はてなキーワード: パターン認識とは
※以下、一覧とは言いましたが面倒なので箇条書きに使う「・」みたいな記号は省略してます。連合弛緩注意。
電子書籍サイト見てると女性向けなのに男性向けとか男性向けなのに女性向けとタグがついてる漫画がある。
まあ俺がそう思う一部には俺の見当違いもあるのかもしれん。
でも二巻以上ある続きものである巻で男性向けである巻で女性向けなのは言い逃れできないだろと。
逆転裁判風にいえばムジュンしている。ようするにその時点でどっちかのタグが嘘あるいは誤認による不手際なのが確定してるんだよね。
あとはまあマイナーな雑誌やその単行本ほどタグに違和感感じる場合が多い。
これも逆に考えれば、出版社側に男性向け女性向けを正しく識別できるような人が人がいないから、それだけ感度が未熟だからこそ、その雑誌はマイナー雑誌という地位から脱却出来ないのだと考えることできるわけだ。
これも、学歴社会の生んだ歪み、なのかね。
つまり、漫画が男性向けか女性向けかというパターン認識をはじめとするそういう能力は学歴とは相関しないだろうね。
学歴とか無関係に5chの漫画サロン板や同人板の男性向け女性向けの違いについて語るスレで深く語っているような人から採用すればよかった。
学歴基準で募集しても効率悪いというか、単純に読み手としての器があるか、目利きの力がどの程度あるかという条件から採用したほうが即戦力が集まるに決まってる。
俺も量としてはそこまで読んでないが、天性といったらいいかな、もうかなりの精度の目利き力を持っている自負がある。
藤井聡太がAIが最善手とする手をAIより早く導き出すように、俺にもAIより早く正確に画風から漫画を分析する自信がある。
まあヒューリスティックという言葉で語られる人間の強みというやつですな。それが俺等の場合は漫画の方面で卓越しているわけだ。
むしろあっちから俺みたいな埋もれたやつを見つけるべきだ。んで俺「雇われてやっても?いいよお?」って感じでも渋い顔ひとつしてはならん。俺は天才なんだから。
と思うのはダニングクルーガーかもしれんね。そんな特別な能力じゃなくて俺以外にもタグが不適切なのに気づくやつはわんさかいるのかもしれん。言わないだけで。
あるいは大した人件費かけてまで正確を期してタグ付けする経済的効果がないということかもしれん。コストロスモデル的に。
あとは俺みたいなやつ優越感に浸らせてるのは損も得もしないしそれで俺みたいなやつが勝手に悦に入ってるなら単純に「いいこと」してることになるから、まあそういう意味でも改善しようとは思わんのかもしれんね。
設定が雑なので雑に書くぞ。URL貼りすぎると投稿できないから所々自分で見つけて。
Udemy終わったら本
DeepLearning
理論(というか↑で紹介してない本)
その囚人はなぜ死刑を言い渡されるほどの重罪を犯すような人間になってしまったのだと思う?
監督責任は突き詰めれば親にとどまらず、ムラ、そして国家に行き着く。最終的に国民のための環境を整備する能力と責務のある者、それが国家だ。
自分の行動の責任を自分が負う能力があるはず、というのはあくまで人間が法や秩序を成り立たせるために決め打ちした虚構のルール、フィクションの概念にすぎない。人文科学的なマネジメントと言える。大雑把にはそれは有効で効率的に回る。
だが自然科学的に考えれば、そもそも人間はそんな責任と能力を持てるような生物ではない。狼に育てられれば狼の倫理観を内面化するし、スラム街に生まれれば盗まずに生きてはいけない。脳は環境に適応してパターン認識を重ねていくだけの肉塊だ。
であるから、どこかで人による裁きが虚構的であるという歪みを認めて、個人の責任能力を根拠に裁きを下す刑罰執行システムに妥協するポイントを作らねばならない。
そのポイントこそが、国家による殺人行為が刑罰となっている死刑、ということになるだろう。
国家くん「ウチの国が至らんばかりにとんでもない悪人を輩出してしまったわ、申し訳ないな、ワイの責任や、もう野には放てんが死ぬまで塀の中で面倒みたるわ」というのが穏当な極刑の形である。
国家くん「ワイは悪くないわ、こいつの面倒みる義理ないやろ、こんなウジ虫が湧いてくるの防ぎようがないやろ?十分国民のケアしとるわ!」と言ってはばからず、社会に異物が湧いてくる度に消し潰していく考えだ。
この発想をとる国では、懐は傷まないが、その分「なぜ我が国にこんな人間が形成されてしまったのか」に向き合うことはなくなる。
こうして国家が不出来な子殺しを続けていくことは、残酷なことに他ならない。
国家がすべきことは、例えるなら、違法ダウンロードを行う割れ厨を目ざとく発見して片っ端から吊し上げ首チョンパして「これが製作者の怒りや、こうなるんやで」と脅しを効かせて回ることではなく
割れ欲求を持つ人間がなるべく最小化されるように低廉で優れたサブスク方式ストリーミング配信サイトを構築できるよう促すことなのである。
消えるというか、アーケードの超難度を前提にした電子音楽みたいな一部のトラックは音楽ジャンル的な流行り廃りがあるかもしれん。だが音楽は人類がずっと親しんできた普遍的な娯楽であり、感情を揺さぶるものであり、それをアクションと結びつけて体感的な遊戯へと昇華させるという設計は不朽と言っていいだろう。つまり音楽という長い文化とビデオゲームという文化が結びついたが最後、ビデオゲーム文化自体が消滅しない限りはもっともしぶとく残るゲームジャンルの一つが音ゲーであると推測できる。将来ゲームシステムの変遷はあるだろうが、音楽つまり音やリズムに主眼を置いた遊戯である時点で非常に強力な普遍性を帯びているように思えてならない。
そして機械的に完全なプレイができることは、人間がプレイしたときの楽しさとは関係がない。音ゲーの楽しさは、完璧にプレイする機械の存在により毀損される類のものではない。逆に言えば、マクロによる自動操作プログラムを作る技量がある者でも、(ソシャゲ風の周回プレイを強いられる音ゲーでない限り)自動操作しようとは思わないし、他者も自動操作を羨んだりはしないわけだ。自分で操作すること自体に楽しみの本質があるから。
音ゲーの楽しさはいくつかの要因によって成る。無意識的に行われるパターン認識、周辺視やリズム感によってあたりをつけてて「こう弾けばいいだろう」と推測したパターンがぴったり合った時の快感(初見時に多い)。脳の処理に運指が追いつくようになり、難所を抜けられるようになった時の、いわゆる「逆上がりできた」のようなスポーツ的達成感。繰り返しプレイすることで「身体が覚える」感覚と、それに伴って精度が向上しスコアに反映されていく喜び、それがフルコンボやオールパーフェクト等のトロフィーとして残る快感。そして最終的には、最初から最後まで失敗にめげず、あるいはノーミスで来ていることに怯まずにプレイしきる精神鍛錬の要素が入ってくる。
そういった上達の過程を楽しむことが音ゲーの遊びとしての本質なのだ。その性質上、下手な人の方が得られる快感の総量が大きく、ある程度音ゲー全般で通用するスキルを得てしまった人に対しては高難度にしていくしか快感領域の伸び代を確保する術がない。そうなると、ノーツを詰め込めるタイプの楽曲は似た傾向になりがちだというのは確かにあり、問題視するのも分からなくないが、あくまでゲームなので、楽しいと思える範囲まで遊べばいいだけだと個人的には思う。それ以外に一点憂慮するとすれば、音ゲーというのは前述のように非常にパラレルで複合的なリアルタイム認知を数分間に渡り集中的に必要とするため、脳にそれを苦手とする性質がある人にとっては非常に取り組みにくくて楽しさを感じる領域に至りづらい問題があるかもしれない。音ゲーは数あるゲームジャンルの中でもスポーツ寄りだ。競争要素が乏しいのでe-スポーツ分野には入らないだろうが、運動神経を含めた感覚的な操作が求められる点で、人を選ぶ部分があり、特定タイトルの人気や流行にあてられて致命的に向いてない人がプレイをし続けることになると怨嗟を生みかねない部分もあるかもしれない。とはいえ、どのゲームジャンルにおいても向き不向きはあるもので、ゲーム自体の問題というよりは個人の取捨選択スキルの問題だろう。
もう一つ、音ゲーと同じような特徴をもつゲームジャンルがある。それはレースゲームだ。他プレイヤーやNPCの車による物理干渉という不確定要素を排するならば、レースゲームというのは非常に音ゲーに似た「機械的に最善がトレース可能な遊戯」だ。最適なライン取り、アクセルワークというのは厳に存在する。リアルなゲームだと路面状況の変化やタイヤの摩耗などの要因もあるとはいえ、最速のAIは容易に作れてしまう。音ゲーと違う部分は、常に一定でプレイ結果と無干渉に進行していく譜面に対して、レースはコース自体は不変ながらも進入時のブレーキング地点・進入角・速度の僅かなズレが後々のライン補正すなわちリカバリー操作に大きな差異を生む点だ。ただし、それらを寸分違わず毎回再現できるならばプレイ結果は同じになる。
そうした差異はあるとは言え、大雑把に言えば音ゲー同様にパターン認識によってあたりをつけてプレイし、反復してプレイすることで腕を上達させていく、試行錯誤の過程の快感に主眼を置いたゲームジャンルであることに違いはない。とはいえこれはタイムアタックのような早く走ることを目的としたゲームモードの話であって、カジュアルなレースにはカーチェイスなどの多様なゲームモードがある。その点は音ゲーより多様性に富んでいる。しかしそれは選択肢が増えてるというだけで、純粋に進化と捉えていいだろう。音ゲーが将来多様なゲームモードを開拓していった場合も、それはゲームジャンルにとって良いことだと思われる。
ところで、薄々感じてはいたが、元増田は本当は音ゲーに対して悲観的なのではなく、単純に、音ゲープレイヤーに嫌悪感を持っているだけではないのか。自分以外の音ゲープレイヤーに軽薄さを感じており、あるいは恨みを持つに至る出来事があったのかもしれないが、ともかく自分が人を嫌悪していることを自覚したくなくてゲーム自体に諸悪の根源を求めようとしているのではないか。イキったプレイヤーを見て「それが何になるんだ?」とマウントを取れる要素を列挙して拗ねているように見えるのは自分だけだろうか。
自分は、モノ自体に善悪はないという信念に近い価値観を持っている。誤るのは常に人間のほうであり、モノが過ちを誘導しているように見えたとしても、人間はモノに惑わされない知性を備えているべきで、備えていると考えてモノは作られ、使われるべきだと考える。さもないと、人間はどんどん白痴になっていき、モノに操られるモノ以下の存在に貶められるだろう。モノが特定の性質の人間を集めていると感じ、それを良しとしないのなら、自分が好む性質に改変したモノを作る側になるしかない。この増田に対して適用するなら、増田の思う軽薄でない音ゲーを作れるのは増田だけだと思うのだ。安易にジャンルそのものを悲観して多様であるはずのプレイヤーをまるごと切り捨てんとする夢想に耽るよりは、よっぽど現実的で建設的な考え方だと思うのだが。
お前は浅学非才無能怠惰であるが、親の教育の賜物で国立大学に入れた。
しかしデータサイエンティストになりたいなどと夢を見たせいでお前のスキルはボロボロである。まず、お前の学部で学ぶ、経済学であるが、経済学はマクロ経済学もミクロ経済学もテスト問題を解けるようにしただけで本質は掴めず、データサイエンスに少しでも近づこうと取った計量経済学の講義はコーディングのテストは余裕でクリアしたが、面接で理論を答えられず落単した。
プログラミングは学部のまわりのやつらよりは多少できたが、それでも1番ではなく、当然外の世界を見れば、底辺もいいところである。
肝心の機械学習についてであるが、情報学部のパターン認識の講義をとったものの、ただコードが動くように書き、手書きの数字を識別できるようになっただけで、SVMの理論的背景もNNがなんたるかということも理解できぬまま、C評価の単位がきたのみである。
かといって努力せず、まわりの人と交流することもなければ、無理やり実績を作ってインターンに行くようなこともしなかった。
よくて数行のコードとGoogle Analyticsを使う程度の仕事しかできないお前はそうして雪かきをして一生を終えるだろう
私のことを散々被害妄想だの悲劇のヒロイン症候群だの罵ってきた親なんだが、一つしっくりくる結論が出た。会話をパターンでしか認識していない。
兄が悪口を言った→私が何か言い返した→私の被害妄想!黙らせなきゃ!
このパターンの刷り込みが本当に酷くて、私が「はいはい」って流した時も「今のは悪意で言ったんじゃないよ」と、意味不明な兄擁護をかましやがった。
さらに言えば、悪口に関しても強固なパターン刷り込みがあるっぽくて、コミュニケーションに使う悪口(私はこの概念すら嫌いになってる)と悪意をもっていう悪口は親の中で完璧に区別できるものらしく、なんなら悪口に対して悪意を認識しようとしない。多分悪口を言った→悪意なくコミュニケーションを取ろうとしてる、というパターン認識がある。この認識があるとしたら、今までの「悪口は言うほうが悪い」と「反応したお前が悪い」「お前の被害妄想」「悲劇のヒロイン症候群患者」「社会で通用しない」が矛盾しない。なぜなら、親にとって悪口は悪意の介在が必須だからだ。(任意の罵倒)→悪意がないから悪口じゃない!という自分の中での論理が誰にでも通用すると勘違いしてるんだろう。自分と他人の区別がつかない4歳児くらいの思考。
どうしようもない馬鹿の処世術なのかもしれないが、それを息子に押し付けんじゃねえ。馬鹿は生きてるだけでクソ迷惑。4歳児レベルの人間が子供を産むな。兄が自分のケツも拭けねえゴミに育ったのも、お前が一生懸命ケツ舐めてたからだろ。どうしてこんなふうに育っちゃったんだかってお前がそう育てたんだよ。
みたいなことをチクチクと言ってるんだが、めちゃくちゃ怒るんだよね。自分に対する悪意にはものすごく敏感。もう脱力した。親の言うことをまんまコピーして、「今のは悪意で言ったんじゃないよ」とか言えば、「どうしてこんな子に育ったんだか」だそうだ。その後はずっと無視で、大人の対応のつもりらしい。「それは都合が悪くなったからだんまり、であって大人の対応ではないよ」と、追い討ちをかけたら私愛用のマグカップを全力で床に投げていた。割れなかったので非常に滑稽だった。こんなのに「被害妄想が激しい」とか言われたことを本気で悩んでたのか。私は馬鹿だなぁ。
本当に会話をパターンでしかできないんだろうね。都合が悪くなったら黙って会話を拒否すればそれ以上攻撃された経験もないんだろう。それを大人の対応と勘違いしちゃったので、こういう中身ガキの大人ができる。そして簡単に、盛大にバグる。
今度帰省した時はどんな悪口を言ってやろうか。どんな罵倒をしてやろうか。そしてバカの最後の捨て台詞は何か。「社会で通用しない」ですら「子供に強く反発されたときに言う言葉」くらいのパターン認識出力だし、なんなら今私は精神的に全く向上しないままバリバリ社会で働いてる。私の予想は「今に分かる時が来る」だ。年上である限り使える捨て台詞として優秀な一言だ。あのバカを、あのバカの理論で徹底的にやり込めるのが楽しみでしょうがない。バカが嘆いたり怒ったりするほど、私の正しさが証明されていく。
「どうしてそんな酷いこと言うの」「親に感謝はないのか」だって?「まず悪意に取るのがおかしい、それを悪意ととるのが激しい被害妄想だよ。反応する方が悪い。そうやって自分ばっかり攻撃されてるっていう勘違い、悲劇のヒロイン症候群って言うんだよ。あーかわいそかわいそ。そうやって過剰に反応してたら社会で通用しないよ。」というパターンで返そう。情に訴えかけてきた→お前の被害妄想。やめろと言ってきた→お前の被害妄想。
さて、予想される捨て台詞「今にわかるときが来る」に対して、何て言えば発狂してくれるだろうな。徹底的に会話をパターン化しないと、あの相手を黙らせるワード並べるマシーンには勝てん。ちょっとでも黙ったら精神的勝利からの「まだ言ってるの」が来る。それに対してもカードはあるが、精神的勝利すら感じさせずに一気に倒すと発狂レベルが2段階上がって達成感もひとしおだ。また食器に八つ当たりが見れるかな。
人類にはみなパターン化本能があるので、「偏見を100%捨てて対象のありのままをみよう」みたいな綺麗事は絶対に達成されない。
(パターン化本能がなくなれば人間は何をするにもいちいち長考しなければならなくなって早晩滅ぶ)
では差別はなくせないのか?といえばそれは違う。
ガタイのいい黒人を見て「怖っ」と感じたり、不潔な容姿のやつを見て「きもっ」と感じるのはこれまでの経験から導出されたパターン認識であり、変えるのは容易でない。
でも怖いから撃ち殺したり、キモいからイジメるのは差別的「行為」であり克服することができる。
黒人を殺したらちゃんと処罰されるようにする。不起訴で終わらせたり無罪にしたりしない。
ブスでも採用する。書類選考で落としたりしない。学校でイジメるような奴には罰則を与える。
まあここまで書くとわかるだろうが元増が問題に感じているのは差別ではなく偏見のほうだろう。
はっきり言って偏見はなくせないし無くならない。
せいぜい塗り替えるくらいしかできない。
塗り替えたら塗り替えたでまた別の問題が出てきたりするから終わりはない。
けど今よりマシにはなるかもしれないから頑張って塗り替えていこう。
気にしすぎ。ADHDにも症状に幅があって、元増田は10段階で3くらいに思う。
それくらいの症状なら大体の人は「性格」や「天然」という言葉で片づけられて普通に過ごしてる。
察しが悪いというが、察せてないという事実を察せている時点でだいぶマシ。
定型のやってる無言コミュニケーションはエスパーのように見えるかもしれないが、
所詮はパターン認識なので、多少物覚えが悪いという程度で自覚を持っておいて、
その都度一個一個暗記していけばいい。
元増田はADHD的な習性を持っていることを隠したがっているようだが、
察しのいい周囲の定型にはとっくにバレている。
それでも親や友人が離れていっていないということは、
ちゃんと受け入れられているということだ。
迷惑かけない程度の軽度の失敗を周囲に次々報告してみてはどうか。
無い物は散らからない。
行動に余裕がないのは睡眠の質の悪さが影響していると思われるので、
精神科に行く前にまずは上記のちょっとした習慣を身につけるといい。
あくまでオレ個人の経験則としてなので、他の人が違うと言っても知らんw
ちょっと前に、とある法事の席で長時間座って窮屈な姿勢で居たせいだと思うんだが、左膝の関節がイタイイタイなのであった。
もちろん、もう50代という年のせいもあるだろう。
歩けないほどではないのだが、左足をつくたびに痛みが走るので、若干ビッコ引いた形で歩かざるを得ない。
近頃では、監視カメラ映像から顔が判別できなくても、歩き方のパターンで個人を識別して追跡とかできる技術もあるそうだが、きっとそれ以前のオレと、ヒザが痛くなってからのオレは、同一人物とは認識されないだろうw
で、つらいけど頑張って毎日愛犬の散歩とかで30〜40分歩いたりしてたら、医者にも行かずクスリも使わず、あとマッサージやら整体やらテーピングやらいろいろ世間ではこういう時に行われるであろう対処を全くしてないのに、2週間くらいでかなり痛みが退いて、歩きパターン認識で元のオレとバレるくらいにスタスタ歩けるようになって来たわ。
https://anond.hatelabo.jp/20171217013541
https://anond.hatelabo.jp/20171219000743
上の日記は近い将来、AI医者にとってかわられるって話ばかりです
今のAIって、機械学習とかニューラルネットワークとかDeepLerningとか言われてますがそれって結局は特徴量を覚えてパターンとして覚えて当てはめてるだけなんですよ
「それって何?」
微少変化を出して記憶しているだけ
パターン認識なんです
ところで話かわりますがIQテストって要はパターン認識とその適用ですよね?
ちなみにおっさんは小学校の時に130ぐらいでした(自慢)(でも東大はいけませんでした涙)(メンサとか無理涙)
(通じなかったらごめんなさい)
ただ積分はできないっぽい
囲碁で人間に勝ったAIのalphaGoだって、積分ができないから全てのパターンを超高速で計算して、それぞれの局面を微分して評価して次の手を決めてるだけなんです
高度な資格の必要な職業って、結局記憶力とパターン認識じゃないですか
それだけやってる人は職業を失うんですよ
という盆休みで嫁と子供が実家に戻ってて自由に酔っ払ってるおっさんの戯言でした!
「積分力を鍛える!」
はてブでこのようなことを言ってる人をよく見かける。インテリはてなーに対してはわざわざ忠告することもないのだが、インテリはてなーのフォロワーやワナビーはインテリではないので、ここでちょっと申し上げておいてもいいのではないだろうかと思った。
「またナントカ案件か」思考法において彼らが行っているのは、物事を自動的にパターンA、パターンBといったように振り分けることである。もちろんこういったパターン認識は情報を素早く処理できるというメリットがある。パターンAであればそれへの最適な解答はαであり、パターンBであればそれへの最適な解答はβであるというように。彼らはそれがナントカ案件であると認識した段階ですでに最適解を反射的に出しているわけだ。問題の認識と解答がほぼ同時に行われている。刺激に対して反応が決まっている。
たしかにこれは非常に合理的な判断のように思える。同じようなパターンなら同じような解答が最適になる蓋然性は高い。しかし彼らはその問題が以前の問題と比べてどの程度類似していてどの程度類似していないかについてまったく考えていないのではないだろうか。彼らは自分の思考法の陥穽を十分に理解しているだろうか。
物事というのは細部が重要である。細部の差異を認識し、その都度そこでしか発生していない特殊条件を勘案し、適切に処理できるかどうかに知性の差が現れる。どんなに素晴らしいデザインであっても、設計がその場に適応したものでなければ効果が得られない。「またナントカ案件か」思考法においては細部の差異を自動的に切り捨て、その場の状況に合うかどうかの深慮もなく、決まりきった解答αやβを放り込むのだ。そして「これで万事解決!」そう彼らは思っている。
この思考法を採用している者は物事を分かった気になっているが、正確に言うならば、彼らが分かっているのは物事から細部の差異を切り落としたあとに残った理想上空想上のイメージである。
彼らは物事の正確な認識を避け、「またナントカ案件か」思考法によって情報処理の負荷を軽減し、空想上のイメージに飛びついてそれを現実だと思い込む。そして、いまや現実と同じ価値を持つにいたった空想上のイメージについて彼らは解答αなりβなりを提示して、すべてがうまくいったような気になっているのだ。物事がパターンAそのものであれば彼らの解答αで完全に片がつくだろう。しかし世の中はそれほど単純ではない。それは問題の矮小化、議論の簡略化にしかなっていない。
物事にはすでに用意されたパターンによっては拾いきれない膨大な背景が存在し、その背景の要素同士がさまざまに絡み合って、一つ一つの物事をそのときそこにしか存在しない独特のものにしている。
情報を受け取ったときの第一印象として、パターンAに類似している、あるいはパターンBに類似しているなどと察するのは問題ない。賢い人は一瞬でそういった思考をめぐらせて大体の全体像を把握する。しかしそこで「これはパターンAに類似しているからαをやっておけば問題ない」とするのははてなーに求められる態度ではない。類似したパターンを検索するのは始まりにすぎず、むしろそこからすべての議論が始まって深まっていくはずなのだ。
だがどうもこういったことができない人をよく見かける。「AだからAなのだ。だからαすればよい」などといった態度はどれほど知的な態度だというのだろうか。こういった種類の人間は自分の有するパターンの数を誇っているのかもしれない。「俺は1000のパターンを持っているから現実に対処するには十分であろう」などというように。こういった傾向を「知識オタク」と言えるかもしれない。
しかし実際のところ、彼は1000個のボタンと、そのボタンを押すことによって得られる効果を丸暗記しているだけなのだ。Aを押したらαが出てくる。ただそれが1000個あるだけなのだ。1000個では現実を生き抜くには少なすぎるだろう。それなら1万か、10万か、100万か?
おそらくそういうことではない。
こういった「またナントカ案件か」思考法によると、完全に未知の問題には対処できないのだ。未知の問題に挑んでいくのが知性というものではないだろうか。
安易な判断を下す前にまずは物事をよく観察し、情報を揃えてみてはどうだろうか。SNSを中心にやっているとインターネットというのは速さが求められがちだが、実は自分のペースで好きなだけ考えることができる空間でもある。
かつてお笑い芸人のおぎやはぎが「一概には言えない」と言っていたことがあるが、まさにこれなのだ。こういった態度にネガティブな印象を持つ人も多いかもしれない。しかし一概に言えないということは何も言えない、言わないということを意味するものではない。むしろ何かを言おうとしている態度である。だから何か言うまで待ってほしいし、十分に待つべきなのだ。
デマ情報、嘘ニュースの拡散が問題になっているが、「またナントカ案件か」思考法ともつながっているのではないだろうか。情報を見た瞬間に「これはひどい」あるいは「これはすごい」と認識し、それですべてを理解した気になってしまう。背景にどういった事情があるのか記事のバイアスはどう評価できるかなどを考慮せずに、あるパターンに類似した情報を、「きっとあれのことだろう!」と自分の中にある既存のイメージに結びつけて理解した気になってしまう。現代のインターネットには速さと同時に短慮がある。あるいはそれは短慮ですらなく、自動化されていて、ほとんどbot化しているとも言えるかもしれない。
https://anond.hatelabo.jp/20170922175229
>純粋な観戦とかハイレベルな観戦をするファン層っていうのがE-Sportsにありえるのか俺は疑問に思ってる
この日記を書く一人がそのファン層であるのは明らかだが、多くのゲーマーに聞いても回答は同じ。
eスポーツ運営サイトのCyACが、2017年にゲーマーを対象としたアンケートを実施した。
CyACゲーマー国勢調査2017春 eスポーツの認知と参加・動画配信の利用状況
全4459件の回答を見ると、観戦目的の大半が「自分のゲームスキルの向上」だった。次に多いのは「大会とイベントを見て楽しむ」。
選手のキャラクター性や大会の雰囲気ではなく、純粋に選手の上手いプレイを求めてる訳。
もちろん、個性的なプロゲーマーを見に行くという動機もあるが、やはり中心となるのはゲームの腕前だ。
>そこまで理解度が高かったら「この試合も前に見たパターンだって」感じで観戦しても
>パターン認識でほとんど流れがわかっちゃって新鮮な体験にならない
今年のWCSを見てないのか? League of Legendsの世界大会。
韓国のプロチームが観客の度肝を抜くプレイをして、「今までこんな試合見たことない」と世界中が驚愕した。
理解度が高く、経験も豊富な実況・解説・プロゲーマーの三者までも呆気にとられていた。
例に出したLeague of Legendsなら、パターン通りに試合が進みがちでゲーム時間も長いから、退屈な時間は少なくない。
30代後半のオッサンだけど
あなたは頭が固くて、それは加齢のせいというより多分元から固かったのだと思う
頭が固いというのをもう少し別の言い方をすると
特に『東京喰種』なんて、『寄生獣』でやったテーマを焼き直しているようにしか見えない。主人公も結局何がしたいのかよく分からない。
すごーく大雑把に切るなら『東京喰種』と『寄生獣』に設定の共通点(人喰い生物が社会に紛れ込んでる)はあるけど
なのに表層的設定の類似点だけを見て『寄生獣』と同じ目で読もうとして読めないっていうのは
これはやっぱりパターン認識が貧しくて、更に新しい物を獲得する為の柔軟性も欠けてるということ
ただどうも、あんたは『東京喰種』以前に『寄生獣』もよく理解出来なかった人のように見える。