はてなキーワード: 落語家とは
負け組は一人で勝手に死ねと、マスコミが普段さんざ言ってることだろ
芸能人も落語家も政治家も一人で死ね一人でシネの大合唱でその通りになっただけ
負け組の定義なんて人それぞれなんだから死ね死ね死ねとお笑い芸人+知事+落語家に繰り返し繰り返し言われれば本当に死ぬやつも出てくるだろ
一方的に話をしてる人がいて、それを聞くのってかなりストレス。
逆をやられてごらんよ。
オチも結論も無い話を、ダラダラと口から垂れ流してそうな奥様ですね。
それで「会話してる」つもりになってるとかもうね。
だよね。常識的に考えて。
楽太郎はあくまで落語家なので、顧客(ファン層)はおっさんが多いし、割とクズエピソードも結構ある業界なので人となりよりも芸事が重視されるような文化だから、
顧客もそれは受け入れているから癇に障る方はそう多くは無かったわけで。(類義語:桂文枝)
対して、渡部さんの活躍となると、ここ10年で王様のブランチ、ヒルナンデス、相場マナブみたいなどいわゆるF層をターゲットにした露出があまりにも目立つようになった上に、
有名人と結婚して仲良し夫婦アピールまでする営業なんかしてたもんだから、そら顧客に対しての裏切りは楽太郎のそれとは全然違うよね、と。(類義語:東出昌大)
まだF層狙いなんかせずに黙々とコントやり続けたり、有吉にイジられ続けてキレるだけの芸人的な活動だったら傷は浅かっただろうに。
特にコントなんかはアンジャッシュっていうジャンルが確立されつつあるくらいの完成度の高いレベルにあった訳だからまあ勿体ない。
割と常連だった笑点もこれで出られなくなるのかな。笑点に出てるアンジャッシュ結構好きだったんだけどな。
ちなみに毛色がちょっと違うけどナイナイ岡村はスキャンダルで、チコちゃんに釣られたF層には激しく嫌われたと思われるが、
騒動の発端となったラジオ自体が岡村の陰キャっぷりに共感して20年も応援し続けた陰キャ男子のたまり場だった上に
誰も、他人の口内から発せられる音を聴きながら食事をしたいなどとは思わない。
日本とか海外とか関係なく、音を立てずに食事することは、「普遍的なマナー」である。したがって、それに従うことが文化的で国際的な振る舞いである。ここで、「普遍的」というのは、単に多くの地域で行われるということではなく、その背景に覆し難い原理が存在するということである。たとえば、基本的人権などの概念は、たとえ守られていない地域の方が多くても、政治の普遍的な原理なのである。麺を音を立ててすする行為は、そういう普遍的なマナーを無視した非常に恥ずかしい行いなのである。
「麺をすするのは日本の文化である」と主張する人がいる。しかし、結論から言って、そのような文化は無い。
この主張をする者の中には、落語家がそばをすする演技で音を立てることを理由に、それが日本の文化だと主張する者が多い。しかし、冷静に考えれば、これが相当な論理の飛躍であると分かるはずだ。たとえば、アニメ「ドラゴンボール」の食事シーンでは、登場人物がムシャムシャと盛大な音を立てたり、食器を叩いたりしながらものを食べるが、それが日本の文化であると主張する者はいない。それは見る者に何を表現しているのか伝えるための単なる「演出」であり、そのような文化が存在するわけではない。
そもそも、文化であれば音を立ててもよいのだろうか。古代の国の多くでは、殉死や族誅といった人権を無視した行為が慣習的に行われてきたわけだが、それは「文化である」という理由で正統化されるだろうか。先にも述べたように、「食事で音を立てない」というのは、人権が認められるのと同様に普遍的なマナーであり、それに従うことが真に文化的な行為である。
「すすることで風味が良くなる」と主張する者もいる。たしかに、食べ物と空気を一緒に口に含めることで、その空気が鼻から抜けるので、食べ物の風味をより感じられる。ソムリエがワインの鑑定をするときに、ワインを口に含みながら空気を吸うのはこのためである。
しかし、この主張は根本的におかしい。「彼が食べ物を最大限美味しく味わえるかどうか」と「マナー」は別問題だからだ。こういう主張をする者は、動きやすいからといって、結婚式や葬式にジャージで参列するのだろうか。そもそも、例に挙がったソムリエも、品評の場以外の公の席で、ジュルジュルと音を立てながらワインを飲むことはない。
「メール来てますんで読みましょう。ラジオネーム『ナイナイだいすきっ子』さんからです。
『~世の中自粛自粛で風俗にも行けず、性欲とストレスが溜まって困っています。そこでラブドールの購入を検討しております。伯山先生、オススメのラブドールなどありましたらご教授いただければ幸いです。~』
って事なんですが、コレ絶対どこにでも読まれない今メールだねコレね。あのーね、コレ一択です。「ラブドールを購入してください」えっとね4月9日から5月11日まで、あの今調べたらオリエント工業がスプリングキャンペーンやってます。ステイホームってことで丁度いいと思うんでね。
あとこのメールはね多分ね、どこに出しても多分読まれないと思うから、今。これが元でいろいろな事が起こってますから。
何かいま、変なギャクリレーみたいなの、Twitterであるじゃんあのクソつまんねーやつ(笑)。俺も落語家の先輩とか何人かいたんだけど。いい人達なんですよ?なんかさ、水面下でそのギャクリレーとか、貴方に廻していい?みたいに言われるけど。俺さ、スゲー野暮だなぁと自分でも思うのは、全部断ってるからねギャクリレーとかそういうの。
「あ、そういうの僕の任じゃないんで」とか(笑)
だから僕が言っときたいのは、このメールは多分読まれないと思うんですけど、一応だからキャグリレーみたいな感じで言うと、まあ読まれそうな「爆笑問題カーボーイ」に送ってもらえないかなと思ってね。太田さんなら今週拾わなかったけど来週は拾うかも知れないんで。これに対して明快な答えとか言ってくれると思うんですよね。
まー俺は元々ナイナイリスナーだからなー。ラジオもなーあのジャネットのコーナーとか面白いもんなー何かこう結局さー俺。このラジオ、そもそも深夜ラジオじゃねぇからさーそんなの全然何か触れなくていいしー岡村さんとかも一回会ったぐらいだからさ。岡村さんが何か今さエラい炎上してるけどさ。何か、まぁ、ねぇ。そこについて俺が言及するのは野暮だなとか思っちゃうんですけど。
この件に限ってですよ、あくまでこの件に限って全くTwitterで同じ意見の人を挙げるとすれば、能町みね子さんでしたね。
岡村隆史ANN実際に聴いてないからあれだけど、風俗行っただのデリヘルがなんだの、自分の体験としてテレビとかラジオでそもそも語ることかね、と個人的には常々思っている一方で、そこまでズカズカ入り込んで大勢で批判しにいくほどのことかね、とも思う— 能町みね子とアマビエは全く関係ないよ (@nmcmnc) April 26, 2020
能町みね子さんのTwitterを僕は聖書って呼んでますから。大体能町みね子さんの言ってる事をみんな言えば間違ってないです。僕は能町っ子なんで。伊達におしゃれメガネを何本も持ってるだけではない、あと相撲が好きっていうのも好きだね。あと「vs志らく」ていうのもいいね。
あと能町さんはね、一回このラジオでなんかちょっとお話をしたらさ能町さんが何かすごいラジオで喜んでくれた、というのが一回だけあるし。自分の何か文章とかで載せてくれたというのがあるから、俺の中で勝手に能町さんには細いパイプラインが一個あるって勝手に思ってるからね。
そう、そうだから、ラブドールは本当購入してった方がいいと思う。わかんないけど。その。みうらじゅんさんとかの本とかで一杯出てるもんね。何かあのそういうのね「嫁入り」みたいな事いうんでしょ?いいラブドール。俺も一回もラブドールしたことないからこれを機に買おうかな俺も。それでは。
クローズドな男性トークのつもりかもしれないけど今どきは若い女性も視聴者に混じってるでしょ(だから問題化したんでしょ)
テレビの企画で嫁探しして素人女性と付き合おうとしてた人物が、もう、それいっちゃうの?
もう諦めてる既婚鬼嫁持ち落語家あたりならいいけどさ、そういう人物のそういう番組ってことでいいの?
ゴチで若くて野心ある女性アイドルをひたすらいじってる芸能人てことでいいの?
自虐風味で面白くないというか自分で自分の結婚できそうというキャラを突き崩していく姿勢こみで、みていて少々痛々しい
コロナに凹む人を元気づける手段がもうそれしかないんか、という
2000年代に「会いに行けるアイドル商法」が確立されて以降の
アイドルとかのオタク(一般用語としてのアニメやゲーム好きの意味ではなく)って
近代以前の芸事を支えていた「旦那」とか「パトロン」の薄い水割りなんだよな
テレビもレコード(※古語:CD以前の音源媒体のことね)もなかった
江戸時代とかの歌舞伎役者とか落語家てのは「会いに行ける」のほうが普通で
この「旦那」とか「パトロン」てのは、ごく少数の金持ちの道楽だったんだよ
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今後コロナウイルス蔓延でいろいろな最新とされるビジネスモデルが崩壊して
(どこの国も国境封鎖で経済グローバリズムはしばらく停止やむなし)
芸能もまた然り、て話なんだろ
これについて、ワイドショー等で多くの人が無責任な批判をしているわけだが、あからさまなポジショントークが多すぎて辟易する。
東京都としては、効果を最大限にするためには複数の施策を同時に打つことによって、短期間で感染者数を減らした方が長期的に見たら経済的にもプラスである、緩い要請をダラダラと長く続けるのが一番悪いのだ、という考え方だと思う。
一方国としては、一気に休業要請まで行くと経済が大きな打撃を受け大変な事になる。様子を見ながら徐々に手を打っていけば良い。目的は医療崩壊を防ぐ事だから医療崩壊しない程度に感染拡大を防げれば良い、という考え方のように思う。
これは、現状では、どちらが正しくてどちらが間違っているかは誰にも分からない。
まあ、結果が出てそれを確認してから、鬼の首を取ったように批判する人がたくさん出てくるのだろうが。
この2つは欧米型と日本型とも言え、どちらが正解かは今のところまだ結論が出ていない。
小池さんの味方をするとすれば、FRBとMITの研究者3人が3月26日に発表したスペイン風邪の米国内での状況を題材にした論文だ。それによると、「より早期に、より踏み込んで当局が市民生活に介入した都市では結果的に経済は悪化せず、むしろ流行終息後には流行前に比べ経済は拡大する」という結論に達したとある。
安部さんの味方をするなら、スペイン風邪が流行した時代と現代では社会状況が大きく変わっており、そのままスペイン風邪への対応を参考には出来ない、と言ったところか。
さらに、より厳しい施策を打ったところで感染をゼロにする事は出来ず、どっちにしろワクチンが出来るまでの長期戦になるのだから経済を締め付ける施策は可能な限り避けた方が良い、となる。
どちらを選択するのが良いのか、タイムマシンでも無い限り正解は分からない。
ワイドショーの司会者というのは、元芸人とか元俳優とか嫁の浮気を弟子のせいにしてキレる落語家とか、中途半端なタレントのたまり場だ。
視聴率と自分のタレント価値を上げることを最優先にしている人達だ。
そして、橋下徹が「小遣い稼ぎのコメンテーター」と馬鹿にしたように、ワイドショーのコメンテーターというのは言いっぱなしで一切の責任を取らない人達だ。
玉川徹は朝日新聞グループの社員として正しく反安部になり、政府の政策は全て否定する。
安倍政権と対立しているならそれは全て善となる。敵の敵は味方的な。
田崎史郎は表向きは政治評論家と名乗っているが、実情は官邸の広報担当者だ。
政府が正しいことをしているのに目立ちたがり屋の小池が邪魔をしている、悪いのは小池なのだ、と政府の政策を全力で擁護する。
在宅勤務になって昼食をとりながらワイドショーを見る人も増えていると思うが、ハッキリ言って時間の無駄。
「ぼやき酒屋」は桂文枝(六代目)が桂三枝だった頃に演じていた創作落語である。
噺の内容を知っている人は多分分かると思うが、内容は明らかに上方落語の一つである「上燗屋」を現代的にリファインしたものになっている。
「上燗屋」は酔客があの手この手の口八丁手八丁でもって只酒只飯にありつこうとするというのが笑いの肝であるのに対し、ぼやき酒屋の方は
お題通り酔客の「ほやき」そのものが笑いの肝である。ぼやく内容に楽屋ネタを織り込んでもいいし時事ネタも大いに使える。演者にとっても
客にとっても言わば「勝手の良い」ネタであると個人的には思っている。
この「ぼやき酒屋」桂文枝(六代目)の創作落語である事は周知の事実であるので、文枝以外の噺家が演じるには、たとえどんな大師匠だろうと
「桂文枝直々に稽古を付けて貰う」つまり伝授してもらう事が絶対条件としてあるらしい。これは上方落語だろうと江戸落語だろうと、どの
団体所属だろうと一切無関係である。「直々に稽古」と言っても内容は至って形式的で、
二、文枝師匠に直接会って頭を下げて「直々に稽古」を付けて貰う事の許しを得る。
三、文枝師匠から快諾を受けて「直々に稽古」キットを授かる(大抵の場合、後日郵送でと思うけど、中身は口演DVDとか文枝の銘が入った公式台本、そして手拭い、みたいな感じだろう。)
以上の儀式を通過した噺家だけが「ぼやき酒屋」の口演を許されている。これは桂文枝(六代目)が生存している限り継続される筈の、現在のプロの落語家全てに課せられているしきたりである。
妄想です。
多くの人はこちらのWikipediaの記事を参照していると思われる。
この記事も踏まえた上で、実際に主だった芸人を「活動開始時期」や「人気が出た過程」で並べ、あらためて世代分けを考えてみたい。
まず画期としては1953年のテレビ放送の開始が挙げられる。この時期に人気があったのは落語家や喜劇俳優であり、またコミックバンドも人気があった。上の表で言えばいとこい・ダイラケあたりが該当する。いわば「第0世代」であろうか。
次にやってくるのが「演芸ブーム」で、1963年開始のテレビ番組『大正テレビ寄席』を中心に数々の演芸番組が放送され、その勢いが1970年ごろまで続いた。一般にこの時期に人気が出た芸人が「第一世代」と呼ばれる。「寄席」をテレビでやるので落語・漫談・漫才・コント・コミックバンドなど幅広い芸人が登場した。てんぷくトリオを筆頭に三人組が多かったので「トリオ・ブーム」とも呼ばれた。1970年代はドリフと萩本欽一のコント番組が人気を二分した。やすきよもこの世代に含まれる。
続いて、1980年に放送された『花王名人劇場 激突!漫才新幹線』『お笑いスター誕生!!』『THE MANZAI』などが立て続けに高視聴率を取り「漫才ブーム」となった。このブーム自体は二年ほどで終息するが、若手漫才師がアイドル的な人気を得て「漫才」のイメージを変えたり、吉本興業が東京に進出したりするきっかけとなった。1981年から1989年まで続いた『オレたちひょうきん族』が『8時だョ!全員集合』の視聴率を超え、出演していたビートたけし・明石家さんま・山田邦子らは一躍スターとなった。たけし・さんまにタモリを加えた「BIG3」を中心に、漫才ブームやひょうきん族から出てきた芸人を「第二世代」とみなすべきだろう。
その次が「第三世代」と呼ばれる芸人たちで、お笑い養成所出身の若手が、小劇場のライブで腕を磨き、夕方番組や深夜番組をきっかけに人気を得て、ゴールデン帯で「バラエティ番組」を持つ、といったキャリアを踏むのが特徴である。とんねるず・ダウンタウン・ウッチャンナンチャンがこの世代の代表格となる。一般に「第三世代」は80年代デビュー組で区切るようだが、個人的には似たようなキャリアから早めにブレイクしたナイナイやロンブーあたりも含めるべきではないかと思う。
次に来るのが「ボキャブラ世代」である。1992年から1999年まで続いた『タモリのボキャブラ天国』は、当初は視聴者投稿型の番組だったが、徐々に芸人のネタ見せ番組に移行。この番組を登竜門に「キャブラー」と呼ばれる芸人が続々と登場した。吉本興業が首を突っ込みそこねたらしく非・吉本芸人が多い。またボキャブラ終了とともに一時的に低迷した芸人が、2000年代に復活するあたりも共通している。先述したとおり、ナイナイ・ロンブーなどを第三世代に含めるとすれば、この「第四世代」は爆笑問題・くりぃむしちゅー・ネプチューンあたりが代表格となる。
2000年代に入って「M-1グランプリ」が始まったことで「お笑いブーム」が醸成された。また同時期に『爆笑オンエアバトル』『エンタの神様』『笑いの金メダル』『爆笑レッドカーペット』などのネタ見せ番組がスタートしてお笑い人気に拍車をかけた。賞レースを目指してストイックに芸を磨く若手芸人と、多数のネタ見せ番組により短期的な人気を得た「一発屋」が混在し、芸人のレベルは底上げされたものの、数としては飽和した感がある。2010年にM-1グランプリが終了するとブームも終息し、多数の「ひな壇芸人」を出演させてトーク中心に作られる低予算の番組が増加した。(2010年までの)M-1でブレイクした芸人と「ネタ見せ番組」によって登場した芸人が「第五世代」といえるだろう。
2010年代になると、第二世代・第三世代がフェードアウトし、第四世代と第五世代がバラエティの「司会」の座を奪い合う群雄割拠の時代に入った。第五世代は図抜けた存在はいないものの層が厚いので、2000年代デビュー組の多くがつかえて中堅に留まっているように思える。そんな中で、霜降り明星および彼らが「第七世代」と称する2010年代デビュー組が既に台頭してきている。この場合は2000年代デビュー組が「第六世代」とされるわけだが、2000年代デビュー組は遅咲きになりそうなので、おそらく2000年代デビュー組と2010年代デビュー組をあわせて「第六世代」と呼ぶようになるのではないか。2020年現在、芸人の主戦場はYouTubeになりつつある。後世から振り返れば「第六世代」は「YouTube世代」と括られるのかもしれない。
最近、教え子に薄っぺらい人生だなって言われて狼狽えている増田を読んだ。
僕も時々「自分の人生はなんて薄っぺらいんだ」と自己嫌悪になることがあって考えこんだ。
まず、薄っぺらい人を探そうとした。
喫茶店で新聞を読みながらモーニングを食べる冴えないオッサン? 奥さんに家を追い出されて来たのかもしれない、ひとり身なのかもしれない。それなりに修羅場を潜り抜けてきたのかもしれない。窓際かもしれない。人生の意味について悩んでいるかもしれない、いないかもしれない。
コンビニですれ違ったヤンキー? 僕の知らない苦労があるだろうし、喜びもあるだろう。クルマも服もセンスは違うけど、きっと違う世界で同じ時間を生きてるんだよ。
引きこもりの人? 実家暮らしの苦労は絶えないだろう。未来に不安も感じるだろう。時間の流れも感じるだろう。引きこもり者の配信を見たら実母とバトルが始まってみている僕の心拍数が上がった。いったいどこが薄っぺらいと言えるか。
次に、薄っぺらくない人を探そうとした。
インドに行ってバックパッカーになればいいのか、アニメを見てひとりでキャンプを始めればいいのか、脳梗塞で半身不随になればいいのか、若年性アルツハイマーの親を抱えて介護で絶望すればいいのか、沢山お金を稼いだらいいのか、ツイッターで100億円配ればいいのか、映画スターに、漫才師に、落語家に、パイロットになればいいのか。
どうやら、どれも当てはまりそうにない。
正月に漫才とか落語家が順番にネタを披露する寄席番組をやってて、
その中で林家三平→神田松之丞がリレーで落語と講談を披露するっていう企画があったんだけど、
最初に出てきた林家三平の落語がすげーカミカミな上に構成もなんか微妙な感じで「え、これ大丈夫なの?」って思ってたら
その後出てきた松之丞が「今の三平師匠の落語が令和最高峰の芸でこざいます」とか「日本語わからないインド人が前列占領してたことあるからそのときに比べれば三平師匠の後くらいまし」とか
ボロクソいじりまくってて、ここまで言って大丈夫なのかとかちょっと思いつつも客もさっきの芸が酷かったのは薄々みんな思ってたからこれがまあウケるウケる。
勿論掴みトークのウケだけじゃなくて肝心の講談のクオリティも三平と比べると圧巻で、
その他はナイツとかカミナリみたいな超倍率の賞レース勝ち抜いて地位を築いた実力派漫才師が出てたんだけど、これもすげーウケまくってたからこそ落語の完成度の低さが際立った。
やっぱ実力関係なく世襲で真打ちになれて競争も少なくおじいちゃん客だけの閉じた世界だけで成立しちゃうとコンテンツって腐るんだろうねぇ。