かって、しかも一生にいくつもの大きな問題を解決できるじゃないか。
日頃の一面や社会面なんてもっと陳腐にしか見えなくなった。よく働く記者ほど困っている市井の人の声なら何載せても良いと思っている節がある。その傾向はコロナ禍でより増していて、「ハワイ行ってコロナなって金がかかって困った」とか「高級ホテルの結婚式のキャンセル料が高くて大変」とかいう話がテレビで長々特集されたり新聞の一面を飾ったりした。現場の声を重視するのはいいがデータを軽視するので正確性や普遍性に乏しく個人の感想の域を出ない「困ってるお気持ちポルノ」がたびたび見受けられた。
就活の時期が近づけば「もう就活生の〇割は内定あり!」と騒いで学生を焦らせ、今度は悩む学生を見つけ出して特集する。アメリカ大統領選で階層の分断が言われるようになれば、国内の細かい話での個々人の意見の違いを取り上げて「分断」とか大げさに言ってみたりする。元々たいした問題などなかったところに「困っている」とする個人をなんとか見つけ出して最初から問題があったことにする。存在しないマナーを作り出しては講習で稼ぐマナー講師が「失礼クリエイター」と呼ばれるなら、メディアは「問題クリエイター」だ。
テレビニュースは毎日同じ時間、新聞は毎日同じスペースで作られるが、世の中の出来事なんて日によって数は大きく異なるわけで、それを毎日同じスペースに載せようということ自体に無理がある。ニュースが多い日には大事な話であっても隅っこに短く追いやられるか、後日掲載になる。ニュースのない日にはただ紙面を「埋める」ためだけのネタが並ぶ。ある日はある、ない日はないで良いのに、同じスペースを埋めなければいけないから取り置きの原稿がどんどん溜まっていく。紙面が数日~数週間前の話ばかりになるなら週刊や月刊で良い。なんで日刊で発行しているのか。埋めるための取材ほど不毛なものはない。
価値判断ができずに他社が書くかどうかだけを気にする部長や支局長、紙面が埋まるかどうかだけを気にして原稿を抱え込む次長、複雑な問題であってもなんでもかんでも単純化した図式でしか捉えようとしないキャップ…部署ごとの属人性が強すぎ、適当なさじ加減でできあがる。社内政治で紙面が決まる。報道が広告に忖度することなどあるはずがないと思っていたが実際はある。そういう読み物なんだと思ったら愛着が薄れていった。
勤務日の夜はまだしも、特に緊急でもない用事で休日に平然と電話をかけてくる上司もいる。それで気づかずにいると「休日でもすぐに電話に出ろ」と怒鳴られる。立派な使命感だとは思うがそういうことを求めるならもう少し給料を出してほしい。こんな給料では家族を養うことはできない。共働きでなければ結婚は難しいが、全国転勤では共働きも制約される。
部数は毎年減っている。広告はコロナ禍で激減した。まだぎりぎり体力のあるうちに勝負に出て成長分野に投資しなければ生き残れないのに、そんな気配はみじんもない。部数が減ることはもはや所与のことのようになっていて、本業でどうやったら稼げるのかという話がちっとも出てこない。いい報道をすれば読者は読んでくれるという、反例が無数に見つかる理論が繰り返される業界で定年まで勤める人生設計で生きていっていいはずがない。
「斜陽産業なのは知ってたはず」「激務や転勤なんてわかって入ったんでしょ」と言われても、経験したことがない学生に何が分かるというのか。やってみた結果想像以上の実情を知り、このままでは無理ということが分かって考えが変わった。それだけのことだ。
自分が意外と人見知りをすることにも気がついた。特定の人と繰り返し会うのはいいのだが、毎日違う知らない人と会うのは気疲れする。文章を書くのは好きだったが、元々目立ちたがりで自分の意見を書いたり言ったりするのが好きなだけだった。人のやっていることを聞いて書くこと繰り返すのにも疲れた。人が何をやってるかじゃない。自分が何をやってるかだろうがと何度問うただろうか。完全にミスマッチだった。
それでも、少しでも世の中が良くなったらいいなと思って神経すり減らして働いていた。なのに友人ですらネットで「マスゴミが~」とか言っているのを見ると気が滅入る。別に金持ちになりたいとかいう願望はないが、公共のために働こうという精神って報われないなあとも思う。
たとえば官僚なんて民間就職すればもっと稼げるだろう人が能力を公共のために使って午前様で働いているのに、私生活でも高潔さを求められてちょっとでもやらかせばあり方を問われることになる。ハードル高すぎないか?能力を自分のためだけに使って大金稼いでる人は素行が多少悪くても特に何か言われることはない。社会にどっちが必要な存在かと言えば前者のはずだが、これから職業を選ぶ(選べるくらいの能力を持っている)学生らの視点に立てば後者を選びたくなる人が多いはずだ。職業に求められる規範と待遇が釣り合ってなくて、それで社会が損している。
自分がやりたいと思える仕事は公共に奉仕する仕事だが、そういう職業としての条件の悪さ、釣り合わなさに耐えられるかわからず、次の選択肢に挑むのに尻込みしている。そんな程度のマインドなら職業での自己実現は諦めて、ホワイトな環境で趣味を楽しみ家庭を重視する生き方を選ぶべきなんだろう。でも、どっちかを選んで他方の道を断ってしまう決心は付かず、ずるずる先延ばしにしている。
これだけ不満たらたらで、それでも辞めていない。次に何になっていいかも何になれるかもわからない。そういう現状に、自分の小ささを感じている。
朝起きて、ドイツ負け、日本が勝ったという事に絶望した。なぜならば、日本は負けるべきだったからだ。
しかし、その被害を食い止めるためには、日本代表は速やかに負けるべきだったのではないか?
それも、大敗するでもなく、接戦するでもなく、地味に、普通に、話題にならぬ様に負けるべきだった。
日本において、と絞っても、サッカーは市場として全く重視されるべき要素はない。
サッカー市場は非常に注目されているように見えるが、統計などを冷静に見ると全くそんなことはない。
電通が権利販売を手がけるなど、産業構造的に広告業界と結びついているため、必要以上に注目が集まってしまっているが、純粋に見るとたいした大きさはない。例えばJリーグ全体という事で拡大しても売上げを見ても、せいぜい1000億円である。
これは文系のエンタメに比べて非常に小さい。例えば大手出版社は一社で2000億円程度の売上げがある。
業界で見ると、アニメの売上げベースで2600億円、書籍の売上げベースで2.6兆円などである。市場規模という形で整理すればさらに大きく差がでるだろう。
同じ程度の市場規模と言えば、殺虫剤業界がそれぐらいらしい。すると、報道各社は公平を期すならば、福岡県の増田さん宅で発生した巨大ゴキブリを見事フマ〇ラーが撃破、といった事も同等に報道するべきだが、そうではないのである。
にもかかわらず、ワールドカップが始まると、マスコミは多大なリソースを書けて報道するため、実際に報じられるべき実務に関わるニュースなどが放置される。
観戦によって仕事のパフォーマンスを落とす人も出てくるし、社会全体に負荷がかかっていることはあきらかだ。
今や世界的に見るとオリンピックを超える世界的興業だ。冷静に数字を比較すると市場規模の優先度は低いとはいえ、生きていくための収入を得る手段として、それで食っている人がいる以上、急にやめることは難しいのだろう。
エンターテイメントが多様化していく中で「時間争奪戦」という概念から既に成長が止まった先進諸国ではなく、新たな市場を求め中東で開催するという判断も、経営という点では理解できる。
さらにいえば、ファンが暴徒化する等ということもあるだろうから、続けなければならない事情もあると思う。
しかし、幸いにして、日本ではまだそこまで汚染されていないのだ。市場も頭打ちになり、FIFAの市場としても尻すぼみなのは明かだ。
故に、日本はこの様な状況から脱することができる可能性が残されている。
いち早く脱することができれば、対応のための被害が減る。被害が減れば、汚染されている地域に比べて優位性が出て、将来性のある分野にそれだけ投資が行く、と言う好循環が生まれる。
日本が育てていくべき産業を考えて、取捨選択し、ソフトランディングをするならば、日本代表負けるべきだったのだ。
出場したが、負ける、出場したが、負ける、これを繰り返していけば世の中は少しでも良い方向を向いたはずなのである。
がんばっているがいるのにそんなことを言うな?と言うのならば、国策で斜陽産業認定された産業で働いている人もがんばっている訳で、そこに差は無い。あくまでもドライに、社会全体の事を考えて、無闇に下駄を履かせることなく、サッカー日本代表は負けるべきである。
そして残存者利益で細々と繋がる程度にまで縮小したうえで、残っていくのが理想なのではないか。
ワールドカップワールドカップうっせーんだよド阿呆。俺は興味ねえっての!んな金あるなら外貨稼げるアニメゲーム作れ。さっさと負けて終わりにしろばーか
斜陽産業で働いている
既存事業から脱却して、次にいこう!と書くと明るい兆しにみえるんだけど
その脱却すべき既存事業とやらのキャッシュでご飯食べてるのは確かで、まだ十数年はそれは続くだろう
でも先行き暗ければ人は消えていくのは世の常で、優秀層はあらかたいなくなり凡人と経年劣化した設備だけが残りつつある
設備投資の見直しもやらないと予定されてるはずの十数年だって保たないんだけど、何やるか判断能力ある経験積んだ人材が転職なり実家帰るなりしていて雲行きは怪しい
誰やるだろうこれという大仕事が数年以内に迫ってきていることは何となく分かる、雰囲気は分かるけど専門違うので自分じゃあ無理
大きな事故でも起きれば見直す契機になってくれるんだろうか
次なる事業はまず投資参画してノウハウを~といってたがカネ出してるだけでヒトが育っている感じはない
スマートに稼げないから現場回してお金稼いでる会社じゃなかったけ?
いやその現場的な産業が国の政策的にも斜陽だから困ってるんだけど
斜陽だからってケア怠ると酷い事態になるから幕引きシナリオしっかり練らないとキツくない?
そんな私もそろそろ辞める
残る仕事をみて思うのは、誰やるんだろうこれ
どこもそんなもんなんかなあ
まあ誰か育ってやるだろう、ヨシッ
あれって輸入に頼ってた業者が騒いでただけなんだよね
急に国内の木を買おうとして足りない足りない騒いでただけ アホか
そんな連中は勝手に困ってりゃいいのに国内の木を買うために値段吊り上げ
始めたからこれまで国内の木を買って商売してた業者まで迷惑してたわけ
ここまでが今年のはじめ
家とか工事とかでよく使う合板の原料ってロシア産が多いのに戦争でアウト
合板作ってる連中が札束叩いて各地の原木買って足りなくてみんなで困ってるのが今
それなら山の木を切ってだしてくればいいって? 日本の林業の現状しらんの?
斜陽産業だから急に言われたってムリ そもそも木が育つのに何年かかるか知っとる?
ふとonkyo自己破産と聞いて、私はどうかしたらonkyoに就職するかもしれない人間だった。だから書くわけじゃなくて、昔からちょっと思っていたことを書くきっかけになったので。書く内容はonkyoの倒産とはあまり関係はない。個人的に音響で仕事をしたくない理由をつらつらと書いていくだけである。
ちなみに私は今なんだかんだソフトウェアエンジニアをしている。30過ぎあたりで、就職と言ったら、10年前ぐらいの話になる。大学も音響に関係する学科がある大学に行った。音楽や音響に興味があって、趣味で録音やら音響のシステムを弄ったりしていた。
でも、根本的に音響とか音楽に関係するところに行こうとは思っていなかった。その根本的な理由をつらつら書いていこうかなと。
私が大学入学したころから、音楽業界は斜陽産業だった。私の小学校や中学校の頃はミリオンセラーが沢山出てきたり、無名の音楽少年がブレイクして成功するみたいなサクセスストーリーとか流行っていた。私は読んだことはないのだが、beckやらnanaとかも流行っていたしね。そういえば、高校や大学の頃は、涼宮ハルヒのGod knows...やら、けいおんやらバンド関係コンテンツは流行っていたな。一方で、インターネットでYoutubeだったりiTunesが出てきたりして、CDが売れなくなる時代でもあった。知っているレコード店やら、録音のスタジオやらもどんどん潰れたりしていた。だからこのまま、就職して音響屋や音楽屋になっても、ちょっと将来が不安だった。
2. 音質がこれ以上良くならない
根本的に「音質」とは?という定義があるかもだが、スピーカーの場合、電気信号を音響信号に変換するのがスピーカーの役割だが、例えばその電気信号と音響信号にキチンと再現するのが一つ明確な「音質」の定義だと思う。他方、そういった機械や物理的な定義じゃなくて、「良い音に聞こえたらいい音質」みたいな主観的な定義もあり得る。そういう主観的な「音質」の追求はあり得るかもしれないが、物理的な音質(先ほどの信号再現だったり、他にも全可聴周波数帯域がキチンと出る)などの、そういった領域に関する音質は追及されまくっている。正直、1万円ぐらいするスピーカーやアンプで、一般人は十分すぎるレベルの「物理的な」音質は得られるだろう。あとは、価格を下げるなり、ブランド価値やら、「主観的な音質」で勝負するしかない世界になってくる。もしくは、野外のイベントとかで、デカいスピーカーで音圧をどれだけ出せるかとかね。あとはオカルト的な領域に踏み込むとかね。
話は脱線するが、スピーカーの音質や良いスピーカーのことを話すと、ダブルブラインドテストやら二重盲検法を出してくる人がいる。正直あれは無意味というか、その前にやるべき評価をすっ飛ばしている。というのも、二重盲検法ってのは、
どっちなのか判別つかないからだ。1万円のスピーカーと100万円のスピーカーでブラインドテストして、もし被験者が識別できなかった場合、根本的に被験者には聞き分ける能力がない、あるいは、スピーカーがその性能を出していないか、判別つかない。だから、その前に、まず100万円のスピーカーと1万円のスピーカーの周波数特性だったりを調べて、物理的な出力音響信号差があるかどうかをやった上で、ブラインドテストをやるべきだと思っている。
話を戻すが、「音質」はこれ以上向上しないってのは、一般人が聞き分けられるレベルでの物理的な音質の向上はおそらく期待できないだろう。なので、たとえば出力を弄って「ロック音楽を聴くのにオススメ!」っとか、ノイズキャンセリングを入れる、外装のデザインとか、ゲームで有利になるような音にする、などで、付加価値を付けていく競争の方が重要で、音質の追求はこれ以上やってもニーズにはないからね。趣味とか研究の程度だったら楽しいのだけどね。
プログラミングは大学入ってから学んだが、案外ハマってしまった。ぶっちゃけ上記の2つの理由よりもこれが一番でかいんだどね。音響屋の仕事といっても先ほどのスピーカーの設計やら録音とか以外にも、例えば、補聴器やら、騒音測定やら、防音やらいろいろあるんで、そっちも考えたけどね。こうして、大学のころに学んだ大半は仕事につかっていない道楽的な知識になってしまったけど、こういう理由があるから仕方ないなという合理化をしてただけなんだな。
小さな政府をかなりの期間で目指してきたこともあり、半導体産業に対しては政府・省庁は関与してない。
エネルギーや自動車は関与しているので、それなりに詳しい人が中にいると思うが、半導体はそうじゃない。
なので、政府・省庁で働く人は、一般人が見ているニュースを見て勉強していると想像している。
そもそも発表される資料が、最近のニュース・トレンドを簡潔にまとめているものが多く、
日本にどういったアセット・人がいるのか把握できてない気がしてならない。
既に斜陽産業の半導体のプロが入っても、これまでの経験の延長線上になるので、新しい切り口は必要と考えるのは正しいだろうが、
(技術的なことを全部すっ飛ばして、株価だけ見てこの企業凄そう!って考える人ばかりでは駄目だろう)
特にフォトニクスにだけ力を入れようとしているのが危ないように感じる。
最近の半導体は、データの移動だけで電力を食っているという状況はわかるが、
チップ内の2,3cmの距離だと、光に変換するよりも今まで通り電子処理したほうがよい。
年齢37歳で独身(結婚願望なし)で収入380万位の人間なんだけど
お金のかかる趣味がなかったので、何もせずにいたら現在貯蓄が1800万になっていた。
うちの会社は休日125日で残業ほぼなしなので給与は増えないけど大変でもない職場。
斜陽産業で昇進してもそんなに給与が増えないように制度変更された。
少し前までは頑張って働いて、評価されようと考えていたんだけど
このまま頑張らずに正社員で解雇されなければ生きていける。と気が付いた。
次に残りの人生で何をやろうと考えるわけなんだけど
何も思いつかなくてワロタ。
(こういう時に、文化的なことを専攻している人は強いんだなと実感)
そこそこ働けば人生なんとかなるってわかったら
みんな何やってんのさ。
■給与
300万〜1,200万よりも400〜800万の会社のほうが、ベース給与が高い。
■業界
・成長産業を選ぶ
成長産業であれば、会社の舵取りがイマイチでも伸びていく。斜陽産業は入るだけで
倒産リスクが高く給与も上がりにくいので絶対に選択してはいけない。
■業績
・業績は成長しているか? 売り上げだけ高くて利益率が低くないか?
■勤務時間
■福利厚生
・週休2日制と完全週休2日制に注意する。祝日休みでないところも稀にある。もしくは年間休日125日をめやすに。
・退職金、401kがある会社を選ぶ。これは会社が「長く働いて欲しい」「社員を大切にしたい」と思っているメッセージだ。ないところはやめる前提で入れ。
■株主
・経営者や取締役が株をもっているか? 持っていたら経営がうまければ問題ない。最近上場したとこでビジョナルとかな。下手だとクック●●●みたいになる。
・経営者や取締役の保有数が少ないと親会社や株主の干渉にさらされるのを覚悟しろ。親会社からくる仕事はクソだ。
・整備されていたほうがいいが、成果主義が尖りすぎているとめんどくさい。360度評価?うぜえ。ほどほどに評価制度がありほどほどに主観でマイルドに
上昇志向はありませんが、仕事を与えられれば精一杯頑張るし、質問するし、自分が成長できると思っていました。
採用されないということは、そういう適性がないんだと言われてる気がして、自信は前ほどありません。
就活では「リーダー」が人気ですが、リーダーばっかりでも社会が回らないし、私みたいな下につくタイプの人間だって採用してくれてもいいのにな、と思ったりします。
そうなんだよな、何でもかんでも「能動的」、「積極的」が求められてて、「受動的」なところが見られると、撥ねられてしまう。
美大でてるって、どんなことやってたのか分からないけど、例えば漆器職人みたいなのはだめなのかな。