はてなキーワード: 一喜一憂とは
一週間分を前々週のエクセルコピペしてかぶらないように入れ替えてそれっぽい文言いれたエクセルが送られれてきてたよ
だいたい振れ幅のあることをいっていれば当たるんだ
「該当の星座だけが見事に的中しほか11個は見事に外れてる」でやっとなんだよ。
でもみんな自分にしか興味ないから他の星座までチェックしないんだよね
自分の見てそれが当たってれば当たってるって大騒ぎ
実際のところ、他の星座見せられてもあたってる~っていうの半分ありますよ。
そして適当いっても(こんな事が起こります/起こりません)の当たる確率が、基本二分の一なんだよね。
要するに「なんの証拠も実態もないのに自分の都合のいいことだけ信じる」行動そのものなんですよね。
愚かだなぁという気持ちを刺激し
それが自分の結婚相手だと、そんなバカを選んだ自分まで嫌悪感が及び、落ち込んでしまうんじゃないんでしょうか
オチとしては
しいたけは他の11星座チェックしてマジで自分のだけ自分に一番当たってる×6週くらいしたから怖かったです。
VOGUEジャパンがキラーコンテンツとして買い抱えるだけあるわ…と思った。LINEでWEB版に誘導して背景の広告シャネルだよ。すごいよ。
https://books.j-cast.com/topics/2020/10/09013190.html
『近藤誠、和田秀樹の両医師が「緊急告発! 信じてはいけない健康診断」と題して対談。近藤さんは「病院によく行く人ほど、クスリや治療で命を縮めやすい」と話す。がんや生活習慣病の疾患は患者数が膨大なので、データの捏造、都合のよい解釈が繰り返されているという。和田さんも医療業界が結託して「病人」を増やしていると話す。専門分化がいきすぎたことも原因に挙げている。
和田さんはコレステロール値300、中性脂肪値600、血糖値300、最高血圧160~170と基準値をいずれもかなり離れているが、まったく気にしていない。この数値でコントロールする方が調子がいいからだという。基準値内だと健康や長生きにつながるというエビデンスはないそうだ。』
近藤誠ってトンデモ扱いされているけれど、正直日本の健康診断はやり過ぎなんじゃないかって意見には賛同出来るんだよなあ。
やるにしても小学校の頃の身体測定程度でいいんじゃないかと思うんだけど。
血液検査の数字とか、細かすぎでしょ。あそこまで色んな数値があったら一つ残らず正常値って人の方が少なそうだし、ちょっとでも基準からズレたらアウトになるならそのストレスで却って健康を害しそうなんだけど…。
世の中ストレスがストレスがって言われる割には、個人に対してストレスを与えないようにする事はさっぱり考えられてなさそうなのはなんで?ストレスについてはとかく、個人が何とかしてやり過ごす事ばかりが求められているという不思議さ。
これも。
とりあえずダイエット入門としては1500kcalを目安に調整する
タンパク質は60g以上取るようにする
脂質も最低でも30gくらいはとる
この二つを欠かすと体重は落ちても皮膚や髪や爪がボロボロになる
ただし日々の増減に一喜一憂しない
1週間単位くらいで見る
4回って言い方でわかる人もいるかもしれない。私は関西の大学生だ。頭は良くないけど、そんなに後悔しない大学生活だった気がする。まだまだやりたいことあるしね。
本来なら舌ピなんて1回で開けて楽しんで就活を前に閉じるものかもしれないけど、私はやっと内定が出た直後に開けた。そこの会社に行くかはまだ迷っているけど、我慢できなかったので。
ピアスは病院で開けた。ニードルかなと思ったらピアッサーで、少しずれてしまったけどまぁ満足してる。開けたのは先週土曜だから、そろそろ3日くらい。まだじんわり痛いし、違和感もある。舌を火傷した時や、口内炎が出来たような痛み。咀嚼すると痛みが強くなる。熱いものは駄目。辛いのとアルコールと煙草は控えている。奥歯の方に押し込めるものは割と食べれる。スープや飲み物や豆腐とかプリンは全く問題なし。茶碗蒸しが大活躍している。
両耳たぶは開いてるけど、他は開けてなかった。
耳は高校の卒業式のその日に開けた。アマゾンで買った一番安いピアッサーで、その日に。高校は校則が厳しくて、携帯持ち込み禁止、寄り道禁止、髪染めピアス禁止、アルバイト禁止、SNSのアカウント作るの禁止、他にも色々禁止だった。校則に書いてあるだけとかじゃなくてほんとに先生に見つかったら指導されるレベルの厳しさだった。有名ではないけど幼稚園からある女子校だからそんなものかもしれない。今となっては懐かしいけど、それは私が隠れてバイトもSNSも寄り道もしていたからで、真面目に守っていたならきっと後悔していただろう。
一度無断で休んだ時は反省文を書かされた。学校へ行くくらいなら死のうと思ってホームドアのない電車を探していた時、行かなくてもいいんじゃないかと思った。先生や親も死ぬよりサボる方が嬉しいんじゃないかなんてやたら冷静に客観視してた。反省文を書きながらこれは何の反省なんだろうと思った、だって死ぬか行かないかの二択だったのに。
両耳のピアスは私としては早かったが世間的には遅いだろう。私はいつもそうだった。みんなより全部遅い。化粧を覚えたのも高校3年だった。
前髪を初めて作ったのもはたちになる少し前だ。高校生の時から散々ある方が可愛いだろうと言われていたし思っていたのに。
髪を初めて染めたのもはたちすぎてから。しかもインナーの一部で殆ど分からないくらい暗い青だった。でもそれがきっかけで色んな色をやった、インナーだけど。大学入って直ぐに染めてたらもっと色んな色が出来たのにとも思う。
次は全頭してみたいと思っている。遅いかもしれないけど、遅すぎはしないだろう。だって大学生だし。ぎりぎり。
いつも遅い。みんながやり始める頃にはそんなの興味無いとばかりに見ていて、後からやりたくなってもっと早くても良かったなと後悔する。そしたらもっと楽しめたのに。
成人した直後からワインを飲んでいる。家にカクテルセットがあるというと驚かれる、大学生では珍しいかもしれない。日本酒もすき、ジントニックもすき。クラフトビールもすき。そんな感じ。
幼少期に読んでた本は大抵大人びていた、気がする。少しだけ。英才のように文豪たちを読破したとかカントを読んだとかはない。今はキルケゴールの死に至る病を買って、大学生だと言うのに意味が分からなくて呻いている。もしこれを読んだ方の中に哲学好きな方がいたら、あれを上手く読み解く為のコツとか解説書なんかを教えて欲しい。
閑話休題。
遅いとか早いとか、そういうことは無意識に思ってしまう。早いうちに触れるのはいいことだ、何歳になっても遅いなんてことは無い。そうは言っても現実はその通りでは無い。
小説家やイラストレーターになりたかった。学生のうちに仕事を受けられるようになっていなければそれで生計を立てるのは難しい。そもそもいちばん暇な大学生でプロのレベルまで出来なかったのは才能がないのだろう。能力ではない、やり続けるという才能が。
研究者になりたかった。小学生の頃の行きたい大学はマサチューセッツだった。ちなみに今も昔も英語ができたことは無い。向き合う度に外国語は向いていないことをひしひしと感じる。
研究者に憧れがある、科学者、数学者、天文学者、宇宙の真理やこの世の理、最先端の技術、未知の可能性、人類の進化、魔法と区別がつかなくなるまで発展する科学技術。無闇な憧れだ。論文も本も何も理解出来ず、どういうふうに系統だっているのかも分からない。でも憧れている。でももう遅い。私はサインコサインすら分からない。
頭がいい、と思っていた。昔は。人と会話することもある程度得意だ。
国語は勉強しなくても偏差値が取れた。小学生で漢検2級を取った(これは母の全力の献身によるものだ、私の努力ではない)。他の教科も聞いてたら何とかなった。でも中学2年くらいから授業を聞かなくなって、数学や理科ががくんと落ちた。相変わらず国語はトップ近くで、社会は本から得た知識でなんとかなって、英語は長文とリスニングで何とかした。文法はからきしだった。
高校ではやれば出来るのにと言われ続けた。地頭は良いのにと。そうかもしれないと思っていた。そう思いたかった。
でもそうでは無いのだろう。
本を読んでも理解できないことが増えた。読み終わっても中身を忘れることが増えた。あんなに無限に読めると思っていた本を、もうしばらく最後まで読めたことは無い。難しくなったら駄目だった、ライトノベルは多分いまでもサクサク読める。
私は天才でも秀才でもなくて、やる気とかいう最大の生まれ持つ才能も持っていなくて、やる気がなくてもなんとかなる能力もなくて、全く興味の湧かない仕事内容の会社に就職しようとしている。
昔はゲームなんて時間の無駄だと本気で思っていた。それなら勉強した方が世界も広がって能力も高まって良いと。
勉強なんてもう何年もしていない。ソシャゲに毎日数時間と毎月数万を使う立派なソシャカスだ。
ピアスやタトゥーには憧れていた気がする。酒や煙草にも。アウトロー感のあるものには憧れがあって、でもテンプレートな安い人間にはなりたくなかった。でもなってしまった。
白衣を着て、日本でも有数の大学院で試験管を持ったり数式を書き散らしたり、ドイツ文学やフランス文学を原文で読んで純粋理性批判について論文を書くような学生だったら、髪がペールブルーとターコイズの二色で舌や唇にピアスが開いてて身体にタトゥーが入ってたら最高にかっこよかったかもしれない。
そんな格好をしている美大生なんて山ほどいる。
そんな格好をしている鬱の社会不適合者なんて山ほどいる。
私がなりたかったものにはもう一生なれなくて、それでも表面だけで真似できるものだけ、努力しなくてもできるものだけ、真似している。
大学は楽しかった。散々文句を言ってやる気がなくてチャイムがなって数十分後に来てチャイムと同時に帰っていたけど、物を作るのは楽しかった気がする。ともだちもいる。そうそう人を友人と口に出せない私が友達だと確信を流石に持てるくらいには仲がいい、はず。
桜の咲く公園で夜にビールを飲んだり、宅飲みでマリカしたり、自主休講して展示を見てパフェを食べたり、ナイトプールにいったり、ディズニーとユニバにいったり、覚えてもいないくらいたくさん話して笑ってた。最近は知り合いの家に酔った勢いで雀卓をアマゾンで買って送り付けてルールを説明した。自分も分かってないのに。
彼らにとって大した思い出でもないかもしれないが、私にとっては一人では死んでも得られないそれらをくれた事に死ぬほど感謝している。
ずっと死にたいという思いはあって、でもその中にもう死んでも構わないというポジティブな希死念慮があることは間違いなく楽しかった大学生活のお陰だろう。いやなこともたくさんあった、アルバイトも大変だった。バイト先に警察が来たこともあった、これはいい経験だけど。人生で経験できることはできるだけしておきたいので普通にその時も良かったなと思っていた、店からはたまったものじゃないだろうが。
そんな気持ちだからバンジージャンプも行ったりした。単に絶叫好きなだけかもしれないが。ピアスもその一環かもしれない。開けなければどんな痛みかなんて知らない。舌ピ開いてるあのキャラクターとかも、開けた直後はポタージュとか豆腐とか食べてたのかな、と思うとちょっと面白い。
シーシャも行った。今度葉巻もいく。
努力の要らないものばかり。ボランティアでもしてみれば良かったな。したい気持ちはあるけれど時間とか労力とかいきなりその日鬱になったらとか思うとなかなか出来ない。
習い事もしてみたかった。音楽がからっきしだから何か楽器とか。バレエとかダンスとかにも興味がある。踊るのはすきだ、振り付けは真似するのが苦手だから即興ばかり。音楽を流して踊り続けるのだけは得意だ、人に見せたことは一度もないけど。あとボルダリングとか、薙刀とか、色々やってみたかった。
そういう系だとサバゲーもある。これはサークルに思い切って入った。楽しかった。銃を買ったけれどコロナでサークルが停止してそのままなくなってしまったので一度もフィールドで撃てなかった。いつか思いっきり撃ちたい。
スキーやスケートは好きだから、フィギュアスケートもやってみたかった。ずっと憧れはあるけどスケートリンクが近くにあったことがないのでこれはしょうがない。
バイクにも乗ってみたい。一度後ろに乗せてもらって、免許取りたいといったけれど、結局バイクを持つのが大変なことやお金を考えて取っていない。
美容にはすぐお金を使ってしまう。というか費用対効果だ、時短になるならやっておきたい。二重はやった。脱毛はもうすぐ一回目がある。まつパもやりたい。レーシックもやりたいけどカラコンを入れなくなりそうだと思うとちょっと躊躇する、眼鏡も少し気に入っているので。外した方が可愛いけど。
少しでもかわいくなりたい。自分が死ぬほどかわいくなくて、死ぬほど魅力がないのを知っているから、少しでもってなってしまう。
アイドルになりたかった。歌手でも俳優でもいい。最近はミュージカルがすきだからミュージカルにも憧れる。服のモデルもいい、写真撮られるのも色んな服を着るのもだいすきだ。
でも私は人前が苦手だ。頭で苦手だと思ったことはない、好きなアーティストのライブにいっても、こんなにたくさんの人の前で歌ってこんなにたくさんの人に愛されるのはどれだけ快感だろうということを考えてしまう。
でも人前に出ると勝手に身体が震えて、平衡感覚がおかしくなって、喋れなくなる。大学の発表でもそうだ。上手く話せなくなる。頭は冷静だから対処はできるけど、身体は勝手に震える。
人前というか知らない人と歌う機会があったことも少しあって、褒められたら嬉しかった。けど歌手やアイドルになれるほどじゃない。顔も可愛くないし、ダンスも下手だ。自分では出来てるつもりでいても動画を見るとキレのなさに絶望する。これは本当に才能だと思う。
女の子のアイドルゲームが出来ない。羨ましくなってしまうから。男の子なら普通に推せてたまに羨ましくなるくらいだけど、同性だと近いから難しい。でもなりたいのは男の子のアイドルだ、イケメンと一緒に可愛い女の子にキャーキャー言われるなんて最高じゃん、と思う。
先生になりたかった。人に物を教えるのはすきだ。上手い方だと思う、友人に教える時も。相手の知識量や理解力に合わせて単語に解説をいれ、分量を変え、分かりやすそうな例えを使う。フラットな目線を持っているとも自負しているし、向いている気もしてる。先生と言うよりかはマンツーマンで指導する方が向いているかもしれない。
でも一度家庭教師に登録していて、仕事の話もあったけど、大学名で難色を示された。多分向こうの親御さんが文系か理系の学生がいいと言ったんだろうな、とぼんやり思った。同じ大学でも塾講師をしている子はいるので普通に学力があれば大丈夫なんだろう。私には教える力はあっても学力はない。でもやる気がなかったからこそやる気を出させたり、本を解説するのだけは本当に上手いと思うのだけど……まぁ、仕方ない。
他にもいろいろ夢はある。理想の生活もたくさんある。でももう叶わない。分岐点はとっくの昔にある。
今できる楽しそうなことだけを積み重ねて、本は難しくて気力がない時には読めないからソシャゲの周回とTikTokをして、少しずつあの日の高潔な私が死んでゆく。取り返しはもうつかない。じきに働かなきゃいけなくなる、働けるかは分からないけど。
せめてできる新しいことをしようと思って日記を書いた、ちょっと憧れていたから。ツイッターでフォローしてる文章の上手い人のnoteが良かったから、ああいうものを書きたいと思った。
私は承認欲求が強い。物凄く。いいねひとつに一喜一憂して、私より評価されている人全員が羨ましくて、なんとかいいねをしてくれそうな人に届いて欲しいけどそれを表に出せない。せめてタグをつけてRTをするくらいだ。
私は私の作品が好きでも、クオリティが低いことは知っていて、それでも好きだと言って欲しくて、でも他の有象無象の、私から見てあまりにも稚拙で低俗な作品といっしょくたにいいねされてると悲しくなる。こういうところが本当に性格が悪いと思う。けれど好悪はもう変えられないし、今更承認欲求も手放せない。昔は承認欲求なんてないと、どうでもいいと、むしろそれを持っている人になんでそんな感情を持つんだろうと疑問にすら思っていたのに、自分に承認欲求があるとしたら全てが腑に落ちた。無いと思い込んでいても消せなかったものは、多分もう消えてはくれない。
私は自分が底辺であることを知っていて、それでも結局どこかによく見られたいという願望が残っていて、ナルシストなところもあって、性格の悪さもあって、それがこの文章からも滲み出ていることが本当にいやで、でも取り繕うことすらしないのも嫌だからどうしようもない。
理想の自分になりたかったと思いながら、今日も自分をひとつ成長させてくれるはずの買い込んだ本をめくることすらできず、朝になった。
この文章は最初からひたすら思いついたことを脱線するまま書いて、読み返しや修正もしていない。
どうせ誰にも刺さらないことを知っている。私の作品が好きですという感想を匿名で貰ったことは一度もない。一度も。本の感想も。
最後まで読んでくれた人が数人でもいたら御の字だろう。
それでも誰かが読んでくれて、コメントをしてくれることを夢見ている。認めたくないけど、心のどこかであわよくばインフルエンサーとかがTwitterに投稿したりして、バズって、はてな文学みたいな扱いを受けたりしないかななんて期待している。醜い。でもこの醜い感情を抱えていたくないから書いてしまおう。心に秘めていたりツイッターでぼかしながら細切れに話してることを、全部思いのまま書きたくてこの文章を書いた。
何が刺さるんだと言われたら自分でも分からない。実力以上の評価が欲しい訳でもない。努力もしないくせに数字だけ貰えるなんてことはないと分かっていて、それでも楽なことの方がすきでそちらを選ぶ。趣味だからなんて言い訳せずに絵の練習でもしていたら今頃もう少しましだっただろうか。漫画も描きたかった、漫画の方がバズるから。表現媒体としても面白い、ネタを思いついても小説では書けないこともある。でも描こうとしても絵が下手すぎて結局再現は出来ない。
楽な方に楽な方に流れている。
ひとつ開けたら憧れの気持ちが止まらなくなってしまった。人生で一回は開けておきたい、テンプレートに近づくとしても。死にたいとか鬱だ何だとかいっている言葉が、昔より軽くなりそうだ。ファッションが変わっても私の中身は何も変わらないのに。
楽な娯楽だ。努力しなくてできる変化、合法的な自傷。腕を切ったことはない、痛いから。でも首を絞めることはある。いつか首を吊るためのシミュレーションのように。一度失敗したきりだけど、いつかはきっと死ぬだろう。寿命まで耐えられるとは思えない。
本当は耐えて欲しい。耐えられるくらいでいい、その程度でいいから、幸せになりたい。
普通の人になりたい。創作をする、私は天才だと思っている友人は、死にたいけれどその死にたさも自分だから治らなくていいと言っていた。
私は幸せになりたいから心療内科に通った。意味はあんまりないけれど。
これを書いている間もずっと舌が痛い。これが収まる頃にスクランパーとインダストリアルを開ける。思い切り食事ができるのはまだ先になりそうだ。
何度も終わらせようといい感じに結べそうな文を書いているのに書きたいことが溢れてしまう。
私は人に知って欲しいたちだ。なんでも、やったことや見たもの、感じたことや思想、なんでもすぐツイートしてしまう。勿論セーブはかなりしているけれど。そしてそのツイートを全部見て欲しいと思ってしまう。何故なら私は好きな人のツイートを全部見たいタイプだから。ある程度好意を持っていたら何を喋っていたか知りたいかなんて当たり前だと思うけど、世の中では意外と少数派らしい。でも私の中ではそれが当たり前だから、ツイートを見ていないと言われる度にそんなに私に興味がないのかと傷つく。表には出さないようにしている、めんどくさいと思われるから。でもあえて出す時もある、相手が平気そうだったり、そういうキャラで私がやっていけそうなら。メンヘラちゃんのキャラでいたら、少しだけ私の本音を言うことができる。
だからひたすら書き連ねるのは楽で楽しくて、でと整理されてない文章なんて誰も読みたくないだろう。でも日記というか、書き散らしというか、日々の所感としてはこんなものかもしれない。
舌が痛いし眠くなってきた。多分何も無ければ無限に喋り続けられるだろう。自分の話をするのが好きだ、相手に知ってもらいたいから。好きな人のことはなんでも知りたい、血液型とか、健康診断の話になった時の視力とか、すぐメモってしまう。私の記憶力が悪すぎてメモっているだけで、覚えておきたいというだけなんだけど。締めに頭の中で用意しておいた文章のストックがもうない。前のを引っ張ってこよう。ちょっと書き換えて。
そうやって楽な方に楽な方に流れている。
今度はスクランパーとインダストリアルを開ける。お手軽な変化を得て、なんとかぎりぎり生きている。バイトの当欠も、説明会のキャンセルも、自主休講にしすぎな大学も、なんとかなってるとは言えないけど、取り敢えずまだ致命傷ではない。致命傷ではないけど、ゆるやかに死んでいくのだ。
きっと今の私は、昔の私が一番なりたくなかった姿だろう。働きたくないとか甘えるやつ、努力しないやつ、後回しにするやつ、遅刻するやつ、頭の悪いやつ、死にたいと
ネットを通じて色々見られるようになったので、活用できている人はいるのだと思う。
Webのどこかには転がっているとか、検索キーワードを思い出せなければ見つけることが出来ないとか、個人的に困っている。
タイトル詐欺のような物に一喜一憂するのにも、もうしんどくなってきたし、
togetterのような一見まとまっているようでいてまとまってないのを後から追いかけるのも疲れてしまった。
サーベイ論文のような物ができれば良いと思っているが、検索だと同じ記事のコピーばかりが出てくるようになって、網羅性を担保するのが難しくなったと感じている。
ブックマークをつけておく、Webクリップとして残しておくといっただけでは、後々活用できないというのは経験済みで、
代わりになる方法が見つけられずにいる。
最近だと日本語と英語だけ見ておけばなんとかなっていたが、最近だと中国語発のも増えてきた。
中国語発信で定点観測するサイトを探すだけでも、日本人の自分にはかなり労力がいる。
翻訳機能を使って中国語で検索かけるが、ニッチな専門でそれなりの頻度で更新されるサイトに出会えない。
その日によってネタの善し悪しが違うので、いつも一緒に行く友人とシェアしながら食べる。
今日はエンガワがいい感じとか、ハマチはいまいちとか、ねぎまぐろが異様に美味しいから絶対もう1回頼もうとか、そういう作戦会議をしながら食べる。
5皿食べるごとにビッくらポンというガチャが引ける。べつに興味がある景品じゃなくても、当たるとなんか嬉しい。外れるとちょっとがっかりする。でも楽しい。
シャリ少なめを選べるので、普段よりたくさんの種類のネタを食べられるのも良い。形はちょっぴり崩れるけどなんのその。
茶碗蒸しとりんごジュースが異様に美味しくていつも注文する。ちょっとジャンキーだけどチビころチキンというちっちゃい唐揚げみたいなやつも頼む。寿司の間の箸休めに良い。
ネタの大きさも色々ある。友人と同じものを頼んで自分が少し大きかったり小さかったりする。それを指摘し合うのも楽しい。
くら寿司は回転寿司というよりかは、エンタメ施設のようなものだと思っている。ビッくらポンを始めとして、全体が「当たり」「ハズレ」に溢れている。
今日はハズレがちだなぁと感じても、前述の茶碗蒸しとりんごジュースは私にとっていつだって「当たり」なので、最後は大当たりな気持ちで終われる。それが良い。
そして気の置けない友人と、当たり外れに一喜一憂するのが楽しい。その時間が何より楽しい。だからくら寿司が好きだ。これからもたくさん通います。
というか、金は人生に良い
安いからという理由で選択することはなくなり、結果的に満足度が高まる
精神的に安定し、のびのび暮らせるようになると、肉体の健康も気をつける余裕が出てくる
でさ、ここで気になるのは貧乏人ってなんで金を稼ごうとしないの?
貧乏人は余裕がないから文句ばっかり言うのもわかるし、そもそも時間がないのもわかる
金儲けは汚いという宗教の方は今回はお呼びでないので。
ご了承ください。
もうあまり思い出せないくらい昔の話だ。多分100年とか200年とか前のことだと思う。そのころ僕はまだ幼くて、恋とか愛のことをとても信じていたし、なんなら運命というものの存在も疑っていなかった。そのくらい昔の話だ。
あまりにもありきたりな話だから詳細は省略するけれど、僕には好きな女の子がいて、その女の子とセックスして、付き合って、そのうち別れた。
その間に僕は人間を100回殺せるくらいの酒を飲んだ。金はなかったけどプライドだけはあったから、ビーフィータージンを買って、そのまま飲んでいた。彼女の一挙手一投足に一喜一憂し、どんな結果でも結局酒を飲んでいた。嘘だ。僕はいつも彼女の行動に失望して酒を飲んでいた。彼女の感情が少しでも自分に向いていないと感じると耐えられなくて、酒に逃げていた。酒を飲めば飲むほど僕の醜い感情は肥大するのだけれど、飲まないわけにはいかなかったからとにかく酒を飲みまくった。そんなことをしているうちに振られた。
振られた時はもうこのまま酒におぼれて死ぬんじゃないかと思ったが、一晩飲んだくれて起きてみるともう酒を飲むことはなくなっていた。不思議なもので、失くすんじゃないかとビクビクしている時は不安に耐えきれないけれど失くしてみると意外とスッキリするものだった。そうして僕は恋とか愛とか運命というものが感情の作り出す幻だということを知った。
でも、時が経つと今度は酒を飲んだ時だけ恋とか愛とか運命を信じられるようになってきた。朝起きたらすべて幻想だった気づくと自分でも分かっているのに、酔っている時だけはそれを信じている。いや信じたいと思っているから疑うことをしない。理性では分かっている事実を理性が騙す、これが大人になるということなのかなと思った。だから今日も僕は酒を飲むし、明日も酒を飲むんだと思う。
さっさとカクヨム辺りに移れよって話なんだろうけど、カクヨムがどこまでセーフなのかカクヨムはまともに読んだことがないから分からん。
つーか俺は別に筆の力で承認欲求満たしたいんじゃなくて、とにかく増田とかに投稿するしかない雑念の奔流に対してどうせならバズらせるかって気持ちで増田化するときに頑張っているだけだからな……。
電波系投稿ブロガーとして名が知れたりして嫉妬とかされたらダルいんだよね。
自由で痛い。
何も持たないでいるという自由と引き換えに一瞬で消える無価値なブクマ数だけを引き換えに貰いたいわけ。
「いいね」に強い価値を見出して頭がおかしくなるブクマカみたいな状態は回避したいわけよ。
うーん悩むぜー。
でも増田が伸びないとやっぱ傷つくんだよな。
伸びる増田ってただ文章を書いている以上の要素がないわけなんだが、それが逆に投稿している側からすると伸びなかった時に「俺は……ただ文を綴ることも出来ない???小学生からやり直しか???」ってなるわけよね。
うーん……これはあれだな時代が時代ならプリントアウトって言われるな。
今はアルミホイルか?
ようやく登録者が250人ほどになった。
「再生数10回でも行けば嬉しいなぁ」というボーダーで始めたので、今の段階でも少し驚いている。
再生数が増えたり、登録者が増えたりしていることに一喜一憂して楽しんでいる。
この間のGWでなぜか登録者が爆増(当社比)し、この1ヶ月ほどで100人の増加となった。
ある1つの動画が2万回再生されたので、そこからの流入がほとんどだ。
喜ばしいことなのだが正直「なんで俺なんかのチャンネルに登録してくれたんや…」という気持ちである。
別に自分が面白いとも思っていないし、進歩はあれど、まだまだ稚拙だと思うので、チャンネル登録をされるレベルに達していないイメージだ。
動画投稿の方は概ね3ケタ(チャンネル登録者数より多い)は行くのでまずまず見られている感覚があるが、
LIVE配信の方は、同接はせいぜい6などで、コメントも停滞している時間の方が長い。
翌日や翌々日で、ようやく30回ほどの再生数になるので、「俺の興味のある人はまだまだ少ない」という認識だ。
チャンネルの動画再生時間も、収益化の1つのハードルである4,000時間を超えたので、せっかくなら今後も伸ばしていきたい。
そのためにはファンを増やす必要はあるのだろうけども、なにせ「自分の魅力が分からん」状態である。
素直にハシャげないし、プレイもうまくない、声も別にイケボで無いし、ボケやツッコミができるわけでもない。
人気のあるゲーム実況者や男性Vって、個人的に「いたずらっ子」だったり、良い意味での「悪ガキ感」が共通しているように思う。
良いベンチマークも見つけられていないので、このまま細々と続けるのか、どこかでやめてしまうのが現実だろう。
折角ならもうちょっと大きくしたんだけどなぁ。
まぁ今は楽しめてるからいっか。
彼氏のいない間、人並みに遊んでいたし、LINEを交換した人の数は100人超えてるだろうけど、
誰一人として好きにならなかったし、好きになろうとも思わなかったし、そんな私を誰も好きになってくれなかった
たまに”いいかな”と思う人が現れても、何もできず、誘わず、誘われずで消滅
そんな感じで過ごしていたけど、やっと”いいな”と思う人が現れた
合コンで会って、二人で飲みに行くことになった
恋愛していない間で麻痺しきった感覚を信じていいのなら、脈アリだと思いたかった
けど、二人で飲みに行った後は、なぜか大人数で数回飲んでる
この時点で、脈ないのか?ってなるけど、脈アリっぽい行動もある
アプローチの仕方が全くわからないけど、意を決して誘ってみたら玉砕した
いろいろと忙しいって理由だった
脈ないんだろうな、と思っては落ち込む
本命の女には、忙しいが理由で断らない、どんなに忙しくても時間を作るっていろんな人が言ってる
20代後半の男の人って、男だけでディズニー行く?絶対女と二人でしょ、みたいな負の感情が湧いてくるだけ
あーあ、だから誰も好きになりたくないんだよな、と思う
傷つきたくないから、好きって思いたくないし、傷つきたくないから、踏み込むこともできないし
些細なことで一喜一憂して、どうでもいいようなことが気になって
片思いの期間が楽しい人間っているの?自分の感情の起伏が腹立たしくてしょうがないんですけど
こんな感情になるくらいなら、恋愛なんてせずに推しを眺めてるだけの人生の方が幸せだよ
早く会って話したいって思っちゃう重い女みたいです