はてなキーワード: 入院とは
色々あってもう死ぬか!ってなった時に、自分の出生について知らない部分があったため
出生の経緯を知る数名に「教えなきゃもう死ぬぞ!」と脅迫したら思ってもなかった真実が語られて
死ぬ気は失せたけど生きる気力も湧かないふにゃんふにゃん状態になってしまった話。
この出来事は数年前のことなんだけど、カウンセリングに行ったり投薬治療したりしても
ふにゃんふにゃん状態から抜け出せず漠然と生きていることが辛いのでここに書き出していく。
数年経った今でも、気持ちがぐちゃぐちゃで整理できない状態なので、途中気持ちが爆発して読みにくいかもしれない。あと長い。スマソ。
これは私の家庭に深く関わる話なので家族構成と生い立ちから話したい。
物心ついた時から、母はとにかく厳しくて、私はだらしない人間だった。
何事も白黒はっきりつけなきゃ気が済まない性分の母と自分の気持ちを優先する自己中な私はとにかく喧嘩が絶えなかった。
父は私が生まれる前に亡くなり、母1人子1人フルタイムで働く母は、仕事と育児の両立で忙殺していた。
なんらかの事情で幼い頃は引っ越しを繰り返し、1年以上同じ場所に定着できたのは小学校低学年の頃だった。
我が家には叔母や祖母といった家族の交流はなく、私は預かり保育の常連だった、でも似たような家庭の子がたくさんいたので寂しくはなかった。
幼稚園の頃、母が急病で即入院となってしまい母の友人宅に数ヶ月お世話になったのだが、そこで私は苦労の多い母と可哀想な子という扱いを受けた。
私は父がいないこと、母以外の親族との交流がないことで多少寂しさは感じることはあったが、そこまで可哀想だと自分では思ってなかった。
だけど、この時からなんとなく違和感を感じるような出来事が何度かあり、ただその正体に気づくことも探ることもなくすくすく育っていった。
とにかく自己中な私は、母を怒らせることが多く、1度言っても聞かないため罰として布団叩きで叩かれたりビンタされたり大事な物を壊されたりした。
でもこれは言って理解しない私が悪いので、当然のことだった。母は私を「お前は人間ではない。早く猿から人になれ」と言った。これは口癖だった。
いつからかはもうわからないけど、たくさん怒られて、痛みと恐怖でなんで怒られているのか何を反省しなければならないのかわからなくなっていった。
とにかく殴られたくない、怖い思いから解放されたい一心で謝った、何が悪いかわからず謝っていたので、その場しのぎで嘘の謝罪に意味はないと、さらに叱られ続けた。
これは大学生になっても続き、私が人間になれることはなかった。
母は用事が多く1人で過ごすことが多かった。そんな時は児童向け施設でよく遊んでいた。
広場にある時計を見て、◯時まで遊んでいいよと言われ、その時間になったら母が迎えに来ていた。
ある日、そこで知り合った同い年くらいの子と仲良くなり、一緒にイベントに参加しないかと言われた。
だけどそのイベントは母との約束の時間を過ぎてしまうもので、母の許可なく参加することはできなかった。
その子の母親が、私の母が広場に来たら声をかけてあげるから遊んでおいでと言ってくれたため、どうしても遊びたかった私はその言葉に甘えてイベントに参加した。
イベントが始まり、これまでやったことのない遊びに心から楽しみ大興奮したことを今でも覚えている。なんでこんな楽しい遊びを知らなかったんだろうと思った。
そのイベントの途中、怒鳴り声をあげてイベント会場に入ってきた大人がいた。母だった。
友人の母親とおそらく施設のスタッフに止められながらも、母は私の髪を引っ張って会場を後にした。
帰宅後、私がしてしまった行為がいかに愚かなものか叱責された。
普段は2、3回殴られる程度で済むのだが、今回ばかりは罪の重さから3日食事抜きで母は家から出たまま帰ってこなかった。
母が帰ってこなくなって2日目、痛みと空腹で私の気持ちはぐちゃぐちゃだった。
約束を破ってまで遊んでしまったことへの罪悪感とそれでも楽しかったこと、遊びたかったことと色んな気持ちでいっぱいだった。
母に強く言われたのが、もし友人と母親が悪人だったらどうするつもりだったのか、誘拐されるリスクがあるのになぜ他人を信用したのかと。
私は友人とその母親が悪人だったらという話にすごく腹を立てていた。なぜなら2人は優しくて、誘拐なんてされなかったからである。
そんな怒りと罪悪感とでぐちゃぐちゃになっていた時に、一本の電話が入った。
普段、私が電話に出ることは禁止されていたが人と喋りたかった私はまたしても約束を破りその電話をとった。
母に用事があった教師は、泣きじゃくる私の声を不思議がり「何があったかゆっくり話してごらん」と言ってくれた。
私はこれまでの出来事と痛みと空腹で辛いこと、もっと遊びたかったこと、友人とその母親を悪く言われて腹が立ったことと思っていた全てを伝えた。
要領を得ない私の話を黙って聞いていた教師は話終わってなく私にこう言った。
「よくわかったよ。辛かったね。お母さんと話してみるね。」
次の日、眠っていたら水をかけられ起こされた。
怒り心頭の母が目の前に立っていた。
「お前は反省していないようだな」と言われた。
教師から、私が電話に出たこと、電話口でとにかく自分が可哀想だと自分のことしか話さず全く反省していなかったことを伝えられたらしい。
どうしてお前はここまでしてもまだわからないのか、申し訳ないと思わないのかとさらに殴られた。
お前なんて産むべきじゃなかったと言われ、今回のことから自分が徹底的に悪であるということを言われ続けた。
この出来事と電話をきっかけに私は常に自分が悪い、自分の非から話させなければならないと強く思うようになった。
反応あれば続き書きます。
と迷いつつ、幾数年。という人はしないんだろうし、そういう自分もしないしできないですねってのが後に続く駄文のサマリ。
何とか受験戦争もおおよそ勝ち抜き、そこそこの会社でそこそこの地位について、そこそこのお賃金で、ギンギンとは言わないけど、そこそこはもらっている。
で、入社以来その収入で節約&コツコツ投資を進めて金融資産はおおよそ1億程はできて、今四捨五入で40歳。
月々の収入は50万±5万程度で、ボーナス+諸手当が年200万程位で、生活費は10万/月未満。
生活費については、家賃を抑えればあと2、3万は下げられるだろう。
だからそろそろ、まず退職して今の収入がなくなったとして、で、耐えて失業保険貰って
で、その切れ際に長期職業訓練を入れて保険を延長して、なんてつなぎを入れて、
今の生活レベルを維持するか、さらに抑えればまぁ年金まで生き延びることはできるっしょ。
ちょっと厳しければ時々バイトして、なんてので今の仕事を俺は辞めるぞジョジョォオオォ!
なんて計画していた矢先にコロナが来て、リモートベースの仕事になって
働きたくないでござる侍が活動を弱めている昨今。
その思いが揺らぎつつも、やっぱりその思いは消えてはいない。
これがやっかいだ。
そして、FIREに対抗する状況として
現在の金融市場の相場が少し冷え込んで、これからも寒そうな季節が来ている。
この状況だとしても、退場しても中長期で見れば生きていけるんだろう、多分。
だからFIREするんだって、思うんだけど。思うんだけどさ。。。
もともと、数年前に思っていて、準備していたところに
図らずもコロナ鍋が来てリモートベースの仕事になって、少し楽になった。
かといって、働かなくていいなら働きたくはない。
それはそう。
じゃあここで、辞表をWordでしたためて辞めるかって自問自答しつつ足踏みしている毎日が今なんだ。
おそらく今FIREすれば、生きていける。
仮に資産が底をついても、生きていける。
生活保護なり、それが無理でも日本という国はまぁ恵まれてはいる。
少なくとも今の自分はどの選択肢でも死を選ぶほどの最悪はないと考えられる。
こちとら、将来のリタイアを見据えて価値観を貧乏学生からアップデートしていないんだ。
過労からくる体調不良で入院して半年ほど入院した経験もあり、無職透明な生活には慣れている。
あとは決断するだけだ。
もう、合コンとかマッチングアプリで彼女を探して結婚してなんて統計的にはない年齢なんだ。
上振れを望めない年齢、立場に突入したんだから、じゃあ細く長く生きるってのがコスパとしてはベストだろうよ、と。
無職に舵を切ることに、細く長くの人生設計に対する何のリスクもないはずだ。
だけど、やはり決断できない。
今以上に資産が目減りしたら?
そしたら生活保護?
それが認められなければ、学生時代にコンビニバイトでシフトを増やしてくれって店長に懇願していたようなあのおっさんみたいになるのか?
その時にコンビニバイトなんてあるのか?シンギュラリティが来て、高度な技能以外を持つ人間以外は仕事にもつけなくて死ぬのか?
なんて考えて、幾数年。
この考えの起点に立ったあの時、数年前に即断即決でFIREしていれば。。。
あの時はヤバかった。
電車を眺めながら椅子に座り、気がついたら終電を逃して漫画喫茶に泊まり、そのまま翌日出社して。
パワハラ先輩には同じ服装をいじられて、幸運にもその日が金曜日だったので、体調不良で退社して
泥のように寝て、土日をキングクリムゾンして。
で、頭を垂れてため息の月曜日を迎えて、思考停止でパワハラを受けて。。
そんな生活が、今日、この月曜日を経験してかなり緩和されていることに気づく。
だけどまぁ、かといって無職に比してはリモートワークでもストレスはあるし、プレッシャーもあるんだ。
だからFIREしよっかな、って暗黒の月曜日を終えた今日も思って考えるけど
結局これをN+1考えて、定年を迎えるんだろうな。
だったら、糞みたいな資産形成なんかさっさとやめて、浪費浪費で宵越しの貯金はしねえってな、刹那的な生き方をすれば幾分人生を楽しめるんだけど
それもできず、ありもしない選びもしない未来への糞みたいな砂上の楼閣を夢見て資産形成をするだけで、いつか数十年後いや数年後に床のシミになって死ぬんだろう。
だけど、けれどもわかっちゃいるが、分かってはいるつもりなんだが
染みついたその価値観に基づく夢は、ハーフプライサーとしての生業を止められないし、娯楽に金を出せない脳になってしまっていて、今さら浪費もできないだろう。
本当に糞みたいな人生で、糞みたいな展望だけど、資産をためて変死するってのが、
直近十数年の結末の予想としては、単勝1.1倍位あるかなり鉄板な未来予想図だ。
辞職するぞのブレーキランプを5回なり6回なり脳内で会議で何回ぶつけても、FIREするぞの裁決になんてなりはしない。
このまま腐って死ぬだけなんだろう。
はぁ。
学生の頃は患者さん一人に一人に寄り添った看護がしたいと思ってた
でも実際に自分が就職した病院含め同期が就職した病院でもどこいっても死ぬの待つだけみたいな高齢者が沢山いる
鼻とか腕とか尿道とかいろんなところから管が繋がれまくってる骨と皮だけの体
寝たきりだから床ずれができたり排泄物の量が多くて陰部がただれたりするし栄養状態悪くて皮膚状態も全然良くならん
心臓やら腎臓やらが機能不全を起こしてるから看取り目的で入院してるのに全然2〜3年生きてたりする
その医療費だってわたしたちが支払った税金で賄われてるんだよね
意思疎通もできない高齢者が私たちの税金で長生きさせられてるのが全部無理になった
手取り13万で人の生命預かれるくらいの責任が生まれると思うか?
自分が生きてくのに精一杯な給料で、人の命預かるために必要な勉強やら看護観(笑)倫理観(笑)なんて考えて働けるわけない
やりがい搾取だよ
この前の同性婚必要なくね、みたいなやつで話題になってたけど、同性婚とまではいかなくても「結婚しないけど生涯一緒に暮らす予定です」みたいなのを表明できる制度あってもよくない?
扶養控除みたいな法律的な金銭的なメリットはないけど、喪主にもなれるし病院にも付き添えるぜ!みたいな証明書みたいな(そもそもこの辺はなくても出来るようにしようよ!って思うけど。家族でなくてもやってくれる人がいるならそれに越したことないんだから)。
わんちゃん民間のサービス(ケータイの家族割とか)は受けれるようにしてさ。
これから独り身増えるだろうし、逆に独り身同士で面倒見合える制度あればいろんな人が楽になりそうだけどな。
介護はしないけど入院の面倒くらいは見てもいい人っていると思うんだ。
数は多くないけどそれなりに需要はあると思う。
それとももうあるのかな?
当初俺は地方でも時給1000円は出さなきゃ、有給もちゃんとつけなきゃと理想に燃えてたんだよ。
そんで初期1000円で半年で1150円まで上げてさ、パートのおばちゃんたちも喜んでくれている・・・と思っていた。
んで、年末の稼ぎ時にシフトバリバリ入れてね~とお願いしたら、ほとんどのおばちゃんがバツなのよ。
わかる人にはわかるだろう。103万と130万を超えそうだって話。
あのときは自分も未熟でな。おばちゃんに出勤を強く迫ったら全員辞めた。
そして年末の仕事を一人でやるハメに。親戚に頭下げて、経験有るじいさんばあさんと力が有り余ってる学生集めて、なんとか30日までに終わらせたよ。
31日に600キロほどトラック運転して最後の納品してきたわ。年明けから入院したけどな。
今はリーダーのおばちゃんで1000円、最初は800円台でやってるわ。
体制が整ったし返済も終わったから、倍出してもキャッシュフロー余裕で利益も出るんだが、まぁそれでも集まるからね。
ゆるく、楽しく、揉めないように。週に1度は3時のおやつ差し入れ。
俺は食わねえけど、おばちゃん連中は樽みたいな腹揺らしながら楽しそうに食ってるわ。
血糖値に気をつけてな。
有給?くれって言われたらあげるよ。言われなきゃしらね。(言われた事無し)
私は戸籍制度に反発する異性愛者なので、入籍しない事実婚を選択していた。住民票は同一世帯にしたし、結婚式もあげたけど、入籍しなかった。
しかしここに書かれたような事情、たとえば入院の保証人とか手術の同意書とかと、加えて、子どもの親権の問題で、法律婚という制度を最終的に選択した。生活者としての選択です。
なので、日本ではもっとゆるやかなパートナーシップの制度があってもいいと思うし、同性婚運動の人たちも、戸籍制度の撤廃と連帯してくれないかなー、と思っている。
10代半ばから扁桃腺を腫らすようになって月に数回高熱でダウンしていたが、23のときに入院・手術で扁桃腺を切除した。
普通は扁桃腺を切ると風邪もひきにくくなり人並みの生活を送れるはずなのだが、別の扁桃腺が腫れるようになってしまい、結局毎月耳鼻咽喉科に通院している。
高熱こそ出なくなったけど、毎月毎月喉がチクチク痛みだしたら抗生物質を貰いに行ってるから医療費も馬鹿にならない。
この扁桃腺は口蓋扁桃のように手術もできない。肥大化したらどうするんだろう…死ぬの?
この喉の弱さは「ストレスで免疫が低下すると炎症を起こす」や「細菌やウイルス感染」なわけだけど、どちらも人並み以上に対策もしている。
1人で生きる方が楽ではあるが、歳をとると辛い
とにかく老後1人だと本当に辛い気持ちになる
- マスク不要を唱えたり (中国もアメリカの疫学者も厚生労働省のはじめから推奨。あくまで医療従事者に譲ってねの立場)
- 自粛不用を唱えたり (海外ではギャングですら外出禁止に協力)
- 感染症死亡者をプロトコルに従わず安易に近づける見解を示したり(肺に溜まっている空気や体液ほか安全を守る上では充分に気をつけねばならない)
- 集団免疫カルトを唱えたり (日本だけワクチン開発から降りたら?)
- 院内感染起こしまくっているのに、検査不要を唱えたり
- ドライブスルーを日本でも過去やってたことを無視して否定したり (現在、日本国内でも一部地域でやってる)
- PCRは感度が低いって言ったり(日本だけ疫学に使えないレベルだそうです)、検査限界があるって言ったり(実際には民間にたくさん検査出来る会社があります)
- 子どもは感染しない、子どもを含めた若者は重症化しないと、一斉休校を非難したり (基礎疾患のない10代の死亡が先進国でも確認されている。日米の小児学科と中国人研究者の見解は罹患率は成人と変わらない)
- ニュースで取り上げられるレベルの論文、科学読み物で取り上げられるレベルの論文に目を通していない、 海外の学会の見解/動向/共有を無視どころか、 日本の国内の学会の見解/共有とすらも一致してない
- コロナ以前に五輪もあったのに感染症対策に無策だけどSNSで暴れたりTVに出たり本を売る時間はある
- 日本の研究費の遥か下のベトナムやタイにワクチン開発で負ける
- 救急車で搬送拒否がなされ死者が出ている状況の中、上級国民は検査入院が出来るし、それを隠そうともしない
- 日本の病院は公共財だと法律で定められていることを知らないかのような言動をするアホども
なお、空気感染についてだけは、心あるアカデミアの人がツッコミを入れてくれました
https://mainichi.jp/articles/20220329/k00/00m/040/168000c
もっとも他の感染学の人も以前から声上げてたけど謎の力学で無視されてただけなんですけどね😒
https://www.m3.com/open/clinical/news/article/835300/
あなたの人生で、一般的な人に比べて時間をかけて達成したものや得たものについて教えてください。
私の好きなとある写真家が、撮りたいと思ったシーンの写真を撮るのに三年かけたそうです。
私の知人の話ですが、10年かけて、カエルの鳴き声の周波数が個体によって異なる(全体で重ならないようにしている)ことを突き止めたそうです。
そこには一般人のよくある好奇心を超えた、執念に近いものを感じました。
私は、ある人がその他大勢の人よりも何かに集中し、没頭し、時間をかけて達成したものに感銘を受けるタイプのようです。
時間はかかっているが突出していないエピソードには感銘を受けません。
来月くらいにボーナスが出るらしい。
巷では270万出たなんてツイートが話題だが、俺はその十分の一くらいが手取りで入れば御の字という感じ。
でも、それが入れば、貯金が3桁万円の大台に乗る。
この貯金はいわゆる「万が一入院した時のための金」とかとは完全に別になってる分で、消し飛んだとしても(俺のメンタルが致命傷で済む点を除けば)困らない。
借金や奨学金の返済に充てるとか、結婚するから初期費用がとか、そういうの一切想定しなくて良い金ということだ。
はてなーは金持ち多いだろ。投資がどうのとかよくやってるだろブクマで。
あとMacBookの新作が値上げしてるだろ。日銀の総裁もいけ好かないこと抜かしてるし。
普通預金で持っとくのって、なんか損かなって思うんだよね。
資産運用っていうのをやってみたいんだけど、どういうのがいいか教えてほしい。
或いは、誰に聞けば/どういうことを調べればそういう情報が入ってくるかのヒントが欲しい。
教えてくれ偉い人。
金持ちのすなる「お金に働いてもらって増えてもらう」とかいうものを、貧乏人もしてみむというやつだ。
追記:
ちょっと見ないうちにいっぱいトラバとコメントついてて嬉しい。
みんなありがとうございます。
FXは昔やって10万くらい溶かして終わったことあって、二度と手ェ出さないって決めてるからごめんな。あれは結果的に金が増えたとしてもメンタルの収支が割に合わなすぎる。今ロシアとウクライナで世界中アレだし。
個別株も無理。俺もう自分が今やってる仕事でいっぱいいっぱいで、興味を持ってないことにそれ以上アタマ働かせる余力がない。脳みそオーバーヒートして死ぬからごめん。
「普通の人が資産運用で99点取る方法〜」の記事はいいな。こういうのから始めてみる。ありがとう。
あと積立ニーサとイデコも調べて始めてみようと思う。ほったらかす分には構わない金だ。最短でも10年とか、何ならそれ以上寝かせてもいい。
自分の贅沢に使っちまえ案、すごく良いんだけど、やめておく。
俺はもうだいぶ自分のために好き放題してきて、田舎の家も継がずに飛び出してきたし、やりたいことしかやれない続かないたちだから仕事も自分のことだけ考えて選んだし転職もしたし、何というか、自分のために動くのに飽きてきてる。飽きたことにかける金としては、俺的には、額がデカすぎる。
母の日父の日、今年の分はもう手配したし、そもそもあんま高いモン贈れない。高い額が毎年続かないし、受け取る方がビミョウな顔になる。そんな金あるのかよって。
結婚してたら、恋人がいれば、その人と楽しくやるために使っちまえたんだろうな。
追加その2:
俺はもう若くない。30代後半。
コロナ前は十分いろいろチャレンジしたよ。一人ハンググライダー体験とか一人海外旅行とかな。面白かったよ。興味があるなら一生に一回くらい経験しといて損はない。
でも今、もう何にもやりたいことがない。
いや、強いて言えば結婚して子どもをもってみたいが、子どもって育てるのにいろいろ要るじゃん。家とか金とか時間とか。あと言うまでもなく伴侶とか。
俺がイデコとニーサで増やした程度のカネじゃあ、俺の奥さんになる人も、生まれる子どもも可哀想ってもんだろ。
「入院とかのための金」は30万くらい。それくらいいつでも動かせるようにしとけば、病院もまあすぐには追い出さねえはずだ。そうだろ?
幼稚園無償化された時保育料を前年より上げた園が結構あり軽く問題になったのと同じ
上がった分は料理が豪華になったり全室個室だったり産後マッサージがサービスでついたりする
義母が精神疾患で入院している最中、義妹が小鳥の雛を飼い始めた。
初日、義妹よりも私に懐いているかのように見えたらしく、少し嫉妬された。いや餌食わんのはまだ腹いっぱいなだけやろ。落ち着いてや。
そしてラインで連日送られてくる小鳥の成長日誌。懐いてくれた感じなのね、良かったね。
嫉妬されなくて済むからめちゃめちゃほっとしたし心からおめでとうだけど、その長文に見合う返信はちょーっと無理かな…短文で許してな…
ところで義母入院中の生活費、自分で賄えていないみたいだけど大丈夫なん?義母まだ拘束具外せんでおるくらいやし、退院したところでたぶん自宅に戻せないけど…てかそもそも義母の妄想聞かされることで自分が病んでやばいて言うから、義母入院させるために私が奔走したんはもう忘れとるん?喉元過ぎれば熱さは忘れてまうんか?
んで希死念慮ある限り義母は自宅に戻せないから、年金は全て義母の入院費か施設の入居費用になるよ?あんたはあんたのお金でやってってくれんとだよ?義母に万が一があったとしても、うちはあんたの面倒はみれんよ?
義父の遺産は全てそちらに渡してるし、義母のだってそうするので、うちは頼りにせんでくれな…
結婚してくれたらなーと思うけど、義妹も精神疾患抱えとるし、そもそも結婚願望もないみたいやから可能性高くないからしんどい。泥沼家族から離脱して一人で生きる選択も視野に入れんとやなぁ…子供おらんのはある意味よかったわ。
あの家族がああなったのは、暴言暴力浮気不倫別居とネタ満載義父が元凶やけどさ。かわいそうとは思うけど、私には背負えんのよ。旦那は未だに母親の精神疾患を受け入れられんでおるし。
長年病んでたからね。病みつつも自殺未遂はしでかしてなかったから、今更「いつ自殺してもおかしくない精神状態」って言われても信じられんのやろな。でもお前の会社の同僚、未遂してなくても実際に自分で自分を始末したやろって感じなんだけどね。それも一人じゃなくな。
ほんま何で私がそこまで教育せなあかんのや。母親が自分で入院費用を出すとは思えん、母親の年金はアテにしちゃいかん、うちに引き取ったところで昼間に誰もおらんから面倒はみれん、だからばあちゃんのいる母親の実家に預けたい、ってそれ正気?田舎で健やかにお過ごしのばあちゃんまで病むぞ?同居のおっちゃん地獄やぞ?
入院しっぱなしの母親がかわいそうなんは分かるけど、母親のためにばあちゃんおっちゃんに人生背負わせるほどの迷惑かけるんかお前は?ため息しか出ん。
実家で過ごしたところでよくならねーよ。向こうでも幻聴幻覚当たり前だったやんか。そもそも何もせんでも良くなるっつう幻想を捨てろ。ずーっと病んでたのを、ずーっと見ないふりしてたのはお前やろが。手の施しようがある時点でも、ロクに話も聞かずに見ないふりして母親の愁訴にフタしてきたんはお前やんか。怒鳴りつければ大人しくなるって、安直なことばっかしやがってアホが。早い段階で介入できんかった私もアホやけどさ。
正直自分は幼児期から出来が良くて勉強もすごくできたけど、親、特に母親からは手放しに褒められた記憶なし。自分の子どもの出来が良いことに喜ぶようなそぶりもなし。
どんなに良い成績を獲っても、一番ましな時で「あんたの100分の1でも○○(弟)ができたらね」と疲れた顔で言われた記憶しかない。悪い時は「成績が良いからって調子に乗るな」と言われる始末。
小さい頃から「生意気だ」「育てにくい」「贅沢」「気が強い」「わがまま」と言われ続け、小学校高学年になった頃には反抗期で親との関係は悪かった。
ずっと成績は良かったけど、相変わらず良い成績を獲っても特に誉められず、常に「扱いづらい娘」という空気を母親には出されていた。
「あんたがいくら勉強できても、○○(弟)の方が優しいし、人間そっちの方が大事」みたいなことを何回か言われたこともある。
母親は精神疾患持ちで、物心ついて以降少なくとも小学校の時、高校の時の2回長期入院。
特に高校の時は反抗期で荒れていた自分のせいにされているような空気を感じていた。(実際の原因は職場にあったよう)
母親からは妄想も入り混じって時には暴言吐かれたし、こちらも相当なことを言っていたと思う。
他の親が当たり前にやってくれる様々なことはやってくれず、他の親が関心を持ってくれること(成績とか)には全く興味がなく、ただただわがまま言わずにとにかく大人しくしといてくれ、としか思われていない感じがずっとしていて、辛かった。
弟の軽度知的障害も母親の精神疾患も恥ずかしかったし、障害の有無関係なく弟のことは人間的にあまり好きになれなかったし、今もなれていない。
そんな家族が嫌で早く出ていきたくて、勉強して良い大学に入って良い企業に入ってお金を稼いで家族とは物理的にも精神的にも距離を置けることを願っていた。
離れてからは母親との関係も改善して、たまの里帰りは楽しくできるようになっていた。弟の存在はやっぱり嫌で、両親亡き後のことを考えると本当に気持ちが暗くなって、自分が一人っ子だったらどんなによかったか、とよく思うようになった。
問題ばかりの家族で最悪な環境だったと思っていたけど、弟さえいなければ両親のことももっと好きになれたし、普通にまあまあ良い家族になれたんじゃないか、と何度となく夢想した。
子どもが出来た時は弟のこともあり、遺伝カウンセリングが胎児エコーなどできることはなんでもやった。
今のところ子どもは健常で、幼児期の自分と同じように周りよりも発達が早くて賢くて自慢の子どもだ。
自分に似て気性が荒いところもあるけど、そこも含めて本当にかわいくてかわいくて仕方がない。
自分の子どもを育てるうち、自分には母親に手放しで可愛がられた記憶が一切ないけど、もしかすると弟が生まれるまでは自分もこんな風に愛されて可愛がられていたんじゃないか、と思い始めた。
確かに自分に子どもが2人いて、そのうちの1人は平均よりもずっと勉強ができるがもう1人は知的障害でごく普通の人生さえ送れない、という状況だったら、どんなに平凡でも2人ともに「普通」であってほしい、と願うかもしれない、とも思った。
自分の子どもに障害があるかも、という状況でその不安を隠して上の子を愛情いっぱいに育てられるようなキャパは確かに母親にはない。
もし知的能力が移譲可能な世界であれば、私は弟に足して2で割った差分を譲るべきなのか。
幼児期の私の気持ちはどうなるのか。小学校の時の私は。中学高校の私は。
頑張っても親に褒められず喜ばれず、何をしても疎ましそうな顔で見られ、二言目には「贅沢」「わがまま」「上を見過ぎ」と言われる。
今、褒められないながらも勉強を頑張ったおかげで、社会的にはまあまあ成功している部類だと思う。子どもの頃散々親に言われた「贅沢」で「上を見過ぎ」な生活を送っている。
親は、そんな言葉をかつて娘に投げかけたことは綺麗さっぱり忘れ、高学歴で社会的に成功している娘家族を、昔からそうしてきたかのように褒め、出来の良い孫を褒め、手放しで可愛がっている。
ただ、今どうしても許せないことがある。
人並みの親孝行として両親を家族旅行に誘うと、当たり前のような顔で弟も連れてくる。
良い大人なので、連れてくるなとは言えない。
でも、小さい人間だと言われるかもしれないが、最悪だった家族環境で努力して手に入れたこの私の幸せな家族に、両親は屈託なく参加し、そこに私が嫌っていることを間違いなく両親も知っている弟を平気な顔で毎回連れてくることが許せない。
弟が一人で留守番できないということはなく、両親が私の家に泊まるような時はさすがに連れてこない。
両親はあまり出来た人たちではないので、この気持ちをぶつけてもオロオロするだけだということはわかっている。
両親は両親でかわいそうな人たちだということもわかっている。
自分達には手に余る障害児育児に苦しみ、上の子の反抗期に苦しみ、自分や妻の精神疾患に苦しみ、という時期を経て今は子育ても仕事も落ち着いて、孫も可愛くて、幸せそうにしている。
そこに水を差すのは心苦しい。
でも、幼児期からのこの自分の苦しみを、誰にも言わず、自分だけの中にとどめておくのが辛い。
両親にぶつけたいと何度も思ったけど、もう老い始めているあの人たちから納得のいく弁明を聞けるとも思わない。
ただただ辛い。
旅行に弟が来なければ、ただの親孝行としてこちらも楽しめるのに、と思う。
これからも弟を連れてくるのなら、もう二度と行きたくないと毎回思う。
連れてこないでほしい、と言うことがどんなに大人気ないことかもわかっている。
どうしたらいいのかわからない。