はてなキーワード: 貧血とは
2,3年で色々なことにやりきれなくなった。
なんてことはない、はてなではよく見かける、深夜残業がどうとか、何万行のクラスファイルがあってつらいとか、コメントが中国語だとか、Excelとスーツがどうとか、そういう類の愚痴だ。
変な黒い背景のエディタ使ってるからミスしたんじゃないかって言われた時が一番イラッとしたかもしれない。
偉そうにいうことじゃないけど、Vimじゃなくて俺がヘボいだけである。
仕事があまり面白くないものだから、家でプログラミングを始めた。
(自分用のCMSとか、市民プールのWebサイトからカレンダー情報を抜き出して、自分のカレンダーに突っ込むとか、そういう簡単なものだけれども。)
日付が変わる頃に帰って、それから朝方まで趣味でコードを書いて…という生活をしていたらこないだ倒れた。
まあただの貧血だったので、点滴だけうって、また元の生活をしている。
さすがに会社とか親とかから心配されて、心療内科とか消化器科とか色々受診して、今まで飲んだことのない量の薬を処方されたりしたんだけど、これが結構しんどい。
以前と比べて、時間が守れないとか、明らかに集中力を欠いていてミスが多いとか、タスクに取り掛かれないとか、そういったことが自覚できるレベルで現れている感じ。
やっぱりさっさと辞めて仕事を変えるなり、仕事と割り切って業務に集中するなりしたほうがよかったんだろうか、と今更だけど後悔している。
要は勇気がなかった。
蜂蜜はハチが、生命を維持し、成長する上で必要なものが含まれています。
哺乳動物には離乳期があり、大人になってもおっぱいを嗜んでいるのは人間だけ。
おっぱいに対する栄養補給源としての純粋な気持ちは成長と共に減少していきます。
生地、トマトソース、チーズなどから効率よく摂取できるようになったそうです。
新婚期を過ぎても(カロリー消費の激しい)愛の言葉を減少させないようになってきたそうです。
宝塚市の温泉街にあったイタリア料理店“アベーラ”でピザが供され
そもそも愛の言葉をささやくと心臓がドキドキいったり、赤面したりします。
実はすんなり言えない方が正常なんです。
またキャベツを一玉食べるとお腹一杯になってしまうので他の物が食べられなくなってしまいます。
アセロラには10−20個分、CCレモンにはレモン50個分、テレビガイドにはXX(表紙の人数分)個分ビタミンCが含まれています。
しかも
不特定多数の人混みの中で生活しないで、大家族で生活していたので
ちなみに日本一レモンを生産している広島県の食器洗浄機普及率は日本一だそうです。
調理の為、熱を加えると
サルモネラ菌、カンピロバクター、肝炎ウイルスなど菌やウイルスが
生で食べるからいいんです。
生臭いのが、加熱によりタンパク質が焦げた匂いにより風味も増してしまいます。
ぜんそく、
アトピー性皮膚炎、
じんましん、
花粉症、
白血病、
心臓病、
糖尿病、
多動性障害、
腸壁出血、
扁桃腺炎、
偏頭痛、
便秘、
貧血、
リウマチ、
静脈瘤、
裂孔ヘルニア、
続発性中耳炎、
アトピーやアレルギーの人にはまず「はてな」をやめるように指導するそうです。
それだけで症状がよくなるケースが多いようです。
ここまで7つ不自然な事を書きましたが、
それははてなーの扱われ方です。
こんな扱われ方したらいいはずないでしょ。
自分はサービス業で働いている。10時間くらい立ちっぱなし。休憩を貰えるときは座って休むことができるけど、それ以外はすべて立ちっぱなしで、来店されるお客様の都合が優先されるので、「今から休憩へ行こう」と思っても、お客様が来店されたら対応しなきゃいけない。休憩に入っても、現場が忙しくて立て込んできたら呼び出されて休憩が中断される。そんな仕事をしている。トイレにも行けず、気が付いたら一日トイレへ行っていない、なんてこともある。
昨年末からずっと働きづめで、年末年始あたりは死ぬかと思うくらい忙しかったけど、何とか乗り切った。疲労感が残り、毎日疲れたと感じていたことは事実だけど、先週あたりから急に体調がおかしくなり、貧血状態になって朝が起きられなくなった。病院でいろいろと状況を話すと、過労とストレスが原因と言われ、しばらく休みなさい、ということで薬をもらった。会社の人に話すと「分かりました」という一言だけで、他に特に話はなかった。
がむしゃらに働いている時には、そんなことまったく思わなかったんだけど、心身の疲労は3週間くらいしてから体に出てくるものだと改めて思い知らされた。いや、今まで経験がないというわけではないのだが。
退職したくないんだけど、これはクビのパターンかなー、とも思ってる。派遣社員だし。土日に休んじゃったし。ただ、今は辞めたくないんだよなー。早く復調してくれんかな、俺の体。
少子化が問題視され、運良く子どもを授かったため、そのまま出産した。
育児について事前に下調べしていなかったため、何もわからず、出産後、1か月近くは無我夢中で死にたかった。
夫婦と新生児の3人暮らし。実母は比較的近所に住んでいるが、役に立たない(詳細は割愛)。
ネットで検索し、寝かしつけのテクニックやゲップの出し方などの情報を仕入れ、少し余裕が出てきた。
何らかの理由で泣き叫ぶ状態にならなければ、日中、自由に使える隙間時間は意外に多い。
それでも死にたい。生後3、4か月になればラクになるのだろうか?
泣くだけの小動物のような赤ちゃんを「かわいい」と思えるのだろうか?
育児休業中、ダンナからは育児に加え、専業主婦並の家事を求められている。
以前はフルタイム共稼ぎで、自分のほうが収入が多く、労働時間が長いからと、家事は最低限しかやらなかった。
平日の食事づくりや掃除のメインは夫。ただし、気分が乗った時だけ。
家事が苦手な人は、育児や家族・ペットの世話を楽しいと思えないはず。本質的に同じだからだ。
苦手どころか、やりたくない、できない、自由に過ごしたい。
ダンナは、「かわいいな~ホントにオレの子か?」と言いながら、寝かしつけや入浴など、育児に関わってくれる。
女になりたいって、それ必ず美女やら美少女になれると思って言ってるんだろうけどな!
世の中普通やブスな女もいっぱいいるわけでな!
夜中に下着が汚れて冷水で手洗いすることになったり
大事なプレゼンあるっつーのにナチュラル貧血状態で具合は悪いわ
布団に血が垂れるし
トイレに血も垂れるし
ほんとやってらんねーわ!
しかも子どもできたらつわり、つわり終わったら妊娠中毒で入院、
やっと産む時期が来て産んでようやく退院したと思ったら今度は不眠不休で育児!
長いと3年だぞ!!
おっぱいやってる間は好きなものまともに食えないってえる知っているか!
「えっ乳児かかえてそれ食べちゃうの…マジで?」って白眼視される環境と戦わねばならぬ!
そして再開される生理!
まともに眠れないのに増える洗濯物、布団の汚れ、不安定な精神、
これでも男は女に生まれたいというのか!
アベノミクスって発足当初は、
1.金融政策
2.財政政策
3.成長戦略
今の消費税増税とかまでをアベノミクスと名指して批判してる人を見ると違和感がある。
まあ、それはともかくとして、
日本経済はお金が足りてない貧血状態なのでお金を増やしましょう・・・金融政策
増やしたお金を率先して政府が使って市場にお金を回しましょう・・・財政政策
で、これは大恐慌時代にケインズが考案した実績ある対応策なんでしょ?成長戦略以外は。
これを続ければ経済はインフレになるわけで、インフレになれば銀行に貯金してるだけで実質的に貯蓄が目減りしていくので、
持つ者と持たざる者の格差がドンドン縮んでいくわけで、そうすると基本的にアベノミクスってちゃんとやればむしろ格差縮小に有効じゃんと思うんだが。
つまり、アベノミクスをやってるから悪いんじゃなくて、ちゃんとアベノミクスをやらないから悪いわけで、
なんかお前の言ってることおかしくね?と思うんだが。
以前は入眠障害だった、睡眠導入剤を処方してもらってかなり改善した。
それでも仕事の忙しさが自分の能力を超えてたのか無気力状態になった
それを機に自律神経失調症になって、職場で倒れてちょっと鬱っぽくなって会社をやめざるを得なくなった
いろんなクスリを飲んで、気分リフレッシュするような趣味をなかば無理矢理やったけど改善せず
ある日重度の熱中症で倒れた。それからいまも発熱と嘔吐が1週間止まらない
重度の熱中症で搬送されてから体がやばい。搬送先でいろいろと検査してもらったけど脳も内蔵も異常なし
貧血と熱射病が重なったために倒れたんじゃないの?くらいだった
このままではせっかくの仕事も辞めなくならなくてはいけなくなる
気合が空回りしてる。別に過労じゃない。いまはけっこうなホワイト職場だ
この一週間また体調がやばい
すごくいい職場なので離れたくない
もうどうすればいいのかわからない
皆どうしてるんだ
http://matome.naver.jp/odai/2140706664924864501
「ただの海水で、病気が治っては儲からない」のでウィキペディアから消えている人物:ルネ.カントン-人生は強く,たのしく、しあわせに☆ ネオヒルズというよりも,ネオ日本人。
上の3つの記事というか、2番めの記事が3番目の記事を引っ張り出してきてネバーまとめまで作られちゃって挙句の果てにFacebookやTwitterにガンガンシェアされてて気持ちが悪い。
でも、思ってることを直接伝えることも、友達から消すとかそういうこともしないで何とかならないかと思ってコレ書いてる。はてな記法よくわからん。
時期が来たらこれをFacebook上でシェアする。ロンダリング的なイメージ。
出典である「ザ・フナイ」を読んでいないのでここに書いてあることがすべて本当だとは思わない、嘘であるとも言い切れない。
医学学んでないからそんなこともあるのかもしれない。でも、私が知っている生物学ではこれは非常に胡散臭い。勉強不足なだけかもね。
引用に対する疑問
1.
彼は1907年、初めてのクリニックをオープンしてから、血液の濃度まで薄めた海水を病人に輸血し、1910年までにフランス国内で約70ものクリニックを開け、50万人以上の命を救った。
今の点滴との違いは各種プランクトンや海水中の養分の違いでしょうか。
不純物いっぱいある気がするけどそれでもいいの?
ていうか少なくとも現代の環境を考えると点滴のほうが安全だと思うよ。
2.
第二の実験は、体重10キログラムの犬の血液を瀉血法で抜き取り、極限まで血を抜いた後に、前回同様、海水を注入するということである。
太平洋戦争末期、九州大学生体解剖事件(相川事件)という事件があったらしい
捕虜の腕に海水が500ccほど注入されました。この時捕虜はまだ生きていましたが10分ほどして捕虜は死にました。
当時のそれぞれの医療レベルがどれほどだったかはわからないけれど、片や血液を全部海水に変えても問題なかった。片や500ccで死んでしまった。
犬に投与されたものが薄められた海水なら犬は極度の貧血で生死の境にあってどうにか回復したんだと思うけれど、海水ダイレクトだったら浸透圧の関係でアウトじゃないの?
3.
日本語版ウィキペディアにはそもそもルネ・カントンの記事は作られていない
削除されたらされたでその形跡が残るのがウィキペディア
https://en.wikipedia.org/w/index.php?title=Ren%C3%A9_Quinton&action=history
引用元のブログ記事が書かれた2013年10月13日の前後の編集点は2013年9月23日と2014年4月4日
この間記事は記事として内容を持って存在している。
4.
第一次世界大戦で負った傷から早死にしてしまったルネの葬儀には子供連れの母親からヨーロッパ中の医者科学者、首相を始め政治家など、100万人以上の人々が訪れた。
こればっかりは海水じゃ治らなかったのか、残念だ。
相手は前からよく遊びに行ってたし、メールもほぼ毎日していた、弟のような人だった。
今まで私は付き合ったこともなければ大した恋もしたことなかった。
どちらかというと一目惚れして相手と目が会うだけでドキドキしちゃう、という感じの片思いが多かった。
一度経験した大恋愛も、完全に一目惚れで、憧れの人を追い続けてそのまま散った。
その男友達はまったくそんなことはなかった。ドキドキしたこともないし、キスしたい、デートに行きたいとも思わなかった。
でも居心地は異常にいいし、私のことをすごく良く考えてくれるし、皆に言えば「そんなに想ってもらえるなんて羨ましい」と言われるぐらいだった。
でもコミュ障で頼りないから、どうしても時々イライラしてしまって、恋愛対象とは見れなかった。
もちろん淋しいときには「もしかしたら好きなのかもしれないな」ということも度々あった。
何か綺麗なものを見た時や、何かすごく楽しい時、一緒に見れたら良かったな、見せてあげたいなと思ったりもした。
けれど自分で「違う、これは単なる心の迷いだ」といい続けた。
そして先週ついに告白された。
腕を掴まれて、長々と前置きを言われて、もうこれは告白以外ないと自分でわかった。
言われる瞬間、後退りして目を強く閉じながら、「言うな、言うな、やめろ、逃げたい」とずっと思っていた。
貧血になって倒れたい、とずっと願っていた。
そして好きだったと言われ、私はガチガチの緊張した笑顔で「ありがとうございます」とだけ伝えた。
「帰ろうか」と言って、私は逃げようとした。そしたら「付き合ってください」と言われた。
即答は出来なかった。
正直、そのままの関係が心地よかった。というか、付き合う必要性がわからなかった。
普段やってることはカップルと変わらない。遊びに行って、相談しあって、ご飯に行って、一緒に勉強する。
やってることは変わらないのなら、付き合わなくたっていいじゃないか。
付き合うとなると、その人が自分のアイデンティティの一つになってしまう。
「彼氏」という、自分が選んで、認めて、そして認められた何かになってしまう。
私は一部には「その人の彼女」として、彼は「私の彼氏」として認識されることになる。
誰かが私のアイデンティティの一つになる。それで私の見方を変える人が出てくる。それがすごく不安で仕方がなかった。
あと手をつなぐとかキスとか、そういう恋人っぽいことが出来る気がしなかった。
すごくいいやつだし、一緒にいて心地はいいけれど、肩を引き寄せられたらどう思うか。キスしたいと思うか。
昨日腕をつかまれた時点で「うっ」ってなってしまったのだから、どうしたらいいのだろうか。
もうこれ以上素敵な男性が目の前に現れても、私は「恋人がいる」というポジションから離れられない。
この時点でもう扉が閉ざされてしまう。その可能性の縮小に凄く恐怖を感じた。
今までの関係が、都合の良い相手のようだけどすごく好きだった。
考えた結果、彼を失うのが怖くって「いいよ」と答えた。
今は何も変わらず、今までと同じ。別に気が向かないからメールもしてないし、別にメールしても何も変わらない。
何にも変わらない。
どうすればよかったのだろうか。
ストレスで生理が止まらなくて、ただでさえ暑くて体力落ちてるのに貧血で毎日しんどいので意を決して医者に行った。
自「生理が一ヶ月以上終わらないんです」
自「体がしんどいので何とかしたいんですが」
医「ホルモンバランス整えないとそうなるね、良く寝てストレス溜めないように」
自「貧血が酷いんですが」
医「生理が続いてたらそうなるよね」
…この時点でイラっとしてたわけなんだが、らちがあかないと思ってこちらからお願いした。
自「生理止める薬出してください」
自「とりあえず止めたいので」
たった七日かよ。
医「そういうのが原因なんじゃないかな、休めないの?」
自「休めないのでお薬お願いします」
ここで脅すか。つか妊娠の可能性はないって最初に申告してますが。
大体それ言うなら検査は?ねえ貧血も酷いって言ってるのに検査は一個もなしですか。
自「(うんざり)」
終 了
こういうの、これが始めてじゃない。
基本どこの産婦人科クリニック行ってもこんな感じ。
生理痛も酷い方なので何度か他の産婦人科ジプシーしたけどまともな検査なんかしてくれない。
わかってんなら最初から市民病院行けよって話だけど、それよりさ、妊婦以外まともに見る気がないなら潔く「ワシんとこは産科オンリー」って言ってくれないかな。
HPにも婦人科も丁寧に見ますよ~みたいな謳い文句出してるのがほとんどだけど、生理は病気じゃない扱いしかしないじゃんお前ら。
確かに病気じゃないのかもしれない。ホルモryなんだろう、だけど病気じゃないけど異常なのは間違いないだろう。
せめて貧血訴えてるんだから貧血検査、流産云々ご高説垂れ流すならエコーくらいしてよ。
なんだよビッチに見えたかこんちくしょう。生理中におせっくすするほどバカじゃないよ。
田舎の個人医院なんてそんなものなんだろうけど、そりゃ妊婦以外どうでもいいならどんどん少子化で客も減るわ。
本当にうんざりする。
先に断わっておくと偏食ではない。むしろ好き嫌いはほぼ皆無で、大抵のものをそれなりに美味しく頂ける。これは母親の教育の賜物で、実家は毎朝きちんと白米と焼き魚とみそ汁が出るような家庭だった。
にも関わらず、困ったことに、未だにどうにも食への関心が薄い。一人暮らしになるとそれはもう顕著なことになり、六年目の今日に至っても改善される気配がない。そもそも二日連続同じものを食べたりおかずが一品しかなかったりそもそもおかずが皆無だったり、ということに全く抵抗がない。毎日TKGでも問題ない。TKGは偉大だ。すごく美味しい。とは言え悲しいことにさすがに一週間以上続けて食べると飽きる。ので合間に他の物を挟む。
あとはたまに出来合いの調味料?に茄子とかキャベツ?とかを入れて炒めるだけ、というのを三カ月に一回くらい作る。半年に一回くらいまともな料理をするが、二度とは作らないのでこれは習得しているとは言いづらいだろう。あとはよく弁当やカップラーメンを食べる。素うどんや素麺とかも大好きだ。
そもそも、食材の値段と価値について、大多数のものに未だに納得ができない。たまごとキャベツはよいといて、肉は高いと思う。体積があれだけしか入ってないうえ焼いたら縮むし食べたら無くなるのにあの価格は解せない。食への価値比重が少ないので、200円の肉と400円の海洋堂カプセルQフロイラインのガチャポンが並べておいてあったら、迷わず二食分ふりかけご飯にしてガチャポンをするだろう。
たぶん「美味しい」の振り幅が恐ろしく小さいのだろう。ほかほかご飯のTKGと、一食数千円するような高価な料理に、同じ気持ちで「美味しい」と言ってしまえそうな自信がある。「不味い」「美味しい」の『範囲』は周囲の人間と概ねそんなに大きなズレは感じないのに、「美味しい」だけ妙に振れ幅が小さいのだ。だから、努力して美味しいものを作ろうとする労力を「見合わない」と感じてしまう。TKGが美味しいから。
それで、困っている。そう困っている。
その関心の薄さゆえに、そろそろ健康に支障が来たす気がするのだ。今だって恐ろしいほど便秘だし、そのせいで痔がアカンし。冷え症がマッハだし貧血。けれど一念発起してキャベツをひと玉買ってみても必ず腐らせる。もうこの際特別美味しくなくてもいいから(たぶんそれなりに美味しく頂けるので)せめて病気にならない程度の食生活がしたい。人間ってめんどくさい。なんで雑食なんだろう。毎日キャベツの葉っぱだけ食って生きたかった。
>追記
まず、多くの人が「教師が入学式を欠席するなんて!」と呆れたことの理由を考えてみたい。
そして、自分自身が反感を抱いた理由を考えてみたい。
よく、国民皆教育評論家というけれど、実際には一人一人異なる教育を受けてきていても、同じような教科書を使って決められたカリキュラムで教育を受けたという幻想があるので、報道されない個別、具体的なさまざまの事情をついつい無視して、自分の個人的な体験に置き換えて、善し悪しならぬ悪し悪しを語ってしまうんだろうね。
今回の件で教師を責める理由に、公務員なのに、という理由があったけれど、少し考えればそれは理由になってない。
私立の担任教師なら入学式を欠席してもよいと思っているのだろうか?そうは思えなかった。
呆れた多くの人たちの中には、自分の子供の入学式のために仕事を休んだ経験がある人も多いと思う。
それは、担任教師に抱いている「当然の期待」のハードルが、とてつもなく高いからだと思う。
そして、担任教師への期待のハードルが高すぎる理由は、親から見て学校が、我慢して子供を通わせざるをえないところであるからではないか、と思う。
私が思う「学校が親に課す高いハードル」とは次のようなものだ。
学校はこんな高いハードルを親に求めるのだから、親も担任教師に対して過大な自己犠牲を求めるのではないか。
(この高いハードルを「親は学校/先生に子供を人質にとられている」と感じる人もいるかもしれない)
家族のために計画的な休みを取ることについて、これほど反対が出る職業は、たとえばシーズン中のプロスポーツ選手くらいしか思いつかない(緊急時に出動する公務員はまた別の話だ)。
たとえば医師は患者の死に際して「我々も手をつくした」と言わなければならない。
気をもむ乗客が「予定どおりに到着しますか?」と訊いたら、乗務員は「はい、大丈夫です」と言わなければならない。
実際には、手を尽くしたと言えない場合もあるだろうし、乗り物が定時に着くかどうかはやってみないと分からない。
でも、正直な回答をすると、相手は「ないがしろにされた」と感じる。
「たまたまこの日は、一刻を争う急患の方が多かったので……」
「今のところは定刻ですが、この先で故障が起きないとは言い切れませんので……」
このように「論理的には正しくないことを、言明させる/させられる風潮」が日本特有かどうかは知らない。
担任教師の家族が危篤の場合、急に学校を休んだとしても、我が子をないがしろにされたと憤る親は少ないだろう。突発事項だし、教師だって人間だもの。
でも、自分の子供の入学式に出るために計画的に学校を休まれると、受け持ちの生徒は二の次です、と行動でハッキリ示されたような気持ちになる人もいるだろう。
「誠意がない」と感じるのではないか。
「誠意」を重視する、というと、日本特有のものにも思えてくる。
最優先の仕事が同時にやってきたときに、人間なので、順序を付けないといけない。
でも、あからさまに誰かを後回しにすることはできない。
なので、遅くなった人から苦情が来た時は「今出ました」と言う。本当はまだ出ていなくてもウソをつく。
これまではウソも方便で良かったのだ。医者は患者に優先順位をつけ、優先度:低の患者が死んだら「全力を…」と言い、家族はそれで納得してくれた。
だが、世の中段々厳密になった。世知辛くなった。すべて記録で残すようになった。
そうすると、真面目ぶって「トリアージ」などと、優先順位の付け方を議論しなくてはいけなくなる。
ルールをつくって、あからさまに後回しにする人をつくることになる。
今回の件が、どのようにして報道される程の大事になったのかは知らないが、かつてなら誰かが担任の不在に気づいても、校長が「ちょっと貧血になって休んでいました」とか言えば済んだのかも知れない。
今はもちろんそれはできない。
後回しにされると分かって後回しにされるのと、後回しにされたとは分からないままに後回しにされるのと、どちらがよいのか。
「知らぬが仏」という言葉もある。
さて、では自分自身はどうなのか。
通常、この手の話では労働者側に立つことが多いと自分では思っているのに、この件に関しては自分も担任教師に高いハードルを課していて、我ながら驚いた。
自分の子供の入学式に出たいのは親として当然のことだし、親だって担任教師の子育てを尊重すべきだ、という意見があった。
担任教師が休むことそのものが、子供の教育にとって良いことだ、という意見もあった。
行動を通じて労働者の権利、ワークライフバランスの大切さを教えることにもなる、というものだ。
とても論理的だ。そして、わたしは割と論理的な話が好きな方だ。
友人とも対話した。
友人「公務員だって平時は私用で有給取得できるだろう。労働基準法を現場で無視してよいのか」
自分「担任教師の職務は特別で、子どもたちにとって唯一無二だ」
友人「家族の不幸とそれ以外の境目は?」
自分「計画的な休みかどうか。他人の子供を預かるという仕事の性質上、計画的に私用を優先することはふさわしくない」
友人「妊娠はどうか?」
自分「妊娠は計画的なものではないと個人的には思っている。不幸や入院と同じ」
友人「教師のなり手が減るぞ」
自分「有能でも信念がないのはだめだ」
このような私の意見は偏っていると思う。それは喜んで認める。
そしてその理由は、高校時代に受けた教育が、親にとっても教師にとっても非常にハードルが高いものだったことによるのだと思う。
昨日はたまたま高校(県立)の同期会だった。そこに集まったメンバーは、自分の出身校に誇りを持っている。
同時に、入学直後に受けた指導が、一種狂気じみたものだったことも認めている。
(このサイトを見つけてメンバー一同大笑い。ヤフー知恵袋 ★過激な校歌指導の現状★ ~埼玉県と福岡県の高校受験生へ~ http://note.chiebukuro.yahoo.co.jp/detail/n224682)
受験できる範囲内の県立高校としては一応トップの学校に入学して3日目から、まぁ右翼かヤクザのような指導を受けるわけです。
高校一年生が男女問わず軍歌のような応援歌を大声で歌わされるわけですよ。
「○せ」みたいな内容の。
親の中には子供から学校の模様を聞いて憤った人もいたかもしれない。
課外の補習授業に自主的に参加しなければならず、毎朝6時半には子供を送り出さなくてはいけない。
一方で体育祭ともなれば、放課後に強制的に応援練習に駆り出される。期間中は塾通いもできない。
それでも親としては、子供によい大学に進学して欲しいから、学校の先生が「ウチは文武両道なんです。協力してください」と言えば、なかなか否とは言い難かったと思う。
その代わり先生も、毎朝休まず7時40分から授業をするし、当然ながら行事は全て出席するし、3年生ともなると元旦返上で模試をやる。
公務員としての高校教師の職分をはるかに超えて熱心に生徒指導をしていた。だから親も納得していたのではないか。
こういう環境で育ったから、担任教師が入学式を欠席、と聞いた瞬間に、反射的に自分の受けた教育と結びつけて、否定的な反応を示してしまったのではないか、と思う。
「手がきれいだ」とか「賢そうだ」とかいう。
自分だけきれいな恰好をして申し訳ないような、浮いているような、居心地の悪さが常にあった。
とはいえ期待されていたかというと全く逆で、学究肌の父親は、「お前は医者になるな」が口癖であった。
自分も弁護士になるつもりでいたから、そういう点では父親とは全くぶつかることもなく、仲良く過ごしていた。
「東大理Ⅲしか許さない」とか言っていたとぼけた祖父も中学の時に亡くなったので、特になんのプレッシャーもなく育った。
受験前なのに勉強道具を持っていかなかったのは、どうせ病気をしているのに勉強したって効率が悪いからに決まっているからで。
自分の高校名も父親の名前もバレバレであり、「さすが頭がいい人は勉強道具を持ってこないのね」などとナースがいう。
嫌味には全く聞こえなかった。
「あなたもお医者さんになるんでしょ」と皆が言った。いつの間にか病棟の患者さん全員が知っていた。
そういうつもりはないのです、とは言わずに、「なれると良いですね」と答えていた。
手術後は貧血があるだけで元気であった。
今思い出せば、それは末期がんの患者さんが多くいる病棟であった。
当時、流動食(で、かつ高カロリー)というのは病院のメニューにはなかったようで、ラコールやらエンシュアやらいう薬もなく、
自分でミルクセーキのようなものを作ってチューブで流し込む、というような生活をする人がいた。
その人は喉頭が失われていたので意思の疎通は筆談なのだけれど、わざわざ病院の近所のスーパーに買いに行っていたから自分がお使いをしたり。
俺は高校生で全くの素人なわけで、そんな自分に健康相談をするのは全く間違っている。
全く間違っているわけだが拒絶するのもおかしな話だし、第一自分の家は病院で、物心ついた時には患者さんたちや従業員さんに囲まれて育ったわけだから、
死ぬとか、苦しいとか、そういう事について多少は自分なりの考えを持っていたんだろうとは思う。
(「死ぬのは苦しくはないんですよ」というような。それはうちの病院が30年前にすでに緩和ケアみたいなのをやっていたから本当の話)
とはいえ、自分が何か話す、というよりは人々の話を聞いたり、会話の媒介者になる、ということをただただ繰り返していたわけだ。
そんな中に顔色の悪い「その人」はいた。
30歳ぐらいの「その人」はいつも口数が少なくて、元気がなかった。
でもだんだん日にちが経つうちに、打ち解けて来たかもしれない、という印象を持った。
今はその人がどんな病気だったかがわかる。乳がんで、たぶんあんまり予後が良くない状態なんだ。
俺が退院するという日になって、「ちょっと話がある」と地下に呼び出された。
なんだろうと思ってついていくと、めっちゃいかつい男性がいた。こわい。
どう見てもその筋の人である。
どうしよう、怒らせてしまったのだろうか。
別に文句を言われるでもなく、
「夫です」などと自己紹介をされた。自分はといえば、どこからか刺青が見えるんじゃないかとかそんな事を考えながらさりげなく相手を観察しつつ
「はいはい」と話を合わせていたのだけれど、そのうち「その人」の顔つきがちょっとかわって、
「はい?」
「○○くんは絶対医者になってほしい」
「と、妻が申しております」
頭を下げてお願いされたのは、その後の人生でもあまり記憶にないのだけれど、
と言ったが嘘である。
知らない人に頭を下げて頼まれたから、という理由ではあまりにもいい加減すぎるだろう。
<あとがき>
この話は本当の話。
なんで医者に向いてるんだか全然わかんないまま「その人」に指示されるままに突っ走ってる。
転載はご自由に。
たくさん素敵な人と出会ったよ。
あの人も本当素敵だったんだよ。