はてなキーワード: 兄弟とは
地元の方言は癖が強い方だけど、そっちの方言は滅多に出ない。地元の人と喋ったら出る。
大阪に数年住んで移った関西弁は、東京でも地元でも勝手に出てくる。エセ関西弁だから直したいけど直らない。
不思議なことに、関西に住んだ兄弟も同じ現象が起きている。実家に帰ると、関西弁+時々地元の方言になる。最近は関西に住んだことのない両親にまで関西弁が移り始めた。
敬語で話している時は共通語。でも日常会話やタメ口になると中途半端な関西弁。
たまに「東京に来ても関西弁をしゃべる人は我が強い」と言われるけど、勝手に出てきてしまうだけで、関西弁をしゃべろうと思っているわけではないのかもしれない……と思う。
5年間一緒にいたねこを手放すことになりそうなので、自分の気持ちの整理のためにつらつらと書く。
5年間一緒にいたねこは私がはじめて選んだ家族であるし、人生のパートナーである。
私がこのねこと出会ったのは運命的でもなんでもない、保健所で一緒に暮らすねこを探していたときだ。
当時の私は自堕落的で、アルバイトとして働いてはいるものの、なんの目的もなくただダラダラと呼吸をしていた。働くということがまま苦痛であったし、大きなトラブルはないのに人といることに疲れていて、未来なんてどうでもよかった。死ぬほどでなくとも積極的に生きることもできない、そういった自分が嫌ではあったものの、特に変えるための努力もする気になれなかった。
ふと、自分が猫を飼ってみたかったことを思い出した。昔は無理だったが、今ならそれを実行できる環境にいる。短絡的ではあるが、働くことも人と付き合うことも生きることも、私だけの猫がいればできそうだった。
すぐに保健所に電話をして、引き取れそうな猫はいるか確認をし、年明け後にすぐ猫を見に行った。私の数少ないいいところはすぐ行動に移せることである。
保健所には十数匹の猫がいた。仔猫もいたし、成猫もたくさんいた。
仔猫はきっと他の誰かが選んでくれるだろうと、私は成猫を引き取るつもりでいた。それも誰も引きとらなさそうな猫を。
成猫を探しているというと、職員さんは1番奥のケージを見せてくれた。ハチワレ猫と黒猫の2匹の兄弟が目を丸くしてこちらをみていた。ハチワレの方は怯えていなかったが、黒猫の方はすごかった。私を確認するなりケージの隅へ避難し丸くなり、全神経をこちらに集中させていた。
誰も引きとらなさそうな猫と決めていたが、その様子を見て少し怖気付いた。なにしろ私は猫を飼ったことがないのである。
職員さんにどちらかを引き取ることにしますと伝え、一週間後に迎えに行くことになった。
一週間結構悩んだ。いっそのこと2匹一緒に引き取ろうかとも思った。そうしなかったことは今でも悔やんでいる。
受渡日当日、私はまだ決められずにいた。
もう一度直接みて決めるしかできなかった。
私たち人間の緊張を感じ取ったのか、一週間前はリラックスしていたハチワレも、その日は警戒心をむき出しにしていた。黒猫はそもそも初対面の時から私を警戒していた。
黒猫がキャリーケースに入れられている間、私は飼育に関する誓約書や、外飼いされる猫の悲惨さ等の書類と対峙していた。余談ではあるが、この保健所は非常にいい保健所で、職員さんたちはみんな動物に対して愛情を持っていた。私がカウンターで待っている間、少し離れたところにいた職員さんが業務を止めてさみしそうに、でも本当にうれしそうに、飼い主さんがきまってよかった〜〜よろしくお願いしますと伝えにきてくれた。
少しして、遠くの方からアオ〜〜と悲しげな大声が聞こえはじめ、キャリー片手に職員さんがやってきた。
では、よろしくお願いしますのひと声とともに黒猫の入ったキャリーが渡されて引き渡しが完了した。
大きな黒猫は怒り混じりにずっと鳴いていて、施設内の人たちは物珍しそうに少し笑いながらこちらをみていた。
黒猫は1年ぐらいは慣れないかもと職員さんから伝えられていたが、1月ほどで私に腹を見せ、擦り寄ってきた。
毛はふわふわでの長毛で、声は高く、ずんぐりとした樽のような胴体に、ポンポンのような短い鍵尻尾を持つ大きな黒猫。
食べることがすきで、度々勝手に餌袋を破り思う存分腹を満たした困った黒猫。よく私のお腹や膝の上に乗っては機嫌良く撫でられていた。
本猫の努力もあり、ちょっとしたダイエットに成功した後は歩くたびに伸びたお腹の皮が左右にたゆたゆと揺れる。水のように柔らかい。目が合うと短くンニャと鳴く。寝てる私の気を引きたいときはゆっくりと私の顔に爪を立てる。歩くときは爪を出さず。
前歯がすきっ歯で、獣医さんに相談するまで、自分の不注意で歯を一本無くさせてしまったのかと思っていた。
はじめて黒猫を洗った時、シャワーをかけ続ける張本人である私に、震えながら縋りつくようにして膝に乗り、その日から度々、私がシャワーを浴びている間は心配そうに浴室の外から私を見守ってくれる。目が合うと小さくニャッと短く鳴く。
もう1匹の新猫を迎えた日、大いに不満もストレスも抱えただろうに、一週間後には新入りを舐めてくれた。
その新入りした仔猫は多種多様なアレルギーと喘息を持ち、ご飯に対して気難しかった。
歩くときは爪を出さない大きい猫と、歩くときも爪を出す小さな猫。
視線だけで訴える甘え下手な大きい猫と、鳴いて物事を要求する甘え上手は小さな猫。
どちらも私がそばに行くだけでゴロゴロと喉を鳴らす気前のいい猫。小さな猫は尻尾を震えるほど立たせるので分かりやすい。
車に乗せると怒鳴るように鳴いて不満をぶつける小さな猫。以前はほぼ毎日のようにしていた喘息も、最近は全くといっていいほど出なくなり、落ち着いてきて本当によかった。
間違いなく私の人生は救われたし、大袈裟でもなんでもなく、今の私がいるのもすべてこの猫たちのお陰だ。
たまに、猫の死について考える。そのときは必ず火葬や仏具について泣きながら検索する。それは今から心の準備をしておかないと、駄目だからだと思う。
いつか私は猫たちを看取って、小さな骨を拾い、猫の思い出が残る家で生きていくものだと思っていた。
まわりは、配偶者が猫アレルギーで喘息であるなら猫を手放すのが当然だという。それが極端だといってくれる人もいる。
私は、猫をペットとして飼っていない。家族として接し一緒に生活してきた。
ひとりは、猫に依存すること自体間違っていると言う。自分のことしか考えていない、今が変わるときとも。きっとその通りなんだろう。
猫と別れる選択をした場合、おそらく妹夫婦が猫を預かってくれることになる。
それは逃げだと言われたけど、一軒家でも同じ建物内に猫といたくないと言われたら、私は離婚以外この選択肢しか選べない。選べないことに絶望する。
今までの薄給をほぼすべて猫に関することに費やしてきた。観葉植物も空気清浄機も、Amazon Echoもデジイチも、オイルヒーターも除湿機も。他の人には一見関係ないものも、すべて猫に関係している。
一緒に暮らしてきた猫と完全に人生を絶たれれば、私には働く理由も欲しい未来もほとんどがなくなる。と思っている一方で、人生を救ってくれたこの猫たちと別れたあと、意外と平気で生活できそうな気もする。私はそれが怖い。
配偶者は、私が猫を選んだとしてもだれも責めないと言ってくれる。
かといって、本当に我儘に生きてきた私に怒ることなく辛抱強く優しく誘導してくれる配偶者を捨てることも私にはできない。惚気になるが、この人は少し鈍感なところもあるけど、本当にできた人間で、こんなウジウジとして怒りっぽく自己中心的な私にはもったいないくらい良い人だ。猫も人も、私には本当にどちらかを完全に切り捨てることが怖くてできない。
だからせめて、妹夫婦に一時的に猫を預けるということに今はさせてほしい。この先、絶対にまた一緒に暮らせる時がくるという希望がほしい。気兼ねなく会いに行くことができる人に預け、猫に関する費用を払うことで、私を関わらせてほしい。
猫にも配偶者にもどちらにも誠実でなく、妹夫婦にも負担を強いるという選択を取ろうとしている。猶予はまだある。もしかしたらもっと違う選択をとるかもしれない。
二週間後に結婚式を控えている。
家族だけの数人の小さな式を予定していたが、コロナで2回延期をした。
遠方から来る家族が不安を訴えていたし、みんなが少しでも安心して出席してもらえるように考えての延期だった。
コロナの感染人数も減ってきて、少しは安心して結婚式ができるだろうと思っていたら、コロナの出ている都内に行くことはできないから出席できないと親や兄弟から連絡が来た。結果新郎新婦と新郎母の三人だけの式になってしまう。
みんなが喜んでくれるように考え準備してきた結婚式だったが、お金がかかるだけで披露宴までする意味もなくなってしまった。
来れないと伝えてきた家族に嫌な気持ちを抱いている自分が嫌だ。
親すら来れない寂しい式を挙げる自分が恥ずかしい気持ちもある。
誰にも祝われない自分が情けない。
コロナが憎い。
いやただの兄弟
兄弟自体は結婚式したく無いけど嫁さんの長年の夢だったからめちゃくちゃイライラしながらも付き合ってる
式ですごい衣装を着なければいけないらしくそれが恥ずかしくて家族に八つ当たりしまくってる
俺は中立を保っているが欠席するとなれば殺されるかもしれん
ーー
当時、日本には約60万人の在日朝鮮人がいて、終戦後、多くの人たちが帰国しましたが、まだ日本に残っている人たちが北朝鮮に移住して、人生をやり直そうとしていました。その頃は、韓国よりも、北朝鮮のほうが発展しているように思えた時代です。今では考えられませんが、北朝鮮は社会主義の国であり、社会主義の理想がまばゆく思えた時代でした。
帰国事業では合計9万3000人もの朝鮮人が新潟港から船に乗って北朝鮮に渡りました。日本人妻も1800人ほどいます。私は帰国協力会に8年あまり在籍し、155回にわたって北朝鮮に渡る船を見送りました。
当時、〝帰国3団体〟として、朝鮮総連、帰国協力会、日朝協会があり、新潟県帰国協力会・日朝協会の事務局員は4人全員が共産党員でした。また朝鮮総連の人たちも、戦後すぐは日本共産党員として活動していた時期がありました。
帰国事業は自民党や社会党などの超党派で帰国協力会を推進母体として組織し、多くのマスコミも応援して実施されたものですが、その手足となって支えたのは日本共産党の党員です。
当時、日本共産党は北朝鮮の朝鮮労働党と名実ともに「兄弟党」の関係にありました。帰国者のほとんどが実際は韓国地域の出身者でしたが、その人たちが自分の故郷とは異なる北朝鮮に渡るということは、平等な社会建設という〝新興宗教〟のようなイデオロギーを信じていたからにほかなりません。
MDGsで解決しようとしたのは「極度の貧困」で、これは一ヶ月の消費額や援助額すべて含めて5000円くらいの生活になる。日本で言うと、火垂るの墓に出てきた兄弟みたいな暮らし。2000年時点ではそういう人は基本的にいないから、MDGsはあまり日本では盛り上がらなかった。
この映画、凄いよ。
ネタばれ全開なのでそれだけ注意。
原作と違い、極限状態関係なく黒幕以外みんな狂ってる状態からスタート。
「完全に男性のみで関係性が閉じており、唯一の女性はなにもせず、なんの被害もうけず、しかし利益だけを享受しているもののその描写はなく、ただ全体の支配者側である」ってことが全体の特徴。
これほど完璧な皮肉があるかって話。狙って作ってなかったらそれはそれで凄い。
親に従うことでやりすごしていたが、結果弟は耐えられず自殺を図り、その場に居合わせたが手を差し伸べられなかった。
虐待を回避する方法はおそらく勉強してよい成績をとることで、弟はできず暴力をうけていた。
金を稼げない無学な男性はカスで弱者だということを示しているキャラクター
コンビニバイトで食いつなぐ、自分の境遇は全てが大人が悪い・社会が悪いというステレオタイプな弱者男性。
いじめにあっていたなどの言及もあり相当なうっぷんはたまっているのだが、その矛先は経営者のおっさんに向かい、女性に向かうことはない。
詳細の描写はないがいじめを受けていてもだれも助けてくれなかったか、あるいは親から虐待をうけていたと考えられる。
周りの男性を怖がる描写はあるが、唯一の女性には特に拒否反応なし。
家族か身内のイベントに間に合わせるために脱出を積極的にめざす唯一まともな男性。
原作の脱獄犯ポジションではあるが、普通の整備工のようで特に悪人の要素はなく、
なんだかんだ周りを助けてくれる口調の悪いだけの善人。
広告会社の役員であり、世の中が悪いのは努力をしない若者が悪いんだというこれまたステレオタイプなおっさん。
やたら高圧的に周りにあたるし、子供にも暴言を吐くが、女性にはその矛先は向かない。
甲斐麻子 (杏)
黒幕。
びっくりするぐらい何もしない。
CUBEのシステムにリンクしているようで、トラップの有無もわかっているようだが特に何もしない。
作中では何度か上のキューブに昇るために安東と宇野がシャツのロープで引き上げられる描写があるのだが、なぜか彼女が引き上げられる描写は全カットされてたはず。
まあ女性を男性が助けるのは当たり前すぎて描写する必要すらない。
一応端っこの部屋があったと主張はするんですが、管理者側なので全員を合流させるためにあえて流したんだろう。
総合してみると描写が一貫していて、強い男性が弱い男性を支配・搾取して、弱い男性の怒りは強い男性に向かうけど、でもその全体の支配者は女性という構造。
まさに現代の縮図。
その男性描写があまりにステレオタイプなために滑稽な印象が強くなり、だからこそ女性のノータッチ、特権ぶりが強調されてシニカルにオチに繋がるのは実に美しい。
原作における暴力的な黒人男性をキーとして、大学生および医者に学のある女性を配置した上でキリスト教的な罪を語る姿勢と見事に一致していると感じる。
スリラーとしてみると無駄がなく完璧な構成だった原作とは比べ物にならず、描写も全年齢相当で甘く、エンタメ作品としては褒められたものではないけど、
大正時代末期のことだが、九州の資産家であった港町の「太田家」が、高原町の旧家である「川瀬家」に2代続けて婿を送り込み、代わりに、太田家の根岸町の土地を川瀬家に与えたということがあった。太田家の婿は川瀬家の先代の婿が起こした養父殺し事件を隠してやったりもしている。
さて、1代目の「太田ナヘイ」は高原町に水力発電所を建て、戦争中には国策に従って国に譲渡して、戦後に早世した。2代目の「太田カクオ」は東京で陸軍士官学校の化学教授となったが戦後九州に戻って2年目に没し、元太田家の土地もおおむね没収されている。死因諸説あり、戦犯処刑だった可能性もある。もちろん2人とも苗字は「川瀬」姓になっている。おそらく太田家が、太田の名を使いたくなかったのだ。
3代目の「川瀬マツオ」は、カクオが没したあと家財を売りながら兄弟姉妹とともに東京に戻って大学を卒業し、国の研究所に勤めた。ところが、留学研修の前に牟田サエと出会ってしまう。サエは九州のある杜家の縁戚の娘で、戦争推進に励んでいたある大手キリスト教会の会員であり、かつ国営通信会社社員で、マツオが出入りする将棋クラブにいた(サエの父親は外務省の諜報員だった)。マスオは、奸計家で暴君のサエと結婚してしまったのちは振り回され、子の世話をさせられたり、おかしな弁護士を紹介され散財させられたりした。しかし研究所もきちんと務めたという。
そのマツオの息子は防衛族家系の娘と結婚したが、娘のほうはIT企業にいたところ不審な事故に遭って婚約者を亡くしたうえ、サエを介してトラブルに巻き込まれているようだ。
この話にはもちろんフェイクを入れたが、元日本ナチスの軍閥系家系に取りつかれた家の話ということになろうか。
なぜ川瀬家に取りついたのか不明だが、川瀬家は九州の家であり、近畿に遷都した皇族家系とは違うほうの旧家らしい。
しかし、何よりマツオとその娘が可哀そうだ。
隠す理由は無いんだよね。婚約者が奨学金を獲得して在学中ということは、常々宣伝されていたから。卒業したことが恥ずかしくなるような、三流大学という訳でもないでしょ?
弁護士試験の合格者名簿も、希望者が氏名非公表にしてもらうことが可能というケースは、犯罪被害者保護プログラム対象者とか、DV被害から逃げている人とか、独裁国家の迫害を逃れてアメリカに亡命してきた人が報復を逃れるためとか、そういう理由だもん。わざわざ合格を非公表にする理由が無い。弁護士を目指していて法律事務所で働いていることも公表済みだし、ましてや、つい先日「論文が優秀賞受賞!」と大々的に報じたぐらいなんだから。
一般人だから放っておけと言うけれど、軽装で冬の富士山に登ろうとする人を見掛けたら、止めた方が良いよとか、準備はちゃんとしようとか言いたくなるじゃない?十中八九、滑落してミンチになると分かっていて見過ごす?
銀行で地道に働き続けるか、仮に外国の弁護士資格を目指すにしても、先ずは日本で司法試験合格して段階的に実績と経験を積むべきだったんじゃないかなあ。母国語ですら司法試験合格なんて大変じゃない?大変なことに挑むのは立派なことだけど、立派なことだからこそ準備は必要なんじゃないの?
知人に妊娠して学生結婚した人たちがいて、彼らは留年も浪人もせずに卒業就職して、後から親兄弟を納得させたけれど、そんな立派な人たちでも他人に対しては「きちんと基盤を築いてから結婚する方が良い」とアドバイスしてるよ。自分たちが苦労したからこそ。
自分は弱小カプの字書きである。一ヶ月以上かかって、わりと長い小説を書き上げた。ブクマの通知を見た時すごく嬉しくなった。
けれど、このカプにも、この界隈にも、嫌なところがあるのだ。コンテンツじたいは素晴らしくて非の打ち所がないものであると思う(だってCSゲーだもの、安定してるに決まってるわ)。人間がダメなのだ。ゲームとアニメじゃ内容、世界観、キャラの性格や境遇、全て違うのにそれをごっちゃにする人ばかりだし、逆カプはキャラヘイトしかしないし、自カプも攻め違いや総受けやリバばっかり。しかもクッッッッソみたいなキャラ崩壊が蔓延りまくりで他人の二次創作が一切見れねぇ。自カプの受けは逆カプ界隈ではアニメ設定とごちゃまぜの変態ストーカーセコムサドマゾだし、ストーカー扱いはクソのせいで界隈外にまで定着しやがっている。不快でしょうがない。自カプの攻めはゲーム設定ガン無視の言葉も喋れないアホな赤ん坊にされる。当たり前の設定も理解してないくせに二次創作するとか175かよ。ちなみに自カプの場合はヤンデレクズ化。最低だな。
一番解釈に共感出来るのは受け違いカプ推しの方って始末、もう散々だ。いつかこれが自界隈の拡散力のある誰かに届けばいいのに。拡散されてみんなが知って反省すればいいのに。二次創作なんて存在しなくてもコンテンツは続いていくのだから、クソは全員いなくなればいいのに。
それでもコンテンツのことは当たり前に大好きだ。素晴らしくて美しくて浪漫に満ちている。
これはとても傲慢なことだけれど、自分の解釈がスタンダードになればいいのにと思う。そんな世界ならきっと楽しい。そして、それは自分に絵が描けたならば少しは実現に近づくことができたものだろう。今でも頑張って絵の練習はしているけれど、それでもやはり難しい。今の目標は自分で書いたはなしを漫画にすること。何年か後に出来ていたら嬉しい。そしてもっと後、増田がもし残っていたならばいつかこれを見て笑えるだろうか。
ところでさぁ
今流行りのジャンルの最大手カプあるじゃん、関係性薄いやつ あれパロばっかあるよね!?むしろそれ以外あるの!?原作での接点薄すぎて書くことないの!?変態ストーカーセコムサドマゾ×純粋ぽやぽや受けたん♡とかうちの逆カプとそっくりじゃん?こういう系統のカプの女っていっつもそうなってる気がする!もいっこ前の流行りジャンルもふたつ流行ってたよね、途中で死んだ頼れるかっこいいひと×主人公のと、嫁持ち×ビビリメインキャラのやつ。全巻読んだしめっちゃ面白かったけど二つ目の接点薄い気がする!!!書くことあるの?ないからパロばっかり書いてるのかな?
ついでにさぁ
愛されとかいうカテゴリマジでなんなの?意味分かんないよあれ 愛されっていうか恋されじゃん恋されって名乗りなよ 恋愛と友愛と家族愛と兄弟愛とそのほかもろもろ人類愛とかとを区別しないのほんと憎いんだけど???「恋愛でない愛」というものに対して意味の分からない多大なるこだわりを持ってるから腹立つ そもそもそのキャラそんなにみんなによ〜しよし♡ってストーカー&セコムされるキャラじゃないでしょ、そいつに塩対応してるようなキャラでもゲロ甘対応してんのキャラ崩壊激しすぎてクソ
と言っていた過去のことを都合よく忘れて、共産党が実際に表現規制推進に動き始めると「同じことをしている自民党を批判しないオタクは馬鹿」とか言い始める、一部のはてなユーザーたちはスゴイなあと思う。
「同じことをしている」だよ。
標準レベルの知的誠実さを持ち合わせていれば「共産党が自民党と同レベルだったことを見抜けなかった。自分は『肉屋を支持する豚』だった。こんな自分が恥ずかしい」と思うのが正常な反応じゃないの?もしも自分が彼らの立場だったらと想像したら、顔から火が出そうなぐらい恥ずかしくなると思う。もしも自分が「共産党は自民党とは違うんだ。そんな共産党を応援せずに自民党に投票する奴らは馬鹿だ(共産党を支持する自分は馬鹿どもとは違う)」と他人にアピールしてて、実は自民党と同レベルと発覚したら、洗面台の鏡で自分の顔を見られなくなると思う。
何で彼らは平気なんだろうか?心の底から不思議だ。二重思考を身につけて、偉大なる兄弟を心の底から愛してる状態になったのか。
すでに息子が一人いるが、以前から二人目が欲しいと言われていてかなり辛い。
妻のことは当時も今も愛していて、妻は子供が好きなのもあって、"子供は作らない" と簡単に告げることはできなかった。自分は自身の時間も大事にしたいとも強く思っていて、それが削られるのも嫌だなぁという気持ちがあった。ただ、妻に一生我慢させるのもそれは違うので、最終的には、「一人なら子供が好きじゃない自分でもなんとかなるかな..気持ちも変わるかもしれないな..」と思い、長男を授かった。
実際のところ自分に子供が生まれてみると親としての感情なのか、可愛いと思う気持ちはあるし、人生が幸せになってほしいと考えられるようになった。それでも、同時に「愛するように努力しなければ」と意識している自分もいて、本気で無償で子供を可愛いと思っている人とは根本から考えが違うなぁと感じる機会も多かった。保育園で自分の子供以外の子供を見ても特に可愛いとは思えない。ただ、生まれてきた子供には何の罪も無いので、自分のこの気持ちは息子は一生知らなくてもいいかなと思ってる。
今現在は時間的や精神的な余裕があり、子供が一人であることによる恩恵が多い。本人が興味をもった習い事もさせてあげられているし、ある程度欲しいものも買ってあげられている。息子が今後どういった道を志すかもわからなく、一人のほうがその時に自由な道を選ぶことができるようにしてあげられるかもしれない。今は小学生になりある程度落ち着き、子供が生まれる前と比べるともちろん減ったが、自分の時間もある程度確保できており精神衛生を保てている。
でも、子供が生まれてから数年間はめちゃくちゃ辛かった。子供が好きじゃないことを自覚しながら、周りは誰もが「子供が生まれてよかったね」「可愛いでしょ」という感じで、「実は子供好きじゃないけど頑張って可愛いと思おうとしてるんですよね」とはまったく言えなかったし、言える空気になかった。そういう気持ちにならなければと「可愛いですね〜」と無理矢理ヘラヘラ言ってる自分がすごい気持ち悪かった。
ただ、相方は以前から子供が二人欲しかったようで、息子の友達も兄弟がいる人が多いのもあり、定期的に二人目が欲しい旨を伝えられてきて精神的にツラくなっている。
上記の一人っ子による利点を話しても「兄弟がいるのが普通」「一人っ子だとワガママになる」という話になってしまう。自分の実際の気持ちは「子供が好きじゃないし、息子のことは頑張って好きになった。二人目はその気持ちになれるかわからない。」という話になるのだが、万が一息子に伝わってしまうことを考えると、これを実際に口に出すことはできないし、人として今更これを言ってはいけないのではという気持ちもあり、言語化することができていない。
自分は妻のことは愛しているが、二人目の子供がいないと一生妻は幸せになれないのだろうか?
自分の些末な感情は殺して社会通念的に必要な二人目を作ればいいのだろうか。
でもそれで今後の人生上手くやっていけるのだろうか。
実家の人間が嫌い、地元が嫌いなのではなくて祖母が嫌いなんだとやっと気がついた。祖母がとにかくものが捨てられない片付けられない人で、明らかに大事な書類とか請求書とかゴミとかがぐちゃぐちゃに混ざっててものを積むから廊下が通れなかったり扉が塞いでいたりする、食品も管理できないからそこらへんで腐ってコバエとかゴキブリとかも湧くし、突然なんの前触れもなく不機嫌になって暴れる、ヒステリックでもうボケてる人だからそのぐちゃぐちゃになってるものを動かしたりぶつかって倒したりすると烈火の如く怒って金切り声上げるし自分が食品腐らせていることも冷蔵庫の中の食品もわかってないのよね。実家にいるときは、本当に嫌悪感もすさまじいしいつ怒り出すかわからないからビクビクしてたしさっきまで虫がたかっていたかもしれない食べ物を食べなきゃいけなかったのが嫌だった。そして進学を機に実家を出ると、本当に不思議なことだがそれはそれで寂しくなってきたんだよ。本当に不思議なことに。祖母の癖は度し難いものだが、家を離れてやっと母や兄、弟は決して憎んでいないから彼らとは一緒にいたいと気がついた。実家は祖母が君臨する場所だった。祖父もなにか祖母に言えば引っ叩かれたり怒鳴られたり見ていて本当にみじめな男だった。私の母も兄弟も祖母には、逆らわず諦めていた。当時はなぜ逆らわないのかなぜこんなに虐げられなければいけないのかわからず、祖父にも母、兄弟にも苛立っていた(よく考えれば自分も祖母が怖くて逆らえなかったがそれを棚に上げていたのである)。むしろ彼らはあの狭い家の中で、祖母がいないときに4人でケラケラ話すのは楽しかったし、祖母を怒らせないように努力しあっていた同志であったのに。そう考えていると、実家にいたくない=地元にいたくないとなってしまっていた。たしかに刺激的なところでもないし娯楽もないけど、それとは別に本当は海も山も田んぼもなんにもないあそこが全然嫌いではないのだ。でも、これも一度地元や実家を離れてみなけれ、自分の人生が自分選択のみで責任を取らねばならないこと、嫌悪の対象が祖母のみだったことにも気がつけずにただただ恨まなくていい人間を恨まなければいけないところだった。そして自分で言うのもなんだが私はまだ若いし身体的な強度が違う。実際にやらないとしても私が張り倒して蹴っ飛ばせばすぐねじ伏せることができる老人相手に怯えることないと思うだけで心の余裕が違う。これもまた正気になって気がついたことだ。昔は実家にしか居場所がない、なのに家で安らげない落ち着けないという依存体質と脅迫観念から拒食を拗らせたり自傷をしたりもあったが、こうやって一度離れて物理的な距離を置き冷静に考えると憎むべき相手とその理由とそれでも母と兄弟は好きだから実家に帰りたくなることは全部ちゃんと成り立っていて間違ってないと思えた。今は地元を離れていてそこで就職しようと考えていたものの、普通に就活失敗してバイトをしてなんとか生きてる。ハロワに行くなり公務員の試験受けるなりなにか身の振り方を考えなければいけないければと思いつつ、実家には戻れないとしても地元に帰ることも一つの選択肢として入れてもいいのかもしれないと思った。今はただただ祖母にはできるだけ早く死んでほしいだけだ。
母親に聞いたことがあるが高校の同級生で同窓会で再会して結婚したらしい
それにしてもなぜあんなハズレくじ(アル中借金苦ジジイ)を、と思ったら「ろくでもない家同士でお互い貰い手がなかったから……」だそうだ
まあ例えばだけど曾祖母くらいの代に犯罪者や障害者や在日がいるとかそんな感じ
納得はしたけど聞いて気持ちの良い話ではなかったな
具体的にどこのサークルとまでは聞いてないけど同じド田舎の大学で会った。
男性:そのころはニヒルで役者みたいだった父(高卒で就職して企業内留学)。タバコは吸わない。背は高い。読書家だがアウトドアも好き。寡黙(多人数兄弟から養子に出されて一人っ子の育ち、すごく静かな家庭で育った)。麻雀で授業料の足りない分や生活費を稼いでいた。即降りダマテンピンフのみで負けない麻雀(つまらないのでよく呼ばれたなと思う)。
女性:めちゃ頭のいい高校から進学。長女。背は低めでかわいいが気が強い。よくしゃべるし喜怒哀楽が激しい。たぶん女性側から声をかけて付き合った。
男性と女性はド田舎高校の同級生で美男美女カップルで高校のうちに結婚しようという勢いだったらしいがのちにいろんな理由で書類上離婚した事実婚状態。
1,2を身近に知っていたがめちゃくちゃ面食いでダメな異性をひいて2~3回離婚。最終的に年金を分けたくない独占したいという理由で離婚されてもういいや的一人暮らし。
工業高校卒と高校卒が中小企業でであった。男性側が8歳年上(に見えない)小柄な女性に惚れこんだが年の差が気に食わない実家にめっちゃ反対されて半ば駆け落ち状態で結婚し専業主婦へ。営業職で転勤・転職が多く家族で全国を10回ほど引っ越しで渡り歩いたが男性はわりと根っからお祭り男なので引っ越しをあまり手伝わないので呆れられていた。それ以外は喧嘩一つなし、実家とも孫の顔をつかって和解。
上の世代の年の離れた末っ子で20代なら昭和50年代ごろには結婚していたはずだが忙しくてなにもできず。同じ職業の人の娘さんでよくわかってる人とお見合い。結婚してからも忙しくて家庭も育児も全部おまかせ。よくわからないお金の使い方をしている(あれだけ稼いでいて赤字すれすれ)ようにみえるが幸せならそれでよいとおもう
同じ専攻やサークルのコンパやカラオケや試合旅行などで絆を深めた。
おなじ職場で同僚だったりセンパイだったりで絆を深めた。(たまに患者と看護師とかのクライアントとの結婚もあり)
平成:なぞ×3
「お見合い」や「結婚相談所」や「居酒屋ナンパ」だった結婚式は出会いが謎っぽくぼかされる(当人にあまり出会いについてつっこまないでねっていわれた)けど披露宴ではちゃんと「運命の出会い」とさらっと流されて祝われます