はてなキーワード: メンタルクリニックとは
表題のとおりです。今年のうちに書いておかないとなんか気が済まないのだが、あまりにも恨みがましい文章になり、個人ブログとかに書くとリアル知人にドン引きされそうなので、匿名でお焚き上げさせてください。
今年、前の職場にて、辞職するよう勧告されたので、転職先を探して転職しました。
なぜ辞職勧告されたのか? 端的に言えば仕事をサボりまくっていたからです。Web閲覧やTwitter等を業務中にやりまくっていました。だから辞職勧告されたこと自体には恨みはありません。当然と思います。もっとも、意訳すると
「解雇は可哀そうだから数か月待ってやる。その間に次の仕事を探せ」
という上司の言葉には(恩着せがましく言ってやがるけど、要は解雇にするために懲戒委員会とかにかけるにあたり、お前らの管理監督責任も問われるのが嫌なだけじゃねーか)と内心そうとう憤りましたが。
で、仕事をサボりまくっていた、具体的には、絶対にやらなければならない定例業務とかを除いて、イレギュラーな検討事項等についてサボって終わりを引き延ばしていました。3年?4年?くらいそんな感じでした。タイムカード切ってから2時間くらい会社でWeb閲覧してたなんてこともしょっちゅうでした。何故そうなってしまったかと言うと、あくまで私からの目線ではありますが
・基本的にイレギュラー案件のゴールラインが露骨に上司の気分で動かされる
・質問=詰める開始の合図の上司→気づけば言い訳を探すようになっていた私
・「案件が終わってないのに何故帰れる。何時まで残業してでもやるのが当然だろう」と言われたので上司より先に帰れなかった
・会議や役員に出す段階でない、上司との検討ミーティング用の資料であっても、ちょっとした誤字やフォントの修正違い等の間違いをめちゃめちゃ詰められる(誤字があるということは確認してないからだ! という主張はご尤もだと思いますけど、上司的にも進めないとまずいなと認識してると思しき案件ではあまり言われなかったので、意図的だったかどうかは知りませんが、攻撃材料だったと思っています)
・「わからないなら聞け!」→「それくらい自分で考えればわかるだろ!」のコンボはしょっちゅう
・よく言えば体育会系の気風の良い人ではあるのだが、悪く言えば恫喝パワハラ気質の上司
あたりが根本原因だったと思います。要は上司と私とが合っていなかったということですね。もっとも、その上司によって直接的に退職に追い込まれた従業員は私の他にも数名いましたけど。
強い言葉で叱責される……詰められるともう頭が真っ白になるようになってしまったので、一度だけ
「それだけ強い言葉で言われると委縮してしまって会話するのも難しくなるので、改善してもらえないか」
「俺はそういう言い方しかできない!」
と開き直られたのが、今にして思えばサボるようになった本当の直接のキッカケだったように思います。
全て、今にして思えば、ということとして、一番酷い時は鬱状態だったんじゃないかと思います。具体的な症状として、とにかく起きられませんでした。本当に今すぐ着替えて家を出ないと遅刻するくらいのタイミングまでベッドから起き上がれない。めちゃめちゃ夜更かししていたわけでもないのに、休みの日では昼くらいまで全然寝れてしまう……というか起きられなかった。一応仕事や趣味には行っていた、生活が破綻するレベルで起きられなかったわけではなかったので、当時は「なんかおかしいな? もともと朝が弱い方でもないのに最近やけに起きられないな?」くらいの認識でした。ものすごく疲れてるとかでもないのに、普段普通に起きてる人が起きられなくなったら「それはおかしい」って認識すべきだったな、というのが個人の教訓です。そんときメンタルクリニックに行っていればもうちょっと色々改善できていたような気がします(むしろ休職していた可能性もありますが、それはそれで)。
そこまで追い詰められていたけど、転職して時間も過ぎ、ある程度冷静に振り返られるようになった今でも、上司の言うこと・指示は基本的に正しかったと思っています。ただ、あまりにも言い方がキツかったのと、そこまで詰めなくてもよくない?というのと、こちらの欠点=直すべきものであり、欠点を許容しようという姿勢がまったくなかったのがしんどかったですね。
ラスト数年間では、露骨に後任の奴が異動してきたり、しょっちゅう詰められるようになっており、上司的には口清いことを言いつつ私を退職に追い込もうとしていたのは明白でした。最終的にはサボっていた証拠(Webログ等)を突き付けて辞職勧告をしてきたわけですが、後任への引継等もほぼ終わりかけの段階だったので、「こいつの利用価値はもうなくなったのでそろそろ辞めさせよう」という露骨なタイミング過ぎて笑ってしまいました。
要約すると、パワハラ気質の上司と、サボりまくりだが一応定例業務はこなし他の人にできない仕事を持っていた私との、変な共犯関係がそこにあったという構造でしたね。職歴的に、中途入社は基本上に行けない職場だったので、辞職勧告で踏ん切りがつき、真面目な転職活動をして、より大きな会社へ移れたので、私の人生のタイミング的にもよかったのかなと思っています。転職先の上司や年下の先輩たちが基本的にものすごく良い人で、「少しのミスを詰められないこと」がこんなにもストレスにならないんだと感動する日々です。5年くらい前の私に対して「その上司との関係性は結局どうにもならんしお前そのままだと腐るから転職する方がええぞ」とアドバイスしてやりたいですね。
とりとめもなく書いてきたのでまとめ
・相性の悪い上司はどうしようもないので、どうしようもないとわかった時点で転職すべき
・てゆーか詰めてくる上司はやっぱクソ
・「疲れてるわけでもないはずで、睡眠時間もそれなりに確保してるはずなのに、起きられない」のはヤバい兆候
辞めてから知ったけどな! 過去に横領まがいのことして一回辞めたことのある人間だって知ってたら、なんでそんな人間に詰められなきゃなかったんだってなおさら腹立ったわ! そんな上司を野放しにする会社も普通にクソだったわ! 転職して明らかに幸福度上がりました! ざまーみろ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
20代後半、会社員、ADHD診断済、二次障害のうつ病発症、メンタルクリニックに通院中。
同棲していた彼氏が転勤により遠方へ。同棲していた家は一人では維持できないので近場で住み替え。
数年前に数度目の転職で現在の会社に入社した。求人票には未経験歓迎と書かれていた。小さな会社なので、社長が面接官だった。確かに社長は未経験者を募集しているようで、今の凝り固まった社内に風穴を開けてほしい、そんなことを言われた。私自身やる気に満ち溢れていた。
入社直前に自分が退職される方の交代要員であることを知った。業界歴10年は超えるベテラン、その人が担当していた業務の引き継ぎはかなり困難だった。引き続き期間は2ヶ月、物にできる技量は私にはなかった。経験がないからこその意見を現場で生かしてほしい、そんなことは出来るはずがなかった。まず与えられた引き継がれた仕事ですらままならないのだ。
その仕事には後工程がある。前工程である私がまともに仕事ができないのだから、後工程の人たちはかなりの迷惑を被った。初めは「未経験だから仕方ないよ」と優しい言葉をかけてくれていたが、我慢の限界が来たのだろう、影で悪口を言われるようになった。できるようになったことが増えても、ミスばかりを指摘される。直接言わず、周囲の人間に私がどれだけ仕事ができないか、簡単なミスを何度も起こしていると。
心が蝕まれていった。死にたいと思うようになった。会社には私のことを人として扱ってくれる人があまりに少ない。笑顔で会話をする人もいるけれど、その人だってまた別の人を怒鳴りつけている。
そんな場所で1日を過ごし、家に帰っても彼氏はもちろんいない。一日中誰にも優しくされず寝て起きて朝が来る。
そんな繰り返し。
同棲した頃と同じような雰囲気で1日1日を過ごす。私はこの引越しで生活がかなり苦しくなっている。住みたくもない場所で一人で日々を過ごしている。さみしくてさみしくてたまらないのだ。
彼氏はそれについて重く受け止めてはいない。私だけが苦しんでいる。以前より増えた生活費は家計を圧迫している。
このまま生きていても会社でパワハラを受け、尊厳を失い希死念慮に苛まれる。かといって転職するにはハードルが高過ぎる。すでに数回転職しているのだから。
梨生を逆恨みして、フリー記者として追い詰めるようになって、最終回で莉央を恨み続けて加瀬と揉み合い転落死。
あまりにも最悪すぎた。
性犯罪の被害者だからなんでも許されるとか鬱だから許してやれとかじゃなくて、描き方が雑すぎてドン引きした。
性犯罪の被害のせいで、性格も人格も歪められてしまいなんとか懸命に生き続け、過去明るいムードメーカーだったしおりは「いつもつまらなそうにしていた」状態になり会社を辞め真田の悪事を暴くことだけが生きがいになってしまった。
怒りの矛先が加害者の康介ではなく梨央に向かうほどに、しおりが精神的に追い詰められてしまったのは紛れもなく性被害のせいなのに描き方が雑すぎて
「逆恨みする橘栞は死んで当然、死んで嬉しい」
っていう全く頓珍漢かつ無神経な感想が飛び交う始末になってしまった。
両親は離婚。
大学でどんな生活を送ったんだろう、休学理由を話すことはできたんだろうか
深く深く傷ついたしおりに周囲はどんな反応だったのだろう
父親にも性被害に遭ったことが知られたんだろうか、狭い親戚や近所にも?
莉央は優と離れ離れになった不幸さはあるものの、梓と梓の会社という後ろ盾のおかげで優のための薬の開発ができた、未遂に終わった梨央は勉強や研究を熱心にできた。
0から自分だけの力で人生をやり直そうとした努力し続け、賞を受賞するほどにもなったしおりが報われず、どうして同じ努力でも親がたまたま梓でたまたまお金持ちな梨央は報われて、大輝との幸せまで手に入れたのか?
現実でも不幸な人はずっと不幸で、ドラマでもそんなもの見せつけられて最悪の気分。
加瀬さんの犠牲の上で幸せを成り立たせていた莉央だけがきれいなままで、優は殺人犯だけど幸せを手に入れた。こんな残酷な話ありますか?
メンタルクリニックを転々として薬も変えていたしおりはひたすら不幸なまま物語が終わってしまった。
それだけならまだしも、
「梨央に執着し会社を辞め逆恨みするようになってしまうほど、性被害で歪められてしまった」という事実が見えづらくなり、
「ただただ逆恨みで性被害からいつまでも立ち直らないで拗らせたしおりが死んでスッキリ」
このドラマを作ってる人は、世間が頭いいと仮定して作りすぎてると思う。
かぼちゃの煮付けとたまごサンドとヨーグルトを記憶障害に結びつけたり、大輝黒幕説をあっさり信じたり、加瀬と莉央が親子であると言い出す。
あの最終回で加瀬がなぜ莉央と優に執着するかわからないという感想が出てくるわけだから、性被害に遭ってしまい人格を歪められてしまうほどの苦痛を想像してみろというのは無理な話。
加瀬さんが昭に叫んでも、性犯罪への男女の意識の差は全く埋まってない。
挑戦的だし楽しく見てたけど、最終回が気持ち悪すぎて最悪だった。
両親がいない加瀬さんを取り込んで汚い手段も使わせて会社を守らせた梓と梨生。
罪を背負い込ませ死亡してまんまと逃げた達雄。
達雄や梓、梨央、康介のような人物に出会わないことこそ人生で大切なこと。
もちろんメンタルやって大勢殺したくなった結果ってのはわかるんだろうけどそもそも大勢殺したくなるのがわからない。
俺は昔、”高校時代カースト上位でいじめをやってたけど成人後メンタルをやってしまった友達”とよく会ってた事があって、(なお高校時代のいじめの対象は俺。進学後なあなあになった)
だからメンタルやった場合でも最後に選択されるのは加害行為だろうしそのうち殺されるかもなって思ってたんだけど、
後で振り返ってみると彼は、加害性があるというよりはクズを攻撃する事が行動原理であり、当時は俺がクズだったから攻撃対象となっていて、成人後は落ちぶれた自分をクズと感じてしまったから己が攻撃対象になって最後には殺してしまったんだと思う。
また俺自身もメンタルをやってたけど、別に他者を害したいとは思わなかった。
俺がクズでゴミだからと言って別に他者を害して満たされたいとかその責任を取らせたいとは思わなかった。
親にだけは暴力を振るったけどそれは幼年期親が通報されれば逮捕間違いなしの虐待をしていた背景があるからで、(たまたま死ななかったが死ぬ可能性も十分あった。今でもその場面を夢に見て飛び起きる事がある)
暴力の背景は苦痛を与えたいというよりは自らの苦痛を思い知らせたい、謝って欲しいという甘えのようなものだった。
こんばんは。
ご参考にどうぞ。
【仕事】
・入館証紛失インシデントを2回(1回/4年)発生させている。
・仕事中、次に何をしようとしたか忘れる。(セキュリティ観点で付箋紙使用禁止ルールがある。
かといってWindows10の付箋紙を使うのも13インチノートPCの画面領域を使うのはしんどいし、一時的に忘れられることを管理したいのに画面でずっと留まっていてほしくないという考え。)
・周囲の音が気になりすぎる(職場でスリッパを履いてる人の足音など)
・手つけやすいものは早くやりすぎるが、手つけにくいものを完全に後回しにして結果ギリギリアウト位になっている。
【日常生活】
・旅行中、買い物をするとスーツケースをレジに忘れることがある。(スーツケースが手を離れるアクションをしたときは買い物に限らず発生することがある。)
・買い物をしたとき、カード・会計済み商品・食券・お釣りのどれかを受け取り忘れることが頻繁にある。
(カードを忘れないようにしようと意識すると商品を受け取り忘れたり、お釣りに意識を向けていると食券を取り忘れたりする)
・みんなが喋らないような場所で喋りがち(主に苦戦しているとき、職場・試験会場などで独り言を唱える)
・多分誰も聞いていないところだったらずっと独り言を唱えている
・試験のケアレスミスが多すぎる(現状の理解のまま○✕問題を2回解いたら正誤が全く逆になっていることがある)
・試験のケアレスミスが多すぎるのを解消しようとして問題を何度も読み直すため、1問の所要時間が大幅に増える(すべて解いて最後に見るという段取りが苦手)
結果、後半は時間不足となり見直しすらできずに不正解となることがある。
・財布や鍵をなくしたと思い込み、結局ある(これはキーファインダーをつけたことで解消した)
・ニンテンドースイッチの本体をなくしたと思い込み、結局ある(これはキーファインダーをつけてなかったので解消していない)
・部屋が片付けられない
- 買ったものを売ったり捨てたりできない(もうファン活動をやめたコンテンツのグッズとかある)
- 消え物のゴミも捨てるのを後回しにしてしまいがち。(あとであとで、となり足場がなくなってから捨てる。)
- ギターのピックやカポタストが行方不明になる(これを書いている今もカポが行方不明)
- 結婚式招待状の一部を紛失し、式の開始時刻を披露宴の開始時刻と間違い、余裕を持って行ったはずが5分しか式に出席できなかった
- 年末調整用書類が見つからず、対応期限経過後に火災保険控除用の書類が見つかり4000円弱の損失をした
- ソーシャルゲームに身の丈に合わない額の課金をしてしまうため、ソーシャルゲームをやめた
(やめて半年以上経つので多分引退に成功した。総額はおそらく400万くらい。ひと月あたりの最高額は40万くらい。)
- 余裕が出始めると、以前一生懸命倹約していた部分をサボりはじめ結局お金が貯まらない。(カードローンを返済したのと、そもそも給与が安いのもあるが...)
- 家計簿も挑戦してみたがマメさが足りなくてしんどいし、結局続かなかった。
・運転適性チェックで注意力の著しい不足を指摘される。
・路上で注意力が一点に集中してしまう(後方だけ/前方の自転車だけといった感じでコントロールできない)
・左折中、右対角線からの斜め横断の歩行者を見逃し助手席ブレーキを踏まれる。
・目の前を進行中の自転車に気を取られて赤信号を見逃し助手席ブレーキを踏まれる。
・覚えている操作の一部のみを教官にされたとき次に何をすればよいか忘れる。
・「こんなんでも路上に出られるのだろうか」と自己嫌悪になり激しく落ち込む。
死にてえなあ。
適応障害と診断され、回復するまでに取った行動や参考になった本、動画などを紹介していく。
周囲との接し方なども書いていくので、自分自身が今病気で悩んでいる人、身近な人が病気になってしまった場合の参考になると嬉しい。
あくまで個人の体験、感想であり、全ての人に効果を保証するものではない。
とにかく無理をすること、やりたくないことをやることは徹底的に避けて、療養に専念するのが良いと思う。
身近な人が適応障害になってしまった時の言動についてまとめる。
じゃあどうすればいいんだと思われると思うので、自分がしてもらって嬉しかったことをまとめる。
長々書いてしまったが以上。
20代の頃から働くのが本当に辛かったのだが、30を過ぎてからどうにもならなくなって、もうずっと安楽死したいと思っている。
自分の辛さは「他の人は1時間で10のことができるのに、自分は0.1くらいしかできない」ことに由来する。
周りからも邪魔だと思われているのは伝わってくるけれど、こんな人間でも生きるには働くしかなくて、そのことに絶望して夜通し泣いたり一睡もできず翌日を迎えて、
ただでさえクソなパフォーマンスが更にクソになるというループに陥っている。
「転職すればいい」、「メンタルクリニックに行け」、という言葉を信じて転職は2回したし、メンタルにも行ったけど何も変わらなかった。
「せめて1時間で1のことができるようになりたい」と思って勉強もしたが、自分が勉強する速度が職場で必要になる知識の増加量に追いつかない。
年収xx万以下で暮らす方法や働かずにすむ方法に関する本も読んだが、運が良かった、もしくはその運を掴むだけの才能がある強者の言葉だった。
どうあがいても自分がこの社会で普通に生きていけるとは思えない。
自分みたいな無能は働かないほうが社会にとってもプラスのはずなのに、社会はそれを許さない。
こんな人間なので自殺にも失敗してしまった。死ぬというのはとてもむずかしいことで、それをやり遂げた人の覚悟は想像を絶するし、
どうにもならなくて電車に飛び込むしかなかった人たちのことを思うと胸が痛くなる。
自分と、自分と同じ辛さを持つ人がせめて穏やかに生きられる社会になってほしくて選挙には行った。小選挙区も比例も自民党には入れなかった。
でも結局何も変わらなかった。そんな日に京王線の事件があって、あれは一歩踏み誤ってしまった自分なのだと思わずにいられなかった。
別に死にたいわけじゃない。けど生きて行くには働くしかなく、働くのは死ぬほど辛いので死ぬしかない。
毎月死なない程度の金はやるから社会に出るな、命を大事にしろと言われたら喜んでそうする。
だがこの国はそんなことをしてくれないし、きっとこの先もしないであろうことは先の選挙が証明した。
今は死にたいなんて思っていない人でも、いざというとき自分で自分を終わらせる選択ができるというのはきっとお守りになるはずだ。
自分もいざ安楽死ができるようになったら、貯金を使い切って思い切り楽しんで死ぬつもりだ。なんと幸せなことだろう。
誰も損をすると思えない。一刻も早く国が安楽死を認めるのを願ってやまない。
会社のカウンセリングを受けて、やはり自分は心療内科に行ったほうがいい状態なんだなぁとぼんやり思った。
その頃、たまたまTwitterで適応障害という病気を知り、色々とインターネットで調べたり、心療内科のウェブサイトとかにある簡易的なうつ病診断をしたり、本を買って読んだりした(「なんで私が適応障害!?」という本は漫画で読みやすかった)
自分は病院にかかるほど深刻ではないという気持ちと、診断書が出れば休めるんだ(休みたい)という気持ちでせめぎ合っていた。
この頃のツイートを見ると「会社辞めたい」といったネガティブな内容のものが続いている。
カウンセリングを受けてから数日後、ずっしりと体の重い状態は続き、ついには朝起きた時に胃がキリキリと痛むようになった。
もういい加減限界だと思い、心療内科の予約を取った。明日すぐに診てくれるようなところはなかなか見つからず(初診は大体二週間後くらい)、ネットで家から近い病院を順番に検索して、翌週予約が取れるところをなんとか見つけ予約を取った。こんなに心療内科に通っている人がいるんだなぁと思った。
ただ、胃痛はひょっとしたら心理的なものではなくて内科的なものかもと思い、念の為内科にも行ってみた。
かかりつけの内科に行って問診票に「夜は眠れているか」「不安な気持ちはあるか」という項目ほぼ全てにチェックをしたら「心療内科に行ったほうがいい」という診断が下された。(一応診察もしてはくれた)
内科での診察中もボロボロと涙を流していて、気持ちを落ち着けるために別室に案内されたほどだった。今思い返すと全く正常ではない状態なのだが、当時の自分はこれでも大したことはないと思っていた。
内科に行ったものの薬などを処方されたわけでもないので胃痛は治らなかった。2日後くらいに起きようとするとキリキリと痛むので、もう休もうと思い「腹痛がひどいので午前半休で病院に行きます」と上司に連絡。「お大事に、無理せずに全休でもいいですよ」と返信が来た。メールを送ると胃痛はすっと消え、気持ちが楽になった。病院に行くというのは嘘なので、午前中ゆっくりと過ごした。突発休をすることで、休職に向けた布石を打つ狙いも少しあった。
こうして第三者たちに病院に行ったほうがいいと再三言われ、緊張しながら心療内科に向かった。
問診票には先日内科で記載したような確認項目があり、ほぼ全てに当てはまっていた。
病院によって違うかもしれないが、初診時は心理士がまず出てきて、具体的な症状やきっかけなどをヒアリングされた。もう症状を話すのは3回目なのでだいぶまとまった話ができたのではないかと思う。また、どうしてそのような症状が出たのか、何がきっかけだったのかという話も詳細に話す必要があった。ずるずるに涙と鼻水を流しながら状況を話した。その内容がきれいにまとめられ、医師のもとへデータで送られた。最後に「今後どうしたいですか?」と聞かれた。社内カウンセラーにも聞かれたので、テンプレなのかもしれない。「もうどうしたいのかわかりません。何もしたいことが浮かばないんです」と答えた。
次に診察室に呼ばれ、ずるべたに泣きながら、医師に症状を話した。朝起きられないこと、ジムに行ったときに大泣きしてしまったこと、突発的に壁を殴ったり、明日仕事をするためだけに無理して眠っていること、胸のあたりがざわざわすること、部屋は荒れ、掃除や片付けをする気力もないこと。
「適応障害か軽度うつかなぁ〜、、うーん、適応障害にしとくか。とりあえず休職1ヶ月で診断書出しときますね」と、なんとも軽い感じで診断書が発行された。
「とりあえず休んでください。休めば絶対良くなりますから。休んだらもう仕事できなくなるんじゃってみなさん心配されますけどそんなことないですから。全然普通に仕事できますから。今仕事するために生きてるでしょう、普通逆ですから」
「気持ちを落ち着ける薬を出しますので、きちんと飲んでください。食事は取れてますか?」
「食欲はあるんですが、準備するのができなくて…」
「カップ麺とかでもいいですから食べてください。今デリバリーもあるし、みんな使ってますよ」
「デリバリーもたまに頼むんですけど、自分みたいな人間が、こんな贅沢していいのかって気持ちになるんです」
「そんないいもん食ってんの?!1000円とか2000円くらいでしょ?」
この世に何も生み出していないのにデリバリーや外食で1000円も超えて食事を取るなんて贅沢だ、こんな贅沢をしてごめんなさいと本気で思っていた。普通なら、自分の稼いだ給料で美味しいご飯を食べたら美味しいなぁ、幸せだなぁと思うはずなのだ。
「あとはとにかくダラダラしてください。やりたいことだけやって、やりたくないことは何もやらなくていいですから。自炊も掃除もしなくていいですから。あと、ちょっと元気になってくるといきなり自殺したりする人とかいるんで死んだりしないでくださいね。ジムとか絶対無理なんで、家でゆっくりしてください」
えらく軽いノリの医者だったが、すんなりと診断書と処方箋を出してもらいその日の診察は終わった。
時間にして30分くらいだったが診察室を出ると待ちが発生していて、予定より随分と長く時間をとってしまったようだ(コロナの影響もあり、完全予約制で基本は待ちが出ないようになっている)
一週間後に再診の予約を取って病院を後にした。
もともと休日に受診していたので、その日は休みで、明日上司にどうやって連絡しようと考えていた。
「休職 メール 書き方」とかで検索した。(Google先生はなんでも教えてくれる)
このサイトが一番参考になった。
初めて休職される方へ。適応障害の治療の流れについて解説します(メール例文つき) | 早稲田メンタルクリニック
翌日、とりあえず勤務開始して、人事規約などを読んで休職のルールを確認しつつ、上司にメールを送った。
メールしたのち電話でも話して、実際の体調はどういう状態なのか、医者にどのように言われたかなどを報告した。上司からは診断書の提出方法などを指示されて、療養に専念するようにと言われた。
その日のうちに関係者には休職する旨を伝え、引き継ぎ事項などを済ませた。もともとパフォーマンスの悪さゆえに抱えているものも少なく、連絡を終えてみて「全然仕事してないな、いなくてもいい存在だな」と思ってまた落ち込んだ。
薬のおかげか、休むことができた安心感か、ずっと胸のあたりがざわざわしていた感覚も、頭の中が不安や焦りの感情でごちゃごちゃになっていたのも少し落ち着いた。
上司から休職の手引きのようなものがメールで送られてきたが、とても目を通すことができなかった。とりあえずPCを閉じて横になった。
翌日、目覚ましをかけずに眠ったが普段と同じくらいの時間に目が覚めた。ただ、いつもはそこから起き上がることができなかったのに、もう会社に行かなくていいんだ(もともと在宅勤務だが)と思うとホッとして、すんなり起き上がることができた。
テレビをつけてみるがごちゃごちゃとうるさくてすぐに消した。ゆっくりと身支度をして、ぼーっとしていた。
Twitterで適応障害で検索して自分と同じ症状の人を探した。そしてどのくらいで復帰したのかなどをずっと調べていた。
ちょうど自分と近い時期に発症した適応障害と診断されまして… vol.1 - 霏々 というブログを見つけて読み耽っていた。
休めて嬉しいという気持ちよりはついに休んでしまったという気持ちと、もう自分はだめなのかもしれないという気持ちが強かった。今までバリバリ働いていたので、人生終わったかのような気持ちになった。
Twitterを眺めながら気づいたら眠っていて、夕方に目が覚めた。とりあえず何か食べるかと思い起き上がる。外に買いに行く気力はないのでデリバリーにはめちゃくちゃお世話になった。医者から食べていいと言ってもらえたおかげで、罪悪感は薄まっていた。
つづく→適応障害と診断されてからの記録③