此の本は歳相応に生きることが何故難しくなったのか、其の結果どんな問題が起きているかをまとめた本である。では歳相応に生きることが何故難しくなったのか。それは私達が外部の目という日本の空気=抑圧と強制力がなくなり、自由な生き方が可能になったから。が、その自由を持て余し、欲望のままに浮付いた生き方を、或いは若い頃と同じ生活スタイルと意識の生き方をしてしまうから。村社会の相互監視的社会の空気から逃れた先に新たに生まれた問題点とは、社会的適応、人間関係とアイデンティティの確立のためにコミュニケーション能力の重要性が飛躍的に上がったことによりコミュニケーション能力の自由競争についていけなかった人間が孤立を深めていってしまう点である。ではその解決方法は。筆者は暫定解として老、死を前提とした人生の再設計を行い、世代間コミュニケーションを大切にすることを説く。
人生の有限性を意識するべき、という視点には強く共感する。メメントモリ。人生は有限で、しかも若さは期間限定で永遠ではない。私達は老いて死ぬのだ。いや、老いて死ぬことすら出来ないかもしれない。今自分の身体の何処かで癌が進行していないと誰が教えてくれる?私達は普段死を目にすることはない。現在の日本社会では生の始まりと終わりは殆ど病院で起こる。しかし明日も健康である保証など何処にもない。健康寿命のタイムリミットは刻一刻と迫って居る。今日一日をどう生きるのが私にとって最善なのか、私の生きがいは何なのかを意識し、思考することの積み重ねこそが来るべき終わりをせめて受け入れやすくしてくれる手段だろう。健康寿命が終わった時にやり残した事が少しでも無いように生きたいのだ。刹那主義にならず、ニヒリズムにも陥らずにそれでも前を向いていく事は難しいが、同じ問題意識を持った者同士で支えあう事ができたら少しは生きやすくなるかもしれない。(余談だがそういう意味において私の将来のパートナーはきっと医療関係者になるのだろうな、と予想している。同世代の20代に私が感じる死への自覚と切迫感を共有できるのは死を日常的に触れる機会のある人だと思うからだ。)
コミュニケーション能力が足りない人が苦しむのと、日本の村の空気に圧迫されるのと何方が辛いだろうか。私は日本の空気による強制の方がデメリットが多いのではと思う。また昔の「歳相応」に生きた人達は私達より幸福だったのか確信は持てない。
あとサブカルチャーの章で戦後のメジャーな少年漫画一覧が挙げられて居るけど、2000年代の代表にONE PIECEが挙げられて居ないのは不思議。売上的にもトップのはず。あとさよなら絶望先生が2000年代を代表する漫画かな?いや私は大好きな作品ですけど。選定基準が知りたい。
三つ目の疑問点としてどういう経緯でこのタイトルになったのか。「若づくりうつ」という単語は殆どの読者にとって初めて見る単語のはず。実際それなりに医療系に関わっている私も初見の単語だった。造語ではないそうだが。
あと帯にオタク出身の精神科医!と書かれている割にサブカルへの言及は割と控えめだった気もする。私が帯担当だったらシロクマ先生がオタクである事を強調するんじゃなくて"ロスジェネ世代の〜"と書いたと思う。
新書を買うならイケハヤの炎上本読むより比べ物にならないくらい有意義な時間が過ごせるので皆こっちを買って感想をネットに上げてくれると嬉しいな、って。
>その自由を持て余し、欲望のままに浮付いた生き方を、或いは若い頃と同じ生活スタイルと意識の生き方をしてしまうから。 余裕がある人はいいですね。自分は金も体力も若いころよ...
勢い読みした感想 「歳相応」という世の中の空気によってパターン化された年代のモデルが崩壊。 好きに生きられるようになった結果、若いころのママで居る人が増えて、コミュニケー...