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はてなキーワード: 存在理由とは

2021-09-05

anond:20210905183642

ほんまや

というか、それが唯一の存在理由やもんな。

で、それだけで十分やろ。そんだけ視力重要ってこと。

2021-09-02

疑問なんだが皇室っているのか?

GHQの時点で解散で正解だったんではないか

権力を持たない、政治に介入しない、事業をしていない。存在理由あやふや象徴かいう不確実なもので俺には維持コストの方が問題な気がする。

年間いくらかかっているか理解しているのか。

皇室から離脱するにしても皇室から金が出ていたわけで離脱するならこれまでのコストを変換すべきじゃないのか。

俺には分からないよ、日本のやり方

2021-08-24

anond:20210822062654

テロリズムというものの正体っていうのは、高学歴といった少数のエリート情報の秘匿化で「美味しい思いができた」時代の名残りなんだよ。なんと言っても、鉄砲玉を除いて、テロを起こす連中は「テロで死なない」だろ。死ぬのは、無学な『身内以外』なんだよ。テロリスト集団は、情報格差を使って『良い思い』をするために集うの。テロは、その歪なものを作り出すために利用された『結果』であって、その結果を期待したくなければ「テロリストにミカジメ料を払う」という方法回避するしかない。じゃあ、どうやって?

マスメディアテロリズムを己の存在理由活用してきた。」

テロリズムというのは、マスメディアという情報律速段階が存在した時代の名残りであって、マスメディア自己存在理由がために、テロリズム活用して来たのだよ。頭の良い増田はピンとくるかもしれないが、その際たるのが朝日新聞だ。朝日新聞というのはゾルゲ事件をはじめとし、北朝鮮韓国中国に「自社のせいで被害にあった方々のために、わざわざお礼参り」をして、反日運動を煽ってきた。そうすると、朝日新聞が儲かり、日本特定アジアに甘くなる、というゴールデン・サイクルが昭和の末期まであった。ネトウヨムーブメントはここに起点する。ところが、平成の初期にインターネットができてしまって、謝罪で儲かる朝日新聞というループは消えてしまった。なんといっても、朝日新聞の「取材する→記事にする→輪転機を回す」ということよりも、twitter の方がスピードが速い。今という時代は、朝日新聞は間接的にテロをしても儲からないのだ。そうだとも、我々は「新聞を購読することで、テロリズムを養ってきた」のだ。テロリズムで「一気に赤化して、世界同時革命!」という方式は、もはや実現できない。そう、インターネットのせいでね。マスメディアは、テロリズム活用して自社のプロダクトを売ってきたのだけど、もはや「民衆を動かす」という力を失ってしまい、テロリズム必要な「(嘘の)姿、たとえばクメール・ルージュを『アジア的優しさ』と形容したような(嘘の)姿」を広げる力は、ひろゆきの「それ、あなた感想ですよね?」という『2ちゃんねる』の出現によって、空気を読めないバカが「大虐殺現場」をアップする時代に、価値を成さなくなってしまったのだ。

テロ時代に、死なない方法は「新聞を買う」ということでした。今は死なない方法は、スマホを持つことです。そして、テロ共感しそうなアホは可視化できないけど、アホは「スマホ自爆してくれる」ので、ちゃっちゃとデジタル・タトーを刻まれて、一生ひもじく暮らしてください。良かったですね、本当に。

2021-08-15

DaiGo反省について

ホームレス存在理由などについて、頭ではすぐに理解できたとしても、そんなにすぐに腑に落ちるようなレベル?心で理解?ぐらいに考え方が変わることって人は可能なのだろうか?

それを本人が本気で試みようとしているのなら暖かく見守りたい気もする。まだ若い人だし。

2021-08-03

anond:20210801110936

ビートたけし存在理由は無くなってきている。お笑いから毒舌キャラで気の利いたコメントができる点は他に無かった、経歴としてもお笑いから映画監督までやっているのは他に例がないという優位性で起用されていると考えられる。毒舌キャラで気の利いたコメントというとダウンタウン松本も時々は影響あるのだが、この手のワイドショーコメントしたがる芸人がやたら増えてきたことでうんざり感もある。

80年代ひょうきん族タケちゃんマンがヒット。だが、子供には見せたくない点では、8時だよのシムケンも同レベルであり、ばかばかしくて見てらんない。あと、ツービートほとんど見たことがない。映画監督と言っても癖ありすぎてこの評価もよくわからない。

ビートたけし劣化してきたと感じたのは、原付事故って活舌がさらに悪くなった辺りかな。

2021-06-21

anond:20210621184521

何度も書いていることだけど、これは静岡県民による約20年間のJR東海への怨念が爆発した問題に過ぎないのでしょ。

大井川の水問題はその「口実」に過ぎなくて、静岡人がJR東海を叩く本当の理由は違う。

それは一言で言えば、在来線である東海道線冷遇と、のぞみ号の静岡浜松停車問題

ご存知の通り、JR東海が最優先事項で進めているのは東京名古屋新大阪間の輸送力を永遠に増やし続けること。

JR東海という会社は、その存在理由のためだけの存在する。

必然的東海道線熱海豊橋)は貧弱になるし、のぞみ号は静岡県内の全駅を通過する。

しかし、JR東海静岡配慮したダイヤ投資をすると、東京人や大阪人が「ふざけるな」と言い出す。

東海道新幹線リニアは、東京名古屋大阪という「西日本国土軸」の根幹をなしているので、ここが揺らぐと日本自体が滅亡するので、静岡冷遇簡単に止めることが出来ない。

2021-06-18

蚊ってなんでいんの?

病気媒体になってたりシンプルに刺されて痒くなったりするのマジでキレそうだから早く滅んで欲しいんだけど

滅んでないってことはなんか存在理由があるってことなんだろうな

ゴキブリとかカメムシが滅んでないのも多分なんか理由があるんだろうな知らないが

もう嫌いすぎて調べる気も起きなくなってるかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいかゆいクソ

2021-06-08

anond:20210608131648

横だが、ポケストの成り立ちを説明すると手間なので簡潔に言うと



日本で言えばキリスト生誕祭イースターエッグとかが近いと思われる。宗教歴史的重要な祭典や物であっても直接関わる機会を喪失したままイベント名前概要けが残ると今のような形になる。もちろん他の国でも似たような物だが、日本クリスマスサンタってのはコスプレイベントと余り変わらないでしょ?ポケストも元々のポータルの意義や存在理由喪失したまま使っているから、もうどうしようもないくらいにどうでもいい存在になっている。

恐らくポケモンGo的にはポケストの意味が後付けされていくだろう。本来存在しない意味を誰かが勝手解釈して作り、それに基づいてポケストが作られていく。サンタ衣装が赤いと同じように。

2021-06-03

きゅうり存在理由わからんし、夏になると屋台に並んだきゅうりを買う人がいるってのも更に意味わからん

2021-04-30

方程式もそうだけど、どっかで聞いたような歌詞コピペしても響かないんだよなあ

まあ、歌詞なんて大した意味はない派でもあるんだけど、

最近スーパーで流れてた、いかにも最近ネットから登場したような曲は、

自分存在理由が分からないとか、なんかそんな感じでぐだぐだした歌詞で、

ただ売れてる、聴かれてる、若い世代にウケてるというのだろうから、だとしたら刺さってるんだろうけど、

自分は、何で自分は生きてるんだろうとか、自分存在する理由なんて考えたり悩んだことがそもそもないので、

オウム真理教事件ときにもあんまり共感できなかったんだよね

というか、オウム真理教事件でよくインテリほど騙されやすいみたいな話で、

それをアルカイダだのビンラディンだのに重ねる話もよくあるし、そういうこともあるんだろうけど、

オウム真理教にかぎって言うなら、あんまり大義みたいなのを感じなかった

オウム真理教で感じたのは、大義より義憤というか、この社会を恨んでいるような感情を感じた

日本医療科学技術のあり方に疑問を感じたからといって、だったらエコでもロハスでもスピでも勝手にやればいいし、

そうやって生きている人たちだっているわけで、まあ、それがオウム真理教予備軍っぽくもありはする

でも、予備軍は予備軍であって、暴走しなければ人畜無害しかない

小林よしのり氏でさえ今はコロナ風邪とか老人はポアしろとかオウム真理教みたいなことを言ってる

言ってるけど、これも自分オウム真理教に感じたのと同じで、どこか「私怨」を感じる

そう、あなたは色々御託を並べてるけど、結局はそれって「私怨」だよね?という感じがある

それからオウム真理教事件犯人って意外とそんなにインテリは多くないんだよね

上層部をなんだかんだインテリで固めてるのが社会の鏡写しみたいで皮肉さえ感じるのだけど、

実行犯とかはインテリではない、武闘派とか呼ばれる信者高卒、中卒がメインで、

寧ろ社会階層が低いことから日本社会を恨んでいる方が望ましいと思われていたのではないか

話を戻すと、そのオウム真理教なりの「私怨」とそれを隠す「御託」みたいなもので、

スーパーで聴いた歌詞も、最近話題になったうっせぇわだのみたいな歌詞も、なんか自分には刺さらなくて、

それはどっかから持ってきた歌詞過去リスペクトかもしれないし、

過去楽曲を聴いてるうちに意図せず学習したのかもしれないけど、

私怨」と「御託」で言うなら、やっぱり「御託」で隠してる、綺麗に見せてるように思える

端的に言えばナルシストでもあるんだろうけど、他人言葉拝借して重武装しているだけに思える、

ネットから文章コピペ切り貼りしているんだけど、切り貼りの跡が見えるみたいな、

そんな感じがするんだよな、だから、尚更聴いててウンザリするんだと思う

難しいボキャブラリーを駆使した表現より、素朴な言葉で、

ほんとうのこえをきかせてくれよ

だと自分は思うんだけど、そうでないものが売れるのはそれはそれで分かる気はする

自分歌詞なんて楽器の音と同じであって、特に意味があるとは思っていないところもあるから

でも、なんか強烈な歌詞インパクトを与えたいんだな、と思うことはあって、

そういう意図があるんだったら、もっと余計なこと考えないでタックルしてみたら?

みたいに思うことがよくあってモヤモヤするんだけど老害なだけなんだろうなあ

違国日記差別の話

だってDMMクーポンでたくさん本を買った。

読みたい本は山のようにあったが、なんとなく暇つぶしに端末に読めるもの、読み返しても面白いもの、を基準に選んだ。

例えばギャラリーフェイク、例えば蟲師、例えばファウンデーションシリーズ

それでも100冊までは余ったので続きが気になってるけど買ってはいなかった本を買った。

で、それが違国日記

7巻まで出てる。

どんな漫画かっていうと、姉夫婦が突然死んでしまい姪を勢いで引き取ってしまった少女小説家の話。

へんくつな少々コミュ障気味の小説家の話す言葉、つまりは語彙が姪にはむつかしくて、違う国の言葉に聞こえる、と言う。

彼女目線で語られるので、だから「違」う「国」での「日記」。

ちょっとこの漫画少女小説家の思考方法には、うなずけるところとそうでないところがあって、実のところそれについては

語りたいのだけど久しぶりにここに書きたくなったのは、その最新刊、35話で、姪の同級生女の子エピソードを読んだせいだ。

彼女医学部志望で、例の医学部女子受験生男子と違って下駄はいてない、というニュース激怒する。

自分生き方否定された、と絶望して学校に一時期いけないのだが…

男子下駄はいている理由は「医師が体力勝負で、24時間対応が求められることもあり、女性という生物学機能妊娠出産)に

よる離脱が想定されうる」ので、「男性医師が欲しい(同僚としても部下としても社会的にも)」という理解でいたのだが(認識

違っていたらごめんなさい)、作中の彼女は「人間扱いされてないってことだよね!」と叫んでいる。

両親が医者病院を継ぐことが目的で夢で存在理由なそんな彼女が、女ってだけで不合格になる、それは理不尽だと思う、思うのだが…

少し「もやっ」とした違和感があった。

作中の彼女は15歳で、その子現場ニーズでそうなってしまったんだ(正しくない選択だとは思うけど)、とつい言いたくなって

しまたからかもしれない。

色々もっと方法があったかもしれないが、「入口障害を作るしかない」という「悪手」を取ってしまったのは彼女否定したいわけ

でも受ける資格がないとでも言ってるわけでもないはず。

とはいえ、ここまで書いてきて思ったが、ニーズがない、と言われたと彼女が取った、のかもしれない。

こういうのも無意識的な差別意識なんだろうか。

それを否と即否定したくないというぼんやりとした思考は。

男が怖いから世の中の男全て消えてしまえ、みたいな文章出会ったときと同じように、少しもやっとする。

自分が物書きのくせに言語化できないのは修行がたらん気がする。

しか医学部志望の子エピソードは、なぜかちょっと違和感があったのだ。

もっとそれぞれの孤独についての漫画だと思っていたから。

個人のありよう生き方社会と関連するとはいえ内面だけ深く深く掘っていく漫画であってほしいな。

勝手な読者の言い分だね、まったく

2021-04-28

anond:20210428214931

燃やしたいんだね。

でも存在理由

言語的な時間の跳躍を

考えればすぐわかることだよね

難しい言葉を使うのはよくないよ

anond:20210428024349

ズレてる

まず、物事存在している以上

利害関係から

存在理由がある、それに対して

実情を軽視した政策

依存関係が原因で

うまくいかない。

依存関係がある以上、

急進的に変化するものゆっくり経済とかで

変化していくものの2つに分けられそうなんだけど

...(ちょっと文章整合性が難しくなったので

筆を置きます。)

それ以外の有効な急進的な政策

として技術革新があるんだけど、

上を除く依存関係無視した急進的な政策

失敗していることを歴史がある程度

示していると思う

いくらなんでもネタだと思うけどね

2021-04-26

anond:20210426065054

立憲民主党は動けば動くほど失望させられる

直近では共産社民で迷って社民候補に入れたけど、いいと思う人であれば公明党以外ならどの政党でも入れるつもりはある(創価学会カルトなので、、、)。立憲は理念もまともに掲げられないのにどぶ板で勝つこともできないんだから存在理由がない

2021-03-16

anond:20210316145217

効いてるwwww効いてるwwwwって思ってやって楽しんでるんだろうけど

それであなた楽しいなら構わないよ

ただいつかやりすぎて自分加害者になって捕まらないように気を付けてね

あとは自分被害者になった時に味方がいないもしかしたらいないのかもしれないか攻撃的になっているのかもしれないけれど

つらいならちゃんとつらいっていいなよ

多分存在理由がそれしかいからそう書いてるのかもしれないけど

周りに相談できないなら匿名の強みなんだからちょっとくらい弱音を吐いたららくになるよ

2020-12-17

anond:20201216163157

性別が変わらないのは人間が生まれた時からの性を生涯維持するしかない高機能生物からだよ

局面に応じて生物としての在り方を変化させる必要があるほど過酷環境

それまでの進化系譜を破棄しても遺伝的要素のバランスを変化させることができるほど機能が単純でも汎用的でもない

カエルの外皮とか魚の生態区域とか微生物なんかのような成育範囲カバー生物学的な変化で賄うとき

捨ててもいい生体機能がそんなに多いわけではない

人口が減ってきたから知能を制限して無計画におよそ人がすべきとは思えない労働雇用を産出して昭和バブル再生しよう

かいう状況に1生態区域単位ですらできない程度には人間は高機能

そこで生まれ性別が違うからどうのという差別的ものはまた別問題だが人間が高機能ゆえに生き方を縛られている以上

ストレスの発生はあるだろうしそのはけ口を具体的に用意していないと個々で手近な弱者を虐げてそれにすることは

どの生物環境でも似て存在するわけでそれが理解できるのならば無害なところで具体的な差別を娯楽として存在させるべき

それが空想世界だったりするのだろうけどそれを制限したいという意思やその情報存在理由や意義を

現実の実際生態環境に照らしあわせて現実がその「ストレス解消のための仮想空間」に近いとか近づけようとか考えるのは

やばいんじゃないか

2020-11-30

死にたい理由を本気で考えてみた

死にたい理由

自分はおそらく発達障害医者。30代。

他人不快感を与えてしまうらしいので、それを理由に虐められる

自分他人より圧倒的に優秀なのに、間違っている他人の方が正しいかのように言われる(流石にもう他人反論しないし、できるだけ相手と摩擦減らすようにして関わらないようにしている)

③見た目が終わってるので、第一印象も、その後の印象も、「気持ち悪い人」であり、その目からは逃れられない

  

改善手法

他人不快感を与えるのはしょうがない。これは持って生まれ遺伝子問題

であるので、他人と関わらない=ニート解決になると思われる。

あと数年働いたら、普通に引きこもると思う。

  

<具体的な道>

いろいろあって、現在もまだ修行中の身。

あと数年やれば、そこそこできるようになると思われる。

ただ、この修行結構きつい。どこまでやれるかわからない。

人生保険にしては長すぎるけど、まあ、チャレンジとして悪くはない道。

  

自分への感想

発達だから他人の話もまともに理解できない。

人間相手いつまでも社会生活できないと思う。

自分は生まれた時から遺伝子がこうなっていたと感じる。

今の時代ネットプロダクトを公開できるし、今までいくつかサイト作ったり物づくりしたりしてきたし、他人と関わらないでも十分な気もする。

一方で、この自分人生に何の意味があるんだろうと思う。

死んでも別にどうでもいいなあと。

生きる積極的理由が無い。

単に、一縷の望みというか、人間社会がいい感じになる時が突然くるんじゃ無いかGAFAあたりがいきなりなんか世界を変えるんじゃ無いかと。

そういう可能性を期待して、ダラダラ生きている。

自分はもう人間としては終わってると思う。

あとは、修行を終えてニートになるだけが自分人生

死ぬよりは、人間社会がいい感じになるのを見るために生きておくのがアドかなあ。くらい。

まあ、でも、自分遺伝子が終わってるから、死んでもいいよ。うん。

過去に戻って、自分生前診断とかで分かって、堕胎されることを選べるのなら、めっちゃ嬉しい。

自分は産まれるべきじゃなかった。

こんな気持ち悪い見た目で、頭おかしくて人生を生きろとか、残酷すぎるね。

  

まあ、僕みたいなゴミも生まれなきゃ、遺伝子多様性がうまれいから、僕みたいなゴミ努力させて社会を支えさせるのも人間遺伝子には必要なのかもね。

まり、僕は、ガチャSSRを引くためのゴミカスノーマル

そういうのが僕の存在理由

まあ、それなのに無理やり人間社会でドロスするために生まれたってのが、きついんですな。

2020-11-29

anond:20201129111805

あの定期預金存在理由意味不明だったけどそういう事もできるのかー!

今日増田で一番勉強になった!

2020-10-28

子ども〉のための哲学永井均)を読んだ感想 前半

理解」をどう考えているか、これについての私の根幹(基礎)はオートポイエーシスに準じている。

オートポイエーシスの詳しい説明は省くが、神経細胞情報伝達を行う際、シナプス行為理解しない。ひとつ作業を行うのみであり、結果のための行為連想しない。シナプスにとっては、「物質を伝達する」という行為目的であり結果となり、それらが組み合わさって何が起こるかを理解しない。

まり、最終的に現れるもの(たとえば人体の中で起こりうる結果反応など)はすべて、「行為副産物」としてしか存在し得ないということ。これは非常に重要事実である

本来理解」というものもそのように行われるべきである。一番重要なことは「わからない」ことである。わからない、を通過しない限り、「理解(と呼びたくなるようなもの、それに準ずる、付随する周辺のものもの)」を得ることはできない。

これについては同授業を受け持っていた河本英雄の「飽きる力」なんかを読めば少しわかると思う。

この文を書き始めた当初は、この前提を元に本文を整理していこうと最初は考えていたのだが、結局本文に「哲学哲学をしている瞬間にしか浮上しない」とはっきり銘打たれていた。だからもはや、一文を取り上げて「ここの箇所は〜」などと言語化することは意味を持たない。それ(ここでは〈哲学〉とする)が"それ"たらしめるやり方でのみ、発見できることであるならば、そう(そのやり方で)やる他ないと思うので、それに倣おう。

あとあちこちに書くのも煩わしいので、一度に留めるが、わたしが書いている内容について読み違えや相当しない批判(等)があれば、気づいた場合指摘してほしい。(それこそがきっと哲学なのだろうし。)

はじめに(5p)、から問いの合間に(125p)までを読んで

・〈哲学〉(「哲学」ではない)について

本文にあるようなやり方の〈哲学〉については実感がある。実感はあるが、しかしそれは子どもの時からすでに最初から青年の」〈哲学〉であったように思う。少なくとも、目の前に与えられた課題は年端のいかない子どもには大きすぎたし、それについて、しかし取り組む以外の選択肢を(子どもながらの純粋性ゆえに)持つことができなかった。だから最初から、なぜ〈他者〉がいるのか、という疑問は生じずに、〈他者〉と対峙するにはどうすべきか、をひたすら〈哲学〉し続ける時間が幼少期〜思春期であった。

からなるほど、やはり「疑念」が問いを生むのであり、疑念を持たないものは問いに遭遇しない。よく感じる違和感は、「問いを持たない人間」と(「問いを持つもの」と)の世界の断絶である世界には大きな断絶があるということを改めて実感したのだった。(断絶の是非はここでは問わない)

・〈ぼく〉という特別さの有無について

さて、書いたようにわたしは「なぜ〈ぼく〉が存在するのか」という疑念を持たなかったのでその問いに衝突していないし、そして付随する「〈ぼく〉という存在特別さとはいかなるものか」という問いにも当たっていない。しかし読み進めていくと、「特別さ」を論じれば論じるほどそれは「一般性」に落とし込められていくという矛盾が現れ、結局「言語での言い換えを繰り返すよりほかない」という結論(?)に達している。とりあえず本文の結論についてはさておき、わたし感想を書いておく。結果から述べると永井均認識論的傾向(95p)とは真逆であり、非存在論的(本文に即して使う)立場にいると言わざるを得ない。

まず78pに自分が二人に分裂した際に、もう片方をどう「認識」するかという問題。少なくとも、それが「〈ぼく〉であるか、でないかは、ワカラナイ」というのがわたし意見である。つまり意識としての〈ぼく〉が2地点に存在して、それぞれの思考でそれぞれを〈ぼく〉としない、という前提にどうしても立つことができない。

特別さの証明からは少し離れるが、「攻殻機動隊」という作品はこの独我論観点なしには見ることができない。登場人物たちは車を買い換えるようにボディ(身体)を換えることができ、脳(アニメ内では脳核と呼ぶ)に宿った意識アニメ内ではゴースト)はそのままで、新しい肉体を得る。しかしそれは本当に連続性を伴った自己なのか?確認するすべはない。

まあ結局、「確認認識)できるとしたら」という前提で論じている内容において、反駁することはない(できない)。なので、真逆認識論にたった時に、どのようにしてその「特別さ」を得るかというのを考えてみるとこうである他者認識できている限り、その「特別さ」を論じることはできない。理由はなんでもいいのだが、例えば「論理他者に向かって開かれている」ことは明白である。少なくとも、本書のように、本は他者が読むことを前提として書かれている。おそらく永井均としては「普遍化できない偶然性の問題」を「論理」立てることこそが〈哲学である、ということを言いたいのではないか、と思う。しかし、わたしの知る範囲ではそれは矛盾する。であればやはり(今の所は)前提を変えてみるしかないのである

ないことの確認はできない。つまりそれを鑑賞する他者がいないことを確認できない位置に移動して、ようやく「特別さ」が浮上するのではないか。そしてそれはすなわち、99pで引用されているウィトゲンシュタインの一節に他ならない。結局は「理解されない」ということを目指さなければ、少なくとも「特別さ」を論じることにはならない、ということだろう。

(余談だが99p9lの永井解説についてはまだ理解が追いついていない。いずれ何度か読み直してみよう)

言語言語性について

ウィトゲンシュタインの本を読んだことはないが、ウィトゲンシュタイン友達をつくらず、本当に人里を離れてたった一人で暮らしていたという逸話を知っていて、勝手に親近感を寄せているのであるが、それはともかく彼の主題命題)に「言語」があったというのは興味深い。

わたしは〈哲学〉についての興味をある時点である程度(完全にではないが)喪失した。それはそもそもわたし最初に向き合った命題が「他者」であり、自己ではなかったことなんかも関係していると思う。そして、「他者」を自分なりに〈哲学〉して18年くらいたったころに、自分なりの「納得」(102p)に到達してしまった。本来、〈哲学〉のみならず、人生だとか生きるだとかいうことは「満足」を永遠に避けることだと考えている。「得て」しまったらそこはゴールなのだ。ゴールっていうのは何にもない場所だ。しかし、「他者」に限っては、(とにかくわたしがそれを生きる上で最も苦手としているがゆえになおさら結論を得てしまった。そしてわたしは〈哲学〉する目的(あるいは理由)を喪失したのだ。

しか言語に関する関心が残った(に関する関心は重言だろうか)。本文でも「読み換えが無限になされる場所(98p)」について書かれているが、この点に関してわたしは非常に興味がある。物事表現が、「言語分野」に大きく偏っている人間社会面白いことに動物社会とは全く異なるらしい)において、その役割は異常なほどである言語をどのように理解し、駆使するか(論理思考など)、これを〈哲学〉とどう関連づけるか、というのも面白い命題である。例えば思考についていうと言語以外の役割が大きい。つまり「頭の中で考えたことを文章にする」というのは、その時点で「考えたこと」から抽出が起きているのである。おそらく永井のいう〈哲学〉は「考えたことまで全部」を含むはずであるから抽出された、アウトプットされた結果のみを受け入れる(ざるを得ない)という現状には実は即していなかったりするのではないかわたしは今の本業言語ちょっとだけ"学")なのであるが、こういった観点を与えられるのは、やはり読書(時には他者自分の内側に入れてみること)もいいなあと思った。

・世の人が平均的に上げ底を見ようとする世界は遠い

なんにしても、とにかく、「無駄」が必要である(115~116p)という、それこそが本質であるという点にはその通りなのでその通りとしか言いようがないし、やはりそうであった、という安心を再び得る。結局資本主義的な世界にいると、いつ何時も、寝ても覚めても視界に入ったものから、耳に入ったものから、全てにおいてから常に四六時中見張られ、「資本主義的な価値観に即して生きているか」を刷り込みをされ続ける(そしてこれはきっと死ぬまで終わらない)。おそらく、これは想像しかないが、哲学をやろうとアカデミーなかに駆け込んで、その中で安息を得たとしても、その「刷り込みから逃れることはできないのではないか。(数学者望月先生のように「数学を生きる」ことができるレベルまで達せられていればもしかしたら、刷り込みから逃れられているのかもしれないが、これもまた憶測の域を出ない)

〈ぼく〉という特別さの有無を求めるより圧倒的に明快で単純で本質的なこと(無駄を生きるということは)なのに、たまたま、悲しいことに、全くもって信じられないほどの不運な状況であるがゆえに、それが通用しない(しづらい)世界にいるのだ。それを嘆くことは10年くらいやって飽きたが、時折(残念なことに恒常的な機会を得ていない)こうして「本質」に触れることで「正気」を取り戻すというのは大事作業である

さて本文の(前半部分の)感想は異常であるが、2点反駁したい箇所があるのでそれも書いておく。

1箇所目(17p,9l)

あっさりと「哲学し続ける内的必然性をなくした」などと書いてあるから吃驚仰天である。内的必然性と引き換えに得ることができるものほど「瑣末な」ものはない。これでは魂を売ったのと同義ではないか。何度か他の場所でも書いているが、「価値観他者に阿るのは心臓他者に預けているのと同じことだ」とわたしは思う。他者自己存在理由にはなり得ない。少し引用を用いるが「心の哲学まとめWiki」より、一文。「〈私〉とは世界を開闢する場であり、そこから世界が開けている唯一の原点である」と考える(『〈魂〉に対する態度』p.123,p.187) 。

その原点である自己をなぜ切り売りできるのだろう?「欠陥を売り物にする方法で得た救い」なんていうチンケなものはさっさと捨てるべきである世界とつながる唯一の原点=〈私〉をもっと大事にしなさい。

2箇所目(111p,11l)

この人は政治政治議論をなんだと考えているのだろう。そもそも、少なくとも望むと望まざると関わらずに(生まれた時からすでに資本主義社会に生きているように)、法治国家に生まれしまったのだから、その国家の参画者である限り「政治を避けて」は生きれない。自ら国籍を捨て(例えばスノーデンのような)、亡命を図るなどの意図画策があれば別であるが、生きていれば必ず住民税がかかり、ものを買えば必ず消費税を払っているのと同様に、政治をせずに生きることはできない。酸素をなくして呼吸ができないのと同義だ。なのにこの人はまるで自分政治、または政治議論したことがないかのように宣う。しかし指摘したいのはそのアティテュードではなく、政治議論方法についてである

自分と同じ主張を別の論拠から擁護してくれる人は、最もたのもしい協力者だろう」とは一体、どうしたらこんな思想にたどり着けるのだろうか。圧倒的に間違っている。(これだから日本左派は無様なんだ)

はっきり言っておくが、政治議論はその主張の是非ではなく、その論拠にある。だから全く異なる人間政治家)を支持していても、その論拠次第によっては戦友となりうるし、同様に全く同じ政治家を支持していても論拠によっては一線を画する必要があるのだ。当たり前の話であるタイムリー話題したことだが、「マスクをつけないということは、マスクをつけたくないという人間擁護する態度を含意しない」。これは明白で、結果(マスクをつけない)が同じだからと言って論拠が異なる場合、それは全くもって「たのもしい協力者」なんかではあり得ない。

5000字も書いてしまった。後半は気が向いたらかく。

2020-10-24

スパチャ

Vtuberに貢いでいる人に言いたいんだけど、なんであんな絵に金をつぎ込んでいるの?かわいい声で配信してるのかもしれないけどさ?

あいつらからすればカモネギ阿呆がたいしたことしてないのに貢いでくるって笑ってるわけだよ。

スパチャしたらコメントもらえるのかもしれないけど「ありがとう(もっと貢げよざーこwww)」って思われてるだけだよ?

それでさえ性格の悪い所がどんどん明るみにされて炎上はするわ、Vtuber同士で問題を起こすわ、あれを見てまだ貢ごうって考えている人って頭大丈夫

ぶっちゃけ、もうVtuber界なんかドロドロの汚れまくりだよ?

適当配信しても間抜けが貢いで金入ってくるもの炎上しても盲信した阿呆が貢いでくるしね。

ちょっとコメントしてやればホイホイ騙されるし。3Dモデリングもちょろっといじるだけだもの


それでもまだスパチャで注ぎ込むという周りの見えてないカモネギくんって金を注ぎ込む事にアイデンティティでも得ているの?

そんなので手に入れたアイデンティティなんてのは一瞬で溶けるよ?

金入れなくなったら、存在理由なんかないもの

コメントをもらえなかったからって理由Vtuberに凸する奴もいるけどさ、もうそれが証明してるでしょ。

カモネギの姿なんて視界にすら入ってないんだよ。

入ってるのは『金』だけ。

それ以外はなんも見えてないの。人なんかそこに居ないわけ。

それでもまだ貢ぐってのがホント意味不明

2020-10-11

三次元彼氏と一緒にいると事あるごとに「夢小説か?」と感想を抱く

夢小説とは、中学生からの付き合いである。

親には「恋愛をしてはいけない」と漠然と言われ育ってきた。

それは今思えば、望まぬ妊娠暴力に晒されんことを祈り、娘を想っての言葉だったのだろうが、いかんせん言葉が足らなさ過ぎる。

モーセ十戒の内容だけを伝えても、伝えられた相手モーセがどんな人物か、聖書がどんな内容か、ましてや聖書存在理由などを理解してくれるわけねーだろうが!という感想しかない。

なので、隠れてエロ本を読むエロガキのような感じで夢小説を読み耽っていた。

ダメ」と言われるのは、極上のスパイスなのだから

多分内容は理解していなかったけど「悪いことしてる」感がたまんなかった。

子どもなのでバレて怒られていたが、その場ではションボリして、隙を見てまた読む。また怒られる。

私は「R-18」と書かれていると「まだ18才じゃないかダメだ」と激裏ページに行かないような、正真正銘エロガキだった。

親とかいう(兄と違い私は父親が違う説があるので、望んでかどうかは微妙だが)望んで子種をばら撒き、私を腹からひり出したという実績を持っているだけの他人言葉を信頼して拠り所にするのは間違いだったなと、今になって思う。

父親は気分が向いたら暴力振るうわ怒鳴るわ嫌味言うわ、かと思えば私の尻を触るし、親戚もそんな感じだし、兄は胸が大きくなってくると揉んできたし、使用済みナプキン漁るし勃起したちんこ見せてくるし家事してる私にちんこ押しつけてくるし。

母親祖母と組み、やれ話す言葉がいやらしいだの、着ている服が派手だの、下着の色までチェックされ、時には罵詈雑言を浴びせてくるし。

最悪アベンジャーズか?

「汚いわね、売春婦が着るような色の下着なんて着て」「お前の胸が大きいのはお前がいやらしいからだ」「お前の初潮が早かったのはお前がいやらしいからだ」

他にも色々あるけど、どれも自分の土壌を作れていないし知識も頭に入れてない子どもには、よーく刺さる言葉だった。

他にも近所のクソガキにレイプ未遂され、電車に乗れば痴漢され、小さい頃には誘拐未遂属性てんこ盛りである

文字に起こすと人生ハードモードで笑ってしまう。

こんなに意味ありげに羅列しといて何だけど、そんな感じだったからか、ぶっちゃけた所わかんないけど「私は恋愛をすべきではない」という気持ちが強く根付いた。

灰色パーカーを着て、毛玉がついたバッツバツレギンスを履く。

靴はかかと踏みまくったスニーカー

たるみきった体にはいから脂肪がつき、鶏むね肉の擬人化になっていた。

それから家に引きこもりオタクになり、サンホラを聴き、アリプロを聴き、謎にワンピースディスり(今は大好き)、孤独にもだんだんと慣れ、「私はずっとこのまま親のスネをかじり、恋愛とかできずに生涯を終えるのだろう」と薄らビジョンを描いていた。

とかなんとかしてたら、高校あがってすぐお母さんが死んだ。

持病だった。

良くも悪くも人生の転機だった。

お母さんっ子のティーンエイジャーが早々に母親の死が受け入れられるはずもなく、Twitterでは荒れまくった。怒り狂い、なんにでもキレてツイートする日々が続いた。

こんな事になるのなら母親もっと一緒にいればよかった。いっぱいお話すればよかった。いっぱいおいしいご飯を食べさせてあげればよかった。

いっぱい、優しい言葉ぐらいかければよかった。

鶏むね肉の擬人化は、自分を責める想いを、誰かを責める形で穴埋めしようとしたのだ。別にそれで自分はすっきり納得しないことを分かった上で。

「多分このままじゃダメなんだけど、時間解決してくれたらいいな〜」

とか言って、夢小説を読んだ気がする。

内容はよくわからなかった。

とか言ってたら、孤独な日々に光が差した。

彼氏ができたのだ。

私は超舞い上がった。ツイート頻度は減った。

でも今よりイキりまくった。

性器押し付けられたり、とにかく性的なことを強要されないことが幸せすぎて「生きてていいのかな?」と疑問さえ抱いた時もあった。

これまでも何度か喧嘩もして、「どうしよう」と慌てた。

そんな幸せ解像度が上がる中、pixiv夢小説を読み直してみると、解像度が上がりに上がった。

ぎゃあ!!!!!これが恋か!!!!!!!人を愛する想いか!!!!!!!!

お母さんにされて嬉しかたことだ、全部。

私はただ、愛して欲しかっただけなんだ…ってお母さん死んでから気づいたよ。隣にはもう彼氏しかいないよ。

もう、墓掃除くらいしかできないよ。

日々、彼氏と悲しいことも、幸せなことも分かち合う。

そんなある日に「そういえば彼氏の言うこと、全部夢小説で聞いたな????????」という考えに行きつき、電流が走ったような気持ちを味わった。

「君の髪、綺麗なんだから手入れしなきゃだよ」

「この料理おいしいよ」

「お前は華奢で小さいな」

可愛いね」

「その服、似合ってるよ」

「大好きだよ」

「愛してる」

一例でこんな感じである

ヤバい!!!!!!!!全部魔法のiらんど!!!HPフォレストで!!!pixivで見たことあっぞ!!!!!!

それを彼氏に初めて共有しようとした時、「…そうだね、俺もリボーンで、ちょっとね」と少し切なそうに笑っていた。

お前もかよ。

2020-09-06

https://anond.hatelabo.jp/20200904215143

18禁にどんな意味があるのか。

罪を犯すリスク性病などに罹患するリスクに関して(便宜上)教育を受け、誘惑を受ける準備ができていることの表明をさせられる。

要するにやりたいのは責任分解で、コンテンツの作り手の責任なのか、消費側の責任なのかはっきりさせたいと言うだけのこと。

しかしだからこそ、その背景には子供にも自由とそれに伴う責任がある、という発想があるはずだ。

18歳以上がいいえを選ぶのは戯れでしかなく、18歳未満がなんと表明するか、だけが問題なのだから

18禁存在理由が答えられない大人は、この「子供にも自由責任がある」という発想が抜けているのではないかと思う。

18歳や20歳になったから突然自由が与えられ、(自分人生に対する)責任が発生するのではない。

子供にも「嘘をついてエロコンテンツを見る自由」はあるし、それだけで罪に問われたりはしない。

ただ、嘘をついて悪い影響が出たとしても、それは子供(あるいは保護者)の責任であって、作り手の責任ではないということ。

難しいのは、実店舗などにおける18禁ネットのそれには大きな隔たりがあることだ。

店舗であればいわゆる「人の目」によって嘘をつくことに対する(ひいては準備ができていない人間18禁コンテンツを見ることに対する)抑止が効くが、ネットにおける18禁にはその効力がない。

18禁の意義が薄く感じられるのには、時代の変化という側面もあるだろう。

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