はてなキーワード: 過食嘔吐とは
6年間、死ぬほど食べて、めちゃくちゃ吐いていた。
食べている最初の半分の時間だけが安心できて、食べ終わるにつれて食べてしまったことへの罪悪感が増し、吐いたら吐いたことへの罪悪感で死にそうになり、食欲と不安が抑えられなくてとにかく食べての繰り返しだった。四六時中食べることと吐くこと、それらへの罪悪感と不安しか頭になくて、とにかく地獄だった。
当時、誰がどう見ても精神的におかしかったので、吐いてることじたいは精神的に弱った思春期の女としてあるあるだと思えたので、周りに言えた。でも、吐いたことは言えても、異常な量を食べてることを誰にも言えなかった。
過食嘔吐って、そんなに痩せないし、めちゃくちゃ太りもしないから、吐いたとか言ってるファッションメンヘラだと思われて、まともに取り合ってくれる大人がいなかった。
私自身、過食嘔吐の中でも軽い方だと思うけど、(ホースとか使ってないし)
当時はパスタ2食食べて、冷凍ピザ食べて、菓子パン4個食べて、ポテチ食べて、チョコ一箱食べて、アイス2個食べて、それを全部吐いてた。まあ全部ったって7割くらいしか吐けない。だから痩せない。
吐いてる人はね、顔が土気色になって、身体に対して顔の下半分が異常にむくむ。あと吐きダコある人が多い。
散文で本当申し訳ないけど、私は容姿には恵まれてなくもない、というかんじで、中の中〜中の上くらい。
大学2年生のとき、私の容姿がドンピシャ好み!!!って人と付き合って、痩せてても太っても好きだよって言われ続けたら治った。
その節は本当にありがとう
だけどどうしてか、容姿に拘らないタイプの男と結婚してしまった。多分私のことは、中の中〜中の上と認識してはいても、別にそれが好きとかどうとかじゃないみたい。
話が複雑化するけど、
そいつとセックスレス(レスられ側)になり、さらに相手の転勤についていくため転職して見知らぬ土地にきて、過食がぶりかえした。とにかく自分への自信が失われてしまったことが原因なんだと思う。
職場は既婚者中途採用者は少なく、同期とかもいなくて、見知らぬ土地で友達も子供もおらず、コロナで友達作りもできず、普通に孤独。寂しくて不安で食べてしまう。
夫はとてもよく寝るタイプなので、夫が寝ている時に、月に一度くらいの頻度で過食をしてしまう…。
けど過食して、吐くとループ地獄が待ってるのがわかってるから、吐かないように頑張っているけど、罪悪感で、太る恐怖感で、死にそうになる…。
時々は吐いてしまってる
この増田を書いたものです。トラバ・ブコメの叱咤激励、ありがとうございました。
その後どうなったかのご報告ができておりませんでした。
・21wで早期破水、陣痛促進剤による分娩の末、死産となりました。
待望の第一子であり、計り知れない悲しみでした。
葬儀を終えて数日後、妻が「私が殺した」と半狂乱になって暴れだしました。そのまま自傷行為に走ろうとしたので私も必死で抑え込みました。
妻の持つ包丁が私の指を掠めて出血したのを見て、ようやく妻は落ち着きを取り戻しました。
お互いボロボロの状態の最中、妻から2つのカミングアウトがありました。
①結婚する前から摂食障害を患っており、今日まで毎日毎食後、胃の中の物を全てトイレに吐いていた。
①については付き合う前の10代からずっと続いており、50kgという数字をキープしていないと耐えられない、との事でした。
空腹感を感じるたびに食事・間食を取り、即座にトイレで吐いていたそうです。
私は一度も嘔吐する音なんて聞いたことがない、と言ったら、隠していたシリコンチューブを見せられました。
これを胃袋まで飲み込み、腹に力を入れるだけで内容物が綺麗に吐き出せるそうです。
ずっと体重が増えない事には気づいていました。お腹が大きくなるにつれ体重はある程度増加するものという知識はあったので大丈夫なのか?と心配でしたが
妻から、産婦人科の先生には「お腹の赤ちゃんが栄養取ってるだけで問題ない」と言われたと聞かされており、それ以上の追求はできませんでした。
シリコンチューブを見せられた時はものすごくショックで、なぜ今まで話してくれなかった?と聞くと「こんな異常な行動が理解される訳がないし、軽蔑されると思った。ただでさえ摂食障害がコンプレックスなのに、これ以上傷つきたくなかった」との事でした。
②在宅勤務がメインですが、コロナ禍の最中であっても弊社は時折一泊二日の出張があり
その時間はLINE等で妻と連絡を取り合うこともできず、ずっと家で独りでした。
あまりにも長過ぎる時間が苦痛で、その時に喫煙の欲求がフッと湧き出てきて、耐えきれず一本だけ吸ってしまった。それから私が家にいない時は隠れて吸い続けていたそうです。
タバコの香りの気配は感じる事があったのですが、妻から「上階の人がまた窓開けてタバコ吸ったみたい」という説明を聞かされていたので、まさか妻自身が吸っていたものとは思いもよりませんでした。
喫煙のリスクはわかっていたのか?と問い詰めたところ、全て調べた上で覚悟して吸っていた。独りになった時、どうしても我慢ができなかった。精神衛生上良くないと医者が判断する場合は少量なら許される場合があると知った。という返答でした。
聞かされた直後、まず、摂食障害について話してくれなかった事がショックでした。二人で望んでいた妊娠でしたが、妻がそんな状態なら妊娠は考えなかったはずです。
次に、裏切られた、という気持ちになりました。
妊娠発覚後からは炊事掃除洗濯は全て自分がやっており、まぁ単に私が家事好きで同棲期間中から独りでずっとやっていた延長なので威張る気持ちは特に無いのですが、それでも栄養バランス等考えながら毎日料理していたので、全て無駄だったんだなと思うと非常に悲しかったです。
お腹の赤ちゃんを大切に想いながらこのような行動が続いてしまっている時点で、これは当人の努力でどうにかなる問題では無いのだ、と判断しました(喫煙中はいつも「ごめんね」と泣きながらお腹を撫でていたそうです)。
子を失った悲しみと突然のカミングアウトによるショックでどうにかなりそうでしたが
おそらく今日まで一番苦しんでいたのは自分より妻のほうだ、と強く実感しました。
妻は「こんな自分はもう嫌だ。治したい。なんとかしたい」とも口にしました。
私は、自分の意志で欲求をコントロールできない時点で、専門家による治療が必要なレベルだと安直に判断しました。
禁煙外来と摂食障害について相談できるところを探そう。私も一緒に探す、治療に協力する、と伝えました。
すると妻は狼狽えて「私のせいで死産になったっていうのを病院の先生に伝えろというのか?そんなことしたら絶対に怒られる。耐えられない」「私は自分の力で頑張って克服したい。なのにそれを支えようとせず、第三者の前でお前は私に恥をかかせようっていうのか?」と言いました。
ここで、私の心はポッキリ折れました。
生まれてくる赤ちゃんのため、父親になる覚悟をもっと強く持て、と言われ続けてきました。
子供が真似しそうな私の悪癖はすべて直せと言われ、努力してきました。
「子供のために」とずっと言ってきた妻が、その子供は妻自身の行動で取り返しのつかない事になり、更にその事よりも「人前で恥をかきたくない」という自身のプライドが優先される。妻はそんな人物だったのだと、この時気づきました。
もう僕にはこの人を愛する事も支える事もできないし、その動機もなくなりました。
離婚については散々妻と揉めて、ひとまず双方の合意に至ったので
(妻に管理させていた100万の貯金が過食嘔吐のための食費でスッカラカンになっていましたがもうどうでもいいです)
離婚してからは、自分自身の時間をゆっくり過ごしたいと思います。
折角多くのアドバイスをいただいたのに、こんな結末となってしまった事が心残りです。
本当にすみません。
念のため、年齢はぼかす。創作なので俺も彼女もどこにもいないです。
俺には中学生の頃に女友達がいた。その子は低い声がコンプレックスらしくあまり人前で喋る方ではなくて、アスペルガー障害を持っていた(これは後に発覚)ので、よく周りが笑っている時に笑いどころが分からないと一人で真顔でポツンと座ってるような子だった。ストレスで上唇を噛む癖があり、パッチりとした目をした可愛い子だったが上唇がいつもボロボロだった。それでも2,3人の女の子グループにいつもいて、ぎこちなく笑いを浮かべて過ごしてはいた。
その子も俺もよく休みがちだった。俺は情報量が多い学校生活を送っていると脳と体が疲弊しきるので、周りと比較することを覚えた小4あたりから社会生活を諦めていた。布団に入って教育テレビを見ながら疲弊と不安で泣いてることが多かった。
彼女と同じクラスになったのは中1の頃で、席替えの時に隣の席になった。とある授業で前日休んだ人間が前日のプリントを職員室に二人で受け取りに来いといわれたので二人で一緒に行ったのが彼女と接点を持ったきっかけだった。今まであんまり接点がなかったが無言のまま行くの気まずいので「マンガ読む?」と彼女に聞いた。彼女は「うん、鈴木先生とか」と即答した。
当時でアクションで連載開始したばっかりぐらいの時期だったので、同級生にアクションを読んでる人間がいるとは思わなくて驚いた。父が買ってる漫画雑誌や父の本棚の本を読んでいるらしい。俺と全く同じだった。
それをきっかけに仲良くなった。ジャンプを読まず、アニメも観ず、流行がわからない俺には漫画の話をする相手が彼女しかいなかった。話を合わせる必要がある同性の同級生よりも、彼女と漫画の話をしてる方が楽しかった。彼女から「安野モヨコ」を教えてもらい、俺は彼女に「吉田秋生」を教えた。こっそり漫画を貸し借りした。「吉祥天女すごい面白かった」と彼女は言っていた。俺は「BANANAFISHは?」と彼女に聞いたら「IQ200もある人間が男娼なんかになるわけないし悪い意味で都合がいい展開多くてBANANAFISHは好きじゃなかった」とハッキリ言った。俺はそれを聞いてハッとして「それもそうだね」と笑った。彼女は笑うわけでも怒るわけでもなく、ただ無表情だった。最初は嫌わてるのかと思ったが、こういう子なんだと理解できた。
中3になって受験シーズンに入ると周りも受験モードになってくる。彼女とは別のクラスになったが、メールで時々やりとりをしていた。俺は特に行きたい高校がなかったので通信制の高校へ行くつもりでいた。欠席日数も100日を超えていたし、何よりまともに高校生活を送れるとは思わなかった。通信制の高校なら週1の通学で卒業できるので、俺でもなんとかやれると思えたのだ。「教師になりたい」と言っていた彼女は大学進学も視野にいれて進学校に行きたいらしい。俺も彼女も成績は上位20番台に入れたので、「学校休んでまで勉強しているガリ勉」だとかよく陰口を叩かれていた。特に進学に成績が関係のない俺は受験シーズンになっても変わる事なく学校を休んだりしていた。周りが受験モードになると俺は成績が50番台まで落ち、塾に通いだした彼女は上位10位をキープするようになった。同級生に志望校を聞かれたとき、通信制の高校名を口にすると驚かれた。なんでそんな所に行くんだ。と。三者面談の時に担任から「第一志望を通信制の高校にするやつなんて初めて見た。考え直せ。」親からも「せめて普通の子みたいに普通の高校行ったら?」と言われた。周りから理解はされなかったが、学校を休みがちな彼女だけは「頭の中がオーバーフローしそうな時は横になってるのが一番落ち着くんだよね、それ以外どうすればいいかわからない」と言っていた。あの時俺の気質を理解してくれてたのは彼女だけだったと思う。面倒くさかったので、家から一番近い学校を受験した。前期受験の時に同じ中学から受験した子は成績が「160人中120位」ぐらいの子だった。「え!?なんでお前もここ!?」みたいな反応をされたのを覚えてる。周りにも騒がれた。
俺は第一志望の通信制の高校に通うを事は叶わず、家から一番近い偏差値40ぐらいの高校に通うことになった。彼女は後期試験で第一志望の高校に受かった。思春期の周りが恋愛モードになるが、俺たちは卒業まで学校で会話することもなく、淡々とメールを交わすだけだった。ある日彼女に「好きな人いないの?」と聞かれた。俺は「枕と敷布団とかけ布団の3股してるよ」と答えると「私もだ笑」と帰ってきた。「塾の先生がすごい恰好良くてね、携帯にペアのストラップつけてるんだけど、あれは彼女いるんだろうな。私も彼氏欲しいな」と言ってきた。今思うと、彼女が学校で仲良かった異性は俺ぐらいだったし、あれは彼女なりのモーションだったのかもしれない。彼女にとって俺は恋愛対象じゃないと思っていたので「高校行ったらできるんじゃないかな、応援してる」と返した。そんな感じで卒業して俺たちは疎遠になった。俺はこのままうだつの上がらない生活をし続けて、高校進学で高みを目指せる彼女は、もっともっと高い所に行くんだろうな。と少し寂しくなった。
俺は高校では相変わらず休みガチだったが、中退はさすがにまずいと思って卒業できる程度に通った。授業も中学の復習から始まったりして、授業も教科書をなぞるだけだったので、体が辛くても無心でノートを取って、休み時間はずっと寝ていた。幸いクラスメイトも良い子が多くて、人間関係で悩むこともなかった。一度学期末の成績優秀者で学期末に壇上に呼ばれたのがトラウマになり、勉強は授業を受けるだけで一切手を付けなくなった。
高3の頃に俺は進学か就職かの岐路に立たされた。進学する金も家になければ熱意もなくて、自動で就職になった。よく教師や親からは「お前みたいなやつ社会じゃやっていけない」と言われていたので、そんな大人たちがいう「楽な仕事」の代表の「市役所」に就職することにして、公務員試験の対策で過去問を解いてたら高卒枠で滑り込めた。うちの高校から市職員を輩出するのは初だと、また騒ぎになって、来年インタビューに行くからなと担任から言われたのがすごい嫌だった。
就職が決まってから、俺は中学の頃の彼女を思い出した。中学を卒業してから「高校どう?」と一度連絡したら、「楽しくやってるけど、周りが勉強出来すぎてヤバイ」と不安をこぼしていた。少し心配だったが、勉強に忙しそうだったし、彼女に連絡を入れて勉強の邪魔をするのも嫌だったし、もしもガス抜きしたくなったら俺に連絡くるだろう。と思っていた。それ以降連絡は来てない。まだ教師を目指してるんだろうか。大学はどこに行くんだろうか。あれだけ不登校気味だった俺は市職員になるよ。税金でご飯食べるよ。笑っちゃうよね。鈴木先生おわっちゃったね。この間ね、安野モヨコのエッセイ読んだよ。いろんな話をしたかった。「久しぶり、元気?」一通だけ送った。ひょっとしたらアドレスが変わっていてメールは届かないかもしれない。無事届いた。がその日は返事が来なかった。
翌日の夜中に一通メールが来た。彼女からだ。「久しぶりー、そっちも元気?私はまあまあかな。私入ってからすぐ高校辞めちゃった。〇〇駅(県内で一番大きな駅)の西口で売春してたら補導されて、親にすごい怒られて家にも居られなくなっちゃってさ、今は回春エステを転々として寝泊りしてるよー。増田は大学行くの?頭良かったもんねえ」
ビックリした。
口から晋三が出るかと思った。
中学の俺たちは似た者同士だと思った。しかし俺は彼女だけが高みへ飛んだと思っていたのだ。俺がだらだらと低空飛行の高校生活を送ってる間に、彼女は高校を辞めるぐらいまで追い詰められていた。働きたくなかった俺は公務員になり、教師になりたかった彼女は風俗嬢になっていた。一体どこでどう間違えたんだ?あれだけ高校受験を励めるお前が、頑張れるお前が、なんで落ちたんだ?落ちるんだったら俺の方だろ?
俺は彼女とご飯を食べに行く約束をとりつけた。会って話がしたかった。幸い昼間は時間の融通が利くそうで、予定調整してから合うまでに時間はかからなかった。
久々に会った彼女は顔の印象がだいぶ変わっていた。黒い髪は相変わらずだったが、パッチりとした目の下には人工的な涙袋が入ってた。垢ぬけた感じはあった。体は細いがなぜか指がパンパンに膨れ上がっていて、表情があまりかわらないのは昔のままだった。ボロボロだった上唇が細くきれいになっていた。
「久しぶりだね、大人っぽくなったな」と声をかけると「そっちも中学の時よりすごいかっこよくなっててビックリした」と言ってきた。彼女はこんな事言えたのか。なんか変わったなと思った。
ファミレスで軽食をしながら俺たちはお互いの話をした。彼女からは3年間の空白を埋めるようにいろんな話を聞いた。
彼女は高校に進学してから授業についていくためにずっと勉強をしていた事。授業についていくために塾にも通った事。それでもとうとうキャパティシが限界を迎えた事。家で数学の勉強をしてる時に発狂してしまった事。不安と違和感を感じた両親が精神科に連れていき診察した結果、適応障害とうつ病だと判断された事。両親と医者と本人との3者でのカウンセリングを重ねたり、いろんな検査を受けた結果幼少期からアスペルガー障害があることもわかった事。その高校を辞めた翌年は別の学校に再受験した事。受かったが周りが自分より1つ年下の環境と、前の学校が県内上位の進学校だった事もありすぐに噂が広がり居づらくなった事。ブロンでODをした事。次第に金パブにも手をだすようになった事。金パブブーストで学校に通い続けることができたが、そこでも最終的には居づらくなり精神が限界を迎えて学校を辞めてしまった事。応援してくれた両親も激怒し愛想つかした事。フリーターとしてコンビニバイトなどをするも空気が読めず、どこへ行ってもうまくいかなかった事。バイトを転々としていた当時高2の彼女が自分一人の力でも食べていけるようになった手段が「売春」だった事。売春を続けていたら補導されたので、寝泊りができる回春エステで働くことにした事。過食嘔吐がストレス解消の手段になった事。整形して顔をいじったこと。今の収入じゃ満足できなくなってきた事。回春エステでチップをもらいながら本番をしていたところ病気をもらって運営にも本番行為がバレた事。今度デリヘルに転向する事。一切本が読めなくなったこと。文章が頭に入らなくなったこと。休みの日は過食しながらyoutubeでジャルジャルの漫才を見てゲロ吐いてる事。誰かにずっと監視されてること。いつも誰かに悪口を言われてる気がしてるということ。昔の彼女の面影を探すように俺は彼女に色んな話をきいた。中学の3年分よりも彼女と話した。
しかし俺は彼女に「普通の生活に戻る気はないのか」とはどうしても聞けなかったのだ。学生生活を満足に送る事が出来なかった俺だからこそわかる。その質問は残酷すぎた。普通に働けたのであれば、とっくに働いているのだ。彼女の話をきいて、彼女が彼女の世界でなんとか足掻こうとしてるのが俺には痛い程わかった。
「中学の頃にさ、〇〇(女友達)はIQ200もあれば男娼になるはずない。ってBANANAFISHを批判してたの覚えてる?」
「あー、懐かしい。言ってたね。吉祥天女今でも好きだよ。文庫版買っちゃったの実家にある。」
「買ったんだ、言ってくれればあげたのに。俺はさ、〇〇が風俗嬢になるはずない。ってこの間のメールみて思ったんだよね。」
「だから?」
「でもそれって、〇〇のしんどさとか辛さとか経験を、俺がわかってないだけだったんだな。ってお前の話聞いて思ったよ。アッシュが男娼になるまでのバックグラウンドがもっと掘り下げられていれば、〇〇もBANANAFISH楽しめたのかなー」
「増田は変わらないね。私の土俵で私の漫画の話をしてくれるよね。中学の頃私と一緒にいた女友達覚えてる?あの子たち時々連絡くれてたんだけど、高校中退した時に『何があっても友達だから』って言ってくれたのに、私が売春初めてから連絡してこなくなったよ。私が売春してんのも回春してんのも同級生の間でもう噂になってんでしょ?この間中学の時の××からヤらせてくれってメールきたよ。ただ話したいから会おうって言ってきたのは増田だけ。増田からメール来た時、仕事中もずっと増田の事思い出してた。うれしかったよ」
「そんなに嬉しかった?だったら、薬指切り落して俺に送り付けてくれてもよかったんじゃない?(安野モヨコの漫画ネタ)」
「馬鹿じゃないの」3年越しにあってから初め聞いた彼女の笑った声と、笑った顔だった。
俺には彼女を救い上げてやることはできないし、彼女の生活を支えてやることもできない。彼女を守ることもできないし、俺たちにはお互いを支えあうような力は残ってなかった。日々の生活でいっぱいいっぱいなのは、お互いが一番よく理解していた。公務員に内定が決まった俺に目の色を変える同級生がいたが、一番寄りかかりたいだろう彼女は俺に依存しようとは一切しなかった。性風俗を咎めず、性風俗に従事している彼女をただ受け入れて話を聞く。俺にできるのはそれだけだった。
俺たちはその日たくさん話して、仕事へ向かう彼女を見送った。何故かもう会えない気がしたので、「体に気を付けて」といったら「そっちもね」と、中学の頃と変わらない無表情で返ってきた。
それから数年経ったある日、彼女から「私と会った事ある人だよね?ずっとスマホが監視されてて。確認したかったの。ヤバい人にずっと付きまとわれてて、ネットに本名も晒されて、ずっと監視されてるから疑心暗鬼になっちゃって」とよくわからないメールが飛びこんできた。「久しぶり、増田だよ、中学の頃から同級生だったろ。大丈夫か?」とメールを返したが送信エラーになった。
心配した俺は、ひょっとしたら彼女が実家で療養しているのかと思って、中学の同級生から彼女の実家の住所を聞き家まで行った。表札には彼女の苗字はなく別の苗字が書いてあった。念のためインターホンを押したら現住民が対応してくれた。どうやら今の住民は中古物件としてこの家を買ったみたいで、前回の住民とは一切コンタクトは取っていないとの事。文章でのやりとりが得意で、口語でのやりとりが苦手だった俺たちは、携帯の電話番号を交換していなかった。俺は彼女と連絡をとる手段を失った。
元々ストレスのせいか胃酸が多い体質で、何度か逆流性食道炎になっていた。
最近は逆流がひどくて、少しでも食べ過ぎるとすぐ口元まで上がってきて寝込んでしまう。
そこで見つけた解決策が、食べ過ぎたらめいっぱい水を飲んでさっさと吐き戻しリセットすることだった。
吐き戻した直後は疲労と罪悪感でぐったりとして喉も痛むしよくないと思っていたのだが、数時間体調不良を堪えてやり過ごすよりもよほどコスパがいいことに気付いてしまった。
なるべく少しずつこまめにゆっくり食事を摂る努力はしているのだが、コンビニのおにぎりすらまともに食べられない時もあり、今後食べ過ぎたら吐き戻すことが当たり前になってしまいそうで怖い。
近くの病院に問い合わせたら初診二ヶ月待ちと言われ断ってしまった。
痩せ型ではない体型なのでしばらくはこのままでも持つと思うが、どうしたものか。
地方国立大の理系修士1年、周りは就活準備を着々としているというのに、自分は2年ほど前から始まった摂食障害や希死念慮と毎日格闘するだけで疲弊している。
去年の3月、卒論提出の頃は本当に自殺願望が強く、何度もベランダに足をかけた。
それでも2020年はなんとか生き延びた。
前から知っていた同い年のジャニーズJr.の子を好きになった。私の知っていた彼はシャカリキシンメのニコニコ笑顔のかわいいちびっこだったが、22歳になった彼はかわいい笑顔はそのままにかっこよく成長していた。彼は、ユニットにも所属しJr.の中でもかなりいい立ち位置にいるから、供給も多い。久々にするジャニオタはやっぱり楽しくて、久々に毎日に色がついたようだった。
でも摂食障害や鬱は、そんなすぐに治るものでもなく、むしろ過食嘔吐に無駄なお金を使ってしまうことや、鬱がひどくて情報が全くチェックできなくなったりすることへのストレスは増えた。
今の私は、現場に行きたい、現場さえ無ければ死んで楽になれるのに、の相反する感情をいったりきたりしている。
去年、散々自殺未遂をして感じたのは、死のうとして死ねないのは、生きるよりもつらいということだった。なのでどうせ完遂できないなら死のうという気を起こしたくない。
だから気分の安定してるときに、推しのJr.くんのデビューを見届けたいと色んなところで言うようにしている。自分の見栄っ張りな性格を利用した、自殺を実行しないための保険みたいなものかな。絶対デビューしようね。そうしたら私もきっと幸せになれる。
高校の時付き合ってた彼氏に5年ぶりに会って、復縁した、ら地下アイドルのオタクになってた。
早く忘れられるように書き捨てる
もともとは私が地下アイドル(女)好きでライブハウスにそこそこ通ってた。
主現場はリフトとか禁止されてて常に女限エリアがある治安いいところだったけど無銭とかピンチケ湧くような現場に行くといやでも色々巻き込まれる。
オタクの内輪ノリな感じも、共感性羞恥もちには超きつかった。何をおもしろい楽しいと思うかは人それぞれなのはわかってます
そして彼氏の主現場はリフトモッシュ大歓迎!!みたいな大音量!!みたいな感じらしい。最悪。トラウマでしかない
彼氏があの空間でぴょんぴょん飛んでコール打ってオタクと飲み行って…みたいなことが鮮明に思い浮かぶから余計きつい。ダッッサって思いつつ、でも好きだった。
これでも最初は本気で地下アイドル?いいじゃん数年現場行ってないけどキンブレまだあるし一緒に行こ〜って思ってた。
だんだんアイドルはアイドル、彼女は彼女ってことすら割り切れなくなってきた。
アイドルといえども他の女に会いたいかわいい大好き会えて幸せって言われるの、相当メンタルえぐられる。過食嘔吐再発。
いくらライブが好き!パフォーマンス最高!って言ってたって結局はアイドルのかわいいお顔が好きなんですよね。
見た目はともかく彼氏を楽しませて幸せにするって点でもアイドルに勝てない。
私なんかで妥協して頂きありがとう、ってどんどん卑屈になるし、嫉妬するし、どメンヘラ化した。
っていうかまずそもそもアイドルとは週一以上で会ってるのに私は月一、彼氏から会いたいとも言われない、かけるお金と時間が全てとは思わないけど結局私はその程度の存在だったんだよなあ
書いてて思ったけど、あれ、本当に彼氏は私のこと好きだったの?別に好かれてなさそうで草、付き合って1ヶ月は普通に愛されてる気がしてたんだけどな、付き合ってても片想い〜!
歯が溶ける前に別れようって言えたの偉いね私
あなたより好きな人ができる自信はないけど、でもあなたのことも「地下アイドルのオタク」っていうことを我慢しきれない程度の好きだったわけだし、好きってなんなんだろう
大学の時に精神病んで、うつ・摂食障害・強迫神経症(だっけ?)・統合失調症の診断受けた。
高時給バイトしながら過食嘔吐に課金してたけど、そのうち生活立ち行かなくなって焦って自殺未遂して実家戻された。
そこから躁状態でガリガリに、一定までいったら離人感?ていうのかな。自分が自分じゃない感じが湧き出てきて、思考能力が著しく落ちた。
常に自分の視点じゃないところから自分を見ている感じ。ぼんやりと、なんとなく「消えたいなあ」みたいな感情だけがある。
自殺しようとしなくなったので大学復帰したけど、2ヶ月ぐらい経ったころ頭がだんだんおかしくなっていった。
提出物が遅れたりすると、もう全部何もかもだめだ!一貫の終わり!って焦りが止まらなくなって、人と交流できなくなった。
「私のことなんて嫌いになるに決まってる。もう大っ嫌いと思ってる」
常に頭の中がこういう焦りでぐるぐるして、通行人の顔すら見れないし、日傘かサングラスで自分の顔を隠さないと外に出れない。
そのうち見られてもないのに視線が怖くなって、他人から批難される会話を頭の中で妄想して、過呼吸おこしてた。
そのころ統合失調症っていう診断をうけていた。劇薬を処方されていた。
統失って「謎の組織が追いかけてくる!」「神○○のお告げが云々」とか言ってるひとのことだと思っていたのでたまげた。
今思えばなんでだってぐらい悲観的な妄想ばかりしてたけど、きっとそれも症状のひとつだったんだろうと思う。
結局見知らぬ土地に引っ越して、自分で仕事してお金稼ぐうちに全部寛解した。
6年何かしらの病気がつきまとっていたけど、寛解して数年。何事もなかったように正社員で働いて、去年結婚もした。
なんであそこまで精神を病ませていたのか、いまでもよくわからないけど、いまだに自分で思考回路がメンヘラ寄りだなって思うことがある。
これもう、文章の最初に書くことを法律で義務付けない?????????
幼い時の虐待による対人関係の不得意さ、不登校による学力のなさ、ストレスによる肥満で周りから嘲笑される、摂食障害、精神疾患(診断書あり)、その他もろもろ。
生きてるの辛い。
何かあるごとに、同じ人はいないか、どう克服したのか、と思い検索する。
出てくる出てくる。いろんな人の体験談。そのどれもが最後には判を押したように書いてある。
この人はわたしと同じだ!と読み進めて最後にこれがあると絶望する。
パートナーはいない、親にも分かってもらえない。わたしに救いはないのだなと。
共感者のふりして、かけがえのない恋人の様な人も得られなくて、孤独で、孤独で、孤独に戦い今日も手首を切る人間の傷口に塩を塗ってることに気付いて欲しい。
私は母親の事が嫌いだ。
私の母親は貧乏な家庭で育ち、小さな事から自分や他の姉妹の身の回りの事を全てこなしていた苦労人だ。母親に弁当を作ってもらったことは1度もないらしく、他の母親らしい事はしてもらえなかったと何度も語っていた。母親はそんな祖母の事を嫌い、自分の子供には親らしいことをしてあげたいと言っていた。
その言葉の通り、小学生の頃から大人になった今も弁当を作り続けてくれた。冷凍食品を使いたがらず、ほぼ手作りだった。
そんな母親を誇りに思っていたし、私は家庭に恵まれていると思っている。
裕福な家庭生まれ、家に帰ればご飯が用意してある。リクエストすれば好きな料理を作ってもらえる。洗濯物を洗濯機に入れるだけで、帰ってくる頃には綺麗に畳んである。綺麗な部屋で寝れる。とても幸せな事なんだろう。
私はいつまでも子供ではいられない。なんでもかんでも親を頼っていた私はいつの間にか自立出来ない大人になっていた。
ご飯の支度を手伝っても「私が1人でやった方がはやい」と母親は笑いながら言う。洗濯物を畳んでも「畳み方が違う。しまう場所が違う」と言われ挙句の果て「普段やらないからわからないか」と嫌味を言われる。
「私出来るよ」と言っても「お母さんがやった方がはやいから」と断られ、「手伝うことある?」と聞いても「何も無い」と言われ続けた結果、私は何も出来ない子になっていた。
コミュ障を拗らせ摂食障害にもなったし、就職活動にも失敗し心療内科にも通っていた。
今も就活を続けているが電車に乗るだけで目眩を起こす。自分の長所が見当たらず履歴書が書けない。志望動機なんてお金が欲しい以外にあるのだろうか。
何よりも世間に出ていく事が怖い。環境が変わることが怖い。家族という小さなコミュニティですら役に立たてない私が、社会に出て何が出来るのだろう。そんな考えが頭を過ぎる。
そんな私に母は言う。
「もっと真面目に就職しなさい。2、3件面接行った程度で就活してるなんて言うな。他の子は100社くらい受けている」
ごもっとだ。
数件落ちただけで落ち込む私のメンタルが弱すぎる。気分転換に趣味に没頭すれば、ただの遊び回ってる就活生にしか見えない。だからそう言われても仕方がない。
そんな事はないが、そう見えてもしょうがないのかもしれない。
1度心療内科に通っていた事を母に打ち明けたが、「あんたのは甘え」と一蹴された。母親にとって現代型鬱は「甘え」なのだから、そう思われても仕方がない。私が過食嘔吐しているなど知る由もないのだから。知っても甘えだと言われそうなので、絶対に言わない。結果は目に見えているから。
断っても弁当を持たせるせいで外食する友達と昼食が食べられず大学生時代はほぼ便所飯だった事も、人の気を引くために浪費しまくりクレカで借金を作った事も全部墓場まで持っていくつもりだ。
誰が産んでくれと頼んだ。こんな世界に生まれたくなかった。私みたいな思いをさせるくらいなら子供なんて作らない。私みたいな子を、母親みたいな子を産みたくない。だから絶対に子供は作らない。
昨日(9月5日)、たまたま予定が空いたので朝、ふらっと裁判傍聴に行ってきた。
傍聴券が当たったのはほんと奇跡。
まあ大抵のことは、産経新聞の目黒女児虐待死、母親被告人質問詳報を読んでくれ(https://www.sankei.com/affairs/news/190905/afr1909050041-n1.html)
なのでここには記事には記載されていない事や記載されてても私の印象に残ったことを書いていこうと思う。
あくまでも私の記憶を元に私の主観も入ったものなので記憶違いや私の解釈による違いなどあると思うのでそのことを前提に読んでください。
結愛ちゃんだけを診ていたのかと思ったら、子育て支援ということで母親とも1時間2時間話すこともあったよう。
・自己肯定感が低く、私はバカだから、という発言が印象に残っている。(確かに、午後の被告人質問でも「バカだから」「バカみたいに」が多発)
・雄大被告から「太った女は醜い」と言われていて、食事にかなり気を使っていた。ご飯にこんにゃくを混ぜようかという相談をされた。そのため、栄養指導を受けるようにつないだ。
・過食嘔吐をして下剤を服用していると優里被告から言われ、精神科に繋いだが一回目だけで二回目以降に繋がらなかった。他の精神科も紹介したが行かなかった。
・優里被告の自己肯定感がとても低く、とてもパワーバランスの悪い夫婦という印象。(パワーバランスが悪いということを何度か言っていた。)
・被告は結愛ちゃんが大好きだったし、結愛ちゃんも被告が好きだった。食事も全部手作りのようだった。
・雄大が帰ってきたら出来立てを食べさせなかれない、お弁当をちゃんと手作りでしなければならないと~しなければならないという雄大被告からの脅迫観念が強い印象。
・子供を大切に思っており、冷たいわけではないが、子供と距離があるように感じた。どのように接すればいいのか分からないといった印象で病院では結愛ちゃんが片付けができたら褒めたり、ハイタッチをしたりしてどのように接すればいいのかということを見せたりしていた。
・結愛ちゃんが一時保護されたいと言われたさいに児相が一時保護をしなかったことについて、やはり一回分離をするとその後、どのように家庭に戻すのか、親との信頼関係やケアをしていくのか難しい面もある。私とは意見の違いがあるが理解はできる。現状の制度の中でできることをしていたと思う。
・離婚したほうが楽かもしれないという相談をされたことがある。ただ、やはり世間体や他の色んなことを考えてふんぎりがつかなかったよう。
・逮捕されたときに警察から「雄大の呪縛から解かないと」と言われ、最初なんのことか分からなかった。(警察でさえ、雄大被告の影響を認識してたのね)
・結愛が一時保護された際は、雄大被告がA4の紙2枚の受け答えのマニュアルを作り、全部読んで覚えろと言われた。その後はそれを取り上げられて使われてる熟語の意味のテストから始まり、ちゃんとマニュアルを覚えたかテストをされた。その後、雄大被告が不起訴なり、ほんとうに雄大被告のことを聞いてれば大丈夫なんだと感じた。
・雄大は女は小食のほうがいいと思っており、コンビニのお弁当を一個食べたさいに「女なのにありえない」と言われ、雄大の前で食事が取れなくなった。キャベツしか食べれなくなった。
・雄大の前でどうしても一緒に食べなければならないときは、半分だけ食べて、雄大に渡す。雄大は「お願いですから半分食べてくださいって言え」って言っていて、そう言うと喜ぶ。そして食べる。(私、ドン引き)
・精神科は、最初に行った際に過食嘔吐と下剤服用を伝えたら「驚かないから何錠飲んでるか教えて」って言われて、「2錠」と伝えると「なんだ。大丈夫だよ。すごい人はね、一回に30錠とか飲むんだから」と言われて、雄大から努力が足りないと毎日のように言われ、人間としても女としても母親としても認められてなくて、でも私は頑張ってるって思ってたけど、やっぱり雄大の言ってることは本当でこんな努力の足りない人間が精神科に通うのは恥ずかしいことなんだと思った。(号泣しながら)(お医者さんは励まそうとしたんだろうけど、伝え方って難しいね)
・ほかに紹介された精神科は少し遠いことなどもあり、行かなかった。(精神科医に行っても意味がないと1回目の精神科受診で思っちゃったんだね。)
・雄大に説教をされたあとに気持ちの切り替えが早いほうで、ニコニコしてると怒られ、真顔だと不貞腐れてると怒られ、泣いてても怒られた。
・結愛にも弟にも赤ちゃん言葉を使ったり、「喉乾いてない?」など聞くと子供扱いをするなと怒られ、ハグなども怒られた。
・雄大が結愛に怒ってるときに「ママにも謝れ」と言って、結愛を私に謝らせたさいに「私はそんなの別にいいよ~」というと雄大に怒られた。それから結愛は私にも謝ってくるようになった。
・結愛の食事制限が始まってからは、朝、まだ雄大が寝てる間にお風呂場で隠れて、前日の夜にカサカサと音がしないために分けておいたお菓子やドライフルーツなどを与えていた。
・結愛ちゃんと朝4時起きるようにと雄大被告に言われていたので起きたふりをしていた。起床時間は大体朝7時半くらい。
・東京に引っ越してから、朝、結愛と勉強をするときはテーブルにハンカチを敷いて、鉛筆を置く音などがして雄大を起こさないようにしていた。
・相談ができたとしたら唯一、両親かもしれない。ただ雄大被告が私の両親をバカにしており、お前みたいな両親が育てたからお前みたいなバカができたんだ。いつまでもすねをかじってるなと言われたから相談できなかった。
・結婚したときから、ずっと離婚したほうがいいのか悩んでいた。
・雄大被告に反論すると「専業主婦のくせに」「育児もろくにできないのに言い返すな」などと言われた。
・私は聞いた記憶がないのですが(最後は集中力が切れてきたので)、検察側質問「子どもは「おかあさん、お腹空いた」と言わなかったですか?」 優里被告「おかあさん、お腹空かないの、とは聞かれました」(参照 https://twitter.com/myksrkw/status/1169762734696624128)
【追記】
・結愛と一緒にお風呂に入るのは禁止されており、雄大被告がいないときにだけ時々一緒にお風呂に入ることがあった。
ネットでは、優里被告が雄大被告から精神的DVを受けていて、洗脳状態だったという主張に対して、千葉県野田の事件以降、子供が虐待死したら夫からの精神的DVを主張するのがブームなんじゃないか、責任逃れという意見もあった。
身の回りでも夫のモラハラなどを主張してる奥さんの話を聞いてみると、確かにあまり人の話を聞かない傾向がある夫だけど、奥さんの伝え方が悪かったり、前提となる価値観が違いすぎたりするだけで、モラハラというほどか??ということもあったりはする。
しかし、今回のケースは、少なくとも取り調べをした警察も弁護側も夫からの強い影響力は認識していて、実際に暴力や暴言、妻や子へのコントロールはあったのだと感じた。
私は身の回りに福祉関係者がそれなりにいたりして話を聞く機会も多く、どちらかというと、もっと行政にできたことはないか、矯正より更生が必要、制度があっても自分から助けを求められない人もいるから積極的に行政が出ていかなければとは思っている。
もちろん、今回も関係者はもっとできたことがあるのではないか、必要な制度改正もあるとは思っている。
今回傍聴していて、被告人は私バカだからと何回も裁判でも言っていたが、確かに裁判で熟語や質問の意味が理解出来ずに何回も聞き返していたりして、あまり頭は良くないんだろうなとは思った。
傍聴全体を通じて感じたのは、『ケーキの切れない非行少年たち』で書かれているような被告人の認知機能の弱さを感じた。ある程度、先を予想するというか。目の前のことでいっぱいになってしまうというか。今日の審理(9月6日)では死ぬとは思ってなかった。と言ったそうだが、本当に思ってなかったんだろうなと思う。
結愛ちゃんを大切に思っていたし、愛してはいた。だけど、その大切な存在のために自分がなにをすべきなのかちゃんと判断できてない。
そして、今回一番感じたのは安きに流れる性格というか雄大被告に流されるままみたいな被告人の性格を感じた。先ほど書いた認知機能の弱さと関連してくるのかもしれないけど。
最初に書いたように私は今でも矯正より更生が必要だと思ってるし、もっと現状の制度が良くなればいいと思う。
ただ、今回傍聴して、月並みな言葉だけど裁判で審理をしっかり行って、自分の行ったことを突き付けられたり、自分で振り返って後悔しないと形を変えてまた似たようなことを起こすんじゃないかと感じた。
そのためにはある程度、重い刑も自分のしたことを(やらなかったこと)をしっかり反省するために必要なんじゃないかと感じた。
今まで、類似ケースでこの人だってある意味、被害者。罰してもしょうがない。それよりも支援をと考えてたけど、自分の考えがすこし変わって驚いた。
今も優里被告もある意味、被害者だと思うし、支援も充実させないとは思うけど、本人にも変わらなければならないところはある。
ちゃんと変わるためにもしっかり裁判を行って、罰される必要があると思った。
もちろん、優里被告がしっかり反省するために雄大被告の影響もしっかり審理したうえで。
私が精神的DVにあったことがないと言われたらそれまでだけど。
・なかなか児相も親との関係もあったりして簡単には介入できないと再認識。ブログやTwitterで児相に子供を連れ去られたって騒いでる人たちは本当に結構ヤバいなと思った。
・傍聴希望者の数しゅごい。400人弱くらい多分いた。当選したのは奇跡。
・被告人、髪の毛とっても綺麗。天使の輪がある。まあ裁判用に黒染めしたんだろうからその効果かもしれない。逮捕時のほうが荒れてた。
・裁判所内はスマホの電波がとっても悪い。なんであんなに遅いのか。
・たまに証拠がプロジェクターで映し出されるが、文字が小さすぎて傍聴席からは見えない。
・裁判所内ではスマホの撮影禁止なんだけど、特に傍聴券抽選のあたりでは結構裁判所職員がしっかり監視。写真撮って消させられてる。
・報道席以外にも報道関係者がとっても多い。人を雇ってるんだろうなーと。自分の当選も一瞬売ったらいくらかと考えてしまった。でも聞いたら迷うから聞かない。
・法廷画家が3~4組くらいいた。みんなサラサラと書いて席を立っていく。鉛筆一本で縦線横線、線の太さ細さであれだけ表現できるのしゅごい。
・同じ日に青汁王子の裁判もあったらしく、報道関係者はそっちにも出入りしなきゃならないみたいだった。
・法廷画家は場合によっては、10分、5分、3分とか時間制限があるときがあるみたい。
・法廷内は電子機器の完全持ち込み禁止で金属探知機でチェックがあるため、報道関係者は一言一句全部ノートに手書き。それを10時から5時まで。傍聴券のために並ぶなら午前9時過ぎから。閉廷後も文字起こしとかあるだろうし。本当に大変だなと思った。(休憩もたまにあるけど。)
利尿剤や下剤などの薬物服用、過食嘔吐などを含めた不健康なダイエット方法のこと。通称病みダイ。
※この記録は無理なダイエットをお勧めするものではありません。むしろ、心身ともに破壊されます。絶対にやめましょう※
☆
私は幼い頃から食べることが好きだった。朝も夕飯も机に一汁五菜は軽くないと拗ねる父親と、料理大好きでそんな父のリクエストにも軽く応えてしまえる調理師免許持ちな専業主婦の母親の元で育った。ちなみに、お昼は幼稚園〜高校と全て私学に通ったせいで給食というものに縁がなく、15年毎日母親の手作り弁当をぶら下げていた。
想像に難くないと思うが、育ったのは年齢だけではなく横幅も順調に大きくなった。なんと小学校6年の頃は160cm 75kg、高校を卒業する頃には165cm 120kgと、小さい頃から大きくなるまで痩せていた期間がまるでないエリートデブの道を歩み続けた。
高校卒業後は医療系の大学へ進学し、日々講義や試験、実習に追われる中で次第に「このまま社会人になってもあまりにもデブすぎて患者さんに説得力ないよなぁ……」などと思い始めた頃に、1年を通した病院実習が始まった。その実習では、比較的学年の中でも声の大きい男子を含めた3人と一緒になった。
声が大きいだけで真面目というわけではなく、講義はサボるし実習も出来る限り出ない。課題は出来る学生のものを借りて写す。テニサーの女好きで、まあ、いわゆるクソみたいなパリピ的存在のやつだった。
あー、多分実習の課題は全部私が見せるんだろうし、代返もさせられそうだし面倒だなと思っていたところ、実際その通りの展開となった。「どうせ君真面目だから全部見ていくでしょ?俺早く帰りたいから早めに抜けるわ。悪いけど、学生1人いれば先生の班への印象もいいもんで最後まで残っておいて」などというお願いは日常茶飯事で辟易していたが、文句を言って関係が悪くなるのも嫌で黙って従っていた。
そんな折に彼が別グループの男子学生たちに向かって、休憩室で「いやまじアイツと一緒とかないわwwwこう、もっと可愛い女の子と一緒に実習できるの期待してたのにあのデブスと一緒なのはマジ最悪www」とこれ見よがしに言っているのを聞いてしまった。
実際彼としては本心なのだろうし、普段なら受け流せた発言だったはずだ。エリートデブとして培われたデブやブスといった単語に対する免疫力を舐めないでほしい。ただ、その時は課題のことや出席のことなど散々肩代わりしてやっていた頃だったため、「(お前散々人に迷惑かけといてその言い草はなんなんだよ)」とそっち方面でイラついてしまった。
そして、このままではあまりにも自分がデブ過ぎて医療関係者としての説得力にかけるという自覚もあったために、ダイエットを決意した。
実習は忙しく、生活自体が気をつけないといとも簡単に破綻する。食事制限するにはもってこいだった。まずは食事をイベント(上の先生が奢ってくれる、友達とご飯に行くなど)以外では極力摂らなくなった。
しばらくすると、何かを食べようとしても食べることへの罪悪感から物が胃に収まらなくなった。友人たちと食事をして帰宅するとそのまま猛烈な吐き気に襲われて、トイレで全部吐いてしまう。食べることは好きだけど、そのままでは太ってしまう。味を感じられればあとは吐けば良い。そういった思考に陥り、ここから過食嘔吐生活が始まった。
ご飯はそこそこ食べるのだが、しばらくすると吐いてしまう。そして吐いたことによってスッキリする。体重計に可能な日は朝夜寝る前と乗り、前回より10gでも増えていると耐えられなくなった。市販の下剤を飲んだり、長風呂で汗をかいて数字だけは減らす日々。最終的にはあんなに好きだった食べることさえも苦痛となり、ほぼ絶食状態へ。
ただ、流石に缶コーヒーを週で2本しか飲まなかった時は、病院へ行く電車に乗ろうとして意識がブラックアウトしてしまった。電車とホームの間に落ちた私を助けてくれたOLさん、サラリーマンのお兄さんには感謝しかない。
そして体重の推移を事細かに記載し続け、2年で50kgほどの減量に成功した。max125kgはあった体重が、75kgまで減った。
途中、1ヶ月で20kgほど体重を落とした際は体重減少性無月経や低体温に悩まされたりもしたが、体重を落とす速度を緩やかにした結果改善した。一時食事が食べられなくなってしまった身体は、母親の献身的な支えによって今まで通りに食事が取れるまでに回復した。
今考えると人外かというレベルの三桁デブを卒業した私は、その後は一応デブな人間として生きることができた。なにより、デブ御用達の大きいサイズ専門店ではなく、その辺の普通のお店で服が買えるようになったことが一番嬉しかった。
大学を卒業し、リバウンドもなく2年間は社会人として仕事を続けた。3年目になり、異動した先の職場はかなり激務だった。食生活も乱れまくり、気がついたら体重は10kgほど増え、85kgほどになっていた。流石にこのままではやばいと思い、再度生活の見直しを始めた。なるべく体を壊さずに、ジム通いや食事内容の変更をするように心がけた。その後、通っていたジムの周辺で連れ去り殺人事件が起きたことからジムだけはやめてしまったのだが。
そんな折に職場の同僚が、長らく付き合っていた彼女と遠距離の末に別れたという話を聞いた。何やらとても美しく優秀な女性だったようで、彼としては結婚も考えていた相手との破局に未練タラタラだった様子であった。
「君も早く彼氏作ったら?」
「いやー、私デブだしブスだし無理かな。今は仕事も忙しいから、そのうちね」
私も親からここ数年結婚に関しては強く言われ始めていたが、自分の容姿が一般男性ウケしないことは誰よりも重々承知していた。だからこそ、まずは自分の見た目をなんとかしてからでないと、恋愛や結婚を考えるなど分不相応だという気持ちが強かった。男性側からしたら、こんな見た目の女に好かれても迷惑としか思えない。
別に同僚はただの同僚であり、入職から今までなぜか常に私に対しては上から目線が強かった男だった。そんな彼からの面倒な詮索に関しても、適当にあしらって話を終わらせて帰ろうと思った。しかも自分の元カノの容姿、性格その他ひたすら褒め続けるのを聞くのにも疲れた。適当に自分を卑下して話の腰を折り、さっさと撤収に限る。しかし、それがなぜか彼の変なスイッチを入れてしまったようだった。
「どうせ自分の見た目がダメだから、とかいうんでしょ?正直言ってそれはそう。太ってる女が好きな男はまずいないから。俺も細い子が好きだしね。男はね、女が男の顔しか見てないのとおんなじで身体が良ければ顔とか性格は割とどうでもいいんだよ。」
「はぁ……?」
突然何を言いだすんだこいつ、と思ったが彼の勢いは止まらない。
「君はまず痩せること。痩せればモテるよ。胸もデカいし、綺麗になると思う。だから明日から君はご飯食べちゃダメ!ファスティング!!筋トレ!!!わかる?ファスティングと筋トレだからね!!」
「」
「あと男を見つける努力が足りない!!ちゃんと婚活とかしてる?あ、みんなで出かけた帰りとかよく飲み屋街でナンパされてるの見けど、あーいうのに着いていけば良いじゃん!簡単に男できるし、新しい世界が広がるよ」
「いや、そういう明らかに一杯飲んだらこのあとホテルへ的なのは……」
実はこの1年前くらいに、知らない男に夜道で車に無理やり乗せられかけたことがある。そのときは抵抗して逃げ切ったが、今でもあの時のこのまま車に入れられたらどこかで知らない男に犯されていたかも、下手したら殺されていたかもと言った恐怖が色濃く、それを伝えた上であまりそう言った話題は、とお願いした。通っていたジム付近での殺人も女性が連れ去りの果てに殺されたというものだったため、余計に怖かったのである。
「んー、俺の彼女もよく声かけられてて大変だったけど、そんな雰囲気なかったよ」
「それはすごく美人さんだから、手軽に犯せそう!みたいな軽いタイプが選ぶ相手じゃなかったんだよ。意外とそういうところは相手選ばれてるよ」
「ふーん。まあ、君の場合は身体から始まる関係もありじゃない?まずは行動あるのみ!今度はそういうのにも着いて行ってみなきゃ!世界を広げよう!!」
愕然とした。こんなに気軽に性犯罪に巻き込まれるかもしれないような提案をされたこと、そうでもしなければ男なんかできないと言われたことがショックだった。
確かに私はデブだし、ブスだけど私にも人を選ぶ権利、出会いを選ぶ権利はあるはずなのに。ほぼ同じ内容のことを、その日の夜に別の同期と3人で出かけた時にも言われた。別の同期がトイレに立つと、私に言いたいことをぶつけてくるという状態であった。
それ以来精神的に参ってしまい、同期がいる前では満足に食事をとることが出来なくなった。それでも腹は減るため、職場で我慢した分家ではありえないほど食べてしまう。そうすると罪悪感で吐く。過食嘔吐が再発した。マロリーワイス症候群のようになり、血を吐いたりもした。
この時、別の同期は3人で卓を囲んでいた時もその時の飲み会での私への態度が酷かったことに、ひっそりと気付いていたらしい。
「気を遣わせてごめんね、ありがとう」
「でもあいつなんて言ったと思う?『あのくらい言っても良いくらいの関係は築いてるから大丈夫』とか言ってんだぞ?クズか?」
親しき仲にも礼儀あり、とはよく言ったものである。過食嘔吐に苛まれながら、さらに職場で彼と会うことが苦痛になった。なんと、それ以来私にあれだけ断食しろと言っておきながら
「パン余ったんだけど、食う?」
「飲み会やるんだけど、来てよ」
と、職場で声を掛けてくるのだ。パンなどは断ったが、もしかしたら飲み会などは誘いに乗るしかなくて物を食べている私を内心馬鹿にしているのかもしれない。お腹が空いてごめんなさい、ご飯を食べてしまってごめんなさい。後で全部ちゃんと吐いて綺麗にします。
エスカレートした被害妄想は止まらなくなり、仕事に行きたくなくて、消えない食欲の罪悪感から彼の顔も見たくなくてしょうがなくなった。でもデスクは隣だし、仕事も被っている。どうしても無理だ。昼休みを隣のデスクで過ごすことも苦痛で、女子ロッカーの椅子に腰掛けて過ごすようになった。
何らかの方法で胃を悪くしてご飯が食べられなくなれば彼は許してくれるのではないか。ふと、そんな考えが頭をよぎった。
これは名案かもしれない。
簡単に胃をやるとすれば、数年前にダイエットしていた時に一番効いたのは、アイスコーヒーの1Lパックを1日で2本弱飲み干した時だった。なるほどカフェインは胃酸の分泌を亢進させる働きがあるから、胃は傷めつけられそうだ。ついでに利尿効果もある。ちょうどいい。
カフェインについて調べると、そういえばエナジードリンクと錠剤の併用が原因らしいという死亡事件が一時期話題になっていたことを思い出した。カフェインは人間は個体差はあるものの、ある程度摂取が可能だが、その他の哺乳類にとっては猛毒である。また、人間にとっても中毒域と致死量の幅が狭い。嗜好品としてのコーヒー程度ならば問題ないが、錠剤の多量摂取は気軽にやると急性カフェイン中毒を引き起こすし、下手をすれば死んでしまう。
ならば、中毒域に入らない程度でカフェインを飲んでいい感じに胃を悪くしてやろうと思い立ち、ドラッグストアでカフェイン剤を購入した。
家に帰って1回2錠1日2回までと書いてあった箱を開けると、茶色い錠剤が20錠出てきた。とりあえず2錠飲んでみたが、何の変化もない。
時計を見ると17時半。明日から仕事であることをまた思い出し、次第に同僚に会いたくない気持ちと恐怖と嫌悪感がむくむくと頭をもたげだ。いっそ身体が壊れればしばらく休職できるかもしれない。頭の中でカフェインの中毒量と致死量を計算した。体重換算で一箱飲んだら中毒量は超えるが、致死量は全然超えない。まだ両親も健在で、死ぬわけにはいかない。全部飲んでも死なないなら、いっそ全部飲んで身体さえ壊れてしまえばいいのでは。仕事を休みたい。
気付いた時には20錠分の空のPTPシートを手にしている自分が、床に座り込んでいた。
タイミングよく実家の母親から電話が来た。何を言ったのかは朦朧としていたためにあまり覚えていないが、同期が嫌で仕事に行きたくなさすぎて薬を飲みすぎてしまったことは伝えた気がする。
4時間半ほど経ち、動悸と頭痛、冷や汗と吐き気に苛まれているところに焦った母親が高速を飛ばしてやってきた。ベッドに横たわる私と、ゴミ箱の中の薬の空き箱やシートを確認すると、
「そんなくだらない男のためにこんなことしないで。死のうとするならママも一緒に連れて行って」
と泣き崩れてしまった。
「大丈夫、致死量は飲んでないから気持ち悪くて胃が悪くなるだけで、そのうち薬が抜けたらよくなるから……この量じゃ絶対死なないから。計算したから……」
その後のこともおぼろげなのだが、職場への救急搬送は意地でもされたくなかったため、一晩母親の付き添いで明かした。朝、立って歩くこともやや覚束ない状態となった私は上司に電話をしたが、ODのことは踏ん切りがつかずに伝えられなかった。
「気持ち悪くてずっと吐いてます。今日の仕事は出られそうにありません……」
「腸炎か?ノロ、流行ってるからなぁ。君、一人暮らしだろう?飯も食えない、水も飲めないだともう入院したほうがいいんじゃないか?受診の手続きを整えるから」
そう言って電話は切れた。上司はどうやら感染性腸炎を疑っているようだった。母親も病院で補液をして早く血中濃度を薄めるように、という。まず、上司や先輩たちは私が精神的に不安定だったことを知らない。ODを疑われる要素は職場には絶対にない。もし、血液検査異常などで疑ってかかられたとしても、抗不安薬や抗うつ薬などと違って、カフェイン中毒はそれを念頭に置かないとバレる可能性は低いだろう。
そしてそのまま感染性腸炎疑いとして入院となった。血液検査異常も少なく、ODはまるで疑われなかった。母親は自分自身の通院があるため、入院の手続きだけして実家へとんぼ返りした。部屋を出る際、再度泣きながら
「もうこんなことしないでね。もし死にたくなったら一緒だからね」
と言われたことを覚えている。
気持ち悪さに苛まれている間、何よりも強く思ったのは少しくらい太っていてもいいから、本来なら美味しくご飯が食べられる身体は大事にしたほうがいいということだ。
あれだけ好きだったお粥も、お魚の煮付けも、サラダも、まるで喉を通らない。無理に食べても全て数分後には吐き出している。制吐剤を打ってもらわないと夜は眠れないほど胃が辛い。切り取って水洗いしたいほどに苦しく、ベッドの上でひたすらのたうち回っていた。睡眠不足でうとうとすると悪夢が見える。同期が笑いながら私を蔑んでくる。はっとして起きると、気持ち悪さで苦しい。夜通しその繰り返しだった。
しかし、致死量までは飲んでいないのも本当で、制吐剤と補液で徐々に改善傾向にある。食事もお粥半量程度なら口にできるようになった。それでも頭痛と心窩部不快感は残っているのだが。
こんな苦しい思いをするのなら、そして親に多大な心労をかけるならこんなことしないほうがマシだったと思う。
でも、食事が取れるようになってくると、再度食事をすることへの罪悪感が生まれてくるようになって来ているのも事実である。あまりにも辛かったことからODは2度としないが、もしかしたら退院できてもまたしばらくは過食嘔吐や拒食からは抜けられなくなるかもしれない気はしている。
ダイエットを考えている方々には、こんな自分の身体を痛めつけるようなことはやめるべきと伝えたい。適度な食事制限と、運動が遠回りに見えても何よりの近道だ。むしろ少し太ってたって、美味しいものを美味しく食べられることは、こんな風に身体をボロボロにするよりは幸せかもしれない。
ダイエットしている人や、太っている人が周りにいる人は、その何気ない一言が相手の心を大きく傷つける可能性があることを今一度考えて過ごしてほしい。私は思いとどまれたが、私も両親という枷がなければ勢い余って致死量まで飲んで死んでいたかもしれない。
自戒を込めて、記録に残そうと思った。
まだベッドから降りて動き回るのはつらいが、そろそろ退院と自宅療養が見えてきた。今は身体が辛くて精神も持たないため、今後の仕事での身の振り方や、今回の件に関しての相談をどうするかについては身体が良くなったら考えることにする。
今日、とんでもない量を食べた。ざっとあげると、パン、チョコ、モンブラン、パスタ、唐揚げ、ご飯、ピザ…etc。それぞれ1個ずつじゃないからやばい。量がやばい。
でもねえ、食べちまったよ。食べ切っちゃった。
初めは美味しい美味しいって食べるけど、後から胃が辛くなってくるんだよね。ただそれを飲み込む作業になる。でも美味しいからさ。辛いけど、美味しいから全部食べる。甘いもん食べたらしょっぱいもん食べて、また別の甘いもんって風に。
今めちゃくちゃ腹が痛い。そりゃあ胃にそぐわないもん詰め込んじゃったからね。正直、コンビニとドラッグストアで食べ物を買う時に思ったよ。「これ食べきったら腹はち切れるな」って。でもさ、そんなことより口と腹に入れたいって欲望が勝つんだよね。まあ、結局後悔するんだけど。
こんなドカ食いばっかりしてるから、体重は重いよ。普通の女子よりは確実に重い。だからドカ食いの度に絶食してる。そんで体重落として、またドカ食い。無限ループ。
でもさ、最近はちゃんと栄養を考えて、しっかり食べながらダイエットしてて、だから大丈夫だって思ってたんだよね。「私、人並みの食生活できてる!」って思ってた。
友人とケーキを1個食べたらスイッチが入っちゃいました。自制心の欠片もなく、我慢の2文字すら思い出せずにドカ食いしました。
ケーキ1個でなんで満足出来なかったんだろうね。お茶碗1杯のご飯で、パン1個で、なんで我慢出来なかったんだろうね。幼稚園児かな。それとも野生児かな。本能のまま生きる猿かな。
あー阿呆だ。普通に嗜好品を窘める人間になりたいね。ダイエットのストレスなんか無かったのに。なんでドカ食いなんてしてしまったのか分からないよ。野生児だからか。そっか。
今すっごく吐きそう。食道まで上がってきてるのが分かる。過食症とか過食嘔吐とか拒食症とか歯が溶けるとかそんなもんが怖いから吐かないけど。めちゃくちゃ吐きてえ。苦しい。
さて職場のビルの隣の建物でこんな文章を打っている。続きです。
ぐだぐだしていたらこんな時間になってしまった。16時である。今からでも行くべきか、どうしようか。
というかどうして昨日布団から出たくなくなってしまったのか。前日風呂に入るのを忘れたからか。
これでここの職場でも仕事をブッチする社会不適合者のレッテルを貼られてしまう。嫌だなぁ。それは避けたくて今まで5ヶ月くらい結構頑張ってきたじゃん?悔しいなぁ。
共通器具を占領しているのが申し訳ないな。それが一番怒られそう。その処分だけでも今日中にしたいなぁ。死にたい。疲れた。もういい新人のレッテルを貼られないなら別にもう何をしてもいいのではないか。
最近メンヘラみたいな行動ばかりしている。過食嘔吐とか。性的逸脱とか。困ったなぁ。今から行ってもまあ大丈夫か。定時20時だしな。職場の電話番号知らない。内線番号しか分からないや。直接押しかけて大丈夫かな。いや、メールで連絡入れておくべきか。それとも5時で閉まったような気がするけど相談室的なところに行くべきか。でもきっと筒抜けだろうしなぁ。それなら潔く行って怒られた方がいいか。
こうやってぐずぐずやっている時間が一番無駄なんだからさっさと行けと親なら言うんだろうなぁ。それが出来たら今こんなぽんこつ人間になってはいないのよ。
独女30歳。3年前に上京して一人暮らし。一年ほど前に転職したのだが納期守れないわ発注ミスするわ上司や同僚とコミュニケーション取れないわでなんとなく職場から浮いている。ミーティングも苦手。自分の意見言えない。発言したらしたでなんかズレてるらしくえっ?て反応される。最初フレンドリーだった上司はどんどん当たり強くなるし後輩に給料抜かされるしやばいと思いながらもミスは一向に減らないむしろ皆の目が怖くてビクビクしてミス増発の負の連鎖。
数年落ち着いてた過食嘔吐が復活して、仕事中はいつもダルくて眠い。このままじゃ一生を棒に振ると思い心療内科へ。
端的に上述を先生に伝えたらおもむろに差し出されたのが某製薬会社が発行してるADHDのチェック表。物忘れとかミスが多いとかほとんど当てはまって、下された答えは不注意優勢のADHD。その日からコンサータが処方された。
自覚なく病院に行ったから、まさか自分が発達障害なんて思いも寄らなかった。でもよくよく考えたら、思い当たる節がたくさん。子どもの頃から運動苦手(マラソン万年ビリ )だし動き鈍いし喋るスピードもすごく遅かった( 同級生からわざとでしょと言われるほど)。歩き方がペンギンみたいで変だとも。未だに言われ続けるのは「マイペース」「変わってる」。高校までは性格荒くて友だちどんどん変えたり先生に告げ口したり(自分が原因で不登校になる子がでるほど )。普通にコミュニケーション取ってるつもりなのに相手を怒らせたりもする。うーん今ざっと書いただけでもアスペ要素満載。
その反面、発達障害って問診だけで分かるもんなのか?と医者を疑ってる。言われた通り薬は飲んでるけど生きづらさは消えない。だから別の病院に行った。精神科とか発達障害で評判いいとこ。1ヶ月待ってやっと初診。テンション高めの女医に、問診だけで発達障害認定されたけど信用できないからセカンドオピニオン目的で受診した、紹介状はない、母子手帳や通知表は実家にあって持参できない旨を伝えた。紹介状なしで来たことをチクチク言われた。横に研修の学生さんがいるのもすごく不快だっ。マシンガンで話すお医者さんでついていけなくて途中からフリーズモードになってたら半笑いで対応された。イライラと不安が爆発して後半ずっと泣いてた。なんとか知能検査の予約までこぎつけたけど涙止まらなかった。会計終わって外に出ても電車に乗ってもまだ止まらない。こんなに泣いたのは数年ぶりだった。なにがあんなに泣けたんだろう?
なんか支離滅裂な文章になってしまった。自分は本当に発達障害なのだろうか。まぁ知能検査で分かるんだろうけど。もし違ってたらどうしよう。どうしたら普通の人みたいに働けるんだろう。生きていけるんだろう。
今日も仕事だったけど相変わらず上司は当たり強い。目合わせないし他のスタッフにばかり仕事の話をふる。どうせ仕事任せてもらえる器じゃないですよー。「わたし発達障害なんです」って言ったらどんな反応するんだろ?甘えるな言い訳するなって言うんだろうな。
会社辞めたいけどいくとこない。友だちも彼氏もいないから頼れる人いない。田舎の母とは仲悪いから死んでも言えない( 父は離婚して絶縁状態)。
私ら摂食障害持ちは何年も過食嘔吐と拒食繰り返して苦しんでるのに
お前はただ自制なくダラダラ食べて、毎日毎日グダグダ 自堕落な生活続けて、その結果ぶくぶく太っただけじゃん
ストレスで我慢できずにお菓子食べちゃって太りました〜って当たり前だろ
呑気にお気楽に暴飲暴食繰り返して百貫デブになっただけで摂食障害名乗るとかクズ過ぎて逆に尊敬するわ
そんなの際限なく食ったら誰でも太るに決まってるだろ
お前は過食症って大量に食べるだけだと思ってるんだろうけど代償行動ってものが起きるから過食症のせいで何10キロも太るなんてことは無い。体重や体型は変わらないまま症状だけがひどくなる、だから拒食症より変化をわかってもらいづらくて苦しむって人もいたよ。
私みたいに拒食症と交互に起きるタイプなら過食しても吐くし、飲み込むことすら出来なくなるし、ずっとそんなんばっかりだからガリガリにやつれていくんだよ。痩せてるとかスリムなんて綺麗なもんじゃない。醜いよ。大嫌いだよこんな自分
これは私だけじゃなく同じ症状で悩んでる子フォロワーにもたくさんいて、みんながそれぞれ同じような悩みとたたかってる。
本当の摂食障害持ちの症状や悩み、苦しみってこういうのなんだよ。つまり何が言いたいかってお前みたいな摂食障害患者あり得ないんだよ。ただの肥満のくせになめてんのかクソ巨デブ
通院もしてる、治したいと思って努力してるけどそれでも過食嘔吐とか拒食に苦しんでる摂食障害持ちの気持ちわからないくせに
ただ馬鹿みたいに食って太った自制心のないお前のだらしなさを正当化すんな
何がムカつくってどうせ暴飲暴食やめたり運動したり努力次第で治るただの肥満のくせに、まるで私たちと同じ辛さ苦しさを抱えてるみたいな、あたしが太ったのはあたし悪くないんです太りたくて太ってるんじゃないんですわかってくれるよねっていうその甘ったれた根性がムカつくんだよ
お前のそれは病気なんかじゃなくて
ただの怠慢、甘えなんだよ
お前みたいなクズが、自制心のなさの言い訳に摂食障害を簡単に使うせいで世間からの摂食障害に対する誤解や風当たりが強くなっていくんだよ
本当の摂食障害のつらさわからないくせにファッション摂食障害やめろ
お前の甘えと私たちの苦しみ一緒にすんな
人間は、週5〜6日働くらしい。
私は週5〜6日働くのが辛い。
5〜6日の内訳はこうだ。
1日ソープ(1日4〜6万円)
ソープが減ることと裏引きが減ることはある。派遣の事務は週4の契約なので基本は減らない。私が突発的に休むと減る。
小学生まではまともな人間の擬態ができていた。中学受験のため塾に通っていたのもあり、成績は良かった。
過食嘔吐とリストカット。度胸がないので傷は浅い。アラサー現在残ってはいるけれどそう目立たない。
母に電車で寝過ごしたから遅刻と伝え、体調不良のため遅刻と連絡をいれてもらった。私は体調不良でもなんでもなく、ただ環状線をうとうとしながらやりすごし、3〜4限目から学校に行った。
大学にはいり、生活はいよいよ破綻した。大学に行かないので当然単位は取れない。とくに宿題のある講座が苦手で、宿題ができていないために出席ができない講座がいくつかあった。語学系の講座と、学科の必修科目だった。
大学1年の夏、チャトレ的な仕事で稼ぐ予定だった出会い系サイトで援助交際を知り、サークルの先輩で処女を捨てていわゆる援交少女となった。
大学5年目の秋、卒論の提出期限を家で過ごして安堵したのち、自分の現状が不安になって「やるべきこと できない」でGoogle先生に聞いてみた。
実家から一番近い"大人のADHD"を扱う精神科医にかかり、心理検査などを受けてあなたはADHDですねという診断を受けた。
大学が県内でいちばんいい私立大学だったこともあり(中学受験をした学校の付属校だ。成績が悪くても推薦入学が可能だった)、大学を辞めるのはもったいないのではと主治医に言われた。
私は6年目を過ごしたのちに大学を卒業する自信がなく、親に診断結果を告げて大学を5年で退学した。
実家を出て、インターネットで知り合ったデリヘル嬢と暮らしはじめる。彼女に紹介してもらい、デリヘルで働く。
実家を出て2年目の夏、両親に今の仕事を心配されて正社員になる。第二新卒に強い転職サイトを利用した。
しばらくは順調だったが、友人との関係がこじれたことをきっかけに鬱状態になる。
高校時代学習塾に思うように行けなかったり、大学時代軽音部の課題キーボードが進まなかったことで自殺を図ったことはあったため、彼女が悪いとはとても言えない。
鬱状態になってから、それまでの趣味が色褪せていたこともあり、精神科にかかる。
私の主訴は、見捨てられ不安からの鬱状態だったためか、双極性Ⅱ型の疑いを持たれ、躁鬱向けの投薬をされていた。
ご存知のかたも多いとは思うが、精神科を予約するためには1〜2ヶ月待つ必要がある。私が待っている間に友人との関係はゆっくりと改善され、主訴はADHD的な、毎月1日くらい当日欠勤してしまうとか、仕事中ねむいとか、集中できないとか、そういう内容になるはずだった。
主治医はADHDよりも躁鬱を優先すべきだと言った。わたしはADHDが自己否定感情の由来であり、躁鬱の原因なのではと話した。
私が大学時代検査を受けた病院の診断書を今の病院に届けるのをめんどうがり、そうこうしているうちに職場へはどんどん行かなくなった。
職場に行けていないことや、風俗で生計を立てていることをきちんと話せない病院なら通う意味はないのではと思い、病院に行くのをやめた。
有給がなくなったことをきっかけに、職場を1ヶ月休職した。1ヶ月間給料はもらえなかったがのびのびと過ごした。
生活のなかで、私のできる仕事は今の職場の仕事だけでなく、もっと選択肢があるのではと気付くことができた。
(休職するまでは、そのとき勤めている会社で働けないことはすなわちふつうの会社に勤めていけないことだと考えていた)
仕事を辞めて、派遣の仕事を探しはじめた。私は自分で面接をセッティングすることを避けていたし、できればフルタイムではなく週3〜週4の仕事をしたかった。
派遣先は大企業で、仕事は暇だ。私がいなくてもまわっていく職場にいるとはっきりと言える。
私の当日欠勤の癖はなおらない。朝起きて、仕事に行くことがどうしても無理な気がしてしまう日が月に1〜2度ある。
ソープや裏引きの日も合わせると月に4〜5度ある。
今はマネージャーやソープの店員、裏引きの相手に連絡することで休みをいただいているが、次の派遣先はこうもいくまい。あるいは、今の派遣先でもすでに私の欠勤は問題視されているかもしれない。
人間は、週5〜6日働くらしい。
私は週5〜6日働くことが難しいと感じることがよくある。朝行くことができないと感じたり、遅刻してでも出勤できないと感じたりする。
宿題のある講義が苦手だったことを踏まえると、在宅であっても仕事ができるとは思えない。
もしかしたら、毎日家まで迎えに来てくれる人がいることで私の当日欠勤癖は治るのかもしれない。でもその人の給与は誰が払うんだろう。
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みなさんは6月2日が何の日かご存知ですか。
私もそれを知ってから今年で2回目。
せっかくの日なので、私も少し、摂食障害のことをみなさんに知ってもらえたらという思いで書き綴ります。
自己満足です。
ただ自分の過去をこの機会に振り返ろうと思って記す備忘録です。
ある程度道が拓けたと感じている今の思いも綴れたらと思います。
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でも摂食障害はそれだけではありません。
大量に食べては吐く過食嘔吐、
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きっかけは1kg増えてしまった体重を落とさなきゃとダイエットを始めたこと。
たったそれだけです。
でも何も食べなかったら4kgくらい落ちたのが気持ちよくて、
また何も食べず体調を崩してしまったのを周囲に心配してもらえたのが嬉しくて、
どんどんハマっていきました。
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当時は難関の大学を目指しており、寝るとき食べるとき意外は言葉どおり全て勉強に費やしていたりして知らず知らずにストレスが溜まっていたこと。
母親から強く責められることが多く、もともと自己否定感が強かったこと。
色んな私の性格に、ダイエットというきっかけが合わさって、拒食症の世界に引きずり込まれて行きました。
大学合格とともに手に入れたのは、身長164cm体重37kgの身体でした。
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当時は自分が大好きでした。
大学合格のため一日中誘惑に負けず勉強できる自分もすごいと思いました。
もちろん口には出しませんが、自分の周りの人たちはそれができない心の弱い人だと内心見下していました。
今思えば、一番心が弱かったのは自分自身です。
摂食障害でドーピングしないと、生きていけないほどに心が弱かったんです。
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完璧主義だった私に、一人暮らしや大学は、良くも悪くも色んなことを教えてくれました。
授業でSを取らなくても、単位がもらえること。
勉強のため毎朝5時に起きなくてもいいこと。
夜遅くまで友達と飲んで、ときには昼の12時に起きたっていいこと。
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そんな中で完璧主義は多少和らいで、そのせいなのか体重も5,6kg自然に増やすことができました。
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そこで、私がどんなに高校生の頃自分の首を絞めて生きていたのか、思い知りました。
母から色んなことを言われました。
「〜ちゃんは少食だから、このお店の定食全部は食べられないでしょ?」
「〜ちゃんは今でもきっと朝早くから起きて勉強してるんだよね、えらいね」
「部屋いつも綺麗にしてるのね、えらいね」
自由に生き始めた自分を押し殺して、少し高校生の頃に戻って「いい子」で過ごした4日間はとても苦痛でした。
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このあたりから父と母の関係が更に悪化したこともあって、家族とは連絡を極力取りたくないと思うようになりました。
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そして時は流れて12月。
忘年会シーズンで、色んな団体の忘年会に参加しなくてはならず、体重は更に増え、拒食になる前の体重をついに超えました。
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もともと、飲み会など食べ物がたくさん出る場は、何をどう食べていいのか分からず、苦手でした。
飢餓から解き放たれた獣のような感じで、たくさん食べて、翌日後悔します。
だいたい今までは、その翌日に断食をする事でなんとかやり過ごしていました。
そう振り返ると、大学に入ってからも完全に拒食症から解き放たれていたわけではありませんでした。
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12月は飲み会続きで、翌日断食をすることもできず、不安と恐怖だけがつのりました。
自分で自分の制御が効かなくなり、気付けばコンビニやスーパーで大量に買い込んでは、一度に食べるのが習慣になりました。
その頃新しく始めたバイト先で、毎日暴言を浴びていたストレスも原因にあったと思います。
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ここで忘れないで頂きたいのは、非嘔吐過食に苦しむ人たちは、いつも頭の中は「痩せたい」でいっぱいなのだということです。
行動と照らし合わせたら、信じていただけないかもしれませんが、誰よりも痩せたいと思っています。
いつも「痩せたい」で頭が支配される病気、それが摂食障害なのかもしれません。
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拒食症の時から一変、非嘔吐過食の時は何もかも頑張れなくなりました。
朝起きるのもつらく、おしゃれをするのもつらく、化粧もしなくなりました。
勉強も頑張れませんでした。
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そして拒食症の頃、自分で内心バカにして来た対象が自分そのものとなりました。
ダイエットすら頑張れない。
勉強も頑張れない。
過食して家にこもって涙を流してばかり。
そんな自分が大嫌いになりました。
高層の建物に忍び込んで、飛び降りようとしたこともありました。
すべて死に切れないことが怖くて、最後まではやり遂げられませんでした。
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医者にも行きました。
初めて行った医者では摂食障害は専門には診ていないところだったからか、個人的に心が傷つくことを言われ、薬を出されて帰されました。
そしてまた誰もわかってくれないという思いで、過食が酷くなりました。
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ただそんな私も、色んな人に支えられて、あれから1年以上経って、普通の食事を取れる日は増えて来ています。
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2回目はすがるような思いで専門病院を訪ね、そこで良い先生と出会えました。
「過食しないと生きていけないくらい、心が辛いんだよ。過食は悪じゃない、ないと生きていけない大切なものなんだよ。」
そう言われてからスッと心が軽くなり、過食は減ることはありませんでしたが、罪悪感で心がはち切れそうになることはなくなりました。
今は授業の関係上、病院に通うことはできていませんが、今でもたまにまた話を聞いていただきたいな、と思うことがあります。
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また大学を休みがちになった時、1人だけ熱心に私に電話をかけたり、家を訪ねたりしてくれた友人がいました。
その子は私とは対極的の楽観主義者で、今はどんな状況でもその子に励ましてもらって頑張ることができています。
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今の自分の体型はとても、嫌いです。
今でも痩せたいといつも思っています。
特に生理前は特に気持ちが崩れやすく、学校に行けない日もまだまだあります。
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でも私は摂食障害を経験できて良かったと、心の底からと言ったら嘘になりますが、少しだけ、思っています。
もし摂食障害にならなかったら、私は挫折を経験せず、自分より劣る人の気持ちなんて考えず、内心バカにして生き続けたでしょう。
そんな私の心を広くしてくれました、また人の気持ちがよりわかるようになりました、思いやりを持てるようになりました。
神様から「お前はこのままではいけない」と与えられた試練だったのではないかと、今は考えています。
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先ほども述べましたが、私もまだまだ万全ではありません。
身体は健康的になりましたが、時には辛くて辛くて仕方ない日もあります。
まだまだ自分が大嫌いです。
人と自分を体型や成績、全てのことで比べがちです。
摂食障害と私のおつきあいは、きっとこれからもしばらく続くんだと思います。
それでも平穏にお付き合いをして、いつかはお別れをしたいです。
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一番伝えたいのは、「一見健康そうに見えても、摂食障害と闘っている人は沢山いる」のだということ。
これは摂食障害の9つの真実、というものにも取り上げられています。
http://peerful.jp/articles/eating-disorder/7255.html
あなたの周りにももしかしたら、闘ってる人がいるかもしれません。
気づいたらそっと、見守ってあげてください。
辛そうな時は寄り添ってあげてください。
それだけできっと救われます。
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私には女性的魅力がないのだろうか?
私は最近18歳になったばかりの女子高校生だが、もうこの女子高校生という特別なブランドはあと一年もしないうちになくなってしまう。
それなのに、私は告白されたことがない。痴漢をされたこともない。
私の友達は告白されたことがあると言う。痴漢されたことがあると言う。
世の中の女の人たちは「痴漢は怖い」「男の人が怖い」と言うし、友達もとても怯えた様子で私に痴漢されたことを伝えてきた。
でも、私はそれを聞いても「羨ましい」と思ってしまう気持ちが少なからずある。
男性から性的対象にされているというその事実がとても羨ましく思えてしまう。
私はデブだった。でも、痩せた。今は摂食障害気味で吐き戻してしまうこともあるのだが、一応標準体重(BMI21前後ほど)で「気持ち悪い」体型ではないと思う。
オシャレを気にしていないなんてことはない。ちゃんとトレンドを意識した服を着ているし、制服だって校則を守りすぎた長くてダサいスカートになんてしていないし、髪の毛はミディアムロングのストレートを下ろして前髪を適度に巻いている。
一重なのがコンプレックスだけれど、だからといって目が小さいわけじゃない。一重なのがダメだと言うなら私が先ほど上げた痴漢された友達は一重だった。私よりも目が小さかった。
私の顔は極度のブスじゃないと思うのだけれど、自分の顔だからそう思うのだろうか。一重以外にはそこまで大きなコンプレックスになるものはないと思っている。
今の顔は自分的にはレッドベルベットのスルギに似ていると思う。
口ゴボじゃないし、蒙古襞もないし、東洋人的な顔だとは思うが、ブスと罵られるほどではないと思う。
可愛いか?と聞かれたら違うかもしれないが。
私が気づいていないだけで周りの人間に過食嘔吐しているとバレているのだろうか。
オタクだから?私がアニメオタクで声優オタクでジャニーズオタクで腐女子だからダメなのだろうか?いや、それならやっぱり痴漢されたという友達はアニメオタクで声優オタクだった。オタクでも痴漢されるし告白される。
私が告白されることもなければ痴漢されることもないのは何が問題なんだろう。
男性に性的対象として見られてみたいし、それに対して「気持ち悪い」と言うことすらしてみたい。
自分という存在に価値を感じたい。好かれる、愛される、ということを経験してみたい。
見た目に問題がないとしたら(一重が問題ならば整形するという解決方法を試す価値はある)、中身に問題があるのだろうか。
性格にそんなに難があるのだろうか。女友達は人並みにいると思うし、連絡先を交換している男友達は片手程度だがいるにはいる。
友達がいるということを考えるとそこまで過剰に性格に問題があるわけでもない気がする。
私の何がダメなんだろう。
きっと私が何も気づいていないだけで全部ダメなんだろう。
見た目も中身も、何もかも。