2020-05-23

麺を音を立ててすする行為は、下品なのでやめるべきである

誰も、他人の口内から発せられる音を聴きながら食事をしたいなどとは思わない。

日本とか海外とか関係なく、音を立てずに食事することは、「普遍的マナーである。したがって、それに従うことが文化的国際的な振る舞いである。ここで、「普遍的」というのは、単に多くの地域で行われるということではなく、その背景に覆し難い原理存在するということである。たとえば、基本的人権などの概念は、たとえ守られていない地域の方が多くても、政治普遍的原理なのである。麺を音を立ててすする行為は、そういう普遍的マナー無視した非常に恥ずかしい行いなのである

麺をすするのは日本文化なのか

「麺をすするのは日本文化である」と主張する人がいる。しかし、結論から言って、そのような文化は無い。

この主張をする者の中には、落語家そばをすする演技で音を立てることを理由に、それが日本文化だと主張する者が多い。しかし、冷静に考えれば、これが相当な論理の飛躍であると分かるはずだ。たとえば、アニメドラゴンボール」の食事シーンでは、登場人物ムシャムシャと盛大な音を立てたり、食器を叩いたりしながらものを食べるが、それが日本文化であると主張する者はいない。それは見る者に何を表現しているのか伝えるための単なる「演出」であり、そのような文化存在するわけではない。

そもそも文化であれば音を立ててもよいのだろうか。古代の国の多くでは、殉死や族誅といった人権無視した行為が慣習的に行われてきたわけだが、それは「文化である」という理由正統化されるだろうか。先にも述べたように、「食事で音を立てない」というのは、人権が認められるのと同様に普遍的マナーであり、それに従うことが真に文化的行為である

すすることで風味がよくなるという意見について

「すすることで風味が良くなる」と主張する者もいる。たしかに、食べ物空気を一緒に口に含めることで、その空気が鼻から抜けるので、食べ物の風味をより感じられる。ソムリエワインの鑑定をするときに、ワインを口に含みながら空気を吸うのはこのためである

しかし、この主張は根本的におかしい。「彼が食べ物を最大限美味しく味わえるかどうか」と「マナー」は別問題からだ。こういう主張をする者は、動きやすいからといって、結婚式葬式ジャージで参列するのだろうか。そもそも、例に挙がったソムリエも、品評の場以外の公の席で、ジュルジュルと音を立てながらワインを飲むことはない。

麺をすすると美味しいというのは、その人の勝手な都合であって、公衆マナーとは別問題であるテイスティングは家でやれ。

記事への反応(ブックマークコメント)

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん