はてなキーワード: 今日一とは
もう何年も前からよく見ていたブログだというのに、ずっとリバタリアニズムの打ち間違いだと思ってました。昨晩やっと気が付きました。面白いひねりの効いたタイトルですよね!今日一日「場当たりズム!!」ってひとりごと言ってにやけていられそうです。はて星10個あげたいです。
■人間系■
・実写おっさん→最強(最凶)
・実写おにいさん→希少
・実写おばはん→希少(別に増えなくてよい)
・実写おねえさん→希少(増えてほしい)
・実写有名人→なぜそいつ選んだんだよ…ってアイコンに遭遇すると、ちょっとおもしろい
・アバターぽいやつ→はてな以外にも軸足置いてますよ。てめーらみたいなキモオタはてなーとは違うぜアピール
・アニメ美少女→多い。共通項はなんだろな、はてな滞在時間が長いやつらってイメージ
■動物系■
・猫実写→めちゃくちゃ多い。まあ無難。自分んちの猫写真使ってる人が多そう
・犬実写→めちゃくちゃ多い。これも愛犬が多そう。しなもん死んだから、ああこの犬はもうこの世にいないのかもな…ふとしんみりすることある
・カエル→これも結構いる。だいたいみんなおっさん(*というわけでもないらしい。失礼!)
・パンダ→なに、かわいいって思ってほしいのか? よしよし、かわいいよ
・狸&狐→意外と少ない。狐一文字の人は文字系に分類した
・ゾウ→そういや見たことない
・トリ→これも少ないから、派手なトリアイコンに変えれば目立てるよ
・きゅうべえ→俺の知ってる限り、2匹いる
・猿→あざなーさん変えちゃったよな
*くま→茶色いのと白いのがいる。白いのは村の有名な医者と、それ以外。
■モノ系■
・食べ物→少ないよね。食い物アイコンってデブっぽいからみんな避けるのかね。しいたけはヘルシー
・文字→特に漢字を使ってる人はメンタル強そう。漢字って意味があるからさ、1文字でidの印象を決めちゃうんだぜ
・ジッポ→K-Ono
・七輪→pkm
なんかめんどくさくなってきた
■よくわからない系■
個性的な人たち
■デフォルト■
サブアカの可能性が高かったり、不気味との評もあるが、コメントの中身だけで個性を発揮する一部の人、すごい
そのうち閣下が最強(最凶)
■カラーで塗りつぶし■
■グラフィック系■
■動く系■
とかもありますね。
*もっとも有名なのはおっぱいゆれる人。あれに最初に遭遇したときのショックと感動は今でも忘れられない
*しばらく見てないと動かない人も結構好き。
トラバで指摘を受けたので、動物系に*くまを追加した。忘れちゃいけないところを忘れてたわ。すまんこ。
ブコメ見てたら*旧デフォについて触れられていたので、■デフォルト■に追記した。
ブコメ見てたら、かえるの人から「おっさんちゃうわ」という意見が複数あがっていたので追記した。
ブコメ見てたら、やっぱりパンダの人たちは人懐っこくてかわいいと思った。
あと思い出したことを■動く系■に追記した。
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K-Ono
←おれしかおらんのかこれ
…はい、たぶん。でも村は存外広いので、もし兄さん以外のジッポ見つけたら義兄弟の契りでも交わしちゃってください!
likk
…いや、お前しかおらんやろ!
一週間前、『虐待と幸福と経験の空白とhttp://anond.hatelabo.jp/20140628152439』を書いた者です。
反応をくださった皆様、ありがとうございました。
母親なんだからちゃんとやれ、というお叱りを頂いて原動力にしようと思ってました。そしたらご意見が全体に暖かすぎて鋭すぎて、感情も理性も幸せになりました。こういう良質な感情や知的刺激を、家族にフィードバックしていきたいです。日本社会の良識ってありがたいです。長文投下本当に申し訳ないですが、ちょうど社会での割合くらいで関係者がいると思われる、フラットな感情でお読みいただける匿名の場が心底ありがたいです。
夫は宗教事情を含め知って結婚してくれた、ありがたい人です。私は現在正社員専門職ですが、結婚してから資格を取ったので、それまで非正規雇用で、預金もありませんでした。核家族三十代夫婦、子ども二人保育園、共働きですが、まだまだ実態はそれに追いついていません。平日はあまり夫婦の会話の時間が取れません。夫は高学歴で、30代に入り質量ともに仕事で求められるものが上がって来ています。そのプレッシャーは大変なものに違いありませんが、たしかに羨ましくもあります。自分の仕事をして、日々の母親役まではまあなんとか本能でこなせるのですが、夫も私も正直お互い先に自分に気を遣ってほしい状態で、ほんと最近いい妻だったとは思えません。誰にでもある当たり前の大変さなんだろうと考えていて、深く考えていませんでしたが、危機は意外と深刻だったんだなと書いてみて思えました。立場の弱い子どもに、しわ寄せを来させていたんですね。家族がだいたい形成されて新たな状況に直面していて、新たな解決能力が必要とされている段階なんだな、恋人だった昔は良かったなんて思ってたのが馬鹿みたいです。今、ほんとこの今日一日ですね。一歳の下の子が産まれてから、毎月のように子どもの前で親が怒鳴り合って、ほんとすまないことをする状況になってました。私自身、3歳のころの親の泣かせ合いを覚えているというのに。
夫に読んでもらいました。夫も思うところがあったみたいで、すごく子どもと私にゆったり接してくれるようになりました。
いま自分たちは、生活ステージの中で大変な時期なんだ、と自覚するだけでも変わるんですね。
組織にいた事についての経験の空白については、数年前、学校の精神科の先生に相談した事もありましたが、この葛藤や深い矛盾から来る苦しさは正常な生理的な人間の反応だそうで(おそらく妊娠の時のつわりみたいな?)、
とくに薬とかは出されずに終わりました。眠るのを助ける薬はあっても、後ろ向きな自分を変える薬はないんですね。理想の自分になれる薬もない。眠りすぎてしまうのを短くする薬もない。
薬ってのは、日本において成人の義務とされる仕事など、やるべき決まった状況で、眠れないなどの辛さを、出来るだけ楽に乗り切るために使うんでしょうね。風邪をひいたかもなって時のパブ○ンと同じなのかもしれませんね。
トラックバックの中にあまりに共感しすぎてくださって、まさに夫にキレた時の自分を見ているようなご意見もありましたが、なんかいろいろ申し訳なくなりました。危ういのはほんとその通りです。危うい状況でした。子どもの前で親が喧嘩しちゃいけないし、建前じゃなくて、子どもの幸せを心から願える状況にならないといけない。みんなで幸せにならなくちゃいけない。そうやって、本質と本心と行動を合わせていくととても楽になる事が最近分かってきました。それってまあ、もうそもそも幸福なんですけれども。
答えのようなブログの記事もありがとうございました。このひたすら細部をえぐっていくような、こちらもえぐられるような、原因を突き詰めて言葉に練り直す作業。それをなさっている間、ご本人はとても大変に違いなく、その労力をこちらに向けていただいて、本当にありがとうございます。どうか、平穏がありますように。
http://anond.hatelabo.jp/20140628152439
トラックバックの中に私と同じ生い立ちの方で、一人で生きていける方がおられるようで、敬意を覚えます。なぜ自分のためにちゃんと仕事して生きられるんだろう。私からすると、とても強い孤高の生き物に見えます。よっぽど人間の根っこがしっかりしているんだろうなって。私もその能力が欲しいです。
私は子どもっぽくって、宗教の中にいるときに奪われたものを全部宗教と親のせいにしていました。でもそうじゃなかったし、とくに出てからの責任は全部自分にあるって、あるときガーンとわかりました。
今ももうどうしようもなく落ち込んで、ただただ落ち込んで、身体が動かない日が正直あります。誰かになんとかしてほしい、とか、そんなことすら浮かばずに、ただただすべてが鈍って滞ってしまう日もあります。社会の人は今日もちゃんと働いている、波なんてあったら迷惑なだけだ、そもそも人の何倍も頑張っていかないと、老いが来てしまう、大卒資格を取って大学院に行って起業する、もう行く大学は決まっているし起業分野も決めている、ほんとうのほんとうに40歳までになんとかしないと、と分かっていても、暗いタールの中でヅケになっている日がどうしても来ます。こういうのをなんとかするために病院に行って、気分の酷い落ち込みをどうにかする薬がないかを聞いてみるのはいいかもしれませんね。
今、産休のときに得たママ友の子ども、近所の中学生一年生の勉強を見ています。そのママ友は専業主婦なので、何かあったらファミサポの他に有償で頼るために、先に交換条件というか、ギブが出来たらと思いました。人を呼べば平日も家も最低限綺麗になりますし。
その子どもは、持っている頭は『年相応、平均よりはいいほう』くらいだと思います。でも運動部に入りながら勉強を一日30分とか1時間とかやった。土日はもっとやった。そうしたら中間で200人中30番くらい取ってくるわけです。
もちろん結果は伴うように教えましたが、やったから伸びる。そしたら、期末も頑張って、私は中間ほどは教えられませんでしたが、かなりいい点を取ってきた。まだ、順位はでていませんが。
へとへとになってあくびしながらでも少なくとも頑張る。完璧に頑張らなければやらない、ではない。でも、きっちりワークとか、求められている事は期日までにこなす。それで、これくらいはいく。
なんというか、そうやって子どもが頑張るのを見ると、深いところで、『ああ、こういうふうにすればいいのか』と私も勉強になります。原動力になります。お金で買えない人間からの勉強をさせてもらっています。ありがたいですね。ほんと、『お前に何か出来ると思っているのか』『全部無駄だ。お前は母親の期待一つ応えられなかったんだ』『なぜあれを信じられた。日本に生きる恩恵を受けながら』と深いところで暗いところに引き戻そうとする恐ろしい引力がありますが。
記憶は塗り替えていくしかないんですよね。たぶん認知の方のリハビリと一緒で。骨折が直っても痛みとか歩行不安や独歩の怖さを覚えている人は結構いる。それを毎回毎週勇気づけて元気づけて一緒に明るく歩くと、忘れ去っていくと、一人で歩けるのを取り戻せたりする。痛みは記憶だったりするのはもう定説なわけで。
ちょっと整理が出来るまで、また書くかもしれません。また今日のこれからも、皆様の一日も、いい日になりますように。
未来を、取り戻したい。ほんといい言葉ですね。今日を、明日を取り返す、その積み重ね。でもね、理想的に動ける日なんて、一週間に一日くらいしかなくて、だいたい子どもと一緒に寝付いてしまうんですけども。睡眠時間が短くてすむ人たち、10代から努力すごかったんだろうなあ。
「今日一緒に食事でも行きませんか」
上の方が不自然に感じるんだよなあ
いやもう誘ってるやんって
今日一緒に行きませんかっつって
あまりに煮詰まっている。自分の子どもたちを優先順位の一番に出来なくなりそうでヤバいから精神安定剤的にカキコしようと思う。長文申し訳ない。
私は某宗教で育った。アメリカの再臨派から分かれてるのに唯一無二のキリスト教ってうたってるやつだ。
小さい頃から鞭でぶち回されるのは当たり前だったし幼稚園も行っていない。伝道活動に連れ回される中、幼稚園の前を通った。垣根越しに園内を覗いたことがある。にぎやかで楽しそうな世界だった。子どもながらに心臓がぎゅっとつかまれる気がした。
その時代は信者は週三日の集会、週五日の午前午後の伝道活動が当たり前だった。子どもは親と一緒に連れ回された。終わりが来る、とずっと言われ続けていた。高校なんて考えなくていいし、仕事は伝道活動を最優先にしてと言われていた。
小学校に上がってから、学校はとても楽しかったが、出来ない行事も多かった。日本の伝統行事、誕生日、クリスマス……。御神輿をクラスで作成する中、先生に言い、私は一人椅子で本を読んでいた。先生への証言は気の重い作業で、でも仕方なかった。校庭で校歌ダンスがあった時は、一人で膝を抱えて木陰にいた。
私は音楽が好きだった。高学年になってマーチングバンドに入りたかったし、少年団のソフトボールに入りたかった。
だが、諦めざるを得なかった。世との交わりになるし、優先すべきは放課後の伝道活動と集会だったからだ。
中学校になり、私は部活に入りたかった。本当にどうしても入りたかった。この時は多少抵抗したが、会衆の長老を含めて親の説得に負け、仮入部した部活を自分から取り下げた。応援してくれた先生や同級生に、本気ではないと思われ、信用をなくした。このとき多分全力で抵抗していれば順調に年齢通りに社会生活を送れたのだろうが、洗脳も強かったし、親を愛しすぎていた。組織を出るなら殺すと言われ、それに負け、無力感とともに青春を送り始めた。
その後10年思い出したくもないような宗教漬けの日々の後、その宗教を辞めた。
幸いな事に結婚も出来た。子どもにも恵まれた。やりたい場所でやりたい仕事をし、そのためにやりたい勉強をし、好きな家を買って暮らしている。
子どもはまだ小さい。4歳と1歳だ。平日は、保育園に預けている。とてもいい保育園で、子どもたちに毎月の行事をしてくれているし、園も季節感のある飾り付けになっている。リトミックや英語、図工に体育など年齢に合わせた遊びながらの教育もしてくれている。給食もおいしい。ほんと楽しい場所だ。
ふっと気を抜くと、最近子どもにイライラしている。子どもを応援する母親になりたい本心がある一方で、私は人生を取り返したくてたまらないし、たくさんわがままを言える子どもが羨ましくて仕方がない。子どもに嫉妬するのは馬鹿げていると理性が思う一方で、私の中の子どもが、楽しそうな上の子を虐めたがっている。
上の子の2歳後半から3歳にかけてのイヤイヤ期には本当に手を焼いた。自分は大人しい子だったし、常に人目を気にしていた。公園で泣きわめかれたりお店で転がれる気持ちがわからなかった。あまりにもひどいとき、とうとう手をあげてしまった。小さい頃の自分を叩いたようで、夜中吐いて泣けて反省した。だが、その後も元気がよく、私も我慢しすぎて階段から付き落としそうになるよりは、躾の範囲で言い聞かせてその場で服の上からお尻なりひっぱたいた方がよっぽどカラリとお互いのためにいいのではないかと、何度かはしているうちにイヤイヤ期が収まってくれた。
まずいのは、夫はこういう葛藤を理解できるはずもないという事だ。夫は育ちがよく、彼の母親は始終笑っている人だ。子どもも夫も動物も可愛がって楽しむ人だ。
上の子どもが赤ちゃんだった頃、何のためらいもなく行えた誕生日会。幼児期になってから辛くてたまらない憂鬱な会になった。
子どものイヤな面が私に似ている。それがまた私を責め立てる。自分の性格のせいで親からの自立が遅れ、上手くいかなかったのは単に自分のせいだったことに気がつかされてしまった。
気分が沈んだ日は、疲れているから、と言い訳にして、子どもを放置した時間だけが過ぎていく。子どもとの今日一日はかけがえのない日だと分かっているのに。エネルギーのあまっている子どもを休みの日に一日外に出さないで、たまった家事の解消にあてたりすると、もうへこむ。
さて、今朝のことだ。仕事で昇進し、今度はチームを動かすほうになった。チームワークについて、常日頃年下から学ぶ事が多すぎて、自分としては自信がない。学生時代に部活が出来たら経験になったに違いないと思ってしまう。だからつい、夫に学生時代に部活が出来なかった事がいつまでも経験の少なさとして尾を引いていると愚痴ってしまった。すると
と言われ、ついお互いムキになってキレてしまった。だが、こうして文章として起こしてみると、そんなに重いものを裏にして話す方が悪い気もしてきた。
午前中、悲しすぎて棒に振ってしまったから、せめてこれから子どもたちにも夫にもいい一日になるよう頑張ってみようと思う。
だが問題の本質は、分かってほしい人に分かってもらえないと、子どもをだんだん愛しづらくなっているという事だ。だがそれも他力本願な甘えでしかない。
保険証を紛失したので、今朝、総務課に再発行手続きに行ってきたのだが、
「ご本人で大丈夫ですか?奥様やお子様ではないですよね」と求められた確認の言葉が
髪の毛の後退具合から、スカルプDを使ってるけど、生年月日は二十代だから!と
意味もなく浮ついた若さへの慢心がガラリと崩されたのがわかった。
所帯を持つか、あるいは成熟した人間関係を一人は持っていて全くおかしくない年頃に自分は独り、幼い。
先日、愛妻家で暇があれば嫁の話を必ず突っ込む、うざいけど憎めないタイプの上長と一緒に帰る機会があって
近く迎える結婚記念日の話からいつの間にか自分の婚活話になった。
最初は話半分に流していたのだけど、
家にもう一人いれば、四季が来ることに「のんのんびより」難民にならずにすむかもしれない。
天気が良い週末に、オフトゥンを出して紅茶を煮出しながらヨスガノソラのOSTをかけたりして
平日深夜にプロジェクトルームに詰めて、帰ったら寝ることぐらいしかやることがないけど
ある意味気楽だよね、なんて話で干からびた者同士盛り上がることはないかもしれない。
そんな淡い希望はあるけど、でもそれ以上に怖い。
変わりたいけど動けない今はくたびれるばかりだ。
二次元嫁で良いとほぼ男しかいなかった理学部だった頃は斜に構えていた。
タイトルの通り。30代後半の女性社員から毎日のようにメールが来る。
聞かれたので友だちの話をする→「そのような友人とお付き合いしているのはどうかと思います」というメールが来る
ほかの人に聞かれたので付き合っている人の話をする→「彼氏の話はパブリックの場でするものではありません」というメールが来る
聞かれたので親の話をする→「あなたのお父様はお父様、あなたはあなた、別の人間なのですよ」というメールが来る
聞かれたので住んでいるアパートの話をする→「新入社員のあなたが住むにはそこは高過ぎるのではないでしょうか。自分の給与からいくら引かれるかわかっていますか?
食費、光熱費等一度試算してみるといいですよ」というメールが来る等々
先輩曰く、「私はお節介なのです」「自分の意見を言っているだけなので、言うことを聞けということではありませんよ」
「増田さんは、もしお友達にメールを送って返ってこなかったらどのような気持ちになりますか?」
と話しかけられた。
配属先の部署は、20代の社員がいない。どうしてですか?と他の先輩に聞いたら「なんかね、辞めちゃうんだよね…」と苦笑いが返ってきた。
「あなたのためを思って言っているのですよ」を全面に押し出してくるので余計苦しい。すっごい苦しい。
他の人に相談したいけど、そこまで親しくなってる人がまだいない。
「主婦なので時間がない」からメールなんだそう。家事をやっている間に、今日一日の私の行動を思い出してるんだって。
そうして気になった点を「私のために」長文メールにして、送るんだって。
夜が怖い。メールが怖い。会社辞めたい。こんなことで辞めたくなるのが辛い。
自分の意見をはっきり持っているため、他人の子と群れるということができず、結果として浮いてしまっているからなんだって。
それを得意げに言う。私は関西出身で、娘もその気質を受け継いでいるからか東北の人間に馴染めないんですよ、と。
そこ得意気に言うとこじゃないでしょーが。
既に終電を気にする時間だが、ぼくの家に来て終電で帰るつもりもないのだろう。
ぼくと彼女の間柄では、懐かしい、あたりまえのやりとりであった。
彼女とは大学に入学した春に出会った。かれこれ8年もの付き合いになる。
新歓、授業選択、サークル、部活、バイト、恋愛、ゼミ、進路、教職、就活…。
青春時代の主なトピックにはだいたい相談しあい、励ましあった仲だ。
いま思えば小さな出来事も、当時は人生の一大事として二人して悩んだ。
大学を卒業してからは、季節に一度の頻度で食事をするようになった。
挨拶はいつも「最近どう?」自分の身なりを指して「こんなかんじだよ」と笑う。
近況報告は互いにその一言で終わる。
その日、彼女は終電間際にやってきた。柄にもなく夜道が不安だというので、駅までお迎えに。
「いつからそんなお嬢様になったんだ」「いいでしょーたまには」
「まあいいけどさ、それにしても突然だな」「…うーん、ちょっとね」
「…?」「ねえ!おなかすかない? 私、仕事終わってから食べてないんだ!」
「こんな時間だし、バーぐらいしかないぜ」「いいじゃん!ほら、昔よく行ってたとこ行こうよ!」
「…ねえ、今日一緒に寝てもいい?」
酔ってるのか、と思ったが、そんなわけがない。学生時代、酒豪と恐れられた彼女だ。
男勝りでみんなをリードして、飲み会でも場を盛り上げて最後にはお店の人たちにも丁寧に挨拶をしてまとめる。
そんな彼女が「一緒に寝てもいい?」と思いつめた表情で見つめてくる。視線が外せない。
「いいよ。なんか、おれもそんな気分だ」
彼女がぼくの家に泊まることは珍しくない。これまでも数えきれないほどあった。
彼女にベッドを勧め、ぼくがソファーに寝ようとするが、それを頑なに固辞しソファーに寝る彼女。
いつしかそのやりとりも簡略化され、泊まるときは自然とぼくがベッドに、彼女がソファーに寝る習慣が生まれた。
そんなわけで、ぼくの家に着いてから、そうした習慣を破る一歩をどうしたものか逡巡し珈琲を淹れていると
勝手にぼくのスウェットに着替えた彼女がいち早くベッドにもぐり込み
「いいよ、はやく寝よっ」
と、はずんだ声を投げかけてきた。
淹れかけた珈琲メーカーのスイッチを切り、部屋着に着替え、ベッドに入る。
彼女が何も言わず抱きついてきた。昔から変わらない、彼女の家のSEGRETAの香りがした。
今更、何かがおきる関係でもない。人肌が恋しい。なんとなく落ちつきたい。
そんな気持ちのとき、そばにいる「モノ」としてぼくが選ばれただけだ。
静けさが気にならなくなり、夢に半身ひたりはじめた頃、彼女が言った。
「結婚するの」
数秒の無言。「職場の人。ずっと年上の人」。無言。「…寝てる?」「いや」「驚いたでしょ」「うん」。
「その報告をね、しなきゃって」「そっか…いや、おめでとう」
「ガッカリした?」「…え?」「…私が結婚するって聞いて」「うーん…」
彼女が耳元で囁いた。「…ガッカリしてよ」。
わからない。どれも違う気がする。ただ、これはセックスをしなければいけない、そういうシーンであることは間違いなかった。
深呼吸。耳元にキスをして、唇をあわせる。何度も何度もキスをして、ぼくたちは長い長いセックスをした。
気持ちよかった。性的な快楽ではなく、お互いに高まっていた。何か、人生の大切な場面を消化している気持ちだった。
のぼりつめる瞬間に「ずっと好きだった」と言ってしまったのだ。
瞬間、彼女の眼の色が冷めたのを感じとった。言ってはいけない一言を発した空気が通り抜けた。
ハッとした瞬間、行為は終わった。静寂の中に、二人の荒い息と後味の悪さだけが残った。
ぼくの「ずっと好きだった」は、ウソである。間違いない。彼女を恋愛の対象として見たことはなかった。
あの場面で、そう言わなければならないという雰囲気で、いわば杜撰な対応として口にしてしまった一言だった。
もっと正確にいえば「そう言っておけば正解」のような、安易な一言だった。それを彼女は見抜いた。
結婚を決意した彼女は、なんらかの儀式として、ぼくとの行為を求めた。
そのなんらかはわからないけれど、彼女は決してぼくを好きだったわけではないし、そういう意味でのセックスではなかったはずだ。
それを「好きだったけれど結ばれなかった二人」というチープな形式に(そうではないとわかっていながら)当てはめてしまったぼくを、彼女は軽蔑した。
「ずっと好きだった」と口にしたときのぼくは、心のなかでドヤ顔であったが、そんなぼくの傲慢な心中に気づかない彼女ではない。
26歳になる。歳相応に女性経験を積んできたと思っていた。違った。
これが彼女の望んでいた区切り方かどうかはわからないけれど、彼女のなかでぼくが
として処理されてくれるのは結婚を迎えるにあたってよいことなのかもしれない。
何年か前にTwitterを始めた
特に連絡やコミュニケーションをとるわけでもなく、互いに好き放題に呟くだけだった
そんなある日の早朝、ここ最近呟いてなかった知人が珍しく長い文章をツイートしていた
俺は仰天した
それは、知人の急死を伝える、知人の奥方の代理ツイートだった(遺品となった知人のスマートフォンを使って投稿したようだ)
急性白血病だったらしい
俺は動揺し、泣き、その日まともに一日仕事が手に付かず、会社を出るやいなや速攻で知人の実家に電話を入れた
電話には知人の母が出た
「あら、××ちゃんじゃないの。久しぶりねえ!」
「お久しぶりです。おばさん、このたびは何と言えばよいのか・・・」
「え、どうしたの?」
「まさか急性白血病だったとは・・・。その、通夜は今夜でしょうか。今から特急に乗れば間に合いそうなのですが・・・」
「え、何の話?誰か亡くなったの?」
「・・・え?」
知人はピンピンしていた
電話で俺は本気で怒った
「冗談が悪いにも程がある!今日一日俺がどんな思いをしたか・・・!」
「おいおいちょっと待ってくれよ。俺はTwitterにそんな事書いてないぞ?」
「嘘を言うな!今日の朝六時過ぎに、お前の奥さんが代わりに書き込んだ体で投稿してるだろう!」
「確かに今朝俺は呟いてるけど、時間は七時過ぎで『起床なう』だけだぞ?」
ここで初めて俺は違和感に気付いた
「お前のTwitterのアカウント、○○○○12345678だよな?」
「え、○○○○1234abcdだけど?つかお前、随分前に一緒に呑んだ時に俺のアカウントをフォローするって言ってたのに結局フォローしてないじゃん?」
俺は全く別人のアカウントを、知人のものだと勘違いしたままだったのか
いや待て
おかしい
俺は知人(だと誤認していた人物)のツイートを記憶の限り思い出した
誕生日が同じ
住んでいる地域も職種も、祖父の命日も同じ(学生時代に通夜に参列したので覚えている)
持っているスマホも(色も)同じ
そしてアカウントの最初のアルファベット文字列も同じ(違うのは末尾の数文字のみ)
そんな人間が居るのだろうか
俺は思い出した
妻と名乗る人物が「夫を思い出すのでアカウントは削除します」と予告していたのを
慌ててスマートフォンを手に取るが、時既に遅し
アカウントは消滅していた
俺は一体誰をフォローしていたのだろうか
そして知人にあまりにもそっくりなこの人物は、一体誰だったのだろうか
此の本は歳相応に生きることが何故難しくなったのか、其の結果どんな問題が起きているかをまとめた本である。では歳相応に生きることが何故難しくなったのか。それは私達が外部の目という日本の空気=抑圧と強制力がなくなり、自由な生き方が可能になったから。が、その自由を持て余し、欲望のままに浮付いた生き方を、或いは若い頃と同じ生活スタイルと意識の生き方をしてしまうから。村社会の相互監視的社会の空気から逃れた先に新たに生まれた問題点とは、社会的適応、人間関係とアイデンティティの確立のためにコミュニケーション能力の重要性が飛躍的に上がったことによりコミュニケーション能力の自由競争についていけなかった人間が孤立を深めていってしまう点である。ではその解決方法は。筆者は暫定解として老、死を前提とした人生の再設計を行い、世代間コミュニケーションを大切にすることを説く。
人生の有限性を意識するべき、という視点には強く共感する。メメントモリ。人生は有限で、しかも若さは期間限定で永遠ではない。私達は老いて死ぬのだ。いや、老いて死ぬことすら出来ないかもしれない。今自分の身体の何処かで癌が進行していないと誰が教えてくれる?私達は普段死を目にすることはない。現在の日本社会では生の始まりと終わりは殆ど病院で起こる。しかし明日も健康である保証など何処にもない。健康寿命のタイムリミットは刻一刻と迫って居る。今日一日をどう生きるのが私にとって最善なのか、私の生きがいは何なのかを意識し、思考することの積み重ねこそが来るべき終わりをせめて受け入れやすくしてくれる手段だろう。健康寿命が終わった時にやり残した事が少しでも無いように生きたいのだ。刹那主義にならず、ニヒリズムにも陥らずにそれでも前を向いていく事は難しいが、同じ問題意識を持った者同士で支えあう事ができたら少しは生きやすくなるかもしれない。(余談だがそういう意味において私の将来のパートナーはきっと医療関係者になるのだろうな、と予想している。同世代の20代に私が感じる死への自覚と切迫感を共有できるのは死を日常的に触れる機会のある人だと思うからだ。)
コミュニケーション能力が足りない人が苦しむのと、日本の村の空気に圧迫されるのと何方が辛いだろうか。私は日本の空気による強制の方がデメリットが多いのではと思う。また昔の「歳相応」に生きた人達は私達より幸福だったのか確信は持てない。
あとサブカルチャーの章で戦後のメジャーな少年漫画一覧が挙げられて居るけど、2000年代の代表にONE PIECEが挙げられて居ないのは不思議。売上的にもトップのはず。あとさよなら絶望先生が2000年代を代表する漫画かな?いや私は大好きな作品ですけど。選定基準が知りたい。
三つ目の疑問点としてどういう経緯でこのタイトルになったのか。「若づくりうつ」という単語は殆どの読者にとって初めて見る単語のはず。実際それなりに医療系に関わっている私も初見の単語だった。造語ではないそうだが。
あと帯にオタク出身の精神科医!と書かれている割にサブカルへの言及は割と控えめだった気もする。私が帯担当だったらシロクマ先生がオタクである事を強調するんじゃなくて"ロスジェネ世代の〜"と書いたと思う。
新書を買うならイケハヤの炎上本読むより比べ物にならないくらい有意義な時間が過ごせるので皆こっちを買って感想をネットに上げてくれると嬉しいな、って。
その日は午後からだった。
そしたら、相手も寝坊したみたいで、待ち合わせを1時間ばかり遅らせることに。
ラムネ味はここでしか食べられないからって言ってたけど、結構どこでも売ってるよね、ラムネ味。
ぐるぐるお店をまわった。
最後のほうで、「今日一日であなたはモダンなものが好きってゆうのがわかった」って言われた。
彼はちょっと馴れていた。
私は落ち着かなかった。
メイドさんも大変だなとおもった。
彼氏はいなくてアイドル一筋だと言っていたけれど、それは本当だろうか。
メイドさん、とっても可愛かった。
ご飯は焼き肉たべた。
確かに、そうかも。私もはじめてだ。だって焼き肉食べたかったんだもん。
それと相手が豚足好きらしく、生まれてはじめて豚の足なるものを食してみた。
酢みそでいただくらしい。
うん、大丈夫、ぷるぷるしていて美味しい。私はすき。
たくさん食べた。お腹いっぱい。
お互いの恋愛の話もした。
私の元彼と歳が一緒なのって話したら
「だから、俺のこと好きなの?」って。
だから私は
「そうかも」
って。
「恋愛はしてるの?」と聞いてみた
「野暮だね」と返された。
そうね、野暮だったね、私もなんで聞いたのか分からない。
たぶん、いま傷ついても平気ですよ、と心のなかで決めたからだと思う。
焼き肉やの後はなぜかカラオケに行った。私は行く気なかったのに、帰る気だったのに。
つぶれた。
帰りは階段でこけた。今でも左脚が痛い。
そしてホテルに行き着いた。
私はだいぶ酔っていた。
よく分からないまま愛撫された。
気持ちよかったのかも曖昧。
夜中に入れればよかったのに、なぜ今?と少し疑問に思った。
帰りは家の前まで送って行ってくれた。
手を繋いで朝方の道を帰るのはなんだか新鮮だった。
まあ私は別に気にしない。
「歩くの疲れた?」
「ううん、このまま走って行きたいくらい」
「走ったらすぐ着くよ」
そんな会話をしながら歩いていた。
家の前についたとき
「大切にしたい」
「すきだよ」
なんて言われた。
ほんとかな、よくわからない。
それを聞いていたのか分からないけど、
別れた後、お隣の家の工事をしている若い大工さんと目があった。
1日後、彼から連絡があった。
2月2日に会いたいと、
それだけがあって彼との連絡は途絶えた。
やっぱりよくわからない。
夢うつつの思いで待っていようかな。
身バレしてもいいから全部書く。
今日、本気で死のうと思った。
理由は本当に下らないけど、食欲がない、体重が今40kgくらいしかないって笑いながら言ったら、
その瞬間、私の中で何かが切れた。もう、戻らない何かが崩れた。
ひとしきり泣いた後、明確にああ今日死のう、今死ぬしかないと思った、
ざまあみろ、死んでやる!死んでやるぞ!そんな感じだった。
でもフって思った。じゃあ、赤ちゃんどうすんの?
まだ七ヶ月でしょ?朝になったら旦那いないよ?
誰が世話すんの?
なんかもう、どーでもよくなってしまった。
子ども生んでから、もう個人として私を見てくれる人はいなくて、
たしなめられることはあっても褒められない。
愚痴をこぼせば否定される、弱音を吐けばつけこまれる。
実母を心配するのも、何もかも。
でも、死んだら心配してくれる!可哀想がってくれる!
なんかもう、ウキウキしてたのね。ざまあみろ、ざまあみろ、ざまあみろ。
でもなんか、急に悲しくなって泣き崩れた。
だーれも知らないんだ。
知らないまんま、私死ぬんだ、あー悔しいな。
とにかくもう死ぬ気になってたから、言いたいこと全部ぶちまけた。
何かにつけて、文句があるなら出てけ、一人で生きろ。
夜中に無理やりセックスすること。
今の赤ちゃんは鬱で寝てる時に避妊もされず無理やりされてできたこと。
働け働けといわれ、働き始めた矢先の妊娠だったこと
子どもが可愛いと思えないこと 虐待したらどうしようと悩んでること
旦那のような子になったらどうしようか悩んでること
これから先、旦那と暮らすこと、義実家との関わりが憂鬱なこと、
全部全部言った。もう終わりにするつもりだった。
身体中からヘドロが出たようにすっきりした。
旦那は良くしてくれたけど、働いてない私を見下す態度や喧嘩の時の本性に嫌気が差してた。
旦那に反抗する自分は、見たくもないし会話もしたくないんだろう。
随分前から、食事はとれなかった。
食べるのを控えるうちにこうなってた。
食べないことで食費を浮かせる、それ位しかできなかった。
赤ちゃんに向かって、どうにかなりそうだった。
私は間違ったことをしたのかもしれない。
我慢して耐えるべきだったのかもしれない。
旦那の顔色を伺う時、いつも心がぺしゃんこになりそうだった。
私みたいなグズが一人で生きていけるわけがない。
そう言われるような毎日だった。
これからもそうなんだろうか。
今はうってかわって優しい旦那が怖い。
でもその優しさも、2、3日しか持たないのを知ってる。
また、死ぬまで変わらないんだ。
今は泣きすぎて頭が痛い。眠いんだけど、
資格とか頑張ればよかった。
頭悪そうな文章ですみません。
追記:色々とすみません。ありがとうございます。
ここに吐き出せたら、大分楽になりました。
泣きすぎで頭が痛くて寝れない苦しまぎれに書いたので、文章が酷くてすみません。
子育てが辛い一番の原因である「そういう成り立ちで出来た子供が可愛く思えないこと、
今までどんなに言っても分かってくれなかった「私を対等に見ていない・見下していること」、
なんとかこれを伝えて、旦那にすまなかったと言って貰うことが出来ました。
私にも至らない点はたくさんありました。
低血圧のせいで朝なかなか起き上がれないでいたこと。
いつも夕方には疲れ切ってしまい、夕飯を作るのを億劫がっていたこと。
旦那が一番嫌がっていたのは、私が夜遅くまでネットをしていることでした。
どこにも行けない、何もできない、自由に使えるお金もない。
それが私の唯一のストレス解消であり楽しみしたが、いい顔をされないので控えていると
旦那は、私が食べられない理由をネットばかりしているせいだと思っていたようです。
私は家計を任されていないので、月にどれだけ食費にかけるのかも、かけていいのかも分からないままです。
いつも、係った分だけ後で貰う方式です。
だから、我慢するのは当然だと思っていました。
それでも、たまに映画を見に行きたいという時もあって、
そういう時は一番安いレイトショーで済ませました。
それさえも、喧嘩の時には言いくるめられる原因になってしまうので、
もう何も出来ないし、生きる楽しみもありませんでした。
ここ最近は、自由な時は横になって寝るくらいしかしていません。
それすらも「寝てばかり」「ぐうたらしてる」と言われるので、
もう何をしても、文句を言われるんじゃないか。
そういう恐怖と緊張でいっぱいでした。
お金がかからないように、迷惑がかからないように、負担がかからないように。
私が、旦那の為にできるのはそれくらいでした。
だから、色々と我慢していましたが心が壊れそうでした。
でも、喧嘩の時にはズタボロに言われるので、どちらが本当か分かりません。
言葉のあやだ、勢いだ、といわれますが、一度言われたことは忘れられません。
無理やりされるので、そんなに性欲があるなら風俗に行って欲しいと言えば
この言葉のせいで、時々思い出しては身体がガチガチになります。
暴力で受けた傷は治りますが、言葉で受けた傷がなかなか消えません。
今日、頑張って医者か役所に電話しようか思いましたが出来ませんでした。
私は、意志の弱い人間です。法律に関する知識もお金を稼ぐ方法もありません。
とりあえず、今の私では冷静な判断ができないので、