はてなキーワード: 言論の自由とは
論理的に整合性を通すと同時に、まず最初に一方の気持ちを汲んで他方を抑えるってことをやろうとしたから道義的観点で語れるってだけの話じゃない。下手なレトリックに頼ってもそれは論破とは言わないよ。論点をずらして、意図も理解せず一つの単語にこだわっているだけ。まず刺青嫌いが悪口を言っても自由、入場禁止も公共の利益を守るためという理論で始まった議論の中で、どうして気持ちが全く関係ないと思ったのかな?
もし論理だけを考えるなら完全に通すならよけいに早い話だよね。「言論の自由は他者の心象を害してまで守るものではない」前提が成り立ってこそ、刺青嫌い派はむやみに罵詈雑言で刺青している人を攻撃できないし、刺青している人も自分たちの権利を守るために今すぐ入場禁止をやめろと無茶苦茶言えないわけ。もしそうしたいなら運動をしていってだんだんと意識を変えていくしかないよってだけだよ。それだけの道理の中で心象を持ち出した君が「お気持ち」なんて言える立場じゃないじゃん。
入場禁止もやむなしの事例が過去たくさんあったからそこに反論するつもりはないけど、言論の自由を持ち出したら巡って「悪口を言っている刺青嫌いの人間に文句を言って辞めさせるように伝えてもいい」ってことになるんじゃないか?結局悪口でも入場禁止でもなんでもいいよってなったとき、必ずどちらかの権利が優先されているんだから、一方の意見で他方を斥けるという点は同じだよね。
それよりどちらの意見がより道義的か考えたほうがこんな水掛け論にならずに済むと思うよ。言論の自由がむちゃくちゃ言っていいというわけでもないし、今の人間に全て認めさせようというもんでもなければタトゥー好きがタトゥーの権利を認めてもらうよう運動することに何の問題もないんだし。
最近、アメリカが日本に脱原発を迫っているらしい。まったく怖い話である。
しかし、ワシは大丈夫。アメリカが相手にしないような小物である。ワシのような者が原発を推進しなければならん。もちろん売名が目的だ。
福島の原子力発電所の事故は深刻だが、むかしから原発推進を言っておったワシはいまさらひっこみがつかない。
原発反対の運動に関わる若者なんて若者じゃないと思っていた。ルーズソックスをはいているようなのが若者。
そういう若者が好きなんだ。酒鬼薔薇聖斗のようなバカもまた良い。酒鬼薔薇だけは口が避けても支持できないがな。
でも事故後にデモに加わっている若者は本当に今時の若者らしい。
まったくムカつく話だ。
なんとか彼らを「若者じゃない」と言うことを考えたが、考えつかない。自己嫌悪に陥ってしまった。
最近知ったが、ひとの思考を読み取れる技術があるらしい。エロいことを考えているのがバレるのはいかん。
http://netgeek.biz/archives/77717
古いニュースなんだけどさ。これ汚いよね?
器物破損とか、本来の広告主がどうこうよりも「言った言わない」の話になりかねないのが一番問題。
これやっていいんなら、「アベ政治を許さない」のシールを貼った人の家に自民党のポスターを勝手に貼って、自民支持者(仲間)扱いにしても良いことにならんか?
言いたいことはこの悪質シールはそれくらい馬鹿げたことであるという事である。
この悪質シールを貼った人はそんなことをされても納得するのかという事である。
恐らく納得する人はどこにもいないだろう。
言論の自由は大事だが法律やマナーを無視して宣伝することの危うさがある。
この手の人は上記のような例え話をしないと通じないのだろうか?と思った。
俺は増田が比較的先進的な言論の場(になることがある)と評価してるけど、その増田ですらMastodonの認識があやふや(もしくは誤認)なのに一般人がMastodonの価値に気が付くのは難しいと思う
そしてMastodonは言論の自由・表現の自由関連の話題は非常に進んているけど、その他の社会問題に関しては増田以下だから、様々な言論に興味ある人もそこまで注目しないんじゃないか
さらに言えば原理上はMastodon個人インスタンスが沢山あれば流行らなくとも良いという部分があって宣伝も積極的じゃないというのがある
その辺の話は既にMastodon界隈で精査されていて「フリースピーチ」「セーフスピーチ」「ブロックスピーチ」の3者が居るから衝突し合うという結論になっている
「フリースピーチ」はまさに言論の自由の原典主義で、どんなスピーチ(主張)も規制されるわけにはいかないという考え
「セーフスピーチ」はTPOに合わせたスピーチを選択すべきという考え
更にはここへ「インプット」「アウトプット」の概念が追加され、例えば「インプットブロックスピーチ・アウトプットフリースピーチ」などという形で「他者にはブロックスピーチを求めて、自分の言論は規制されるべきでない」という感じになる
ちなみに他者へセーフスピーチを求めるという考え方は、結局は他者の主張を統制しようという考えなのでブロックスピーチに分類される
江川紹子さん、永岡弘行さん、滝本太郎さんらは、オウム真理教に殺されそうになった方々。
自分たちを殺そうとした相手なのに、弟子たちの死刑執行には反対された。
なぜか?
これで、オウム事件の死刑囚は6人となった。報道によれば、法務省は今後、順次執行していく、という。しかし、彼らはカルトによる未曾有のテロ事件の生き証人である。その彼らを何ら調査研究に活用する機会を永遠に失ってよいのだろうか。
署名の取り組みにご協力いただきました皆様にお礼申し上げますとともに、12人のオウム死刑囚の死刑執行回避のためにさらなるご協力をお願いいたします。
その上で、しかしオウム事件については、私を殺そうとした人を含め、教祖以外の12人の死刑は執行してはならないと考えます。残る6人だけでも執行しないでほしい、とつくづく考えます。 これ以上「麻原彰晃」の道連れになどさせてたまるか、と。 https://t.co/dQMWouETIl
ある時、弟子に「合気道で一番強い技はなんですか?」と聞かれた塩田は、「それは自分を殺しに来た相手と友達になることさ」と答えたという。
自分を殺しに来た相手であってさえも擁護する人なんているだろうか?
(普通ならあり得ないことだろう)
しかし、彼らは違う。
何らかの確固たる信念がなければ、できない発言だと思う。
「人格者」という言葉がオーバーなら、「胆力がある」とでも言おうか?
あまり語られていないことだが、信者たちは彼らの死刑停止の要請について、どのように受け止めているのか?聞いてみたいところではある。
anond:20180714173148 [AUM] 弁護士が法治国家を否定?
麻原彰晃こと松本智津夫の四女・松本聡香さん(仮名)と代理人の滝本太郎弁護士は、死刑の執行だけでなく、教団の解散まで必要と主張されています。
現在、公安調査庁によってオウムの残党と認定されている団体は3つあります。
聡香さんと滝本弁護士は、教団の解散に向けて、どのようなロードマップを描いているのでしょうか?
最終的なオウム解体に向けて、日米政府および国連、内外の有識者たちによる第三者委員会を設立して、十分に協議し、不要な混乱や遺恨を残さないように努めるべきでしょう。
今はインターネットがあり、世界に向けて誰でも自由に情報発信できる時代です。(中国の金盾のように、「言論の自由」が制限されている国もありますが。)
聡香さんと滝本弁護士は、他の日本人からも合意が得られるようにプレゼンテーションを積極的に行ない、解散に向けた支援の輪を広げるべきでしょう。