はてなキーワード: 洋服とは
帰ったら「おかえり」って笑顔で出迎えてくれて
食卓の上にはサバの塩焼き、豆腐の味噌汁、納豆という健康的な食事。
「俺、もうおなかすいちゃったよ。食べよう食べよう!ご飯は普通盛り?」とか言いながら盛って欲しい。
お風呂は一緒に入って、「洗濯物だしといてね!ちゃんとポケットのティッシュは抜くんだよ!」って言われたい。
「明日のお弁当、何かリクエストある?」とか言いつつ結局自分が食べたい明日の朝ごはんを作って残りをお弁当に入れて欲しい。
二人で一緒の布団に入って眠り、翌朝「いってらっしゃい!気をつけてね」って笑顔で見送って欲しい。
買い物に行って、彼用の洋服とかその他買ってきたら「ありがとう!」って満面の笑みでお礼を言われたい。
月に何万かお小遣い渡すときに「こんなにいいの!?ありがとう!」って言われたい。食費とかはもちろん別途支給で。
あーーーーーーー。
家事とか全部やってくれぇええええええええええ。面倒だあああああああああああ。
職場で着る作業着のズボンの裾上げをしてもらいたかったからだ。
そう言って、採寸をして、支払いを済ませた後、初老の店員は言った。
「お急ぎですか。」
私にはこの「急ぎ」、というのがどの程度ものを指しているのか、分からなかった。数十分単位のことなのか、数時間単位のことなのか、あるいは数日単位なのか。
しかし、ユニクロなどでズボンの裾上げを頼むと、空いていると40分程度で仕上げてくれることもある。多少の混雑でも1時間程度で仕上がる。そういうイメージを私は持っていた。
この店が洋服修理の専門店で、ズボンの裾上げだけでなく、他の案件も抱えていて、その合間を縫って私の裾上げをすることを考えると、多少時間がかかるのかもしれない。
しかし、ミシン縫いの裾上げは高度で複雑な技術を要求される仕事でもなかろう。まして、専門店なのだから慣れた手付きで却って早く済ませることさえできるのかもしれない。
そう思い、私は「通常は1〜2時間かかるのを30分でしますか」という「急ぎ」と解釈し、「いいえ、急いでいませんが。」と答えた。
すると、初老の店員は「でしたら、水曜日になります」と言った。
全く想定していなかった3日後という答えに、私は大いに驚いた。
ワイシャツのクリーニングでさえ、通常コースで2日で仕上がる。
ここのズボンの裾上げは店から工場に送り、そこで作業をして、工場から店まで送るとでも言うのか。あるいは、大量の案件を抱えているのか。
実際、水曜日でも問題は無いのだが、わざわざ平日の仕事帰りにショッピングモールに寄ることもないだろう。
それに、ここはショッピングモールなのだから、他でショッピングなどをしている間に仕上がればそれがベストだ。
「今日中はできないのでしょうか。」
「何時頃に致しましょうか。」
ここで、私はまた迷った。そもそも、何時間後なら出来るというのだろう。1,2時間、長くとも3時間程度ならモールで時間を潰すが、5時間後となると、わけが違ってくる。
「何時間ぐらいで出来るのですか。」
「1時間ですね。」
「ではそれでお願いします」
「わかりました。では1時間後、いらしてください。」
3日かかるのを1時間でやるわけだから、追加料金がいるのではないかと思ったが、追加料金を要求されることはなかった。
別の目的であるショッピングを済ませた後、私はその店へ再び向かい、仕上がったズボンを受け取った。
ズボンは綺麗に裾上げされていたが、私と店員の考える前提の大きな違いへの怒りにも似た驚きや、「本当に3日も必要なのか」という疑問で、私の心にはどこかもやもやするものが残った。
それはそれは失礼しました。たぶん女性にも2種類いて、着なさそうな服でも買ってしまう人と、そうでない人がいるのでしょう。自分は極力無駄な服を買わないように心がけているつもりですが、時々失敗をやらかします。
ただ、洋服を買うこと自体が趣味兼ストレス発散になっているようなタイプの人だと、そのような着ない服の量が半端でないようです。クリーニング屋に洋服を預けたらそのまま取りに行かないとか、夏物と冬物がぐちゃぐちゃにしまってあるので、結局取り出して着るときに困るとかいう友人がいました。
当然着ない服や身につけないアクセサリーの量が半端ないようで、「もらってくれないか」とか「全部売上げは自分のものにしていいからネットオークションで売ってくれないか」とか言われました。彼女は結構センスの良いオシャレさんでしたが、何しろ小柄で細かったので私がもらっても着られるサイズではありません。それにネットオークション用に見栄えのいい写真を撮って、買ってくれる人とやりとりして、発送するのは結構な手間なので「いくら売上げを自分のものにしていいと言われてもそんなに手間はかけられない」と断りました。
自分は着なくなった古い服をなかなか処分できなくて困っています。バザーなどに出す機会があれば出しますが、もともとそんなに高級品ではないうえに、結構着倒していたりするので、商品価値があるのか微妙です。参考になるか分かりませんが、こういう女もいるのですということで。
いや、意外とそういう現象はありがち。特にお洒落着系で、買うときは「可愛い~!」と思って買ってきたはずのものが「着ていく場所がない「職場に着ていくには派手」みたいな理由でタンスの肥やしになる。
私の場合はリゾートテイストのちょっと派手目の服なんかがそういう憂き目に遭う。あと、友達の結婚式とかで着るようなフォーマルな感じの服を、着る予定もなく買ってしまうとやはり無駄である。
多少ダサくても安いからと買ったTシャツとかならば、外出の予定のない休日に家で着るとかパジャマにするとか使いようがあるだろうけど、普段着にするにはちと使いにくい感じの服というのがあるんだよ。
自分は好きな洋服の色や形がだいたい決まっているので、あまりこの手の失敗をしないよう努力しているんだけど、「たまには冒険してちょっと違うテイストの服を買おう!」とかやるとそうなる。全然冒険せずに安心感のある服だけ着ているのもどうかと思うけど、たまに普段のテイストと違うのを買うと自滅するんだな。
こういうアニメを求めてたんだよ
こういうのでいいんだよ、こういうので
夜が苦手→引きこもりがヒトに会いたくない昼夜逆転生活のメタファー
日光を浴びると灰になる→社会に出られない引きこもりのメタファー
こうやってみると、もっと吸血鬼ちゃんがかわいくみえてくるでしょ?
アニメは止まってるシーンではあんまりかわいくない、だけど動くとメチャかわいい
原作を読んでたときは「美少女に可愛い洋服を着せたい」という趣味がわからなかったが、いまならなんとなくわかる
こういうアタマの狂った女の子が美少女を愛でるアニメがもっと増えてほしい
コント部分もよくできてるし、アドリブ部分が声優のキャラがでてて面白い
みんな変態だなぁ
----
ゾンビランドサガ
RELEASE THE SPYCE
「『個人の選択の結果の服装』って言い方」がどう勘違いなのか、「然るべき文脈」が一体どういう文脈を指すのか、またその「然るべき文脈」において3Dと現実の洋服の違いがどう問題になってくるのか、申し訳ないけど自分にはちょっとよくわからない。
文脈について、以下の2つに分けて考えなくてはいけないと考えています。議論のレイヤーと言ってもいいです。
で、自分の基本的な主張は、前者の文脈での「人格」「魂」などの用語や概念を、安易に後者の文脈で使うべきではないということです。なぜなら、社会問題の領域で何らかの主張をする場合、ロジックに強度と普遍性が求められるからです。
二次元絵の取扱については、児童ポルノ関連など、踏んだらやばい案件がゴロゴロしています。なので、ここで勢いに任せて変な主張をするのは危険だと思います。
普遍性が求められるというのは、例えばこれから出てくるかもしれない、中の人が男の美少女Vtuberとかその逆とか、集団で運営される場合とか。例えばキズナアイのヌード写真集が企画されたらどう扱われるかとか。
そういういろんな想定に耐えうるロジックになっているかを心配しているのです。
基本的に、発端となった批判は社会問題に属するものです。批判そのものが妥当とは思いませんが、ともかくNHKのサイトに掲載された二次元絵が問題となりました。これに対する反論は、社会問題のレイヤーで行われるべきであり、また、自動的にそう扱われるはずです。
話がわかりやすくなるか微妙ですが、議論のレイヤーをもう一個増やしてみます。
三番目について、裁判所で「3Dと現実の洋服の違い」が議論の余地が無いことはわかると思います。だって絵だもん。キズナアイの服飾デザインが、現実における服装とみなされることはありません。デザイン担当者の作成した表現物として処理されるでしょう。
で、今回は二番目のレイヤーで話をしているはずなんですが、これは1番目のレイヤーと3番目のレイヤーのどちらに近いかってことです。近いというか、二番目と三番目は地続きだってことです。男女差別とかそういうたぐいの話だから、そうだよね。
で、そのレイヤーで話をするときに、無邪気にVtuber独立した人格論を展開して、第三層まで戦えますか?あのデザインはただの創作物ではなく、中の人の自己決定権によるものだと主張することに合理性や将来はあるのかってことを疑問視してるわけです。今後いろんなタイプのVtuberが出てきたときに全員をちゃんと保護できるロジックになっているか、もっとシリアスな問題が発生したときに足元を掬われるようなことにならないか。ちゃんとそういったことまで視野に入れた上で、「キズナアイには人格がある」と外部に向けて主張しているんですか、と疑問に思っているわけです。
Vtuberは一人の人格として独立していると私は見なす。中の人もいるし。
一人の独立した人格に対して、性的だから公に出てくるなとフェミニズムが主張するのはおかしい。個人の選択の結果の服装は弾圧されるべきではない。
ここで主張されていることって、極端な話、キズナアイの造形を決定するにあたって憲法21条の表現の自由ではなく、13条の自己決定権によって行われてるってことだよね。それはおそらく外部に向かって通じる理論じゃないです。いきなり話がでかくなって自分でも違和感あるけど、外部に向かって議論をするときにはそのくらい考えておいたほうがよいだろうと思ってるよ。
この部分も「法的に『キャラとして設定も尊重されてる』わけではない」ことがなぜ「『キャラとしての設定として魂があって中の人の人権が尊重される』という言い分は無理があるって結論になる」のかちょっとよくわからないです。なにが「だから」なのか。
これは書き方が悪かったな。自分でも何言ってるのかわからん。まあやっぱり文脈次第でって話。
デーモン小暮の本体はもちろん人権を保証されてるし、エンタメの文脈では設定も尊重されてペイントのまま相撲中継したりしてるけど、公的な場所、たとえば運転免許証の写真では、ペイント落とさないと通らない。文脈によって、あのペイントの顔がデーモン小暮の素顔だという設定が無効になる。
同じように、キズナアイの中の人も人権を保証されてるし、エンタメの文脈では「キズナアイというタレント」という設定も尊重されるだろうけど、社会問題を扱う文脈ではその看板をおろさざるを得ず、3Dモデルの服飾デザインは中の人の自己決定権によるものだという主張は難しいだろうって話です。
メイクをすることは社会人の義務と言われますが、私はメイクが嫌いです。
むやみに顔に触れられないし、触れたら手が汚れるから。
それに尽きます。
それからメイクをしているのに平気で人に近づいてくる女性が大嫌いです。
どうして少しでも触れたら洋服を汚してしまうかもしれない顔をそんなに近づけられるのか理解出来ません。
昔働いていた会社には派遣の女性が大勢いましたが、彼女たちに用意してもらう資料にはどこかしらラメやファンデが付いていました。
一般社会において、メイクした顔を触った手で他人に渡すものを用意するのは非難されるべきことではないのは承知していますが、本当に気持ち悪かったです。
私は仕事中は極力顔を触らないようにしていましたし化粧が手についたらティッシュで拭いていました。
現在は在宅で仕事をしていますが、外の世界に一歩出れば女性は大体メイクをしていて本当に苦痛です。
わざわざ畳んでくれますが、その時顔に触れても店員さんは気にしないので困ってます。
いや増田に勘違いがあったなら増田の主張にも誤りが出てくる可能性があるのでどうでもよくはないです。
申し訳ないんだけど増田が何を言いたいのかよくわかんなくなってきた。
「『個人の選択の結果の服装』って言い方」がどう勘違いなのか、「然るべき文脈」が一体どういう文脈を指すのか、またその「然るべき文脈」において3Dと現実の洋服の違いがどう問題になってくるのか、申し訳ないけど自分にはちょっとよくわからない。
あと遡るが
つまり、「人間の扮装であることを理解しつつキャラとして設定も尊重されてる」
って部分が
法的な扱いや、社会問題の文脈では「人間の扮装であることを理解しつつ」までは共有されても、法的に「キャラとして設定も尊重されてる」わけではないってことだ。
だから、キズナアイだって社会的な問題の俎上に上がった時に「キャラとしての設定として魂があって中の人の人権が尊重される」という言い分は無理があるって結論になる。
なにかおかしいところあるか?
この部分も「法的に『キャラとして設定も尊重されてる』わけではない」ことがなぜ「『キャラとしての設定として魂があって中の人の人権が尊重される』という言い分は無理があるって結論になる」のかちょっとよくわからないです。なにが「だから」なのか。
みんな、フォートナイトってゲーム知ってる?これがさ、ほんっとに面白くて時間泥棒なんだわ。
けど、面白いんだわ。面白すぎて嫁にもうやめなさいと言われ、素直に辞めたものの、フォートナイトへの熱が冷めなくて、日記に手を伸ばしている。
今日は少しでも日本のフォートナイト人口が増えることを願って思いを綴りたい。
興味をもった人はぜひブックマークしてほしい。10人くらい興味持ってくれたら週末に~基本操作編~でも書きたいと思う。
100人のプレイヤーが広大な島に降り立って、最後の一人になるまで殺しあうゲーム
むかしバトルロワイヤルって映画あったじゃん?まさにあれ!ワクワクしない?
ただ、殺しあうといっても絵柄がポップで血も出ないから、グロいの苦手な人も安心してほしい。
詳細な説明はググるなりして調べてみてくれ。公式HPなりyoutubeなりまとめさいとなり、たくさん出てくる。
ゲーセンでも、家庭用でも。スマホで無料ゲームはあるけど、強いキャラとかコンティニューのために課金を強いてくる仕様じゃん?
フォートナイトは違うの!!完全に無料なの。しっかり作りこまれたゲームなのに、完全に無料なの!!
ただ、課金要素もある。現に自分もわりと課金してしまった。その課金要素っていうのが、自分のキャラクターの洋服とか、ゲーム中に踊れる踊りとか。
けど、洋服も踊りも、ゲーム中の強さには全く影響しないの。全く!だから、課金プレイヤーも無課金プレイヤーも同じ土壌。
そう、勝敗は己の腕だけで決まるの。素敵じゃない?やればやるだけ強くなるのが実感できる。素敵。
たださープレイしてるとみんなおしゃれな格好してるのよ。今だとハローウィンだからパンプキンかぶってる人とかいて。
しかも、そいつらに倒されると、そのあとそいつらコミカルな踊り踊って煽ってくるのよ。きー!むかつく!
悔しいからこっちも、金出しておしゃれ決め込んで、踊るよね。敵倒して踊るの、ほんとHAPPY。みんなもやってみって。
そういう人がたくさんいるんだろうね。フォートナイト、今海外では社会現象レベルで人気みたいで、
プロのサッカー選手がゴール決めた後にフォートナイトの踊りを踊るくらいなんだって。
しかも、ビジネス的にもすごくて、ゲーム性に関係ない課金要素なのに、今年の5月は世界売上300億円だって。やばない!?
日本で一番売れてるモンストさんでも月間150億円くらいっしょ?その倍よ?(日本だけで150億円のモンストさんもばけものだけど、、、)
で、フォートナイトさんの何が粋って、その収益を原資に、e-sports方面に精力的に動いてくれてて、今後1年間の公式大会の賞金に総額100億円投資するって宣言してるの。
現に、年末に海外で開かれる大会では1位から50位まで賞金が出るんだけど、1位の賞金が700万円くらい出るみたいなの。50位でも確か100万円くらい。すごい。
そんな状況だから、海外では注目度も高くて、フォートナイトの観戦したり、プレイをしながら、お酒をたしなむBARみたいのもあるらしくて、ほんとうらやましい。
なんとPC/PS4/switch/XBOX/スマホ、すべてでプレイできるようになっとるの。
クロスプラットフォームってやつ。スマホは現状操作性に難ありだからおすすめしないけど、
それ以外のハード持ってる人、まーじで今すぐインストールしよう。今。すぐにだ!
最初はなかなか勝てない(めっちゃやってる自分でも最後の1人には数回しかなったことない)
けど、極論言えばずっと隠れてても勝てるルールだから、自分なりの戦略を練って挑んでほしい。
そうはいっても基本は大事だから、最初にも書いた通り、興味を持ってくれた人が何人かいたら、
子どもと立ち寄った書店で絵本読み聞かせイベントの準備が進んでいた。
テーブルにはどこの本屋でもよくみかける人気の絵本が置いてある。
作者本人が登場して読んでくれるという。
タイミングのいいところで来たな、ラッキーくらいに思って席を取った。
図書館や他の本屋で催される読み聞かせは、子どもたちの前で絵本を広げて読み手の肉声で行われるが今回のイベントは趣が違った。
スライドとマイクが用意されていて、絵本の絵はパワポで流れる。
読み聞かせをするとアナウンスしていたのに、最初の出し物は昔話を90年代ポップス風で歌う謎のカラオケ。
作者は「一番盛り上がってくれた人にはご褒美あるから」と
「フアッ・フアッ・フーーホゥ!!」なる酒の席みたいな合いの手を観客に要望してくる。
で結局、最前列で一番頑張って合わせてた男の子を無視してご褒美は立ち見の若いお母さんへ。
席へ戻りしな男の子にもシール一枚渡してたけど、はいはい頑張ったねみたいな、犬に餌やるようなついで感。
「今のお父さんお母さんは昔話をあまり知らないから世代の曲に載せて覚えやすくしました(笑)」って
はなさか爺さんや桃太郎も知らないでしょって馬鹿にしてんのかと。知らなかったのお前なんだろと。
「アムロちゃんの曲を作曲したこともある知り合いに作ってもらいました」か知らんけど子供と一緒に歌えないからいらないよ。
一見楽しそうに作者がしゃべっているから聞いてるほうも楽しい話をしてもらっている気になってくるけど
そもそも私がここにいるのは子どもにおはなしを聞かせてあげたかったからだ。
おじさんのトークショーだったら開始前から待ったりはしなかった。
早々に辟易していたが、作者一番人気の絵本がまだ登場していないのでそこまで待とうと思った。失敗だった。
その本をスライドに映した作者は「子どもはウンコが好きなんです」と述べると
子どもたちも元気いっぱいに「「ウンコー!」」のレスポンスを返した。
最低だ。
うちの子は固まっていたのが、まだ私にとって幸いだ。
イベントに関係ないお客さんが静かに本を選んでいるど真ん中で。
何を言わせてるんだ子どもに。
フィリピンだかで現地の子どもに卑猥な言葉を言わせて遊んだバカッターのことを思い出した。
一緒にいた旦那はトークショー全体の感想として面白かったと言っていたし
ノリで言ったらみんな笑って見ていたよ。
ただあれは大人向けのイベントだった。飲み会のノリでやることが事前にわかってたら避けたのに・・・
もうすっかり作者が受け付けなくなった私がとりわけ苦々しく思うのは、
子どもが好きでもないのに、子供向けの商品でお金を儲けようとすること。
子どもが好きっていうのは、子どもの考えを尊重できたり、観察眼が優れていたり、よりよい未来を提供したいという思想を持っていること。
子どもは動物でしょ、ウンコでしょ、女の子はお洋服でしょ、お母さんは感謝でしょって
それ作者本人の実感として思って無いじゃん。いらねぇいらねぇ。
子供は動物か好き"らしい"から作る動物の絵本は、作者自身が動物好きだから作る絵本には敵わない。
金儲け主義自称絵本作家はもっと自分の趣味全開の作品作ればいい
お坊ちゃまくんや学級王ヤマザキ(あと両さん?)みたいな拝金ゲハゲハ路線も小学生は大好きだからそっちのほうで才能開花してください。ぴったり。
なんでか眠れないくらい思い出して腹が立ったので増田に投下します。
長くてすみません。
インターネットの片隅に私の吐き出すものを留めておきたいけど、支部に書くのもなぁと思ってここに書きにきました。
私は趣味でTwitterに自分が描いた絵を呟いたり、あるいは友達と空リプ(くうりぷ)するだけの垢で時々話したりする人間です。
私は中学生の時、部活と学校の事で精神的に辛すぎてメンタル系の病院に入院したことが何度かあります。
絵を描く事が唯一の救いだったのですが、部活が美術部で、絵を描くと部活の事を思い出してしまうと主治医に話したことで、初めての入院3ヶ月のうち、はじめは絵を描く道具の持ち込みは禁止されました。
しばらくして、持ち込みの許可が出ると私は自分が考えたキャラクターを沢山描きました。
見回りに来た看護師さんに描いた絵を見せると上手だね、と言われる事がとても嬉しかったことを覚えています。
私が記憶している中では、作業療法の活動に初めて参加したリア友が描いたぬり絵を見て、話しかけたのが最初だと思います。
そのぬり絵を見て、私は驚きました。
リア友が描いた鳥の絵はとても質感と量感が表現されていて、まるで動き出しそうな絵でした。
同じ年齢で同じ絵を描くという趣味で、私達は個室のホールで一緒に毎日絵を描きました。
私は毎日驚きました。
ある日は漫画の扉絵の模写をし、ある日はイラストの資料集に載っている洋服を使った全身の女の子の絵を描き...。
驚いたのは彼女の模写をする量とスピード、分析力、そして正確さです。
私もリア友を真似て、退院してからも模写をしてた時期がありましたが、今も模写も絵も上手くありません。
きっとこの人は将来、大物になる。
そう確信した私はやってもいなかったTwitterを親からバレないようにこっそり始め、リア友とIDを交換し、外泊の時にフォローしました。
そして、私は3年ぐらいリア友の成長を見守りながら、自分も絵を描いてきました。
リア友は今、中学生の私がほぼ予想していた未来の途中にいます。
よく、Twitterではフォロワーはステータスでは無いし、フォロワー=ファンではないという見方もあるとは思いますが、私はリア友の1ファンとして、多くの人がその子の絵に共感し、拡散されている事がとても嬉しいです。
私は制作したい作品を顧問の先生と相談した結果、作品上、いきなりB1サイズで描くのは厳しいという事で、最終的にパソコンで合成する形となりました。
私はCG作品の審査の目が何故か厳しいらしい事を知っていました。
今年こそ、審査の票を入れて貰いたいと気合いを入れて描いていたものでした。
あの綺麗な絵に勝ち目なんかない、
私の作品は恥ずかしい。
私はリア友の絵を沢山拡散してくれた時と同じように、喜べるのか...。
私がずっと溜めていた事を文章に起こせて、少し楽になりました。
今、結婚を前提に同棲してる彼氏がいるのだが、どうも「汚い」に対する価値観が合わない。
私はどちらかというと綺麗好きで、彼は部屋が汚くても気にならないタイプ。
現在は家事は全部私が担当してて、デート代とか家賃等は彼氏が出してくれている。これについてはお互いに納得して決めている。
掃除も私の担当で、部屋が綺麗じゃないと落ち着かないので、こまめにやっている。私の性格として、汚いところは掃除する気が失せるが、綺麗な場所を維持するために掃除するのは好きなので、毎日のこまめな掃除はそれほど苦ではない。
しかし、彼氏は毎日毎日私が掃除整頓したところを汚す。例えば、洋服は全て床に脱ぎっぱなし(また着る洋服を入れるカゴもあるのに、そのカゴの側の床に置く)。使ったティッシュは床にポイ。食べ終わったお皿もそこら辺に転がってる。
でもこれも家事の内だと思ってやってきたんだけど、今日あまりに彼氏が部屋を汚しまくってそのままにしているのをみてキレてしまった。イレギュラーな汚し方だった。
でも私がキレたことに対して「なんでこれくらいで怒るの?」ってキレられて、『ああ、私がいつもやってる掃除はこれくらいとしか思われてないんだ』って感じて腹が立った。
確かに、お金の面ではお世話になってるけど、だからといってあなたのお金を贅沢に使ってるわけじゃない。料理も含めて家計に負担がないように配慮しながらやりくりしてる。
それなのに部屋を掃除する私に対してはなんの配慮もないのかな。
汚い部屋でも過ごせるあなたにとって、掃除はしてもしなくてもいい、私が勝手にやってることなの?
それなら別々の部屋に暮らしたい。お金も別々にする代わり、部屋も自分の好きな環境を維持したい。
彼氏の性格はいい意味でも悪い意味でも子どもみたいで、一緒にいて癒される部分も多いので、結婚はしたい。
けど、部屋の清潔レベルはどうしても彼氏に合わせることができない。
新婚で別居ってありなんだろうか。こんな理由でやってる人いるのかな。
なんかブコメとかトラバでめっちゃ叩かれてるけど、わかるーー!わかりすぎるーー!!
タイトルんとこ論として筋が悪いけど、「外圧でしか変われない国」とか散々言われてるって認識が前提にあるから、「あーーそれくらい言いたくなるよねーー」ってなる。
欲望自体を抱くな、とは言わんし言えん。そんなん完全にブーメランなわけやし。
でもだからって、公共の場に挙げんでもええやんか。見せられる方はしんどいわ。しんどすぎて観ない方向に舵を切ってもこうして目に入ってくる上に「見てないくせに批判すんな」論法で殴ってくるやつもおるしな。
なんで例えば「チコちゃん」とかああいうレベルのデフォルメなビジュアルじゃあかんかったんや。ねほりんぱほりんのブタみたいな、ああいう人形劇形式とかでも良かったんちゃうか。あるいは「雲じい」みたいなガチ人外では?
なんでそこで少女のかたちで「お洋服はホログラムみたいなアレだから実質全裸みたいなもの」なんてキモすぎる設定のついたキャラクターをチョイスしちゃったの???
もう本当にキモすぎて無理なんですけど。その全裸設定要るのこのキャラ?なんでつけたの?そこ大事??そこ大事だと思う感性が作ったってことだよね???
公共のトイレ、しかも男女共用のやつ(男性用の便器がないケース)・・たとえば飛行機の中とか、一部の飲食店とか。
ときどき床や便座が汚れていて、男性の自分から見ても「うわっ、汚ねっ」と思うことがしばしばあるんだけど、
男性の場合は立ち位置をうまく工夫することでなんとか回避できる。
ただ、そのたびにいつも、女性ってこういうとき大変だなって思う。
とくに公共のトイレだと、便座を上げないまま用を足す男性が多いようで、便座が小便で汚れているケースをよく見かける。
いや、もちろん自分で拭いたり、あと備え付けの紙製便座カバーみたいなのがあれば使うんだろうけど、そもそも嫌だろうなって。
とくに先日乗った飛行機ではトイレがとても狭く、座った場合に汚れた便座やその周りに洋服や長い髪が触れてしまう可能性があり、
そもそも、我侭放題の悲劇のヒロインぶってた人が周囲の人に対して「いじめ」をしてた人じゃねぇの?
「通り魔にあった」とか「あの人彼氏(嘘)家に行って勉強会」とか
「良いバイト先があるから紹介する」とか「私がデザインした洋服」とか、様々な嘘をつき続ける奴が居た。
周囲の人が好きなものに対し期待させるような嘘をつきまくっていた。
相手が信用して待ってるのに、あっさり裏切り手のひら返しして悲劇のヒロインぶって逆にいじめてくる奴だった。
嘘をつく回数は、1日10回を超えるだろう。
得意分野になるとドヤ顔して、不得意分野で他人が上手くいくと僻み、上から目線で嫌味なコメントしかしない。
自分は思いきりタックルかましてくるくせに、こちらから軽く当たっただけでブチ切れる。
急に大声を出して目立ちたがったり、笑い声が五月蝿かったりと様々な問題があった。
上手くも無い絵を描き「あげるね~☆」と渡し歩くような奴でもあった。断ると「貰ってくれない!」と泣き出す意味不明具合だった。不気味な絵は今でも自宅にあると思う。
何かと忘れ物が多く、人に物を借りるくせに感謝(謝罪)の一言も無かったりした。
とかく、「悲劇のヒロイン」で居たいような奴だったのだ。
いじめに加担したであろうことは1回だけある。
いじめの話になると、必ず
「どんな情況でもいじめっ子が必ず悪い」と言う奴が出てくると思う。
果たして、本当にそうなのか?
「通り魔にあった」とか「あの人彼氏(嘘)家に行って勉強会」とか
「良いバイト先があるから紹介する」とか「私がデザインした洋服」とか、様々な嘘をつき続ける奴が居た。
周囲の人が好きなものに対し期待させるような嘘をつきまくっていた。
相手が信用して待ってるのに、あっさり裏切り手のひら返しして悲劇のヒロインぶって逆にいじめてくる奴だった。
嘘をつく回数は、1日10回を超えるだろう。
得意分野になるとドヤ顔して、不得意分野で他人が上手くいくと僻み、上から目線で嫌味なコメントしかしない。
自分は思いきりタックルかましてくるくせに、こちらから軽く当たっただけでブチ切れる。
急に大声を出して目立ちたがったり、笑い声が五月蝿かったりと様々な問題があった。
上手くも無い絵を描き「あげるね~☆」と渡し歩くような奴でもあった。断ると「貰ってくれない!」と泣き出す意味不明具合だった。不気味な絵は今でも自宅にあると思う。
何かと忘れ物が多く、人に物を借りるくせに感謝(謝罪)の一言も無かったりした。
とかく、「悲劇のヒロイン」で居たいような奴だったのだ。
2年我慢した。心底辛かった。
そいつがクラス全体から嫌われていて、「せめて嘘をつくのは直したほうが良い。皆も心配するし、大体嘘だと気づいている。あなたの事は信用できなくなるよ」と伝えたものの改心しない。
「汚れきった世界じゃ仮面被ってないと」と厨二病全開(当時はそんなの無かったけど)
大人になった今であれば「お、話のネタになるじゃん!」とは思えるが、
当時は、「何故好き勝手にしている奴のために、私ばかり我慢しないといけないのか。尻拭いするのも疲れたし愛想笑いも疲れたし、ほんと自分勝手な奴って…」とイライラしまくっていた。
周囲から「お前、アイツどうにかしろよ」という視線もちょくちょく飛んできた。
ただ席が近かっただけなのに毎回イライラさせられた。
私は奴と何度も1対1で話し合ったが聞く耳を持たない。
私に「大学行ったら直す!お前は金輪際話しかけてくるな関わってくるなタヒね」
みたいな感じの手紙を渡してきたので言われたとおりにして高校最後の1年を過ごした。
十数年経った今なら、奴とも仲良くできそうな気がするが
信用したのに裏切られたことが頭をよぎりそうな気がする。まぁ、たぶん今なら大丈夫だ。
両者に問題があることもある。
いじめっ子"だけ"に「大人」と「我慢」を求めるのは間違っていることだけは確かだ。
いじめられっ子"だけ"に「大人」と「我慢」を強いるのも間違っているとは思う。
もし、「いじめる方が必ず悪い(いじめられた子は一切悪くない)」とでも言うものなら
私はその人に周囲に迷惑をかけ我侭を言い続けるだろう。空気なんて一切読まずにやりたいようにやる。
そして、私のことを無視したりいじめたりする人が居れば悪者だと叫び続けるだろう。
それは逆に「いじめられっ子風のいじめっ子」にならないだろうか?どうなんだ?
まぁやる気はないけどね。
そもそも、今回の話は「いじめられっ子風のいじめっ子」の話であり