はてなキーワード: 過食嘔吐とは
牛角の女性半額キャンペーンが荒れてて(これは荒れる意味がわからない)
その流れで男性は食べ放題やビュッフェで害悪!たくさん食べるし汚いし同じものを集中的に食べる!キモい!みたいな話になってるけど
確かに男性の方がよく食べるけどそれも計算して店側はやってるから毎日フードファイター級が大勢こなけりゃ大丈夫
それよりもマジで女性の過食嘔吐勢が圧倒的に害悪すぎるので男性の大食いなんか霞む
いわゆるカショオ族は食いまくる→トイレで吐く→食いまくる→トイレで吐くを繰り返す
なんなら体型と肌質と目の感じで来店時に(この人カショオ族じゃん…)ってわかる時もあった
トイレ詰まりやすくなるし本人ら気づいてるか分からないけど臭くなるし何よりも食って吐くの当たり前にマジで不快 食べるためのお店であって食べて吐くためのお店じゃないから…
「そんなの一部じゃん!!!女性を一括りにするな!!」って気持ちも分かる 私も女性だし
でもそれならキチガイ男性客を見て男性客を一括りにするのもやめた方がいい
ほとんどはマナーいいし、カショオ族以外でも高いものばっか食べる女性客もいるし
コーヒーカップに焼き菓子こそこそ詰める泥棒みたいな姿もよく見た
というわけでビュッフェで男性叩きは分が悪いからやめた方がいい
あとカショオ族が可哀想なのもわかる 病気だから苦しいと思うよ 家でやれとは思うけど
(追記)
食べ放題のお店でめちゃくちゃに食べてお店のトイレですごい音と匂いさせながら吐く
SNSに店名堂々と載せてカショオしてきた💓と書く
正義っぽいこと言うの気持ちいいかもしれないけど店員や生産者、他のお客さんのこと考えたらどうでしょうか…
それに病気自体は可哀想だし苦しいと思うって書きましたよ だからってお店でするのはどう考えてもアウトでしょ
いいことも悪いこともけっきょく己の劣等感へと思考がリンクしてしまう。
自分の運や実力を信じてどこまでもポジティブでいられるならそれはそれで病的といえる。普通の人はそうならないように適度に自らを不安に浸す。上手くいってるのはたまたまでは?自分は本当は不運で無能なのでは?と。つまり逆説的だが不安に浸ることには精神安定作用がある。
その安心作用に依存すると最初からブレーキを踏むのが癖になる。自分はダメだダメだ。でもそのことに気づかずに調子に乗るほど危険な状態ではない。最悪よりはマシな現状だ。…そのように自分をディスカウントして「自分を見失ってるわけではない自分」の最低のラインを死守することで、本当の最悪というものから自分を遠ざけておける気がする。
そういう思考の癖がついている。
しかしそういう思考パターンのメカニズム自体は別に重要ではない。なぜならクセはクセであって本質ではないから。
あらゆるモノに質量があり慣性が働くように行動や思考にも習慣性というものがある。ドカ食いをどうしてもやめられない人も、それはそういうパターンにはまり込んでしまったのであり生まれつきドカ食いを宿命づけられているのではない。
では思考の癖を剥がすにはどうすれば?というと言わずと知れた話で、訓練により別のくせをつけていくことしかない。
セルフディスカウントでないリアリスティックな物の捉え方考え方を。
しかしこれ言うは易いことであって、心を守るための悪い癖を脱ぐのは死の不安を生身で抱きしめることであり生存本能への挑戦です。
過食嘔吐とか自傷とかも反省したらすぐなおるとかありえないように。
だからこそ近道はない。本能をなだめるために、例えばスモールステップを設定し小さな成功体験を積むとかのテクニックを思いつく限り駆使しつつ、結局は自分の覚悟次第ということになるでしょう。根性論「だけ」では何も解決しないが、根性論抜きでもやはり何も解決しない。「自己改革は死ぬ気でやらないと無理」身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ…というのはそういう意味でしょう。
とりあえずの「精神安定のコツは?」みたいな話にいきなりの叱咤激励というのもあれだけどどうせどっかで行き詰まってイヤでも勝負かけるしかなくなるのは予感してるのではないでしょうか?
10代の頃から拒食症→過食嘔吐で15年ぐらい悩んでいたよ。本当に辛いよね。わかるよ。駅のトイレとかでも全然吐いちゃってたし、家でも深夜に吐いてた。外のトイレだと、どんなにきれいなところでも小さいゴキブリが出てきて、本当に悪いことをしているんだと実感したな。悪いことしてるもんね。罪悪感から友達づきあいも、恋愛も楽しめない。食べたら吐かないといけないし。お金もなくなるし、歯もボロボロになるし、吐きだこもやばいよね。自分は手にビニール袋かぶせて吐いてたよ。匂いが怖いから歯ブラシ持ち歩いて、香水つけてさ。察するに、増田もそうなんだろうなぁと思って、キュッとなったよ。生きてるだけで本当に偉いよ。治そうと思っているのも本当に素晴らしいよ。
自分の場合は、朝に炭水化物を食べてプロテインを飲むようになってから、あの切羽詰まった「今、はち切れるぐらい食べないと死ぬ!!」みたいな感覚が薄れていったよ。あの感覚は多分、栄養失調から来るんだと思う。菓子パンはスイッチが入るから避けて、ベーグルか玄米のおにぎりから始めるのがおすすめ。プロテインも、カロリーの割に腹がふくれるし、スタバのフラペチーノ的な感じもあるからすごくいい。試してみて。ここ3年ほどそれでカショオしてない。カショオやめてから人付き合いもできるようになったよ。がんばれ。大丈夫。
悩んでいるから色々とっくに試しているとは思うからクソバイスの自覚はあるんだが
過食嘔吐以外に夢中になるもの、ならざるを得ないモノを探すのはどうか
いちおうSSRIが過食症に効く薬ってことになってるけど、ぶっちゃけ殆ど効果ないし、摂食障害専門の病院にかかってるっていっても過食嘔吐に対してはあんまり意味なさそう。アルコール依存症と同じく嗜癖(依存症)の側面があるので、自分自身で治すしかないというか。
自分は拒食症(BMI12)→非嘔吐過食(+30kg)→セルフ認知行動療法とマインドフルネスで過食が徐々に治る→玄米菜食にハマって20kg痩せて、そのあと15年くらいBMI15〜17を維持してる。
今は過食なし、運動強迫(過活動)なし。禁止食もなく甘いものもジャンクフードも何でも食べる。
摂食障害になる人って、境界性パーソナリティ障害 or 双極性障害 or ADHD or 統合失調症 or 境界知能 など、衝動制御に問題のある精神疾患なり知的な問題があったりするけど、元増田は摂食障害以外の疾患はないのかな。
これ言っちゃいけないんだけどね。かしょおやめたいでも太りたくないでも食べちゃうってなったらもう例の糖尿病薬でも使ってみたらどうかね
かしょおやめられるなら(世間に非難されるけど)薬使った方がマシ。自由診療でお高い薬だけど過食代より安いと思うよ
リポなんざ常用してるくらいなら糖尿病薬の方がマシだと思うね。内蔵強いならね(健康・精神被害は「過食嘔吐+リポ+やむにやまれぬパパ活」の方が大きいんじゃないか)
膵臓ぶっこわれるだの必要な人に薬回らないだの色々言われてますけども。あなたの危機的状況を鑑みるにベストではないにせよそれなりの成果を上げる解決法ではなかろうかと思う次第です
海外ではダイエット薬としても使われてるわけですし。まあ、ここは日本だし欧米人の巨体と一緒にしちゃいけないし多分あなたは危険なレベルの痩躯だろうけどね
(ちなみに私が言ってるのはメトホルミンだのフォシーガだののことではないですからね)
サノレックスが効くならそっちでも良いけど
(自分はサノ駄目だったわ。ちなみに糖尿病薬も数年使ってたら効かなくなったからやめた。まあ今はある程度節制出来てるから、薬の服用によって節制が習慣化出来たっちゃ出来たな)
誰もこんなアドバイス(世間からしたらクソバイス)しないだろうけど、こればっかりは「かしょおしてる人間」にしかわかんない苦しみだからね
というか世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ
ちなみに自分は医者にもかからず自力ですっぱりやめました。何年かしょおしてたか忘れたけど。1,2年だったかな。短い期間だからやめられたのかな?
やめた時の感覚からすると、人に頼ってやめられるのかどうか疑問なんだよな。まあ、名医ならなんとかしてくれるのかもしれんけど。ノウハウあるから
なんにせよ「身体や精神、生活といった人間の肝になる部分を酷くぶっ壊さない(あと法に触れない・直接的に人に迷惑をかけない)、なるべく穏便な方法」なら、どんな手を使ってでもやめるべきだね
もしやめられたとしても、食に翻弄される人間は(よっぽど根底から変わるようなことが無い限り)生涯翻弄され続けると思った方がいい
脅すわけじゃないけどね
健全な生活を送っていても、心のどこかに「これ以上食べちゃ駄目」とか「動かなきゃ」とか「太ったかも」とか、そういう引っ掛かりを抱えたままだと思うわ
メンタル坊さん化とか出来ればそんなことに拘泥しなくなるかもしれんけど
ゆっても、やめて落ち着けば精神的肉体的経済的には天と地ほど違うから。楽になりますよ
あと、「吐こう」なんて思わなくなるしね(繰り返す人も居るみたいだけど、やめてる期間が短ければ再発するかもな。でも一ヶ月でもやめられたら「またあの糞面倒なことやりたくない」って気持ちの方が強い筈)
つーか、冒頭の薬飲んでりゃ「無駄食いしない」「太らない」わけだから、懸念材料は無くなるわけですよ。寧ろ「全く食べずに倒れる」が一番やばいですね
https://anond.hatelabo.jp/20240803163629
多分だけど、わかるよ。ストレスでの過食→過食したことへの自己嫌悪がストレスになって嘔吐→吐いたことへの自己嫌悪でストレスになって過食……の繰り返しなんだろ。タイミング悪いと喉が焼けるし口の中気持ち悪いし。乳製品飲んで楽になってたりしない?
自分は16で患って、35の今も時々吐いている。病院にはあんまり行ってない。
中学時代までめちゃくちゃ太ってたんだけど、一念発起して75キロ→65キロまで減らした。だけどそこから減らない。で、そのとき入ってた部活の女の先輩から、「そういうときは吐くといいんだよ」って教えてもらって、吐く方法を覚えた。
そこからはもう駄目だったな。単純に癖がついたし、歯も溶けた。受験のストレスもあったんだと思うが、一番大きかったのは「また太る」ことへの恐怖だ。「吐かないと痩せない」、そういう恐怖と、そのストレスを発散するための過食と、過食したことへの逃避での嘔吐。この繰り返し。一番ひどいときは「胃が蠕動するときの感覚が気持ち悪い」にまで至ってた。
大学時代になってからも特段治らなかった。外食でおいしいものを食べる→食べたあとに吐く、の繰り返し。グルメにはなったが、食べたものをあらかた吐くことも多い。そうすると確かに食費はガンガン飛んでいくのよね。俺の借金額教えてあげたい。
最近はかなりマシになった。色々な諦めが訪れて、吐く回数も減ってデブになった。が、今でも「食べ過ぎたら吐けばいいや」という精神で、ストレスでおいしいもの食べ歩いたあとに吐くことがある。病院に通ったことはないけど、先生の仰ってる「治しづらい」は本当にそうだと思う。いつの間にか20年経ってた。
ごめん、俺の話はどうでもいいよな。自分語りが目的なんじゃなくて、「全部とは言わないが、気持ちが多少わかる」ということを言いたかった。自己嫌悪って苦しいじゃん。やじゃん。自分の身体が、内臓の存在が嫌いじゃん。でも自分で自分を嫌いになりたくないじゃん。レベルは違うかもしれないけど、似たような苦しみを思い出してつらくなっちゃった。せめて元増田を手助けする方法がないかなと思っちゃったので、自分なりにやってた対症療法を提案してみる。
正直、「吐かない」ために「食べ過ぎない」ってきついじゃん。2つやろうとして結果的にストレス増大するっていうトリレンマが発生してる。だから、1つだけに絞ろう。
「吐かない」。かわりに、「たくさん食べてもいい」。つまり、「たくさん食べても太らないもの」を探してみる。たとえばだけど、低カロリーなもの(サラダの類い)をたらふく食うとか。お金に糸目はつけなくていい。まずは「吐かない」ことに絞る。多分、最初は肉体が受け付けないと思うんだよ。少しずつでいいから、吐かない練習をする。胃が膨らむ感覚が嫌いなら、炭酸水飲んで胃が膨らむ感覚に慣れるのもいいかもしれない。少しずつ、「たくさん食べても太らない」という認識を自分に植えつけていく。大事なのは「食べ過ぎても太らないもの」を選ぶこと。ノンカロリーのお茶なりもおすすめ。食べる量を減らすのはそのあと。吐かない癖がついてからでいい。
これだけ? って思うでしょ。ごめん、結局言えるのはこれだけなんだ。大事なことは、「自分に何かを許してあげる」ことだと思う。それは、(吐くことを辞めたいということであれば)吐くこと以外だったらなんだっていい。
だって、ストレスが消えてないのに、いきなり過食嘔吐やめろなんて無理なんだよ。最終的に日々のストレスを抜け出さないとどうしようもないからなんだよ。俺がそうだったもん。我慢に我慢を重ねるとストレスが爆発してまた元に戻っちゃうんだ。だから、無理しなくていいよ。
あなたはとてもすごい人だよ。過食嘔吐をやめたいという気持ちがある。正社員で働こうと考える意欲もある。お姉さんを心配させたくないというやさしい心の持ち主だ。あなたにいいところはたくさんある。だから、少しずつ、今の自分を受け入れながら少しずつ変えていけるといいと思った。食べ過ぎちゃうの、自己嫌悪に陥るけど仕方ないじゃん。食べるのは気持ちいいじゃん。お金使っちゃうのも、散財することが半分楽しかったりするじゃん。そこは一旦受け入れてみてほしい。それはあなたの素晴らしさを何も損なわない。それは開き直りとは違う。今ある自分を受け入れながら、少しずつ自分を変える試みを続けてみてほしい。そして、くれぐれも無理はしないでほしい。
誰にも言わないで欲しいんだけど、実は毎晩過食嘔吐してる。
うつ病から始まって、拒食から運動脅迫気味になって、そしたら過食するようになって、ある日自殺未遂しちゃった。
それをきっかけに摂食障害専門の病院で診てもらって、なんとか生活リズムを戻して、1日7時間、週に4日、働けるようになった。
でも過食もあんまり治ってなくて、その分運動しなきゃってなって、運動脅迫が本当に苦しくて、気付けば食べたもの吐くようになってた。
病院の先生にも、「吐いてはないんだよね?」って何回も確認されてたし、吐くようになったら治すのがすごい難しいって知ってたから、そこには手を出したくなかったけど、
とうとう足を踏み入れてしまった。
それをやらなくて良くなっただけで本当に嬉しくて、
過食しても太らないのが嬉しくて、
毎晩毎晩吐いてた。
ただ、問題点がいくつかある。
姉と2人暮らししてるんだけど、
姉が寝た後に吐かなきゃいけないから、寝るのが2時過ぎとかになる。
毎日睡眠不足だし、会社にいる時は基本カロリーとらないからヘロヘロで、過食症時代に飲んでたリポドリンって薬飲んでなんとか仕事してる。
1回の過食のために2,3000円分の買い物をするので、お金がすごいスピードで減って行った。
実家は無く、都内暮し、かつ病気のこともありフルタイム出勤はできないので、手取りは月10万とか。生活保護以下。
過食嘔吐さえ抜きにすれば、
私は痩せてるし、前みたいに夜中に過食しては泣きながら運動して死にたくなってたこともなくなって、週4だけだけど生活リズムも整って働けるようになってて、表向きは上手くいってた。
どうしたらいいか分からなくなって、過食のお金稼ぐためにパパ活始めた。
ご飯代は全部出してもらえるし、可愛いがってもらえるから承認欲求も満たされるし、パパ活してる間はドカ食いもしなくてすむから、一石二鳥どころか三鳥四鳥だった。
でも、上手くいくばかりじゃないから、
パパ活までして稼いだお金が全部過食嘔吐で消えていくのが、虚無でしかない。
相変わらず、会社ではリポドリンを手放せない。飲まなかったら寝不足と低血糖で多分倒れる。
唯一の家族である姉には過食嘔吐のことも、パパ活のことも言えない。迷惑をかけたくない。親も親戚も頼れない。
1番問題なのは、これでサイクルが回ってしまっているということ。例えば、パパ活が上手くいかなかったらいつかお金が尽きて過食も治っていたかもしれないのに。上手くいってしまった。
私はこれで生きるようになってしまった。
本当は、過食嘔吐をきちんと治して、パパ活なんて辞めて、正社員を目指して働くべきだと分かっている。
でも、毎日食べて、吐いて、ふらふらで出勤して、休日はパパ活して、それでもう、精一杯だから、現状を変えられない。
ドカ食いしたあとの膨れきったお腹を見て、毎晩、こんな風に使われる身体なら誰か、別の人にあげたいと心底思う。
臓器提供をしたい。こんな私でも誰かを救えるなら今すぐ死んで、臓器をあげたい。
生きててごめんなさい。
【8/4 追記】
こんなに色んな人に聞いてもらえるとは思ってなくてとてもビックリしました……皆さんありがとうございます。ブックマークコメントも全部拝見しました。
ここに書いただけで偉いとか、頑張ってるよ、って励ましの言葉が本当に嬉しくて、たくさん泣きました。
色々と具体的なご提案もくださりありがとうございます。
ここに慣れておらずあまり機能が分からないので、追記で一部お返事させてください(すべてに返せず申し訳ないです)
本当に仰る通りでしかないです。頭では分かっているのですが……「今月はどうでしたか」と聞かれると、取り繕ってしまうというか、大丈夫です、と言ってしまいます。
非嘔吐で夜中に過食していた頃に比べると出勤はできているし、短時間ですが睡眠はとれていて中途覚醒もないので一見良い感じになってしまって、以来、薬も変わっていなくって……自分で書きながら本当にダメだなぁと思いました。
家族には、すみません、多分、自分の口からは言えないです。まずは先生に伝えることから考えたいと思います。
コメントにあった、この投稿を印刷するのも一つの手だなと思いました。見せるのはまだ勇気が足りないかもしれません、でも、印刷だけでもやってみます。
・サラダドカ食い部に〜
お誘い嬉しいです。今は、食べ物を身体に留めておくことが怖いのですが、野菜なら大丈夫なんだ、という思考に変えていきたいです。野菜は高くて普段買わないのですが、今度サラダクラブ買ってみます。
・ダイエット薬勧めてくださった方
「世間なんざどうでもいいわ。あなたの苦しみが少しでも軽くなればそれで良いんですよ」この言葉に救われました。本当にありがとう。自力で過食を止められたとのこと、凄いです。仰る通り、「太っている」ことに対してとてつもない恐怖感があって、それをどうにかしない限りは一生苦しいのだろうな、と思います。
正社員になりたいと書いたのも多分、見た目以外で、自分にちゃんとできているものが欲しいと思ったからだと思います。中身が空っぽなんです。
薬の服用で節制が習慣化できた、とのことで、選択肢のひとつとして受け止めます。あなたもどうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございました。
・摂食障害以外の疾患は〜
薬についてですが、スタートがうつ病だったのでエチゾラムをずっと飲んでいます。
中途覚醒がずっとひどく、非嘔吐過食の時、無理やりベッドに入っても夢遊病のように夜中にコンビニに買い出しに行って無意識に過食をする→そのまま寝落ち→翌朝号泣して仕事に行けない というようなことが続いたので、寝付きを良くする薬をずっと出してもらっています(皮肉にも、吐けるようになってからの方が仕事にちゃんと通えています…)
明確に診断されたわけではないのですが、白黒思考がひどく、境界性パーソナリティ障害に近いのかもしれません。
なんでも食べるけどそのBMIを維持している、というのがすごいです。玄米菜食で身体が出来上がっているということなのでしょうか。気になったので調べてみます。ありがとうございます。
クソバイスどころか、本当に仰る通りだと思います。昔は好きなものがあったはずなんですが、うつ病と摂食障害になってから無気力で、好きなもの、やりたいことがなんにもありません。それもあって「もう生きなくていいや」と思ってしまいます。
ゆえに、無理矢理でも準備をして着飾って出かける(しかも、お金がかからない)パパ活が、過食を回避する活動としてサイクルにハマってしまった節があります。
でも、よく考えれば、お金を消費せず外で時間を潰す活動ってほかにもあるはずなんですよね。ブックカフェとか図書館とか……
もう少し視野を広げられるようになりたいです。ご指摘に感謝いたします。
私はここ2年ほどの出来事なので、その10倍と考えると気が遠くなるような思いです。長年、この重い病と闘っていらっしゃるあなたを尊敬します。
私も幼少期から太っていて、一念発起で普通のダイエットで20kg痩せて、それをキープするために……という同じ経験です。
今は、食べ物を身体に留めておくのがとても怖くて、「吐かない」のが難しいです。「吐けない」なら「食べない」です。
でも、少しづつでも、吐かずに食べられるように変わらないと治らないですよね。
その一歩目として、他の方にもサラダや重湯、あとは玄米菜食なんかも良いらしいので、お金のことは気にせず考えてみたいと思います。
過食嘔吐ってお金の面でも、身体的にもメンタル面でも、自傷行為だなと常々思います。自分のことが大嫌いなんです。だから死んでもいいやと思ってしまうし、ずっと自分で自分のことを苦しめている。痩せたことだけが成功体験で、唯一、自分を認められるもので、それがなくなったら私は無価値です。多分、それ以外の成功体験が欲しくて、正社員になりたいと書きました。
あなたのお話を聞いて、少しづつでも、自分のことを許して、助けてあげたいと思っています。
こんなにも人を思いやれる素敵なあなたの人生も幸せなものでありますように、私も願っています。どうかお身体ご自愛くださいね。ありがとうございます。
人間関係でメンタルを病んで休職に至るまでと復職までをエントリしました。
今しんどい人や療養中の参考になれば嬉しいです。
休職まで
年位で徐々に体調を崩し、もっと早く気がつけばと今なって思う
その後は休日の楽しみだったネイル、マツパで今どうしたいかを選べなくて同じものリピート
テンションが上がらないなと思い通うのを辞めた
同時に寝つきが悪い、すぐに目が覚めるといった不眠
顔の蕁麻疹
多汗
金曜夜や在宅勤務の前日は中々お風呂に入れない
推しの現場で今まで通りのオシャレをしていない自分が嫌で1秒でも早く終わって欲しかった(推しから自分は見えていなくて認知もいらないけれど)
休日出勤や残業中に会社で首を吊れる場所ってないんだなと探している自分に気づいてやっと受診を決めた
初回で鬱の診断と即日の休職診断が出た
増田は支店の1/4強売上があって、先輩や上司のクレームリカバリー先が何社かある
推しの現場、大事な人の冠婚葬祭といった何ヶ月も前から有休にしていた日に、先輩社員のミス謝罪訪問をさせられたり社内からどうでもいい電話がひっきりなしにかかって対応が常
休めないし、きっと休ませてもらえないから無理だと話すと主治医に怒られ鼻水垂らして泣いた
休職に入ってから、誰とも話さず取り残された焦りで毎日が終わる
メンクリ以外の外出は無理でネットスーパーとアマゾンに助けられた
少し前に風呂キャンセルが流行ったまさにそれで髪はおろか顔も洗えない
よかったこと
近くのメンクリを選んだ
ダラ着スッピンに伊達メガネとマスクでも徒歩3分だと許容できた
薬の効きが悪い、過食、落ち込みといった症状を毎回伝えて擦り合わせた
初診で鼻水垂らしているから今更恥ずかしいことはない
スキンケアの必要がないからシモはほぼ毎日洗えた。コスメ垢で良かった
ゴミを捨てられた
親がとある依存症の汚家育ち恐怖と24時間ゴミ捨て可物件で汚部屋を回避できた
過食の対応
休職直前から10キロ(通常時の5キロ増)でも過食嘔吐はしなかった
業務引き継ぎの合間に定期の払い戻しやサブスク解約できたのは偉かったな
リア垢アニメ好きの幼馴染が「全人類見るべき」でツイートしたハイキューの映画に興味を持った
上映時間が85分の短時間、レイトショーは社不でも行けそうなハードル
出かけられた日は一生忘れないと思う
最近のコンテンツなのに誰も怪我しないし死なない!絶対病室のおじいちゃんぽっくりすると思ったのに
チームメイトもだけど大人がまともでいい人ばかり。武ちゃんマジで幸せになって欲しい
小学校〜大学まで続けた競技で全国何回か出た真剣に頑張れた自分を思い出せた
ダメ人間じゃなかった
学生時代の頑張りの気付きから、色んなことが今はできていないだけと視点が変わった
復職前後に前職の同僚や上司と会う機会があって沢山励ましてくれた
ヤバい色のリップ塗ってゲラゲラ笑ってる増田も今のカジュアルな増田も年相応で悪くないこと
初めて教育した新卒が渡したマニュアルをもとに教育担当を頑張っていること
今は働き方をセーブ中で通院と両立できてちょうどいいと思えている
得た物
今まで見ないでいようとした問題に向き合う期間になった
増田は条件付きでしか自分を肯定できないし尊重できないと知った
大学生からずっとシンデレラ体重以下を10年以上キープするなんて無謀だし
営業職しながら、丁寧な暮らし、コスメと推しオタク、美容の全ての両立は難しい
休職で失ったものもあるけれど、頑張り屋で愉快な可愛い自分を少しずつ愛せるようになりたい
もし今辛い人がいたら、「できない」じゃなく「できていた」と思って欲しい
(女性の方で生理の異常がある場合はすぐ受診してください!増田は生理不順で受診してストレスかなと言われてから1年放置してこのザマなので)
余談
青根君と鷲尾君すっごい好き
強面デカい無口だけど心優しくて強い男マジで癖なのにアクスタとぬいがない
バッグに入れて通勤したいよー
私はさ中学生〜高校生あたりまでずっと「うちはお金ないんだ、貧乏なんだ」って思って暮らしてたんだよ。だって病院行くにも「あんたはほんま金かかるなあ」って文句言われるし塾行くにも編入するにもずっと金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金金って言われて育てられたから。お金よりもまず娘の体調を心配して欲しいのに。だから私はもっとお腹を壊すのに。そんなにお金がかかるのが嫌ならなんで子供なんか産んだんだよってずっと思ってた。なのに妹がうちの家計についてなんて言ってたか知ってる?妹がが買ってもらおうとしていたものに対して「それお金かかるじゃん」って私が言ったらさ、「大丈夫、わたしお父さんとお母さんのこと信頼してるから!だって何でも買ってくれるもん🎶」だよ?
私だってわかってるよこの家が貧乏なんかじゃないことを。だってお父さんはいつも良い服着てるし子供のセーターを買う時には一直線にイーストボーイに行くし、お母さんは物価高に気づくのが私や世間よりずっと遅かったし、何より一馬力なのに物価高の今でも変わらぬ生活水準を維持できているし。平均以上、いやさらにそれ以上のお金がないことはないって気付いてた。ただ長女の私に余計なお金を遣うのが本当に嫌なだけなんだと。私は通信大学に入学が決まった時、「ああこれでまた『アンタは金がかかる』って言われなくて済む」って心底安堵した。それでもスクーリングの学費や交通費を申請するのは気が重くて、なんて言われるか怯えながら毎回お願いしてた。「アンタは金がかかる」って言われるたび、私は「アンタなんか要らないのに」って言われてる気持ちになるから。今年の冬、いつも自分で払ってる教科書代が、授業が重なって高額になってしまって、いつもお父さんが「教科書代は出してあげる」って言ってるのを信用して今回は出してもらえないか聞いたらさ、大きなため息ついて乞食扱いだよ?お金はあげる、それくらい自分で払え、父親と母親の板挟みで、信用したら裏切られて甘えようとしたら突き放されて。お金を貰える貰えないよりも、このやりとりが何よりもつらかった。
これが一貫して「子供にお金を遣うのが嫌な親」だったらまだ納得できたのに、妹にはポンポンお金遣ってるんだもん。そのうえ「アンタは金がかかる」と責めることもないし、「誰の金で生活してるんだ」と必要以上の罪悪感を抱かせることもしない、もちろん乞食扱いだって一切しない。ずるいと思わない?私なんか最初から要らなかったんだと思わない?私がいなくて妹だけだったら良かったのにっていつも思うの。
「遊びに行く時は毎度毎度お小遣い付き」「私がお金無くて友達と遊べないって相談した時は、『そういうこと言うと次から誘ってもらえなくなるよ?』って嬉しそうに言いのけたのに?それで私だけサイゼでお水飲んでたのに?」
「ルミネで可愛いブラジャー買ってもらえるんだ」「初めて下着を買った時、友達は生活必需品だからと親にお金を貰っていたから、私もと思って貰えるか聞いてみたら、大きなため息をついて『そんなお金ない』と言い放ったのに?」
「入学祝いのiPad」「私の入学祝いは自転車だったのに?しかも私の学割使えとか意味わかんない自分で買えよ」
「ジルスチュアートの財布」「電子辞書」「全身イーストボーイ」「switchもスマホもiPadも全部全部やり放題」私と妹との扱いの差は枚挙にいとまがない。
私のコンプレックスの根源は「両親に愛されたい」という強い気持ちが満たされないことにある。小学生の頃の私にとって、お母さんはいつも機嫌が悪い人で、父親は機嫌を損ねると大きな体と声と方言で怒鳴り出す人だった。しかもキレるポイントが理解不能。
中学生の私にとって、両親は私を支配しようとする人たちだった。思い通りにならないから縛りを強くして、私はそれが耐えられなくて反発しての繰り返し。スマホを没収するための金庫を買ったのを見た時は、心の底からゾッとした。私を支配することに夢中で、私との戦いに勝たなきゃとムキになってるんだ、もうこの人たちには話なんか通じないんだと恐怖した。当然私の意見なんか聞いてくれなかった。中1の中間テスト期間に、数学のワークが終わっていないからと部屋に軟禁されて、足を組んで座ったお父さんがゲームしながら真後ろで私を監視していたあの日から、私の心はおかしくなった。
高校の時のことはもうあんまり思い出したくないし、脳が思い出さないようにしてるのかもうあんまり覚えてない。ただ、高3の時はお父さんの姿を見るだけで、頭が真っ白になって、全身の震えと涙が止まらなかった。本当。自分の体がいつも通り制御できなかったのは初めてだった。私は過食嘔吐になって1年間食べたものをずっと吐いてたけど、お父さんとお母さんには見て見ぬ振りをされた。
中学の友人にも、高校の友人にも、成人してから「あなたの親はちょっとおかしかったよ」って言われた。おかしいと思ってたのは私だけじゃなかったんだと思ってホッとした(もちろん、普通以上の暮らしをさせて、たくさんお金を出してやってるのに、とかそういう話ではないことをわかって欲しい。ここに書いてあるのは全て、『普通以上の環境と金銭を与えられたのに、どうして娘が心を病んだ出来損ないになってしまったのか』その理由だから)。
もう一つ付け加えると、「誰の金で暮らしてると思ってるんだ」って言われたことがあるって言ったら、それも友達にドン引きされた。昔の話だって言うのもわかるけど、もうとっくに大人だった2人にとっての10年前の発言なんて、覚えてないしそんなつもりもなかったんだろう。だけど、まだ心の柔らかい子供だった私にとっては、一度言われたことでもこうやって心の中心に根を張って残ってる。そんなこと今更言われたってじゃあどうして欲しいんだって言うんだろうな。ここまで読んできてまだそんなことを思うのであれば、この長い訴えはひとつも届いていないんだろうなって私が悲しくなるだけだよ。私はただお父さんとお母さんに私の話を聞いて欲しかっただけだった。
私は両親の機嫌をうかがって怯えながら暮らす方法なんて覚えたくなかった。なのに妹にはそれが許されてる。人生で一番辛かったのは不登校の時、二番目は過食嘔吐に苦しんでた時、三番目が、妹と自分の存在価値の差を見せつけられてる今。過食嘔吐はストレスの発散も兼ねていたけど、今は道具がないからもう吐けなくて、それに過食嘔吐は本当に辛かったからもう二度と吐きたくない。カショオができない今この家のリビングにいると排気ガスみたいな異臭がするようになった。耳鼻科では何の異常もなくて、ああ私はこの家にいちゃいけない存在だからこんな酷い異臭がするんだなと思った。過食嘔吐に戻りたいと思ったのは完治して以来初めてだった。
結局は家族なんて血が繋がってるだけで、個々の自我を持つ他人の集合でしかないのは事実だ。それに加えて昔からお父さんとお母さんは、保護者と子供の関係を一方的な支配による繋がりとみなしている面がかなり強かった。だから思い通りにならない子供を縛るし、対等な話し合いの場に降りるなんてあり得ない。話を聞いて欲しいなら同じ土俵にまで上がってこい、あ、ただしお前は誰の金で生きてるのか考えろよ?って。「親に逆らうな」「馬鹿にしやがって」「口答えするな」、今思うと私はあなたたちの幼少期の復讐の道具にされていただけだった。父親は祖父にファミコンを壊された恨みを私にぶつけて電子機器を隠して回った。母親は私のことを”理不尽な目に遭っても私たち長女だから仕方ないよね“仲間だと思っているけれど、私はあなたの娘であなたから愛情を貰うべき存在だ。私はあなたたちの人間的成長の犠牲になったというのか。
家族の関係が改善したのはお父さんとお母さんが支配を諦めたのと、私がお父さんとお母さんに愛されることを諦めたから。2人はそれぞれの人生をもつ人間だけど、私にとっては替えようのないたった2人の保護者だったのに。私の7年続いた反抗期は全部「私自身を見て」「私の話を聞いて」「私に興味を示して」「私を心配して」「私の存在を許して」「私のそのままを愛してくれ」ってSOSだったのに、私が大人になって全部諦めることで終わりを迎えた。とても虚しい。期待したって意味ないことに気づいたのだってお父さんもお母さんもただの血が繋がってるだけの他人であって、いくら私が望んだって他人を変えることはできないと知っているから。
私はお父さんのことがお母さんのことが大好き。大好きだから私ばっかり期待して、期待以上のものが何も返ってこなくて落ち込んでる。私はお父さんとお母さんのことが大好きなのに、お父さんとお母さんは私が心療内科で何の治療をしているか知ろうとしないし、過食嘔吐を知らぬ存ぜぬする割に嫌味だけは言いにくるし、そもそも私がPMDDで数年間悩み続けてコツコツ治療をしていることさえ1ミリも興味がない。どうにか興味を持ってもらいたい私が1人でペラペラ喋ってるだけ。妹と扱いが違う!と訴えても仕方ないってヘラヘラするだけ。ひとこと、やりすぎだったね、ごめんねって言ってくれるだけで多少は救われるのに。私の気持ちなんて考えたこともないんだろう。
私は妹のことが大好き。一人っ子だったらもっとお金出すことに文句言われなかっただろうなって思うことは何百回もあったけど、それでも妹がいない生活なんて考えられない。たった1人の妹。妹が自分と同じ思いをしないように私なりに頑張ってきた。不登校の妹が「もう死にたい」と泣いた時は抱きしめて2人でわんわん泣いた。そんな悲しいこと言わないでって泣きながら、頭の片隅で私が死にたいって言った時親はなんて言ってたっけって思い出してた。ただただ困惑されて、腫れ物扱いに拍車がかかったのを覚えてる。
私はブラジャー代貰えなかったから妹には入学前に持たせてあげなきゃって思って「買ってあげたら?」って言ったら本当に買うからびっくりした。じゃあ私は?なんで?そんなお金ないって言ってたのに?
自分がして欲しかったことを妹に施すことで救われる自分と、より深く傷つく自分がいて、私は1人でどんどん気持ちを病んでいった。私は失敗作で実験体だと思った。3月からリビングはずっと異臭がしてた。これを書いている今もする。
妹の図々しさとか末っ子振る舞いにはイライラすることがある。それでも私も姉のはしくれだからか、顔を見ると全部許してしまう。私は妹がいなければ良かったなんて思ったことは一度もない。妹がいなかったとしてもその分の愛情が私に注がれることはない。私は可愛い娘じゃないから。いつもいつもいつもいつも「私が要らなかったんだ」と思う。「妹だけでよかったじゃん」って思ってる。
私はもう次に進みたい。もともと持っていたPMDDの治療もかなり良いところまで来ていて、ホルモン由来の不安定からはだいぶ抜け出せた。それでもいつも自分なんか要らないんだと泣いていて、そのきっかけは全部全部家のこと。親のこと妹のこと家族のことでしょっちゅう傷ついて、過食と無茶な生活で自分を痛めつける生活から抜け出したい。お父さんとお母さんと離れてもう何も期待しないで済む距離を保ちたい。許されている妹と許されない自分を比べたくない。家から出て一人暮らしがしたい。ここから一人暮らしについて相談する予定だったけど、親の顔を見るととてもじゃないけど自分の気持ちを話す勇気なんてもうとっくに枯れてしまっていて声が出せなかった。きっと両親は本当に何も考えていないだけなんだと思う。私の腐った心はもう元には戻らないのに。どうせ話したって何も聞いてもらえないのが身に染みてる。どこにも出すあてがなくなった日記の供養でした。私の両親、やっぱりちょっとおかしいよ。
好き嫌いや愛憎は、個人の価値観を反映する。価値観は快・不快と損得(利益と損失)を二軸とするマトリクス図で表せる。マトリクス図には「快く、利益を得る」「不快で、損失を受ける」「快いが、損失を受ける」「不快だが、利益を得る」という四つの区分ができる。このうち「快く、利益になる」が好き、「不快で、損失を受ける」が嫌いに分類される。ちなみに快・不快は生まれつきの性格によって決まり、損得は目的意識によって決まる。すなわち価値観は先天的な性格と後天的な人生の目的の二つが揃って初めて確かなものとなる。
快・不快と損得の正負が一致せず、好き嫌いに分類することのできない矛盾した感情がある。「快いが、損失を受ける」「不快だが、利益を得る」の2つである。この2つの感情は、個人の内面では明確に区別されない、ほぼ同一のものである。この感情を元にした行動が対象の利益になる場合、その感情は愛と呼ばれ、行動が対象に損害を与える場合は憎しみと呼ばれる。
すなわち愛憎は自己と他者(あるいは行動主体と対象)の快・不快や損得が対立する場合のみ生じる。対象の快や利益が自らの不快や損失となる場合、あるいはその逆の場合に、どちらを選んでどちらを犠牲にするかを選択した場合にのみ、愛や憎しみは生じる。
また、一人の人間の内面にも対立する快・不快や損得が存在するため、しばしば自己への愛と自己への憎しみが同時発生する。いわゆるトレードオフである。この対立は、意識して調整する必要がある。
例えば食事について、食べ過ぎて太ることに悩む人がいるとする。食べることが快いのは先天的なことなので簡単には変化しない。太ることにより利益を得ていればそれは「食べることが好き」であり、問題は生じない。しかし太ることにより損失を受けると感じる場合は、自己への愛と自己への憎しみが同時に生じる状態となる。この時、調整の方針は3つある。一つは、愛憎を逆さまにすること、すなわち食べないという不快を選び、太るという損失を受けない状態にすることである。二つ目は、快を得たまま利益を得られる方法を考えることである。三つ目は、食べることの快さそのものを否定するものであるが、これは生まれつきの性格を否定するため実現は難しい。そして現実には、一つ目の方針として食事制限や拒食、二つ目の方針として有酸素運動または過食嘔吐を選ぶ人がいる。そして愛と憎しみを調整せず、好きなだけ食べて自分の体型を嫌悪する人もいる。
愛憎の調整は難しいが、放置はやがて破滅を招く。どの方針を取ってもうまく調整できない場合は、損得の軸を見直す必要がある。すなわち人生の目的を見直し、場合によっては変更する必要が出てくる。しかし人生の目的を変え、損得の軸を変更することは、既存の価値観全体が変わることであり、好き嫌いの変化が生じることもある。一人の人間にとって多大なストレスであるため、このような転換はそれを上回るストレスに遭遇しない限りは滅多に行われない。
最近は依存先を増やすといって、損得の軸を増やして複数の価値観を行き来する方法が紹介されている。価値観の切り替えには、アスリートが用いるルーティンの手法が参考になる。
その友人、たぶん過食嘔吐やろなあ…