はてなキーワード: 言論の自由とは
発端の杉田水脈氏の発言に対して「政治家が言ってはいけないことだが、生産性がないのは事実である」という言説を耳にした。おそらくネットでも同様の物言いが溢れていると思う。どうにも私には腑に落ちず、その言説を考えるとイライラしてくる。
まずは生産性の有無を主張するということ。主張するということは、当該事項にスポットをあてて、問題の是非を問うということである。そして、この言説の場合は、問題の是非を問うということをすっ飛ばして、いきなり結論に至っている。生産性がないのはよくないことである、と。
生産性。昨今、極右資本主義的な経営者が声高に唱える言葉である。そして、こういう人間たちが盲目的なシンパを抱え込んでいることは、ネットを見るとあきらかだ。意識高い系とか呼ばれる人々たち。もちろんすべてがそうであるとは言わないが。
私は、冒頭の発言が、これらの人間たちの意識に波乗りして、主張の正当性を強固にしているような気がしてならない。そこに媚び、というかずるさを感じる。
次。
こちらが本題なのだが、果たしてこういう発言をしてはならないのは、政治家に限ったことなのだろうか?言論の自由は保証されているんだから云々だから、法的に問題がない。それにしても、発するものではないこともあると思う。
では何が、発することを押し止めるのか。それは、人々それぞれが持つ思いやりみたいなものだ。思いやりという言葉がきれいすぎるならば、倫理感、あるいは理性である。
したがって「政治家が言ってはいけないことだが」と発する人々をみると、劣する人間に対峙しているという嫌悪感を抱いてしまう。言ってはいけないのは、政治家とかだけじゃなくて、普通の人々でも同様だと思う。
さらに、政治家だからいけないという前置きで、自分は許されているという逃げ道を確保している態度が気に入らない。自らの愚を自覚せず、考えることすらしないで、高みから物を言っているということにすら気がついていない破廉恥。
心の乱れた人が多くなったものだ。
批判する人たちは「正義」によって批判してるので自分らが正しいと固く思っている
アパホテルぐらい動じなきゃよかったんだけどね
私はこの判断に心から落胆し、新潮社という出版社そのものに心から失望した。
まず断っておくが、私は杉田水脈氏の記事(論文とは決して呼ばない)を一切支持しない。
一切、完全に、ただの一行たりともだ。
続く号で発表された杉田氏の擁護記事も、仮に部分的に事実があるとしても一切の論旨に賛同しない。
だが、私は『新潮45』が休刊したことについても深い憤りを覚えている。
杉田氏の記事ならびに擁護記事に批判が集まったあと、新潮社代表取締役の佐藤隆信氏は以下のようなリリースを発表した。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/news/20180921.html
弊社は出版に携わるものとして、言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立の重要性などを十分に認識し、尊重してまいりました。……
このリリースで佐藤氏は、『新潮45』が差別的な記事を掲載したとは一切認めていない。
まずはじめに言論の自由をうたい、《今後とも》差別には配慮する=今までも差別には配慮していた、としている。
『新潮45』の問題はあくまで「常識を逸脱した偏見」と「認識不足に満ちた表現」(不足に満ちた?)だ、ということだ。
https://www.shinchosha.co.jp/sp/news/20180925.html
会社として十分な編集体制を整備しないまま「新潮45」の刊行を続けてきたことに対して、深い反省の思いを込めて、このたび休刊を決断しました。
これらのリリースから、新潮社が何を問題視して休刊に至ったのか、私にはよく読み取ることができない。
「言論の自由」を重要視するならば、「常識を逸脱した偏見」という言葉は矛盾している。
なぜなら、偏見は時に常識の顔をして生活に根付いているからだ。それに対抗しうるのは言論しかない。
「言論の自由」をうたうなら、常識から逸脱したことを謝罪するのは自殺行為だ。
「認識不足に満ちた表現」というのもよくわからない。誰の、何に対しての認識が不足していたのか不明瞭である。
(筆者の、LGBTに対する)認識が不足していたというならば、それは表現ではなく論旨そのものに直結する問題だ。
二度目のリリースの「編集体制が十分でなかった」ことから無理矢理意訳するなら、言論としての質が低かったことがもっとも重大な問題、と理解すればいいだろうか。
佐藤氏はこの問題に関して、何よりもまずはじめに言論の自由、表現の自由、意見の多様性、編集権の独立に言及した。
『新潮45』は、私の目には差別的・侮辱的で唾棄すべき蒙昧な文字列だったが、
佐藤氏は質が低いことは認めても、差別的であるとは最後まで言わなかった。
杉田氏の記事およびその擁護意見を、新潮社として「自由と多様性」の一部として認めるならそれでもよい、と私は思う。
だが、それが社としての意見だというならば、そして問題は「質の低さ」だというならば、少なくとも新潮社にはこの問題について「質の高い」意見を示す社会的な責任があったのではないか。
そして、「多様性」を庇護したいのならば、杉田氏および擁護意見への反論も意見として熟議し、「多様性のある」議論を展開するべきではなかったのか。
それこそが「言論の自由」を保証した、出版社としてあるべき姿だと思う。
その範を示すことが、長い歴史と信頼のある大手出版社の役割であり、代表取締役が「言論の自由」に言及した意味ではないのだろうか。
質の高い多様な意見を募るには歴史と信頼と知性の集積が必要だ。そんな出版社はそう多くはない。
けれど、新潮社ならできたんじゃないのか。
今回、新潮社は『新潮45』の廃刊という形での幕引きを図った。
批判に応答もせずに。
言論の自由をいちばんはじめにうたったはずなのに、世間の声に反応して言論の場そのものを潰すという、もっともするべきではないことをした。
しかし、新潮社は本当に、この幕引き以外選択肢はなかったのか。
新潮社でさえこんな風に逃げ出すしかないのなら、我々はいよいよ、批判を躊躇わなければならなくなる。
意見を示す出版社側は、「常識から逸脱した」意見を出すときは『新潮45』のように潰されることに怯えなければならず、
批判する消費者側は、自分自身の批判が言論の場を潰し、言論封殺の謗りを受けることに怯えなければならない。
新潮社は「質の高い」反論をすることも批判を受け止めることも投げ出して、結局真っ先に言及した「言論の自由」を蔑ろに踏みにじった。
私にはそう思える。
そして、そんな愚かな選択を、あの新潮社がしたことに心から失望している。
はじめて買った文芸誌はyomyomだった。
100%orangeのかわいい表紙に、めくると広がるとりどりの物語に心をときめかせて創刊から買い続けた。
新潮文庫の背表紙が好きだった。明朝体の文字だけのそっけなさ。
書店に行くたびあの背表紙群を眺めて、次は何を買おうと迷うのが楽しかった。読んでも読んでも読みたい本が尽きない。頼もしかった。
新書の玉石混淆さにはもう十年以上もうんざりしているけれど、それでも新潮新書には基本的に安心感を感じていたし、学生時代の論文でも、参考文献に新潮社の本を何冊も並べた。
今はただ悲しい。
正直な所、アレを掲載したのはどうかと思うけれども。
自主回収やら、発禁にするべきやら、と言ってしまうのはちょっと待つべきだと思うんだよなぁ。
立場が逆になってしまう世の中が来た時、その砦たる言論の自由が奪われる可能性は、いくらでもあるわけで、そこは一線引こうよと思う。
事実、それは戦前にあったわけで、戦後だって、いくらでも類似例はあったわけで。
その上戦前のそういったはじまりは、良識を問う形で行われたことを考えると、批判はいいけど、出版を批判するのは拙いと思うんだよなぁ。
できることなら茶化すぐらいになれればいいんだろうけど、そうもいかない程、私たちの現状は切羽詰まっているのかもしれない。
そんな事を考えた。
ヘイトスピーチ論について個人の理解を並べてしまうが、あれは言論の自由などという抽象的な概念より、現実の世界の実利が優った事例と言えるだろう。
もしルワンダ虐殺が止めれるのであれば、ラジオ報道の自由など、規制された方が良い。
韓国人ヘイトは、韓国人がなんとなく嫌な思いをするからではなく、韓国人街で住民同士の対立を煽るデモが繰り返されるに至って規制された。
そこのところ、一般に流布されている言説は多くが勘違いしてると思う。ヘイトスピーチは、差別だから駄目なのではない。治安が悪化するから駄目であるはずだ。
となると、新潮45についても、同じ理屈が適応できるはずだ。ああいった論を提示することで、社会に看過しがたい不利益が発生しているか? 個人的には発生していると思うが、それは言論の自由という価値のプラスを下回っているか?
id:envs です。
増田なのに名前を明かすこと、ご容赦頂きたい。
トラックバック構造が見やすく、建設的な議論が成されやすいというのが増田というプラットフォームを選んだ理由です。
https://www.huffingtonpost.jp/2018/09/18/shincho45_a_23531748/
新潮45の件の記事には極めて反対。しかし私は言論の自由が民間にも認められるべきだと考えているので「廃刊にしろ、回収しろ」とは言わない。当然「廃刊にしろ、回収しろ」と言っている人の主張を批判する訳でもない
id:timetrain id:envs 例えばSNSの違反報告のシステムにも反対するのなら、主張に一貫性はあると思う。さらには名誉棄損や誹謗中傷、肖像権の侵害、著作権の侵害も言論の自由と言えるのなら。
以上の流れでした。100文字制限は主張を開陳するにはちと厳しすぎる面があるので、ここで私の言論の自由に対する主張を挙げておきます。
「成された表現」に対しては批判もOKだし、なんなら民事訴訟を起こす権利もあるし、あるべきである。
しかし「まだ成されていない表現」に対し、今までの著者の表現等から来る他者の権利侵害の蓋然性を基に、表現の手段を奪うようなことは、公的機関が行うのは極めて特殊な例外に限られるべきだし、民間企業が行うのは慎重さが求められると私は思う。
私はSNSの違反報告システムは嫌いです。
他者の権利を侵害している(これも裁判を経ていないので基準が曖昧であるが)投稿を削除するならまだしも、アカウントごと削除・凍結して、表現の機会自体を奪う方法には怒りすら感じます。
例えば岡口基一氏のTwitterアカウントが凍結されたことなどは、本当にそれで良いのかと疑問を呈せざるを得ません。
当然SNSは民間企業のサービスでありますから、アカウントをBANするのも別に一企業の方針なら仕方がないと思います。新潮社が新潮45を廃刊にしようが回収しようが、そういう方針なのだな、と思うだけです。
しかし私個人の見解としては、批判を多く受けた言説を掲載したからといって、さあ垢BANだ廃刊だ回収だとなる社会の方が、なんだか恐ろしいな、と感じてしまうのです。
"さらには名誉棄損や誹謗中傷、肖像権の侵害、著作権の侵害も言論の自由と言えるのなら。"とのことですが、これらは基本的に表現が成されたあとで紛争を解決すべきものであると考えています。名誉毀損や誹謗中傷が極端な場合は、裁判に訴えることで、事前抑制が例外として可能であるという判例もあります。しかしこれは特殊な場合だと考えるのが自然でしょう。基本的には訴えるのは表現の後で、というのが原則だと考えています。それほど言論の自由・表現の自由というのは私の中では重たく考えているのです。
事前抑制
もっとも、ある制度が検閲にあたらないとしても、事前抑制として表現の自由(21条1項)の侵害にあたらないかどうかが問題として残る。事前抑制は絶対的に禁止ではないが、厳格な要件でそれが表現の自由の侵害にならないかを審査する必要があるとされている。
この点につき、事前抑制の合憲性の判断枠組を示したのが、北方ジャーナル事件(最大判昭和61年6月11日民集40-4-872)であった。本判決では、民事訴訟法の定める名誉毀損的な出版物の事前差止めの仮処分が、1.検閲にあたらないか、2.事前抑制にあたらないか、が問題とされた。本判決ではまず事前差止めは検閲には当たらず、21条2項には反しないとしている。その上で、事前抑制が許される極めて例外的な場合にあたるかどうかを次のように審査している。
これを"思い込み"と表現しても良いし、他には"勘違い"だったり、過激な表現を使えば"無知"と言って良いかも知れない。
それは別にTwitterユーザやはてなユーザだけでなく、当のMastodonユーザですらMastodonというSNSの認識へ対して憶測を話してしまうことがある。
今回はその憶測を解いていこうかな?と思う。
もちろん開発がオープンで行なわれており、そういった自由さはTwitterよりもある。
しかし、言論の自由がTwitterよりもあるのか?と言われると「インスタンスによる」としか言いようがない。
なぜなら中央集権ではないMastodonのルールは、そのインスタンスの管理者が法令に背かない範囲で定めるからだ。
Mastodonでは独裁体制を築く自由すらあると考えなければならない(インスタンス登録ユーザがついてくるかは別として)。
現在はTwittetよりも圧倒的にユーザ数が少なく、そのため話題のバリエーションもTwitterよりは抑えられているという傾向はある。
しかし、もしTwitter並のユーザ数となる未来を想定した場合の心的ストレスはそこまでTwitterとは変わらないことが予想できる。
個々のユーザは自分の発言に対して責任を持たなければならないのはTwitterと全く同じで、責任の重さから来る心的ストレスは絶対にある。
Mastodonにはいわゆる"テーマ系インスタンス"と呼ばれるインスタンスが存在する。
Twitterにはないローカルタイムラインが存在し、まるでチャットのようにコミュニケーションをすることが可能なので、コミュニケーションには他のユーザのフォローが必須なTwitterよりはコミュニティを形成しやすい。
しかし、これによって一部のMastodonユーザの中でMastodonというSNSへ対して誤解が生じる原因にもなっていたりする。
これについて語っていこう。
これがMastodonを運用するにおいてイメージしやすい前述したテーマ系インスタンスである。
テーマを絞り、参加するユーザの趣味趣向を近付けることによってコミュニケーションをするローカルタイムライン派。
ローカルタイムラインによってコミュニケーションを行なう場合はユーザフォローは必須でない。
そのインスタンスへ登録しているユーザの公開書き込みはすべてローカルタイムラインへ公開されているのでフォローする理由に乏しいのだ。
しかし、Mastodonにはホームタイムライン派と呼ばれる層も居て、自分の使い方がMastodonすべてでの使い方だと勘違いしてしまうと、考え方の違いによって衝突する可能性が出て来てしまう。
例えばユーザ数が数万も居るようなインスタンスではローカルタイムラインの流速は物凄く速く、人間では読むに堪えない。
そのためユーザ数が数万も居るようなインスタンスではTwitterのように気になるユーザをフォローしてホームタイムラインをメインとして運用する手法がスタンダード。
こういう使い方では単にユーザ数の少ないTwitterでしかないので、Twitterをヘビーに使っているユーザからするとつまらない可能性が高い(面白そうなユーザの絶対数も少ないため)。
ローカルタイムライン派は基本的にフォロー機能の価値が低く、その発言は自身が所属するコミュニティーへ向けて発信されていることが多い。
逆にホームタイムライン派はフォロー機能の価値が高く、Mastodonは他のインスタンスのユーザもフォローが可能なので、ここで認識の違いが生まれる。
ホームタイムライン派はインスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れているので、インスタンスを飛び越えてコミュニケーションを取ることへ慣れていないローカルタイムライン派へ何らかのアプローチを仕掛けてしまうことがある。
その際、ローカルタイムライン派は困惑した状況へ陥ってしまう可能性が高い。相手へどのようなノリで返信して良いのか判らないからだ。
更にはより閉じたコミュニティーであれば他のインスタンスからアプローチを仕掛けられること自体が不快であると感じてしまうことすらある。
しかし、こういうローカルタイムライン派へ「そう思うのであればMastodonを使うこと自体が誤りじゃないか?」とアドバイスしても、単にそれは「お前の中ではそうなんだろ、お前の中ではな」という話にしかならないので無駄。
これはそれぞれの価値観の話でしかなく、不快かそうでないかは話し掛けられた方の主観でしかないので話し掛けられても良い気分のときもある。それは人間だから仕方ない。
想像力の逞しいはてな民であれば、ココまで説明するとココからどんな問題が発生するか?という想定はいくつも出来るだろう。
Mastodonはそういう意味ではTwitterよりもコミュニケーションが大変になる可能性はなくもない。
どんなに社会通念上の倫理観で非難すべき発言であれ、そのインスタンスが「当インスタンスでは、この系統の発言は許容されている」と非難されるべきユーザを庇う可能性がある。
その際、非難した側のユーザは身を引くか、更に広く社会へ訴え出て、庇ったインスタンスへ非難を表明するかのどちらかになる。
これはもはや現実世界の国家へ個人が非難を浴せる、もしくは国家間紛争と変わりなく、MastodonとはそういうSNSなのだ。
これを認識せず「MastodonはTwitterよりも気楽」と安易に考えてしまうのは早計である。
国であるからこそ、それぞれの思想によって自由に国造りをすることが可能。
それは言論の自由じゃなくて
実際にそうなってしまった。
かつて、左翼は、言論の自由を守り、デマを抑え、自由平等博愛を唱えたものだが、現在の左翼は、言論の自由を捨てデマを利用し、不自由、不平等、敵対を合言葉にしている。
女性をセックスの道具と金づるとしか思ってない連中が女性の権利がどーのこーの。
https://twitter.com/bunkeiholocaust
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040554991256125440
これから大学の財源として寄付に頼らざるを得なくなって来ると、文系の頭おかしい極右・極左・アホ芸人教員がいるのは大学にとってものすごいマイナス要因なんだよね。
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040600330289897478
女が言ってる「女性差別」のほとんどは性別じゃなくて文系の学歴かその人本人の性格が原因だよ。
俺ら理系は女の知能劣化のスピードが文系だと理系の10倍以上速いとか文系の女は理系よりも感情コントロールが苦手だとかよく知ってるんで、当然文系を差別しますね。
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040539925576183808
たとえば私立大学は全部キリスト教系資本、みたいな国で国立大学の歴史学部や宗教学部潰したら宣教に都合の良いように歴史改竄されるかもしれないよ。
でも日本の私立大学はキリスト教なり仏教なり無宗教なり多様性に富んでるから、国立大学文系学部を廃止しても公平中立性の問題なんて起きませんね
https://twitter.com/bunkeiholocaust/status/1040494588081795074
無意味なデモとかやってるロースペ文系愚者の群れとか見てて分かるだろ。
文系みたいな下等生物には「言論の自由」なんて高尚な概念はまだ早すぎるんだよ。
民主主義なんてのもただ単にブルジョワジーへの権力移行を後押しするためのスローガンであって、バカに権利なんかあるわけ無いの。
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 95 | 28622 | 301.3 | 43 |
01 | 54 | 7374 | 136.6 | 30 |
02 | 37 | 4042 | 109.2 | 62 |
03 | 15 | 4572 | 304.8 | 123 |
04 | 13 | 1121 | 86.2 | 29 |
05 | 17 | 2234 | 131.4 | 45 |
06 | 26 | 2636 | 101.4 | 64.5 |
07 | 25 | 4520 | 180.8 | 39 |
08 | 83 | 6976 | 84.0 | 53 |
09 | 113 | 10136 | 89.7 | 40 |
10 | 142 | 13065 | 92.0 | 58.5 |
11 | 149 | 13132 | 88.1 | 52 |
12 | 113 | 8767 | 77.6 | 35 |
13 | 103 | 9438 | 91.6 | 47 |
14 | 82 | 12072 | 147.2 | 66 |
15 | 89 | 11204 | 125.9 | 43 |
16 | 113 | 13188 | 116.7 | 44 |
17 | 76 | 7475 | 98.4 | 48.5 |
18 | 83 | 5945 | 71.6 | 52 |
19 | 69 | 7557 | 109.5 | 52 |
20 | 121 | 14634 | 120.9 | 55 |
21 | 120 | 12962 | 108.0 | 41 |
22 | 101 | 12460 | 123.4 | 51 |
23 | 114 | 13150 | 115.4 | 47 |
1日 | 1953 | 227282 | 116.4 | 48 |
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フジ住宅って大阪の会社の社員が建築中の一軒家にドラえもんの落書きを書いたってニュース見て
フジ住宅のHP見たら「提訴に関する弊社の考えと原告支援団体の主張に対する反論」ってのがあって
また、当方を応援して下さる方の中には、当裁判の帰趨が非常に重要な歴史的意味を持っており、日本国民として絶対に負けられない裁判であると言ってくださる方も多くおられます。
弊社と致しましても、万が一当裁判に負けるような事があれば、日本人全体の人権や、言論の自由が大きく毀損される事になるとの危機感を共有しており、当社経営理念
「社員のため、社員の家族のため、顧客・取引先のため、株主のため、地域社会のため、ひいては国家のために当社を経営する」をしっかりと守り、「ひいては国家の為に当社を経営する。」と述べている事に、嘘、偽りの無い姿勢を貫きたいと思っています。
池上彰氏、疑惑に「あってはならないし、ありえない」 「他人の意見を自分の意見に...」主張へ反論
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180910-00000013-jct-soci&p=2
それによると、八幡さんは、池上さんの番組の取材で時間をかけて意見を述べたが、「池上の番組の方針で、番組では八幡さんの意見ではなく池上の意見として紹介しますがご了解いただけるでしょうか」といった内容のことを言われたという。
これに対し、八幡さんは、「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」などと番組の申し出を断ったといい、「こんなのがジャーナリストのような顔してるのがおかしい」と疑問を投げかけている。
意見自体には著作権はないだろうけど、取材しておきながら誰の意見かを言わないのはマナー的な問題ではありそうだね。
しかし、いくら釘を刺すにしても「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」はさすがに度を超えている気がする。
直接人の意見に触れていようがそうでなかろうが、意見なんて似たり寄ったりになりがちなのに、「私が言ったことをいっさい使ったりよく似たことを池上に言わせないように」では言論の自由が保障されなくなる気がする。
ここ数年の過去のエントリを斜め読みしても訴えられているのは「発信の自由」「フィルタリングの自由」ばかりに着目しているようで、大事なのはそれだけなの?と言いたくなる
俺が何を言ってるのか理解してくれる増田はたぶん居るのだろうけれど、そう多くも無いんだろうなと何となく思ってる
過去に何度か「発信の自由」「フィルタリングの自由」以外のことを主張はしてみたのだけれど、返ってくるのは「そんなのは当たり前だからどうのこうの」という達観してますみたいなヤツ
「発信の自由」「フィルタリングの自由」の主張は増田でツリーが伸びて、はてブでホットエントリ入りし、はてなブログのエントリが作られるこの状況は「発信の自由」「フィルタリングの自由」以外を考えてないってことじゃないかと
新鮮味も何も無い語られ続けた自分の知っていることを再確認して安堵してるだけで、新しいことを一切考えてないとしか思えない
今回は1つだけ例を出してお前らの反応を見ようと思う
「ユーザAがTwitterでツイートした情報をユーザBは受信したが、その後にユーザAはツイート情報を削除し、ユーザBは受信できていたツイート情報を閲覧できなくなった。これはTwitterのシステム的な不自由である」