はてなキーワード: 退職とは
田舎の市役所で働く地方公務員ですが、若い世代は男女比も同じくらいだし、みんなコンプライアンスを守って仕事するので、同世代間で性差別を感じることはあまりありません。
ところが課長とか部長クラスとなると、古き悪しきおじさんばっかりなので、悪気のないセクハラが横行します。
同じ部署に、仕事ができて気風の良いハンサムな女性職員がいるのですが、切り返しが良いせいか、すごくおじさんから人気があって。
「お、〇〇ちゃん今日の服かわいいなあ、ベルト引っ張ってあ~れ~とかやりたいなあ」とか「テロテロした服で、触り心地良さそうだな!さわってもいいか!」とか「おっと、ぶつかっておしり触っちゃうとこだった」なんて言われてるんです。
もちろん彼女はただただ真面目に仕事をしに来ているだけです。。
彼女は大人の対応で適当にやり過ごして笑い話に変えてしまいますが、なんでセクハラされた側が大人の対応せねばならないのか。
彼女に現状をどう思っているのか聞くと「良い気はしませんけど、まあ適当に流しておきます」と笑ってましたが、過去にも優秀な女性職員が人間関係を疎んで退職しています。彼女もそうならないと限りません。
彼女の直属の上司もまだ若い女性で「それセクハラ過ぎますよ」と直接オジサンに言っていましたが、俺とあの子のコミュニケーションだから大丈夫!みたいな感じで。
男性職員が「いやいや、アウトですから」と言ってようやく冗談じゃないと気づいてくれました。
女性職員が指摘したときは無視するのに、男性職員が指摘したら気づくって点もクソだなと。
しかも女性へのセクハラ以外にも、男性への旧時代なジェンダーロールをゴリゴリに押しつけてきます。新生児がいるから早く帰ろうとする男性職員に「男は仕事!」と仕事増やしまくるパワハラ。残業にならないよう周りがカバーしていますが、甘やかしすぎだとよく文句を言われます。。
もうあと数年で定年なので、今更人事に通報してアレコレするのは非常にめんどくさいし忙しい。
まともな人もいっぱいいるのに、数人が最悪なせいでおじさんみんなが悪く思われてるのもかわいそう
うん、君の未来は以下の通り。
② 馴染めずに鬱になるか、退職するか、バッドエンド。
まぁ、アドバイスはできないが、おそらく「周りとの生きたが、標準偏差的にハズれた人」なのじゃないか?なんとなくだが、虐められているのでないのに会社に居場所をみつけにくいと思っていると思う。これは社会心理学的に解明されているから、転職が可能な感じなら「切り替えていく」というのもありだと思うよ。
もちろん「転職は自己責任」だけどね。いずれにせよ自分の言葉で「やりにくさの解明」ができないと、メンタル的に崩壊すると経験者は語るよ。ミクロで悩まずに、大局的にマクロな思考で考えなよ。
会社都合で、クッソめんどくさいのに結果出して当たり前、評価もそれほどされないっていう仕事を押し付けられたので、その時点で既に「なんて仕打ちだ」と思いつつ、他の仕事で優先度が低いものを他の人に渡す打ち合わせをしたのが昨日。
そしてその結果仕事を渡す予定だったやつの一人が、既に退職願を出していて退職交渉をしてたこと、それによりどんな結果であれ新しい仕事は受けないことを告げられて打ち合わせを再度持たないといけなくなったのが今日。
昨日わかってりゃ言って欲しかった…
こちらも「退職する人に渡す予定だった仕事を俺がやるのは無理だけど、渡した人のサポートはするので他の後任者を決める打ち合わせをする」と会議召集を出した。
俺も辞めたくなってきたわ
信仰のために自分の都合や仕事や学業などの事情、ひいては命を放棄すること。転じて、学校や会社を休んだり、退学、退職して、合宿布教活動などを行うこと。旧体制時代は、これを行うことが誇りとされ、大いに推奨された。
小山荘吉前会長は、「自己放棄とは自己解放である」と説いた。自己放棄という言葉を信仰的に善意に解釈すると、「自己を捨て、神の意志に自らをゆだねる」のような意味だと解釈できなくもないが、実際にはこの言葉は、会社や学業などの本業を休み、布教などの宗教活動に専念すること、の意味に使われることがほとんどだった。「自己放棄をしなさい」と言われることは、そのまま「会社や学校を休んで布教活動をしなさい」という意味として通用した。
あほみたいに、何も知らずに行ってるミホミュージアムのとこの本部で
こいつらは全く裁かれてない。
時、軽蔑したね。
この体験を経て、私はある理解を得た。「正しい戦略は、その時々の環境、文脈、空気によって異なる」ということだ。世の中にはいろんなルールや常識、慣習があるけれども、それらをストレートに適用すべき場合もあるし、必要ならばかなぐり捨てないといけないこともある。
アブラハム・マズロー(欲求の五段階ピラミッドの人)の『完全なる経営』にこんなことが書いてある。
‟彼らの心理学によると、最善の思考や最善の問題解決ができるかどうかは、問題を含んだ状況を、期待や予想、憶測などを交えることなく、この上なく客観的な態度――先入観や恐怖、願望、個人的な利害などを交えない、神のような態度――で見ることができるかどうかにかかっている。…(中略)…解決すべき問題とは目の前に存在する問題であって、経験によって頭の中に蓄えられた問題ではない。頭の中に蓄えられた問題は、昨日の問題であって今日の問題ではなく、また、両者は必ずしも一致するものではない‟ p.129-130
‟さらに範囲を広げれば、家庭生活、すなわち妻や夫や友人たちとの関係についても、この方法を当てはめることができる。各状況における最善の管理方法とは、各状況において最もよく機能する管理方法のことだ。どの方法が最善であるかを見きわめるためには、予断や宗教的な期待を排した、完全な客観性が求められる。現実的な知覚は現実的に行動するための必要条件であり、現実的な行動は望ましい結果を生むための必要条件なのだ。‟ p.132
マズローは、物事をありのままに見つめて、現実的に考え、行動することが成功への鍵だと言っている――と私は解釈した。
イケメン先輩は結局、条件付きの免職処分になった。黒服が嬢と付き合った場合の店への罰金50万円と、Tちゃんの彼氏への慰謝料として50万円、計100万円を返済したら辞めるという処分だ。店長は、翌日のミーティングの席において、みんなの前でイケメンに公言した。「約束を破ったら組に売る」と。店に対する裏切り行為は許さないという態度を明白にしたのだった。
これと、上の引用文がどう関係あるのかというと……この後すぐ、私と同学年のアルバイトの子が、S店の備品を盗んでいたのが判明した(立命館大学に通っていたので、以下リッツとする)。定期的に、ヘネシーなどの高級酒(そのうち廃棄される飲みかけ。キッチンに置いてある)や、午後の紅茶や炭酸水やチーズその他をくすねていたらしい。その犯行を見つけたのは、皮肉にもイケメン先輩だった。
そのリッツは、イケメン先輩の時と同じく、閉店後に一番奥の席につかされた。最初の数分は、あの時と一緒だった。坦々とした、もの静かな事情聴取だ。その近くにM主任が座っていたのも同じだ。
違ったのは、私も主任と一緒に丸椅子に腰かけていたことだ。リッツの普段の行動に関する参考意見を述べることになっていた。
別にリッツは、良くも悪くもない、普通の奴だった。口数は少なかったけど、まあ真面目かなという印象だった。サボっている様子はないし、店の女の子に声をかけるなどの御法度もないし、当日遅刻や欠勤もなかった。
でも、人間とはそういうものなのだ。裏で何をしているかわからない。人間は言葉ではなく行動で判断すべきという金言があるが、それでも不十分だ。どんな人間にも裏がある。
10分ちょっとが経過した。私の供述も上の通り述べていた。その間、盗んだ物の確認と弁償代の話をしていたように思う。お店で無くなったとわかっているものが時価8万円相当(私の個人的計算では3万円~4万円相当)とされて、ほかにも盗まれた物があると仮定して、倍額の16万円を1か月以内に弁償すれば警察に被害届は出さないという内容で決着した。
最後に店長は言った。「リッツ君。今日が最後の勤務日だ。もう来なくていい。けど、ほかのお店に情報共有とかしないから、働きたかったら別のキャバで働いてもいいよ。今回は残念だったけど、また成長したあなたの姿を見たい。それで、いつかまたお客さんとしてうちに来てくれたら嬉しい」という言葉でお開きになった。
当時の私は、「おかしいのではないか!?」と思った。当時のS店の黒服に課せられる罰金額は、記憶の限りでは以下のとおりだ。
・当日遅刻 5,000円
・当日欠勤 10,000円
・店の売上に影響するトラブルを起こした場合 時価(これが上記の慰謝料)
リッツは規定どおりの罰金を科されなかった。被害額のみだ。しかし、イケメン先輩は規定どおりの罰金のうえボコボコにされている。
当時の私は腑に落ちなかった。後に推測したことだが、店長には以下のような思考順序があったのではないか。
①リッツを殴って、25万円+16万円を請求したうえで脅す(イケメンと同じ対応)
②リッツが立命館大学の学生課もしくは先輩もしくは親に相談する
④罰金は減殺される可能性が高い。警察に通報されたら逮捕リスクあり。
上記①~④が成り立つならば、リッツに対して甘い対応をするのが正しい。そう読んだのではないか。
店長は、自他の権益に対してストレートな人だった。取れるモノはきっちり取っていく。悪く言えばがめつくて、善く言えば組織のことを考えている。
今回の件だと、警察に被害届を出してもS店には一銭も入らないし、リッツが問題行動を起こしたことをほかの店に情報共有するメリットはないし、彼がほかの店で問題を起こしても当店には関係がないし、リッツが負い目を感じていれば社会人になってからS店でお金を使うかもしれない。
※社会人になった今では、このような考え方は極めて短期的かつ自己本位的なものだと感じる。木屋町で風俗営業を行うすべての店の利益を考えれば、リッツは警察に突き出すべきだったし、他店にも情報を共有すべきだった。こうした当たり前のことができないほどに、風俗業界というのは生存が厳しい世界なのだ。
憶測だが、店長には過去に痛い経験があったのかもしれない。16万円でも十分に得をしているからそれで済ませる。そういうことだ。
一方で、イケメン先輩は、いわゆる「身分がない」タイプの社会人だった。だから、ルールに則った対応を採る(暴力のうえ正規の罰金を課す)のが正しかった。
私は今、地元の広島で地方公務員をしている。この仕事は、公平とか中立とか平等が叫ばれる業界ではあるが、確かに、市民や企業を公平に扱わないことが正しいケースがあるのだ。例えば、地元を盛り上げる活動をする部署が大きいイベントを開催する折には、成功のキーパーソン及びその所属団体に対して相応の便宜を図る。近年の例だと、「全国菓子大博覧会」や「広島てっぱんグランプリ」といったものだ。
上記の「成功のキーパーソン及びその所属団体」について、関係者を良好な立地に出店させたり、相応の額の契約を用意したり、行政内組織で要職に就けたりする(教育委員など)。
一般市民や企業を不公平に扱いたいからやっているのではない。公平に扱うのが長期的には一番正しい戦略なのはわかっている。これは、組織目的を達成するために必要不可欠な過程であると上の人間も下の人間も判断したからそうなっている。
反対に、戸籍課や税務課や医療課などの住民対応を行う部署においては、「融通が利かない」などのクレームをどれだけ食らっても、ひらすらに法律や要領に従って仕事をやり続けるのが正しい戦略ということになる。特定の人をひいきしても自治体にとってのメリットは薄いし、逆に訴訟リスクがあるからだ。
キャバクラでの仕事は正直キツかった。嫌なお客さんには絡まれるし、たまに一気飲みを要求されるし、人が殴られるのを見ることがあるし、ホールに立ちっぱなしで足の裏が痛いし、キッチンはものすごく忙しいうえに鼠とゴキブリだらけだ。
でも、勉強になった。夜の歓楽街での仕事が、今の地方公務員としての自分の糧になっている。あの時、求人情報誌を開いてよかったと今では思える。
この春から時給は1,800円になった。昇給の際、店長からは、「お前以上の時間給をもらっている大学生は木屋町にも祇園にもいない。お前を評価している。就職活動中もシフトに入ってくれ」と言われた。※多分これが目的で時給を上げたのだと思う。これまでと違い、昨年比で増えた仕事もないからだ。
この辺りから、シフトに入ることが少なくなった。これまでは、週に4日、たまに5日という具合だった。でも、公務員試験の勉強もしないといけないので週に3日の勤務になっていた。
時間はあっという間に過ぎていって、夏が終わる頃に内定を得た私は、「自由だあああぁぁ!」とばかり、夜の街で遊びまわるようになった。
私には小さい名誉があった。木屋町や先斗町のいろんなバーに行ったが、S店で黒服をしています、付け回しの仕事を任されていますと言うと、大抵の店員さんや夜の街の常連の顔つきが変わるのだ。「こいつはやばい奴だ」という顔をする人もいれば、軽蔑した視線を向ける人もいれば、逆にすり寄ってくる人もいた。
バーにはよく行ったが、キャバクラにはほとんど行かなかった。S店で働いているとわかったら追い出されるリスクがあったからだ。それに、私はKFJ(京都風俗情報掲示板)のお水板において、当時木屋町で№1とされていたS店で何年も働いている。お客さんに「おごってやるから来いよ」と誘われて他店に行ったことはあるが、なかなか満足がいかなかった。S店の子に接客されたことはないが、それでもわかる。歴然とした『差』があった。
今思えば、承認欲求というやつが足りていなかったのだろう。シロクマさんの本で言うと、「認められたい」というやつだ。当時は、自分をスゴい奴なんだと思いたかった。実際はぜんぜんそうではなかったし、逆に、本当にスゴい奴ほど自分を大きく見せたがらない。
そういう人は飽きているのだ。ちやほやされることに。褒められることに。子どもの頃から、自分のパフォーマンスの高さを周りに認められるのが当たり前だった。だから、調子に乗ったり、偉ぶったりしない。それだけのことだ。
11月になった頃だった。M主任が退職することになった。時期は来年の3月。田舎に帰るらしい。
トラブルを起こしたわけではない。円満退職だ。夜の業界で7年も働けば、体はボロボロになる。普通は3年もてばいい方だが、M主任はそこまで働いて、十分すぎるほどの結果を出していた。私は「今までありがとうございました」と、お店の終わりに2人だけになったところで伝えた。
この時のM主任の言葉は脳裏に刻んであるし、忘れた時のために日記にも取っている。重ねて言うが、この記事でところどころの描写がやたらと詳細なのは、大学生当時の日記をベースにしていることによる。
「おう。〇〇ちゃん、お前もな、元気でな。ええけ?(※方言が入っている。いいか?の意味)〇〇ちゃん、仕事ができる奴になれよ。仕事ができんかったらな、人間は終わりやぞ。どこに行っても生きてかれんようになる。仕事だけはな、ちゃんとやって一流になれよ。お前もこの店で何人も見てきたんやないけ、どうしようもない根性なしの連中を。ええけ? お前は悪い奴じゃない。でもな、どっか気が抜けて、間抜けなところがある。そこが好きなんやけどな。とにかく、仕事ができるって言われるようになれ。俺からお前に言えるんはそれだけや」
呑みに行きましょう、と誘うつもりだった。でも、誘えなかった。私の中で、M主任はそれだけ偉大な存在だった。神だった。神を呑みに誘うことはできないのだ。
その翌日。営業時間中の夜10時くらいだったか。店長ともう1人、灰色のスーツを来た人が紙袋を携えてS店にやってきた。「ちょっと今時間あるか」と、上の階にある事務所に連れて行かれ、その人から名刺を渡された。
このS店の母体である芸能事務所の人だった。取締役ナントカ部長だった。ソファに座らされてからの話の内容は端的で、「私を社員として採用したい」という話だった。
部長の話には説得力があった。説得力の要諦とは、ロジックにあるのではない。本人が持つ、その考えや判断への自信や信仰、そして意見を伝える際の胆力や粘りの強さが、本人の口を通して迫力となり、相手に伝わることで説得力が生まれる。
・公務員はこれから厳しい時代になる。お金の問題ではない。本質的な意味で割に合わなくなる。
・あなたが就職する自治体の初任給は16万円だ。うちは基本給だけで26万円出す。
・S店での働き次第では本社に来てもらう
・日本の芸能界を盛り上げる一員になってほしい。それだけの才がある。
・お客さんも仲間もあなたを支持している
今思えば典型的なリップトークだ。なぜかといえば、上の内容の半分以上は私をほかの人に置き換えても、ちょっと修正するだけで通用するからだ。
でも、当時の私は大学生だった。この時すっかり、S店で働こうか、それとも地元で公務員になろうか迷い始めていた。もし、これが公務員試験を志す前であれば、この会社で働いていたかもしれない。
特に最後にやつ。あれにはやられた。部長はソファの脇に置いていた紙袋から手紙を取り出した。十枚ほどの。小封筒に入った、そのひとつひとつを私の前にゆっくり差し出すと、それが――すべて嬢からの手紙であることがわかった。
「〇〇君。試しにひとつ開けてみて」
ある嬢からの簡潔なメッセージが入っていた。「これからも〇〇さんと働きたい」「〇〇さんに店長になってほしい」「卒業してもいなくならないで」。こんな言葉が認められていた。
「もうわかるね。〇〇君はみんなに慕われている。社会があなたを認めている。こんな大学生、ほかにいないよ」
『雇用契約書』とあった。裏面には雇用条件的なものが書いてある。これを片手に取って私は、ボールペンを握りしめた。
右上に日付を書いて、ずっと下の方にある住所欄に個人情報を書き始めようとする。ボールペンをあてどなく前後に振って、書くのを静止しようとする脳と、書くのをやめたがらない右手が小さいラリーを繰り返していた。
私は思い切って、ボールペンを紙面に押し付けた。そして、インクが紙に付いた途端――心臓から流れ出た血が、冷たい何かとともに押し戻されて、再び心臓へと逆流するのを感じた。私の指先は動くのをやめた。
その場で立ち上がって私は、「残りを読んでから決めます」と告げて、手紙を抱きかかえてS店に帰ろうとしていた。事務所の扉を開けて出る時、舌打ちのような音が響いた。
手紙のほとんどはテンプレートだった。ひな形がきっとあって、嬢はそれらを真似ている。そういう罠だった。手紙はぜんぶで11枚あって、その中でテンプレでないのは3通だった。そのうちひとつを挙げると、ヘタクソな文章で、私のこれまで4年間の行動や仕草がつらつらと書いてあった。
私に対するポジティブな言葉も、ネガティブな言葉もあったけど、この3通の手紙には共通していることがあった。「地元に帰っても頑張って」。そんな内容だったかな……? 初めに読んだ1通はTちゃんからだった。
彼女はハーフで、日本語がそこまで上手くはないのだが、それでも一生懸命な筆跡だった。何度かミスって修正液で消した跡があった。Tちゃんらしくて、不器用だけど愛が籠った手紙だった。
一昨日それを読み返した時、ふいに涙が零れた。
あの部長の姑息な手を見抜いてから一週間後、私は2月末でS店を辞める旨を店長に告げた。残念そうにしていたけど、これは当然の結果なのだ。
私は地元で公務員として働く道を選んだし、芸能事務所だって私が本当に欲しかったわけではなく、おそらくはM主任の代わりとしてだった。もし本気ならば、大学4年生の春までには声をかけている。
最後の勤務日は静かだった。普通の職場だと、辞める人には花束贈呈とかがあるんだろうけど、S店にそういった慣習はない。ただ普通に、最後の客が帰って、照明の光度を上げて、ホールとキッチンを片付け始めて、嬢がみんな帰って……。
最後に、このS店に初めて来た時に見た、この分厚い扉を閉める際に、「お疲れ様です」と小さく呟いた。私は、夜が明けてほんのりと水色の空が見える河原町通りへと歩みを進めていった。
(次が最後です)
自治体職員の使い捨て感、善意と自己犠牲で成立してるのを感じている。コロナや児童虐待対応での疲弊はマスコミを通して世に共有されているけど、他にも、共有されていないだけでこういうことがたくさんある。人としての尊厳を感じられなくなってくる。バブル期採用の上司、時代の風潮、人口の減少、税収減少、職員減少、しわ寄せが来てるように思う。退職したいけど、退職してどうやって生きていけばいいんだろう。表立って活動できないけど、本当は、そういうことを誰かに相談したい。
「[『フェミニスト原則』は女性の権利に言及していない」という意見をTwitterやToggeterで見かけた。
全ての人に普遍的な権利を主張するばかりでこれでは"feminism"ではなく"humanism"である、と。
フェミニズムは"female"から来ている言葉だろうしそう主張するのも当然だ。
Black Lives MatterがAll Lives Matterに変わっていった時と同じ違和感をTwitterやTogetterで活動するフェミニストの方々も抱いているのだと思う。
ここで私も『共同声明「フェミニスト原則の再確認を呼びかける」』を読んで抱いた考えを書いていく。
日本語翻訳版を上から読んで思ったことを順に書いていくのと体調の不具合で言語能力が落ちているので読みにくかったらすみません。
まだ社会に広く受け入れられていないセクシャリティを持つ女性が自身に向けられた差別や認められていない権利について訴えても何もおかしくはない。
「LGBTQIにはペドフィリアも居る」という意見を見かけたが、どのようなセクシャリティの人であろうと他人を傷つけてまで欲を満たすことを声明は肯定していないと思う。
それはホモセクシャルもヘテロセクシャルもトランスジェンダーもシスジェンダーもみんな同じだ。
この部分が最も女性の権利について言及しているところだと思う。
宣言の中の「家父長制の権力」や「西洋的な二元的ジェンダーと性別の構造」はシスジェンダーかつヘテロセクシャルの男性中心に作られた社会構造のことを言っているのだと思う。
その社会構造こそ、ずっと昔から今に至るまで女性から権利と身の安全と社会参画を奪ってきたものではないか。
女性だからと低賃金の仕事を割り当てられたり、結婚・出産時に転職や退職を迫られたり、男性の支配欲求や性欲を受け止めて当然とプレッシャーをかけられたり、ハラスメントや性暴力の被害を訴えても自己責任にされたりしてしまうのも、全部全部「家父長制の権力」のせいだ。
序文の最後の方に「私たちのフェミニズムは、ジェンダー、性別、セクシュアリティの経験には均質性などなく、様々な人々がそれぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験していると認識することから生まれる力を確認します。」とある。
つまり、どんな人もある場面では弱者であり、別の場面では強者にもなるということを言っているのだろう。
例をあげると、母親に比べて父親は子どもの保護者会やPTAなどの学校行事に参加しにくい、子どもと外で遊んでいると周りに不審者扱いされるというものがあると思う。
男性は他の場所で絶大的な権威を持っているのだからと父親の育児参加を妨げていると、結果的に女性の不利にもなると思う。
母親ばかりが子どものために仕事を休み、それを別の低賃金で働く女性が穴埋めするというのはよくある光景のはず。
実際のところジェンダーだけでなく地域、人種、階級、信仰、経済状況など色々な要素が複雑にからみ合って「それぞれのレベルの差別や抑圧、特権を経験」をすることになるのだと思う。
あと「私たちのフェミニズムは~」という一文は、同じ属性であっても同じ差別を経験するとは限らないということも言っていると思う。
SNS上だと全ての女性は痴漢被害を経験しているような雰囲気があるが、痴漢被害に遭ったことがない女性だって当然居る。
しかし、同じ経験をしていなくても共通の目的を持って「家父長制の権力と闘」うことはできるはずだ。
経済的困窮や社会の混乱によって女性がセックスワークに就かなければいけないのは私も反対。
ましてやセックスワークをする女性が妊娠や性病、暴力などのリスクにさらされるのは論外。
ただ、心身の安全を保障された上での職業選択の自由はあるべきだと思う。
それはセックスワークも同じだ。
「ジェンダーを自己決定できる自由」が女性愛者が女湯に入るためや、男性が女性アスリートになって無双するために行使されるべきではない。
誰かの自由を認めることで他の誰かの権利や安全が脅かされてはならない。
そもそもの話、性自認は私利私欲のために簡単に変えられるものではない。
覗きをするためや金メダルを手に入れるためにトランスジェンダーになることなどできない。
自身の持つジェンダーが法やその他の圧力によって歪められるのは誰でも居心地悪いと思う。
宣言の第三項、ここでは主にトランスジェンダーやインターセックスの人に対する手術について言及している。
ただ、「特定の人々やグループへの、植民地的で家父長制的な医療化」はシスジェンダーの女性にも起こりうる。
「女性器切除(FGM)」というものがアフリカなどの一部地域で行われている。
女性性器切除(FGM) | 子どもの保護 | ユニセフの主な活動分野 | 日本ユニセフ協会
「本当にそんな風習があるのか?」と思った方は上のサイトを見ていただければと思います。Wikipediaの方はやや刺激の強い画像がありますが。
日本でも生理不順の治療などで使う低用量ピルの承認が遅かったり、今でも一か月分のピルの値段が三千円弱したりと女性が「家父長制的な医療」に支配されている状況にある。
他にも例を挙げればキリが無いが、「誰もを受け入れ、思いやりのあるヘルスケアは、商品や特権ではなく人権です。」という文言にはLGBTQIではない女性も同意できるはずだ。
第八項のこの部分はまるでフェミニストが女性を見捨てたように感じる。
女性が女性の権利のために始めたフェミニズムが男性やセクシャルマイノリティまで相手にし始めるのは裏切り行為にさえ思える。
この項は見方を変えれば「女性という属性だけを見てその人が経験した差別や抑圧を推測することはできない」とも読めると思う。
「女性であれば誰しも」「全ての女性は」「女性というものは」といった言葉から始まる意見に反発や孤独感を感じたことがあるかもしれない。
それらの意見は女性という存在を理解していないのではなく、女性の中にも様々な意見やライフスタイルを持つ人が居るということを理解していないのだ。
だからこそフェミニストは一人一派としてそれぞれが受けた差別や抑圧を発信していくのではないだろうか。
その発信が「「男性」対「女性」、若者 対 年配者、世界の南 対 世界の北」の対立になることは避けなければならないが。
フェミニズムの活動が「家父長制の権力」の解体を目標とする限り、シスジェンダーの女性以外のLGBTQIも活動の恩恵が得られることは必然だ。
目標と得られる恩恵がおなじならば、フェミニストとLGBTQIが協力すればより良い社会は更に近くなるだろう。
それぞれ辛いことはあるかもしれないが、それぞれが思うことを、どこかの誰かをむやみに傷つけない範囲で、ため込まずに発信していきたい。
『フェミニスト原則』はその発信をより効果的にするために必要な宣言になるはずだ。
最後まで読みにくい長文を読んでいただきありがとうございます。
その後関係は終わらせたものの、相手と同じ職場だったりしてなんとなく落ち着かなかったんだよね。ところが先日、相手が退職して、俺も連絡とることもなくなって、完全に関係が切れた。
嫁に隠し事がなくなったのでとても気が楽。女はもう懲り懲りなので、この秘密は墓まで持っていくことにして、これからは嫁を大事にしようっと。
以前は殺してやろうかと思うほど怒りを覚えていたが、どうでもよくなってきた。
ファミレスに車で行く道中で弟と少し小競り合いをしていると、突然ブチ切れて道をUターンして帰って部屋に閉じこもったり、
ハシの持ち方がおかしいと、突然怒鳴りだして、俺の顔を叩いたりしたこともあった。
両親と手をつないだことも抱きしめられたこともない。とにかく静かにしていろとだけ言われていた。
子供自体に身に着けるべきマナーは何一つ教えてもらえなかったから、小学生高学年になって息が臭い、体が臭い事に気づいて、ようやく自分で風呂に入ったり、歯を磨く習慣を身に着けた。
中学生になってからは、服を洗ってもらえなくて、同級生にやっぱり臭いと言われて、母親に洗濯をしてほしいと念を押して頼んだが、洗ってもらえず、自分で洗濯機で洗おうとすると、
母は、だんだん臭いことを理由に学校に行けなくなった自分の首を絞めて、学校に行かないなら殺すと言った。
無理やり学校に連れて行って、結局、登校できずに帰る道すがら、学校に行かないんだったらお前を殺すと言って、急ハンドル急スピード急ブレーキの暴走運転をしたりもした。
高校に行かずにプラプラするようになった自分に対して、バイトしないなら家から追い出すと怒った両親は、以降、自分がどんな努力をしても全力で叩き潰す方針にしたらしく、
ファッションに気を遣えばダサイと言われ、中学校時代の同級生が有名になれば(オリンピック選手になった学生がいた)、あの子はこんなに活躍しているのに、息子はこの程度だと笑い、
大学入学資格検定を勉強し始めたら、「お前は一生底辺だから学歴は必要がない」と怒った。
俺はうつむきがちの自己肯定感の低い人間になったが「暗い人間だな、気持ち悪いな」と父はことあるごとに親族に言っていたらしい
親を殺すか、親に殺されて、自分の人生は終わるんだろうなと、10代から20代のころは漠然と考えていた。
正社員になることができた会社を3年でやめた時も「つらいなら辞めればいいんだよ」とか言って優しさを見せたと思ったら、退職したその日に、「退職したのは自己責任だからな」と言って笑う。
幸い20代中盤で伴侶を見つけ、家を出た。
親と親の顔合わせで、妻の両親と口論になり、結婚式や披露宴はしなかった。
妻と自分の両親の顔合わせをした時には「こいつは精神病だから結婚には向かないと思うよ」と妻に父は諭した。
その時ばかりはいい加減にしてくれ。俺を不幸にするのが趣味なのか?と思ったが、幸い、妻は気にせず結婚してくれた。
結婚後も、俺の名前で勝手に作ったクレジットカードを満額まで使い切り(しかもリボ払い)
請求だけ回ってきた時は心底驚いた。
結局、弁護士をいれて、返済させた時点で、親との縁はほぼ切れた。
絶縁状みたいなものを俺の住所に送ってきたので、こちらも戸籍を外して、閲覧制限をかけた。
弟と連絡は取りあっているが、モラハラ息子とか、帰ってこない親不孝息子などと母は吹いているらしい。
俺みたいな男の子供が幸せになるとは思えないし、子供をまともな人間に育て上げたり、幸せにしてあげられる自信がない。
でも妻は子供を望んでいる。
毒親に育てられた俺は、毒親ではなく、ちゃんとした親になれるのだろうか。
何事に対しても自信がもてない
先日退職したので、今度健康保険証を返却するときにお世話になりました的なお菓子かなんかを渡そうと思うのだけどなにがいいかな。
年齢層は40~50代中心で女性多め。パートさん含め40人ちょっとの小さい工場。
候補はリポビタンDかパックの野菜ジュースかなと思ってるけど、重いんだよね。配るほうもダルいかもしれん。
夏だしチョコは溶けそうな気もするし。
なんかおすすめありませんか?
無能な社員の唯一にして最大の利点は、自らが会社の欠点をあぶり出すということだと思う。
無能な社員を採ってしまった経緯、その社員を適切な配置に置かなかった理由、そんな人間に仕事を任せないといけないほどだめな程の人材不足、そして教育や仕事がそういう人間がやってもできるようになってない点をあぶり出す。
おそらくきちんとした会社ならば、その人の能力を適切に見極められるのだろう。仮に採用してしまっても教育できるし適切な配属先が存在すると思われる。そういうところは「ああいう奴でもこうすればできるのか」と内外から評価されると思う。それが全体のしごとの効率化をあげることだってあるかもしれない。
でもうっかり採用したはいいけど教育もサボり、とりあえず仕事を与えておけば何とかできるだろうと放置するような会社は存在する。しかし普通の人からするとそれが当たり前らしい。仕事は与えられたものを納期までに終わらせるのが当たり前で、そんな当たり前のことができない人間が存在することが不思議でしょうがないらしい。ここにいるんですよ。
恐らく他の人は個々人の能力自体が高いか、経験値があるから仕事自体は滞りなく回せる。でも自分のようなダメ社員を面倒見ることは慣れていないし、それをできる環境でもないのだろう。できないひとを罵倒するような環境だとなおさらだ。
悪いことにそういうことはできの悪い人間の立場からよくわかる。下手に有能な人は自分でなんとかしちゃうから問題視しないか、どうせ大したことないと思ってる。できの悪い人間には死活問題でも有能な人には見えていない部分は多い。だけど自分のような人間がそれを見えていても、無能な社員の意見をまともに聞く人は滅多にいない。言葉を尽くしても結局は「お前のようなクズが悪いだけだろ」で終わるのだ。有能な人の多くが自己責任論に走るのは致し方無いといつも割り切っている。だから退職するしかない。お互いに問題は解決しないまま。