はてなキーワード: 気概とは
なかなか悩ましい。
具体的には独り身の独身貴族だったころと家族や子供ができてからでは価値観が大きく変わる。特に「子供」という自分よりも大事な存在ができると昔のように能天気に寛大な対応は取れない場面が多々ある。
わかりやすいたとえだと、たとえば福島産の農作物である。震災から6年以上たって除染もしっかりできていると散々報道されているのに、いまだに「放射脳」と揶揄される行動で福島産の農作物を忌み嫌う傾向がネットでも見られる。
これは子供ができる前だったら純粋に軽蔑してたのだが、子供を育てる身になるとなかなか悩ましい。俺個人が福島産の食材を食べることにはなんら抵抗がない。ただ何も雑念なく自分の子供にも与えられるか?と問われると正直悩む。頭では「市場に出回っている食品は安全」だとわかっていても、わざわざ数ある選択肢の中から福島産のを選んでそれを子供に与えるのか?というジレンマがある。
正直現時点でわざわざ福島産の農作物を選ぶのは、いまだに風評被害に苦しむ福島の農家を応援しようという気概が一番の動機だろう。だからそれを自分で買って自分だけで食べる分には何の問題もない。でもそれをわざわざ意図的に子供に買い与えて食べさせるのは、逆に親のエゴなんじゃないか?というジレンマが生まれてしまう。
性犯罪や児童虐待の前科がある人間についても、以前はどんなにひどい罪でも刑務所で罪を償った以上はちゃんと彼らが社会復帰できるように協力するのが大事だと純粋に思っていた。しかしいざ自分にも子供ができるとやっぱそういう前科者には家の近所に住んでほしくない。できれば欧米のように顔写真つきで位置情報をネットで公開してほしいと思わずにいられない。
これらの感情を「気持ちはわかるけど差別」といわれてもしょうがないと思う。少なくても「自分がしてることは家族を守るための社会的区別。差別じゃない」なんて思い上がった台詞をはかない人間であり続けたいとは思う。ただ人間というは自分より大事な存在ができると、それを守るためには差別する側に回ったり、時には犯罪を犯すこともいとわないものなのだなと痛感する。なぜ世界に宗教という存在が生まれたのか最近よくわかる。
こうの史代の「夕凪の街 桜の国」という漫画に被爆者が差別されるシーンがある。でもそれは被爆者を忌み嫌うというより、自分たちの大事な娘が被爆2世の男性と結婚したら悲しい思いをするんじゃないか?生まれてくる孫は大丈夫だろうか?という娘を思う親心から生まれる差別なのがとても印象的だった。ときには同じ被爆者でありながら、自分の息子には被爆者と結婚してほしくないといったシーンもあった。中二病風にいえば「愛が差別や憎しみをうむ」というやつか。
ぶっちゃけてしまうとね、野党が本当に与党よりも能力あって賢くて経済対策できて国民全体のことを考えて子どもたちの未来も考えて
国内だけでなく国外の情勢にも目を向けてアメリカと中国とのやり取りがうまくできて企業に対するゴマすりもできて
すべてにうまくやれる政党だっていうならそりゃみんな野党に投票しますよ
「あ、野党じゃ無理だな」
ああ、もう自民党に縋る必要なかったんだ、選挙って好きに投票していいんだって国民が目を覚まし
これを否定して現実を直視しないという姿勢を見せている野党に国民が投票するわけがない
単純に勉強不足なのを指摘されてるだけだから勉強してこりゃいいんだよ
国民はそれをずっと待ってる
宿題やってきてないのをどう言い訳するかで頭回してる今は誰も支持者にならない
今からやります!くらいのこと言ってほしいのにそんな気概もない
民主党の結果だけを見た時にとてもじゃないが任せられないって判断を大多数がしたのが今
誰も自民党が最も素晴らしいなんて思ってないけど自民党を支持しないと酷い目にあうって煮え湯を飲まされた
ビンタを回避したら石を抱かないといけないとかシャレにならんだろ
日本とアメリカの政治が違うのは実効力のある与党候補が1つと2つの違い
本来なら右翼側として大きな自民党と公明党はライバル同士じゃないといけないんだけど
左翼に政治を取られそうになった結果、メガバンクみたく合併してしまったと
これが全ての歪みでもあるが全体的に政治家のレベルが低いから支持率が落ちた背景もある
その会社では離職率が高いそうでその理由を最近の若い人はやる気がない(うろ覚え)からだと決めつけていた。こんな僻地で月収10万程度で朝8時から夜中の11時まで流れ作業をさせられる仕事にやる気のある人間が応募してくるわけ無いだろう。 やる気や気概のある若者は田舎にとどまらず都会で進学するか就職してるでしょ。
ここに応募してくるのはここ以外選択肢のない底辺しかいないよ。ってその場で言いたかったな...。 学生の間では水産業に就職するやつのことを冷蔵庫行きと名付けている。成績が悪いやつは水産加工業しか残されていないという揶揄である。(http://globis.jp/article/1248)自分らがやってる仕事が底辺職だと知らんのかな。現に採用できても長続きしないから常に求人している状態。あほくさ。
本当に俺の気に入らない政治をするなら暗殺するよ。それが民主主義社会に生きる一市民の気概だわな。
たとえば暗殺が全然なかったら、政治家はどんなに不真面目になるか、殺される心配がなかったら、いくらでも嘘がつける。
メディアは適当にその辺から捕まえてきた知的障害者を犯人ということにするストーリーに加担したり、冤罪死刑っぽいのに加担したり、警察の流すストーリーに真っ向きって戦う気概はあまり持ち合わせとらんからね。まあそもそも刑に処されるかどうかより、こいつ怪しいから捜査してみるかとネットの接続先とかダウンロード内容とか調べられるのが嫌なんだけどね。そこから微罪でも点数稼ぎで一応逮捕しとくか児童ポルノだし、的な展開になると困る人も大勢いそうだしね。
○朝食:ヨーグルト
○夕食:ご飯、納豆(二つ)、減塩野菜たっぷり味噌汁(フリーズドライ)、オクラとわかめのサラダ、いわしの味噌煮(缶詰)
○調子
はややー。
お仕事はゴールデンウィークから長い長い休暇をとっていた、リーダーが復帰してた。
その間の色々な話をしたんだけど、どうも僕が休んでた火曜日に面倒臭い方向に舵を切ろうとしてたらしい。
さすがにその方向に行かれると、六月が毎日終電になるので、勘弁してもらうためにあることないことでっち上げて説得した。
ここ最近、プロマネの下の人たちの説得方がだいぶ身について来てるので、なんなく成功。
しかもかなり良い方向に説得できたので、うまいことやれば毎日定時で帰れそう、やったぜ。
●3DS
○ポケとる
致命的なまでに飽きて来た。
残る悪ポケが、アクジキング、ベトベトン(A)、ニャース(A)、ペルシアン(A)の四匹で、しかも解禁イベントを待つだけという状態が、僕のやる気が起きない理由っぽい。
まあ、飽きたら辞められるのがゲームなので、ここら辺で一区切りにしようかなあ。
なにやら、iPhoneとAndroidでポケモンスクランブル系列の新作が出るみたいだし、そっちに集中しようかなあ。
○はねろコイキング
されているんだけど、イベント報酬のダークライはもう持ってるし、このゲームは同じポケモンを集めると「チェイン」というので強化できるんだけど、
なんだけど、一応一回ぐらいやっておくかなあ、といつものもはや古臭さすら感じるマニュパ(イベルタル、ゲッコウガ、ブラッキー、マニューラ、マニューラ、マニューラ)で挑戦
社会人になってひと月半ほど、別に辞めたいとか辛いとかの感情はない。のだけれど、日常に色がない。毎日労働して休日は炊事洗濯掃除エトセトラ、この先もルーチンワークを捌くだけの人生なの?なんて思っちゃうからいただけない。確固たる打ち込める趣味は持ち合わせていないし、かけがえのない存在もさしていない。そのくせ無を有にする気概もないから、せめて落ち込まないように今日も一人酒、ってこれだと華がないし腑に落ちない。
『葉隠』(はがくれ)は、江戸時代中期(1716年ごろ)に書かれた書物。肥前国佐賀鍋島藩士・山本常朝が武士としての心得を口述し、それを同藩士田代陣基(つらもと)が筆録しまとめた。全11巻。葉可久礼とも。『葉隠聞書』ともいう。
目次 [非表示]
1 概要
1.2 書名の由来
2 脚注
3 刊本
4 参考文献
5 関連項目
6 外部リンク
「朝毎に懈怠なく死して置くべし(聞書第11)」とするなど、常に己の生死にかかわらず、正しい決断をせよと説いた。後述の「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」の文言は有名である。同時代に著された大道寺友山『武道初心集』とも共通するところが多い。
文中、鍋島藩祖である鍋島直茂を武士の理想像として提示しているとされている。また、「隆信様、日峯(直茂[1])様」など、随所に龍造寺氏と鍋島氏を併記しており、鍋島氏が龍造寺氏の正統な後継者であることを強調している。
当時、主流であった山鹿素行などが提唱していた儒学的武士道を「上方風のつけあがりたる武士道」と批判しており、忠義は山鹿の説くように「これは忠である」と分析できるようなものではなく、行動の中に忠義が含まれているべきで、行動しているときには「死ぐるい(無我夢中)」であるべきだと説いている。赤穂事件についても、主君・浅野長矩の切腹後、すぐに仇討ちしなかったこと[2]と、浪士達が吉良義央を討ったあと、すぐに切腹しなかったことを落ち度と批判している。何故なら、すぐに行動を起こさなければ、吉良義央が病死してしまい、仇を討つ機会が無くなる恐れがあるからである。その上で、「上方衆は知恵はあるため、人から褒められるやり方は上手だけれど、長崎喧嘩のように無分別に相手に突っかかることはできないのである」と評している。
この考え方は主流の武士道とは大きく離れたものであったので、藩内でも禁書の扱いをうけたが、徐々に藩士に対する教育の柱として重要視されるようになり、「鍋島論語」とも呼ばれた。それ故に、佐賀藩の朱子学者・古賀穀堂は、佐賀藩士の学問の不熱心ぶりを「葉隠一巻にて今日のこと随分事たるよう」と批判し、同じく佐賀藩出身の大隈重信も古い世を代表する考え方だと批判している。
明治中期以降アメリカ合衆国で出版された英語の書『武士道』が逆輸入紹介され、評価されたが、新渡戸の説く武士道とも大幅に異なっているという菅野覚明の指摘がある。
また「葉隠」は巻頭に、この全11巻は火中にすべしと述べていることもあり、江戸期にあっては長く密伝の扱いで、覚えれば火に投じて燃やしてしまう気概と覚悟が慣用とされていたといわれる。そのため原本はすでになく、現在はその写本(孝白本、小山本、中野本、五常本など)により読むことが可能になったものである。これは、山本常朝が6、7年の年月を経て座談したものを、田代陣基が綴って完成したものといわれ、あくまでも口伝による秘伝であったため、覚えたら火中にくべて燃やすよう記されていたことによる。2人の初対面は宝永7(1710年)、常朝52歳、陣基33歳のことという。
白雲やただ今花に尋ね合ひ 陣基
葉隠の記述の中で特に有名な一節であるが、葉隠の全体を理解せず、この部分だけ取り出して武士道精神と単純に解釈されてしまっている事が多い。実際、太平洋戦争中の特攻、玉砕や自決時にこの言葉が使われた事実もあり、現在もこのような解釈をされるケースが多い。
しかし山本常朝自身「我人、生くる事が好きなり(私も人である。生きる事が好きである)」と後述している様に、葉隠は死を美化したり自決を推奨する書物と一括りにすることは出来ない。葉隠の記述は、嫌な上司からの酒の誘いを丁寧に断る方法や、部下の失敗を上手くフォローする方法、人前であくびをしないようにする方法等、現代でいうビジネスマナーの指南書や礼法マニュアルに近い記述がほとんどである。また衆道(男色)の行い方を説明した記述等、一般に近代人の想像するところの『武士道』とはかけ離れた内容もある。
戦後、軍国主義的書物という誤解から一時は禁書扱いもされたが、近年では地方武士の生活に根ざした書物として再評価されている。先述したように『葉隠』には処世術のマニュアル本としての一面もあり、『葉隠』に取材したビジネス書も出版されている。
戦後も、葉隠を愛好した戦中派文学者で、純文学の三島由紀夫は『葉隠入門』を、大衆文学の隆慶一郎は『死ぬことと見つけたり』を出している。両作品は、いずれも葉隠の入門書として知られ、各新潮文庫で再刊された。
書名の由来[編集]
本来「葉隠」とは葉蔭、あるいは葉蔭となって見えなくなることを意味する言葉であるために、蔭の奉公を大義とするという説。さらに、西行の山家集の葉隠の和歌に由来するとするもの、また一説には常長の庵前に「はがくし」と言う柿の木があったからとする説などがある。
就活してて思ったんだけど、ポテンシャルしかない学生が大企業だろうがそうでなかろうがどんな企業に就職したって、将来的に身につく能力に大きな差はない気がしてきた。(そりゃ、異分野に行ったとかだったら話は変わるよ?)
”好き”とか”楽しい”を原動力に技術的な知識と経験を蓄えてきた学生に、ポテンシャルだけが評価されて入社してきた学生は到底勝てないよ。入社直後もその後も。どこいったって身につくものは同じ。変わるのはせいぜい名刺とか服装くらいなもんよ。
入社してから力をつけようっていう気概はすばらしいとおもう。けど、意気込みだけで飯は食えないんだよね。将来的に会社の技術力に貢献するのは学生の時の研究の延長で研究してる人だったり、趣味の延長で楽しく力をつけてきたエンジニアなんだよ。ポテンシャルだけの学生は何年たっても彼らには勝てない。いずれそれっぽいスキルは身につくだろうけど。”好き”とか”楽しい”には勝てない。
来年就活をするポテンシャルオンリー学生よ。”技術力を身につけて社会に貢献だ!”なんて思うなよ。遅いよ。年収とか勤務体系とかで会社選びなさい。餅は餅屋。彼らはもう既に”学び”始めているよ。未来を作り始めているよ。
多分、ネットで何万回と繰り返されてきた話。
毎日、ネットで誰かを攻撃して留飲をさげるだけの人生を送っている。自殺したいが、する勇気もない。
小学校と中学校では「神童」と呼ばれた。勉強はほとんどした記憶がない。でもテストではいつもほぼ満点だった。クラスの他の奴が100点を取れない理由が、当時は本気で理解できなかった。
高校は県内一の進学校に行く事にした。さすがに塾には通ったが、似たような問題を反復練習して精度を上げるだけだった。入試問題はあっけない程に簡単で、合格通知が届いても特に感慨もなく、淡々と入学手続きを済ませた。
私はこんなだったが、両親、特に母親は喜んでくれた。両親は2人とも学がなく、特に母親は小学校すら満足に通っていない。私が幼い頃から、「人の2倍給料が欲しいなら、人の2倍働くしかない」が両親の口癖だった。
おかげで物心ついた頃にはいつも家にひとりでいた。両親は昼も夜も働いていた。土日も働いていた。たまに日曜日の晩に家族揃って晩御飯が食べられる時があるが、私はそれが何よりも楽しみだった。
そんな母親だから、高校に合格した時には、ご近所に「○○高校になんとか受かりまして…。」と吹聴しまくっていた。私はそれが大層恥ずかしかったが、母にとっては自慢の息子だったのだろう、私が「あまり自慢するのはやめてくれ」とせがんでも、静かになる様子は一向になかった。
だが、テンプレ通り、私は高校でアッサリと堕落する。周囲は本物の天才揃いで、しかも努力家が圧倒的多数だった。他校の授業は受けた事がないので一概に比較もできないが、通っていた高校の授業内容もかなり独特だったらしく、授業はかなりハードだった。
中学までの学習貯金はアッサリ底をつき、1学期の中間テストで壊滅的な点数を取った時、自分は選ばれた人間ではない事を知った。
そこからは早かった。学校には出席日数ギリギリしか通わず、あとはバイト三昧の学生生活だった。バイトで稼いだカネはほとんどゲーセンで使った。高校までロクに遊びを知らなかった人間が「遊び」にハマった時の行動は極端で、学校よりも自宅よりも、駅前のゲーセンにいる時間の方が長かった。
さすがにこれじゃいかんと高校3年の時に慌てて勉強を始めたが、当然の事ながら宮廷だの地底だのといった大学には引っかかる事もなく、東京の某大に受かるのが精一杯だった。
この時に何か思うところがあれば、私は変われていたのだろう。だが皆さんのご想像通り、私は変わることができなかった。だからこんな文章をダラダラとタイプしている。
大学に入ると、当然一人暮らしになる。東京の大学に入ったんだから、当然そうなる。私のような人間が一人暮らしをするとどうなるか。答えは簡単だ。大学に行かなくなる。
起きたらバイトかゲーセン、大学に行くのはたまにである。その「たまに」が起こって大学に行ったとしても、サークル棟の奴らとダベって終わりである。単位は3つぐらいしか取ってないんじゃないだろか。結局、大学は1年休学した後に辞めた。
大学を辞める時、母親に連絡しようか迷った。私は休学している事も告げず、毎月毎月仕送りを受け取り、盆も正月も帰らなかった。休学中も仕送りを受け取るのは心苦しかったが、都会の誘惑に負けた。しかし、さすがに大学を辞めるとなると連絡をしない訳にもいかない。
「もしもし?俺だけど、働くことにした。」
「今までありがとう。」
正直、会話の内容はあまり覚えていない。嘘と見栄と虚飾で糊塗した言葉をひたすら吐き出して、仕送りはもういいと言って一方的に電話を切ったような記憶しか残っていない。
大学を辞めても、特に何も変わらなかった。休学中から特にやる事も変わらず、バイトとゲーセンに通うだけの人生。
いつしか、インターネットで誰かを攻撃する時間が増えた。会った事もない、話したこともない、顔も知らない人間が、twitterで失言する。ブログで炎上する。そんな人間を、自宅のPCから延々と責めたてる時間が増えた。「叩いてもいい」人間が目の前にいて、圧倒的正しさをもって思う存分叩ける。叩いている時は快感だった。自分が正義の執行者であることに酔った。当初は目についた炎上案件を叩いていたが、叩く対象を探すようになり、失言・文句・暴言・呪詛をすすんで検索するようになった。
見つけた後は、すぐに騒ぎ立てずに、対象の個人情報収集にはげんだ。twitter、facebookなどの交友関係から年齢や地元を割り出し、実家の写真などをgoogleマップでキャプチャする。twitterなら鍵垢になってもいいようにフォローも飛ばす。フォローされやすいように、常時40個前後のアカウントを管理していた。様々な大学、企業、趣味嗜好についてのアカウントを作成し、1日1回はアカウントに沿った内容で何か呟く。そうやって「育てた」アカウントを対象に滑り込ませ、まんまとフォローされてから炎上→鍵付きとなったアカウントの情報をキャプチャで取得し、ネットに拡散する瞬間には無上の快感があった。
そんな生活も2年近く続けてきたある日、実家から荷物が届いた。食べ物だった。段ボールの蓋だけ開けて放置していたが、翌日に母親から電話がかかってきた。「ご飯は食べているか」「元気でやっているか」「たまには帰って来いよ」基本的に母親の電話上の発言はこの3パターンしかない。なのでいつもは会話もそこそこに電話を切るのだが、この日の母親は違っていた。いつも通りの居心地が悪くなる会話を終わらせようとすると、ふいに
「食べ物だけじゃなくて、少しお金も入れといたから、たまには彼女とおいしいものを食べてね。」
「いつ帰ってきてもいいんだからね」
母親から電話を切ったのは、今のところ、この時が最初で最後だ。
すぐに箱の中身を確認すると、底の方に封筒が入っていた。中には20万円入っていた。
私は封筒を握りしめて嗚咽した。何もしていない、何もしていない、何もしていない。なんの努力もせずに、ダラダラと時間を無駄に過ごし、他人を攻撃ばかりしている。こんな何もしていない人間に、生きている価値があるのだろうか。これから何かを成し遂げる気概があるのだろうか。
消えてしまいたい。そう思ったが、自殺する勇気もない。だいたい、自殺できる人間は「自殺する」と強く願って成就しており、私のようにネットでダラダラと「死にたい」「自殺したい」と言っている人間は自殺しない。
高校の頃に交通事故か何かで死んでおけば、将来有望な若い命として、両親に多額のカネを残すことができた。「惜しい人を亡くした」と皆に同情してもらえた。ところが今はどうだ。今死んだところで、正社員でもない、学歴もない、才能もない。葬式を開いても誰も来ない。働きもせず、ネットで誰かをいびり、母親にお情けの仕送りを送ってもらう。そんな人生になんの意味がある?
特にオチもないが、私の自分語りはこれでおしまいである。荷物が届いたのが数日前、それからバイトに行く元気もなく、体調不良と言って休んでいる。遠からずクビになるだろう。
できれば私はどうするべきなのか、教えてほしい。
追記:cj3029412 様、idコールするのも恥ずかしいので追記にて失礼します。食事のお誘い、本当にありがとうございます。インターネットの優しさを感じました。しかしながら、GWは実家に帰り、両親と今後についてきちんと会話する事になりました。まだ何もしていませんが、少しだけ前に進めたような気がします。これもcj3029412様、トラバ、ブコメを頂いた方々のおかげと思っております。ありがとうございました。
新卒で入った会社を数ヶ月で辞めた。所謂「第二新卒」という括りである。
第二“新卒”という呼称は入っているが、新卒ほどの価値はなく、月とスッポンである。
就活にも苦労している。
最近ふと思うことがある。無職(ニートも含め)の人って、なんか被害者ぶってない?と。
私もきっとそうだった。というかまだそうかもしれない。
嫌な上司がいて…としんみりした顔で話すと、皆「それは辞めて正解だよ」とか
「退職できてよかったね」とか言ってくれる。
新卒時代もなかなか内定が出なくて、卒業間近に決まり、既卒になりたくない・もう就活したくないという
内定が出なくてそんなに追い込まれた状況を作ったのも自分自身だ。
今の時代、会社のレビューを見れるサイトなんて沢山あるし、調べれば回避できたことを
ツイッターとかで、就職できずに既卒になった人の意見を見ると、就活のシステムや企業に文句を言っている。
確かに新卒一括採用は問題視されている部分もあるし、実際の内容と違う求人情報を載せる企業は完全な悪だ。
でもそういう箇所に突っ込みを入れるのって、なんか、どうなんだろう。
『国のせいで就職ができません』みたいな。
労働条件に関しては少しずつではあるが改善されてきているように見えてるが、
あと自分のことを「コミュ障」「人見知り」「クズ」とやたら卑下している。
『自分の欠点は自覚しています。そのせいで就職ができません』という言い訳に見えてくる。
いや実際にそうなのかは知らないけど。思い返せば自分がそうだった。
「ブラックで働いていた」ということで退職したことも無職であることも正当化しようとしていた。
何が言いたいのかよくわからなくなったが、自分含め被害者意識のある無職が
私だってそう言っている人には「大変だったね」「もっと簡単に就職できるようになればいいのにね」と
共感してあげることができる。仲間だし。
でも被害者だからといって何か許されることがあるわけではない。
世の中には働かなければいけない決まりがある。職に就く必要がある。
大多数の人は就活を経て会社に勤めている。そしてそれが常識になっている。
クソみたいな慣習を受け入れて頑張るしかないんだ。
外で怒鳴ってるおじさんを見ると、理由はどうあれとりあえずハリセンを取り出して「メルシーボクーーー!!」などと叫びながら全力で頭を張り倒したくなるのは僕だけじゃないと思う。
でもホントにやると殴り合いのケンカになったりしそうで、そしたら僕は自分でも驚くほどフィジカルが弱いので、そうなるともう僕には少し距離を取って周囲をフニャフニャと舞い踊るくらいのことしかできない。
回ったり踊ったり傘をクルクル回したりしていると楽しくなってくるので自然と笑顔になるのだけれど、昔から僕の笑顔は目が笑ってなくて怖いらしくてとても不気味だと言われる。
口角あがりまくった能面みたいな感じらしい。
鬼ごっこの鬼をしたら年下の子が漏らしたり、夢に出てきたとか言われて、結局鬼が回ってこなくなって、暇だから鬼を追走するようになったら鬼ごっこ自体開催されなくなったりした。
まあ、そんな顔のおかげか、毎回怒鳴るのをやめるまで続ける気概で気合を入れて挑むけど、まだ失敗したことがない。
とはいえ、中学生のころからやってるけど年に数回くらいなのでまだ通算50回もないと思う。
朝から怒鳴りつけおじさんに遭遇してしまうとたまに会社に遅れるけど、ちょっと遅れますって電話しとけばセーフぐらいの範囲で済んでて助かる。
踊りながら怒鳴りつけおじさんと何度も目が合うと、怒鳴るのを止めるか、たまにこちらに向かって怒鳴ってくる人もいる。
でも怒鳴られても、踊るのが楽しいのでウフフ、オホホと曖昧な返事をしていると皆じきに立ち去ってくれる。
怒鳴られていた人と一緒に「なんだアイツヤベェよ」「ヤバイっすね」と言いながら去ってくれたりするととてもうれしくて背中を見送る口角が余計吊り上がる。
きっとそのあと再開されるお説教では、道端で怒鳴りつけていた先ほどまでほどの熱はこもらないだろうから、もう少し理性的に話し合いや指導ができているといいなといつも思う。
最近なにやら診断も下ったりしたが、どうやら僕は物事の捉え方とか、やるやらないの判断とか、衝動の抑制とか、そういうのがいろいろ多方面にズレているらしい。
とはいえ昔から自分では、どれだけ周囲と自分を幸福にしつつなるべく善良に暮らそうとしても、純粋な気持ちで「人を殺してみたかった」とか言っちゃったり、自分のしでかしたことをものすごく他人事のように淡々と語ったりするタイプの、ヤバイ犯罪者の言動にごくナチュラルに共感できてしまう、かなり紙一重な感じのキチガイであると思っていたのでその辺はさして変化はない。
好奇心に対する歯止めがかなり薄いのだと思う。
やらかしてしまって理由を問われても、自分としては「やってみたくなったから」「気になったから」以上の答えがあまり用意できない。
なのでたまに職質されると、よしよし日本の警察はちゃんと僕のような不審な人物を見抜けているのだな、ととても安心する。
まあ、グロいのとか血とか痛いのとかダメだから、他人に物理的に危害を加える系の方向にはそういかないとは思うのだけれど、人から「優しい」と称され倫理観ブレーキ的なものがあるように見えても、単に自分がしたくないから偶然それはしてないだけみたいなスレスレ感が常にある。
そして、お外で怒鳴りつけるおじさん各位はそうした行為が、奇怪な風体をしたミニマムスローダンスおじさんである僕を呼び寄せるくらいキチガイホイホイであることを自覚して、ちゃんと戒めて欲しいと思う。