はてなキーワード: 大人買いとは
てから、早3年半。
職場で出会って交際2年。もう少し仕事が落ち着いて、お金も溜まったら結婚しようと二人で話してた矢先、俺氏無念の転勤のお知らせ。
時々会っては一緒に映画見てゲームして、買い物して料理して、陽だまりでうたた寝して、むちゃくちゃセッ…な日々を夢見てた。
彼女も同時に業務内容が大きく変わった。クソ上司&取引先&前任者の時限爆弾のコンボでストレスだと何度も呟いてた。
心配だから電話もしたし何度も会いにも行ったけど、だんだんレスポンス下がって、LINEでも怠いとか忙しいとかお腹痛いとか、やがては既読スルーばかりに。
一回はウチにも来てくれたけど、それすらも面倒臭いと断られ。気持ちが一杯一杯になったからもう終わりにさせて欲しいと。
一番聞きたくない言葉だった。頭が真っ白になった。
指輪交換とかした訳ではないから、世間でいう婚約には当たらないのだろうけど、言っちゃ悪い(から言えてない)が無責任だなとも思った。
ただ説得の結果、またモチベが戻ってきたら復縁も考えようとの含みは持たせることができた。せめてもの気休め。
まさか、おじゃんになるなんて自分の予定の中には全く入ってなかった。滅茶苦茶パニくった。
心配して速攻飲みに誘ってくれた友人諸氏には本当に感謝している。その節はありがとう。
当時の自分の立場で(ここには書けない事とか)やれることはやり尽くしただけに、何でだという疑問は今でも消えることが無い。
浮気したとか、自分の落ち度が発端で振られるのなら分かる。でもそうじゃないから只管悔しい。
それで終われば良かったのだが、そうは問屋が卸さなかった。裏垢発見である。
幸い?自分の悪口等は無し、というか登場すらしていなかった。まあそんな事はどーでも良い。
そんな気配は特に無かった某作品のガチオタと化していた。作品に罪は無いから伏せる。
全国行脚もして、課金やアイテム大人買いなんかも結構してるみたいだから、下手すりゃ給料の半分ぐらいはオタ活に捧げているのではと思う程。
登場人物(の中の人)にガチ恋リプライ頻繁に送ってる点も、大人げないとは頭で分かりつつ、針が振り切れる位ぶわっとジェラシーが沸き上がった。
何だかんだ彼氏に求めるものって、性格なんざどうでも良くて、顔が良くて声が良くて、衣装がカッコよく着こなせることだったのだろうか。
いちゃいちゃ甘えて、美味しいもの食べて、美しい景色を見に行って、些細なことで無邪気に笑いあったあの日々は何だったのだろうか。
もう少し我慢したら一緒の家庭を築けるっていう期待とか、周りがあれ程期待してくれたこととか、一体全体もう何だったのだろうか。
気が変わる可能性に一縷の望みを託し、LINE送って待ち続けたあの日々は何だったのだろうか。
頭では分かっていても、釈然としない。
もっとも、自分に限ってこんな展開になるとは思っていなかったという見込みの甘さもある。
結婚後に気付いたら厄介だった分マシなのか(というか、それが為に自ら別れるよう仕向けた優しさ?)という考え方もできなくはない。
それに、彼女の現状を見て負の感情を抱いてしまうこと自体、他人の趣味にズケズケ干渉しているわけだから「またつまらぬ感情を抱いてしまった」と自己嫌悪に陥る。
ただ、誤解のないようにひとつ書き記しておきたい。
彼女を責めることはしないし、寧ろ今でも愛しているし、無茶苦茶だとは正直思うけどその点もまた愛おしいとさえ思っている。
出会えたことには本当に感謝しているし、だからこそ色々あっても、正気を保って今日も僕は生きている。
ただ、仕事とか他の事に没頭して気を紛らわす日々には、そろそろ区切りを付けたい。
だがいざ次なる相手を見つけようと意気込んでみたり、色んなきっかけで女性と知り合っても、その先へ踏み出すモチベーションが全然湧いてこない。
一連の騒動の中で、現状一番悩んでいるのがコレ。
同級生の結婚の報告とか、街中で見かけるカップル見かけた時とか、つい溜息をついてしまう。
はあ、どうやって抜け出したらいいんだろう。
46歳男、既婚こども1人、東京在住、世帯年収1300万円(自分1000万ちょっと, 妻350〜380万円)
金融資産は8000万円ぐらい。コロナショックの前は1億円超えてた。
仕事は事業会社のIT部門、正直超ホワイトなので残業もほとんど無いし、自由にやれてる。
賃貸で16万円ちょっとのチョイ古めのマンション。3LDKで70mぐらいなので広さは十分
ほとんど外食しないし酒も飲めないので、全然金かかってない。ランチは1000円〜1500円ぐらいの店が多いけど、フルリモートになった最近はマックとか松屋のテイクアウトとかで済ませることも多い。
奥さんが食材を買う時は、値段はほとんど気にしないと言ってるけど、不必要に高級なものを買うことは無い。特上・上・普通・下の選択肢があったとしたら、上か普通を選んでる感じ。
コンビニはほとんど行かない。たまにコーヒーとか100円アイスを買うぐらいかな。
既婚だし、特になにも
ペーパードライバーだし、電車で困ることはない。年に1〜2回ぐらい、必要な時にタクシーに乗るぐらい?
20年ぐらい前から個別株オンリーだったけど、今年の年初あたりからインデックスファンドの比率を増やしてる。コロナ騒ぎで2000万円ぐらいの現金を確保しようと思ってだいぶ株を売ったので、株関係の今年払う予定の税金は1000万円超えた。
年に1回ぐらい国内旅行に行く年もあるけど、家族みんな旅行に興味ないんだよね。
書籍代は上限無しで欲しいと言ったものはなんでも買うようにしてるけど、月に数千円もいかない。
典型的なインドア派。面白そうなマンガがあったらKindleですぐに大人買いするけど、それでも月に1万円もいかない。マンガ以外の本はほとんど図書館で借りてくるので、お金かかってない。
あまり趣味らしい趣味もないし、何かに使いたい気持ちがあるのはあるけど、その使いみちが見つからなくて困ってる。派手な生活を好む人ならまた違うんだろうけど、酒も飲めないし、車とか高価なものが欲しい気持ちもまったくない。
みんなそんなに何か欲しい物あるの? 「x日で使い切れ」という条件があったらともかく、そうでないなら実際の所みんなあんまり使わないんじゃないの?という気持ちが正直ある。金を無駄に使いたいわけじゃないし、自分で気づいていないけど何か面白いと思うようなものに使ってみたいんだよね。
寄付もたまにするけど、別にそれで何かのリターンがあるわけでもないし、面白いものでもない。コロナの騒ぎで男気を感じた「あしなが育英会」にはこないだ100万円寄付したけど。
※自己陶酔長文
※同人界隈のくだらない話です
※ハガレンはあくまで個人的な感想、感慨、そういうものの中で引き合いに出しただけです。こじつけというか、たまたまこういうものの中で自分がしっくりくるのがハガレンだっただけです、うまく言えないのですが。ハガレンが好きな方は閲覧気をつけてください。
「鋼の錬金術師」という有名な漫画がある。鋼の義肢を持つ兄のエドワード・エルリック(通称エド)と、鎧姿の弟、アルフォンス・エルリック(通称アル)が、「真理」(神様的な存在)に奪われた自身の体を取り戻すための旅をする中で賢者の石をめぐる壮大な陰謀に巻き込まれていくダークファンタジーである。
私はこの漫画が大好きなのだが、一つだけ「あんまり気に入らないなあ」という展開があった。それは、物語の最後、主人公のエドがアルを取り戻すためにとった手段のことである。
そもそもなぜ兄弟は体を奪われていたのかというと、死んだ母親を蘇らそうとして人体錬成を試みた結果、錬金術の「等価交換」の法則により、代わりに自分たちの肉体を奪われてしまったからだった。二人の肉体を取り戻すには万能のエネルギー源である「賢者の石」が必要だったのだが、エドとアルは賢者の石が生きた人間を材料にして作られていることを知ってしまう。
経緯をまるっと端折るのだが、結局物語の終盤、エドは賢者の石を使わずに二人の肉体を取り戻す方法に気づき、実行する。エドの決意に、「真理」は「正解だ」と言って笑う。
エドが全てを取り戻すために差し出したのは、エドが錬金術を使う能力そのものだった。
私はその展開に正直もやっとしていた。
「鋼の錬金術師」の見どころの一つは、エドが繰り広げる巧みな錬金術の数々だったからだ。それに、「最年少国家錬金術師」という厳つい肩書きや手を合わせるだけでどんどん色々なものを作り、意のままに動かすバトル、錬金術の知識を使い炭素硬化の能力を使う敵をもろい消し炭に変えてしまう展開……。錬金術はエドというキャラクターのアイデンティティだった。
実のところ、錬金術のような便利なものに頼らず額に汗して自力で生きろという作者のメッセージは作中で示唆されてはいた。エドの師匠のイズミは凄腕錬金術であるにも関わらず、「錬金術に頼っちゃいけない」と言って近所の子供の壊れたおもちゃを手作業で直す。そしてエドも最終回、「錬金術がなくてもみんながいるさ」と、金槌を手に清々しい笑みを浮かべる。
だが、やはり読者からすると、「それでいいの⁉︎エド、あんたすごかったのに」と思わざるを得なかった。
しかし今、Twitterをやめたことで、エドの清々しい笑みの理由がわかるようになった気がしたのだ。
前置きが長くなってしまった。
私は同人の字書きである。Twitterやpixivで二次創作小説をアップするとそこそこバズる、ジャンルではまあまあ人気の字書きだ。
小説を書くのが好きなぼっちオタクの私にとってTwitterは、ジャンルの情報や推しの素敵な二次創作、実社会のニュースやトレンドをリアルタイムでたくさんチェックすることができる大切な情報ツールであると同時に同人友達を見つける出会いの場であり、萌え語りができるコミュニケーションツールであり、どのような傾向の話を書けば芳しい反応が返ってくるのがすぐにテストできる巨大な実験場であり、お手軽に承認欲求を満たしてくれる蜂蜜の壺のようなものでもあった。
しかし、同人界隈でTwitterをやっていると、疲れることもたくさん出てくる。人間関係、承認欲求、ジャンル学級会。三者三様に歪められたキャラの二次創作がどっと流れてくるタイムラインに疲れ、私は果たしてこのキャラを本当に好きなのだろうか?それともみんなで口をそろえて「〇〇ちゃんえっち」とか「可愛い」とか「エモい」とか言わなければいけないような集団意識のせいで好きだと思い込んでいるだけなのだろうか?と悩むこともあった。Twitterでキャラグッズを次々と大人買いする人々や、論理が通っているのかよくわからない考察ツイートを見るたび、胸焼けするようになってきた。創作でも、いわゆる「互助会」に組み入れられるのが重荷になってきた。
それでも、同人のSNSが私の生活の中心にあり、そこでの中堅字書きという立ち位置が数年の間私のアイデンティティだったから、Twitterをやめられなかった。情報を追えなくなったり、忘れられたりするのが怖かった。
(一応リア友もいないわけではないけど、就職を機に皆地方に散ってしまってあまり会えないし、しょっちゅうはやりとりしないため「居場所」感はあまりなかった)
冴えないぼっちの日常生活を送る私の唯一のきらきらしい社交場が失われることへの不安感から、私はTwitterを続けていた。
だけど、限界が来た。
きっかけは、私が、おそらくリモート飲み会で、ジャンルの顔的な人の不興をかったことだった。このことについては何を言っても主観になってしまうのでうまく説明できない。特別な粗相をしたつもりはなかった。ただ、今まで仲良くしてくれていたその人が、飲み会を境に急に全く絡んでくれなくなったので、何かしてしまったのかな天…と思った、というところだ(他の飲み会メンバーからはハブられてはいなかったけれど、わざわざ「私なんかやらかしました?」なんて鬱陶しがられる自意識過剰な質問もしづらかった)。強いて言えば最初、私のスマホの電波があまり良くなくてもたついたせいで若干場を乱してしまったとか、その人が話しているとき一度トイレに立ったとか、そういうことはあった。もしかしたらとんでもない粗相を無意識のうちにしていたのかもしれないし、あるいは全く別の理由かもしれない。
とにかく、その人が絡んでくれなくなった瞬間、その人の取り巻き的な人たちがほとんど反応してくれなくなったのだ。
Twitterで彼女たちがワイワイ盛り上がっているのがやたらと目についた。彼女たちの創作をヨイショすれば機嫌を直してくれるかもしれないけれど、不純な動機で同人を利用するのはもう嫌だと思っている自分がいた。
私は、何をすればいいのかよく分からなくなってしまった。彼女たちより有名な字書きになって見返してやろうと憤ったり、自分を責めたりと、このご時世において生活に困っていない恵まれた身でありながらバカみたいな理由でメンタルがぐちゃぐちゃになった。ジャンルの顔的な人や、それに媚びている取り巻きたちのかいた推しを目にするたび、推しそのものが嫌いになり始めている自分がいた。
(また、同人界隈がきっかけになって仲良くなり、LINEを交換して旅行などにも行った人たちがジャンル移動していたため、TwitterでやりとりすることがほぼなくなったというのもTwitterをやめるきっかけの一つでした)
楽しいこと、心が慰められることよりも、つらいことの方が上回っていると気づいたとき、やめようと思った。
そして私は、ずっと私の生活の中心にあった同人アカウントを消した。消す前から、このご時世における自分の悩みの卑小さ、不毛さには気づいていたが、消して改めて、自分が長い間スマホの中の小さな世界を首を縮めてのぞきこむばかりで、顔を上げてきちんといろいろなものの広がる世界を見ていなかったのだと気がついた。
思えば、どこかに観光に行っても、何を食べても、Twitterに投稿することばかり考えていた。何を書けばウケるかとか、通知の数とか、そんなことで頭がいっぱいだった。いつのまにか自分自身で、同人アカウントしか居場所がない状況を作っていた。
世界の命運や肉親の志を背負って闘うエドと、ただの同人字書きの私では月とすっぽんよりさらにかけ離れており、同じ括りで語るのはおこがましいこと限りないということは分かっている。
しかし、そのとき私は確かに、エドの最終回での清々しい笑みの理由がわかった気がしたのだ。
エドは、錬金術の能力を手放すとき、「思えばずいぶん踊らされたよな」と口にした。錬金術師として活躍したエドは、しかし、錬金術で母親を蘇らそうとして大切な家族を奪われ、錬金術を使い倫理にもとる悪事をはたらく者たちを数多く見てきてもいた。錬金術は、壊した物を直すこともできるし、武器にもなる、一見万能な術だ。しかし死んだ人間を蘇らせることはできないし、錬金術頼みでは解決できないこともたくさんある。
Twitterも同じである。日常のあらゆる情報をリアルタイムで発信する。Twitterを使えば全世界の人々と繋がれる。しかし、日常に入り込むそれらは、同時に、日常を強大な「それ」(錬金術/Twitter)なしではいられなくさせてしまう。「それ」を利用しているはずの私たちは、いつのまにか「それ」越しでしか世界を見られなくなってしまう。
錬金術にしろTwitterにしろ、便利ですごいものは良くも悪くも影響力が大きくて、世界やものの見方を変えてしまう。それに振り回され、人間の作った枠組みの中でおだてられて自分はすごい人間なのだと慢心し、甘い汁を吸ったかと思えば虚しい思いもする、そんな力の渦から脱却したから、エドは最後、笑ったのだと思う。
Twitterを退会し、同人の交流をやめてできた時間の中でやりたいことは意外と早く見つかった。小説や映画など色々なものに触れてみたい。資格を取ってキャリアアップしたい。今は難しいが、時勢が安定したら小説のカルチャースクールに通いたい。どうにかして、ネット頼みでなく新たな交友関係を築けるよう模索していきたい。
たぶん、徐々にTwitterをやめたことに対する寂しさや後悔は増していくのだろう。それでも、私のなりたい未来の姿は小さな世界の局所的人気者ではないから、寂しさを糧にしてふんばりたいなと思っている。
最後に。
「コーチおやじ」というものが存在する。主な生息地は動画サイトに若者が投稿した演奏動画のコメント欄で、そこによく出没する。
主な生態としては基本的にダメ出し。やれ「ピッチが」だの「モタる」だの「音の粒が揃ってない」だの具体的な計測方法のない切り口でダメ出しをする。そして主に若い女の子がギターやベース、ドラムを演奏している動画に現れては、そう言ったダメ出しをすることを好む。
(あと最近気づいたのは、街角で弾き語りをやっている女の子にも何やら延々と喋ってるおやじもよく見かける。これはダメ出しなのか何だかわからないが、腕を組み得意げに何やら喋ってる。女の子は片付けをしたいらしく困惑した笑顔で対応するのだが、彼女のその困惑には気づかず笑顔にだけ気をよくしてペラペラ喋ってる。CD-Rを買ってあげてるのかはわからないが買ってなさそうだ。)
またコーチおやじは、女の子が習得する楽器に関してステレオタイプの先入観を持っているだめピアノ、シンセ、エレクトーンなどの鍵盤楽器の投稿動画にはまったくと言っていいほど姿を見せない。そこにも稚拙な演奏が相当あるにも関わらずである。だからロック系の曲を演奏するギター、ベース、ドラム専門に出現する。とにかく女の子がこれらの楽器がうまいことを許せないのだ。
たまにそのダメ出しに対して誰かがコメント欄で反論をすると「批評も許されないのか」「慣れ合ってヨイショコメントしかしちゃいけないのか」的な開き直りを見せる。ひどい場合はコーチおやじのダメ出しコメントばかりが動画に並び、いつしか投稿主は動画を削除してしまう場合もある。
コーチおやじの本質、それは「尊敬されたい」「愛されたい」である。「なるほど!わかりました!これからも指導お願いします師匠!」と言われたいのだ。とっくの昔に現役でなくなってる、もしくは現役時代そのものが存在しなかったかもしれない自分にだ。空想の、虚構の、眩い白日夢はこの上なく心地よいのだ。また相手が女性動画主だったらあわよくばねんごろになりたいってのもあるって言ったら邪推し過ぎだろうか。
だがコーチおやじの願望が叶う日は決して来ない。なぜならば若者たちが動画を公開するときに期待するものは「賛辞」と「励まし」だけなのだから。コーチおやじの「尊敬されたい」「愛されたい」とは対極の、はるかに青く純粋な衝動だ。コメントでもっともらしいダメ出しなんかもらわなくとも、彼らは再生数という言い訳の出来ない評価と対峙することになるのだから。こういうとコーチおやじは「再生数がすべてなのか」と半笑いで反論しようとするだろう。そうだ、すべてだ。
ここまで読んだ人は気づくと思うが、俺がまさにそのコーチおやじだった。
ここは「だった」と過去形で言わせてもらう。何故ならば俺はその空想の中の自尊心を、よりによって自分の息子に剥ぎ取られ、丸裸な状態の滑稽な初老の男である自分を突きつけられ、激しい屈辱と自己嫌悪とともに目が覚めたのだ。「コーチおやじの滑稽さ」に。(ちなみに息子は音楽はやっていないのだが、どう突きつけられたかは本題とそれるので省略する。ただ、涙ながらに訴えられ目が覚めたとだけ言っておく)
80年代に成毛茂という70年代のギタリストがやっていた深夜番組は、その骨太の説得力に薫陶を受けた何人かの門下生が凄腕ギタリストとなり、副産物として有象無象の門前の小僧を生み出した。ようするに「薫陶」ではなく「受け売り」止まりの奴らだ。俺はまさしくこのクラスタの人間。
そして90年代から00年代にかけてE〇Pとかの音楽専門学校に入ったはいいが、バンドやるでもなく真面目に授業受けるでもなく、身に付いたものはと言えば出会い系サイトのサクラのバイトによる昼夜逆転の生活習慣というだけの奴ら。
両方に共通しているものは、何ら後進が手本とできる見本となる演奏音源や映像を残すことも公開することもなく(そもそも今で言うところの「なろう」だったので存在すらしないかもしれない)、ただ曲と楽器と半端な受け売りの楽典の知識だけを元に、投稿動画をあれこれ批評と称してこき下ろす。全員が全員そうだとは言わないがコーチおやじの本質はおおむねこれだと思う。
あのな、ご同輩。今は時代が違うんだよ。まず機材が違う。昔のようにMDやテープを何度も聴き直して音を拾わなくてもコピーができる。アンプだってライン録りで遜色ない音もできる。8トラックでピンポン録音なんてアホらしいことだってする必要もない。だけど彼らはそうやって楽になった分のリソースをどこに注ぐと思う?彼らはやっぱりその分純粋に練習に注ぐんだよ。彼らは試行錯誤の必要がない分まっすぐに練習するんだよ。俺たちよりも合理的なやり方で、何よりも当時の俺たちと同じくらいの熱意でもって。今の若い子たちの演奏が(女の子のそれも含めて)抜群にうまいように聴こえるのは錯覚じゃない。本当にうまいんだよ。
だから彼らが、あなた方やかつての俺がかすかに期待する「尊敬」や「愛情」をお前らに向けることは未来永劫あり得ないんだ。とっくに現役じゃないかそもそも現役だった時代すら存在しなかったおやじたちに。だからコメント欄で偉そうなダメ出しするのはやめよう。気に入ったらlikeをクリックして、気に入らなかったらdislikeすらクリックせずに二度と観なければいいだけの話だ。
とは言えやはり俺もいまだに「尊敬」と「愛情」が欲しいことは否定できないので、
DTMと呼ばれるものに手を出すことにした。つまり若い連中が群雄割拠する世界に、かつて打ち込み専門の誰かが言った「楽器が弾けるというのはデカい」をわずかな希望として胸に秘めながら、ひっそりと足を踏み入れることにした。pro toolを始めとした機材を大人買いした。使い方を早くマスターするためにインストラクターに素直に教えを乞うた(オヤジは金があるんだよ)。これで俺も再生数に一喜一憂する奴らの仲間入りだ。指がすっかり動かなくなったというより広がらなくなって難儀してはいるんだが、まあコーチおやじよりは健全だと思ってる。
あのさー
コートのポッケにしまってたたんで入れてた鞄落っことしちゃったみたいで、
かなりショックなんですけどー。
買い物にも重宝してたのよ。
ピカピカに水洗いできちゃうポリエステルのロバートデニーロなの!
違う違うそうじゃない、
65536デニールの厚手で超丈夫なやつなのよ。
増田のお友だちが大好きな綺麗に透ける黒タイツは40デニールでしょ?
だから相当丈夫なの分かる?
20デニールとかになると逆に生々しい御御足になっちゃうわよね。
御御足とかけまして御御御付と解きます、
その心は!
どちらもおかずになるでしょう!ってやかましーわーいって
そんなことどうでも良いのよ。
でね、
よく意味分かってなかったのよね。
たぶん、
おまえ鞄落としたぜって言ってくれたんだと思う。
今になって、あっそっか!って気付いたときは
でも捨てる神あれば拾う神ありよ。
もうずっと売り切れ状態で、
お気に入りのトートバッグがリピ出来なかったのがショックだったんだけど、
サイトを見たら明日から新しい柄販売します!って言うじゃない~
可哀想なことしたなってごめんなさいなんだけど、
うふふ。
旬の筍おこわおにぎりも美味しそうだったので、
あたたたかく、とか
かたたたき、とか
おのののか、とか
搾って炭酸割りにしたなりよ!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
これみて思い出したけど、
個包装のチョコレートやキャンディが数十種類くらい飾って盛られてて
好きなものを選んで袋詰めして買うゆっくり回転する円形の什器、あれ今でも現役なのかな
かつて札幌エスタにあったと思うけどっていうか今でもあるのか? いつも通ってるはずのに思い出せない
とにかくこれは懐かしいものの象徴って気がする 自分の子供時代は平成だけど昭和の頃からあったのかな
小さい頃2、3回くらい、しかも少量しか買ってもらえた記憶がないけれど、なんだか妙にときめくところがある
あの回転台が消える前に大人買いを実行してみるべきだったな…と考え始めてしまって止まらない
実際やってみるとこんなものかとも思うだろうしそんなにおいしくもないとも思うかもしれないけど、
https://anond.hatelabo.jp/20180617212750
LinuxのWineでKoboは快適に動く というエントリーを書いた。
2018/9/24月時点でも、Koboは Ubuntu18.04 のWine上で動く。
最新版のWineをインストールして、最新版の Kobo Desktop を何も考えずにインストールするだけ。
比較のため素のkindleの最新版も何の細工もせずにインストールしようとしてみたができなかった。
Koboアプリはいつも最新版を使っているけれど、今まで大きな不具合は1回も発生していない。
1回もだ。UI も Windowsネイティブと全く変わらない。
最新版を使い続けて、ここまでWineで不具合が発生しないケースは珍しいと思う。
ひょっとするとKoboの開発者にWineでKoboを常用している人物がいるのではないかとすら思ってしまう。
駅から少し歩くと駄菓子屋があったので、フラッと入ってみたら懐かしさで胸が破裂した。
仕事の用事は別に大したことはなく、なんならメールで済ませられる内容だったが、旅行がてら来てみた。
前置きが長くなったが、私はその駄菓子屋で駄菓子を買い込み、宿泊先のホテルでハイボールを飲みながら今食べても美味しいか検証してみた。
また見あたらなかったものは後日近所、ネットで探して購入し食べた。
【今食べても美味しい駄菓子】
→非常に美味い。科学的に美味い。これは今も全然食べれる。かばやき太郎は30個入りを買ってしまった……。
→プラスチックの容器に入っている棒に刺さっているイカ。コレは他にもカツとかノシイカとか色々あって実に美味い。
→ハイボールのつまみに最適。10円という最強のコスパを誇る。
・BIGカツ
→久しぶりに食べたが、こんなに美味しかったとは。
→よっちゃんイカは一年に数回食べている。駄菓子のマスターピース(息子に教えてもらった言葉)。
→正直現時点でお菓子第一位。このサクサク感と塩味!ハイボールのお友達である。
→こんなに美味しかったっけ?
→これは子供の頃大嫌いだったけど、今食べたらもうただのおつまみ。味がケミカルなのは気にしない。
・すもも漬け
→これも子供の頃大嫌いだったけど、今食べると美味しい。
などなど美味しかったものばかりでキリが無いのでここらへんで。
はい、ひぐらし原作iOS版で挫折してアニメ版も挫折してコミック版も挫折してでも頂にはめっちゃハマったけどうみねこは意図的に避けてた人が通ります。
あなたの増田を読んでからうみねこEP1コミックスを電子書籍で大人買いして読み終わった後またあなたの増田を読んで、この増田を書いてます。
とりあえずベアト多重人格のネタバレは分かってもなぜ死体があるのか(譲治は紗音の遺体確認してないけど)わからんし、それ以外のネタバレについては全く意味がわかりません。
そもそも最重要人物っぽい縁樹?についてはまだ名前しか出てきてない。
でも、面白かったですよ、うみねこ。ベルンカステルとか出てきててお、って思ったりしてます。
これから先も楽しませてもらおうと思います。素敵な増田をありがとう。
【追伸】
あなたの増田を読むとあなた今20歳だけどうみねこのパチスロやってたってどういうことですか?
あれ3年くらい前の機種じゃなかったっけ?気になるのはその点です。