はてなキーワード: 調停とは
同僚が接客しながらお客さんとタメ語で話していたので、家族か友達なのかな?と思ったら、「この人、元夫です」と同僚から直接紹介されたのでちょっとびっくりした。人生、そういうこともあろうが、そう気安く紹介されるとは思わなくて。
あんなにさらっと他人に紹介できるような仲っていうことは、何か事情はあるにせよ、円満離婚したのかなと思いきや、人づてに、ごりごりに揉めまくって6回くらい調停の為に裁判所に通ったほどだと聞いた。それも本人が自分から話したことだという。
まあ、人に話したかったんだろうなあ、と思うんだけど、職場では、普通そんなこと人に話すかよ反応に困るだろ、と陰口を言われている。そんな陰口を耳にして、職場での会話というのは一種のエンタメであるべきという考え方があるのかなと思った。聴かされて気分のよくなる話、気持ちよくリアクションできる話。職場においてはそういう話題が望ましい。そういうことなのか?
株も相続したけどわけわからんブラジルやらトルコのファンドを精算したら600万損が出た。
おかげで確定申告することで3年間は株は600万利益控除できるけど、とても埋められないだろう。
それでNISAとか勉強したけどコロナで150万ほどやられた。相続のタイミング、悪かったなあ。毎週の積立は続けてるけど。
他に不動産2件について、もめてて売却か賃貸かなど調停中。+3500万は資産になる予定。
年収は低いけど賃貸収入年200万入るとかになればアピールできるものなのかな。
余裕はできたけど生活は言うほど変わらない。弁当が半額だったらそっちを優先してしまう。
つくづく貧乏性が染み付いてるなと思う。
家事や育児をまともにする男は、わたしのようなブスを相手にするはずがないと思っていたが
先輩の美人が、家事育児と仕事の両立ができないと退職したのをきっかけに、どうせ男は家事をしないなら、もういっそ適当に顔が好みの男と結婚して子供だけ作って、嫌になったら離婚して1人で育てようと思い立ち、当時友人の紹介であった顔が好みの男と付き合って半年で籍を入れ、小規模な式を挙げ、結婚生活を始めるも共働きの折半の約束の家事を激務のわたしの代わりに6割程度やってくれて、育児に積極的な顔が好みの夫に支えられて育休も半年にバリバリと働けて楽しいなあと思っていたのが6年ちょっと。子供の小学校入学後すぐ、突然仕事を無断で辞めてきて専業主夫になると言い出だし、相談はして欲しかったけどまあよいかと家事や育児の8割程度を任せるようになり、案外円満な家庭を築けるものだななんて思っていたのが2年。だんだん家事や育児のわたしの負担が増え、結婚当初の4:6に戻ったあたりで、[ゆーかちゃんママ]との浮気が発覚するも、仕事がピークに忙しく話し合う気力もなく、「お前が構ってくれないのが寂しかった。お前が悪い。」と責められ「ああそうか申し訳ないことをしたな」と思い、内内のまま再構築を決めたのが 年前。
中学校に馴染めず子供が不登校になり、「他の家はもっとお母さんが構ってくれる」と言われ、「ああそうか申し訳ないことをしたな」と思い仕事をセーブしようとするも上手くいなかったのが4年前。夫の[真希先生]との浮気と貯金の使い込みが発覚したのも3年前の春。午前2時の病院で帰宅が怖くなり家に帰れずネカフェに向かったのは3年前の夏。これではいけないと離婚のため弁護士に相談しに行ったのは、子供が参加しなかった2学期の始業式の翌々日。調停まで持ち込んでやっと離婚できたのがその5ヶ月ちょっと後。奇しくも子供がわたしと来ることを望んでくれ、退職し、夫のいない我が家で学校に行ったりいかなかったりする娘の面倒を見ていたのが一昨年。実家の方に引っ越したのが一年前。こちらの高校に毎朝元気に通う子供を見送れる生活にしみじみと幸せを感じられたのが半年前。2月前に再就職しぼちぼち働き始めた。前よりずっと楽だし、実母と実妹の支えもある。子供がお母さんみたいになりたいと医学部を目指したいと言って予備校に通い始めのが3月の頭。一週間ただずでもう高2になる。複雑ながらも表向きには応援している。
新婚の頃は「結婚してよかった。わたしなんかでも幸せになれるんだ」と思っていたけど、今にしても思えば一瞬の夢見たいな期間だった。0時過ぎに帰宅して、セックスレスじゃ有責だと責める夫に謝りながら相手をした後、泣きながら寝てた期間は悪夢だった気もする。その時はよくわからなかった。モラハラだったんだろうか。いまだによくわからない。幸せだと思った時もあった。
もっと考えて結婚していたら……とは思うけれど、出産のタイムリミットを思うと焦る気持ちもあって、恋愛経験だってたいしてなかったし、見る目がなかった。もし、わたしがきちんと元夫に向き合えていたら違ったのかなーとか、疲れてることを言い訳にしすぎたのかなーとか思うけれど、もう一度やり直せたとしても仕事と家庭を両立出来る気はしない。どうすればよかったんだろう。
きっと医者にも結婚にも向いていなくて、なのに、医者になって結婚したのがよくなかったんだろうなと思う。でも、今この幸せは確実に娘のおかげで、出産は人生で一番してよかったことだと思って。わたしなんかの元に生まれて申し訳ないことをしたなあと思うけれど、それでも許してくれる娘は寛大だ。
どうすればよかったんだろうな。仕事と結婚と出産どれかひとつだけしか選べないとしたら、間違いなく出産を選ぶんだが、仕事と結婚ができなきゃ出産は出来ないのが今の世の中だから厳しいなと思う。絶対浮気されないような美人だったら、仕事も育児も両立するだけのスーパーマンだったら、だとしたらなんとかなってたんだろうなー。女に生まれたら、どう生きるのが正解だったんだろうか。養ってもらえない上に浮気されるようなブスに生まれたのが間違いかな。幸にして夫似の娘なら、正解の人生を歩めるのかな。いいなー羨ましい。
仕事も結婚も出産も全部上手くはできなかったし、離婚しちゃったし、申し訳ない。申し訳ないけど、日本の方針としては、シンママ手当て拡充の方向性で、女の人生の正解から結婚は免除してもらえるのかなーとか予想している。仕事しかできないブスとしては有難い。そう考えれば、ブスでも仕事があって、愛してくれる子供がいるから、部分点ぐらいは貰えるかもしれない。満点を取るのは無理だった。頑張ったんだけどな。言い訳にはならないか。
働いて、子供を2人以上産んで、両親のそろった家庭を築く……のは無理だった。すみません。わたしがもっとマシな顔だったら、出来てたのかもしれないと思うと、顔面フル工事するのが正解だったのかもしれない。ブスに生まれた時点で80点どころじゃない減点があったのではないか、ブスは生まれた時から女の不正解なのではないかと思う。
20数年前のブスは「女はさっさと結婚して出産するのが一番」というのを信じて頑張ったんだがな。ダメだったよ。医者なんかにならなきゃよかったのかな。でも実兄が病死しててさ、実兄みたいな人を救いたいと思って小学生から医者目指して生きてきたんだよ。頭も良くないなりに努力してきたんだよ。あれが全部間違いだったんだろうか。じゃあ褒めないで欲しかった。でも、ブスには養ってくれる人なんか見つからないから自分で稼げる仕事に就くしかなかった。身の丈に合うブスの低収入職につくべきだったのだろうか。正解の男性と結婚していたら正解していただろうか。ブスには男を見る目なんかなかったから、難しかった。ブスなんだから、若さぐらいしか取り柄がないだろうと言われて焦っていた。女の高収入はなんの取り柄にもならないと言われたし、事実ならなかった。ヒモを養うにはいいかもねー(苦笑)ってだけ。離婚前の5年ぐらいは専業主夫なのに全くと言っていいほど家事してくれないから、家政婦さんに来てもらってたし、その人と家でヤってたのも後に知った。元夫は初めはとても優しかったし、結婚する時だって舞い上がってたし、結婚してすぐの頃は本当に幸せだった。こうなるとは思ってなかった。ブスの人生は諦めから始まって諦めに落ち着いた。
どうでもいいだろうけど、長年のコンプレックスだった一重瞼を糸で留めていただいたのが午前中、だ。今更加点がないのは知っているが、せっかく恥も外聞もないブスの出戻りだからと思い切った。こんなブスでも母親と娘には応援されてるんだ。もうどうなったっていい。
もうすぐ夫と息子と別居して1年になる。
2年半前、私は仕事の激務からうつ病を発症し、仕事を休むことになった。
社会からドロップアウトしてしまったことは、もともと上昇志向の強かった私の復職意欲を容赦なく奪っていった。
体調が良くなっても復職意欲がわかない。
甘えもあったと思う。
結局、うつ病はなかなか良くならなかった。
家の中で悶々とする日々が続き、いたずらに時間だけが過ぎていく。
苛立ちだけが募っていった。
私も夫もイライラしていた。
何度目かの夫婦喧嘩の後、夫は息子を連れ、私の知らない間に家を出て実家に帰ってしまった。
しかし、夫との話し合いを望むも、夫は今さら話すことはないと一切応じない。
息子にも会わせたくないと言われた。
このままではいけないと思い、まずは療養に専念した。
私は離婚調停に真剣に向き合い、調停委員に家族への思いを伝えていった。
その気持ちが届いたのか、調停委員はどちらかと言えば私に肩入れしてくれたと思う。
何度か調停を重ねた結果、離婚調停は不成立に終わり、当面の離婚自体は回避できた。
あわせて息子との定期的な面会が決まった。
今後は家族3人で暮らせる日を目指して、夫に誠意と安心を伝えていくしかない。
そして1週間前、私は久しぶりに息子に会った。
息子は3歳半になっていた。子どもの成長はとても早い。
私を見るなり、息子は「ママー」と駆け寄って飛びついてきた。
涙が出そうだった。
私も会えなかった時間を埋めるように、息子に今注げるだけの愛情を注いだ。
そして別れの時間が近づく。
僕がそう言うと、息子は
と言って泣き出した。
下唇を前に出し、大粒の涙が小さな頬をつたっていた。
驚いた。
3歳半でこんなことが言えるのか。
この小さい体で息子は今までどれだけさびしい思いを我慢していたのか。
本来感じる必要のない気持ちを息子に感じさせてしまった自分が情けなかった。
私は泣きながら、息子の小さな手を握りしめることしかできなかった。
自分の無力さを感じた。
夫に息子を引き渡す時も、息子は「ママがいい!」と言って、私の胸に顔をうずめ、ずっと泣いていた。
今わかっていることは別居はまだ続き、息子はこの先もさびしい思いをするということだ。
自分の無力さが情けない。
ーーー
どっちかというと反転版の方が可哀想度が増す
もうすぐ妻と娘と別居して1年になる。
2年半前、僕は仕事の激務からうつ病を発症し、仕事を休むことになった。
社会からドロップアウトしてしまったことは、もともと上昇志向の強かった僕の復職意欲を容赦なく奪っていった。
体調が良くなっても復職意欲がわかない。
甘えもあったと思う。
結局、うつ病はなかなか良くならなかった。
家の中で悶々とする日々が続き、いたずらに時間だけが過ぎていく。
苛立ちだけが募っていった。
僕も妻もイライラしていた。
何度目かの夫婦喧嘩の後、妻は娘を連れ、僕の知らない間に家を出て実家に帰ってしまった。
しかし、妻との話し合いを望むも、妻は今さら話すことはないと一切応じない。
娘にも会わせたくないと言われた。
このままではいけないと思い、まずは療養に専念した。
僕は離婚調停に真剣に向き合い、調停委員に家族への思いを伝えていった。
その気持ちが届いたのか、調停委員はどちらかと言えば僕に肩入れしてくれたと思う。
何度か調停を重ねた結果、離婚調停は不成立に終わり、当面の離婚自体は回避できた。
あわせて娘との定期的な面会が決まった。
今後は家族3人で暮らせる日を目指して、妻に誠意と安心を伝えていくしかない。
そして1週間前、僕は久しぶりに娘に会った。
娘は3歳半になっていた。子どもの成長はとても早い。
僕を見るなり、娘は「パパー」と駆け寄って飛びついてきた。
涙が出そうだった。
娘は終始笑顔で「パパ大好き!」と繰り返してくれた。
僕も会えなかった時間を埋めるように、娘に今注げるだけの愛情を注いだ。
そして別れの時間が近づく。
僕がそう言うと、娘は
「パパと一緒に暮らしたいー!」
と言って泣き出した。
下唇を前に出し、大粒の涙が小さな頬をつたっていた。
驚いた。
3歳半でこんなことが言えるのか。
この小さい体で娘は今までどれだけさびしい思いを我慢していたのか。
本来感じる必要のない気持ちを娘に感じさせてしまった自分が情けなかった。
僕は泣きながら、娘の小さな手を握りしめることしかできなかった。
自分の無力さを感じた。
妻に娘を引き渡す時も、娘は「パパがいい!」と言って、僕の胸に顔をうずめ、ずっと泣いていた。
今わかっていることは別居はまだ続き、娘はこの先もさびしい思いをするということだ。
自分の無力さが情けない。
妹が去年自死した。
4年前、妹は元夫と離婚した。2人の間には、当時4歳になる息子(僕からすると甥)が居た。
妹と元夫は子どもが生まれてから夫婦関係が冷え込んでいて、幾度か相談を受けていた。
「子どもの将来があるのだから、しっかり話し合ってほしい」と言っていたが、あるとき大きな夫婦喧嘩をして、元夫は甥を連れて実家に帰った。
妹は元夫に連絡を取ったが、互いに冷静になるためと言い、別居をすることになった。
月に二回、妹と甥は2時間程度会っていたという。それが、元夫の弁護士の、通常の面会交流時間だという言葉を信じて。
妹は家庭の修復を願っていたが、元夫はその気はなかったようだ。何度も話し合い、離婚をすることになった。
「幼稚園は○○で通ってるから、途中で変わると子どもがいじめられる。君は母親だから、親権が無くなってもいつでもあえる。」
元夫と義父母のそんな言葉を信じて、妹は離婚し、息子の親権を手放した。
妹は自分のことよりも、息子のことを一番に考えていた。そして、なによりもひとを簡単に信じすぎた。
いや、子どもに会えない時間が長すぎて、疑う気力が残っていなかったのかも知れない。
僕が離婚の話を聞いたのは、久しぶりに実家に帰ったときで、既に離婚が成立した後だった。
妹は以前よりやつれていて、悲しそうに疲れたように話していた。
離婚が成立すると、元夫はあれこれ理由をつけて妹に息子を会わせることがなくなった。息子が怖がっている、息子の前で涙を見せるな、息子に会うとき挙動不審だから、精神を患っているのではないか。
妹は月に1回から2ヶ月に1回、そして会えなくなった。
元夫は共通の友人に、妹が虐待親だから親権を得られなかったのだと吹聴して回った。妹の周りからは友人が去っていった。
甥は徐々に妹にどう接して良いかわからないようなそぶりを見せるようになった。
妹は、元夫や義父母に、息子に会いたいと何度も頼んだという。
それでも、元夫や義父母は、離婚のときとは打って変わり、「もう母親ではない」「新しい母親と仲良くやっているから関わるな」と会わせるのを拒んだそうだ。
家庭裁判所に面会交流の調停を申し立てても、妹が息子に会えるのはほんのひとときだった。家庭裁判所の調停後も、元夫は理由をつけて妹に息子を会わせなかった。
妹は電車に乗ると子どもと同じぐらいの歳の子を見て辛くなると言い、家から出なくなった。
去年の寒い朝、妹は命を絶った。
見てないのもそこそこ
一覧はアニメイトのサイトが便利(https://www.animatetimes.com/tag/details.php?id=6212)
秋で面白かったのは ノーガンズ、けものみち、バビロン、さいころ、能力平均、本好き、ガンダムReRISE
感想には偏りが強い
開始時期がバラバラすぎるので都度見たのを追記していくスタイルで
一部ではあるがabemaで見れる→https://abema.tv/video/genre/animation
異世界かるてっと2
いい意味で相変わらず短すぎ
雰囲気やノリもあのままなので良き
痛いのは嫌なので防御力に極振りしたいと思います。
ID:INVADED イド:インヴェイデッド
興味を惹かれるなんだこれ感
まだまだ展開も読めないので期待してしまう
やや微グロ
全部見てる、イチオシ
かなり面白いというかこういうの好き
ミステリー、サスペンス好きや考察するのが好きな層なら適性あり
既に作画がグラついててヤバそう
というか全体的にありきたりなんだわ
映像研には手を出すな!
edだけ浮いてる気がする
SHIROBAKOよりもっと創作寄りになっていてこれはこれで楽しい
思ってたより面白い
怪異の調停人となったJKの一目惚れした相手が怪異も逃げるナニカ
まだ全容不明につき様子見
かなり面白い、ただ序盤戦に3話は使いすぎだ
この3話終わりでまた加速しそうなので楽しみ
ドラゴンとはいいつつガワが龍じゃない、テーマはクジラ漁かな?
声も絵も安定してて中盤の展開がどうなるかわからんけどまだ楽しく見てる
面白い、男くさすぎて最高
当たった瞬間のエフェクト、これ衝撃の大きさわかりやすくてイイんです
恋する小惑星
面白そうな予感がしてる
これ隠れた名作だわ
間違いなく面白いのに今期豊作すぎて隠れてる気がしててもったいない
こういった説明や記憶一切なしのゼロベースサバイバルって基本難しいってか外れる
とりあえず流石になんもわからんので次は見るけども…ちょっとこれは…
そんな世界でゴーレムが人間の子供を拾ってしまい親を探す旅にってストーリーだ
丁寧に作ってある分話の進みは遅い
クールの終わりがつらそう
友達から誘われたアプリで殺し合い、参加者各々スキルを駆使する話
2話まで見たけどこれ面白いと思ってるならリアル鬼ごっことか好きそう
1話を見ただけで複雑な背景や主役らの状況が全部わかるのが素晴らしい
特に魔法で人外にされてもその魔法使いを殺せば元に戻れるわかりやすさ
一部界隈で放送のたび話題になっててほえ〜と思ってたけど毎週面白いの凄いわ
だんだん謎とその世界のあるあるが区別できるようになってきてて草
なつなぐ!
いかんせん展開が読めないので様子見
絵は凄い、てかそれしか褒めるところがない
欅坂が好きな層が好きそう
ネコぱら
ストーリーの展開は2話からだけど1話は2倍速で見ても内容がわかるくらい薄め
2話案の定な展開
難しいことは考えず無心で見ればおk
何回見たんだこのパターン
ありきたりの詰め合わせセット
2話でやっとなんかあるっぽいけど期待薄
プランダラ
出てくるヒーロー能面と悪役がどっちもヒロインの股を広げようとしてくるの今時ウケるか?
なんか期待出来るので様子見
過去の記憶をアニメとしてヤマ(良)とタニ(悪)で表現するのアイディアとして面白い
見れば見るほど深みにはまっていって面白いよ…頑張って3話までついてきて
へやキャン△
ゆるキャン△です
へんたつ
レビューしなくてもみんな見てる
宝石商リチャード氏の謎鑑定
まだちゃんと話が進んでないので様子見
あくまで宝石を介した人の話だからそこに興味がないと見続けにくいタイプ
前期であった厨病?だったかが見れたんなら見れるんじゃない
既に不穏でイイよ!このままダークを突っ走れ
魔術士オーフェンはぐれ旅
一部で評価されてるらしいけどそれは長く見れば面白いってこと?
魔物となり街で暴れる元カノ?を制圧しようとする自警団を主人公がひたすらしばく反社会ストーリーなんだが…
群れなせ!シートン学園
人間がクマにカツアゲされるっていう謎の文面が生まれるくらいゆるめ
2話まで見た、まるでけもフレ1期救済だ
ひたすらギャグカテゴリかつ動物の習性詰めてるから気負わず楽しめる
八十亀ちゃんかんさつにっき 2さつめ
飛んで埼玉感が好きならこれも楽しめる
ランウェイで笑って
絵よし話よし声よし
無難に見れる
りばあす
SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!
このシリーズ全部未視聴なので見てなかったけど見たらよかった
モブの略した表現も全体的なゆるさを演出するのに凄いポジティブ
審議会とかで「消費者団体」の代表を名乗るというのは、そういう覚悟をしてそういうポジショントークをするということ。
何がいいたいかと言うと、消費者協会は全然消費者としてのポジショントークができてないですね。— 未識魚 /中川譲@C97 30日西G33b (@mishiki) 2020年1月8日
マンガ家・クリエイターの代表には幸いなことに赤松先生がおられるのだから、消費者側の代表は「でもぉ読む側としてはタダの方が助かるんですけどぉ」って言わなきゃいけないんだよ。自分達の利益を最大化するよう殴り合うから政策的な調停が行えるんであって、他業界と同じ主張の消費者団体は無意味。— 未識魚 /中川譲@C97 30日西G33b (@mishiki) 2020年1月8日
マンガやアニメのファンは教育が行き届いてしまっていて「お金は払わないと…」みたいな発想が主流になっていてそれ自体は非常にありがたいことなのだが、政策を考えるなら、消費側の合理的経済人としてのプリミティブな動機(=1円でも安く買いたい)をないがしろにして考えるのは良くない。— 未識魚 /中川譲@C97 30日西G33b (@mishiki) 2020年1月8日
ほんまこれ。
どう見ても今回漫画家とアップロード側で対処しろやって、世間様から反対食らった件を漫画家共が選挙がほとぼり冷めた頃に蒸し返して、パブコメで8割強の反対を食らったにも関わらず、わざとギリギリのスケジュールで反論の間を与えずに強行しようとしているのにこいつらと同じ様に消費者団体様まで同調しているのだから、こんな消費者団体は無意味で存在価値無しと言われるのは残当だとしか言えない。
大方この消費者団体とこいつら利害関係者は経団連と連合の様なポチみたいな関係だろうがな。
消費者団体ならこいつら出版漫画家はこの問題の他にも再販売価格維持の問題とか決して少なくない人が問題視している話題とかもあるのだから、本来そっちの方面でもチクチク攻めていくのが正しい筋道なんだけどね。
「自分が目下食っていけるかどうか」にしか興味が無く、船底を食い荒らすネズミ連中を支持する行動は「愚か」だよ。
元増田が言ってるのは、結局「船底に穴を空けるネズミでも、大半の乗客にはそんなこと分からないか興味が無い」というだけのことであって、それは「大半の乗客が愚か」であることと何ら矛盾しない。元増田は要するに「国民がアホだから」「アホに分かるように誘導してやれ」ということをやんわり言い換えているだけであって、それはそれで悲惨な結果を引き起こしたってのが二十世紀の歴史にみる反省ポイントなんだよね。だから、「やさしい言い方」なんて無意味だ。アホにはアホというしかない。
だからハッキリ言うけど、その「アホに分かる誘導」、つまりこの先現れる「国民生活を上昇させる画期的な政策」とやらは、「自分たち」以外に対する搾取と簒奪でしかありえない。あとは、それをどんな綺麗な言葉で言い換えるかだけだ。俺はそんな「画期的な政策」には全く興味もないし期待もしない。中国市場の開拓? 外資に日本を売り飛ばす? もし、「米中の仲立ち・バランサー・調停役として画期的な働きをし、そこから生じる利益を流通ハブとして享受する」ようなことができるなら、百歩譲って可能性なくはない(そこに「今はまだ存在しない巨大な利益」が誕生するわけだから)。でも、アメリカの核の傘の下にある日本に、そんな立ち働きができるような政治力はない。交渉力もない。現実を見ろ、世の中うまい話なんてない。
もし期待感があるとすれば、それは政治ではなく、(1)イノベーティブな技術による一時的な経済ブースト、(2)イノベーティブな思想による社会構造の根源的改革、のいずれかだ。ただ、(1)は一時的だし更なる袋小路へと人類を導くだろう。たとえ人類が木星に到達したところで、いずれ「その状況を前提とした競争」が普通になるだけだ。たとえば、情報技術はイノベーティブな技術だったけどそれで仕事が楽になったか?ってことだ。
そして、(2)は「社会構造改革」を伴う以上、結局既得権益側の犠牲は避けられないだろうな。民主主義革命が貴族制を打ち倒したように、民主制を打ち倒す何かは民主制の「王」から何ものかを奪い去る。まあ、それもまた「搾取と簒奪」の一種に過ぎないと言えばそれはそうだよ。自分たちの社会の外に迷惑をかけ、50年後も100年後もぐちぐちそのことで文句言われ続けるような「政策」とやらよりは、社会内で済むだけ百倍マシになる。フランスでは220年前に民衆が、日本では70年前に進駐軍がこれをやった。
だから、問題は、そういう移行に伴う痛みを我々がどの程度の範囲、どの程度の深さに止めるか、ってことになる。政治に仕事があるとすれば、その、ホンのささやかな領域だよ。政治なんてシロモノに過剰に期待してはいけない。
吉良姓を受け継いだ吉良上野介の子孫はいない。(後に別家が吉良の名を継いだ形で、子孫の方は上杉家や畠山家等におられる)
三河地方に吉良の領地があったのは元禄16年(1703年)までで、それ以降は吉良と三河地方との関係は無い。
近年「実は吉良上野介は地元では名君」っていう話をよく聞くようになった。
「吉良上野介は名君」って言う説を知っている人も多いだろう。
で、その「吉良の地元ってどこだ?」って話になると
案外、知ってる人が少なかったり誤解している人が多かったりすると思う。
恥ずかしながら私もそうで、
三河地方っていうのは知っていたのだけれど
この辺には歴史的な経緯があるそうで、
その後、これら土地は、あちこちの藩やら寺社、旗本の領地なんかに吸収されて
(こういう状態で「吉良の地元」という意識が受け継がれてきたというのには少し無理があるような)
その後、昭和三十年に 横須賀村と吉田町が合併して吉良町が生まれる。
(余談だが吉良には雲母の意があったという)
歴史を知っている人でも、吉良上野介は大昔の隣の殿様という扱いで
古くからの西尾市の人に「吉良上野介の地元」と言われると変な顔をされたわけだ。
んで、もう少し突っ込んで話を聞いてみると、
西尾藩の領民が、吉良が作った堤防により水害が発生して苦しんでいたので
こういう逸話があるぐらいなんで旧西尾藩の地域の人にとっては、
「吉良上野介は地元では名君とされている」と言われるのに抵抗があるみたい。
吉良上野介を地域の名君として賞賛する教育を西尾市の全域で行っているとのこと。
それで地元とは言えない所の子供達にまで「地元の名君」と教えられているそうな。
(吉良の堤防による洪水で、エライ目に遭ってた所だったりしたら洒落にならんな)
調べてみると、
吉良上野介が黄金堤を作って地域の開発に役立ったのかからして怪しいという。
残された絵図面なんかをみると、この地域にあった鎧が淵の新田開発で
近年になって「吉良つながり」で、吉良上野介が担ぎ出されてきたっぽい。
でも、そういう都合で「新しい歴史」をつくっちゃて
堤防などの治水等で名代官と言われる鳥山牛之助(さきほどでた新田開発のトラブルの調停もしている)
なんかの話が、わりとしっかり記録や文献をたどれるのに殆ど注目されなくて、
「らしい」という話しかない吉良上野介だけが「地元の名君」って言われて教育現場で広められている状況は、
なんだかなぁって思ったりする。
吉良上野介が名君であったという話に「吉良の赤馬」という郷土玩具をセットにする人が多い。
「吉良上野介義央は治水事業に心を寄せ、領内の水害を防ぐため、黄金堤を築き、自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたりました。その姿は威風堂々とし、愛馬も大変立派であったので、領民はこれを称えいつしか赤馬と呼ぶようになりました。領内の村に住んでいた村人が江戸・天保年間に子どもの玩具として作ったのが始まりです」
とある。
いわゆる赤穂浪士の討ち入りが元禄15年末(1703年の1月)。
三河の領地を取り上げられる裁定が下ったのが元禄16年(1703年)になる。
「領内の村に住んでいた村人」と言っても、
その時には吉良領は跡形もなくなっている。
昔、吉良の領民だった人も既に死に絶えた後のはず。
実際の記録では吉良上野介が三河の領地を訪れたのは生涯一回だけだったらしい。
直に吉良上野介を見た村人が、後に玩具を作り出したとかいう話なら、
まだなんとなくわかる気がするのだけれど、
百年以上前に一回だけ訪れた殿様の馬を、
わざわざ玩具にしようというのいうのは変だよなぁ。
天保年間には別の殿様が治めている状況なのに。
調べると、さらに興味深い話が出てきて、
この時点では「白馬」なのね。
もし本当に赤馬と吉良上野介の話が元になっていたのなら、
突然、殿様に白馬ってのは出てこないよなぁ
「自ら愛馬赤馬に乗り巡視にあたった」という話自体が後から出た感じがする。
もちろん、こういうのは商品を開発したり売る人が、
色々面白おかしく「いわれ」を主張するのは別に良いと思うのだが、
このエントリーは「吉良上野介が地元では名君」という説が「ちょっと変」っていう話で、
だからといって、これだけでは「名君ではない」とまで言えない。
(西尾藩の領民に洪水被害を出した伝承とかは、ちょっとふれたが)
「名君だと言うならもその根拠資料を出せ」と言っている所もあるそうな。
「吉良上野介が名君だった」という人は、きちんとした資料を出してやれば良いと思うよ。
それを元にして、地域教育とかを書き直していく必要があるんじゃないのかな。
少なくとも教育委員会とか自治体が、根拠に疑問が持たれる話を持ち出して
へんな形で「地元の名君」を作り出そうとするような状態は良くないなぁと。
もっとも「実は、吉良が名君という話は怪しい」というのは、
中々メディアとかでは取り上げにくい話だと思う。
実は「正義の味方だった」と言うのは受けるだろうが
例えば「イメージ通りの悪い人でした」と言っても、
そこには話題性も何も無いわけだ。
この点は、なかなか興味深くて、
必ずしも同じように拡散するわけでは無くて、
このまま誰も異議を唱えないまま残ってしまうんじゃ無かろうか。
とか思ってたら、wikiとかにもわりと詳しく書いてあったわ。