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2021-10-30

軍閥家系に乗ってやってくる(昨今は親ガチャというのか)

大正時代末期のことだが、九州資産家であった港町の「太田家」が、高原町の旧家である「川瀬家」に2代続けて婿を送り込み、代わりに、太田家の根岸町土地を川瀬家に与えたということがあった。太田家の婿は川瀬家の先代の婿が起こした養父殺し事件を隠してやったりもしている。

さて、1代目の「太田ナヘイ」は高原町水力発電所を建て、戦争中には国策に従って国に譲渡して、戦後に早世した。2代目の「太田カクオ」は東京陸軍士官学校化学教授となったが戦後九州に戻って2年目に没し、元太田家の土地もおおむね没収されている。死因諸説あり、戦犯処刑だった可能性もある。もちろん2人とも苗字は「川瀬」姓になっている。おそらく太田家が、太田の名を使いたくなかったのだ。

3代目の「川瀬マツオ」は、カクオが没したあと家財を売りながら兄弟姉妹とともに東京に戻って大学卒業し、国の研究所に勤めた。ところが、留学研修の前に牟田サエと出会ってしまう。サエは九州のある杜家の縁戚の娘で、戦争推進に励んでいたある大手キリスト教会の会員であり、かつ国営通信会社社員で、マツオが出入りする将棋クラブにいた(サエの父親外務省諜報員だった)。マスオは、奸計家で暴君のサエと結婚してしまったのちは振り回され、子の世話をさせられたり、おかし弁護士を紹介され散財させられたりした。しか研究所もきちんと務めたという。

そのマツオの息子は防衛族家系の娘と結婚したが、娘のほうはIT企業にいたところ不審事故に遭って婚約者を亡くしたうえ、サエを介してトラブルに巻き込まれているようだ。

この話にはもちろんフェイクを入れたが、元日ナチス軍閥家系に取りつかれた家の話ということになろうか。

なぜ川瀬家に取りついたのか不明だが、川瀬家は九州の家であり、近畿遷都した皇族家系とは違うほうの旧家らしい。

しかし、何よりマツオとその娘が可哀そうだ。

 
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