年賀状で、タイ通の人に「最近はタイのポップスが気に入ってます。Plastic Plasticが好きです」と送ったら、
なるほど、私がいいなと思うアーティストはたしかに、コテコテのタイらしさがない気がする。
インドネシアあたりのアーティストも、好んで聴くのはとてもさらっとした曲で、その裏にはもっとインドネシア臭い曲がたくさんあるように思う。
極端なのはインドで、これもインド臭さを上手に抜いた曲がとても聴きやすい。コテコテのインドはどうも苦手。
そこで思ったのは、「国らしさ」の強い曲はやっぱり現地で聴くととてもいいんじゃないか、と。
その土地の気候や文化の中で聴くためにつくられた曲なんじゃないか、と。
でもこれだけSpotifyが世界に広まって、リスナーが世界に散らばると、そうも言ってられない。
世界中の人に受ける曲をつくらないといけない。
そうすると、例えば常夏の国の人でもちょっと季節感のある曲をつくろうか、とか
日本人からすれば、例えば「夕暮れの神社」とか、そういう他国の人がイメージできないものを歌詞に入れるのはやめようとか、
そういうリスナーを増やすために世界の平均に迎合するような歌ばかりになるんじゃないか、と。
それはそれで聴きたい曲は増えるけど、なんかつまらなくなる気もする。
ネットフリックスでバナナマンのライブがスタンダップコメディに入れられてた アメリカ・ファーストになってくだけだよ