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2023-11-10

学生時代の友人や義務教育時代習い事の友人、バイト先やサークル新卒で入った会社の同期

毎週みんな私を遊びに誘ってくれてありがたい

私も誘わなきゃ!と思うんだけど行きたい所やりたいことが特にいから誘う口実が作れずあまり誘えないでいる……

それでもずっと定期的に誘って遊んで新しい友人まで紹介してくれるの本当に有難い

友人には本当に恵まれ

2023-11-03

愛される価値がないと思っちゃうのはなんで?

兄弟で扱いに差があったので、自分は親に愛される価値がないって思ってしまった。

今なら、親子でも相性はあるとか

父も母も長男教の家の2番目と5番目だったから、長子に良い感情を持っていなかったり

今思うと私は空気を読めず難しい子供だったろうな、とか

私に非があるわけではなく単純にあまり好かれていなかったんだろうな、というのはわかる。

でも子供の頃は両親が全てだったので、なぜ褒められないのか

まり手をつないでくれないのか、弟妹のように甘えることが許されないのか

私だけお手伝いをして、私だけ習い事もさせてもらえず

なんで?私が母に愛されるにはどうしたらいいのか?を毎日考えていたし、できるだけ良い子で過ごそうと常に気を張っていた。

結局愛されない理由なんてわからいから、そうか、愛される価値がないんだ…と諦めのような気持ちになってしまった。

幼稚園くらいか小中学生くらいの頃。

頑張っても愛されない理由がそれしか思いつかなかった。

今では、他人自分価値を求めるなんて疲弊するだけだってわかっているし

自分自分を大切にするのが大事なんだと頭では理解しているのに

小さい頃の諦めた暗い気持ち自分人格根底にあって、それを塗り替えるのにとてもとても時間がかかっている。

毒親という程ではないから今でも時々は帰省して、その度に思い出してリセットされてしまう。

こういう風に思い出して考えを反芻する癖もよくない。

とりあえずゆっくり風呂入ってこようかな。

2023-10-31

anond:20231029203433

小学校時代宿題をよくサボったりしたけど、テストはどの科目も大体100点もしくは90点台だった

塾は公文に週一いかされてた。算数だけ。先生が厳しくて泣きながらやってた

おかげで小6で二次方程式因数分解まで解いてた

進研ゼミもやったけど1,2回送って飽きたりを繰り返してた

小学校の成績表(あゆみだっけ)はAが基本でBだと親に詰められた。Cは見たことない。

ちなみに武道習い事のおかげ友達はそこそこいて満足してた

夏休みの宿題ギリギリでまでやらず、なんとかごまかしてた

英語特に嫌いだった。覚える気がなかった。でも英語以外は何もしなくていいくらいだったからやれた

中学卒業まで勉強なんてラクだと思ってた。受験勉強はそんなにしなかった

高校はそこそこいいところにいけた

一転、高校時代に遊びすぎたので大学は低~中のとこだった

サボり癖がついていた

宿題は直接的に学力に結び付く一番の時間有効活用かどうか、は判断できないけど、

ノルマに対する耐性はつく、と振り返って思う

常々なにかを積み上げるいう習慣は大事だな、と拙いプログラミングをしながら思う

2023-10-30

クチャラー滅ぶべし

俺は差別する。食事の際に口を開けて咀嚼音を撒き散らす者たち、すなわちクチャラー差別する。なぜ彼らは下卑た音を周囲に垂れ流して平気なのか。周りの迷惑など考えないのか。貴様らに生活を共にする人、傍に愛する人がいたとして、食事のたびに気に障るあの音を聞かせているのか。正気の沙汰とは思えない。端的に言って世界から消えて欲しい。彼らはただちに淘汰されるべき存在だと考えている。

病であったり障害であったりする可能性もあるだろう。だがクチャラーの大多数はおそらく癖によるものなのではないだろうか。親の躾や舌の筋肉が弱いなどというのは甘え。言い訳にすぎない。即刻改めろ。入試就活や、もっと言うと部活習い事に近しいレベル努力しろ。お前は生きているだけで世界マイナスを生み出している。それを自覚してくれ。

クチャラー保護されている。その汚らしい様を指摘されることは本人にとって寝耳に水&馬耳東風であるからだ。え?なにが?普通に食べてるだけど?てか余計なお世話じゃね?と、話にならずトラブルになることは目に見えているため、周囲はいさら指摘しない。「クチャラー 指摘」で検索してみたところで解決策は見当たらず、世界には同様の悩みが広がっていることを知るだけだ。

食べ方なんてその人の自由じゃない?マナー違反してるわけじゃないし、イヤだったら聞かなきゃいいじゃんだと?うるせえ黙って口を閉じてものを食え。お前らが存在することで不快さが空間支配して貴様らの近くにいることが苦痛になるんだよ。幸せなぜいたく松屋ディナーが台無しだ。貴様らの唾棄すべき咀嚼音はノイズキャンセリングを通過してきやがる。貴様存在自体をキャンセリングしてやろうか。

と、愚痴を言っても決して世界は良くならない。

どうかこれを読んでいるあなた自身クチャラーではないか、と疑って欲しい。

まさか、と思わず家族大事な人にとって不快な思いをさせていないか、考えてみてほしい。

そしてもし自身クチャラーであったなら。

ます自決しろとは言わない。どうか口を閉じてものを食べる努力をしてくれ。ついでに以下のことに自分があてはまっていないか、改めて検証してみてくれ。

パスタを食べるときに啜る音を立てていないか

ワキガ口臭はないか

映画館で音が出る食べ物を食べていないか、上映中に包み紙やビニール袋をカサコソさせていないか

ジョギング=偉いと勘違いして歩道を我が物顔で歩行者を避けさせて走っていないか

自転車で右側を走っていないか。ましてや子どもを乗せて逆走していないか

これらに当てはまる行為を行なっているのだとしたら、俺は貴方差別する。俺を不快にさせる存在として遠ざけ、忌避する。世界を快適にするために努力しない不届者と判ずるしかないのだ。

この思想は、全体最適というファシズムに繋がる危険ものだとは気づいている。大小を問わず一方的嫌悪権利侵害からやがては衝突や戦争弾圧虐殺は生まれ育っていくのだと。このクチャラーへの憎しみは、逆説的に世界を悪い方向へ向かわせると気づいている。

からこそ、クチャラーをこの世から消すためにみんなで努力してはもらえないだろうか。

俺にクチャラーへの憎しみを抱かせないためには、この世からクチャラーを消すしかないんだ。今すぐ指摘し、自覚し、矯正してほしい。

クチャラーがいない世界想像し、そして自らをその平和世界の一員だと想像してほしい。すると世界から争いの種が一つ消えるはずだ。

クチャラー滅ぶべし。世界はきっと良くなる。やがてクチャラーは消え、クチャラーあなたの一部になっている。

anond:20231029203433

教師やりがい搾取無給労働させてたから成り立っていたもの是正しようとしたら当然そうなる

んでその分家でやれ、となると専業主婦やりがい搾取無給労働させないとできない

でなきゃ数万単位の金出して塾機能がある学童に頼むしかない

夏休み自由研究とか読書感想文も「宿題」じゃない学校増えてる

となると、当然教育熱心な親を持つ子しかやらない

中受狙う子が大半という学校だと大半の子がやるけどそうではない所だと誰もやらん、みたいな感じ

格差はどんどん広がっていくと思う

部活廃止しろなんて言われてるけど、その代わりとしてのスポ少は親の負担が高いし習い事としてのスポーツ教室は金がかかる

どちらも出来ない家庭の子は何もやらないし何もできなくなるだろうな

2023-10-28

離れてくれればいいのに

一人っ子男の子のお母さんがめんどくさい。


一人っ子男の子」とかわざわざ書くあたり完全に偏見が入ってるのは自覚している。


仮にその一人っ子男の子をA君とする。


そのA君は息子とクラスは違うものの学年が一緒。

小学校入学してそれほど経っていない頃

ある日、息子が帰宅後「A君と遊んでくる」と遊びに出て行った。


今住んでいる地域には最近引っ越してきて顔見知りが居ない中

早速近所にお友達ができて良かったなー。なんて思ったのもつかの間。


翌日、息子が通う小学校から電話が来た。


どうやら昨日、息子がA君の服を汚してしまった。とのこと。


その日は雨上がりだった。

公園遊具や地面が濡れて息子も服や靴を汚して帰ってきた。


今でも仲良くしている園児の時から友達公園などに行くと

割と服を汚してくるし、お友達のお母さんとも汚れちゃうよね~なんて話してたので気にならなかったが

汚れを気にしちゃうご家庭もあるよね。


ということで謝罪をし、必要ならクリーニング等の対応をする旨を伝えました。

クリーニング等の話は辞退された)


それから学校からの連絡が増えた。

決まってA君と遊んだ翌日。


息子と遊んでA君がケガをしたようだ(鬼ごっこ最中にA君転倒)

息子がA君を置いていこうとしたようだ(走って移動中、A君がなかなか追いつけなかった模様)


()内は学校と息子の言い分。

息子が自分の都合のいいように言っている可能性もあるため

盲目的に信じているわけではないが、それにしても学校を経由したA君お母さんからクレームが多すぎる。

学校外の事なのに対応くださっている先生方には頭が上がらない。


私自身もクレームのたびA君お母さんに謝罪している。

先日行事で顔を合わせた際にも改めて謝ったが「あ~ハイハイ」と塩対応


なぜA君のお母さんはA君が息子と遊ぶことを止めないのか。

正直勘弁してほしい。


うご迷惑ばかりかけてしまうのでもうA君は息子と遊ばないでいいです。

A君にもそう伝えてください。こちらもそう伝えます


という旨の文言を何度も言おうと思ったが

それはそれで伝家の宝刀"学校経由でクレーム"を言ってきそうで

どうしたものかと思い悩んでいる。


なんでA君はそんなに息子と遊びたがるのか。


息子は学年を超えて名前も知らない子と一緒に遊んでいることが多い。

学年が近い子供が多く集まるこの地域で、学年を超えてその場限りの遊びがはじまるのは決して珍しくない。


ただA君が息子以外の子供と遊んでいる光景を見たことがない。


きっと元々住んでいた近所の方は上手くA君とA君のママから逃げられたのだろう。


1学期も終盤なると息子が習い事を始め、A君と遊ぶ頻度はガクっと減った。

夏休み中も息子は学童に通っていたため物理的にもA君と離れ、しばらくは平和な日々が続いた。


しかし2学期。A君は下校後ではなく下校中に息子へ絡んでくるようになった。


最近来た学校経由のA君お母さんのクレーム


息子がA君に寄り道をさせた。


上手く説明できないが、A君の家はウチの近所だが下校途中から使用する道が異なる。


A君がA君宅へ直帰できる道と

息子が自宅へ直帰できる道と途中で分かれる構造になっている。

もちろん息子が直帰できる道でA君の家へ行こうとすると遠回りになってしまう。


この件について

「なんかA君が勝手に着いてきた」とは息子の弁。


通っている小学校では1年生の間ゆる~い集団下校が決まりとなっているのでどうもこうもできない。

早く2年生になって個別下校になるのを待ちわびるばかりだ。

2023-10-26

ちゃん支援を受けてる人が羨ましくて辛い

Xのフォロイーに自立支援を受けていると公言してる人がいる。何の病気を持たれているのかはわからないけど、自分意思で新しい環境に挑戦しようとするのは並大抵のことではなく、本当に凄いことだと思うので尊敬している。

その一方で、その人のことが憎いほど羨ましくも思っている。私も子供の頃からADHDとかASDの傾向があったけど、親が「まともに育って欲しい」の考えが強すぎて人よりかなりポンコツで鬱らしい症状も希死念慮リスカ痕もストレス胃腸と気管が定期的にやられてるのもあるのに、一度もメンクリに行くのを許されなかったし発達障害とかの検査もさせてもらえなかったので。

今でも何かにつけて「なんで明らかに周りの子よりできないことが多かったのに療育相談とか行ってくれなかったんだろう」「なんで人間関係が辛くてリスカしてるって言った時カウンセリング行こうよとか言ってくれなかったんだろう」って思ってしまってとにかく辛い。

しかポンコツなのに習い事とか部活とか仕事とか人並みのものやらせたがるから、頑張っても上手くいかないで余計に病んでの負のループだったし。

大人になった今から考えれば、いくら親がカウンセリング受けるのにいい顔しなくたって勝手保健室先生かに相談すればよかったのにって思うけどビビりすぎて勇気なかったしそういうの親に相談して呆れられたり怒られたらおしまいって考えがなぜかあったかダメだったんだろうな。

絶対虐待とかする親じゃないし、もっとちゃんと親と話し合ったりすればよかったのかもしれないのは私が一番わかっているので、なんで親のせいにしてるんだよ…とはいつも思ってる。なのに生きてて辛い時があると真っ先に「なんで私は」が出てきてしまう。

それこそ今は大人になったのでもう勝手精神科行って薬もらうなり診断受けて支援受けて私でもちゃんとできそうな仕事に就くなりすればいいのに、できないでいる。今更ちゃんとした支援受けて優しくされたら、じゃあ私が苦しみながら頑張ってきた二十数年間はなんだったの?って言っちゃいそうなので。そもそも私くらいじゃ支援なんて受けられないかもしれないし。

今まではそれでも「支援受けてる人はそれはそれで私より大変なんだろうな。私はまともな職について趣味に使えるお金もあるし、正直辛いけど多分支援受けてる人の生活の方が大変なんだろうな」と思うことで頑張れてきたけど、フォロイーが私が仕事で行けないイベントに元気に行って私がお金なくて買えないグッズたくさん買ってるのを見て死ぬほどしんどくなってきてこれは流石にもうダメかも!と思って近所のメンクリ探し始めた。でもやっぱり今更…の気持ちがあって予約すらいけないでいる。先生も怖いし。

どうしたらいいんだろう。日々苦しまずに突然死にた〜いの気持ちだけある。まあとりあえずメンクリ行くしかないんだろうな。先生に鼻で笑われるだけかもしれないけど。

他人家族含む)と社会人生の進行を邪魔する敵

他人が嫌すぎる気持ち本当にわかる わかりすぎて引く

学校クラスメイトとか部活習い事とか、会社飲み会意味わかんない なんで嫌すぎる授業や業務を耐えて解放されたのに引き続き顔合わせたくない他人と一緒に居続けるイベントがあるんだろ。

そりゃ会社でも学校でもトラブルや波風なんか立てたくないか挨拶ちょっとした雑談質問ができる程度の社会性が求められるのはわかるのよ でもそんだけ

勉強仕事付属物でしかない人間関係で心が蝕まれるの本当に人生無駄

他人家族含む)と社会人生の進行を邪魔する敵だと思って諦めてる。マリオステージドッスンが上から落ちてくるとか、ノコノコが進路妨害してくるとか、あらかじめこっちを邪魔したり傷つけるためにプログラミングされてる。敵なんだから嫌なことしてくるのは当たり前って受け入れて、運よく今日は変な人や不快な場面に遭遇しなかったらその日はラッキーデー。

できるだけ敵に関わらないよう仕事生活を工夫してやり過ごすしかない。

anond:20231025110856

私もほぼ同じ境遇だな。

スマートフォン高校の後半になってやっと持てるようになったし、ゲーム漫画も一切無い環境で育ってきた。

私の場合首都圏の難関中学だったから、入ってから勉強しろとは言われない代わりに周りでも塾以外の習い事してる子は少数派で、なんとなく流されてるうちに6年終わっちゃったから歌もダンスも大好きだったのにろくにレッスン受けられてないよ。

大学に入って整形して、この前の日プのオーディション年齢制限なかったからとりあえず出してみたけど落ちたし、いっそ地下でもいいと思って片っ端から地下アイドルオーディション受けたけどそれも引っかからなくて、もはや顔出さなくてもいいやと思ってVTuberオーディション受けていい所まで行ったけどそれも結局受からなかった。

あなたも私も中高6年間何もしてなかったわけじゃなくて、なんとなくでも普通の人よりは勉強してたか普通よりいい大学にスルッと入れちゃってるわけだけど、それが歌やダンスだったらと思うと本当にやるせない気持ちになるよね。

自分が書いたのかと思う文章があったからびっくりして思わずコメントしちゃった。

幸い今はインターネット勝手自分の歌とか踊りを発信できる時代から、どうにか折り合いをつけられるように頑張ろうね。

2023-10-25

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

中学受験をしてない人生経験してみたかった

docomo配信サービス配信されている、とあるアイドルオーディションサバイバル番組にどハマりしてずっと見ている。過去シリーズまで追って、そこからデビューしたアイドルを推すほどハマっている。

そんな番組出会ってしまたことをきっかけに、自分人生について、過去に無いくらい考えて悔やんで分析して、を繰り返している。

両親のことは大好きだ。

奨学金なんて必要いくらいの収入があった父親専業主婦毎日「おかえり」と言ってくれる母親、3食おいしいご飯、たまの家族旅行、何一つ不自由なく育ててもらった。

中学入って以降は、私のやりたいことが私の成長に繋がるのならばと、できる限りを尽くしてやらせてもらった。

ガチャかい言葉だって必要ないほど恵まれ環境で育った。


でも、自分のことはびっくりするほど好きじゃない。

顔とかスタイルとか容姿ではなくて、人としての中身の問題だ。

根暗で、卑屈で、俯瞰してて、ひねくれていて、粘着質で、冷めていて、僻みがちな中身の問題だ。

絶対に生まれた時からこんなんだったわけじゃない。

少なくともまだ年齢の数字が1桁だったときは、明るくてよくしゃべる、放課後毎日遊びに行くような友達の多い子だったと思う。

それなのに変わってしまったのは自分の中で明確なターニングポイントがあって、それが「中学受験」だったと思っている。

身バレしたらしたで仕方ない。

ずっと抱えてきた贅沢な息苦しさを誰かに聞いてほしい。

から話す私の生い立ちがとんでもなく恵まれていることなんてわかってる。今から話す全てがとんでもなく甘いことなんてわかってる。無いものねだりの高望だってことだってわかってる。だから、この長くてまとまりのない文章をもし読んでくれるのであれば、この親不孝ものが、甘ったれが、クズが、って、思う存分バカにして反面教師にして笑ってほしい。


物心ついたときから、歌ったり踊ったり楽器演奏したりするのが大好きだった。

私の通っていた郊外幼稚園にはたしか必須クラブ活動があって、年少さんのときは親の意向で「お作法クラブ」に入れられた。お着物を着てお茶の飲み方を教わったり毛筆書道を並んで書いたり、素敵なことなんだけれど、3歳の私は幼いながらにかなり堅苦しさを感じていた。

クラスで一番仲の良かったおともだちがバレエクラブに入っているのがとても羨ましかった。ことあるごとに私もバレエクラブがいい、来年は変えて!と主張し続け、年中になった時には晴れてバレエクラブに入れてもらえたが、年長に上がった段階ではなぜかもとのお作法クラブに戻されていた。

幼稚園の3年間はクラブ活動とは別で習い事をしていた。英会話教室と、今は無きn田チャイルドアカデミー(n=7)だ。英会話教室は5歳になっても何のために何をやっているのかわからなかったのと、言葉先生に通じないのとでかなりストレスを感じていたと思う。

n田は、英会話教室なんかよりもはるかに何のために何をやっているのかわからなかったのと、毎日課される難解な宿題プリントと、自分習い事をどういうふうにおともだちに説明すれば伝わるのかがわからなさすぎて、何が何だかよくわからないまま終えた。

ピアノバレエを習っているおともだちがそれはそれは羨ましかった。


小学校に上がるタイミング関東の割と都会な地域引っ越した。その地域から無理なく通える範囲に高偏差値私立中高一貫校が2つもあり(以下A中学•B中学、A中学のほうがレベルが高い)、どうやら親はその学区の良さに惹かれてその地域に引っ越すことを決めたようだった。

n田の難解な宿題プリントはなぜか小学生に上がってからも続いた。学校宿題とは別で、毎日ノルマを課されていた。新しい学校で持ち前の明るさを発揮し、近所に友達もたくさんできて、遊びたい盛りだった低学年の私には、異常に難しい問題を怒られながら泣きながらこなすのは相当な苦行だった。

小学2年生になってからは、年に2,3回、大手中学受験塾のオープンテストを受けるようになった。気づいたら申し込まれていて、気づいたら受験票があって、気づいたら当日その塾に連れて行かれて謎のテストを解いている、そんな状態だった。n田の毎日プリントのおかげか、成績は相当良かった。

あなたはこれからA中学を目指すのよ、みんなと同じ隣の中学校にはいけないの。地元中学校に行くのはちょっとばかなのよ。と言われる(刷り込まれる)ようになる。

地域お祭りに行った時にステージで見た、小学生ダンスチームの発表がとてもかっこよく見えて、釘付けになった。家に帰ってから親にそのことを話し、「私もダンスやってみたい、習い事したい」とお願いをしたら、「5年生くらいになったらいいよ」と言われ、私はその言葉を信じて3年待ってみることにした。

風呂オリジナルの歌を歌ってみたり、適当な踊りを作ってみたり、自分カリスマアイドルとしてデビューするような妄想をしていたのもこの時期だったと思う。

小学3年生になってもオープンテストは言われるがままに受け続け、2月には「新4年生」としてついに入塾していた。ちょうどこの頃、近くの高校中高一貫ではない、以下C高校)の合唱部が私の小学校演奏会をしに来てくれて、その演奏の素晴らしさに感動し、ほのかにC高校に行きたい!という思いが芽生えた。


4年生になり、中学受験がはじまった。目標はA中学県内屈指の進学校を目指して塾通いが始まった。事前の数年間のオープンテストの結果、クラスは一番上になり、受験が終わるまでクラスが落ちることは一回も無かった。

自体はとても楽しかった。10数年経った今でも連絡を取り合うような大事な仲間もできたし、なにより当時は小学生にして他校に友達がいるという事実が誇らしかった。


常になにがなんだかわからないままテストを受け続けてついに始まった中学受験生活だったが、私の意識は常に「親に怒られるから仕方なく勉強している」だった。

今までは存在しなかった授業ごとの予習•復習の行程、難しい問題で躓き、とくに算数強敵だった。ほんとうに難しかった。

からなくて、理解できなくて、私の勉強のあまりの進度の遅さに怒られ、毎日のように殴られ、教科書を破られ、ノートを破られ、こっそり楽しんでいたニンテンドーDSliteは見つかって真っ二つに折られ、悔しさと意味のわからなさに泣き叫び、近所から苦情が入り、さらに怒られ、テストの点が悪いとため息をつかれ、そんな日々が3年間続いた。

受験直前にはもう燃え尽きていて、自習と嘘をついてショッピングモールに出かけたりもしていた。当然バレて、さらに怒られた。口も悪くなったし、このあたりから私も何かあるとすぐキレてしまうような難しい性格になった。


学校環境も少し問題だった。

小学4年生ともなるとだんだん人間味を帯びてくる。ヒソヒソ話や悪口友達グループ化が激化する。塾に行くようになってからは遊びに行くことも減り、放課後も付き合いがあるような友達も減った。

塾に行くようになったことで、授業中の発言普段言動に対して「いい子ぶってんじゃねーよ」「頭いいからって偉そうにしないでくれる?」と言われるようになった。

自分問題があるんだと思い、明るかったのが嘘のようにあまりさな子どもになった。実際何かしら偉そうに聞こえるような言動はあったんだと思う。

5,6年生のときクラス3分の1が中学受験をしている子たちだった。

学年の受験生がほぼ固められているにもかかわらず、次の担任中学受験に対する理解がまるで無かったので、日記帳を1日見開き1ページ書くという宿題毎日出た。

大体の日はそれにプラスしてワークなどがあった。当然、学校宿題の量と塾の与復習の両立に苦戦した。家ではそれが原因でさらに怒られた。

周りの受験生も学校宿題が大変と愚痴をこぼしていたので、私だけじゃないと知って安心した。

クラスで私を仲間はずれにした女子のことを陰で女王様揶揄っていたら、誰かにそれを担任にチクられ、授業をひとつ潰してまで説教された。

泣いて謝り許しを乞うまで説教は終わらなかった。世の中には私の味方なんていないんだと思った。

そういえば、2年生だったあのときから待ちに待っていた5年生になったので、めちゃくちゃダメ元で親に「ダンス、習わせてくれるんだよね…?」と聞いたら、何わけわかんないこと言ってんの勉強に集中しなさいと一蹴された。

中学受験中にダンスなんてやってる場合じゃないのはわかってはいたけど、それはそれでつらかった。

頭打ちの成績、勉強に対するやる気の無さ、新しいクラスでできた友達とも遊びたい、そんないろいろな要因が重なって、家庭内でも勉強をしたがらない私に対する怒鳴り声は常に飛んでいた。

怒られない日の方が珍しかった。

自分の気力、体力、学力には到底合わない高いレベルの内容には正直ついていけていなかった。

当然勉強は嫌いになった。少し理解できない問題が続くとなんでそんなにできないのと怒られ顔を引っ叩かれ毎日泣いて、ある日勇気を出して「受験をやめたい」と言ってみた。

親にはA中学B中学に行くとこんなにいいことがあるんだよお前の将来の選択肢が広がっていい大学にもいけるしいいところに就職できるんだよ、それはみんなは高校受験競争率が高い中やることだから中学のうちにやっておいた方がいいんだぞ、それでもお前は受験をやめるのかと言われたが、私はある日にはC高校に行きたいと自分意思で思ったんだから高校受験でそこを目指したいんだと強い意志を持って受験をやめる選択をした。

地元中学に行く奴はバカと言われて育って来たので少しプライドが許せなさそうだったが、それよりもこの受験生活が、「私のため」の名のもとに暴言暴力の飛び交うこの異常な家庭が嫌だったので、受験をやめる決断をできたことにほっとしていた。

後日優しい口調の親に丸めまれ、なぜか受験は続行することとなった。正直どうしてこうなったのか何も覚えていない。

結局中学受験は完遂し、A中学は落ち、B中学そもそも受験せず、家からは少し遠い第3志望のD中学入学することになった。

B中学よりはレベルの高い進学校だったので、A中学に落ちたことによってプライドが傷つくこともそこまでなかった。

中学に上がり、かねてより部活というものに、特に運動部に憧れがあったので、そのまま運動系部活に入った。

チアリーディング部はあったが、正直ヒップホップ系ダンスがやりたかったのと、小学生の時にあてられた記憶女子集団が完全に苦手になってしまったので、チアリーディング部には入らなかった。

これが「初めて自分で何かを選択できた瞬間」だった。

毎日練習が楽しくてヘトヘトになって帰ると、勉強する体力とやる気なんて残っていなかった。

最初地頭で乗り切っていた定期試験だんだん順位が落ちていき、高校に上がってから留年スレスレ彷徨うこととなった。

中学受験で完全に捻くれた性格が災いし、人間関係の構築は部活以外では皆無であった。

内向的になりかけていた自分性格さら内向的になり、何重にも殻に閉じこもるようになった。

順調に過ごす周りの同級生を見て、どうしてこの子達は同じ壮絶な受験経験しているはずなのにこんなに真っ直ぐで明るいのだろうと疑問に思っていた。

中高一貫校性質上、入学早々にやらかすとそこから卒業までは取り返しがつかなかったので、本当に部活の仲間以外の友達はいないに等しかった。

進学校勉強についていけないことと友達のいないストレスが相まって、学校の授業は休んだり遅刻したりすることが多かった。それでも部活時間には必ず練習場に行って、毎日練習には参加した。その甲斐あって、部活の方は最終的には目標だった県の上位層に食い込むことができた。

家庭では大学受験を見据えろとか勉強しろとかは一切言われなくなった。

流石に留年が危ぶまれた時は進級できるくらいにはなってくれとは言われたが、それくらいだった。希望ではないもの進学校に入れることができた満足と、あと妹の中学受験が始まっていたのも一因だったと思う。

結果的に妹は黙々と学習を重ね国内トップレベル中学入学したし、私は大学受験勉強を相当サボりつつも、運良く上位校と呼ばれるような私立大学のよくわからない学部に現役で合格した。

私の中学受験生活が酷すぎたぶん、妹には重い重い期待がかかっていてプレッシャーだったと思う。妹は妹で家庭でもあまり感情を出さずおとなしくして親の言うことを素直に聞いているように見えた。

姉のふり見て我がふり直せ、だったんだろう。

申し訳ないことをしたと思っているし、やはり我が家中学受験なんて向いてない家庭だと思っている。


半年に一回くらい、ボイストレーニング無料体験に申し込んで、無料体験レッスンだけ受講したことが何回かあった。ボーカリストオーディションとか受けてみたいなと思い調べることもあったが、一回も応募したことはなかった。



そして今、私は大学生をしている。

持ち前の勉強嫌いを発揮していくつかの単位を落としながら、中高でやっていた運動は続けながら、アカペラサークルミュージカルサークル所属してステージに立ってみたこともあった。

お金が想定よりかかったり、思ったよりも本気で音楽に向き合う人がいないいわゆる形だけのサークルだったりで、どちらもすぐ辞めてしまった。

そして、とある前世持ち練習生の存在きっかけに、冒頭に書いた某アイドルオーディションサバイバル番組配信に辿りついた。

が、その番組や前シリーズやそこからデビューしたグループを見ていくうちに、自分と同年代の子達がデビューに向けて取り組むのを見ていくうちに、何か動悸がするような、焦るような気持ちが抑えられなくなっていた。

大きいステージに立っているアイドルを見ていると涙が出てくる。

私もそっちに行きたいって。

アイドルを目指していたなんて言えるほどの努力は一切していないけど、ステージ表現して人の心を掴むということに対する強い憧れはずっと持っていて、悔しさがこみ上げてきて。

私の好きなアイドル10年を超えるダンス歴で、とにかくいろんなステージに立っていろんなオーディションを受けて大きな挫折も味わって、そんな長い下積みの末やっとデビューした。

その人が「小学生の時にダンスを習い始めて、そのおかげで内気だったのが明るい性格になった」とたびたび話していて、でもそれを聞くたびにすこし胸が苦しくなる。


中学受験じゃなくて、ダンスだったら?

私は音楽が好きで、自分で何かを表現たかったという気持ち絶対にずっとあって、それを無理に抑えてこなかったら?

中学受験の時のあの地獄のような家庭環境が無かったら、ダンスというずっとやりたかたことで自己表現ができていたら、もっとまっすぐな明るい子だったのではないか

小学校からダンスや歌を本格的にやらせてもらっていたら、私もあの番組ステージに立てたのではないか

私の勉強嫌いは完全に中学受験からきているわけで、それが無かったら別に高校受験からでもこの大学に入ることはできたんじゃなかろうか。勉強自発的にできるようになって、もっと良いところに行けてた可能性もあったんじゃなかろうか。逆も然りだけど。

今考えたらあの習い事クラブ活動も全部親の決めたもので、私の意思なんてこれっぽっちもなくて、全てが勉強につながるようなもので、だから今の私は勉強がとてもとでも嫌いだし、大学生になった今でも勉強自分のためではなくて新卒大卒獲得のためにやらされるものだと心の底では思っている。

中学受験の時の生活は今考えたら虐待だったね本当にごめんねと親は言ってくるけれども、明るかった小学3年生以前の私の性格はもう帰ってこない。

元の形の記憶を失うほどにねじれて拗れてズタズタになってしまったあの時の私から変われる気配なんてない。今から明るく優しい子になんてなれない。

家庭内でたまに言い方がきついと怒られそれがきっかけで大きな喧嘩になることもあるけれど、あの多感な時期に毎日怒られ怒鳴られ殴られ続けて親の口調が移らないわけない。私の口調と親の口調はびっくりするほどそっくりだ。


全部、中学受験のせいだと思ってしまう。


私のために全力でサポートしてくれたんだと思う。でも別に中学受験させてくれなんて頼んでなかった。あんな怒鳴り声と泣き叫ぶ声と暴力の絶えない家にしてくれなんて頼んでなかった。あんなんなるなら、地元中学でもよかった。


やりたいことなんて何もできなかったし私の話なんて微塵も聞いてくれなかったなと思ってしまう。


それでも、ここまで育ててくれて、私のことを考えて人生設計の手助けをしてくれて、中高大10年間の私立学費を惜しみなく出してくれた親には本当に感謝している。本当に恵まれた家庭で何ひとつ不自由なく育ったと思う。


それに、本当にダンスや歌がやりたかったなら、中学に上がったタイミング部活に入らずに、今度こそダンスを習わせてほしいボイトレに通いたいと親を説得することだってできたはずだ。そうしなかった段階でそこまで本気じゃなかったんだと思う。このことに気づいて、初めてあ

2023-10-19

anond:20231019070017

歯科矯正永久歯に生え変わるときから親知らずが出るまでの長い期間やる重めの習い事みたいなものなんだけれど、その時間メンテナンスを創出できるってことなんだろうな。

そもそもUSとかだと歯医者に行けるレベル健康保険がついているのが福利厚生ちゃんとしている会社の証って感じがする。

そういう意味で言えば、歯科矯正との相関というより、家が裕福かとの相関で、アメリカンドリームなんて噓っぱちということの実証なんじゃないかな。

2023-10-17

IT職だけど勉強しない若手は人生どうするつもりなのか

勉強したくないか現状維持がいいし年数いれば最低限給料上がるでしょとは言ってはいるが、最も簡単仕事も満足にできないし、基本情報レベルの内容も理解できてない

うちの会社年功序列給料上がらないし、自分現状維持のつもりでも、周りが勉強して伸びていき現状維持なんてできず、底辺におちぶれるしかないのが分からないのか。

かと言ってローカロリーで生きる感じでもなく、結婚してマイホーム買って、子供は何人欲しくて、子供にはなんの習い事させて、個人的には趣味の機材何が欲しくて……という話をするので大丈夫か?となる

1人くらいならそういう子もいるだろうって感じだけど最近の若手は半分くらいこんな感じ

勉強しても頑張っても給料は大幅に上がるわけじゃないけど、何もやらなくても同じではなく何もやらなくても給料なり立場なり市場価値なり下がっていくだけなんだよね。そういう生き方選択するなら色々諦めなければいけない

2023-10-12

anond:20231011203212

ブコメにある芸術家ほとんど男は違うんじゃないかと思う

芸術家をどう定義するかによるけど、作品を売ってそれだけで食べてる人だけでなく、仕事別にあるけど作品を売っている人、教室で教えて生計を立てて作品も売る人、教室などで教えて作品ほとんんど売っていない人、まで広げると女性の方が多い印象

ただし音楽は全く知らない

仕事別にあるけどコマーシャルギャラリーなどで作品を売っている人は女性ばっかりのイメージがある

男性就職しなかったり脱サラして芸術で食っていくぞ!って感じで夢見るけど脱落する

対して女性は堅実に働きながら執念深く作品を作っていく

ぶっちゃけ女性おっさんパトロンがつきやすいのもある

それはエロ目線もあるけど、コミュニケーション能力に長けた芸術家は圧倒的に女性の方が多いことの結果かもしれない

カルチャースクールとかで習い事するのは子供とおばちゃんばっかりだから講師女性の方が好まれるし

ただ、○○芸術家協会みたいな組織役員女性が多くても会長男性が決まり、みたいなところはある

2023-10-11

こんな映画どうですか?

自分の子供が習い事にと空手を始めて、その様子を見ているうちに、親自身空手を始めることに。

…で、親子で稽古していくうちに様々な壁(難しい型や別の親子との組手)にぶつかりながら成長していくストーリーっていう。

空手バカ一代」からブームが起こったように、もう一度空手が再燃しないかなぁ~・・・

2023-10-10

自分は恵まれている

子供の頃いじめられたことはない 

塾や習い事は強いられていない 部活は楽しかった

受験就活には無縁だった けど結構良い大学企業に行けた

会社給料水準は高く、残業もない

ダイエット不要 全然太らん

婚活せずとも結婚できて、子どももすぐできた

嫁も嫁の家族も友人もとてもまとも

近所付き合いも苦にならない

そうだったらいいのにな

2023-10-09

anond:20231009071756

単位の金があればいくらでも解決できるだろ

おじってミソジニー屁理屈を考える以外のことには頭にウジ沸いてるのかなってくらい思考するということができないよね論理的思考能力が皆無

ホームティーチャーも雇い放題だし習い事だってなんだって好きなだけできるでしょ

2023-10-08

anond:20231008095521

仕事辞めて子供奨学金借りさせたり習い事大学進学あきらめさせ老後の生活費いか子供の面倒になるのが子供を愛する行動だと?

anond:20231008114642

首都圏子育てしてるって一人親を除けば世帯収入の多いパワーカップルが主流な訳で、そういう人達が満足する様な質の保育を規模を拡大しながら提供するのはまず無理だと思う。

いやそういう人向けの民間学童は普通にあるんだよ

学校終わるのに合わせて迎えに行き学童まで送ります、塾や習い事教室としての機能もあって色々学べます、みたいな

それでも保育園ほど金はかからないし税金投入なしでも商売成り立つ

パワーカップル公立学童なんか最初から使わずそっちに行くよ、高いけどそれ払える金もある、公立だと宿題すら教えて貰えないからね

公立行くのは自分帰宅後に勉強教えたり習い事教室に連れていける短時間勤務の親か貧困家庭(学区によってはそもそも貧困家庭存在しない場合もあるけど)

学童入れなくて問題になるのって民間学童すら足りない地域か、田舎民間学童がないか、そんな金払えない人が多い地域か、が多いんじゃないか

2023-10-07

anond:20231007224255

まあそれでも高いけど 

私の教えてた塾、地域的にベッドタウンってこともあって、みんなそれなりに子ども教育費にお金かけてるお家の子っていう印象(塾以外の習い事とかの話聞いてて)だったから、なのに電子辞書は買い与えないんだなって不思議に思ったんだよね

課金額と子供偏差値無関係なんだから適当でいいんだよ

子供の成績と課金の額は悲しいほど相関しないのだけど、富裕層や準富裕層無駄金を使ってくれたほうが格差解消には好都合だから、じゃんじゃん無駄金を使ってほしい。

とはいえ子供に最高の教育を与えられなければ結婚はしたくないとか子供は欲しくないとか言うのはアホだぞ。

習い事なんかしなくたって子は育つし、高校までは無償だし、大学だってまあなんとかなるわ。

はてなって本当に子供いない人だらけなんだな

https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.tokyo-np.co.jp/article/282205

現代の子育ての常識分かってない

今時田舎は知らんが都心部なら低学年は下校時に家に大人が誰もいないなら学童必須公園も低学年のうちは親同伴必須

そもそも学童行く子は公園行く暇ないけど、学童行ってない子が公園遊びするなら親なりママ友なりの大人同伴が当たり前)

習い事は送迎サービス無い所なら親送迎するのが当たり前、だよ

一人で留守番させて一人で習い事行かせるって昭和感覚のままかよ

そんな子いたら放置子扱いでご近所から警戒されて当たり前

俺は条例反対(車内待機禁止は賛成)だけど、テレビの街頭インタビュー記事を見たらちらほら賛成な専業主婦らしき人達がいたんだよね。「心配から認められた通報ができるのは助かる」って恐ろしさしか感じなかった。

とか言ってるブクマカいるがそりゃ放置子いたら心配だよ、その専業主婦感覚ごく普通だよ

高校生の上の子に面倒みさせるのもダメなのか!って、高校生小学生より下校時間いか小学生が帰ってくる時間に家にいないだろ…

夏休みなんかも高校生にずっと弟妹の世話させたらその高校生部活も塾も友達と遊びにも行けないって事になるから普通は上の子いようが弟妹を学童入れるだろ…

ってかヤングケアラーだろそれ、その高校生に対する虐待だわ

現代常識問題になるの、学校の定時の登下校くらいよねこれ(学童行く子の場合は帰りは親が迎えるのが当たり前だけど)

大人同伴で集団登校するような地域ならそれも問題にならないのかも

子育てをしなくていい」という事実に心が洗われる

中学時代部活をやってて、高校帰宅部になったとき、「部活をやらなくていい」ということが嬉しくてたまらなかった

その後の人生で己と向き合うにつれて、俺は「やらなくていい」ということが大好きなんだということがわかってきた あるいは、何もしたくないというか…

「やらなくていいこと」として子育てコンテンツを見るの、マジで気持ち良すぎる

子育てには1人あたり○千万円が必要

障害児・発達障害児が生まれたらどうしたらいい?

・今後の社会はどうなっていく?

・将来世代にマトモな環境を遺すには?

学校はどんなところに通うのがいい?

習い事はどうする?

・育休はどうとる?

家事育児の分担は?

マジでどれも全部、俺にはまったく関係ない

何もしなくてOK

ホンマに気持ちええ

人生育児がなくたってやるべきことが多すぎてウンザリなんだけど、とはいえ育児関係の膨大なタスクを全部スキップできるっつうのは、完全に福音ですよねえ

育児愚痴とか読むの楽しすぎる

これ、俺はやんなくていいのか〜 ってなる

あー今日練習だ、とか言って部活に向かっていく友達を尻目に、一番早い電車帰宅していた高校時代のことを思い出す

ゲオに寄ってCD10枚借りるのがすごく楽しみだったんだよな

最後のほうはネタが尽きちゃって、インド音楽の詰め合わせとかそういうのを借りてたけど、あれはあれでなかなかよかった

部活がなくても俺にはゲオがあったし、中学時代部活より高校時代ゲオの方がいい思い出なんだよな

人生においてもたぶん同じようなことが言えるだろう

俺は、半義務みたいなことをサボって、堕落した趣味に走ることが大好きなんだと思う

部活に対するゲオと同じものを、子育てに対して見つける必要がある

必要っつうか、まあ、あらゆる趣味が多分それに当たるんだよな

趣味に走ろう 疲れたら好きなだけ寝よう

何にもエンゲージしないで、起伏のない人生を送ろう

それを想像するだけでウキウキした気持ちになる

2023-10-06

anond:20231005153735

さわったら逮捕で獄中って事は子供性的暴行をして逮捕されてるわけで。

それで楽しーく子供性的暴行して子供から暴言吐かれてごめんなさーいご褒美でーすみたいな歌がバズり、学校用品メーカーや歌のお兄さんが歌うような世の中は親からしたら怖いよ。

ハイエースしたいメスガキわからせみたいな子供への加害欲をペドフィリア達がネタ的に皆でほざいて、世界へ露悪しまくって、実際手を出すペドフィリア達もたくさんいて、保育士校長塾講師スイミングコーチ犯罪も連日起こって学校や塾や習い事へも安心して通わせられない、それで親が怖がったら差別になるのかと。

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