P47
映画『2001年宇宙の旅』()それから20年以上たったいまでも、私たちはまだコンピュータへの意思伝達にキーボード(傍点)を使っている。コンピュータは音声言語を厳密にデータ化することはおろか、理解することなどできないからだ。(略)脳が暗黙的にしていることを明示的に再現しようとしてはじめて、人間の認知システムについての理解がいかに乏しいかにようやく気づくのだ。
コンピュータのチェス指しプログラムの歴史は、この件についてすばらしい例を示している。しばしば()あたかも人間の名誉が危機に瀕し、「機械の台頭」は近いかのように評されるのが常だ。しかし、(略)
したがって人間の指すチェスは、直感的思考と合理的思考のどちらも伴うハイブリッドな作業である。(略)
ディープブルー(略)ほどのコンピュータ処理能力を配備しても「誰もが認める人間に対する最終的勝利」に達しないという事実こそ、人間の脳の非合理的思考プロセスがもつ底力と洗練のしるしである。
p35
直感的な判断は、なぜあなたがそれをしたかという理由を説明できないものだ。これに対して、合理的な判断はつねに説明ができる。だからと言って直感的判断が誤りだとか欠陥があるというのではない。
p36
合理的判断は理性に基づいている。()ハロルド・ガーフィンケルが「探知でき、勘定でき、報告でき、物語ることができ、分析できるもの――手短にいうと、説明できるもの」と表現した思考である。
p37
最初に問題を見た時には、たいてい(略)手早く直感的なパターンマッチングのアプローチを用いて解決しようとするのだ。答えが間違っていると気づいてはじめて、解決をおしつけるために、追加の認知資源を引っぱり出してくる(<窓口のスタッフが手に負えなくなってから>上司を呼ぶ行為の脳内版である。)
P33
答えーー(A)はい。(B)いいえ。(C)どちらとも決められない
もしあなたが大多数の人と同じなら、最初にこの問題にこたえようとしたときは間違えることになる。
いかにも正解に見えるのは(C)の「どちらとも決められない」である。
(約18行略)
正解は(A)「はい」となる。これは実際、合理的な視点からはきわめて明白である。しかし同時に、直感的ではないため、初回は間違えやすいのだ。
前提知識
https://davitrice.hatenadiary.jp/entry/2014/01/02/232257
・ハイトは、人間の欲求や感情の強さと、それをコントロールするはずの意志や理性の弱さを、「象(欲求・感情)の背中に乗った象使い(意志・理性)」と表現する。自分自身の行動について、理性にもある程度はコントロールする力があるが、主導権は感情に握られている。「私は手綱を握り、あっちへ引っ張ったり、こっちへ引っ張ったりして、象に回れ、止まれ、進めなどと命令することが出来る。象に指令することはできるが、それは象が自分自身の欲望を持たない時だけだ。象が本当に何かしたいと思ったら、私はもはや彼にかなわない。」
p29
”いま一度、ハイトの理性=象使いという比喩について検討したい。ハイトの味方では、象使いは実際のところ象をあまりコントロールできないから、もしも象が一方向に進みだすのを感じたら、しっかりつかまって、その方向へ進むのが身のためだ。この重要な喩えについては(略)理性は、いざ直感とまともに太刀打ちしようと表も、そこまで強力ではない。とはいえ、ハイトが描いた構図には重要なピースが欠けている。象使いには象から飛び降りて、象が進んでいく環境を改めて整えるために、地面の状態を直す能力もある、と考えてみてほしい。そうすると、左に行ってほしければ、象にそっちへ行けと蹴りつけたり怒鳴ったりするよりも、象から飛び降りて象が怖がるもの()を右側に置けばいい。ふたたびその背に乗ったときには、あなたは象をコントロールしている。ただし、もはや直接しているのではない。あなたの象の操縦は環境によるものかもしれないが、コントロールであることに変わりはなく、結局のところ大切なのはそれなのだ。”