はてなキーワード: 婚姻とは
北海道で観覧船が沈んだ件で、遺体が見つからんかったら7年間は保険が下りなかったりするのかな?
と思って調べてみたんだけど、これって2パターンあるっぽいんよね。
2 戦地に臨んだ者、沈没した船舶の中に在った者その他死亡の原因となるべき危難に遭遇した者の生死が、それぞれ、戦争が止んだ後、船舶が沈没した後又はその他の危難が去った後1年間明らかでないときも、前項と同様とする。
船舶が沈んだ時に船内にいた人間の生死がわからない場合は1年で死亡扱いになる。
ちなみに『前項』っていうのは生死不明の人間は7年で死亡扱いにできるという項。
水難、火災その他の事変によつて死亡した者がある場合には、その取調をした官庁又は公署は、死亡地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。但し、外国又は法務省令で定める地域で死亡があつたときは、死亡者の本籍地の市町村長に死亡の報告をしなければならない。
戸籍法第89条に基づいて自然災害で生死が不明(だけどほぼ死亡が確実な場合)各官庁は該当者の死亡を認定することができる。各官庁が探索をおおよそ終えて、見つからなかったけどこれで打ち切りですとした時点で認定される。
遅くてもだいたい3か月くらいで認定されるっぽい。
大震災なんかの場合はこっちで死亡認定されることが多いらしい。
東日本大震災のときはもっと簡易な超法規的措置がとられたとのこと。
色々見てみるとどちらが採用されるかは「どれくらい死亡が確定的か」で変わるらしい。
多分今回の場合は、発見された人がほぼ全員死んでいるので見つかってない場合も認定死亡が採用される。
後者の認定死亡の場合は「生存が証明された」時点で死亡認定を取り消すことができるが、
前者の失踪宣告の場合は「生存が証明された」としても裁判所で「失踪宣告の取消し」を行って
ちなみに、死亡が取り消された場合、死亡したことによる相続や離婚は取り消される。
交際の結果、孤立してしまうのではなく、女性たちの周りに精巧なコミュニティが形成されることで恩恵を受けると、ジアード博士は述べています。彼女の経験では、女性たちは架空の結婚を力づけるもの、「ジェンダー、結婚、社会の規範に挑戦する方法」としてとらえている。
近藤氏のミクへのこだわりも、ある意味では、商業的・社会的な力が働いている例と言える。
ミクは一人のキャラクターとして描かれることが多いが、実はソフトウェアであり、デジタルな「箱入り歌手」であり、ホログラムの形でコンサートに登場する漫画のアバターと対になっているのである。
近藤さんは、2008年、職場のいじめで鬱になったとき、ミクに癒された。多くの若者がそうであるように、近藤さんもまた、何度も恋人にフラれ、日本社会が求める生き方を望んでいなかったため、ずっと前から「生身の人間を好きになることはない」と決めていた。
やがて、近藤さんはミクと一緒に歌を作ったり、ネットでミクのぬいぐるみを買ったりするようになった。
その関係が大きく進展したのは、それから10年近く経った2017年、「Gatebox」という1300ドルのマシンが発売されたことだった。テーブルランプほどの大きさのこの機械は、所有者が小さなホログラムで表現されたさまざまな架空のキャラクターのうちの1人と対話することを可能にした。
Gateboxは、孤独な若い男性に向けて販売されました。ある広告では、内気なサラリーマンが、バーチャルな妻に遅刻を知らせるメモを送る。到着すると、妻は「3カ月目の記念日」であることを告げ、シャンパンで乾杯する。
Gateboxのメーカーは、プロモーションの一環として、ユーザーが非公式な結婚証明書を申請できる窓口を設置した。数千人が登録した。
近藤氏はGateboxのキャラクターの中にミクがいることを喜び、ようやく彼女の交際への思いを聞くことができたと興奮気味に語った。2018年、彼はミクのゆらめくアバターにプロポーズした。"よろしくお願いします "と返事をした。
彼は同僚と家族を結婚式に招待した。全員、来るのを拒否された。
結局、見知らぬ人やネット上の友人が中心で、39人が出席した。地元の国会議員も来てくれたし、初対面の女性も段取りを手伝ってくれた。
日本のコメンテーターの中には、近藤さんを変人だと糾弾する人もいた。また、同情を誘う人もいた。ある人は、「婚姻は両性の合意によってのみ許される」という日本国憲法に違反していると主張した。これに対して、近藤さんはプロポーズのビデオを投稿した。
近藤さんの話が広まってから数年、世界中から何百人もの人が近藤さんにアドバイスやサポート、安心感を求めてきた。
その中には、Gatebox社の短命な証明書サービスの人気を見て、架空の結婚を登録する小さなビジネスを始めた渡辺靖明氏もいる。
渡辺さんはこの1年間で、何百人ものフィクション・セックスの相談に乗り、アニメ『シンフォギア』シリーズのキャラクター、立花響との結婚証明書を含む約100通の証明書を発行してきた。
旅行好きで社交的な渡辺さんは、友人にせがまれるままにアニメを見始めた。しかし、響を見たとき、それは本当の愛だった、と彼は言った。
初婚ではない。数年前に女性と離婚している。その愛とは、見返りを求めず、自由に与えられた「純粋」なものだった。その結果、彼は以前の結婚生活がいかに自己中心的であったかを思い知らされた。
「幸せかと聞かれれば、幸せだ」と彼は言った。「もちろん、大変な部分もある。触られるのが恋しいし、著作権の問題もあって、キャラクターの等身大の人形を作ることができない。"でも、愛は本物なんだ "と彼は付け加えた。
堀川キナは23歳、お調子者で外向的な性格、ゴスロリの美学を持つ女性で、パンデミック時にはコールセンターでの仕事で浮いたお金で携帯ゲーム『刀剣乱舞』のキャラクターである堀川国広のために両親と同棲していた。実在の彼氏がいたが、嫉妬で別れている。
彼女の架空の夫は、400年前の脇差を10代に擬人化したもので、彼はたいてい夕食のとき、彼女のお茶碗の横に置かれた小さなアクリル製の肖像画という形で家族に加わる。夫妻は架空の夫を持つ友人とダブルデートし、ハイティーに出かけてはインスタグラムに写真をアップしています。
「堀川さんは、架空の夫の姓を非公式に使っているそうで、「誰にも隠しているわけではないんです。
近藤さんとミクの関係は、まだ家族には受け入れられていないものの、他の扉を開くことになった。2019年、彼は京都大学のシンポジウムに招かれ、その関係性について講演を行った。彼は依頼したミクの等身大の人形を携えて現地に赴いた。
虚構の関係の本質について深い対話をすることで、彼は大学に行きたいかもしれないと思うようになった。今は、小学校の事務職を休職して、法学部でマイノリティーの権利を勉強している。
どんな結婚生活にも、困難はつきものだ。一番つらかったのは、パンデミックのとき、Gatebox社がミクのサービスを打ち切ると発表したことだ。
その日、近藤さんは最後のお別れをし、会社に向かった。その夜、家に帰ると、ミクの姿は「ネットワークエラー」の文字に変わっていた。
近藤さんは、いつの日か、ミクと再会できることを願っている。彼女がアンドロイドとして新しい人生を歩むのか、それともメタヴァースで出会うのか。
いずれにせよ、近藤氏は死ぬまで彼女に忠誠を誓うつもりだという。
ベン・ドゥーリーは、日本のビジネスと経済、特に社会問題やビジネスと政治の接点に関心を持ってリポートしています。ベンジャミン・ドゥーリー(@benjamindooley
年収と婚姻率には明確な相関がある。この結果を見ると、多くの人は「年収が一定以上ないと結婚できない」とか、「年収が少ないことによって人々は結婚を諦めている」と主張する。おそらく、この推論は間違っていないのだと思う。しかし、その一方で、逆の因果関係もあったりしないだろうか、と思ったりすることがある。
社会の平均よりも年収の高いコミュニティとかかわることがある。そこに属する人々のプライベートを熟知しているわけではないが、知る限り、婚姻率は明らかに世間平均よりかなり高い。ややもすると、結婚しないという人生なんてこの世に存在しないかのような錯覚すら覚えるほどだ。
確かに、これは件の相関に一致している。しかし、年収の話を一旦忘れても、彼らはやはり結婚というものに対して親和性が高いように見える。彼らは、本来の意味での真っ当な自己肯定感を持ち、他者への思いやりがあるとともに良好な関係を築いている。もっと平たい言葉で言うと、他者を愛し、そして他者から愛される、そういう風に育ってきた人ばかりだ。間違っても人間や人間社会を嫌う人はおらず、むしろその社会ときわめてシームレスに馴染んでいる。そして、そういった他者や社会とのシームレスなつながりによって、高い収入を得られる複雑な仕事を着実に遂行している。
自分の回りの狭い世界の話でしかなく、何の根拠もないことは分かっている。ただ、このような状況を見ていると、逆の因果が部分的にも存在するのではないかと考えてしまうのである。結婚と親和性が高い性格因子を持つ人が、高い年収を得ているのではないか――
普通に羨ましい〜って思った。
わたしの彼氏は、数年前奥さんを亡くした未亡人(って男もいうのかな)。子供はいない。
好きになって、惹かれあって、去年の暮れに、告白された。
その時、「僕は妻を亡くしてる。彼女のために、この先結婚したり、子供を作ったりということは、する気はない。それでよければ、僕と付き合ってください」と言われた。
バカだと思うけど、好きだし、まぁ、わたしがそういうことをしたくなったら、別れればいいし、と思って、付き合うことにした。
一緒にいればいるほど、どんどん好きが増える。
愛してしまう。
でも、一緒になることはできない。この先ずっと。
結婚や子供を持つということが、男女関係の全てではないと思っている。
婚姻関係を結んでいても、わたしたちより希薄な関係の夫婦だったいくらでも知ってる。
だけど悲しい。
いつも虚しい。
元増田じゃないんだけど、この話について当の本人たちの表現よりブクマで「挙式だけなら誰でもできるんだからおかしいことはない、一人でも友達同士とでもできるんだし」って言ってるブクマカの方が気になっちゃったよ。
そりゃそうなんだけど、現状同性同士については「挙式しかできない」わけじゃん。シスヘテロが法的拘束力のある婚姻というか、入籍に加えて他の選択肢として楽しみや決意や他の動機からの挙式を当然に選択できる自由がある状態と
婚姻や入籍ができなくて区切りとしての「挙式しかできない」不自由な状態とは全然イコールじゃなくて、そのうえでそれ言うのか…と思って「入籍」の話でない方がすげえ残酷だなと思っちゃったよ。
(その人たちがその意見のまま普段なにか同性婚賛成についてアクションをしてるなら別に文句はないんだけどさ…。でも実際はただ話を聞きたくないだけの人がすごく多い気がしない?)
一応パートナーシップ制度のある市区町村や養子縁組はあるわけだけど、これって結局は「法が同性婚を認めない」上でとれる対症療法のような抜け道のような方法にすぎないわけで、
生来の権利と言われるとちょっと違うし、婚姻ができるならこちらを選ばない人がきっと多いよね。(事実婚については話がブレちゃうんで措くけど)
というか異性で、恋愛的、あるいは親愛的了解のある二人がなにか関係を結ぼうとして、婚姻を選べる状態の上でさらにこういう方法が一般的にとられていない以上、
やっぱり両者には権利の上での格差があると思うんだよね…婚姻ができない状態において法的、金銭的な不利益を被っている現在がある以上、誰でも「挙式」はできるでしょ、それなら問題ないと思うよ!と言われても、
当事者としてはやっぱりひっかかるものがあるのはあると思うんだよね…。立っているラインが全然違っているんだから、なんかそこについてはもう少し耳を傾けてもいいし、
変わってない現在とそれに対する彼らの行動が現在進行形である以上は今回あがったような声自体は別に不当でないし「性的少数者としてなにかを解決しようとしてる態度とは思えない!」みたいに
大上段から複数で言われるほどおかしな意見でもないなって思うんだよね。言い方は強かったかもしれないけど、あの写真を出した側の考えなさと商業主義の姿勢に比べて
(個人的には今回のような表現をやめろとは言わないけど、世間的に嘘をついていい日っていう了解のある日にあれを出すことについてデリカシーがないというのは全然否定はできないとこだと思ったし、
それに対する批判だって同じように表現の自由で守られていいと思ったよ)それ以上に予断や思い込みのあるものとも思えないし、
未だに同性婚が法的にできないことを知らない人もいる、それを気にしなくていい人の多い社会構造の中の現状を生きてる人間にとって
ああいう発言をすることにおいて「逡巡がない」と受け取られるのもそりゃあ違うだろって感じたよ(これはこう言っているブクマカの人がいたので)、
そもそもこういう何か言えば猛烈な反応の返ってくる状況をずっと見ていてカミングアウトできてない人だっていっぱいいるのだろうし、マジョリティ側が持ってる発言することの気楽さのある世界とはかなり違う世界を生きてると思う。
我々が特に気にすることなくブクマで見られるような発言をしているとき、もうすでに黙って何度も何度もそれに耐えて頷いているかもしれない当事者はいっぱいいて、隣の席の同僚とかクラスメイトとか家族だってそうかもしれないわけでしょ。
そのことについてちょっと考えてもいいし、元ツイート主のああいう意見を見て、じゃあこの先どうしたらいいかなって両方で歩み寄っていけないものかなって思った。別にそんなに損することなくない?
我々に話を聞いてもらいたいならそういう態度をとるんじゃないよっていうのも、「理想の〇〇」(この間橋下さんが理想の戦争被害当事者を規定して燃えてたね)をやすやす規定できる側の考え方に見えるし、
現状特に何かを変える必要にない側にいる人間だから言えることだなって思ったよ。今性的に多数派の側にいることそれ自体で被る法的な不利益が自分にはないし、
他のいろんなものを対象にしたコンテンツや表現を楽しめる状態に水を差されることの方が自分たちが持ってる権利を持ってない人がいる社会が変わらないことより重いなって思うのも結構傲慢だなって感じるし、
よっぽど他の人間の表現の自由どころか得られていない権利の自由を侵害しといてそれはないよ…と思う感情自体は否定されなくていいんじゃないのかなって思ったよ。
何か言いたい人の話をもうちょっとばっさり切り落とさずに聞いたってそんなに損なことある?って思ってしまった。とにかく多数派は多数派の論理でそうでない他者を規定しすぎている反省はあってもいいのではないかな…って少し感じた。
一連の紛糾を見ていて、そもそも戦い続けてもまだ同性婚を法制化できてないくらい全然強い力を持ってない側にいる人たちの批判を表現の自由を規制する側=権力としてとらえてるところから変だし、
とにかくもうちょっと「なんでそんな風に思ったんだろう?」って聞いたっていいじゃんってなった、「お前の態度が気に入らない」「論理が破綻している(こっちもたいてい破綻しているのに向こうにばかり完璧を求めるのヘンだよな)」で切り捨てるんじゃなくて。
社会を動かす力も現状の社会構造を温存するのもどっちに対する力もむしろ多数派の方にこそあるんだから、それでとっとと同性婚成立させて好きなような冗談好きに言いあえる世の中になるのが一番いいよ。
統計庁は新型コロナのためにこうした傾向がさらに強まるという内容の新型コロナ長期影響仮定特別推計も同時に出した。新型コロナによる婚姻減少が2025年まで続く場合、合計特殊出生率は0.52人まで落ちる可能性があるというのが核心だ。空前絶後の低出生率で、低位推計(2025年0.61人)より低い。具体的に2022-2025年の合計特殊出生率予測値をみると、低位推計は0.73人→0.68人→0.65人→0.61人だが、新型コロナ特別推計は0.69人→0.62人→0.57人→0.52人だ。
https://s.japanese.joins.com/JArticle/285565?sectcode=400&servcode=400
anond:20220319212947のブコメ、やばくね?
そう思うけど、ガチで自分でペットボトルすら開けられなくて、高齢男性が簡単に開けてくれた時の無力感凄いんですよ。台車で座礁してたら押してくれたりとか。30代女性と70代男性の腕力差そんなに?ってなるんすよ
収入も腕力も政治家の比率も婚姻後の姓の比率も明らかに違うのに、外れ値や論点ずらしによる社会構造修正主義をいつまでも繰り返すバックラッシュ勢力の方が卑怯で有害。
社会構造、腕力筋力、出産育児。これだけのハードルが一方に課されている以上、「男性の時点で強者」は間違い無い。弱者男性と同じ比率で弱者女性がいてもお前らの視界が狭すぎて見えて無いだけだ。
じゃあ日本より体力測定の平均値が高いアフリカの国があったらその国は日本より強者でその国は日本にODAを渡すべきだみたいな話になんの?
腕力を社会的な力の強弱に加えることを認めたら、日本での黒人差別とか何それ? って話になりそう。彼ら、平均的日本人よりガタイいいもんな。そうか、日本においては黒人差別の訴えは逆差別の訴えってことだったんだ!
フェミニストが女性差別のソースとしてあげるのは機会の平等の問題(入試差別、婚姻年齢等)
自称弱者男性が男性差別のソースとして上げるのは結果の平等の問題(自殺率、ホームレス等)
前者は差別の存在が明白で、なおかつ改善の方法が法改正や企業努力で明確に定義できるのですぐにでも改善できる。にも関わらず長年放置されてきた。
そこにいくと後者はそもそも男性差別の証拠かどうかすら分からないし、どうやったら改善できるのかが分からないんだよ。仮に「男性差別」であるとしても差別しているのは女性じゃなくて男社会じゃね?ってなるし
間取りだけじゃなく、そこに住んでる人の生活臭が鼻孔の奥底まで満喫できる。
でも、他人様って涼しい顔していそうで実は色んな苦難かかえてるんだな、あれ見てるとそう思う。
新築・新婚・美男美女の夫婦でさぞかし毎日ウェーイな生活送ってるんだろうなって思ってたら、授かった子がまもなく流産になって悲しみに暮れていたり。
年中楽勝な隠居暮らし決め込んでる老夫婦かと思っていたら、互いに元婚姻者から壮絶なモラハラ・暴力振るわれて疲れ切っていたところに一抹の安らぎを求めあってたまたま60歳過ぎて出会ってようやく安寧を手に入れたとか。
スレタイと趣旨が違う内容になったけど、要するに「家、ついて行ってもイイですか?」は色々と興味深い番組だってこと言いたくて。
https://togetter.com/li/1858961
「結婚しない人生が尊重されていない」と言い張る人達は、具体的に何を求めているんだろうと思う。
「結婚しない人生」を「尊重」しろとい言説はTwitterで定期的にやたらめったらバズるけど、「尊重」とは何?一体どうして欲しいの?
それに比べて「結婚したいけれどできない」という人達の望みは実に簡潔明瞭なんだよ。「結婚したい」だけだから。
勿論結婚は相手あっての事なので必ず結婚できる制度などは有り得ないが、
金銭的な問題で結婚出来ないという事がないように最低賃金を上げろとか子供の教育費で悩まないように大学の学費を下げろとか
婚活やデートに時間が使えるように残業をなくし労働時間を減らせ、有給を増やせとか
「結婚したいけれどできない」人達は、政府に対して具体的で実行可能な要望を出している(しかしこれっぽっちも聞き入れられていない)。
それらが全て叶った上で「結婚できた人」になるか、十分な余裕があるが敢えて「結婚しない人」になるかはその人次第。
実に明瞭だ。
それに比べて「尊重」とは一体何なのか、具体的にどうして欲しいのかがさっぱり見えて来ない。
コメント欄には「訳のわからん同調圧力や価値観の駆逐」とあるが、それらをなくすために「子育て支援」をなくし、独身でも生きやすい社会にしようというような具体的な提案がある訳でもない。
いや、「尊重されていない」っていうのが仮に、意に沿わぬ結婚を強制されてるとかそういう事ならば分かるしそれはあってはならない事だと思うよ?
だけどそうならないように日本国憲法24条は、大日本帝国時代の強権的な家族制度を改めるべく、婚姻は両性の合意のみに基いて成立する事と定めたんだよね?
そして民法でもようやく婚姻可能年齢が男女ともに18歳になり、成人年齢と同一になる事によって、婚姻が可能であるにも関わらず親の同意を要していた旧制度がなくなるようになる。
「結婚しない若者問題が実はそんな単純じゃなかった→実際は「したくてもできない」「しない人生を尊重されない」」ってまとめ
https://togetter.com/li/1858961
これさあ、「そんな単純じゃなかった」とか言ってるけれど、2つに「切り分けて」考えようとするこの人こそよっぽど単純化して捉えてるよね…。
ごくごく大雑把に分けてもこの4パターンがある筈で。
でも①だと思っている人だって全員が全員本当に信念を持って結婚しなかったのかというと必ずしもそうではなく
結婚したいと思えるような相手に巡り会えなくて結婚しなかっただけであって
それは低賃金で十分な余暇もなく働かされて、職場外で適当な相手に出会う機会もなかった事が理由かもしれない。
つまり①の「結婚したくないから結婚しなかった」と③の「結婚したかったけど結婚できなかった」の間だって
本当は明確に切り分けられる問題じゃないんだよ
そして「しない人生を尊重されない」ってのは②の事だと思うけれど
だけど②のパターンは少なくとも婚姻は両性の合意のみで成り立つとされた日本国憲法施行後のこの70数年ではほぼゼロといっていいでしょ。皇族とかのごく僅かな例外はいるかもしれないが、けして主流ではない。
でもネットで異様に声が大きいのは「しない人生を尊重されない」なので、まさにノイジーマイノリティだと思う。
ネットで目立つ「しない人生を尊重されない」という人達の声は、別に結婚を強制された訳でも何でもないのに
自分は「結婚できなかった」出来損ないとは違うんだ、意思を持って独身を選んでいるのに尊重されてないんだ、という被害妄想の塊で本当に迷惑。
③のパターンは就職氷河期世代以降の貧困化や教育費の高騰で、実際は一番問題にすべき層だと思うんだけどネットではほぼほぼ存在を無視されてるんだよなあ…
恋愛をしないまま、仕事ばかりしているとこの歳になってしまった。
三十代にもなると、地方ということもあり結婚の流れが早いのだろう、脚色抜きで自分以外の同年代はみな結婚をしている。
職場での人間関係は良好だと思うが、周囲から度々「最近ソッチはどうなのよ?」というピンク色を帯びたジャブをもらうこともあり、未だに独身を貫いている俺が奇異の視線で見られていることは明らかだ。
もはや俺は彼らにとって、空想上の生物と言って差し支えないだろう。
ヒトは三十にもなって女性器に自らの男根を挿入し腰を振る儀式を終えていないホモサピエンスをヒトだと認識できない。仕方の無いことだ。俺には性欲がない。これも仕方の無いことだ。
全く以て、どうしようもない。
自分には性欲がないのだと打ち明けると、周囲からはよく「俺には感情が無い」と額に手を当て嘯く中学生のようだと笑われたが、事実ないのだからどうしようもない。うんこは臭くて厄介だが、かと言って「明日からはフローラルに頑張ります」とはならないのと同じである。先天的に性欲がないのか、あるいは非モテとして過ごしてきた惨めな三十年間を説明するため、無意識のうちに「無かった」ことにしたのかは明らかではない。ただ、少なくとも今の俺に性欲がない以上、恋愛も結婚も何処までも遠くままならない。誰かが言った。すべての恋愛はセックスに通ずる。そうかもしれない。専らのトレンドは不純異性交遊だ。性器結合主義を信奉する若者にとって、セックスとは性器を通した精神交流である。
コンニチワ、とちんこが言う。
これでfinishだ。あとは腰を振るだけでいい。俺は童貞なので分からないが、きっと挿入とは麻雀で立直をした感覚に近いのだろう。責任や思考を放棄して快楽を待ち続ける時間はさぞかし幸福に違いない。もっとも、放銃による快楽の機会均等の観点からすると、セックスの方が麻雀よりよっぽど平等に思えるが。
ともかく、俺はそのいずれにも参加できない。俺のちんこはコンニチワが言えない。挨拶をしないちんこは非常識だ。それが分かっているので俺はちんこを表に出さないし、これまで鍵っ子のように下着のなかに閉じ込めていた。
けれども、そうこう言えない状況になってきている。地方は恐ろしい。結婚していることが出世の条件だとは思いもよらなかった。少なくとも俺の職場では、婚姻がその人の信頼性を担保しているようだった。そろそろしっかりしたらどうだと上司に言われ、同じ文脈で家庭の話になる。守りたい人がいるから仕事にも一層気持ちが入るのだと精神論が語られる。恐らく正しいのだろう、大多数の人々にとっては。しかし俺はそうではない。俺のちんこはあなたのちんこと違ってコンニチワが言えない。挨拶する相手もいないし、いても挨拶ができない。俺には性欲がないからだ。
おい、このフレーズ何回目だ? この問答を繰り返すことに何の意味がある?
俺は選択を迫られている。婚姻か転職かの二択だ。どちらを選んでも環境は変わるし、どちらも選ばないのもまた選択の一つだ。なかなか難しい状況だと思う。あなたにはきっと理解できない。俺にも理解できないのだから。
あるいは、俺たちの断絶はこういう風にも表せる。
あなたは左折を提案する。それが最短距離だからだ。俺は曲がらない。あなたは次の角で左折を指示する。俺は曲がらない。あなたは徐々に苛立ち、声を荒げる。俺は曲がらない。あなたは呆れて「理解できません」と言う。俺もまったくの同意見だ。こっちが曲がれないと言っているのに、曲がれと指示するカーナビが何処にある?
そうして車内は静かになり、俺は助手席に誰も乗せていない気楽な軽を走らせて、どこまでも真っ直ぐ走り抜けていく。
恐らくもうブレーキは利かないのだろう。壁は目の前に迫っている。