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2022-02-25

anond:20220225205655

ベストアンサー

ppt********さん

2019/5/8 11:52

人間が食べる米の自給率100%です。

家畜用の餌として、外国から安い米を輸入しています

日本気候や土は小麦栽培に適していません。

小麦自給率が低いのは事実です。

アメリカカナダオーストラリアなどの輸入に頼っています

今はアメリカ産が多いですが、TPPが本格的に始まれば、カナダオーストラリア産が増えるでしょう。

卵の自給率データ上は13%ですが、実際は100%近いです。

デパートスーパーを見ても卵は日本しか置いて無いですよね?

では、なぜ卵の自給率データ上低くなるのかと言うと、家畜用の餌が、外国から輸入した米や小麦からです。

データ上は「家畜用の餌は輸入なので、輸入が止められると、家畜は餌が無くなり餓死する」という、計算が行われているのです。

実際には、家畜の餌を日本産の米や穀物に変えれば良いだけです。

2022-02-19

もし気候変動で世界的な食糧危機になったら

日本政府対応できるのか。

日本中農家ジャガイモ栽培して食料確保に協力してくださいとお願いするとかリーダーシップを発揮できるのだろうか。

2022-02-18

増田メンヘラにとって救済をもたらすサービスであり続けて欲しい

私は「インターネット上で故人のブログが閲覧できる」ということを知り、廃墟サイトまとめを閲覧していた。

そもそも一体なぜ私が故人のブログに興味を持ったのかということについて述べたいと思う。中学生の頃、図書館南条さんの本を借りた。当時私はリスカアムカを常習的に行っていた。そのような自傷行為きっかけで南条さんの本に辿り着いたと記憶している。

本には、南条さんという人物について、また彼女インターネット上に残したものについて書かれていた。


「死んだらインターネットで公開したものが残り、さらには書籍化されるパターンもあるらしい」

衝撃だった。

南条さんは、生存した証をインターネット上に残して死んだ。いや、「生存した証がインターネット上に残ってしまった」と言い表した方が正しいのかもしれない。


さて話を戻すと、インターネット上で閲覧できる故人のブログというのが、二階堂さんの「八本脚の蝶」という日記サイトだった。利用されていたのは「@niftyホームページサービス」で、このサービスから推測できるように、当時はまだ世の中に気軽に開設可能ブログサイトは広まっていなかったのかもしれない。

二階堂さんもまた、南条さんと同様にに生存した証をインターネット上に残して死んだ。特筆しておくべき点が、二階堂さんは南条さんと異なり「自らの意志生存した証をインターネット上に残して自殺した」という点である


私は、南条さんも二階堂さんもインターネット上でリアルタイムにて追うことができなかった。そのことについてなぜか「残念だ」と感じてしまうの自分自身気持ち不謹慎でたまらなかった。

インターネットではブログサービスの代りに増田流行り始めた。私は主にメンタルヘルスについて発信している増田を好んで見ていた。そのうちそのクラスタ内のある増田について「どうやらあのアカウントの持ち主は自殺したようだ」と囁かれている場面に何度か遭遇するようになった。

このような場面を目撃し私は、非常にモラルの欠けた発言になるのだが「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と感じるようになっていた。


さて、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化され河出書房新社より発売された。文庫化されるという情報を得た時点で既に私は、自分の心の中で妙にひっかかるものを感じていた。故人の尊厳について考えた。

前置きは長くなったが、本編の日記を読んで感じたことを述べていこうと思う。



その日記は2001年6月13日水曜日から始まっている。

はいつの間にか、2001年当時自分が何をしていたかということについて思いを馳せていた。2001年6月13日水曜日、私は小学6年生だった。私は6年生のゴールデンウィーク旅行先で体調を崩し、風邪をこじらせてしま入院した。自宅で寝ていると熱がぐんぐん上がり、布団に包まっても寒くて寒くてたまらなかった。後になって改めて親とその話をしていると、どうやら熱性けいれんを起こしていたらしい。

ところで北海道運動会は春に行われる。私は運動会当日までに退院することができた。当時の担任先生が「持久走どうする?」と確認してきたので、私は「徒競走だけ出ます」と答えた。グラウンド5周の1キロなんて走りたくなかったのである

私にとってそんな小学最後運動会が終わり、初夏なのか蝦夷梅雨北海道にも一応梅雨のような時期が一瞬だけ存在する)なのかわからない曖昧気候の中で、小学生活を送っていた。おそらくそれが、私の2001年6月13日水曜日だったのではないかと思う。


2002年4月8日、月曜日。おそらくこの日に私は中学1年生になった。中学校に進学したといっても、私が通っていたのは小中併置校だった。わかりやす説明すると、小学生の教室が校舎の2階にあって、中学生教室が3階にあるということだ。つまり中学生になると階段を上る段数が増えるだけのことである

私は新学期の校舎の何とも言えないにおいに敏感な子どもだったので覚えているが、小学生のフロア中学生フロアとでは、においが異なっていた。中学生の階の廊下教室は、やはり中学生らしい大人っぽいとでも言ったらいいのか、とにかく少し変なにおいがしたのを覚えている。

4月も8日頃となると、多くの会社にとっては新年度区切りを迎えてから日経過したというところで、まだ新しい環境には慣れていないという時期ではないだろうか。

2002年4月8日の月曜日二階堂さんにとってのこの日は、ある本に引用されていた詩を見つけることができた日ということになっている。どうしても読みたくて探していたのだという。彼女にとってのちょっとした記念日であるように感じられる。


2002年の3月末~4月初旬の彼女日記確認してみると、すっぽりと更新されていない空白の期間になっていることがわかった。年度末から年度初めは、やはり忙しかったのだろう。

彼女文学部哲学科を卒業した後、編集者レビュアーとして働いていたようだ。新年度が始まって早々しかも平日に、ずっと探していた本が見つかったという出来事日記に書くほどに、彼女は本に対してかなり熱心な人物だったんだろうとぼんやり想像する。


2003年4月1日火曜日、この日は平日だ。

平日だが、二階堂さんの日記は「その一」「その二」「その三」「その四」「その五」「その六」「その七」、これに止まらず「その八」「その九」、さらに続き「その一〇」「その一一‐一」と綴られている。私はそのことに気付き、なんだか雲行きが怪しくなってきたと感じた。「その一一‐二」「その一二‐一」「その一二‐二」と日記は続くが、いくら新年度決意表明にしても長編すぎやしないだろうかと思う。「その一二‐三」の日記の次に、彼女はやっと翌日の4月2日を迎えられたようだ。

しかしその4月2日水曜日日記タイトルは「その一」とある。この日は「その七」まで綴られているが、分割されている記事もあることを踏まえるとトータル9回更新されたということなのだと思う。おそらく当時はスマホなど普及していなかったはずなので、勝手個人的な予想になるが、彼女は自宅で夜中になるまで複数回にわたってブログ記事投稿したのではないかと考える。もしくは、職場PCから小分けして投稿していたという可能性も考えられる。しかし、2002年4月8日月曜日日記から判断する限り、彼女であれば絶対にそんなことはしないのではないかと思う。


投稿あたりの文字数は、今でいうブログ(いわゆる収益化を目的としたブログ)と比較するとかなり少なく感じられる。

しか彼女複数回に及ぶブログ投稿現代増田で例えるなら、短文の増田をかなりの回数にわたって連投しているという状態に置き換えられるのではないかと思う。多くの人はそのような増田のことを、はてなーもしくはいわゆる「病み増田メンタルヘルス系の内容を扱う増田の中でも特に思春期中高生が該当するように思う)」に分類すると思う。事実私も、一晩にかけてそのように連投しているアカウントを見かけると、どうしてもメンタルヘルス系の悩みでも抱えているのだろうかと見なしてしまう。

さて連続して投稿された日記の内容はというと、私が生きてきた中でそのタイトルも作者も聞いたことがないような本から引用である。また、彼女が数年前に受け取ったと思われる知人から手紙引用している投稿も見られる。


ふと私は、おそらく二階堂さんは思考の整理のためにブログを使うというやり方をとるタイプ人間ではないだろうかと感じた。というのも私も時たまTwitterをそのような用途に用いるかである。そしてどういうときにその思考の整理をするかというと、それは「ものすごく死にたいが、どう対処していいか方法が見当もつかないときである。これについては、もしかするとピンとくる方もいるかもしれない。そのようにしばしば私はTwitter思考の整理を行う。なぜなら自分自身脳内の回転及びそれによって生じる思考インターネットに吐き出さなければ、到底処理しきれない状態に陥っているからだ。

そしてなぜあえてインターネット吐露するのかというと、リアル社会には私の話を聞いてくれる人が存在しないからだ。私にとって、リアル社会相手の様子を窺いつつ的確なタイミングでふさわしい言葉相談を持ちかけるという動作は、極めて難しい。過去に何度も相談時のコミュニケーション挫折する経験を重ねたことがきっかけで、そのような事態に辿り着いてしまったのではないかと疑っている。


彼女本心は今となってはわからない。そのため私のような人間が、勝手彼女自身を重ね合わせ、どこかに類似点があるのではないかとあれこれ想像してしまう。

ふと、彼女の死とはこのような在り方でよかったのだろうかと思わず考えてしまう。死後に自分作品が残るとは、そういうことなのだと思う。


2003年4月に私は中学2年生になり、無事に厨二病発症した。インターネットに本格的に参入したのは、この時期だったか記憶している。休み時間には、情報担当教諭ヤフージオシティーズアカウント取得を手伝ってくれた。

やはり、当時はまだブログがそこまで一般的ものではなかった。私はまずは無料レンタルスペース(現代でいうレンタルサーバーのようなもの)を契約個人サイトを作っていた。そしてレンタル掲示板を設置し、同盟バナーハッシュタグで繋がる文化など当然存在しなかったため、共通趣味で繋がる同盟という文化が主流であった)を貼り、繋がっていた。あの頃はそのような時代であった。

私は夜な夜な日記(これはノートに綴った日記であった。というのも夜はインターネットができない家庭環境にあったのだ)を書き、アムカをするようになっていた。田舎特有地域性、そこで生じた問題、そして本来の私の性格と一体何が根本的な原因であるのかはわからないが、ちょうど家庭内でもそこそこ大きな出来事が発生し、私は混乱のさなかにあった。

やがて私は個人サイトの別館を作るようになった。それはおそらく現代でいうTwitter複垢サブアカウント)のような類に非常によく似ているのではないかと思う。私はやがて、いかにも「メンヘラポエム(笑)」と晒されそうな文章を拙いながらも公開するようになっていた。


私は日本におけるインターネット内でポエム馬鹿にされる風潮にいまいち納得がいかないので補足するが、あの頃は「テキストサイト」とカテゴライズされる個人サイトが充実していた。現代詩ともエッセイともいえない、インターネットならではの文章ポートフォリオのようにまとめた個人サイトは、当時かなり多くみられたように思う。

このように、思春期も相まって私は何かと思いつめて過ごす時間が多かった。先に述べたアムカをするようになったのは、確か半袖を着なくなった秋頃だったか記憶している。


二階堂さんの日記は2003年4月26日の土曜日更新が途絶えている。4月26日というと私の誕生日の翌日なのだが、そんなことなど今はどうでもいい。4月26日の日記は、6回更新されている。「その一」「その二」「その三」、そして「お別れ その一」「お別れ その二」「お別れ その三」という題で投稿されている。

そしてその後に、おそらくこれは投稿時間を設定したことによる自動投稿なのではないかと思うのだが、「最後のお知らせ」が更新されている。その内容は、「2003年4月26日のまだ朝が来る前に自ら命を絶ちました」という旨を報告するものである


人の死についてあれこれ憶測することが心苦しいが、おそらく夜中のまだ朝が来る前に、最期のまとめとお別れの言葉を、何人かの対象に向けてそれぞれ投稿したのではないかと思う。そして、2001年から更新が続いていた日記ありがとうございましたという言葉で締めくくり、パソコンシャットダウンしたのかどうかはわからないがきっと彼女ことなら身支度を整えてどこか高い建物へ向かい、そして亡くなったということだと思う。


インターネット死ぬとはこういうことなのか。


断っておくと、私は『八本脚の蝶』すべてを読破したわけではない。二階堂さんが好んだ幻想文学などの専門分野について私は詳しくないため全文の理解が困難であるという言い訳により、私は挫折した。しかし何とも言えないモヤモヤとした疑問が残った。

冒頭で私は「インターネットに生きた証を残して伝説になるのも悪くはない」と述べた。再度ここで明記するが、『八本脚の蝶』は2020年2月に文庫化された。

しかするとインターネットに生きた証を残して自殺するということは最悪な選択肢なのではないかと私は思った。というのも、自らの意志に構わず書籍化され、需要編集者の熱意があれば数年後に改めて文庫化されるというパターンもあり得るということが今回わかったかである


果たして彼女はそのようなことを望んでいたのだろうかと、厚かましくも疑問に感じてしまう。世に広まるということは、全く想定していないターゲット層にまで届いてしまうということだ。もしかすると「自殺なんて弱い人間が行うことだ。自殺をする人間は敗者だ」などと主張する層に触れ議論を呼ぶこともあり得るかもしれない。

事実書籍化された『八本脚の蝶』は私のような読者にまで届いたし、加えて私は今こうしてこのような文章まで書いている。果たして私のこのような行為は許されるものであろうか。


文中で軽く触れたが、私にとって増田思考の整理のためのツールとして役立っている。

私は物心ついた頃より、「この子ぼんやりと過ごしているねぇ」と周囲から見なされることが多かった。しかしその一方で、「あなたは随分と真面目だね」などと言われる場面もたびたびあった。その理由について私は、私の脳は必要以上に過剰な思考を行っているためではないかと考えている。


私にはストレスや言いたいことを溜め込む傾向がある。「我慢しちゃだめだよ」とかなりの数の人たちから言われた経験がある。しかし、言える相手に言える範囲相談をし、さら増田で大量に噴出しても追いつかないのが残念ながら現状なのだ

私は、増田を含むインターネットとは「最後の砦」であると考えている。リアル社会で捨てきれない期待をインターネットに託している。もし私がインターネットに見捨てられたなら、どうにかして確実な方法で間違いなく命を絶つと思う。それほどまでに私はインターネットに縋り付いている。


果たしてインターネットは苦しみの最中に置かれた人間にとっての救いとなるのだろうか。

今となっては、様々な利用目的によりインターネットは利用されている。インターネット事業を興し収入を得る個人も随分と多く見かけるようになった。しかインターネット上に人が増えたわりに、一向に私はそこで救われることがないように感じる。

私はリアル社会の中で、絶望絶望を重ねている。冷静に振り返ると自滅して傷ついている場面が多いようにも感じられるが、何らかの救いを求めてインターネットに入り浸っている。もしも私がインターネット絶望しきってしまったのなら、それは完全に終了の合図だ。「死」以外に何もあり得ない。


インターネット彷徨っていると、「死ぬ以外の選択肢が無いために死ぬという選択を取った」という人間が多数存在することに気付かされる。

二階堂さんが一体どうして「八本脚の蝶」というウェブサイトを立ち上げたのか私にはわからない。もしかすると彼女日記のどこかで触れられているのかもしれない。  

しかし、私にはそのことについて何時までもこだわっている時間は無い。正直に言うと、小康状態を保ちながら生きていく上では、他人のことを気にかける余裕など皆無なのだ。そして当然なことであるのかもしれないが、健康人間にとっても同様に、いわゆる「生きづらい人」を気にかける余裕というものは本当に無いらしい。最悪の社会だと思う。

しかしその「最悪な社会」だからこそ、インターネットは救済希望者を受け入れて欲しい。私の意図することをより明確に言い表すなら、「すべての利用者インターネットを通じて他者を救済する世界であって欲しい」。


相変わらず私はぐちぐちと思考の飛躍や感情上下運動に振り回される様子を、増田のしかも匿名披露している。どうかこのことに何らかの意味があって欲しい。

私は自分自身人生について、「あまりにも辛く、ほとんどの時間を疲れ果てた状態で過ごし、さらに今にも死にたくなる瞬間がたびたび勃発してしまう」ものであるように感じている。それならば、私の不幸によって同じようにどこかで苦しい思いをしている誰かが救われて欲しい。


自分自身とよく似たパーソナリティ人物言動思考を知ること」は、抱えている苦しみを解消することにかなり役立つのではないかと思う。そのような情報医療機関提供してもらう機会が少なく、私はインターネットに救いを求めている。そういうわけで私は毎日欠かさずインターネットを利用している。

私はインターネットヘビーユーザーのまま亡くなっていったすべての人たちを観測したわけではないが、目にした限り彼らは社会に対する憎しみを叫ぶことなどせずにこの世を去っていったように思う。彼らに共通することとしては、後世に何らかの表現方法アドバイスを残し、そして希望を託して亡くなっていったように感じられる。


私は彼らから希望を託された側として生を続けたいと思う。そしてそれがいつまでの期間になるかはわからないが、インターネットに救いを求めつつも、積極的自分自身の不幸を開示していこうと考えている。

増田には、メンヘラにとって永遠に救済をもたらすサービスであり続けて欲しい。

2022-02-16

[] そのにひゃくじゅう

ブレザーッス

 

天気予報が外れることってたまにあります

からといって天気予報を信じるなって訳ではなくて、まぁ前日の空気感から大体こんな感じの天気になるんじゃないかと読めていたら仕事も楽になるのになぁとは思うのです。

それでも気候が移り変わって訳のわからん天気になってしまって、着るものすらちゃんと着れないままその日一日中過ごさなければならなくなったりしまからね。

まぁ冬の間は上着を欠かさずに、夏の間は薄手の長袖でも仕込んどけばいいかもしれません。

そしたら例え暑くても寒くても荷物が嵩張るなぁ程度で済むんじゃねえかなぁって最近のよく凍える天気を見ながら思ったりしてます

 

ということで本日は【防寒対策いか】でいきたいと思います

防寒対策いか!防寒対策ヨシ!

 

それでは今日も一日、ご安全に!

2022-02-11

anond:20220211095752

日本気候で米が作れないのであれば中国ではなおさら気候的に米が作れないのでは

anond:20220211095658

という情報戦

日本気候では一部の地域以外ではコメは生育できないので、中国産国産と偽って売るしかできない

2022-02-08

駅構内で「ガンをつけられた」とから高校生土下座させ頭を蹴る 無職の15歳少年

誰も助けない

北海道気候も人も氷点下

2022-02-04

線状降水帯雨ニモ負ケズ

線状降水帯雨にも負けず日本に急接近した数十年に一度クラス台風にも負けず、コロナの冬の感染力にも気候変動により年々最高記録を更新する夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、五輪打ち上げ宴会を開きたい欲は無く、メンタリスト炎上商法にも決して怒らず、いつも静かに笑っている。

2022-02-02

日本の悪いところを煮詰めたような国が韓国なんだけど

日本の良いところを煮詰めたような国はどこになるんだろう

というか韓国東北に似てるんだよね

俺の地元そっくりだわ

やっぱ気候的なものなんだろうか

ロシアもアレだしな

2022-01-31

ネギ食べなくていい

長ネギ食べてーーーーーー!!!」ってヤフーニュースで言ってるけど、

これって供給側の問題なので、食ってもらっても何も変わらない。

食べ物はどうしても供給過剰になる。

食べてもらえる量を100とすると、欲しいひと全てが買うためにはスーパーでは110とか置いてないとダメで、

秀品率70%くらいとすれば、160くらい作付しないといけない。

でも気候で収穫時期が偏ってしまったりするので、200くらい出荷されたりする。

ネギの経費なんだけど、ネギは5kg箱が標準で、荷造り運賃手数料で480円、栽培経費で400円くらいかかる。

ここに収穫・箱詰めの人件費が1人1日25ケースくらいなので、350円くらいか

あと燃料代とか機械代を考えると

1300円あたりが再生価格(経費を回収できてなんとか経営を維持するライン)となると思う。

うまくやれば1100円くらいまで落とせるかもしれない。

現在ネギ価格は1ケース1250円。これは経営的に厳しい。

それでも1000円つくなら出荷するだろう。

ネギが収穫できるところまで行った時点ではもう生産費400円と燃料代などは埋没コスト、使ってしまったお金だ。

ここから収穫箱詰め出荷で800円くらいと思うと、1000円で売れれば一応手取りとしては残る。

こうして再生価格以下で野菜は出荷されていく。そして終わってみれば赤字

800円割ってたら本当に出荷するほど現金が減っていくので、パート辞めてもらうとかそういう手段を取り始めることになる。

人件費って固定費なわけだけど、

経営環境が不安定なところで固定費を上げることは、とてもハイリスクだ。しかもリターンがあまりない。

千万円・何億円もする機械があれば経営規模を維持することは大切だけど、ネギ機械なんて数百万円だ。

従業員いるから多少赤字でも出荷し続けた方が赤字幅が減る、そしてさらに値段が下がるなんてバカなことになる。

構造的に小規模農家家族経営農家が生き残っていくんだよね。

家族だけならベテラン揃いなので最高に生産性が高められるし、赤字幅も小さいからどうにかもたせられる。

国や県は規模拡大を推進しているけど、なかなか進まないのはこういう構造的な問題だと思うよ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c27a74f51fa606c46562365cc4bed5746601a70c

2022-01-27

遺伝子多様性」とやらが本当に大事なら

例えば子供を2人産む予定として

だったらリスクヘッジやら何やらで、父親が違う方が多様性があっていいかもね、とかなってもおかしくなさそうなものだが

もちろん個人レベルではどこの誰もそんなことはしていない

要するに「遺伝子多様性」なんて、自分の子供や自分生活に比べれば、マジでどうでもいいものしかないわけだ

だいたい、国が音頭取って多様性の確保なんぞおっぱじめようものなら、どうせナチス殴るのと同じノリで総叩きだろうがお前らは

遺伝多様性理由個人の具体的な行動を変えようなんて、それこそ気候変動とかSDGsとか以上に無理がある

しかし、多様性のために何も犠牲にできないし、するつもりもないというのであれば

それこそ、いずれ我々が「多様性とやらを欠いたせいで絶滅危機を迎える」のだとしても

「そん時ゃそん時でしょうがない」と、腹括って受け入れるしかないんじゃなかろうか

もちろん多様性を持ち出す当のお前らだって同じことだろう

からそんなものを主張の根拠にされても、正直笑うしかない

2022-01-23

anond:20220123134040

まぁ、普通に考えて、住みたくて住み始めたわけじゃないんだろう。温暖な気候や、狩猟農業のしやすさ、気候の良さ、交易のしやすさとかで、良い環境場所に住むことができるのは、その時代の勝者だったわけで。争いや戦いに敗れた人間たちは、多少厳しい環境でも逃げ延びて生きていくしかなかったんじゃねーの。

anond:20220123105834

まぁ、普通に考えて、住みたくて住み始めたわけじゃないんだろう。温暖な気候や、狩猟農業のしやすさ、気候の良さ、交易のしやすさとかで、良い環境場所に住むことができるのは、その時代の勝者だったわけで。争いや戦いに敗れた人間たちは、多少厳しい環境でも逃げ延びて生きていくしかなかったんじゃねーの。

anond:20220123105834

中国の歴史上、朝鮮半島黒竜江地域はかなりの辺境で極寒だったが、

やはり囚人戦争に追われて逃げた移民が作ったパターンが多いらしい。

オーストラリアとかもそうかな。

ニューギニアとかも元をたどれば先史時代にそうして移民していったと考えられる。

狩りができなくなったとかの気候変動の理由もある。日本もそうかもね。

2022-01-21

anond:20220116234509

増田見立てはたぶん正しい。

ただし国内のみ。

国外については後半の言及通り、小麦やばいと思う。

小麦だけじゃなくて、コメもかなりやばいと思う。

インドから農民がぐんぐん消えてる。より稼げる産業への転職で離農してる。

農業機械化では追いつけないレベルで。

SDGsはこの農民の離農対策として打ち出された一面がある。

 稼げない農業農民を縛り付け、格差固定化して、食料供給の安定を図り飢餓の撲滅を図ろうとしている。

 もちろんそうした側面は尾首にも出さず、職業選択の自由により離農して減少した分の労働力ハイテク解決、というプロパガンダが伸びる。美しいですね。)

いままで食い物がどれだけ不当に買い叩かれてきたか、思い知らされるターンが近づいてるんだけども…そこに思いが至る人は少ない。

気づいた人間題目を掲げて「今の費用で今の快楽」を維持するための枠組みづくりに躍起になってる。

だけどたぶん間に合わない。

気候変動の影響よりも先に、就農労働力の激減によって供給が細りそれが高騰に繋がる、というストーリーに備えたほうが良い。

2022-01-20

anond:20220120031155

しか気候の点でも交通アクセスの点でも福島仙台は良いのだけれど、見方を変えると東北北海道には大都市仙台札幌くらいしか無いので、東京以西と比べるとその点が不利なのではないかと、、、

やはり名古屋京阪神あたりから遠くなるのは不利。

anond:20220119173546

南海トラフリスク回避しないと意味ない、日本海側は地政学的なリスク海路アクセスの点で不便すぎ、北に行きすぎると気候面でコストが大きい、となって必然的ひたちなか市とか仙台あたりしかなさそう。それでも平地が少なすぎて厳しそうだけど…。あるいは海路妥協して瀬戸内地方か?不便そうだけど…

2022-01-07

仙台のすごいキャッチ

 仕事関係で、しばらく仙台に来ている。会社の手配したホテル滞在しているのだが、出張先とホテル位置関係上、どうしても国分町という仙台における歌舞伎町のような繁華街を通らざるを得ない。このご時世あまりそういった場所へ近づきたくないということもあり必ずしも快く思っていなかたのだが、足早にホテルへ帰ろうとする私に声をかけてくる有象無象キャッチのなかで、ひとりだけ異彩を放っている男がいることにある日気がついた。

 だいたいキャッチというものは「キャバクラいかがっすか」「さ、居酒屋の、ご利用は」「お店お探しですか」の3パターンしかボイスの収録がされていないものと思っていたが、その男だけはそれらの聞き馴染んだセリフが一切なく、あまりに独特の語彙、それも妙にかっこいいコピーライティングのような文句キャッチ行為を行っているのである。この数週間ほぼ毎日のように彼の慧句を聞いてきた中で、とくに印象に残っているものを数点ご紹介したい。

「さ、キャバクラどうですか ただいま 戦後最大のサービス中です」

 私が彼に着目することになったきっかである、このキラーフレーズ。いつものように一顧だにすることなくスッ…とかわし、数歩経ってから、え…戦後最大?と思わず振り返ってしまった名作である。彼の基本的戦略として「振り向かせたら勝ち」だと思っている部分があるようで、このあとうっかり振り返ってしまった私に、彼は雑踏の中で恋人でも見つけたかのように輝かしい笑顔を振りまきながら近づき、延々システムをご説明されたのだった。その口上もまったく落語でも一席聞いているかのように見事な、流れるような心地よさで、この男は只者じゃない。そう思わせる風格に満ちていた。


旦那ァ、お寒うござんすね。どうです、温まって行かれちゃあ…」

 一日中ひどく雪の降った日だった。さすがにこういう時は休むなり軒下にいるなりしているのかと思いきや、彼は降り積もる雪とコーディネートしたかのような白のギラついたモンクレールのダウンを身に纏い、いつもの場所で元気に客引きを行っていた。その気候を一切感じさせない通常営業ぶりと遠目からも明らかにチャラい服装に半分感心、半分呆れながら歩いていると、素早く私の左横に取り入ってこのセリフ。それこそ”戦後最大のサービス”のような分かりやすパワーワードで攻めてくる日もあるかと思えば、またある日は渋めの江戸っ子調である。あるいは、『北風小僧の寒太郎』のサンプリング意識しているのだろうか。こういう思いがけない引き出しの多さ、力で押すだけではない抑揚の効いた客引きテクニックこそ、まさに彼の真骨頂だと思わず感じ入ってしまった。


あなたに逢わせたい、女の子がいます

 スタジオジブリ監督作品キャバクラ』に糸井重里が題するキャッチコピーというような、短い語彙の中にも深い奥行きを感じる名作。ドリルを買いにきた客が求めているのはドリルではなく穴だ…というマーケティング論の有名な言葉があるが、それに近い哲学をさえ感じる。彼のキャッチの特徴として、ほとんど「キャバクラ」という語句を使わず、にもかかわらずしっかりキャバクラキャッチとして成立しているという点があり、これが他のキャッチとは一線を画しているポイントとなっている。かと思えば「キャバクラを超えたキャバクラを、見たくないですか?」などとキャバクラを前面に出して誘ってくる日もあり、型を離れた型を自分の中に確立していながらも、時と場合によってはそれにすら囚われない…という、ある種の武芸の達人のような趣すら感じられる。じつに天晴れである


 もちろん彼がまともな店に連れて行ってくれる確率は非常に低いだろうし、そもそも条例違反行為であるためお世辞にも褒めることはできないのだが、どんな仕事であっても大物というものはいる、そして注目に値するイノベーティブな工夫がある、ということは何とも面映いものだなと感じている。たかキャッチ、されどキャッチ。やがてああいう男が時代を作ってゆくのだろうと考えながら、私は今日も帰り道を楽しみにしているのであった。

2022-01-05

自動車は使わないが最善」フランス社会も認める事実特に自家用自動車マイカー)は社会の癌だから減らすべきだと。

https://anond.hatelabo.jp/20220102190352

自動車CMで「自動車を使わないことへの呼びかけ」が義務化される、違反すると600万円超の罰金

自動車業界では気候変動対策としてガソリンから電気自動車への切り替えが進んでいます

そんな中、自動車CMに「自転車の利用や歩行を呼びかける事項」の追加を義務付ける法律フランスで可決しました。

話題となっている法律2021年12月28日フランスで可決されたもので、この法律によってフランスでは

2022年3月以降、自動車CMには「短距離の移動は徒歩や自転車で(Pour les trajets courts,

privilegiez la marche ou le velo)」「相乗り検討しましょう(Pensez a covoiturer)」「公共交通機関

利用を心掛けましょう(Au quotidien, prenez les transports en commun)」という文面を含ませる義務が生じます

上記義務テレビラジオオンライン印刷物といったCM形式関係なく生じるもので、文面を含まない

CMを公開した場合自動車メーカーは最大5万ユーロ(約655万円)の罰金を課せられるとのこと。

この法律についてフランスエコロジー移行大臣であるバルバラ・ポンピリ氏は「交通関連の

炭素化に必要なのは動力電気モーターへ切り替えることだけではなく、可能な限り公共交通機関

自転車を利用することです」と述べ、環境に優しい移動手段の利用を喚起しています

https://gigazine.net/news/20220105-car-disclaimer-france/

2022-01-04

Spotify音楽の「国らしさ」を壊す?

年賀状で、タイ通の人に「最近タイポップスが気に入ってます。Plastic Plasticが好きです」と送ったら、

もっとタイ臭いのも聴いてみてください」と返事がきた。

なるほど、私がいいなと思うアーティストはたしかに、コテコテタイらしさがない気がする。

インドネシアあたりのアーティストも、好んで聴くのはとてもさらっとした曲で、その裏にはもっとインドネシア臭い曲がたくさんあるように思う。

極端なのはインドで、これもインド臭さを上手に抜いた曲がとても聴きやすい。コテコテインドはどうも苦手。

そこで思ったのは、「国らしさ」の強い曲はやっぱり現地で聴くととてもいいんじゃないか、と。

その土地気候文化の中で聴くためにつくられた曲なんじゃないか、と。

でもこれだけSpotify世界に広まって、リスナー世界に散らばると、そうも言ってられない。

世界中の人に受ける曲をつくらないといけない。

そうすると、例えば常夏の国の人でもちょっと季節感のある曲をつくろうか、とか

日本人からすれば、例えば「夕暮れの神社」とか、そういう他国の人がイメージできないもの歌詞に入れるのはやめようとか、

そういうリスナーを増やすために世界の平均に迎合するような歌ばかりになるんじゃないか、と。

それはそれで聴きたい曲は増えるけど、なんかつまらなくなる気もする。

ちなみに、そもそも「国らしさ」が薄い国もあるよね。マレーシアシンガポールはあまりコテコテじゃない。

今の日本音楽他国から見てどうなんだろ。

2022-01-01

葉書でドナルド・エヴァンズに』が何でかわからんけどおもろい

今日本屋に行って、平出隆の『猫の客』を買おうとしたら売り切れだった

日本であまり知られていないような気がするのに、世界22か国で翻訳されているという不思議小説

数年前に読んだけど、手放してしまったので、もう一度買って文体とかを見たいなと思ったの

一軒家に住む夫婦のもとにどこからか猫が毎日訪ねてくるという「飼ってない猫についての小説」だった気がする

夫婦が住む一軒家は住宅街にあって、その猫が塀を沿って、路地から訪ねてくるルート幾何学的に説明していたのを覚えている

小説地の文風景描写位置関係説明するときって大体のことをぼかして書くことが多いけど、『猫の客』は路地の形状を数学の図形問題説明文みたいに理路整然と詳しく書いてたと思う

「円の中心Oから2㎝離れたところにある点P」とまではいかないけど、誰の頭にも順序だてて考えれば同じ配置図になるように設計された文だった

昔、『猫の客』を読んだ時はその文章のくだりは想像するのが面倒で適当に読み飛ばしたんだけど、今読んだら頭に路地を浮かべることができるもんなんかねえと気になって年末で余裕があるときに試したかったんだ

だけど、売ってなかったから仕方なしに同じ平出隆著の『葉書でドナルド・エヴァンズに』を買って帰った

夭折したドナルドエヴァンズという芸術家あてに著者がはがきサイズに収まる日記を送り続けるという変わった創りの本だった

既に亡くなっている会ったこともない芸術家宛の一方的書簡まとめみたいな感じ

僕はドナルドエヴァンズなんて知らんし、こういう洒落めいた文って大体つまらんもんって期待してなかったんだけど、今半分くらい読んで、かなり楽しめてしまっている

ドナルドエヴァンズは架空の国の気候政治想像しながら切手水彩画で描いて作品にしてた人なんだって

著者は実際にドナルドエヴァンズの母国たるアメリカを旅しながら、生前しかった人を訪ねて話を聞いたり、著者自身ドナルドエヴァンズへの思いをしたためたりしているわけよ

こうやって説明する文を僕なんかが書いても面白くなさそうなのに、読んでるとなんでかわからんけどおもろい

小出しにされるドナルドエヴァンズという人物肖像人生旅行記としての楽しさ、短文の読みやすさ、ドナルドエヴァンズをめぐる人々を追うドキュメンタリーみたいな進行がうまく絡み合ってよくまとまっていて、ページをめくる手が進んでしま

こういう頭のよさそうな人がやっているおしゃれな文を褒めたくないけど、面白いし、どんどんドナルドエヴァンズが好きになっていくんよ

少年時代切手収集共通趣味だった親友切手が誰かにまれしまって、ドナルドエヴァンズが親友のために切手を盗まれた記念の切手作成してプレゼントしたエピソードとか最高かよって思っちまった

皮肉めいた冗談みたいなプレゼントを気軽に送って笑いあう関係を書かれてもないのに勝手想像していいな、うらやましいなとか思った

込み入ったことをしてるはずの本なのに読みやすいんだよ

こういうのを洒脱な文って言うんだろうか

なんか『葉書でドナルド・エヴァンズに』が妙に面白くて、平出隆の才能というか文がうらやましくて、増田に書きなぐっちまった

2021-12-25

猫の人口東京が最多だろう

牛や熊は北海道だろうか

クモ気候暖かいエリアかつ山林エリア

2021-12-23

anond:20211223211413

夏ならそういう時季か、で済むけど冬の花火とかこちらも慣れてなくてな

加えて気候要因で音がデカく響くとなると心臓縮む

2021-12-22

anond:20211221191022

そもそも戦後からバブルまでが異常だっただけで、実態は可住部の少ない狭い島国資源もなく気候も厳しく災害も多い、歴史的にはずっと忍耐だけで凌いできた貧困の国やからな。それを抜け出すために世界戦争を仕掛けなければならないほど詰んでたんだから本来こんなもんやで。

面白いのは当の本人達にはイマイチ自分貧困であるという認識がないところ。クソ狭いの我慢すれば世界基準では衛生的な環境に住めるし単一民族から教育レベルが低くても全員会話と読み書きできて意思の疎通困らないし治安も良い。全力で安い娯楽と安い食い物を開発したからまずくはない飯を腹一杯食ってそこそこ楽しく暮らせる。でも人間として基本的なところの結婚恋愛もできないし家も車も食洗機も持てない、何より次世代を生み育てられないという社会破綻を来たしてる。国の数十年後の未来はない(放棄した)代わりに今生きてる人はなんとかコンビニ飯(意外と出来がいい)は食える、今の日本貧困はそんな形だ。小学校で習ったアフリカガリガリの子供とはまた違う画の貧困から気付かないのだ。その痩せ細る子供達がそもそもまれもしないのだから

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